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ドラマ『THE LAST OF US』1月16日よりU-NEXTで独占配信スタート。ジョエル役の山寺宏一さんをはじめ原作キャストが集結した日本語吹替版も2月13日から配信決定

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クレイグ・メイジン(脚本/製作総指揮)ニール・ドラックマン(脚本/製作総指揮)へのQ&A 

お二人はジョージ・A・ロメロとサム・ライミの名作が昔から好きだったのですか? 

ニール・ドラックマン:面白い話から始めよう。全ての始まりはジョージ・A・ロメロと直接会ったことだ。彼はその時ピッツバーグに住んでいて、私はカーネギーメロン大学に通っていた。「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」のゲ ームプロジェクトをジョージに売り込み、彼が気に入ったものを1学期かけてゲームのプロトタイプにしようと試みた。私は「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」が大好きで、娘を亡くした警官と、父親を亡くした少女がチームとな って一緒に国中を回るというストーリーを売り込んだ。ジョージは気に入らなかった。それは彼の映画とは関係 がなかったし、ジョージは別のストーリーを気に入ったので私たちは1学期を使ってそのゲームの制作に取りか かった。私はキャラクターたちを廃案にするには惜しく、キャラ付けを発展させ具体化し、コミックを作ろうとした。それはうまくいかなかったがノーティードッグに新しいゲームを売り込む機会があって、そこから始まったんだ。 

クレイグ・メイジン:私はゾンビものが大好きというわけじゃなかった。嫌いでもないが夢中になるものではない。多くの人がゾンビを好きなのは大量消費主義や死生観など、いろんなものに好きなように展開できるから だと思っている。しかし私がとても気に入り夢中になったのは、病気が我々の人間性を崩壊させ、人間がいか にはかない存在であるかを見せてくれるところだ。オリジナルのゲームで描かれる人々がゾンビではなく病気にな った人たちだという点を私は気に入った。今作の制作にあたって、ニールと私は病気に感染した人とモンスター になった人との線引きに多大な注意を払った。ニールがこのゲームを作った時、彼が全体を科学で裏付けしたことは素晴らしいと思う。冬虫夏草は実在するし、菌類は全ての生物に影響を及ぼす。まだ我々に及んでい ないだけでね。 

感染者とモンスターの違いを描くことはキャラクターとプレイヤーを倫理的な板挟みに陥らせますね。

ニール・ドラックマン:このジャンルで好きなのは大げさで残虐的なものより、感染症の大流行により生じる人間のジレンマを描いたものなんだ。計画の当初は感染症を描くべきか、単に病気の描写だけにすべきかと 悩んだ。しかし私たちは詳細を避けることはせず冬虫夏草という科学的にもあり得る方法を採用することにした。冬虫夏草は菌が寄生して生物の脳を乗っ取ってしまうものだ。自然界に存在する冬虫夏草は美しいが 恐ろしい存在と言える。 

冬虫夏草のアイデアはデビッド・アッテンボロー風の自然ドキュメンタリーから生まれたのでしょうか? 

ニール・ドラックマン:そのとおり、デビッド・アッテンボローの「プラネットアース」だ。「なぜ誰もこれをゾンビ大量発生の原因にしなかったのだろう」と思ったよ。すごくぴったりなのに。まるで作り話のように聞こえるけど、実際 の映像を見るとそのまんまなんだ。 

菌類は脚光を浴びているように思います。近頃はドキュメンタリーや書籍が相次いで世に出ていますね。 

クレイグ・メイジン:私もそう思う。WHOは真菌感染症の脅威が人類に迫っているという警告を出してい る。我々は古来より菌類と付き合ってきた。イースト菌とビール酵母がその始まりだろう。石器時代の道具か らビールの痕跡が見つかったそうだ。人類は菌類を長年利用してきた。命を救ってくれることもある。ペニシリンは菌類だし、幻覚作用のあるLSDは菌の一種である麦角菌が元になっている。菌類がとても危険である ことは事実だ。私たちが幻覚作用のために使用している菌類は、とても強力な神経毒で向精神薬となり、小さな生物なら完全に支配できるし、同じことが複雑な生物でも起こらないとは限らない。これらは有害なうえ に体内から取り除くのは極めて難しい。自分たちが生存競争の中でトップだと思っている種を打ちのめす存在だ。今は私たちが生存競争に勝っているけど、菌類に狙われているよ。 

クレイグはゲームとどのように関わっているのでしょう?いつ「THE LAST OF US」をお知りになりました か? 

