『ドラクエ』と『桃鉄』の共通点とは…?
――小池一夫さん(※)の主宰している「小池一夫劇画村塾」は、その漫画研究会仲間で行ったのですか?
さくま氏:
元々、小池さんのファンだったのもあって、僕が最初に行ったんです。そうしたら、私塾だから当時の高橋留美子さんのような若い女性から男性のお年寄りまでが同級生になってしまい、もう年齢も性別もバラバラの友達がたくさん作れてしまったんです。それをみて、「面白そうだ」と堀井くんや宮岡くんたちが来たんですね。
※小池一夫
漫画原作者。『子連れ狼』や『修羅雪姫』など、多数の名作マンガを手がけてきた。1977年からは私塾「小池一夫劇画村塾」を開講。独自のキャラクター理論にもとづく創作理論で、堀井雄二・さくまあきら・高橋留美子・原哲夫・板垣恵介など、各界にクリエイターを輩出した。
――第一期生に募集したのは、応募を見たのですか。
さくま氏:
雑誌の募集を見て、行ったんですよ。理由は、一期生は大物が出ることが多いから。
僕は漫画が描けなかったので、編集者になるつもりだったんですよ。とすれば、ここには漫画家と原作者が同級生として集まっているわけで、一網打尽じゃないかと思ったわけです(笑)。
桝田氏:
虫がいいなあ(笑)。
さくま氏:
でも、一期生だけで終わるか、一期生が素晴らしくて続いていくかのどっちかというのがセオリーでしょう。結果的には、高橋留美子さんが同級生になったし、堀井くんは三期生で入ったし、板垣恵介さんとかも入ってきたわけで、大成功ですよね。
まあ、僕の方はといえば、編集者クラスに行ったら僕以外に志望者がいなくて、原作コースに回されたんですけどね。
――小池一夫さんは、どういうアドバイスをされたのですか?
さくま氏:
まず小池先生が一番におっしゃるのは、「キャラクターを立てる」ということですね。キャラクターこそが一番大事であり、基本だというわけです。
例えば、ドラクエでは主人公が喋らないですね。あれは小池先生の理論を守っているんですよ。自分で「私が勇者ですよ。私はすごいですよ」と言っても、周囲は誰もそうは思ってくれない。だから、本人が自分のキャラを説明しちゃダメなんです。あくまでも周りが「あの勇者の噂を聞いたか」とか「今度転校してくるアイツは凄いらしいぞ」とかいうふうに噂してくれるのが大事なんですね。
だから、『桃鉄』でも秘書が出てきて、「社長、◯◯ですぞ」と言ってくれるわけですよ。
――なるほど! 『桃鉄』とドラクエは同じ理屈で作られていたんですね!
さくま氏:
ええ、そうなんですよ。僕も堀井くんも、小池さんに師事しなかったらゲームを作れなかったね、と、よく話すんです。本当に、小池先生には頭が上がらないですね。他にも、僕はツカミをとても大事にしているのですが、その重要性を教えてくれたのも小池先生でした。本当に、たくさんの大事なことを教わったんですよ。
――しかし、漫画研究会仲間や小池塾があって、黄金期のジャンプでの仕事があって、さらに桝田さんのような広告代理店の発想も入っていて……当時のゲーム業界は、本当に色んな文脈が混ざりあった業界だったんですね。
さくま氏:
あの黎明期の時代は、面白かったですよね。
キングボンビーをあえて採用した理由
――ざっくりとした質問で恐縮なのですが、『桃鉄』の面白さとはどういうものだと思いますか?
