無職の青年が持ち込んだゲームが歴史を変えた。約20年ぶりに再会を果たした初期メンバーが語る「大戦略」開発秘話

無職の青年が持ち込んだゲームが歴史を変えた。約20年ぶりに再会を果たした初期メンバーが語る「大戦略」開発秘話

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その後の『大戦略』の歩み

――実は、宮迫さんからは、「『大戦略』というフォーマットが完成を見たのは“2”だったように思う」と聞いているんです。

福田氏:
 ああ、おそらく『大戦略』としてのエッセンスが『2』には凝縮されているからでしょうね。なんて言うのかな、『大戦略』の正当進化の系譜として、確かに『2』が一番マトモなんです。あまり変な工夫をしていなくて、変更点も部隊の国籍を増やしたり、マップも少し広くしたり……という感じでしょう。

石川氏:
 他には、遠距離ユニットや、MLRSみたいな巻き込み型・広域型なんかかが入っていたのかな。『大戦略』のルールを残しつつも幅が広がった作品でした。

 まあ、どんなゲームも、2作目がだいたい完成度が高いんですよ。1作目の反省を踏まえて、開発者が「今度こそは」と良い塩梅に仕上げてくる。ところが、3作目あたりから「えっと、やり尽くしちゃったけど、次どうしよう……」みたいな感じになってくるんです(笑)。

福田氏:
 『2』が終わったあと、すぐに藤本さんの頭の中は『3』(※)に行ってました。一方、私の方はちょうど『大戦略』に新しい要素をいかに組み込むかを、他のゲームの開発を通じて模索していた時代なんです。

 やりたかったことは二つです。一つはマップを繋げる試みで、もう一つはファンタジーものの試みでした。そこで、まずは『ファンタジーナイト』というファンタジー系ゲームを作って、その進化系として『マスター・オブ・モンスターズ』でマップを繋げてみたんです。この2作品で、その方向性に商品としての見通しが立ったので、満を持して『大戦略』のキャンペーン版でその要素を取り込んだんです。

※『3』
1989年6月に発売された『大戦略III グレートコマンダー』のこと。セミリアルタイム制を導入し、高度やスタック、索敵など新しい要素を盛り込んだ。

――マップを繋げる、というのはどういう意味ですか?

福田氏:
 つまり、それまではあくまで「
1つのマップをクリアしたら終わり」だったのものを、キャンペーンみたいな形で連続性を持たせるようにしたんです、そのうえで、次のマップに召喚できるモンスターのレベルを引き継げるようにしたり。そうすることで、ゲームとしての幅が一気に広がったんですね。

――なるほど。そこは、後の国産ウォーゲームに大きな影響を与えていった部分かもしれないですね。

福田氏:
 ええ、そう思います。キャンペーンとしてマップを繋げて展開していくことで、ゲームに物語性を持たせることができたり、ユニットの成長システムなども、より大きな意味を持つようになりましたから。

――ふむ……となると、システム的には『2』で完成していて、キャンペーン版でマップも繋がった。そこで、たぶん『大戦略』としては完成形をみていたんじゃないでしょうか。個人的にも、先ほどの石川さんの話じゃないですが、『3』でいきなりリアルタイム性が入ってきて、「あれ、そういうゲームだっけ?」と激しく違和感を覚えた記憶があるんです。

藤本氏:
 いや……大変に申し訳ございません(笑)。

石川氏:
 あの時期、僕の記憶ではシミュレーションゲームにおける第一次リアルタイムブームくらいの時代なんです。そういう時代の空気を藤本さんは取り入れてきたんだと思います。ただ、『3』は厳密にはリアルタイムストラテジーではないんです。単にターン制が勝手に進んでいるだけで、タイムスパンを徹底的に細かく刻んだスライスムーブでしかないんですよ。

福田氏:
 そうそう。しかも当時の開発の流れを言うと、「リアルタイムっぽく見せよう」という動機が強かったわけでもないですからね。

 例えば、シミュレーションゲームを作るときには「1ターンをリアルの時間で1時間くらいの単位にしようかな」とか決めていくのですが、そのタイムスパンをとても狭くしてみて、かつ勝手にターンが動いていくイメージで作ったんです。

 ただ、そういう発想が発端ではあったものの、マウスのクリックが速いと状況に合わせてどんどん動きを変えられてしまったのは誤算でした。これは操作が重くならないように、思考ルーチンにあまり細かいタイムスパンで考えさせないようにした結果です。結局、人間が操作のスピードを上げていけば、反射神経の良さで勝てるゲームになってしまったんです。

――そんな変化をつけた動機は、シリーズ物としてマンネリを避けたかったからですか? 

