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基本無料(F2P)は、どうしていまの形になっていったか? 2001年アイテム課金登場の経緯

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基本無料(F2P)は、どうしていまの形になっていったか? 2001年アイテム課金登場の経緯_001

 この連載は、ゲームの話を言語化することに使命感を燃やす岩崎氏の、開発者ならではの視点が楽しめる読み物です。今回のテーマは、前回に引き続き、基本プレイ無料+アイテム課金という概念について。
 いまやすっかりお馴染みとなったこの考えかたがどこから生まれたかを探ります。(編集部)

 はるか遠い昔に掲載された前回では、1998年から2005年までを一気に駆け抜けた。

 要約すると、「韓国では1998年ごろ、『リネージュ』の成功によってMMORPGが大ブームになったが、サービスインするとお金を払ってくれないベータフライヤー問題【※】に2001年ごろから悩まされるようになり、さまざまな料金コースを用意して、なんとか月額課金を維持しようとしていた。その前後に、いまのF2Pに繋がるサービスが登場していた」という話を書いたのだけど、今回はその続き。
 2001年に時計の針を巻き戻し、アイテム課金が初登場したMMOの話から始めたいと思う。

※ベータフライヤー問題
無料期間であるベータサービス中にはプレイするが、課金必須の正式サービスが始まると、つぎの無料プレイ可能なゲームへと移動してしまうプレイヤーたちが“ベータフライヤー”。
これをどう解消するかがベータフライヤー問題と言われる。詳しくは以下のリンクを参照。

なぜ基本プレイ無料という仕組みは韓国から登場したのか──国策が韓国をオンラインゲーム大国に押し上げた経緯を語ろう


MMOアイテム課金の登場

 MMOがベータフライヤー問題に悩まされ、月額課金に移行してもらえずに苦労し始めていた2001年に、新しい課金形態として「アイテム課金」が登場する。

 タイトルすら曖昧なことが多いこの手のゲームの歴史の中でめずらしく、MMOのアイテム課金の登場は非常にはっきりしている。2001年9月に韓国と中国で同時にリリースされた韓国製MMORPGの『The Legend of Mir 2』(WeMade Entertainment)が、アバター用の服に課金したのが最初ということになっている。
 調べた限りでは、ほぼいろいろな資料が同じものを示しているので、これはまず確かな事実だと思う。

 ここで注意しなければいけないのは、最初のMMOのアイテム課金はハイブリッド型、つまり「月額課金+アイテム課金」だったことだ。【※】

※ハイブリッド型課金は、「アイテム課金あり+基本フリーで遊べます。でも月額課金だといろいろお得ですよ。月額課金にもいろいろなコースがありますよ」というモデル。
ただし、この最初期のハイブリッドは「低めに抑えた月額課金+アイテム課金」形式。つまり月額課金のサポートとしてアイテム課金が用意されていた。
これの主従がひっくり返り「F2Pだけど月額課金するとお得よ」になっていく。そしてこの月額部分が、韓国・中国では人気のある“VIP”になっていったと僕は考えている(日本ではいまのところは全然ダメで、欧米でもやや微妙)。

 つまりアイテム課金で売り上げが落ちるぶんを、月額課金でカバーしようという考えかただったわけだ。
 また最初期のアイテム課金は、ほぼすべてアバターに対して掛けられたものだったので、ここでは区別して判りやすくするために、アイテム課金ではなく「アバター課金モデル」と表現しておく。

 ところでだ。2001年にいきなり「MMOでアバター課金が発明され、導入された」なんて、あまりにも唐突で、「ヒントになったものがどこかにあったはずだ」と誰だって思うだろう。僕だってそう思う。

 ここでF2P黎明期……具体的には、「F2Pが常識になりつつあるが、まだMMOに慣れ親しんでいた作り手たちが月額課金に拘っていた2007年~2011年の韓国」で聞いたエピソードを披露したい。