クレイグ・メイジン:2013 年に発売された時に知ったよ。「THE LAST OF US」は PS3 最後の大作だっ た。この作品のために PS3 を買ったけれどそこまで高い期待はしておらず、ほとんどXbox で遊んでいた。グラ フィックがとてもきれいだったのでプレイしようと思ったんだけど、他のゲームでは絶対に体験できないようなものだ とは思っていなかった。とても奥深かったね。もちろん、親しみやすい世界観やゲームの操作性も気に入るが、 ただ感動しただけでなく、そこではない点に驚き惚れ込んだ。このゲームはとても奥が深く、ゲームをするのがと ても好きな私でも、特に気に入ったのはプレイする以外の点だった。ストーリーとキャラクターだ。同じような経験ができるゲームはないと思う。ニールのことは知らなかったけど、とても特別な人だろうと思ったよ。 

ニールはクレイグの作品をいつ知ったのでしょう? 

ニール・ドラックマン:彼の映画を見たことはあったけど、私が本当に感銘を受けたのは皆が思うとおり「チェル ノブイリ」だ。とても憂鬱な題材だから紙面ではあれほど成功しなかっただろう。あれはまるで見たことのない最高のスリラー作品のようだった。政治の恐ろしさ、目に見えない脅威がどのように広がりパニックを引き起こして いったか。私はある登場人物に引き付けられ感動したので、クレイグに会いに行って熱く語りたかったんだ。 

なぜ「THE LAST OF US」を別の媒体で作ろうと思ったのですか? 

ニール・ドラックマン:「なぜ翻案するのか」というのは最初の議題だね。ゲームがとてもいい出来なら、なぜリ スクを冒してまでこんな計画をするのか。このゲームは私には本当に大切なもので子供のようにも感じているの で、失敗作を見るのはつらすぎる。しかし世の中にはゲームを全然しない人もいるし、YouTube でプレイを見ることはできても経験するのとは違うからね。このゲームは見るのではなくプレイすることを前提にされている。 見るだけではうまく感じることのできない部分がたくさんある。そこでこのストーリーを別の媒体にリメイクしても成功すると思うかが決め手になった。私はずっと「ゲームの呪い」に興味を持っている。これまでのテレビゲームは パッシブメディアに翻案した場合、しっくりいかなかったというものだ。そのため多くの人がストーリーを語るにはゲ ームは不十分だと考えている。このドラマを見た人が「これってゲームが元ネタなの?」と驚いてくれたらいいよね。そして彼らが原作ゲームをプレイして、そこにある価値ある経験を理解してくれるかもしれない。 

なぜ映画ではなくドラマシリーズにしたのでしょうか? 

ニール・ドラックマン:私も最初は映画製作という悪手を選んでしまった。愚かにもこの物語を2時間の映画に収められると信じていたのだが間違っていたよ。脚本はよかったけれど、とても長くてこのゲームの大事な心の部分が失われてしまったんだ。だからテレビドラマの可能性を考えた。しかしテレビで最高の脚本が出てくるようになったのは比較的最近のことだから、少し抵抗があった。今はテレビドラマの黄金時代だ。でもクレイグと会ってパートナーとなる可能性が出るまではあまり深く考えなかった。それまでに会った人の中にも「THE  LAST OF US」が大好きな人や素晴らしい経歴の持ち主はいたけど、クレイグのようなレベルでゲームを理解している人はいなかった。 

