2025年2月1日から3日にかけて、ジー・モードのNintendo Switch/PC(Steam)向けアドベンチャーゲーム『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ ~追憶の流氷・涙のニポポ人形~』(以下、『オホーツクに消ゆ』)のファンミーティングツアーが開催された。
このツアーは、ゲームの主な舞台となる網走港、北浜駅、ウトロ市街、紋別港、能取岬、網走刑務所を、2泊3日で巡るというもの。スペシャルゲストとして、原作担当の堀井雄二氏、監修担当の東府屋ファミ坊こと塩崎剛三氏、音楽担当のゲヱセン上野こと上野利幸氏、キャラクターデザイン担当の荒井清和氏のほか、プロデューサーの折尾一則氏をはじめとした開発販売元のジー・モートのスタッフも参加した。
2泊3日の行程では、日中はゲームの舞台を観光し、夜はクリエイターを交えたファンミーティングが行われた。筆者はスタッフとして同行したのだが、ゲームファンとクリエイターが共に過ごす、このような形式のツアーは非常に珍しいだろう。厳寒のオホーツクを巡った熱い旅を本稿でレポートしよう。
取材・文/杉山淳一
編集/kawasaki

ツアー前夜:なぜファンミーティングが企画されたか?
2月1日(土)9時、網走駅集合からツアーが始まった。網走駅は女満別空港からバスで約30分なので、東京や札幌から当日の始発便の飛行機に乗っても間に合う。しかし雪の季節なので、飛行機の発着が遅れるかもしれない。そのため、スペシャルゲストとお手伝いスタッフは、網走のホテルに前泊することに。ツアー前夜は網走市内の居酒屋にて懇親会が行われた。
懇親会の参加者は、上記のスペシャルゲストの面々ほか、一般社団法人アニメツーズム協会のスタッフ、MOTレール倶楽部のメンバー、ツアーのお手伝い役として北海道観光資源創造センター理事の大熊一精氏、ライターの忍者増田こと増田 厚氏。さらには網走市長(!)と網走市観光商工部、JR北海道釧路支社長はじめ社員の皆さん。そして、本ツアーを密着取材するNHK札幌放送局のメンバーと、鉄道ライターの杉山淳一(筆者)だ。

この懇親会では、今回のツアーが実現に至った経緯や、その狙いなど、さまざまな話を聞くことができた。
網走市にとっては『オホーツクに消ゆ』が、網走刑務所や流氷に次ぐ新たな観光ストーリーとして期待を寄せているという。JR北海道にとっても、赤字路線に対する集客効果を期待しているそうだ。そのため、このようなゲームクリエイターとファンが交流するツアーに網走市長やJR北海道釧路支社の方も駆けつけたそうだ。
また、2021年より運行が行われている、『オホーツクに消ゆ』とJR北海道の観光列車「流氷物語号」によるコラボ企画が成功したことも後押しとなり、今回のツアーが実現したとのことである。

なお、この流氷物語号を盛り上げるために、網走市の観光ボランティアとして、上述の「MOTレール倶楽部」のメンバーが活動している。この背景も興味深いエピソードといえるだろう。
「MOTレール倶楽部」の会長を務める石黒 明氏は、『オホーツクに消ゆ』の熱心なファンである。石黒氏は、新聞のコラムで「(原作の)『オホーツクに消ゆ』が発売されたのは30年前だけど、この作品とコラボを行って、ひがし北海道を盛り上げたい」と寄稿し、それが知人経由で筆者の耳へ入ることになる。
筆者は、(原作版の)『オホーツクに消ゆ』が発売した当時は、その販売元であるアスキーに勤めていた。しかも、アスキーが刊行していたパソコンゲーム雑誌「LOGiN」の広告担当であったのだ。上述の石黒氏のコラムを知った筆者は、アスキーで同期入社だった元LOGiN編集長、青柳ういろうこと青柳昌行氏に連絡する。

のちにアスキーはKODOKAWAに吸収されたが、青柳氏は同社にて版権管理を担当することに。こういった経緯で、MOTレール倶楽部とKADOKAWAがつながり、「流氷物語号×オホーツクに消ゆ」のコラボ企画が2021年に始動したのだ。
このコラボに関連して実施された、第1回のファンミーティングツアーには堀井氏や荒井氏らが参加した。2022年に実施された第2回では、作曲担当の上野氏らが参加し、いずれも大きな盛り上がりを見せている。
また、その当時から「『オホーツクに消ゆ』のゲームは名作だから、いつかリメイクされるといいね」、「アニメ化や映画化もいいね」、なんて夢を堀井さんに聞こえるように語っていたのだが、なんと2024年9月、リメイクどころか追加エピソードもセットになった『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ ~追憶の流氷・涙のニポポ人形~』が発売された。
「これは記念ツアーをやるしかない!」と、今回の第3回ファンミーティングツアーが決定したわけだ。
懇親会は北海道のお酒と山海の幸が盛りだくさんで、大いに盛り上がった。とくに堀井氏と塩崎氏は大きなカニに大喜び。そういえば『オホーツクに消ゆ』って、この2人による「カニを食べに行こう」から始まったんだっけ……。

ツアー1日目:いざ、殺人現場へ(笑)。高校生の生演奏にも感動
網走駅に9時に集合。ツアーの開始前に、「流氷物語1号」の出発式が行われた。テープカットには、JR北海道と網走市の代表や、網走市の観光PR大使「流氷パタラ」、そして我らが堀井氏も参加。
この列車には堀井氏や塩崎氏らクリエイター陣も乗車し、定刻の9時50分から少し遅れて発車していった。そのほかのツアー参加者55名は、2台のバスで北浜駅へと向かい、そこでクリエイター陣と合流した。

