「続編を作らない」ことでヴィンテージとしての価値が保たれる
──先ほど「トレンドよりもヴィンテージとしての価値を選ぶ」というお話がありましたが、ゲームってヴィンテージとしての価値を保つのがすごく難しいメディアだと思うんです。技術はどんどん進化していきますし、「当時はスゴかった」というだけでは次第に古びていってしまうじゃないですか。
そこでゲームにヴィンテージ的な価値を持たせるためには、何が必要なのか? ということをお聞きしてみたいです。
上田氏:
自分の場合は「続編がない」ということも多分に影響がありそうです。
ヨコオ氏:
ああー。
上田氏:
「続編」って少なからずマイナーバージョンアップみたいなところが含まれるじゃないですか。
そうすると、その前作はどうしてもかったるくてやってられないゲームになってしまう。だから、僕はバージョンアップしたいと思ってもあえてしていないんです。
「もうこれはこれで完成形なんだ、粗(あら)も含めてこういうものなんだ」というふうに受け入れてもらったほうが残るゲームになるんじゃないかと。
ヨコオ氏:
僕と外山さんは続編を作りまくってますね(笑)。
上田氏:
あ、もちろんいまは違いますよ(笑)。いまは続編があっても「やっぱり前作のほうがいい」という価値観も普通になりましたけど、あの当時はそういう感じではなかった。
ヨコオ氏:
先ほども言いましたけど、僕は『ICO』を体験することで完全に「残るものを作ろう」という思考を捨ててしまったので、むしろ「ゲームを残す」というよりは、ゲームを含めたその時代の空気感とか流行っているものとか、そういう周りのものもすべてひっくるめた「その場で楽しむもの」という体験を大事にしていきたい、という気持ちが強いです。
──いま、「その場で楽しむもの」の最たるものは運営型スマホゲームになっていますよね。アップデートで強いキャラが追加されたり、あるいは弱体化されたりみたいなことって、後から追いかけても当時のプレイヤーと同じ体験を得るのは難しいでしょうし。
ヨコオ氏:
そうですね。僕はスマホのゲームもいくつかやってるんですけど、いずれサービスが終わるという儚さが「いいな」と思ってます(笑)。
上田氏:
そう言われてみると、「長く残るものこそが良い」という価値観も古くなってきているのかな、と思う部分もありますね。
外山氏:
そうですね、変わりましたね。もう全然感じなくなってきたかもしれない。
上田氏:
そこはある程度しょうがないことだとも思いますけどね。「その価値観を大きく変えよう」とは思ってないというのはあるんですけど(笑)。
ファッションに近いんじゃないですかね。長持ちするものが好きという人もいるし、その都度流行りに合わせて変えていくという人もいるだろうし、それはどっちであるべきという話でもないと思います。
ヨコオ氏:
それでいうと『ICO』は、時代に左右されるというよりも時代を“超えた”体験というか。「いつやっても、いいゲームだな」と思えるゲームだと思いますよ。
上田氏:
そう言ってもらえるとうれしいです。結果としてですけど、自分が想像した以上に評価されたり、長く残っているという感じはあります。
──『ICO』が完成したときは、すでにその手応えはあったんですか?
上田氏:
いや、それは全くなかったです。『ICO』に限らず、これまで作ってきたどのタイトルのリリース時にも手応えは感じてないです。むしろ、「相当叩かれるだろうな」という気持ちで。だって、僕が作るゲームって“ないものづくし”じゃないですか(笑)。
「こんな短いゲームでいいんだろうか」、「武器が2種類ぐらいしか出てこなくていいんだろうか」「こんなに敵の種類が少なくていいんだろうか」みたいに、常にリリース時は不安との戦いですよ。
外山氏:
当時だとやっぱり「中古屋にあふれました」とか言われるのが怖いですよね(笑)。
ヨコオ氏:
ああー、そういう「売れない」とか「中古屋にあふれる」みたいな恐怖ってありました?