クレイグ・メイジン:テレビドラマでなければならなかった。「THE LAST OF US」の素晴らしさは「男性が女の子と国中を旅する」というプロットではない。もしそのストーリーを映画で描くなら連続したアクションシーンと 2~3の感動的なシーンの構成になるだろう。映画はストーリーとその構成が合っていれば見事なものになるが、そうでなければ単調になり物語の素晴らしさが損なわれてしまう。本質の物語を伝えるために大事な細か な点をそぎ落とすことになるんだ。私にとって「THE LAST OF US」の好きなところはキャラクターと過ごす時間だけでなくイベントの描き方にもある。ゲームでは何回もイベントが発生する。ストーリーを止めることも進めることもできる構成で、必要な時に話を展開したり省略したりできる。ドラマ化にあたって短くすることもあれば大きく膨らませることもあった。私たちは自由に構成し直すことができた。テレビドラマを作る時の私の個人的なポリシーは誰の時間も無駄にしないということだ。自由と柔軟性を与えられると多くのテレビドラマが話を水増しして間延びさせてしまうんだ。1980年代のソビエトの原子力被害の話であろうと、ジョエルとエリーが国を横断する物語だろうと、一分一秒が魅力的であるべきだと思う。私たちは物語を正確に伝える方法をとっ た。テレビでは柔軟にできると考え、映画ではできないと思った。映画は80分から3時間の間で収めなければならないという凝り固まった決まりがある。このゲームはその枠に収められるものではないんだ。

第3話のビルとフランクはミニ映画のようになっていてジョエルとエリーは脇役になっていましたね。残りの エピソードもそのような変化に富んでいるのでしょうか? 

クレイグ・メイジン:そうだね。ドラマで実写化することに意味があるのだから、ある程度は忠実に作る必要が あるとは思っていた。だが手を入れたほうがよくなる部分もある。ドラマでもゲームと同じくらいのインパクトを与 えるために調整するんだ。ゲームにも制限があるから、ゲームではできなかったことを広げて補完することができ る。ゲームでは操作性と没入感を出す必要があったし、プレイヤーがコントローラーを置いてストーリーを一旦 止めるタイミングを決められるようにする必要があった。今作はゲームではないから、いつ始まりいつ終わるのか を含めて私たちが全て決める。視聴者に多くを届けたいから規模を小さくしたり進めたりすることがあった。私たちが大好きな瞬間だ。また私たちのストーリーが一緒になって2つの世界が完璧に一体となる瞬間も好きだ。一度別物になって、また一緒になる。 

ニールはゲームに取り入れようと考えたものの却下された要素を今回取り入れることはあったのでしょうか? 

ニール・ドラックマン:あまり詳しくは言えないけど1作目の脚本を完成させた後に書いた、とても重要な箇所がある。CMのような短いアニメにするつもりだったけど完成しなかったんだ。ボツになったストーリーのアイデ アが再び日の目を見ることもある。クレイグにこの話をしたら目を見開いて「これはドラマで出すべきだ」と言ったよ。 

クレイグ・メイジン:見れば分かるけど素晴らしいんだ。こういう話をする時、ただ全てを受け入れるゲームプ レイヤーとして経験しているから、しつこいくらいに質問してしまうんだ。翻案するにあたって、なぜこうなったの か、なぜ彼らはそこにいるのか、なぜ彼らはそんなことをしたのかということを考えなくてはいけない。こうした疑問 のうち 75%はニールが解決してくれた。それらはストーリーの中に組み込まれていたり説明しきれていなかったりした。そして 25%は答えがなかったので我々が道筋を作り上げたんだ。ゲームでは明らかになっていないこと でも膨らませたり脚色したりして見えるようになってきた。そのためストーリーの解像度が上がるから複数のバー ジョンを何回もプレイして細かく知っている人にとっても、このドラマシリーズは新しい発見がたくさんあって、素晴らしく斬新なものとなるだろう。そしてゲームをプレイしてない人は違和感なく受け入れられるはずだ。 

ゲームを知っている人が喜びそうなイースターエッグのような小ネタを入れることは楽しかったですか? 