この北浜駅は、1987年に発売されたファミコン版『オホーツクに消ゆ』で、2番目の死体となる「飯島幸男」の発見現場となった「北浜の浜辺」の最寄り駅である。また、観光地としては、「もっとも流氷に近い駅」として有名である。
ツアー参加者はゲーム画面と同じ画角で写真撮影を行ったり、展望台から海を眺めたりして楽しんだ。その最中にも、バスや列車で観光客がどんどんやってきて、とても賑わっていた。

続いてはバスに乗り、ゲーム内“1987年パート”の舞台であるウトロ市街や、観光名所の「オシンコシンの滝」へと立ち寄った。
ゲームに登場するお土産屋さんは、店外風景と店内のモデルが別だったのは新たな発見。しかし、ゲーム内で購入できたお土産の“ペナント”だが、現在はペナントのブーム自体が終っている。
……と思ったら、なんと小さなペナントが売られているのをツアー参加者が発見。たった4枚のペナントは、即座に完売してしまった。1枚は店内のサンプルだったと思うが、それも剥がして購入していたようだ(笑)。


オシンコシンの滝は、厳寒期でもなかなか凍らないことで知られている。しかも、凍るほど寒いときは道路も凍結しているから、行くことができない。つまり、凍ったオシンコシンの滝はなかなか見られない(笑)。
塩崎氏によると、この場所は1987年パートにおける、第2の死体の候補地だったという。「ウトロから網走までのどこかで死体を置こうと思ったんだけど、堀井さんが北浜駅を気に入ってね」とのこと。

ツアーは続いて、「知床自然センター」へ。ここには高さ12メートル、幅20メートルの巨大スクリーンがあり、参加者は知床をテーマにした映像作品を、4K画像、5.1chのサウンドの大迫力で鑑賞した。

再びバスに乗り、観光名所「天に続く道」を車中見学して網走へ戻る。この途中で、忍者増田さんが作った「オホーツクに消ゆ ペーパーテスト」が配られた。
「次の目的地までに回答し、下車するまでに提出せよ」と記載されているが、これがかなり難しく、筆者は途中であきらめてしまった。その前に増田氏と打ち合わせたときに、ちょっと内容を聞いてしまったしね。

バスは途中休憩を挟みながら、網走南ヶ丘高校へ。ここでは吹奏楽局のみなさんが、上野利幸氏が作曲した「流氷物語号×オホーツクに消ゆ スペシャルMIX」や「流氷にいちばん近い駅」などを生演奏してくれた。
ちなみにこれらの楽曲の演奏に向けて、1か月前に上野利幸氏や新日本BGMフィルハモニー管弦楽団を主宰する市原雄亮氏が来訪し、指導を行ったという。この日のために、ずっと練習してきたそうだ。スペシャルMIXではゲームの名場面が想起され、高校生たちが真剣な表情でがんばっている姿を見て、感動の涙。

ちなみに「流氷物語号×オホーツクに消ゆ スペシャルMIX」は、網走駅で流氷物語1号が発車する際の駅構内で流れている。「流氷にいちばん近い駅」も、北浜駅開設100周年を記念した曲で、流氷物語号が北浜駅に停車している間、MOTレール倶楽部が持参したポータブルスピーカーから流れている。


心地よい余韻を胸に、ツアー参加者はバス移動で宿泊先にチェックイン。そして休憩や夕食を挟んだ後、いよいよファンミーティングが開催された。
ここでは堀井氏、塩崎氏、上野氏、荒井氏、折尾氏が揃って登壇。「ゲームの質問になんでも答えますコーナー」と題して、参加者からの質問に回答していただいた。
このファンミーティングでは筆者が司会を務めたのだが、キャラクターについて、物語について、参加者の挙手が止まらない。
「まりなもボスも急いでいるのに、なぜ飛行機で釧路に行かなかったんですか?」
「(道中で)1987年パートを振り返る構成にしたので、飛行機だと時間が短すぎて……」
そうでしょうねぇ(笑)。
「タイトル『オホーツクに消ゆ』の『消ゆ』の発音は、『「き↑ゆ↓』か、それとも『き↓ゆ↑』ですか?」
これはナイス質問。紙媒体では質問しづらいから、こういった場で聞きたい。
「最初はみんな『き↓ゆ↑』で発音していたんだけど、ファミコンで発売するときにテレビCMを作ったら、ナレーションが『「き↑ゆ↓』だったんですよ。これで『「き↑ゆ↓』が定着しました」
司会を務める鉄道ライターの筆者が、「国鉄のディーゼルカーの郵便車の記号「キユ」と同じ発音ですね」と補足したけれど、わかりにくかったようだ(笑)。
「追憶の流氷というサブタイトルなのに、ゲームに流氷が出てこないのはなぜですか?」
これは筆者も気になっていた。
「基本的にゲームには季節感を入れたくないんですが、オホーツクを象徴するものとして、タイトルと背景に流氷を使いました」
そうだったのか……。鉄道ファンとしては、「流氷物語号」も出してほしかったな(笑)。
続々と明らかになる裏話の数々に来場客は驚き、また笑いにも溢れていた。このファンミーティングでは、そのほかにもグッズ販売やサイン会などが行われ、大いに盛り上がった。来場客にとっても長く充実した一日だったことだろう。
その一方、司会進行を終えた筆者は、一足先にホテルへ。日中に実施したペーパーテストの採点作業をしなければならないのだ。こちらも長い夜になった。