上田氏:
つねにあります。
ヨコオ氏:
そうなんですね。
僕は『ドラッグ・オン・ドラグーン』のディレクターをやったときから開発会社という立場でパブリッシャーではなかったので、言い方は悪いですけど「末端の僕は売れても売れなくても給料変わんねえしなぁ」という気持ちでやっていました。
──(笑)。
上田氏:
すごいですね(笑)。
ヨコオ氏:
だからもう「自由に生きてこう」と思って作ってきました。
上田氏:
僕もそういう気持ちで作りたい。
ヨコオ氏:
いまでも、べつに売れなくていいんじゃないって思ってますね(笑)。
外山氏:
いまは選択肢もかなり広がったので、「ゲームを作りたい」と思ったらやりようはたくさんあると思います。
けど当時はやっぱり、コンソールゲームのディレクターの「打席」みたいなところにいると、「ここで三振したらもう次はない」みたいな恐怖感はひしひしと感じてましたね。
上田氏:
僕は、逆にそのプレッシャーみたいなものはなかったですね。
「自分が考えたゲームを作れれば、もうそれでOK」、「あわよくば評価されたらいいな」くらいの気持ちでした。
「次の打席」という思いはさらさらなくて、「ゲーム業界に来たからには、こんなゲームを作りたい」という思いが果たせたら、それだけが目標でした。
外山氏:
なるほど……。
上田氏:
皆さんが最初にディレクションをやったときってまだ20代でした?
ヨコオ氏:
僕はちょうど30歳になったときですね。『ドラッグ・オン・ドラグーン』のときにめちゃくちゃやって、パブリッシャーの人に「あいつはダメだ、外せ」みたいなこと言われていたんです。
で、プロデューサーから「ここは我慢して条件を飲んで、次の作品でなんかちゃんとやれよ」みたいなことを言われたときに「次なんかねえよ!」みたいなキレ方をしたりしました。
「どうせ売れないし、次なんかねえんだからいいんだよ!と(笑)。
「セーブするとき、わざわざ手をつないでベンチに座る」ということの意味
──先ほど上田さんは「『ICO』はほかでやってないことをやっただけ」というお話をされてましたが、たぶんそれってマーケティング的な「差別化」とはちょっと違う話に思うんです。
というのも、上田さんだけじゃなくて外山さんもヨコオさんもそれを当たり前のようにこなしているように思えていて。どっちかというと「やりたいこと」が先にあって、たまたまそれがほかでやられてなかっただけなんじゃないかと。
ヨコオ氏:
僕はそうでもないかな……。たとえば「アクションRPGで中世のやつ」みたいに、ゲームを作る時はお題があることがほとんどですし。その中で無理やり隙間を見つけてましたね。
PS2時代って「派手でボスがたくさんいることが大事」っていう価値観で、ストーリーについてはあまり注文されなかったんです。で、すっごい暗いゲームを作ったんですが、途中でバレて「直せ」って言われて。だけどもうマスター直前でどうにも直せず……(笑)
──(笑)。
ヨコオ氏:
おふたりはSCE(現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)で、パブリッシャー兼デベロッパーの会社にいるのと、純粋にデベロッパーだった僕の場合だと、オリジナリティに対する前提はだいぶ違うと思う気がするんですけど、どうでしょう。
外山さんがおっしゃられていたことで印象的なのが「SCE(現SIE)が持たされている役割は、公共放送みたいなもの」というものです。
プラットフォーマーだから、「NHKみたいにいろいろな作品があることに意味があるんだ」とおっしゃられていたんですけど、覚えてますか?
外山氏:
はっきり覚えてませんが、まあ言っていてもおかしくないなと思います。
上田氏:
『GRAVITY DAZE』なんかもそうですけど、外山さんは「新しいメカニクス」にこだわりますよね。ああいうところになんでこだわるのかというと、やっぱそういうゲームが好きだからですよね。
外山氏:
そうですね。なんでそれを目指すのかといったら、やっぱりそういう新しいゲームに憧れたからです。
上田氏:
憧れてるんですね(笑)。
外山氏:
そうとしか言えないですね(笑)。
ヨコオ氏:
ゲームを作る人というか、なにかモノを作る人の本能的な何かな気がしますけどね。やっぱり何の新規性もないものって、目に入ってこないというか刺激を受けないですよね。
そもそもモノを作るのって、刺激を受けたいから作るわけじゃないですか。「刺激を受けるって何だろう?」というところを突き詰めていくと、自然と新規性が多くなると思います。
上田氏:
そこは「程度」もあるかもですね。どんなものだって「全く変わらない」ってことはたぶんないと思います。たとえば、同じRPGでも微妙にシステムが違ったりとかしているじゃないですか。