ニール・ドラックマン:あまりそういうことはしなかった。そこに注目を集めたくなかったからね。小ネタを仕込む時はキャラクターや彼らの旅を彩るものにしたかった。例えば第3話のビルとフランクのエピソードでは、最初ク レイグはエリーが有名な服を手に入れるシーンを入れようと考えていた。私はそこでジョエルが彼を象徴する服を手に入れるべきだと考えた。私たちは逆算して考えたんだ、「フランクがあの有名なシャツを着ていたらどうだ ろう」とね。そうするとフランクとジョエルが見た目だけでなくテーマ的なつながりも持っていることが分かる。私たち がその服を初めて見た時のようにファンの人たちの心にも響くだろうと思った。

クレイグ・メイジン:小ネタはキャラクターや人間関係に結びつけようとした。ただ小細工をするのではなく、視聴者が分かるようにしようと思った。何かが連想されるものでなければならない。無意味なものであってはいけ ないんだ。だから無理やり小ネタを仕込むことはしない。入れる場合は視聴者がその元ネタを知ってるかどうか に関係なく意味あるものになるようにしている。 

ニール・ドラックマン:少しネタバレをしようか。ドラマに入れることはできなかったが、ゲームの世界観を彩るものの1つにメモがある。ゲームではメモを読むために立ち止まることはできるけどドラマでは視聴者が退屈してしまうからそんなことはできない。しかしイシュと地下に住んでいた人たちのストーリーがある。私たち2人とも大好きな部分なのだけれどゲームと同じようにドラマに登場させることはできないから、そのストーリーにちなんだ小ネタを用意した。ドラマだけ見る人たちにも意味は分かるものだけれど、ゲームを知っている人にはもっと深い 意味が伝わるはずだ。 

ベラ・ラムジーはエリーというキャラクターにどのように影響しているでしょうか? 

クレイグ・メイジン:10歳から 26歳までの世界中の役者が来て 100 回以上のオーディションをしたのでキ ャスティングに時間がかかった。ベラのオーディションは最初のほうだったのだけれど「彼女だ」と思ったね。ベラには理論的に不可能なことをやってもらうことになる。なぜならエリーとは実在しない人物を重ね合わせた存在であり、二次元に描かれたキャラクターで、14 歳の少女の心と声に当時 20 代ですっかり大人だったアシュレ ー・ジョンソンが命を吹き込んでいるからだ。ゲームをプレイしている時にエリーにとても不思議な魅力があるの は、とても大人びているように感じる点だ。それは子供の体に大人が入っているからだ。ベラはとても小柄で、 制作を始めた時は 17 歳なのに 14 歳くらいに見えた。ベラは私がこれまで会った人の中で一番大人びてい て賢い人だと思う。知性と賢さと洞察力と人間性が底なしのように感じる。それはとても面白くてエリーの大事な部分でもある。そして傷つきやすいと同時にたくましいところもエリーの大きな魅力だ。エリーの描写にベラは多くの食い違いがあるが、そこは私が思っていたよりずっといい方向に進んだ。心配はしていなかったが「大丈夫だ。みんな素晴らしい!」と初日に思ったのを覚えている。そして2人はどんどん進歩していき、シーズンを通してジョエルとエリーが親しくなったように、視聴者も2人に親近感を覚えるようにできている。「14 歳の子を見捨てないよ。次は何だ?」と思うだろう。ストーリーが終わる頃には彼女を救うために世界に火を放っても いいと考えるようになる。 

ニール・ドラックマン:この主役2人のキャスティングはある意味、精神的に疲れる作業だった。なぜなら別のキャラクターで失敗しても何とかなる。そんなことはしなかったし、素晴らしいキャストがそろっている。でもゲーム と同じで、もしエリーに興味がなかったら、ストーリーはまとまらず失敗してしまうだろう。クレイグの言葉を借りれ ば、ベラはアシュレー・ジョンソンと同じクオリティを出すという途方もない難題を抱えていた。アシュレー・ジョンソ ンのおかげでハードルは高かったし、私たちは何回もオーディションを設定して、みんなよかったけど、ベラを見た時に彼女がとても自然だと感じたんだ。役者ではなくエリーが目の前にいるように感じた。 

クレイグ・メイジン:ゲームでのジョエル役のトロイ・ベイカーやエリー役のアシュレー・ジョンソンと同じ印象を与えないことも私たちにとっては重要だった。でも同じことをしている二次元のキャラクターを彼らに演じてもらうわ けだ。模造品のような出来になる可能性もあるけど、ベラはそうじゃない。声と顔が違っても魂が同じなんだ。 面白いことにそれを最初に指摘したのはトロイ・ベイカーとアシュレー・ジョンソンだった。彼らはベラをとても気に 入っていて、それが何よりの証拠だ。あの2人ほどキャラクターを熟知している人はいないからね。

キャラクターに暗い部分が多いドラマでは、ユーモアは重要なのでしょうか? 