アバターにパラメータを付けると売れると判明

 2007年の末から2011年のあいだ、僕は韓国で仕事をしていた。そのころの韓国のビジネスモデルは、ものすごい勢いで市場がF2Pにパラダイムシフトしている真っ最中だった(いまから考えれば、これにも理由があるのだけど、当時はよく解らなかった)。

 当時の僕は、ロビーの構造がMMO風に設計してある、かなり特殊な、いま見てもちょっと面白いメカニクスがあったアクションMOをデザインしていた。

 この残念ながらα版でプロジェクトが終了してしまった名前の書けないタイトル【※】は、企画段階では月額課金モデルでスタートした。だが途中でハイブリッド型の課金になり、α版の段階ではアイテム課金のF2Pとなっていた。
 そしてこのゲームのプロデューサーは月額課金育ち。じつのところ、ハイブリッドもF2Pも嫌がっていた。

※このアクションMOは、よそのIPが関係していたため、いまとなっては名前はもちろんスクリーンショットもお見せできない。しかたがないことはわかっているけれど、個人的には少々残念だったりする。

 だがそれはこのプロデューサーが取り立てて狭量だったわけではなく、月額課金MMOで育った韓国のゲーム関係者たちのかなりの人々が共通に持っていた、「カジュアルなゲームはF2Pだけど、本格的なゲームは月額課金だ」という感覚に根ざすものらしい。
 当時NCソフトのプロデューサーだった友だちも、「そのときは「MMORPGというのは時間に平等でなくてはならない」という固定観念みたいなものがあり、なかかなあの新しい流れに踏み出すことができなかった」なんて言っていた。そこからも、F2Pというビジネスモデルに順応することがいかに難しかったか解る。

 いまでこそF2Pは当たり前のビジネスモデルとして捉えられているが、たった10年ちょっと前の2007年ごろは、最新の、そして韓国以外では誰もが「これがビジネスとして成り立つのか?」と疑っていたビジネスモデルだったわけだ。

 そりゃそうだ。「ゲームをタダで遊んでもらってアイテムを販売したほうが、月額課金のゲームより儲かります」だの「ディスクで製品を販売するより儲かります」なんて言ったって、信じられるわけもない。僕だってそうだった。

 でも、現実的には韓国でリリースされるゲームのうち成功していたのはF2Pばかりで、件の“名前の書けないMO”のパブリッシャーに「F2Pにしろ」と言われ、それ用に課金設計をやり直していたが、僕にしてもともかくさっぱり判らないことだらけだし、不安だった(余談だが、いま見ると話にならない課金設計だったと思う)。

 そんな風にゲームデザインを調整しているとき、何人かの韓国人ゲーム開発者に「どのようにF2Pが始まり、どうしてこれで成り立つのか?」を質問したのだけれど、そのとき教えてもらったF2Pの起源についての話はどれも似通っていた。 まとめるとだいたい以下のとおりとなる。

 1998年から2001年ごろに、掲示板の延長として、いまでいうSNSのようなものがアバター付きで流行した。これは月額課金だった。

 そしてPC房でユーザーを集め、続きを自宅でプレイさせるために、どこもPC房からのアクセスをタダにした。

 ところが期待に反して自宅回線からの収益は伸びず、さらにweb広告(当時はあまりお金にならなかった)では生きて行けず、アバターを売った。

 だがプレイヤーは皆デフォルトのみすぼらしいアバターで平気だったため、アバターもあまり売れなかった。

 困った挙句にメーカーが思いついたのが、「ゲームが有利になるパラメータがついたアバター」というものだった

 当時の韓国のこの手のアバターサービスでは、無料でちょっとしたゲームを遊べるのが当たり前で、いまも昔も韓国人は、飲んだ後にネカフェでこの手のカジュアルなゲームをやるのがひとつのパターンとして定着している。
 しかもみんなPvPが大好き。結果として「アバターにパラメータが付いていると売れる」ということが判り、こうして本格的なF2Pが始まったという話だ。
 「だからスキンにはパラメータをつけろ」ということを、当時よく言われたのを覚えている。

