この連載は、ゲームの話を言語化することに使命感を燃やす岩崎氏の、開発者ならではの視点が楽しめる読み物です。今回のテーマは、前回に引き続き、ゲームを作るうえである意味もっとも大切なのにもっとも語られない話、“マネタイズ”について。
『ポケモン』はもっとも買い切り市場に適したゲームである──環境とそれに適したビジネスモデルがゲームの形を規定してきた歴史を語ろう【ゲームの話を言語化したい:第五回】
開発にかけたお金の回収方法はビジネスモデルと呼ばれます。
前回はビデオゲームのビジネスモデルの変遷に触れ、アーケードのような都度課金に始まり、コンシューマの買い切りモデルを経て、オンラインゲームの月額課金に至るまでの流れを追いました。その中で有料アイテムという概念が発生し、最終的な勝者として、基本プレイ無料=F2P(free to play)というモデルが現れた経緯が語られています。
今回は、そのF2Pの発生の経緯や、「なぜそれが韓国で起きたのか」が語られます。(編集部)
月額課金の大成功と問題の始まり
前回、「ビジネスモデルがゲームの形を決めている」という話をするなかで、「それらのモデルでいまのところの王者はF2Pだ」と書いたわけだが、このモデル、つまり近代的なF2P=基本プレイ無料の発祥の地は、間違いなく韓国だ。
だがこのことはあまり知られていない。また、韓国ではじつにさまざまな課金モデルが過去に試されているのだけど、なぜそんな試行錯誤が起きたのかについても同じく知られていない。
そこで「なぜF2Pが韓国から登場したのか?」について書くと同時に、韓国で近代的なF2Pが確立していくまでのあいだに、どのようなビジネスモデルが試されてたのかについて書いていきたい。
ただし、ここで断っておきたいのだけど、オンラインゲームというやつは、ともかくデータが残っていない。タイトル名や画像が残っていればマシなほうで、開発したスタジオはもちろん消えてなくなり、そのゲームを報じていたニュースサイトも個人サイトも攻略サイトも雲散霧消してしまっているのが当たり前。口伝以外に資料が残っていないような世界だ。
しかも韓国は日本よりもゲーム雑誌などの紙のメディアが発達しなかったため、情報の残らなさっぷりがより酷い。
だからinternet archiveや初期の4Gamerなど、比較的情報が残っているところを調査したり、できるだけ韓国の文献などにもあたったが、それでも残念なことにデータを完全に正確に拾えたわけではなく、現存するメーカー、つまりNEXON、NCSOFT、Gravityといったメーカーに話が寄ってしまっているところはご了承いただきたい。
また韓国の資料を検索しまくって解ったことは、韓国のゲーム史はF2Pの歴史において極めて重要なのに、さっぱり資料が残っていないということ。さらに、たとえ残っていてもその資料はサービスが始まってしばらく経ってからのものであり、サービス当初とはまったく違うなんてことが当たり前で、「きっと後の研究者は困るだろう」ということだった。
正直、今回の言及ぶりについては上記を鑑みて許していただきたいというのが本音で、「韓国の人たち、まだみんな覚えているうちにちゃんと初期のオンラインゲームの歴史を残してくれ!」と悲鳴を上げたくなってしまった。
というわけで、以下から本文は始まる。
インターネットの普及が国の力に直結すると考えた韓国
韓国が「オンラインゲーム大国」と呼ばれるに至る決定的な分岐点は、韓国政府が国策としてADSLを普及させようとしたときになる。これがだいたい1997年ごろだ。
当時はアメリカの情報ハイウェイ戦略だとか、ドットコムバブルだとか、ともかくインターネットが新しいメディア/産業として注目されていたときで、インターネットの普及が国の力にそのまま直結する……との考えかたから現れた政策だ。
とはいえ当時の韓国は通貨危機による不況のど真ん中で、普及の準備などに手間がかかり、本格的にサービスが始まったのが1998年となる。このとき登場したのがPC房だ。これは日本で言うネットカフェ。すべての席にパソコンが付いていて、PCでインターネットができるという代物だ。
これを韓国は国策として普及させようとしたのだが……なぜこんなものを普及させようとしたのか?