福田氏:
 いや、当時はそもそも「シリーズ」全体をマネジメントするような意識そのものがなかった(笑)。ただただ『大戦略』に対して、「次は何を織り込めば面白くなるかな」と考えていただけです。

 まあ、そういう意味では『3』でやめようという話はありましたけどね。あれは一番長く会社に住み込んで作ったのだけど、やっぱり98BASICを書く限界にぶち当たりましたから。

藤本氏:
 あのとき、ついに限界を超えましたね。

福田氏:
 藤本さんが色々とやるんだけど、どうしてもスケジュール通りには終わらない。しまいには、「いつできる? いつできる?」と営業に言われて、なんか「御前会議」みたいになってしまって……

 それで、ついに藤本さんが営業に呼び出されて「あと1ヶ月で頼む」と言われる事態になったんですね。そうしたら藤本さんも現場では「あと3ヶ月はかかる」と言ってたのに、「できます」と答えちゃった(笑)。そこからが大変で大変で……

藤本氏:
 (苦笑)

石川氏:
 さらに後期の頃の『大戦略』になると、兵器の種類が半端じゃない量だったので、もうバランスを取りようがなかったですね。仕方ないので、もうカタログで見たスペックで数字を決めてましたから。

 つまり、「これとこれを組み合わせたらどうなるのか?」みたいなことを検討する限界が来たんですね。だから、単純にカタログスペックの数字を入れるしかない。そういう意味で、藤本さんが関わっていた時代には、それぞれの兵器の強さの組み合わせが、我々の手でちゃんと決められていましたね。 

福田氏:
 最後は、もうバランスもへったくれもない。現実の戦闘がこの数字で成立してるんだから大丈夫なんじゃないか、みたいなノリですよ。

『大戦略III』発売当時のインタビュー記事。福田氏と石川氏が対談しながら製作の裏話を披露した(『コンプティーク』1989年6月号付録より)。
『大戦略III』発売当時のインタビュー記事。福田氏と石川氏が対談しながら製作の裏話を披露した(『コンプティーク』1989年6月号付録より)。

――なるほど……。ちなみに、結局『大戦略』で一番メジャーになったのは、やっぱり『アドバンスド大戦略』(※)ですか。

※『アドバンスド大戦略』
セガ(現・セガゲームス)が、『大戦略』のシステムを踏襲して製作したシリーズ。特に1991年6月に発売された、初代メガドライブ版の『アドバンスド大戦略 -ドイツ電撃作戦-』は人気が高く、『アドバンスド大戦略』と言えばこのメガドライブ版を指すことが多い。

石川氏:
  セガの中に『大戦略』が大好きな人がいて、もう「おいおい、ここまでやるのかよ!」みたいなノリで、向こうで勝手に暴走している状況に突入していて……それを我々も焚きつけた(笑)。「別に俺らが作るわけじゃないし、もっとやっちまえー」みたいな感じです。

 福田氏:
 まあ、我々も明らかにプレイヤー目線の都合で話してましたよ(笑)。自分たちが面白く遊びたいがために、「こう改善してくれ」みたいな話をしてね。さすがに「こんだけコストかけていいのかなー」なんて心配したこともありましたが、まあ、セガさんならいいだろ、と(笑)。

――私が『アドバンスド』で忘れられないのが、最初のマップで2号戦車ユニットの前にポーランド騎兵のユニットが出てくる場面なんですよ。もうこの先使われるはずがないのに、そのシーンのためだけに作られたユニットが登場する。でも、だからこそポーランドの哀愁が強く胸に迫るんです。

福田氏:
 あれ、最初に見たとき、「ここのレベルからやるか」と感動しましたよね。あれだけで、もう騎兵なんて出さなくていいし、戦車だって出さなくていい。ただただマニアな連中が、作りたいがためだけに確保するわけです。 

石川氏:
 あのゲームは実に幸せなパターンのライセンスでしたね。

 聞いていてお分かりだと思いますが、システムソフトはライセンスにあまり口を出さないんですよ。だから、不幸なパターンも逆にあって、それがファミコン版の『大戦略』(※)ね(笑)。

※ファミコン版『大戦略』
1988年、ボーステックから発売された『大戦略』のファミコン移植版。『大戦略』の正式な移植版でありながら、その完成度の低さにあとの評判をとった。

福田氏:
 あれは、ひどかった(笑)!