さくま氏:
麻雀のようなものだと思いますね。
桝田氏:
確かに、構造は似てるよね。『桃鉄』は、毎回目的地がリセットされるじゃない。あの一回一回が切れながらも繋がっている感じが、麻雀っぽいよね。あと、麻雀でも1位の人と4位の人で戦略が違ったりするでしょ。
さくま氏:
そうそう。あと、麻雀でも「あと半荘」とか思うじゃないですか。これには面白い話があって、以前、奥さんから電話がかかってきた人が「あと半年で帰るから」と言ってしまい、驚かれたというんです(笑)。
一同:
(笑)
――逆に、一回の対戦を長くする方向には行かなかったんですか。
さくま氏:
一回のプレイを重くしてしまうと、かえって挽回ができなくなるので、諦めてしまいますね。逆に、短く何回も対戦させると、次は勝てるんじゃないかと思って、続けてくれるんです。
しかも、『桃鉄』は勝った人が次の目的地を自由に決められないでしょう。あくまでも、コンピュータが決める。あれが大事なんです。そうなると、みんな「次は自分が得になるかもしれない」と思ってくれるんですね。実際、ダントツの1位だった人がかえって次の目的地に一番遠かったり、みんなから離れていた人が、一人だけ次の目的地の近くにたまたまいたりするじゃないですか。
あと、貧乏神も重要です。あれはトップの人が食らうと被害が大きいし、大変に周囲は気持ちが良いのだけど(笑)、実は最下位の人には大して痛くもないわけですよ。
――最初、なんでこんな理不尽な要素をゲームに入れてるのだろう?と思っていたのですが、食らった本人は不愉快でも、実は他の3人は「ざまぁ!」という感じで、とても爽快なんですよね(笑) つまり1:3で、楽しい気分になる人の方が多い要素なんだと気がついて、「なるほど」と。
桝田氏:
「徳政令カード」があれば、いくら借金を背負っても大丈夫だしね。
いや、PCエンジンで出た当時、あの貧乏神のシステムは画期的でしたよ。確か元々は、二作目で目的地を一つだけに絞ってみたら、慣れたテストプレイヤーの中から、有利な物件を覚えてしまって、目的地には向かわない方向でプレイする人間が登場してしまったんです。それへの対策として、さくまさんが思いついたんですよ。
さくま氏:
で、貧乏神の悪事の中身は桝田くんが考えるように言ったんだよね(笑)。
桝田氏:
そうそう。FAXでデレデレすごい量を送りましたよね(笑)。
――どんな内容を送ったんですか?
桝田氏:
まず、同じ位置に来ると、貧乏神をなすりつけられるのは僕が考えたと思う。
――あの醜い光景が広がるやつですよね。
桝田氏:
いやいや、あれは貧乏神がついた人が不利にならないように、救済策として作ったんだから。あと、キングボンビーの「捨てる物件の数はお前が決めていいよ」って、サイコロ振らせるやつも僕が考えましたね。
さくま氏:
いかにも、この人が思いつきそうな感じでしょう(笑)。
――確かに(笑)。あれ、初めて食らったときは衝撃を受けますからね……。でも、どこまでの悪事をさせるかの見極めはあるわけですよね。
桝田氏:
僕の場合は、救済策があるかどうかを考えましたね。ひどいことを考えたら、同時にちゃんと逃げられる手を用意しておいて、そこでバランスを取るんですよ。
さくま氏:
例えば、それを防げるカードをちゃんと用意しておくとかね。
桝田くんには、本当にたくさんのアイディアを出してもらったんです。その中から、僕の方で世界観に合うものを選んで、「あとは、キミが自分のゲームを作るときに使ってください」と言ってボツにしました(笑)。
――ただ、キングボンビーになると、かなり悪意の程度が……。
さくま氏:
キングボンビーは、もう全員から反対されました。でもね、堤義明さんが「みんなが反対する案は、良い案なんだ」と言っているんですよ。それに、よくよく観察してみると、みんな自分がキングボンビーに取りつかれたときのことを思い浮かべて、「嫌だ」と言ってたんです(笑)。
一同:
(笑)
さくま氏:
実際に入れてみると、やっぱり面白いんですよ。でも、堀井くんだけは、「あれのせいでゲームバランスが崩れてしまう」と強く反対し続けていました。ただ、最後になって、キングボンビーに取りつかれたときに泣き出す子供がいるという話になって、一応、キングボンビーが出ないモードを入れておいたんです。そのモードをあとでプレイした堀井くんから、「やっぱりキングボンビーは必要だった」と言われました。
――でも、実際問題として、ゲームバランスは崩れていないんでしょうか?
