六本木ミュージアムにて開催中の展覧会「1999展 ―存在しないあの日の記憶―」(以下、1999展)にて、8月3日から5日の3日間限定で、ナイトミュージアムイベント「異界祭り」が開催された。
本展覧会は、ホラーゲーム『SIREN』の脚本家・佐藤直子氏、『近畿地方のある場所について』などで知られるホラー作家・背筋氏、そして新進気鋭の若手ホラー映画監督・西山将貴氏が結成したユニット「バミューダ3」とゲーム会社ラストワンダーによって企画されたもの。
開館時間を延長したナイトミュージアムでは「異界」の特別演出が施され、展示内での「つちのこ探し」や “警官のような存在” が徘徊する、夜の展示空間ならではの体験が用意された。
ナイトミュージアムの開催期間である8月3日、4日、5日といえば『SIREN』ファンにとっては「異界入り」が描かれる3日間としてお馴染み。イベント初日である8月3日は、外山圭一郎氏をはじめ『SIREN』に携わったクリエイターや出演者たちによるスペシャルトークショーが実施された。

本稿では特別演出となっているナイトミュージアムと初日のトークショーについてお届けしていく。なお、本展示会のレポート記事はすでに掲載しているので、あわせてご覧いただきたい。
文/柳本マリエ
“凍らせた手ぬぐい” がいま効いている
トークショーの登壇者は下記となっている。
【出演ゲスト】※敬称略
・外山圭一郎(ゲームディレクター)
・篠田光亮(俳優)
・満田伸明(俳優)
・江戸清仁(俳優)
・柚楽弥衣(歌手)
・タイガー原(プロSIRENファン)
・バミューダ3(佐藤直子・背筋・西山将貴)
まずバミューダ3の主宰・佐藤氏から1999展の企画背景とコンセプトが語られた。もともとは『SIREN』の制作者(佐藤氏)と『SIREN』ファン(西山氏、背筋氏)という関係性だったとのこと。世代も業種も異なる3人が共通して興味のあることが「ノストラダムスの大予言」や「世界の終末」だったそうだ。
今回のナイトミュージアムイベント「異界祭り」については、佐藤氏が直接連絡を取れる「『SIREN』初期メンバー」に招集をかけ、実現にいたったという。
トークショーでは、世界の終末にちなんだお題「滅んだと思った体験」が語られた。
『SIREN』のディレクターを勤めた外山氏は、『SIREN』の初週売上を見たときに “滅んだ” と感じたとのこと。いまでこそ根強いファンがいることで知られる『SIREN』は、発売当初の売上が振るわなかったという。
しかし、「怖すぎる」という理由でわずか1週間ほどで放送禁止になってしまったテレビCMが逆に話題を呼び、売上に大きく貢献。発売から20年以上経過した現在もSNSでは毎年「異界入り」【※】で盛り上がりを見せている。
※異界入り
毎年、7月末から8月頭にかけてSNSなどで行われる奇祭。『SIREN』への思いやイラストなどが投稿され、ファンの間では夏の風物詩となっている。作中で描かれる3日間(8月3日から8月5日)は熱狂的な盛り上がりを見せ、令和になってもトレンド入りするほど。
外山氏のエピソードに同調していたのは、『SIREN』で主人公の須田恭也を演じた篠田光亮氏だった。まずゲームの収録を行ってから2年ほど音沙汰がなく、やっと日の目を見たと思ったらCMが放送禁止になったことで「主演作が滅んだ」と絶望したという。
しかし外山氏から語られたとおりCMが中止になったことで話題となり、「いまこうしてトークショーに参加している」ということに感謝の意を述べた。ちなみに篠田氏は1999展でも「声」の出演をしている。
「篠田氏とまったく同じ」と語るのは、『SIREN』で宮田司郎・牧野慶の双子を演じた満田伸明氏。篠田氏からは「同じなら違うことを話しなさいよ」とつっこみが入っていた。初期メンならではの息の合ったやり取りが垣間見える。
また、『SIREN』で石田徹雄巡査を演じた江戸清仁氏は「子どものころに鎌が目元に刺さりかけた」というエピソードを披露。「本当に危ない」と登壇者から本気で心配されていた。
トークショーのあとに独唱を予定している柚楽弥衣氏は「リハーサルで入り込んでしまい現実世界に戻ってこられなくなって滅んだ」と語る。佐藤氏からは「人智を超えた存在」になってほしいというオファーがあったとのこと。
最後に佐藤氏から『SIREN』への感謝が伝えられた。バミューダ3の結成、イラストレーターの米山舞さんやスーパーログさんと1999展でコラボができたのも、『SIREN』があったからこそだという。
佐藤氏はこれを “濡れた手ぬぐいを凍らせる” 行為と語る。
これは、『SIREN』のとあるミッション中に「濡れた手ぬぐい」を凍らせておくことで別の時間帯に別の人物が「凍った手ぬぐい」を使い敵を陽動することができることから、「過去の経験がいまになって思わぬ縁や展開につながっている」ということを意味している。
「手ぬぐいは何本でも凍らせていこうと思ってる」と、未来のためにいまできる誠実な行動を惜しまないという、説得力のあるエピソードでトークショーは締めくくられた。
『SIREN』がひとつのインスピレーションになっている
トークショーのあと、バミューダ3の佐藤直子氏、背筋氏、西山将貴氏と『SIREN』でディレクターを務めた外山氏にインタビューをする機会をいただいた。ここからはその様子をお届けしていく。
外山氏:
1999展のイベントなのに僕もいいの?
