もともとは「密室から脱出する」というシステムの遊びだった脱出ゲームに、物語をもたらしたクリエイターがいる。その人物の名は、きださおり。SCRAP所属のリアル脱出ゲームディレクターだ。
彼女が作る作品は、謎解きと物語が高い次元で調和しており、謎解きゲームというよりは、物語体験と言ったほうが正しいと感じる。
これまでに『沈みゆく豪華客船からの脱出』『さよなら、僕らのマジックアワー』『忘れられた実験室からの脱出』といったリアル脱出ゲームを手掛けてきた。
また、脱出ゲーム黎明期は爆弾解除や殺人事件を暴くといった殺伐とした設定が多かったが、そんな中でも彼女は、パンを加えた女子高校とぶつかれる『幻の食パン女子を探せ!』や、女子高生が目の前で定期を落とす『片想いからの脱出』など、青春や胸キュンといったジャンルを脱出ゲームに取り入れていった。
その作風はやがてイマーシブシアターと結びついていき、いまでは様々な体験型エンタメを生み出すようになり、デジタルゲームの界隈でも非常にファンの多いクリエイターだ。
実は、『人の財布』や『かがみの特殊少年更生施設』で話題のクリエイター集団「第四境界」の総監督を務める藤澤仁氏も、きだ氏の大ファンである。
藤澤氏は堀井雄二氏とともに、長年にわたり「ドラゴンクエスト」シリーズを手掛けてきた人物だが、システム的な遊びに物語をもたらしたという意味で、きだ氏のことを堀井氏と同じくらい尊敬しているという。
そんなきだ氏が新会社「夕暮れ」を立ち上げた。個人でも多くの仕事を手掛けているきだ氏だが、なぜ会社を立ち上げたのだろうか。
その秘密に迫るため、電ファミでは前述した藤澤氏との対談を企画。藤澤氏の分析をもとに、改めてきだ氏の魅力と、今後の活動に迫っていく。
なお、この対談は非常に盛り上がり、第四境界ときだ氏のコラボレーションが決定したことをまずは伝えておこう。
※本稿にはリアル脱出ゲーム『沈みゆく豪華客船からの脱出』のゲーム内容に関する記述が含まれます。予めご了承ください。
文/ICHIKAWA
写真/佐々木秀二
物語をテレビゲームにもたらしたのは堀井雄二。謎解きゲームにもたらしたのはきださおり
──藤澤さんはゲーム業界の中でも、特にきださんのことがお好きだと思うので、本日は「藤澤さんから見たきださんの魅力」から入っていければと思っております。
きだ氏:
そうなんですね! ありがとうございます(笑) 。
藤澤氏:
大体1日2回は、社内できださんのこと話してますよ。
きだ氏:
だいぶ多いぞ!(笑) 。
──藤澤さんがきださんのことを知った経緯は何だったんでしょうか?
藤澤氏:
本当の出会いは遥か昔だったことが後々分かるんですが、一番最初に自分がきださんのことを認識したのは、『沈みゆく豪華客船からの脱出』(2017年)というリアル脱出ゲームでしたね。
その名の通り沈没していく豪華客船からの脱出なんですが、プレイヤーは客室に閉じ込められていて。そこに客室乗務員の「ルネちゃん」という女の子がいて、彼女と窓ガラス越しにコミュニケーションを取りながら脱出を目指すというものです。
これに家族でチャレンジしたんですが、実に丁度いい難易度で、無事に脱出できたんですね。たしか娘は中2と小6だったかな? 「あ、脱出できた!よかった!」なんて最初は喜んでいたんですけど、何かすごい違和感が残ったんですよ。「いや待て、何か大切なことを忘れてるんじゃないか……」って。
その違和感の正体は、すぐにわかりました。その後答え合わせの時間になり、全ての真相を知った時、娘は滂沱の涙を流して、30分くらい動けなくなってしまったんです。
──おお……。
藤澤氏:
「もう大丈夫だよ、これはお話だから」って 。お前がそういうこと言うなって話ですけど(笑)。
きだ氏:
(笑)
藤澤氏:
でもやっぱり動けなくて、最後は茫然自失としている娘を支えながら駅まで連れて行って。それで電車の中で娘に「面白かった?」って聞いたら「面白かった」って。「また行こうね」と言ったら、「もう行かない」って(笑)。
これは笑い話としてよく話すエピソードなんですけど、後になってからひしひしと感じたのは「あれ、誰が作ったんだ?」と。
これは大袈裟でもなんでもなく、過去十年間でエンタメ作品から受けたインパクトの中で最大だったのが『沈みゆく豪華客船からの脱出』だったと思うんです。
そこで謎解き界隈に顔の広い眞形隆之さんに誰が作ったのと聞いたら、「知り合いですよ。きださんですよね」って言われて、「え? きださんって誰?」って(笑)。