さくま氏:
ええ、崩れていますよ。だから、面白いんじゃないですか。
――凄いことを言っている気がするのですが……。
桝田氏:
だって、このゲームは何回もやるのが前提なんだよ。RPGみたいな一回だけで終わるゲームと同じ発想で捉えちゃダメなんだよ。多少メチャクチャになったところで、次にもう一回やったときには違うだろうしさ。
さくま氏:
みんなで集まって『桃鉄』を平和にプレイしたって、面白くなんてないでしょう。人間は嫌なことほど記憶に残るんです。そして、だからこそ勝ったときに高揚感が生まれる。
例えば、やりこんだプレイヤーの中には、実はキングボンビーよりも怖ろしいのは、スリの銀次だという人も多いんです。僕たちが銀行を作らなかったのは、それが理由ですよ。他のゲームだったら銀行を作って、そこにお金を預けるという発想になるんでしょうけれどもね。
――つまり、銀行が『桃鉄』にはないのは、スリの銀次のためだったと。
さくま氏:
ええ、それでこそ銀次が、もっと怖くなる。そうなると、銀次のキャラも立つでしょう。ゲームを作るときには、色んな要素を考えるんです。
――でも、あんまり理不尽だと、やはりユーザーが嫌がりませんか。
さくま氏:
いや、「理不尽なことは面白い」んですよ。だから、大事なのは、そこをどう納得させるかを考えることです。
例えば、キングボンビーで重要なのは、キングボンビーになる前に、そもそも自分が貧乏神をつけていることなんです。なすりつけようと思えばなすりつけられたはずなのに、自分はそれが出来なかった。そうすると、人間は自業自得だと思い込んでしまい、「自分が悪かった」と諦めるんです。実際には、キングボンビーなんて、どこからどう見ても理不尽なのにね(笑)。
桝田氏:
僕がさくまさんに教えてもらったことで、今でも強烈に覚えているのが「ゲーム画面の中を作るな。ゲーム画面の前を作れ」という言葉なんだよ。
つまり、ゲームの中だけを見てどうこう言ってちゃダメなんだよ。大事なのは、実際にゲーム画面の前にいるプレイヤーがどう動くかであり、彼らがどう反応するかをデザインしろ、ということなんだね。これは、僕が本当に大事にしている言葉なんですよ。
――まさに、『桃鉄』そのものですね。
さくま氏:
ちょっと、今の、もう一回言ってよ。褒められ慣れてないんだからさ。まあ、僕はそんなことを言ったのなんて、覚えてなかったけど(笑)。
一同:
(笑)
桝田氏:
だから、ゲームの良いこと・悪いことの「さじ加減」を調整するときは、まずはゲーム画面の前でプレイヤーがどう反応をするかを想像することから始めるんですよ。まあ、僕の場合は、イベントが起きていなかったら少し発生確率を上げるようにいじったりして、さらに細かくやるところもあるんだけど、基本はそこから始まるんだよね。
さくま氏:
そういう意味では、僕が一番に考えているのは、子供が初めてプレイしても、サクサク進められることですね。テンポ感も本当に重視しています。子供は本ですらテンポが悪いと、読むのをやめてしまいますから。だから、ゲームをやらない女の子を部屋に誘って「『桃鉄』やらない?」となっても、ちゃんと進められるようにしているんですよ。
――それは、さすがに険悪なムードになる恐れが……(笑)。
さくま氏:
はっはっは(笑)。そういうときのコツは、弱いCPを入れておくことですね。でも、確かにやってるうちに本気になってくる人もいるんですよ。夫婦げんかになる人もいて、「ウチが貧乏なのは、お前の引きが悪いせいだ」とか言い出すんです。
「あらゆるものの集大成ですね」(さくま)
――さくまさんからみて、「こいつ、すげえなあ」というクリエイターはいますか。
さくま氏:
(じっと桝田さんの方を見る)
桝田氏:
……僕を除いて、ね。
さくま氏:
なんで、それを先に言うの(笑)。まあ、やっぱり堀井くんかな。彼はお客さんに対して、優しいですね。ちゃんと小まめに褒めてあげるから、お客さんが報われるようになっているんです。ただ、他はパッとは思いつかないですね。そもそもクリエイターさんって、もう最近は個人名を出す人がいなくなっちゃいましたからね。
――なぜこういう話を聞いたのかというと、さくまさんが『桃鉄』で築き上げた、ある種の技術や知見だったりは、現状受け継がれているのだろうかと思いまして……。
さくま氏:
もうハドソンもなくなってしまいましたから、いないですね。
桝田氏:
でも、このゲームを遊びながら育った連中で、力のあるやつはちゃんと吸収してますよ。そりゃそうだと思いますよ。
――実は、今回の取材のために『桃鉄』を久々にプレイして、編集部で驚いたんです。堅苦しくゲームデザインとは何かを考えていては、絶対に到達できないゲームだなと思いました。カードやイベントで息つくまもなく順位が何度も逆転して、理不尽を互いに押しつけあって、感情が揺さぶられていく。こういうゲームデザインが成立する理屈って、どういうものだろうと話し合ったんです。