佐藤氏:
外山さんはお父さん的なポジションでお願いします(笑)。
──7月から展示会が始まり、反響はいかがですか? どういった反応が多いのでしょうか?
西山氏:
反響はすごくいいと感じています。多くの方に足を運んでもらえて達成感を感じています。なによりうれしいのは、1999年に生まれていないような若い方もたくさんご来場いただいていることです。
反応としては「怖かった」というものもあれば「感動した」というものもあり、僕たちの作っているものが正しく伝わっている実感がありました。ほっとした部分でもあります。
背筋氏:
西山が言っていたことと重なってしまう部分が多いのですが、やはり若い方に来ていただけていることが大きいと思います。なかには「(展示内容はあまり知らないけど)TikTokで写真を見たから来た」という方もいらっしゃって、普段あまり展示に興味のない方も来ていただけているのではないかと感じました。
そこはすごくいい傾向だと思っていて、目指していたところでもあります。玄人好みの展示というより、本当に気軽に来ていただきたいと思っていたので、たくさんの方に足を運んでいただいてありがたい限りです。
佐藤氏:
展示会が初めての試みということもあり、やりたいことや情熱が明確にありました。ただそれがご来場いただいた方々に伝わるかどうかは不安なところでもありました。
しかし、想像以上に伝わっていたみたいで、いまふたりが言っていたとおり若い方々が「言語化できないけどなんか感動した」というような感想を書いてくれることがすごくうれしいです。すぐに言語化できなくても、今回の体験を少しずつ自分のなかで整理してそれが糧になってくれたらいいなと思います。
──先ほどのトークショーでも「『SIREN』があってこそ」というお話がありましたが、外山さんは1999展をご覧になってどう思われましたか?
外山氏:
佐藤さんから、「映像業界をはじめとする若手クリエイターのなかで『SIREN』がひとつのインスピレーションになっている」という話を聞きました。
もちろん『SIREN』がそのまま反映されているわけではないけれど、作品に漂うエッセンスのようなものは確かに息づいていて、それがかたちを変えて伝わっているのではないかと感じています。
僕たちも「唯一無二のオリジナルを生み出す」というより、たとえば諸星大二郎先生や山岸凉子先生といった好きな作家たちの影響を、自分たちなりの表現でもう一度届けたい、という気持ちで作品づくりをしてきました。
今回それが、『SIREN』から1999展へ、そして若いクリエイターや来場者の方々へ、いいかたちで受け継がれているのだとしたら作り手として素晴らしいことだと感じています。
──ちなみに今回のイベントについて外山さんへのオファーはどのようなかたちだったのでしょうか?
佐藤氏:
えっと、外山さんのスタジオに直接乗り込んで行きましたね。さすがに。
一同:
(笑)。
外山氏:
事前にまず「8月3日を空けてください」と言われて。
佐藤氏:
そうそう。詳細はあとで説明します、と。
──背筋さんと西山さんは外山さんにお会いしたことはあったのでしょうか?