だけど、それからずっとお会いする機会はなかったんです。でも初代『Project:;COLD』を作るとなったときに、ぜひきださんの力を貸してほしいんですと、初めてお声がけさせていただいた、という経緯ですね。
きだ氏:
そうでしたね。
──藤澤さんは長年ゲーム開発に携わられていたわけですが、全エンタメの中で最大のインパクトだったんですね。
藤澤氏:
いや、これは本当にそうで、僕はずっと「ドラゴンクエスト」を作ってきたわけですけど、ドラクエは「主人公=自分」という公式で語られることが多いですが、やっぱりゲームの主人公を自分だと思い込むのには、ある種の自己催眠が必要だと思うんですよ。
そういうゲーム的了解みたいなものが、乗り越えなければいけない壁としてあると思うんですが、あのリアル脱出ゲームは、間違いなく自分自身の物語だった。自分は娘と一緒に豪華客船に乗って、乗務員を助けないで逃げてしまったダメなお父さんだったんですよ(笑)。
――ダメなお父さん(笑)。
藤澤氏:
僕はずっと、「主人公=自分」のドラクエを作っていたはずなのに、「自分の物語を体験する」ということをこんなに鮮やかに示されてしまって、かなり動揺したんですね。だから最大のインパクトだったんだと思います。
あの時の体験がなかったら、「Project:;COLD」も第四境界も生まれていなかったかもしれません。「こんな体験を自分も作りたい」という想いが芽生えたのが、多分あの瞬間だったんだと思います。
きだ氏:
まさかそんな影響を与えていたなんて……ありがとうございます。
── 『沈みゆく豪華客船からの脱出』はきださんがSCRAPに入られて何年目の作品なんですか?
きだ氏:
6年目ですね。
当時はコンテンツ制作とは別に「東京ミステリーサーカス」というテーマパークの総支配人もしていて、パーク内のコンテンツも自分で考えていたんですね。
東京ミステリーサーカスの立ち上げ時に、一番広い会場のイベントを考えているときに、初めての方でも「これが物語体験なんだ!」と楽しんでもらえる、すごくオーソドックスなリアル脱出ゲームを作ろうと思ってスタートさせました。タイトルやビジュアルとかも過去のものに比べると色がないものにして。藤澤さんの話と相反しちゃうんですけど(笑)。
藤澤氏:
一応付け加えておくと、リアル脱出ゲームは何度もやったことがあったんですよ。その中で、面白かったという感想は抱いたとしても、「物語に自分が入っていた」なんて感想を持ったのは、あれが本当に初めてだったと思います。
謎解きディレクターなのに謎解きが作れない。それでも成功できたのは“好きなもの”で戦ったから
──いま「物語体験」「物語に入る」という話がありましたが、いまでこそきださんは「物語体験」のクリエイターですが、そこを目指すようになったのはいつごろなんでしょうか?
きだ氏:
それで言うと、私がSCRAPに入った頃ってリアル脱出ゲームが始まって間もなかったので、謎を解いて「爆弾を解除せよ」とか「殺人事件のミステリーを解決せよ」みたいなものが多かったんですね。
私も最初はそれを真似ていたんですが、全然上手くいかなくて……。その時は本当にただの新人ディレクターでしかなかったので、誰からも認められずに悔しい思いをしていました。
ちなみにそのペーペーのときに、実は藤澤さんとは一度お会いしていて……。
藤澤氏:
実はそうなんですよ。
きだ氏:
東京ドームを使ったリアル脱出ゲームがあったんですが、その謎を作っているとかではなく、最後にヒーローインタビューをするお姉さん役をやっていたんです(笑)。
藤澤氏:
で、そのリアル脱出ゲームにドラクエチームで行ったら、1番で脱出したんですよ。 当時はインタビューしてくれた陽気なお姉さんがいるなぁくらいの印象だったんですが、 あとからそれがきださんだったと知るという(笑)。
きだ氏:
ディレクターとしては実力不足で半人前だったので、イベントを盛り上げるために現場で司会進行をしたり、受付やチェックポイントの運営や宝箱や印刷物の準備などイベントにまつわる沢山の仕事を兼任して「なんとか役に立たなくちゃ…」と思うぐらい上手くいっていなくて、当時はコンプレックスの塊だったんです。
でも、その中でもいろいろチャレンジをしていて、例えばサンリオピューロランドさんで子供向けにキティちゃんとコラボしたり、ディズニーランドホテルさんで白雪姫やピーターパン世界に入り込むみたいなものを一生懸命作ったり。魔法や童話のようなファンタジーの世界や可愛い世界への挑戦もしていましたが、飛び抜けていかない感じがあったんです。やっぱり主流は、ヒリヒリした世界観だったし、子供向けやファンタジーの世界の知識もすごい人達に比べれば全然だったので勉強しながらだったりして。