さくま氏:
まあ結局、僕らを評価するのはお客さんですからね。
桝田氏:
でもさ、このゲームを少しでも触ってみれば、すぐに丁寧に作りこまれたゲームだということがわかるんだよ。だから、多少の理不尽さがあっても、絶対にこのゲームには逆転の要素が盛り込まれているはずだという信頼も同時に並立するんだよ。まあ、その丁寧さというのは一言では言えなくて、ゲームデザインだけじゃなくて、音楽も絵もパッケージも含めたトータルな雰囲気が醸しだす印象なんだけど。
――桝田さんの中では、さくまさんの「ゲームバランスが崩れているから面白い」みたいな発想は理論化できているんでしょうか。
桝田氏:
いやあ、さすがに理論化はされてないなあ。
ただ、これも結局は、「ゲーム画面の中じゃなくて、ゲーム画面の前を見る」が実践できていれば、別に難しい話じゃないと思うよ。だってさ、みんなで家で『桃鉄』をプレイしている時点で、そいつらはもう既に仲がいいはずなんだよ。そういう連中のあいだで、キングボンビーとかでバーンと順位が落ちるやつがいても、「お前、やっちまったな(笑)」とか言って、みんなでヤーヤー盛り上がれるでしょう。そのときに他の3人がどんな顔をして笑っていて、どんな言葉をかけてるのかが想像できていれば、許される理不尽がどんなものかは分かるはずなんだよね。
だから、RPGみたいにコンピュータと一人で向きあってプレイするゲームと、こういう『桃鉄』みたいなゲームを同列に考えちゃダメなんだよ。一人でコンピュータとプレイしていたら、こんなのコントローラーを投げ出すよ(笑)。
――『桃鉄』以外で、そういうゲームデザインに気を使っている作品はあると思いますか?
桝田氏:
いやあ……『俺屍』(※)とか、一所懸命に考えてますよ(笑)。
※『俺の屍を越えてゆけ』
桝田氏が手がけたRPG。平安時代をベースにした独特の世界観や、神との交わりによって一族を強くする独自のゲームシステムが人気。なお、タイトルは、桝田氏との打ち合わせ中のどんちゃんの発言から取られたという。
さくま氏:
(笑)
桝田氏:
だって、自分の育てたキャラクターが次から次に死ぬんだよ。作っておいてなんだけど、理不尽極まりないじゃん。
――一連のお話をおうかがいしていると、理不尽なイベントでプレイヤーに悲鳴をあげさせながらも、いかにそれを納得させる演出をするか、みたいな部分に大変に注力されている印象です。
さくま氏:
ええ、そうですね。とても正しいです。
――やはり海外のゲーム研究のゲームデザインで語られるような話では、我々がプレイしてきた日本のゲームたちのゲームデザインは語り尽くせないように思いますね。
桝田氏:
それは、「おもてなし」みたいな話ですか(笑)。
――どうなんでしょうか(笑)。もちろん、日本のクリエイターの「おもてなし」も、もう少し言語化していいと思いますけれども。ともあれ、今日は本当にありがとうございました。最後におうかがいしたいのですが、さくまさんにとって『桃鉄』はどういう存在だったんでしょうか。
さくま氏:
僕の生きてきた人生における、あらゆるものの集大成ですね。『週刊少年ジャンプ』や小池先生、漫画研究会、そういう全てが詰まって出来上がったものです。もちろん、お陰で大好きな旅行もたくさん出来ましたしね(笑)。(了)
今回の取材を終えて思うこと――それは、さくま氏の「手触り感」への強烈なまでのコダワリである。
それ自体は、前回の『ゼビウス』の遠藤氏にも共通するものだが、さくま氏の場合は、それが空前の部数に達した黄金期のジャンプ編集部で叩き込まれて、その後も自らに厳しく課し続けた「どんな子供でも遊べなければいけない」という、ある種の「倫理感」から生じたものであるのがとても興味深い。
それにしても、私たちが子供の頃に何気なく遊んでいた、あんな”おバカな”ゲームが、これほどの繊細な配慮と透徹したエンターテイメント観に裏づけられていたというのは、なにか不思議な感動を覚えはしないだろうか。
遠藤氏は前回、「日本のクリエイターのゲームデザインは、欧米の30年先を行っている」と断言した。「普通の子」たちを集めてきて、その遊ぶ様子を徹底的に観察しながら、地道にアップデートを続けてきた『桃鉄』。それもまた、生半可な常識では測れない、ゲームデザインの奥深い世界にたどり着いた事例の一つではないだろうか。
(次回は、スパイク・チュンソフトの中村光一氏と長畑成一郎氏を迎えて、『不思議のダンジョン』のこだわりの秘密を聞きます)
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