その差で「良し」とするか、それとも、根幹のメカニクスからまったく違うものじゃないと「嫌だ」と思うか。そこの差なんですかね。
どっちが「良い」というのはないんでしょうけど、さっき言った『レミングス』や『LittleComputer People』みたいな「触ることすらできない」ってすごく新しいじゃないですか。
そういう今までになかったような斬新な表現を「すごいなぁ」と思ってしまう作り手が、“新規性”みたいなとこにこだわっちゃうんじゃないですかね。
──そういうものがゲームとしての新しさの体験性ですよね。
『ICO』もゲームパートを分解したら「パズルゲーム」と言えてしまいますけど、それを「女の子の手を引っ張って助けながら進める」という要素が新しさを生んでいるんじゃないかと思います。
そういう発想って、どんなビジョンから始まるんだろうというのが気になります。
上田氏:
「他のメディアで表現できるようなことだけはしないように」、というのはつねに意識はしているんです。逆にそれで表現の幅が狭まるという部分もあって。そこにこだわりすぎて「つらいなぁ」みたいのはありますかね(笑)。
もう少し、映画や小説、漫画などで他の表現メディアでの手法だったとしても、もっと気楽に取り入れていいんじゃないかとも思うんですけど、「それじゃゲームにしている意味がないのでは?」と。
ヨコオ氏:
上田さんのゲームって、アクションやメカニクスがゲーム的にすごく新しいかというと意外とそうでもないんですよね。
むしろ、そこにきちっと「意味を付随させている」ことのほうがスゴくて。
「意味」と「アート」と「ゲームギミック」、それぞれに「そうでなければならない理由」がちゃんとあるんです。
たとえば「女の子の手を引く」が象徴的ですね。女の子といることがゲームの核になっていて、ビジュアルもそれをサポートするようにきちんとまとまっている。
そういう意味では、なんか「Appleっぽい」というか、「既存の機能をある体裁でまとめる」ことに価値を生み出しているという感じはしますね。
──なるほど。言われてみるとたしかにその感じは大きいですね。
上田氏:
でもそこって、けっこう悩ましいんですよ。「手をつなぐアクション」って狭義のゲームデザインに当てはめて考えると、「手をつなぐ」ことで何か「良いこと」がないといけないじゃないですか。
ヨコオ氏:
「手をつないでいるあいだは体力が回復する」とかですね(笑)。
上田氏:
狭義のゲームデザインセオリーから考えるとそうしたほうがいいはず。
ヨコオ氏:
普通はしたくなりますよね。
上田氏:
いまでこそ、そういうセオリーから外す表現も増えてきましたけど、当時は「ゲームデザインとはこうだよ」「レベルデザインとはこうだよ」と、よくつっこまれた記憶があります(笑)。
──それでも、「女の子の手を引いて歩く」アクションって、ゲーム的なメリットのあるなし以前に“ちょっといい”じゃないですか(笑)。体験的な気持ち良さといいますか。
ヨコオ氏:
たしかに(笑)。
──上田さんのゲームの凄さって、あの「いい感じ」にあると思うんです。いわゆる狭義のゲームデザインという概念ではない、でもゲームじゃないと表現できない、“いい感じ”。それは手触りでもあるし、体験性でもあって。
外山氏:
「『人喰いの大鷲トリコ』のトリコに餌をあげる」アクションなんかもそうですよね。
上田氏:
僕のゲームの中で、正面から「ゲームでしか表現できないものって何?」って言われるとそんなにあるわけじゃないと思います。
一方で、「それが正解かどうかはわからないんだけど、他ではできないもの」を消去法的にやっていった結果、それだけしか残らなかったみたいな感じが近いと思います。
ヨコオ氏:
『ICO』でいうと、僕がいちばん好きなのは「セーブするとき、手をつないでベンチに座る」というギミックですね。
僕はあれを見たときに、「もうほんとこの人頭おかしい」と思いました(笑)。
一同:
(爆笑)。
ヨコオ氏:
褒め言葉ですよ(笑)。そのゲーム的な意味がなさすぎて震えたんですが、逆にそれがすごく好きになったんです。意味はないけど、それでも「女の子と座りたいし」と思えてしまう。
上田氏:
いまならやらないかも(笑)。セーブするのが煩わしいという側面もありますから。
外山氏:
いまだったらやらないんですか(笑)。
上田氏:
たぶん、当時は「セーブポイントとはなんぞや?」みたいなところから考えていたんだと思います。本来なら何かに触れたら「セーブしました」でよかったのかもしれないですが、ゲームをまったくやらない人からすると、言葉でいわれても「セーブって?」となりそうで。それで世界設定的にも違和感のないような表現にしたいってのがあったんです。