当時、一般に使われていたインターネット回線はアナログモデムが普通で、速度もせいぜい38400ボー(baud)、いまの速度表現にするなら、0.04メガ(bps)程度だ。
これはいま普通に使われている、皆さんが「遅い」とボヤくことも多い100メガの回線(実効速度は20~50メガ程度なことが多い)のじつに0.04%程度。それしか出なかった。
そして当時は「ブロードバンド」と呼ばれていたCATVの通信ですら512キロ程度だった。こちらも現在、普通に使われている光回線100メガに対しては0.5%程度となる。
いまでも速度は大きな制約条件のひとつになるが、当時はこれらの速度が制約となってさまざまなことができなかった。そこで韓国は、当時としては極めて高速な1.5~8メガ程度の速度が出るADSLを使った回線を国策で敷き、それを国民が使えるようにすることで、経済成長の起爆剤にしようとしたわけだ。
なお、このADSLでも当時はせいぜい2メガ程度で、いまの感覚からしたら話にならないぐらい遅い。同様にいま使うと遅すぎて耐えられなく感じる3G回線ですら、実効速度でADSLの軽く4~5倍は出る。いまのインターネットのコンテンツがどれだけデータヘビーになっているか判ろうというものだろう。
だがそのADSLも国全体に敷くにはコストがかかりすぎるので、まずインターネットに高速にアクセスできるハブとしてPC房をあちこちに作った。そこでビジネスマンや学生にネットを使って、メールのやりとりや仕事をしてもらうというのが当初の目論見だ。
その目論見はまったく外れたというわけではなく、このPC房では実際、お金のない学生がofficeを使ったりメールをしたりしていたが、それ以上に爆発的にヒットしたものがあった。
それが黎明期のネットワークゲーム、具体的には『ディアブロ』(1997年)と『スタークラフト』(1998年)だった。
どちらもブリザード・エンタテイメント(当時)のゲーム。いまをときめく『OVERWATCH』だったり、デジタルカードゲームの決定的なスタイルを確立した『ハースストーン』だったりを作ったメーカーの大ヒット作品だ。
『ディアブロ』も『スタークラフト』も世界的には途方もない大ヒットゲームだが、いまとなってはどちらも日本ではややマイナーなので、簡単に解説しておこう。
『ディアブロ』、『ディアブロII』は『ウルティマオンライン』(『UO』)と並んで、現在のネットゲームの基礎を作り上げたゲームのひとつだ。
『UO』がMMORPG(Massively Multi Player Online RPG……大規模多人数オンラインRPG)のほぼ元祖で、『ディアブロ』がネットワーク(インターネットを含む)でグループを組み、ダンジョンを探索する、いわゆるMulti player Online、すなわちMOと呼ばれる形式のゲームの元祖のひとつになる。このあたりはプライドの高い韓国人に言わせると少々違うことになるのだが、一般的にはこういうことになっている。
『ディアブロ』を、日本でわかりやすく表現するなら、『モンスターハンター』のように複数プレイヤーが同時に遊べる『不思議のダンジョン』シリーズぐらいの言いかたではなかろうか。
そして複数人数でダンジョンに入るということは、当然、プレイヤーのあいだに連携や助け合いが起き、ゲームの面白さは何倍にも強化されていた。さらにはプレイヤーどうしで殺し合うことすらでき、強盗がいたり、まあグループ内で仲間割れした挙げ句に殺し合い…なんて、ちょっと日本のゲームなんかじゃあり得ないこともよくあったりした。
またもうひとつの『スタークラフト』は、いまでも韓国では大人気ゲームであり、プロゲーマーの競技のひとつとしてもメジャーなソフトだ。3つの種族が戦うSFモノのRTS(Real-time Strategy)であり……と書いても、RTS自体が日本ではメジャーとは言い難いので、これまた説明しよう。
