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良い記事は、非合理である──AI時代のメディアのあり方を、電ファミの10年をふり返りながら考える

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良い記事=情報価値。編集とは「価値の配分」である

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電ファミの看板企画「ゲームの企画書」第4回。2016年に公開された記事だが、ことあるごとにこのインタビューで披露されたエピソードが参照され、語り継がれている。

私にとって良い記事とは、「情報価値」がある記事だ。

未公開情報であること以上に、その人の思考や想いが可視化されているかどうか。なぜその判断に至ったのか。何と戦い、何を守ろうとしたのか。取材深度、思想性、一次性……それらはすべて、情報価値に紐付く。

そして情報価値があれば、その記事は一定の普遍性を持つ。
時間を越えて参照される。

ただし「良い記事は情報価値があるものだ」と言うのは簡単だ。
情報価値は自然に立ち上がるものではないからである。

編集という行為は、価値を見つけるだけではなく、価値を配分する。

同じ出来事でも、「速報」として扱うのか、「証言」として残すのか、「歴史」として整理するのかで意味は変わる。

編集が行っているのは、出来事の扱いを決めることだ。言い換えれば、人間(社会)の注意資源をどこへ振り向けるかを決めているとも言える。

注意資源は有限で、時間も有限だ。
だから編集は本来、倫理的な行為になる。

ネットメディアの悪しきマネタイズはその倫理を、「読まれるものが正しい」「伸びるものが価値である」という別の合理性で上書きした。
これはネットメディアに罪を押し付ける話ではない。報酬体系がそうさせる圧力を産むという話だ。

でも。だからこそ、抗うには「思想」が必要となるのである。

クリエイターから学んだ「言葉の純度」

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「ゲームの企画書」第10回。「開発チーム全員でプレイする」とは、伝達の精度を飛躍的に高める行為だと考えられる。

情報価値を守るためには、基準が必要になる。

電ファミを作る前から、私は多くのゲームクリエイターたちと深く付き合ってきた。その経験の中で、一つの重要な発見があった。

それは、

チームでものを作るとき、ちょっとした「言葉のズレ」が致命的な結果を生む

ということだ。

明らかに意味の違う言葉を使っていれば、その場で誰かが気づいて修正される。
問題になるのは、同じような言葉を使っているのに、それが指しているものが微妙に違うケースだ。

たとえば「面白い」という言葉ひとつとっても、瞬間的に笑える面白さなのか、没入して時間を忘れる面白さなのか、後から思い返すと味が出る面白さなのか、人によって想定しているものが全然違う。
制作の初期段階でそのズレを放置すると、プロジェクトが進むほど捻れが大きくなり、完成に近づく頃には取り返しのつかない状態になる。

優れたクリエイターほど、この問題に敏感だった。
言葉の選び方が恐ろしく丁寧で、「今自分が言っていることはこういう意味だ」という確認を、面倒なほど丁寧にやっていた。
几帳面だからではない。言葉の不正確さがいかに大きなコストを生むかを、実体験として知っているからだ。

私は取材者として外から観察しているうちに、それを学んだ。

そして気づいた。これはゲーム制作だけの話ではない。
メディアを作ることも、チームでものを作ることだ。

編集者とライターの間で、あるいは編集部の中で、「良いものの基準」についての言葉がズレていたら、作られるコンテンツは少しずつ方向を失っていく。

「高い解像度で理解して、ニュアンスまで含めて高い精度で伝える」

この技術は、ものを作る人間の最も根本的な能力だし、さらにいえば、これ自体がメディア(編集)の基本的なノウハウでもある。
それを、電ファミというメディアの作り方の中心に置こうと決めた。

大事にしてきたチームの「純度」

情報価値を守る基準を維持するために、電ファミ、そして運営会社であるマレで大切にしてきたことを一言で言うなら「純度」だ。

これは閉鎖性や排他性の話ではない。
組織の中で「良いものは良い」という判断が、いちいち説明なしに共有できる状態のことだ。

この状態がある組織とない組織では、意思決定のコストがまるで違う。

純度の高い組織では、新しいコンテンツのアイデアが出たとき「これは電ファミらしいか?」の一言でかなりの部分が伝わる。

純度の低い組織では、「電ファミらしいとはどういうことか」から説明しなければならない。説明のための会議が増え、会議のための資料が増え、本来やるべき仕事の時間が減っていく。

私はこれが、いわゆる「大企業病」の原因だと思っている。
組織が大きくなるにつれて多様な背景を持つ人が増え、共通言語が薄まり、判断のたびに根拠の説明が必要になる。情報共有という名のもとに、判断コストが肥大化する。

これを避けるため、電ファミは業界経験者をあえてあまり入れず、若い人を迎え入れて一緒に「電ファミの流儀」を作っていく道を選んだ。
これは一見すると非効率だ。即戦力を取らず、業界知識のない若い人を入れるのだから。

この制度は強い。だが危うい。
純度は内部の速度を上げる一方、外部の差異に鈍くなるリスクも持つ。純度が高い組織は、外部の人間を排除しやすい傾向を生むからだ。
「文化の違い」と言う言葉はよく聞くと思うが、これはもっと直接的に言えば、価値の評価軸が違うということである。

電ファミが次の10年で失うとしたら、それは外部環境ではなく評価関数の崩壊だと思っている。
純度の低下とは、気合いが抜けることではない。判断基準が、説明なしに共有できなくなることなのだ。

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編集長
電ファミニコゲーマー編集長、「第四境界」プロデューサー。 ゲーム情報サイト「4Gamer.net」の副編集長を経て、KADOKAWA&ドワンゴにて「電ファミニコゲーマー」を立ち上げ、ゲーム業界を中心にした記事の執筆や、サイトの設計など運営全般に携わる。2019年に株式会社マレを創業し独立。 独立以降は、編集業務のかたわら、ゲームの企画&プロデュースなどにも従事しており、SNSミステリー企画『Project;COLD』ではプロデューサーを務める。また近年では、ARG(代替現実ゲーム)専門の制作スタジオ「第四境界」を立ちあげ、「人の財布」「かがみの特殊少年更生施設」の企画/宣伝などにも関わっている。
Twitter:@TAITAI999

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