石川氏:
 僕はあれでゲームデザインのなんたるかを逆に学びましたから(笑)。

 『大戦略』って、地形がすごく大事じゃないですか。だから、ファミコン版の『大戦略』は地形を大きく見せるために、ヘックスを大きくしているんです。ところが、その結果として一画面に入る範囲が小さくなって、敵を見るのに一々スクロールさせなきゃいけないんです。シミュレーションゲームとして、最悪の見せ方ですよね。

福田氏:
 しかも、3段階に切り替えられる操作が、またウザいんだよね……。 

石川氏:
 ところが、同じ年に出た任天堂の『ファミコンウォーズ』(※)には、逆に度肝を抜かれましたよね。

※『ファミコンウォーズ』
1988年、任天堂から発売されたファミコン版のシミュレーションウォーゲーム。『大戦略』を元に巧妙なアレンジが施され、ファミコン史上屈指の傑作ゲームとなった。印象的なTVCMも当時話題を集めた。

 マップにユニットが載ってると地形が見えないから、代わりに情報欄に「森」と出したんです。「あ、こうすりゃいいじゃん」と思いました。しかも、形状もヘックスにこだわらずに、スクエアを採用していてね。

 あのとき、「ゲームのデベロップメントとは、こういうものか」と学んだように思います。ファミコン版の『大戦略』が外見の模倣にこだわったのに対して、明らかに『大戦略』の影響下にある『ファミコンウォーズ』はゲームのおもしろさをどうファミコンで実現するかという工夫を凝らしてきた。ああ、こういうことだったのね、と思いました。

(C)2016 SystemSoft Alpha Corporation
(C)2016 SystemSoft Alpha Corporation

ウォーゲームから見た『大戦略』

――そろそろ『大戦略』とは何だったのかを考えていきたいんです。以前、『森田のバトルフィールド』から影響を受けたという話をお伺いしたのですが……。そもそも『大戦略』の発売時、こういうウォーゲームで生産まで入ってくるもの自体が、相当に珍しかったはずなんですよ。当時のウォーシミュレーション系ボードゲームというのは、有名な戦いを再現したマップでユニットが配置してあるような、戦術&作戦規模のものをプレイするのが多くて。『大戦略』のように戦略要素を盛り込んだゲームはあまりなかったように思います。

※記事公開後、『森田のバトルフィールド』にも生産の概念があるとのご指摘を頂き、本文を修正しました。

福田氏:
 こんなの、ボードゲームでやったら面倒くさいからね。

――そういう意味で、『大戦略』の素晴らしいところとは、『パンツァーブリッツ』(※)のような作戦級の規模のゲームなのに、戦略級のような生産要素が混ざっていることを、なぜか「みんな納得して遊んでいる」ことだったんじゃないでしょうか。しかも、そういう曖昧さこそが、一部のマニアだけじゃない、幅広い層に受け入れられた理由だった気もするんです。

※『パンツァーブリッツ』
アバロンヒル社のボードウォーゲーム。革新的なゲームデザインで、当時のボードゲームのデザインに影響を与えた名作。

福田氏:
 まあ、でも僕らは「生産」をつけたら面白いじゃん、くらいの感じでしたよね(笑)。

藤本氏:
 配置するときに結局はどこかから持って来ざるをえないわけで、じゃあ生産しちゃえばいいでしょ、という発想でしたね。結局、用意するものはデータなのであって、それを誰が作るのかと考えると、プレイヤーに任せてしまうのが一番じゃないかと割りきったんです。

 まあ、あらかじめ用意して、その部隊のシナリオを書く方法もあったと思いますけど、僕はそういうのは下手だし、面倒だからイヤでしたね。

福田氏:
 基本的に『大戦略』には「初期配置済み」という考え方はないんです。一々ステージを作るより、そっちの方が作るのも楽ですしね。まあ、悪く言えばユーザーに丸投げしたわけですが(笑)。 

――でも、そういう考え方こそが、まさにボードゲームにはないコンピュータゲームならではの発想だと思いますね。それに、ボードゲームの紙のユニットで、1ユニット10ステップだとかを作ろうとしたら、とても面倒くさいですよね。色んな意味でコンピュータあってこそのゲームなんだなと思います。

福田氏:
 そうですよね。ボードゲームでは「そんな面倒くさいことやってられるか!」となる話が、コンピューターゲームなら簡単になるというのは多かったですね。 

――でも、石川さんのようなウォーゲームマニアの人から見て、そういうデザインはどう目に映りましたか? 