RTSは完全にリアルタイムに進行するシミュレーションゲームで、プレイヤーは全体の戦況を意識しながら、個々のユニットの移動指示や個々の生産も行う。アクションと戦略の要素があり、戦略と戦術(マイクロマネジメント)のどちらも要求されるタイプのゲームだ。
これ以外にもRTSの有名な作品として、『Age Of Empire』や『スタークラフト』の姉妹作品にあたる『ウォークラフト』シリーズなどがあり、世界的にはたいへんな人気を誇るジャンルだ。ただしやや過去の人気ジャンルの感はあるが……。
またこの『スタークラフト』は、韓国では『ディアブロ』以上のヒットを収め、このゲームを取っ掛かりにしてプロゲーマーのリーグができ上がり、現在のeスポーツの基礎を作るもののひとつになっている。つまりこれまた現代ゲーム産業にとって恐ろしく大事だったりするのだけど、今回のテーマはゲームから直接マネタイズする方法についてなので、これについては割愛しておく。
世界の「eスポーツ」ゲームいくつ言えるかな? いま熱い競技シーンから、eスポーツの条件を考えてみる
もうひとつ、『スタークラフト』のプロリーグのスゴさについて余談を書くと、韓国で仕事をしていたとき、当時のマネージャーがなんと『スタークラフト』のプロを目指していた人物で、彼とお手合わせをしたら、ものの1分で「岩崎さん! あなたのプレイは全然なってない!」と言いに来て、めちゃくちゃ指南された思い出がある。
現在、KINGのベルリンスタジオのデザインディレクターとして活躍中のF君にも同じようなエピソードがある。僕の元部下にして友人の彼は、中東のヨルダン出身。たいへんなゲーマーで中東の『スタークラフト』のチャンピオンになって世界大会に出たのだけど、そのとき「韓国のプロ相手に何もできずに10分で負けた」と言っていた。「プロはまるで死んだ魚の目のような感情のないプレイで僕を押し潰したよ」と彼。聞いたときは爆笑していたが、「プロとアマにはそれぐらいの実力差がある」というのは、僕も韓国で感じたことだった。
ともかく『ディアブロ』と『スタークラフト』のふたつの途方もないヒットによって、PC房は大ブームとなり、オンラインゲームに目を向けた韓国ゲームメーカーたちはこぞって参入し、韓国は世界でも有数のオンラインゲーム大国に向かう道を歩き始めた。
これまた余談だが、僕が韓国で仕事をするようになった2007年になっても、PC房ではちゃんとofficeを使うことができ、プリンタなども普通に備えられていて、高校生なんかがカップルでやって来てレポートを書くなんて、日本人のゲーマーからすると羨ましいこと極まりない話をよく聞いた。
しかも韓国にはオンラインゲームが普及するうえで大きなメリットがひとつあった。
それが国民番号制だ。韓国の国民はひとりひとりが国民番号を持っており、これを利用して個人を識別することができる。
ちなみにこの国民番号(≒住民登録番号)が韓国にあるのは知っていたが、いつもらうのか、僕は知らなかった。それを韓国で仕事をするようになって知った。17歳になったらもらう【※】のだそうだ。
※国民番号の付与は出生時。住民登録証の交付は17歳。
これがどうしてオンラインゲームの普及で役に立ったのかというと、オンラインゲームの問題点のひとつ、“匿名性”に対して有効だからだ。
たとえばふたつのアカウント(ゲームをプレイする権利)を購入して、それを別々にプレイすれば、ふたりの人間に成り代わって好きにプレイすることができる。
ひとつのキャラクターで悪いことをしても、他の一方がバレなければ平気だし、それどころか別人のフリをして悪口を言ったりだとか、あるいはそれぞれを対立したグループに入れて人間関係を掻き回したりなど、ともかく悪い使いかたができる。
いまのインターネットを眺めているユーザーなら、匿名掲示板やSNSを見ていれば、そりゃあ複数アカウントを使い捨てできたり、匿名であることで悪いことができるのはよくわかるだろう。