背筋氏:
『SIREN』の20周年イベントのとき、佐藤さんにお誘いいただいて僕も西山もボーカゲームスタジオにお邪魔させていただきました。ただあのとき外山さんはご家庭の事情で不在だったのでお話しすることはできませんでしたね。なので今日が初めてとなります。
西山氏:
僕は「初代『サイレントヒル』の “のぼり” を外山さんに届ける」というミッションでお会いしているんです(笑)。
──のぼりを外山さんに? どういう経緯があったのでしょうか?
西山氏:
僕の地元のおもちゃ屋さんが潰れるとのことでたまたま入ってみたら、過去のゲームの販促物などがずらっと置かれていたんです。そこに初代『サイレントヒル』ののぼりがあって。ゲームが発売された年と僕が生まれた年が同じ1999年ということもあり、そののぼりを譲っていただいたんです。
それをご相談したところ「ほしい」と言っていただいてお届けしました。
外山氏:
僕もそののぼりをひとつ持っていたんですけど、深く考えずに知人に譲ってしまっていたんです。よくよく考えたら手元に残しておけばよかったと少し後悔していて。そんなとき、そののぼりが発掘されたと聞いて譲っていただきました。
──なるほど。西山さんはおもちゃ屋さんからスムーズに譲っていただけたのでしょうか?
西山氏:
はい。「潰れるからもういらない」とのことでした。「じゃあください」と言ったら「500円で」と言われました(笑)。
──あっ、お金は請求されたのですね(笑)。
一同:
(笑)。
──これは『SIREN』寄りの質問になってしまうのですが、発売から20年以上経過したいまでもSNSでは「異界入り」で毎年盛り上がっています。外山さんには以前インタビューでおうかがいしていますが、佐藤さんはこの現象をどのように捉えているのでしょうか?
佐藤氏:
まず素直にうれしいです。私にとって『SIREN』は仕事で作ったものというより、もはや人生の一部になっています。自らが出せるネタはほぼ尽きてしまっているのですが、毎年8月に盛り上がっているところを見ると「全力で迎え入れたい」という気持ちになります。
だから生きている限り、異界入りが行われていたらエールを送り続けたいですし、先ほどの「濡れた手ぬぐいを凍らせる」行為はずっとしていきたいです。それがなんらかのかたちでつながったらいいな、と。
まだまだ野望はありますよ!
──今回の1999展でも『SIREN』のようにずっと愛され続けるようなコミュニティを巻き込む取り組みなどは狙っているのでしょうか?
佐藤氏:
やっぱりこのバミューダ3というユニットが、自分にとって本当にありがたい存在だと思っています。というのも、全員がゲーム体験を共通の土台として持っているから、年齢や性別の違いを超えて、とてもフラットに意見を交わすことができるんです。
言葉にするのは難しいけれど、私たちは「男性的」「女性的」といった枠に縛られず、ある年齢層だけに刺さるものでもない、もっと普遍的なテーマを扱えるチームだと思っています。
1999展は、そのユニットとしての最初の表現であり、ここで築いたコアをベースに、これからもさまざまなかたちで作品を生み出していきたいと考えています。展覧会に限らず、もしかしたらゲームになるかもしれないし、メディアのジャンルにこだわらず、私たちだからこそできる挑戦を続けていきたいと思っています。

異界仕様のナイトミュージアムに潜入
ナイトミュージアムでは “警官のような存在” が徘徊している展示空間で「つちのこ探し」ができるようになっていた。
警官といえば『SIREN』ファンなら羽生蛇村駐在所に勤めている巡査・石田徹雄を想像するのではないだろうか。ゲーム開始直後、プレイヤーを恐怖とパニックに陥れる人物だ。
そして、つちのこ探しもまた『SIREN』ファンにはお馴染み。羽生蛇村にはつちのこが生息する噂があり、条件を満たすとつちのこを見ることができる。
本イベントにはアーカイブNo.064「つちのこ手配書」を模したと思われる張り紙が展示されていた。「羽生蛇つちのこ委員会」が「異界祭りつちのこ委員会」になっているなど、ファンにとっては熱い再現となっている。

イベントの最後には柚楽弥衣氏による「永久讃歌(とこしえさんか)」の歌唱が行われた。佐藤直子氏によると、この曲は常世への想いを馳せて作詞したという。
柚楽氏といえば『SIREN』のエンディング曲「奉神御詠歌」を歌っていることで知られている。力強くも神々しい歌声に心を奪われた人も多いのではないだろうか。
永久讃歌のパワフルなパフォーマンスに会場がひとつとなり、余韻を残すかたちでイベントは終了となった。