 僕は上のような話を「NAVERがやった」だの「ネクソンがやった」などと当時は聞いていたのだが、韓国人デベロッパーごとに言うことが結構違い、「いわゆる伝説かなあ……」と思っていた。
 ところがこれがまったくの間違いではなく、「いろいろ尾ひれは付いているけれど、どうやら本当らしい」と判ったので、その尾ひれの部分を取り除いた歴史を書いていきたい。

近代F2Pの始まり

 さて、1998年ごろに韓国でPC房が流行り始めたとき、MMOなどと並行して流行していたものがあった。それがいわゆる「出会い系」だ。

 といっても日本の出会い系と違い、韓国で大ヒットを飛ばしていたのはアバターチャット。
 みんなアバターを通じてチャットを楽しみ、出会う、と言うことをやっていたわけだ(ついでに書くと、有名なMMOなどもこの手の出会いの場として機能していたという話を聞いた)。

 なかでもとくにヒットしていたのが、NeoWizが1997年に作った『SayClub』というものだ。
 この『SayClub』はどんなビジネスモデルだったのかというと、もともとは月額課金で、接続しているといろいろな形で仮想通貨が手に入り、それでアバターを買うという仕組みだった。
 ところがこのサービスが、月額課金では持ち堪えられなかったのだろう。1999年10月ごろにアバターを現金で購入する「アバター課金」を導入し始めたのだ。

 これが絶対に原初のアバター課金かと言われるとそこまで自信はないが、時期を考えると、ほぼ元祖のひとつであるのは間違いない。
 とはいえ、『SayClub』はゲームではない。ではゲームで最初にアバター課金……というか、近代的なF2Pに移行したのは何が最初なのか?

 これがどうやらなのだが、『QuizQuiz』【※】(ネクソン)という、奇しくも『SayClub』と同じ1999年の10月にサービスインした、マルチで遊べるオンラインクイズゲームの模様。
 内容はと言うと、この当時のテレビによくあったクイズ番組を模した作品だったらしい。らしいというのは、残念ながらプレイしたことはなく、スクリーンショットで確認できるだけだからだ。

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※ちょっと追記しておくと、この『QuizQuiz』は、のちに『Q-play』という名前に代わり、2012年までサービスされていた。
(画像はInternet Archiveによる2004年7月24日の『Q-play』公式サイト ページアーカイブより)

 『QuizQuiz』は、サービスイン時には月額課金モデルのゲームだったが、どのようにしてF2Pになったのか? その萌芽は、そもそも最初のサービスインのときからあった。『QuizQuiz』は月額課金であったと同時に、PC房でのプレイは無料という形式だった。
 つまりPC房でタダで遊んでもらい、ハマっておうちでも遊んでもらい、月額課金をしてもらうというモデルだった(と思われる)。

 しかもクイズのようなカジュアルな内容のゲームだったせいか『QuizQuiz』は、『リネージュ』(NCソフト)や、韓国で最古のMMOであり、世界的にみてもほとんど原初のMMOのひとつ『風の王国』(ネクソン)が月額30000〜40000ウォンだった時代に、月額8800ウォンという、月額課金としては極めて安い値付けだった。
 当時のPC房での競争がいかに激しかったかを窺わせる価格だ。だがPC房からの収入はないうえ、こんなビジネスモデルだったから、いかにも運営は厳しそうなのだが、ここにアバター課金にほぼ等しいアイデアが組み込まれたのが発明だった。ゲーム内の通貨で買えるアバターを、現金でも購入することができたのだ。

 そしてたぶんだが、運営で得られる収入の大半がアバター購入によるものだったのだろう。2000年10月前後(どうしても正確な日付がわからなかった)に、『QuizQuiz』は基本プレイ無料になり、同時に課金専用のアバターが登場する。
 ついにここにアバター課金の近代的なF2Pのゲームが登場したわけだ。またこの『QuizQuiz』はアップデートでレベル上限を突破する課金アイテムなども売ったらしいのだが、これは知り合いの韓国人たちの誰もがよく覚えていなかった。

 ただ、これは月額課金モデルのゲームがF2Pになった話だ。ではゲームデザインの段階からF2Pだった最初のゲームはなんなのか?