もちろん、それを利用したメカニクスをあえて作るという方法もあり得るのだけど、少なくともゲーム中の人間が操っているキャラクターの信頼性を損なう危険があるのはわかるはずだ。
ところが韓国ではこの問題のかなりの部分(完全ではない)を、国民番号を利用することで回避できるのだ。
たとえばひとつの国民番号に対してひとつのキャラクターしか作れないゲームにすれば前述の悪さはできないことになるし、ゲームのルールを大幅に破り、出入り禁止になったプレイヤーが再度同じゲームをすることも国民番号でユーザーを管理すれば非常に難しくなる。しかも実際にこういうシステムが多い。
また、住民登録証を必須にすると、プレイヤーを自動的に17歳以上に区切ることもできる。
つまりプレイヤーどうしの信頼関係を築く礎として国民番号があったことで、ネットゲーム独特の相手の判らない怖さを大きく軽減できたわけだ。
たとえば有名な『ラグナロクオンライン』(2002年)では国民番号を入力し、それによって男女をチェックして性別を一致させていた(つまり男は女キャラを作れないし、女は男キャラを作れないようにしていた)ので、出会いの場として機能していた……なんて信じられない話があったほどだ。どれぐらい国民番号が初期のMMOの発展にプラスに働いたかよく解るだろう。
ところで、当たり前だが、子どもはつねにそういう大人のゲームで遊びたがるモノなので、18禁のゲームに親の国民番号を盗んでアクセスしてバレて怒られることなんてのは、韓国の子どもにとてもありがちな展開だったりする。
さらに僕が韓国で仕事をしていたとき、番号をもらったので喜び勇んで、韓国でしか遊べないゲームに入力したら、拒否されて「なんでだ!?」となった。聞けば、「外国人労働者は弾かれる仕様にしてあるゲームが多いんですよ」と笑われたのは悔しい思い出だ。
こうして韓国ではPC房が流行り、ゲームメーカーがオンラインゲームを向き、国民番号のようなさまざまな条件が重なったところで、韓国のオンラインゲーム市場を決定付けるゲームが登場する。
それが『リネージュ』だ。
月額課金+クライアントの時代
『リネージュ』は1998年にリリースされた韓国産のMMOで、いわゆる韓国のMMOのスタンダードを作り上げたソフトだ。
・月額課金モデル
・『ディアブロ』に似たクォータービューの画面
・敵を倒すことでレベルを上げる
・PKができる(PvPが標準)
・血盟(ギルド)による城の奪い合い=攻城戦と呼ばれるGvGがある
重要なポイントはたくさんあるのだけど、歴史的な話としては、『リネージュ』はGvG=攻城戦がエンドコンテンツに据えられたほぼ史上初のゲームであり、かついまに至るまでのエンドコンテンツとして機能している作品だと言うことは覚えておくべきだろう。
もちろんほかにも重要なことはあるのだけど、今回の論旨で重要になるのは、『リネージュ』が月額課金モデルだったということだ。
当時は、まだインターネットでのクレジットカードによる決済は一般的ではなく、決済というと、銀行を使った月額課金が当たり前だった。
月額課金モデルを端的に表現するなら「定額ゲームやり放題サービス」だ。毎月1000円払えば、追加の料金は一切なしで(1本の)ゲームを遊び放題になるというシステムだと理解すればいい。
当時はいわゆる小額課金決済(マイクロペイメント)【※】のプラットフォームができていなかったが、韓国ではPC房が決済プラットフォームとしても機能したので、オンラインゲームで課金をすることに成功した。つまりPC房はゲームを遊ぶ場所であり、決済プラットフォームでもあったわけだ。
※小額課金決済(マイクロペイメント)……クレジットカードで小額を決済すると、手数料がサービス提供会社に発生し、取引の額によっては集金が現実的ではなくなる。これを回避するのが小額課金決済(マイクロペイメント)であり、いくつかの方法によって解消されている。