ヨコオ氏:
けどこれって、ゲーム全体に意味として寄与してるんですよね。
上田氏:
合理的に考えたら、手をつないだらパワーアップしないといけない。だけど、「そうじゃないからいい」と感じてもらいたい。
──メニュー開いてセーブだったら違いますもんね。
ヨコオ氏:
そうですね。ヨルダとの関係をそこで示して、それが積み重なって最後に至るんです。だから最終的には意味があるんですけれど、プレイしている最中はわかんないんですね。
──セーブみたいな当たり前のアクションがこんなに印象に残るゲームって、『ICO』ぐらいだと思うんです。
ヨコオ氏:
「他がないから」な気もしますけどね。『ICO』って、基本的にはすごいストイックに作ってあるじゃないですか。だから余計に、変わったところがパッと目に入ってくるんです。
上田氏:
そうかもしれません。砂浜を歩いた感じとか、手つないだ感じとか、ヨルダのしぐさとか。
でも言葉だとひと言で済むのに、それをジェスチャーや醸し出される雰囲気で伝えようとすると、めちゃくちゃ工数かかるんですけどね(笑)。
「セーブしますか?→YES・NO」でいいところを、主人公が座ったら、ソファまでヨルダをパスファインディングで移動させてポジションを合わせて、そこで座らせると。そこまでするとなれば、やっぱりお金も時間もかかりますよね……。
ヨコオ氏:
ですよね。
「パッと見で差がない違い」に対してこだわるのか、こだわらないのか?
──今日の取材のために『ICO』を復習してきたんですけど、『ICO』の「手をつないで歩く」動きってやっぱり今見てもすごく自然に見えるんですよ。
「仲間がついてくる動き」っていまどきの3Dゲームでも自然に見せるのはかなり難しいと思うんです。「いかにもAIで動かしてます」みたいなぎこちなさが出てしまいがちなので。
あの自然さを出すのに、どういう苦労があったんでしょうか。
上田氏:
モーション単体の話とはちょっと違いますが、操作した時の“感触”という意味ではまだまだ満足できてはいないんですよ。『プリンス・オブ・ペルシャ』や『バーチャファイター』みたいな優れたゲームって、“脳に手触りが残る”んですよね。でも、『ICO』はそこまでは至れてないと思っているんです。
手をつないで、ちょっとだけアクロバティックな操作をしたときに、引っ張られて外れる。で、またつなぐ。それがコントローラーを操作したときの「手触り」として、プレイヤーに脳裡に残るようなところまで持っていきたかったという気持ちもあります。
──そうなんですね。それでも十分すごいところまで行っていると思いますが。
上田氏:
手をつないでコントローラーがブルっとして、「あの感触が良かったです」という感想も多くいただいていたので、結果的には満足していただけたのかなとは思ってはいるんですが。
とはいえ、本心としては「まだまだなんだけどな」と思うのが正直なところです。いまだったらもっと良いものが作れるはずなので(笑)。
──ちなみに手をつなぐところって、どのように制作を進めていったんでしょうか。
上田氏:
一応仕様っぽいものは書いたんですけど、プログラマーの後ろについて「もう少しこうして」と指示を出したり、それに合わせて自分でもモーションを修正しながら作っていきました。
パッと見で差がない違いに対してこだわることが正解なのか、それともそこはもうスルーしてやったほうがいいのか。それについてはいまでもまだどっちが正解なのかわかってないです。
ヨコオ氏:
上田さんにはその「差がないところ」にこだわってほしいと思いますけどね。
外山氏:
僕もそう思います。
上田氏:
これは長年の悩みでもあるんですけど、「目が肥えていく」のってディレクターとしては絶対必要じゃないですか。だけど、あまり目が肥えすぎるとプレイヤーの目線とかけ離れすぎてしまうし、差がわからない違いにコストをかけすぎても制作はいつまでも終わらないですよね。
とはいえ、目が肥えていないと品質の高さを保証できない。
ヨコオ氏:
僕としては、もう永久に突き詰めてほしいし、磨かれた作品であってほしいなぁと思いますよ。
それは『ICO』を見て僕が路線をシフトした方向が、磨かれたものではなくて、「荒々しくていいもの」を作ろうと思ったからこそです。
磨き上げる代わりにたくさんのいろんなものが入ってガチャッ!としたのが僕の作品の方向なので。上田さんのセンスでこちらの市場に参入されると、僕のやつは単にガチャガチャしているだけになるので、こっちに来ないでほしいです……(笑)。
上田氏:
いやいや……(笑)。