 じつはいくら調べてもわからなかった。
 この件に限らず、韓国のゲーム業界は本当に歴史を残さない。さらにオンラインが中心であるがゆえに歴史が残りにくい。「この組み合わせは最悪」とさえ思ったが、調べた限りではネクソンの『BnB』【※】として知られる『クレイジーアーケード』(2001年)がもっとも近いのではないかと思われるので、『BnB』を元祖ということにしておきたい。

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※『BnB』……『ボンバーマン』をモチーフに開発されたオンライン対戦ゲーム。ハドソンから一時期提訴されていたが和解。のちに提携するようになった。
(画像は『クレイジーアーケード』(『BnB』)公式サイトより)

 ところで、この手の軽いゲームは「カジュアルゲーム」と呼ばれることが多いのだけど、じつはカジュアルゲームという呼称は、1998~2001年ごろに韓国で登場したときは、意味のまったく異なるものだった。

 登場した当時はゲームのジャンルではなく、毎月2000円程度の月額課金を支払えない、経済力のない学生を「カジュアルユーザー」と定義し、その層向けに作られたゲームのことを指していた。
 つまり金のない若い層、おもに学生向けに作られたのが「カジュアルゲーム」だったわけだ。収入がないから月額課金に耐えられないので、アイテム課金のみの「基本プレイ無料」(当時は部分有料化と表現された)のゲームが前提になったのだ【※】

※これがいまでもそうかは知らないが、僕が仕事をしていた2006~2011年のあいだ、パブリッシャーにそう説明されたし、いろいろな友だちがほぼ一致した説明をしてくれたので、少なくとも当時はそのような認識だったのは間違いない。
また、どうしてこのようなジャンルができあがったのかは、これまた謎なのだけど、そもそもMMOは開発期間も費用もかかるので、会社のポートフォリオを考えれば小さなゲームもあったほうがいいし、加えて月額課金ではないターゲットとなれば、F2Pになっていくという理屈は理解できる。

 カジュアルゲームは若いターゲット相手のゲームなので、アクションが中心となった。当時流行していたダンスゲームである『Audition』や、前述の『クレイジーアーケード』に入っていた『ボンバーマン』、バスケットボールゲーム『FreeStyle』、そして極めつけの『CRAZY KART RIDER』など、ともかく徹底して1プレイが短く、アクションで、さらにオンラインマルチプレイであることが前提になっていた。

 加えて、最初のうちはF2Pがゲームの中心になるなど想像もしていなかったのだろう。ともかく安い作りが多かった。
 2DならSDキャラ。3Dを使うなら、軽く、安く作るためにトゥーンシェーダーで(『FreeStyle』が典型例)、当時のゲームとして見てもポリゴン数は少ない。たとえば2004~2005年の同時期のハイエンドと言える『リネージュⅡ』などと比較すると、ひと目で判るほどクオリティに差がある代物だった。

 さらに書くと、初期のF2Pは「基本プレイ無料」ではなく「部分有料化」と表現されたのだけど、その名のとおり、「マルチプレイは無料だけど、シングルプレイは有料ね」なんて、いまの感覚からしたら「エッ?」と言いたくなるモデルだらけだった。

 それはともかく、前述したゲームは、どれもこれも韓国で一時代を築くほどの大ヒットとなっている。
 たとえば『クレイジーアーケード』は、月間でなんとアクセス数2000万(当時の韓国の人口は5000万弱なのだから、どれだけとんでもないアクセスか解るだろう)、売り上げ一億円ほどを叩き出すし、『FreeStyle』も『Audition』も同じようにとんでもない数字を叩き出している。