石川氏:
 当時のボードゲーマーには大きく2系統あって、兵器マニアから来る人と、頭を使う大人のゲームから来る人がいたんです。僕の場合は後者だったので、戦術級よりは作戦級や戦略級の方がゲームとしては好きだったんです。

 だから、やはり最初は違和感はありました。それこそ、なんでF-16同士、アメリカ同士で戦ってんだ、みたいなレベルの話も含めて(笑)。でも、徐々に今でいうところの「ストラテジーゲーム」方向に進化していきましたよね。

福田氏:
 いま思えば、『大戦略』って実際の戦闘を将棋くらいにまで抽象化したゲームシステムを構築した上で、リアルな名前を付けることで、現実感を出していたような印象がありますけどね。

 そういう意味では、「軍人将棋」にも感覚が近かった気はします。得意・不得意も明確だし、例えば戦闘機が2種類あるときには、高価で強いやつと、安価でそこそこ使えるやつ、という選択肢がある。どういう揃え方をすればいいかの選択が明快なんですね。 

石川氏:
 じゃんけん的な関係が明確でしたよね。

福田氏:
 何のためのユニットかというカテゴリー分けが明確だからでしょうね。こういう要素は最初から企画段階で入っていたもので、もう藤本さんの抽象化のバランス感覚の素晴らしさが感じられる部分だと思います。逆の見方をしてしまうと、あの感覚が成り立ってなかったらゲームとして面白くなかったはずなんですよね。

――まさに藤本さんのデザインフィロソフィーが感じられる部分ですよね。そういう発想はどこから来たのでしょうか? 

藤本氏:
 いや、戦車は歩兵に強い、ヘリは戦車に強い、戦闘機はヘリに強い、それだけじゃないですか?

――でも、当時のゲームシステムの考え方では、3すくみ的な考え方はすぐには出てこないはずなんですよ。そこにいきなり完成形を持ち込んだというのは、なかなか凄いんじゃないかな、と。

福田氏:
 だからこそ、藤本さんは始祖だったんですよ。ま、私なんかは見たときに、ちゃんと綺麗に3すくみになっていることが見えたので、素晴らしいと思いましたけどね。

藤本氏:
 うーん、でもそれは当然のことじゃないかなあ。

――ちなみに、藤本さんはハマったボードゲームはあるんですか?

藤本氏:
 いやあ、あんまりないんですよ……。だいたい買っても、眺めるだけですからね。一人でルールブックを読んで終わりますね。 

石川氏:
 例えば、アバロンヒルではどんなのやってました?

 ――3帝国とか『ドイツアフリカ軍団』(※)とか。

※『ドイツアフリカ軍団』
アバロンヒルの最初期、1963年に発売された、第二次世界大戦の北アフリカ戦線を扱った作戦級ボードシミュレーションゲーム。この時期のアバロンヒルのタイトルは「アバロンヒル・クラシック」とも呼ばれる。

藤本氏:
 やっぱりヨーロッパの陸戦系のやつですよね。 

石川氏:
 ああ、そうなると『パンツァーブリッツ』とか『パンツァーリーダー』(※)とかですかね。

※『パンツァーリーダー』
『パンツァーブリッツ』の好評を受けて発売された続編。『ブリッツ』が第二次世界大戦の東部戦線、ドイツ軍対ソ連軍の戦いを扱ったのに対し、『リーダー』は西部戦線、ドイツ軍対アメリカ、イギリス軍の戦いを扱っている。

藤本氏:
 あの辺りは買っただけじゃないかと思うけれども。 

福田氏:
 『スコードリーダー』(※)もあったね。一番ベーシックなやつでは『タクティクスII(※※)なんてあって、あれでボードゲームにハマるひとが結構いたんだよね。

※『スコードリーダー』
アバロンヒルが1977年に発売した、第二次世界大戦の戦術級シミュレーションゲーム。ユニットは、1人の歩兵指揮官、歩兵1個分隊を扱う。発売当時は傑作とされた。改訂版の『アドバンスド・スコードリーダー』は、現在でも熱心なファンが存在する。

※※『タクティクスII
原型は1954年に発売されたボードシミュレーションゲームで、その商業的成功により製作者チャールズ・ロバーツは、ボードゲーム会社のアバロンヒルを設立。『II』はアバロンヒル設立後に発売された改訂版。世界初の商用ボードウォーシミュレーションゲームといわれる。

石川氏:
 『タクティクスII』はある意味で『森田のバトルフィールド』の原型なんじゃないですか。 

藤本氏:
 高校の頃には、『ウォーターライン』シリーズ(※)を全部コンプリートしたりはしてました。

※『ウォーターライン』シリーズ
タミヤ、ハセガワ、アオシマ、フジミの静岡に所在する模型メーカー4社共同開発の軍艦模型シリーズ。1/700スケールで、喫水線から上の海面上の部分のみを再現した洋上模型。このシリーズの成功で、世界の軍艦模型で1/700スケールが1つのスタンダードとなった。

福田氏:
 大学の頃にクラブで流行ったので、ずいぶんと熱中しましたね。まあ、別にシミュレーションゲームのクラブでも何でもなかったんですけど(笑)。

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