ニール・ドラックマン: このストーリーではユーモア部分はとても大事で必要な息抜きとなっている。私がノー ティードッグ作品、特に「THE LAST OF US」で気に入っているのはジャンルが混ざっているところだ。単なる ホラーにせず、ホラーの要素を取り入れている。単なる性格劇ではないが性格劇が元になっている。コメディではないけどエリーは愉快な子だし、ジョエルが時々エリーに向ける冷淡な反応は滑稽だ。彼らを応援するようになる不思議な魅力となっているね。 

クレイグ・メイジン:頭のいい人は終末的な世界での状況や生物の不条理さが分かると思う。生きている人たちがそれを笑うのは当然だ。とても深刻だから、おちょくらずにはいられない。危険さと結末があまりにも深 刻なものなので、キャラクターまで暗い顔をしていると全体的にやりすぎになってしまうんだ。アルマゲドンに直面しても笑っていられるのは人間らしさの証明であり、エリーとジョエルがお互いに軽口をたたき合う姿は必要 不可欠だ。「チェルノブイリ」でさえも愉快なキャラクターでなくても面白いこと、バカバカしい時があったはずで、 「THE LAST OF US」ではその部分がより重要なんだ。役者2人がとても愉快な人たちで助かっている。ペドロはとてもおかしな人だ。一番難しい役は引き立て役の男性で、その役のためには撮影現場で一番愉快な人であるべきだと思っている。「チアーズ」でテッド・ダンソンは一番面白い人でなければならなかった。喜劇の中心であり、その人のリアクションが全てだ。ペドロは最初から最後まで素晴らしかった。 

ジョエルのパートではペドロ・パスカルが暗闇に直面することになります。どんなに優れた役者であっても難 しいことですよね。 

クレイグ・メイジン:人を愛し、家族や恋人とつながりを持つ人なら誰でも喪失感を味わったことがあるだろ う。失った経緯は人それぞれだが彼は確かにその人間的な経験を内に秘めている。特にジョエルは屈強な男 なので、その部分をはっきりと示すべきだということを優秀なペドロは理解していた。ジョエルが心を閉ざし歯を食いしばって何も感じないようにして 20 年が経過しているから、もっと強くなれと要求しなければならなかっ た。そんな中でも、どんなにつらくても、やれるのだということを示してほしいと私たちは彼に求め続けた。ジョエル が望みを持つ様子を見せることが重要だった。私たちがゲームから感じたものを広げることにしたんだ。彼は望 みを抱いているがプレイヤーは知ることができない。彼自身も何を望んでいるかが分からない。そういう人間であることを知っていて、ペドロはそのもろさを美しい形で表現してくれたから、彼が演じるジョエルは人を引き付け、心を動かす人になっている。エリーがジョエルを父親のように慕うようになる時に「そうなるのも当然だ。彼は最高だ」と思えるようにすることがニールと私の役目だ。 

ニール・ドラックマン:実際のペドロは冗談好きで軽い性格なので、ジョエルとは大違いなのが面白いね。彼の演技でとても忍耐ある人物になっている。でも、もろさが表れた時は、いいキャスティングだと自画自賛して るよ。そういう時に彼に引き付けられるんだ。 

インドネシアやカナダで撮影した中で、特に印象深い場所はどこですか?