決済プラットフォームの認証を行う有名なVerisignがサービスを開始するのが1998年、決済サービスとして有名なPayPalがサービスを始めるのが同じく1998年。小額決済プラットフォームとして世界で初めて大成功を収めるのは日本のi-modeだが、これにしてもサービススタートは1999年だ。
つまり、このムーブメントは個人のPCからではなく、PC房をベースに起こっている。前述のとおり個人レベルではまだ高速回線が普及していなかったのと、支払い方法に問題があるのだから、そりゃあPC房でのプレイになる。
そして日本で1970年代末に『スペースインベーダー』の大ブームでゲームセンターが大量に増えたときと同じように、韓国では『ディアブロ』、『スタークラフト』、『リネージュ』でネットゲームの大ブームとなり、猛烈な勢いでPC房が増えていった。
ここで当時のPC房がどのようにして集金していたのかを説明しておきたい。
1. PC房はゲームAのライセンスを10個持っているとする(最大10人が遊べる)
2. ユーザーはゲームAを1時間遊ぶとして、PC房に対して<ゲームAの1時間ぶんの料金>を払う
(正確には遊んだぶんだけ後で払うのが普通だった)
3. ユーザーがPC房でゲームAのユーザーアカウントを作り(もしくはアカウントがあるならゲームにログインして)、
ゲームAを1時間遊ぶ
4. ゲームサーバーを経由して、PC房でゲームAが1時間遊ばれた記録が運営会社側に渡る
5. 運営会社がPC房に対して、ゲームAの1時間ぶんの料金を請求する
6. PC房は<1時間ぶんのゲームA料金>からゲームAの料金を支払う
もちろんPC房は、基本的には月ごとに運営会社に支払っていたわけだし、いろいろなプランがあって上に書いた例よりはもちろん複雑だったのだけど、ともかくユーザーのゲームへの接続時間に対して支払ったというのが基本的なポイントとなる。
だからPC房の初期、F2Pではなく月額課金中心の時代には、「PC房でどれだけの時間そのゲームが遊ばれたのか?」はそのままゲームがどれだけヒットしているかの指標になった。
そして『リネージュ』の大ヒットで、雨後の筍のように次から次へと、月額課金でPC用のMMORPGがリリースされるのだが、2000年を過ぎて家庭でもオンラインゲームが遊ばれるようになってからは、商用サービス(と表現された)への移行に失敗する例が頻出し始める。
ベータフライヤー問題
この商用サービスへの移行への失敗を、当時はベータフライヤー問題と呼んでいた。これはどのような問題だったのか?
簡単に説明すると、
・ベータテストのあいだは遊んでくれるが、ベータテストが終わり商用化したゲームにはお金を払わず、プレイしてくれない
というものだ。
先ほどの支払い構造を考えればわかるが、念のために解説すると、ベータテストのあいだは以下のような状態になる。
1. PC房はパブリッシャーからベータテスト中のゲームBのライセンスを10本ぶん借りる(形はいろいろある)
2. ユーザーはPC房の基本料金だけ払って、ゲームBを遊ぶ(なぜなら、ゲームBにプレイ料金はかかっていないから)
このようにサービスインして、ゲームBが商用化されると、PC房でユーザーはさっぱり遊んでくれずに商用化が失敗に終わる……という現象が起こるようになった。
では、それらのお金を払ってくれないユーザーはどこに行くのか?
・新しくベータテストが始まるMMOで無料で遊ぶ
つまり無料で遊べるあいだだけ、次から次へとベータテストのゲームを渡り歩くというプレイヤーが現れ、これがBeta Flyerと呼ばれるようになったわけだ(ところで、このベータフライヤーという言葉は僕が韓国で仕事をし始めてから聞いたわけだけど、たぶん韓国ででき上がった韓国製英語だと思われる)。
では、韓国のパブリッシャーはこの問題にどのようにして対抗していったのか?