 結果として2001~2004年ぐらいで、韓国では以下のようなことが解ってきた。

・部分有料化(基本プレイ無料=F2P)をするとアクセス数は増える(当たり前)
・アイテム課金によって、少なくともカジュアルゲームは成り立つ
・モノによるのだろうが、月額課金のMMOより、よほどお金は儲かる

 そして、部分有料化、すなわちF2Pは成り立つということが解った2004年、ネクソンはいままでのさまざまな知見(いまふうに言えばKPIとかSWOT分析とか)を活かし、満を持して『CRAZY KART RIDER』、つまり『スーパーマリオカート』のクローンと言われても文句が言えない『カートライダー』をリリースする。

 そして、これがさまざまな理由で途方もない大ヒット。あっというまに年齢・性別を問わずプレイされる国民的なゲームとなり、2004年末には、PC房において、『スタークラフト』【※】を超える占有率を叩き出すという伝説的な成功を収めることになり、言うまでもなく売り上げの見地からも大成功を収めた。

※『スタークラフト』
韓国ゲーム史上最大のヒットといって間違いではなく、史上初の成功したeスポーツのプロリーグを作り出す原動力になった。

 つまり2004年末には、「少なくともカジュアルゲームの世界ではF2Pは成り立つし、それどころではなく月額課金のMMO以上の大成功を収め得る」というのが韓国のゲーム業界における共通認識になっていく。

 ここで韓国の当時のゲームについての、いわば恥にも触れなければ不公平なので、書いておきたい。
 当時、カジュアルゲームは本当に大量生産されたのだけど、ストレートに書くなら、この当時のカジュアルゲームには、恐ろしくパクリが多い。端的に書けば、「コンソールゲームをオンラインにしてマルチプレイヤーにしていっちょ上がり」というゲームがメチャクチャに多いのだ。

 韓国ゲーム業界的なロジックを書くなら、「オンラインだから別のゲームですよね」という主張だったのだけれど、たとえば『ボンバーマン』をパクった『BnB』が入っていたネクソンの『クレイジーアーケード』は、その『BnB』があまりに大ヒットしたのでハドソンに提訴され、のちに正式にライセンスされて『ボンバーマン』になった話だとか、あまりに『スーパーマリオカート』に似ているので、別のゲームになるぐらいまでアップデートしないと日本ではサービスインできなかった、というひどい噂まであった『Crazy Kart Rider』など、正直な話として、この時期のパクリゲームの山の話には本当にいただけないものがある。

 言ってみれば韓国のオンラインゲーム業界が勢いだけで仕事をしていた時代なのだろう。日本で言えば『スペースインベーダー』のコピーが横行していた時代のようなもんだろ……とは思うし、いちおう「いや、これはオンラインだから別物ですよ」という言い訳もあったのは理解したうえで──


 時効だとは思うけれど、山のようにパクリゲームがありましたよねえ、皆さん? とは突っ込んでおきたい。

基本プレイ無料宣言

 ここで、オンラインゲーム業界がベータフライヤー問題に悩まされながらも、さまざまな月額課金モデルでなんとか利益を確保しようとしていた2004年~2005年ごろのMMOに話を戻そう。

 さまざまなカジュアルゲーム(ここまで書かなかったが、日本で有名な『スカッとゴルフ パンヤ』などもそう)がF2P/アバター課金で成功したことにより、その手法でゲームが成り立つということが証明されるのだが、じつは2005年初頭に至っても、MMOの世界の中心は月額課金が中心で、せいぜいがハイブリッド課金だった。

 これは先に述べた理由と同様で、韓国ゲーム業界には、「いわゆるF2Pや部分有料化は、それがどれだけ儲かろうともカジュアルゲームのもの。対比して本格ゲームと見なされるMMOは、商業化に四苦八苦しながらも、あくまで月額課金であるべき」という思想が抜きがたくあったからだ。