クレイグ・メイジン:カナディアンロッキー山脈、特にアルバータ州バンフの辺りを思い出すね。あそこは世界で も有数の美しさだと思う。ストーリーはひどく荒れた都会の惨劇から広く開けた西部に場所を移していく。ワイ オミング州のジャクソンにとてもよく似たキャンモアという山間の町に着いて、広大な西部のような光景を見た時、とてもうれしかった。あの土地のおかげで全てがリアルで途方もないもののように感じられるようになった。ど んなに金をかけてセットを作っても山までは作れないからね。役者が本物の馬に乗って本物の山地に広がる大草原を走る姿は素晴らしかった。寒くて大変だったけれど最高だった。 

ニール・ドラックマン:VFX との融合も見事だった。エドモントンでの撮影は、自然生物が復権して植物が全てをのみ込んだようなセットを組んだ。そしてそのセットを映像全体に広げるためには VFX を駆使しなけれ ばいけない。役者が演技をするために必要な道具を実際に配置して、VFX 作業がうまくいけば、目の前にあるセットより、はるかに壮大な世界になることを想定していた。 

クレイグ・メイジン:ブルーバックやグリーンバックの部屋に役者を入れて、これを見ているような仕草をしてくれなどとは言わなかった。役者は常にその場にいてお互いにやり取りをし、触ることができる世界があり、それを元に私たちが広げるんだ。 

VFX はすごいですよね。ノーティードッグのチームが作業したのでしょうか?それともテレビや映画界の VFX 専門家に依頼したのでしょうか? 

ニール・ドラックマン:かなり特殊な分野だよね。ゲームでは1枚の画像をレンダリングするのに 1/60 秒か 1/30 秒で終わる。ゲームのグラフィックを担当した多くのコンセプトアーティストが背景や冬虫夏草の成長を 描くために参加している。それは特徴あるスタイルで、ノーティードッグが持つ専門知識を活用することができた。またキャラクターデザインや感染者のデザインにはゲームと同じスタッフが参加している。 

ゲームとドラマで感染者やモンスターのデザインに違いはあるのでしょうか? 

ニール・ドラックマン:私たちが初めて会った時に、デザインを変えずにいきたいと話した。クリッカーもブローターもそのままだ。ゾンビとの違いを明らかにできるような時は必ずそうすべきだとクレイグは言っていたよ。ゲーム のように物事を裏付けるものがあるなら、絶対に使うべきだ。感染経路についてはいろいろと話し合った。ゲームでは噛みつかれることや胞子といった、このジャンルのお約束のようなものだった。胞子を不採用にしたのは、もしそれが感染源ならキャラクターが常にマスクをつけていて顔が見えなくなってしまうからだ。そこで噛むことから連想して、生えてくるツル植物のアイデアに行き着いた。美しくもあり気味悪くもある。皮膚の下でうごめくのが見えるので、とても不気味で不快感がある。採用すべきだと思った。 

クレイグ・メイジン:映画ではゾンビウイルスが出てくるけれど、私たちはウイルスのせいにはしなかった。科学者がウイルスの心配はないと言うところからドラマは始まる。これはすごいことだ。菌類には菌糸というとても細 い糸がある。このドラマでしかできないことをやるべきだと思っている。そのため撮影する前に特殊造形チームと VFX チームと一緒にどのような映像になるかを仮に作る作業はとても刺激的なものになった。最終的には驚くほど現実に近くリアルに感じられるので恐ろしいほどだった。

ゲームがドラマになってニールはどのようなお気持ちですか? 

ニール・ドラックマン:私はこの計画に、多くの不安と失敗になるかもしれないという懸念を抱いて臨んだ。おかしな出来になるかもしれないし、満足できるものにはならないかもしれない。どれくらいの人が見てどんな反 応をするのかは自分の手が及ぶものではないから、成功するかどうかは分からない。でもみんなが愛情をそそいでくれたから、ゲームを作った時のようにこのドラマを誇りに思っているよ。特別な気分だ。私はそんなことはないと思っているが、もし失敗に終わるとしても、それは変わらない。 

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ライター
1998年生まれ。静岡大学情報学部にてプログラマーの道を志すも、FPSゲーム「Overwatch」に熱中するあまり中途退学。少年期に「アーマード・コア」「ドラッグ オン ドラグーン」などから受けた刺激を忘れられず、プログラミング言語から日本語にシフト。自分の言葉で真実の愛を語るべく奮闘中。「おもしろき こともなき世を おもしろく」するコンピューターゲームの力を信じている。道端のスズメに恋をする乙女。

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