──そういう感じだったんですね。
きだ氏:
そこで悩んだ末に、思い切って自分が得意な世界観に挑戦してみよう!と『忘れられた実験室からの脱出』(2014年)というリアル脱出ゲームを作ったんです。
この作品はアンドロイドの女の子と実験室に閉じ込められて、謎を時進めていくごとに彼女のバックグラウンドがわかっていき、チームや展開によってさまざまな感情が生まれるというものでした。それまで暗中模索状態で初日も不安で見守ることが多かったのですが、これは初日からお客さんの反応が明らかに違ったんです。
それこそ取材に来てくれたライターさんが凄く熱のこもった記事を書いてくださったり、藤澤さんの娘さんじゃないですけど、泣いて席から動けない人が沢山出てきたりして。
あれ? あれ? もしかして今、世の中に受け入れられましたか!? みたいな感じになって(笑)。
一同:
(笑)。
きだ氏:
ありがたいことに本当に多くの方から評価をいただき、アワードめいたものでも賞を沢山いただいたりして、そこではじめてちょっとだけ自信が付いたんです。でもやっぱり出す前は、社内でも「大丈夫?」「インパクト弱くない?」という雰囲気はありました。
その後「忘れられた実験室からの脱出」スタイルで何作か作ったあと、もっと攻めた『君は明日と消えていった』(2016年)というアニメーションを使った作品を作ったんです。これはリアル脱出ゲームといいつつ、謎解きの形も当時にしてはちょっと特殊で、冒頭に事件も起こらない。というか、そもそも物理的には閉じ込められてもいないんですね(笑)。
これも社内から「大丈夫か?」とすごく言われたんですが、「いや!これは絶対に面白いはずです!」って言って出したところ、今までリアル脱出ゲームをやったことがない方が沢山体験してくれて、若い方を中心に「面白かったです!」という感想を沢山いただいたんです。
あとは、女の子が落としていった定期で学校名を検索する『片想いからの脱出』(2015年)という作品を作ったりもしていて。
その辺りから、ほっといてもシナリオが浮かんでくるような、本当に好きなものをテーマにして作ろう、と思うようになっていきました。
──調べたところ「胸きゅんリアル恋愛ゲームシリーズ」と出てきました(笑)。つまり、勝ち筋を見つけたんですね。
きだ氏:
そうですね。それまでは、もう必死でミステリーの作り方が書かれている本を読んだり、爆弾の資料やスパイ道具の資料などを必死に眺めたりしていて(笑)。謎解きを作るのも得意ではなかったので、いろんなパズル作家さんに話を聞きに行って「どうやって作ってるんですか?」 と質問をしたり。
でも謎解きじゃなくてもいいんだ! と気づくことができたので、 それからは好きとか得意な設定でやっています。
藤澤氏:
僕の師匠は堀井雄二さんなんですが、堀井さんってゲームの世界に物語を持ち込んだ人なんですよ。どういうことかというと、昔は「ブロック崩し」とか「インベーダーゲーム」のように、ゲームには物語がなかったんですよ。実はその時代が長くて。
そこに物語性を与えたのが堀井さんなんです。分かりやすいのは『ポートピア連続殺人事件』ですね。もっと前からアドベンチャーゲームはありましたが、それこそ脱出ゲームみたいなミステリーハウス系が多くて、脱出しなさいとは言われるけど、そこに複雑な物語はなかったんです。
そんな時代に、そこに人間が生きていて、感情があって、物語を紡いでいくっていうのを最初にやったのが堀井さんだと思っていて。そういう無機質な世界に物語を与えて、これまでなかったエンタメを生み出していくという姿勢も含めて、僕は尊敬してるんです。そしてきださんも、それと同じだったんですよ。
きだ氏:
おお……ありがとうございます。
藤澤氏:
脱出ゲームも最初はシステムの遊びだったんだと思うんですけど、そこに感情の乗った物語を組み合わせると、まったく新しいものが作れるんだってことを示したのは、きださんだと思っているんです。だから社内でも、自分が尊敬してるのは堀井さんときださんの2人だよと話しています。
……と、ここまで言えば僕がきださんのことを尊敬していると信じていただけましたかね?
きだ氏:
信じました!嘘だったらこんなに上手にしゃべれない。でもずっと嘘だろうなと思ってました(笑)。
藤澤氏:
なかなか信じてもらえなかったから、これでようやく伝えきれた気がします(笑)。
──でもそうなると、もともとはリアル脱出ゲームを作りたかったわけではないんですか?