まず当時のMMORPGの利益構造は、以下のふたつで成り立っていた。
・クライアントソフトの売り上げ
・月額課金による収入
「クライアントソフトの売り上げ?」と、訊ね返したくなる人もいるだろうが、当時はインターネットの回線が遅いので、クライアントソフトをダウンロードさせることが非常に難しかった。
たとえば2002年にプレイステーション2でサービスがスタートした『ファイナルファンタジーXI』のように、クライアントソフトがパッケージソフトとして売られているのが当たり前だったのだ。
だからクライアントソフトは、売り上げのうち、とても重要な要素となった。
PC房はこのクライアントソフトに対する支払いがほぼ見えなくなるという点でもプレイヤーにとっては意味があった。
PC房は初期投資として、クライアントソフトを購入し、それをインストールする形で始まっていた。「実際にはディスク+シリアル番号の山が多かった」と聞いたことがあるが、これが本当かは僕も知らない。ディスクがキーになっていて、プレイヤーに貸し出される場合もあった。
ところが商用化して、クライアントを売り始めると人がいなくなり、パッケージソフトも売れなければ、月額課金で遊んでくれる人もいないという、まあどうしようもない状態になったわけだ。
そこで最初は「ベータテストでダウンロードしてくれた個人にはクライアントが無料」といったサービスから始まり、これがすぐに「ダウンロードならクライアントは無料」になり(いうまでもなくPC房にとっても嬉しい話だった)、そしていまの「パッケージを買うと、いろいろとお得なサービスが付いてくるから、あなたがこのゲームを好きになるならパッケージを買いませんか?」に至るのだけど、ともかく、まずクライアントの無償化が進むわけだ。
ところがクライアントを無償化しても、商用化が難しいのは変わらない。
そこで次に「最初の2週間は無料」といった施策を入れる。するとここで驚くことが起こる。なんと2週間のあいだ廃人プレイをして、レベルキャップまで遊び尽くすプレイヤーが続出してしまうのだ。
これではもちろんパブリッシャーとしては堪らないので、レベルキャップを下げ、「月額契約しないとレベルキャップが外れない」なんてことをするのだけど、こういうことをすると、もちろん評判が悪くなるので、やはり商用化に失敗する。
困った挙句に現れたのが、「2週間の制限はなくすが、レベルキャップはある」という形式。これならコンテンツをフルに遊ばれないだろうというわけだ。
ところがこれでも高いレベルの人に連れて行ってもらえればそれなりにコンテンツは遊べてしまうし、チャットなどをする分には別に無料で十分だ。
やはり商用化には失敗してしまうことになる。
と、こんな風に韓国のMMOは2005年に至るまで──
・一定レベルまでは無料
・一定範囲は無料
・ダンジョン以外は無料
など、さまざまな方法で月額課金をなんとか維持しようと、四苦八苦することになった。どれぐらい四苦八苦していたのかということを解ってもらうために、F2Pが主流になりつつある2004年に月額モデルで成功した『マビノギ』の日本でのサービスを例に取ってみよう。
『マビノギ』は4つのサービスコース+アイテム課金形式があり、基本接続料金のみのプランだと、繋いで遊べるだけだ。これに加えてプレミアムサービスがあり、購入すると4週間のあいだは特別なサービスが受けられる。
さらに加えて1日2時間までは無料で遊べるなんて構造になっていた。
いまの時代から見ると、じつに複雑奇異に映るのだけど、なんとか月額課金モデルを維持しようとしていたことがよくわかるプランだ。
このように2001~2005年に月額課金のMMORPGが四苦八苦しているのに並行して、じつはいまのF2Pに至る流れが1998年ごろの『リネージュ』の成功に前後して、韓国で登場していたのだけど……長くなったので次回に続けたい(続けば)。
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