 この視点には、そもそも明らかにカジュアルゲームをMMOより下に見る思想が現れていて面白いと思うのと同時に、アーケードとコンソールの初期の関係や、コンソールとソーシャル・スマートフォンのゲームとの関係を思わせ、「人は自分がやっているものを高級だの本物だと思いたがるものだなあ」と感じる。

 それはともかく、この考えかたには一定の納得できる理由はあった。というのも、MMOは基本的には多くの時間を投資するほどゲーム内能力(レベルやパラメータ)やアイテム(おもに装備)で恩恵を受けられるのが常識的な作りだ。これを簡単にまとめると、

遊んだ時間=強さ=ゲーム内の偉さ

 という極めて解りやすい等式が成り立つ。

 ここにアイテム課金を導入し、「現金を払うと強力なパラメータの付いた装備が手に入ります」なんてことをやると、上記の等式が崩壊してしまう。だから「月額課金でなければMMOではない」【※】という主張だ。

※ところで2003年後半にリリースされた『メイプルストーリー』(ネクソン)は、いわゆる基本プレイ無料で、なおかつ初期はアバター課金でせいぜい経験値ロストを抑える設計だったものが、すでに成功していたのだから、上記の説明はさっぱり通用しない。
だが、この手の主張をする人たちは自分たちの信念を喋っているだけで、事実を喋っているのではないことが多いという典型例だと思っている。もしかしたら「『メイプルストーリー』は2Dでカジュアルだから本格MMOではない」って主張だったのかなどと、ちょっと思ってしまったりする。

 また当時、NCソフトで『リネージュ』などを開発してきた、韓国ではたいへん有名な開発者によると、「『メイプルストーリー』が大ヒットするまで、実際にNCソフトの中ではF2P(部分有料化)を見くびっていたし、またヒットしてからも、どうしても移行しづらかった」という理由が、まさに上の等式にあったという。
 彼曰く、「MMOは「時間を売る」という考えかたからどうしても抜けられなかった」と。

 というわけで、2005年に至っても、まだなんとか月額課金を維持しようとしていた韓国オンラインゲーム業界に、あるタイミングで激震が走る。それが韓国ゲーム史上もっとも重要なできごとのひとつ、2005年8月にネクソンが発表した基本プレイ無料化宣言だ。

 この宣言でネクソンは、当時運営していた月額課金サービスのMMORPG5種、すなわち『風の王国』、『闇の伝説』『テイルズウィーバー』『アスガルド』『エランシア』の定額制を廃止するとした。
 この宣言が衝撃的だったのは、じつは『ウルティマオンライン』と並ぶ黎明期のMMOで、韓国における月額モデルの始祖だった『風の王国』を部分有料化+アイテム課金の形式のサービスにするということだった。

 以降、韓国のゲーム業界は雪崩をうったようにF2Pに走り出し、月額課金でスタートした『プリストンテイル』『カバルオンライン』『RFオンライン』などのさまざまなゲームが無料化するのだけど、これまた基本的には成功を収める。
 当たり前だが、無料化すると新規ユーザーは流入するし、遊ぶのを止めていたユーザーもゲームに戻ってくるなど活性化するから、成功するに決まっている。そしてこれらの結果を受け、2005年~2007年に大作MMOまで含め、「ビジネスモデルはF2P」という時代がやってくる。

 というところで、ついにF2Pのビジネスモデルが確立するのだけど、この近代F2Pのビジネスモデルは、いまのモデルとは少し異なる。いまのF2Pのビジネスモデルは、おもに日本で作られていくのであった……というところで次回へ続く(続けば)。

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プロフィール
ゲームデザインディレクター。古くからゲーム業界に関わり、開発者の視点からゲームのことを言語化していくことに使命感を燃やす。電撃プレイステーションでもコラムを連載中。
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