きだ氏:
そうですね。
私がSCRAPに関わるようになったのは大学生の時なんですが、当時のSCRAPはリアル脱出ゲームではなくて、音楽のフリーペーパーを作っていたんですよ。それで古着屋で働いていた時にSCRAPのフリーペーパーを見つけまして、音楽が好きだったこともあり「え? 面白そうじゃん」という軽いノリで参加するようになったんです。
──そこから成り行きでリアル脱出ゲームを作ることになったんですか?
きだ氏:
いえ、SCRAPがリアル脱出ゲームの会社になっていくタイミングでは、実は違う会社に就職していて。というのも、当時は京都の大学生だったんですが、めちゃくちゃ東京に行きたかったんですよ。それで東京にある広告の会社に就職して「今までありがとう、京都…」って上京したんです。
広告の仕事も楽しかったのですが、ぼんやりと3年ぐらい働いたら、別のことにチャレンジしてみたいな、そのために3年で色々学ぼう!という気持ちで働いてはいまして。ちょうど3年働いたタイミングでSCRAPが東京オフィスを立ち上げることになり、「東京にディレクターがいないんだけど、やれない?」という話をいただいたんです。
謎解きは作ったことがなかったのですが、前職でリアル脱出ゲームを使った採用イベントの企画などをしていて、BtoCへの魅力も感じていたので、今がチャレンジする時だ! って。それが2011年のことです。
藤澤氏:
へぇ、そうなんだ。
きだ氏:
なので、はじめから謎解きが作りたかったわけではないんです。
──そんな経験を経て、きださんは「物語体験」の第一人者となっていくわけですが、藤澤さんから見て、きださんの作品の凄さってなんだと思われますか?
藤澤氏:
体験する人がどう感じるかをずっと考えて作ってるんだろうなって。そこの想像って、頭の中で考えるものなので、なかなか解像度が上がらないんですけど、そこの感性が極めて高いんだと思います。
きだ氏:
この謎を解くとどんな気持ちになるのかは深く考えるようにしていますね。逆に謎が入ることで気持ちが除外されるなら、謎は入れないようにしています。
藤澤氏:
モノを作ると、「自分たちの素晴らしい技を見よ」みたいな、軸足が自分たち側になってしまうことってよくあると思うんですけど、徹頭徹尾そうならないところがすごいなと思います。
きだ氏:
ありがとうございます。でもそれは、私が謎を全然解けない人間だからだと思います。
私は今まで普通に生きてきた人間なので、苦手だな〜と思うことはいくつかあれど、自分にできないことがそこまで多いとは思っていなかったんです。でも謎解きをするようになって、謎に立ち向かってみたら全然解けなかった。普通に仕事をして生きてきたのに、一度も成功できない、なんだこれは?難しすぎない?解ける人天才すぎない?みたいな。
でもそういう人って実は沢山いると思っていて。そう考えたときに、謎解きって自分みたいな人にとってはハードルの高い遊びになってしまっているんじゃないかと。もしもそうなら、もっとたくさんの人が楽しめるリアル脱出ゲームの形を提案できるんじゃないか……そんな想いで作ってはいましたね。
藤澤氏:
これもゲームの歴史に重ねた話ですけど、 テレビゲームって昔はスコアを競う遊びだったんですよ。でもロールプレイングゲームって別に何も競わないじゃないですか。
だから「今までは競うことを売りにしていたのに、これからは何を売るんだ?」みたいな、ゲーム業界全体が矛盾を感じていた時代があって。だけど「いや、体験があればいいんじゃないの?」と示したのが「ドラゴンクエスト」だと思っていて、ドラクエって基本的には時間をかければ誰でもクリアできるじゃないですか。その体験自体を売りましょうよと。
きだ氏:
面白い話ですね。
藤澤氏:
だから、つまり……きださん以前?
きだ氏:
きだ以前(笑)。
藤澤氏:
BCですね(笑)。
きだ氏:
BC(笑)
藤澤氏:
BCは解ける解けないっていうことに対して、対抗心とか達成感みたいなものがなかったら、脱出ゲームじゃないっていう時代があって。でもADは、もうそんなのなくたって、来た人が物語を体験したんなら、そこにはちゃんと価値があるじゃないっていう。
すごい質的な変化だと思うんですけど、その転換点がきださんだったんだと思ってます。
きだ氏:
うわ、そんなことまったく考えたことなかったし大変恐縮ですが、藤澤さんの言葉を信じて他のところでも言ってみましょうか(笑)。 「私以前は……」とか言ったら相当ヤバいやつですけど(笑)。