ゲームに対して真剣に取り組めば、人間の人格を成長させる“道”になる
――そういう負けて気づくことがいろいろあって、今のプレイスタイルは、効率重視ではないものに変わってきているわけですね。
ときど:
ただ勝つだけなら、プロゲーマーじゃなくて、普通の仕事をやるほうが良いですから。あくまで勝ちは目指すんですけど、勝つことによる価値は100のうちの51ぐらいに留めておくというか、そういう感覚ですね。
――大会の中で、いわゆる“魅せプレイ”的な部分も意識するようになった?
ときど:
そのゲームを深く掘り下げていった結果、それが試合に出た時に、魅せプレイに見えちゃうってことはあるかもしれないですね。
――深く追求しているものが、プレイの背景に見えてくる感じでしょうか?
ときど:
そう、それです! そういうプレイを目指しています。
ゲームっていうのは僕にとって、“道”なんですよ。武道や茶道と同じような“ゲーム道”というか……。これはわりと最近気づいたことなので、まだうまく言葉にできていないんですけど。
どんなことでも本当に真剣にやれば、自分を成長させることができる。そして僕にとっては、それがゲームだった。そのことにようやく気づいたんです。
じつは僕、最近になって、空手を始めたんですよ。
――それはまた、どうして?
ときど:
ゲームと武道は絶対に共通点があるなと思って。出身が沖縄ということもあって、空手を始めたんです。やってみると、やっぱり共通点はすごく多いですね。
実際にやってみてわかったんですけど、武道には師匠がいて、適当にやると絶対に痛めつけられるんですよ。「今日はあの師匠から1本取っちゃいますよ、へーい!」みたいな感じでやると、もう身体をメチャメチャに痛めつけられて、「すいませんでした!」っていうふうになるんです。人間の本能として、痛いのはイヤじゃないですか。
――たしかに。
ときど:
ところがゲームで勝負を挑んでも、痛いのはゲームの中のキャラクターだけなんですよ。操作している本人は肉体として痛くないから、あんまり心に響かないんですね。そこがゲームの難しいところだと思うんですけど。
でも難しいところだからこそ、そこに気づいた人は、きちんと反省できる人間ですよ。自分のダメなところを省みて、次はもっと良くしようとできる人なので。そういう人は素晴らしい人間になれるんじゃないかなと、僕は思っているんです。
ゲームを真剣にやることで、人間の人格の成長につなげるところまで持っていけると思うし、実際にそこまで持っていってる人がすでにいるので。そのことをもっと広めていきたいなと思ってるんです。
――それは新しい価値観ですよね。ときどさんのような人たちに憧れて、プロゲーマーを目指している子どもや若者もいると思います。そうした人たちに対して、何かアドバイスは?
ときど:
ゲームってやっぱり、“遊び”な部分がほとんどだと思ってるんですよ。遊びとして楽しみたいのなら、空いた時間のストレス解消にでも、それこそ好きに遊べばいいと思うんですけど。でもプロを目指すのなら、ゲームをもっともっと深く追求したいという思いがあるのなら、「遊びとしてやるな」って言いたいですね。
もともと遊びであるゲームをただ楽しんでいるだけなら、なんにもならないですよ。プロであれば勝ちを求められるだけでなく、観る人をもっと魅了して、どんどんと惹きつけるようなプレイをしなきゃいけない。遊びだからこそ真剣にやることで、世の中に訴えうる何かが生まれるんですよ。
プロゲーマーの世界がプロ野球ぐらい華やかな世界になれば、ただゲームが上手いというだけでも別にいいと思うんですけど。でも現状はまだそうじゃないので、世間に訴えかける何かが必要だと、僕は思っているんです。
――では、たとえばプロ野球選手のように、プロゲーマーが世間でも尊敬を勝ち得るようなポジションになることが理想ですか?
ときど:
そうですね。でも、本音を言うと、それはそれで寂しいんですけど。もちろんそれを目指してはいるんだけど、もし現実にそうなった時には、僕らがいじめられながらもゲームをやってきた時のような思いは、もう生まれないんだろうな、という感覚もあるんです。
ゲームが世間からはあまり良くないと思われているものだからこそ、真面目に取り組まなきゃいけないっていう気概が、その場合にはなくなってしまうと思うので。
――遊びだからこそ真剣にやるというのが、ゲームの“道”だということですね。
ときど:
そうですね。今の僕はゲーム道を追求する、格ゲー千利休を目指していますから(笑)。
「プロのゲーマーってどういうもの? 普通のゲーマーとはどう違うの?」
今回のインタビューは、そんな素朴な疑問からスタートしている。普通のゲーマーであっても、ゲーム大会に出場して勝ち抜きさえすれば、多額の賞金を獲得できる。だとすれば、アマチュアとプロの違いは実際のところ、1日24時間のすべてをゲームのために使えるかどうか、ぐらいではないのか。
だが当事者のときどさんは、自分自身の体験を通じて、“プロゲーマー”であることの意味について、我々が考えていたよりもはるかに深く、思いを巡らせていた。そうしてたどり着いたのは、アスリートや医師や職人といった、他のあらゆる職業とまったく変わらない“プロフェッショナルとしての矜持”だった。
プロである以上は観客や対戦相手や自分自身に対して、さまざまな責任を負っている。そしてプロとしての行動は、自分の将来を左右するだけでなく、その職業、ときどさんの場合であれば、対戦格闘ゲームやeスポーツといったジャンルそのものの未来にも、影響を与えることになる。ときどさんはそんなプロとしての立場を、自らの意志で選び取ったのだ。
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