中国では『スーパーマリオ』からマリオが消える!? パチモノゲーム界の雄・麟閣氏が目撃したアジア禁断の模倣品文化と驚愕の現地エピソード「後頭部に銃を突きつけられた」

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 去る9月某日、大阪のとある場所で、いかがわしさに満ちあふれたゲーム系の催しが開かれていた。その名も“麟閣的家庭用電子遊戯活動!(超級)”。
 この“麟閣”というのは、この日のナビゲーターにして、日本屈指のパチモノ(模造品)ハンター・麟閣氏@rinkaku89)のこと。じつはこの催しは、(あまり一般的には褒められたものでない)ビデオゲームのパチモノを愛でる人々が集う場だったのだ。

イベントの模様

 パチモノはおもに中国などで違法に製造され、でたらめなパッケージや、でたらめな改変をくり返されて流通する。過去に中国デベロッパーへのインタビュー記事などで名前が登場しているパチモノファミコン小覇王はまさにその一例で、中国では正規にファミコンが流通していなかったから、パチモノハードが作られ、ソフトも違法なコピーがくり返されてきた。
 その結果、30年前の中国では、たとえば『スーパーマリオブラザーズ』(以下、『スーパーマリオ』)が恐ろしい普及のしかたをしていたのだ。

 ……と文字に書いてもよくわからないだろう。具体的な例をまず麟閣氏に解説いただいた。


――では麟閣さん、よろしくお願いします。パチモノはどういった経緯で製造・流通するのでしょうか?

麟閣氏:
 中国でファミコンが流行ると、まずフト不足が問題になるんですね。

イベントでの麟閣氏。「ちょっとパチモノをこじらせちゃってるんで」とはにかむ男前

 そこでコピー品が出回るんですが、そもそも日本の純正のカセットカートリッジなどは値段が高く、業者は到底用意できません。そこで、“カセットカートリッジのコピー”を作るわけです。最初は比較的そのままのコピー品を作るので……こんな感じです。

日本語のラベルだが、カセットの色も形もめちゃくちゃ。たとえ表のラベルが同じでも、裏の文面が違っていたりして、それをバージョン違いとみなすと、パチモノ集めの沼から出られなくなる

麟閣氏:
 こんなふうにラベルに日本語が書いてあれば中国の人は「これはいいものだ」と安心するんですね。でも、これなんか見てくださいよ。カートリッジの上部を。

にんふぇむどう……。うーん(笑)

麟閣氏:
 やがて業者が調子に乗ってコピー品を作り続けているうちに、任天堂に見つかって怒られます。怒られると、「この“ファミリーコンピュータ”という文字を英語にすればバレないのでは?」と考えつきます。そして、『スーパーマリオ』というタイトルも消します。

タイトルが消え、あったところにCASSETTE(カセット)の文字が! まあCASSETTEには間違いないが……

麟閣氏:
 だけど任天堂に、まだ「“FAMILY COMPUTER”って書いてあるじゃん!」と怒られます。そこで書き換えて、「これはTVゲームカートリッジです。ファミコンじゃないからセーフ!」と主張します。

なんとも言えない微妙な色のカートリッジ。上部の表記が「TV GAME CARTRIDGE」になっている

麟閣氏:
 そのうちにそれさえも消えて、「これはカセットビデオゲームです」となります。

下にFAMILY COMPUTERが復活している(笑)

麟閣氏:
 でも、やっぱり「マリオ」なので怒られるんですね。だからイラストからマリオを消します。

“超級”は、『スーパーマリオ』の「スーパー」を指す

麟閣氏:
 でも「スーパー」なんて書くから、なんとなくバレてまた怒られます。その結果……誰もいなくなります。

えっ!?

麟閣氏:
 「誰もいないから、これは『スーパーマリオ』じゃないよ」と主張します。中国あるあると言いますか、“ヤバいものさえ消してしまえば大丈夫”という思考ですね。で、「それ、いいね!」という感じでさらに増殖します。

――たくましいと言うか、何と言うか……。

麟閣氏:
 この一連の変化は、たぶん1年以内とか、すごいスピードで起きていたと思うんです。それでも「カートリッジは高い」と、ひとつのカートリッジにたくさんのゲームが入った、いわゆる『○○ in 1』が誕生するんですね。僕が初期の『○○ in 1』で好きなのは、これです。

――なんだろう? このイラストすごくかわいいです……。『テトリス』のブロックに足が生えている……。

麟閣氏:
 「35合1」は“1本に35のゲームが入っています”という意味ですが、じつは4作品しか入っていません。マリオがたくさんいる状態でスタートできたり、先のステージからスタートできたりだけでも1本に換算しているんですよね(笑)。

――水増し感満載ですね(笑)。

麟閣氏:
 初期のころはこの手のものばかりで、それが爆発的に人気になります。あとは、こういうものもあります。

――あれ? これってHuCARD【※】っぽいデザインじゃないですか?

※HuCARD
PCエンジンに標準採用されていた、三菱樹脂とハドソンの共同開発によるカード型メモリー(ソフト)「HuCARD(ヒューカード)」。クレジットカード大で持ち運びに便利なのが特徴。

麟閣氏:
 そうですよ。でも“アタラシイ テレビ ゲーム”という名前なんです。

――(笑)。

麟閣氏:
 昔は『4 in 1』、『8 in 1』程度でしたけど、いまや『400 in 1』で中身のダブりなしというものも当たり前にあります。

――技術の進歩ですね……って、感心しちゃダメなんですが(笑)。同じようなカートリッジでも、ゲームボーイやファミコン、メガドライブ、スーパーファミコンくらいまでのパチモノは秋葉原などでもまれに見かけましたが、ニンテンドウ64はなかったように思います。やはりコストがかかりすぎるからでしょうか。

麟閣氏:
 そうです。儲からないんですよね。もしかするとあったのかもしれませんが、僕は見たことがありません。スーパーファミコンのパチモノでさえ数は少ないですからね。

スクリーンのドット絵は麟閣氏のアイコンだ

 ああそうだ、スーパーファミコンの『鉄拳2』は、特殊なチップが積んであって、パチモノ作りが難しいという話を聞きましたね。

――ん、いまスーパーファミコンの『鉄拳2』って言いました!?

麟閣氏:
 『鉄拳2』はファミコンでもスーパーファミコンでも(中国でパチモノが)出ていますよ。

――あ、はい……。

麟閣氏:
 (中国の)メガドライブでは、『鉄拳 VS バーチャファイター』という(パチモノ)タイトルが出ています。

――え、あ、夢の対決ですね……。するとドット絵をわざわざ描き起こしているんですか?

麟閣氏:
 そうです。プレイステーションやセガサターンのソフトを無理やりファミコンに移植したものが多くて、当時はすごく流行っていたみたいですね。

写真はイベントの模様。麟閣氏の帽子が「超級」仕様!

 格闘ゲームにはそういうものがたくさんありました。スーパーファミコンの『ドラゴンボールZ 超武闘伝』をファミコンに移植したものや、プレイステーションの『ドラゴンボール ファイナルバウト』をメガドライブに移植したものなどもありますよ。

――もう、めちゃくちゃだ……。(本編へ続く)

 とまあ、およそ30年前から始まるこうした中国製のパチモノゲームを追い掛け、気づけばその筋では名高いパチモノハンターとなったのが麟閣氏だ。この麟閣氏、アジア各国を飛び回り、パチモノ好きが高じて中国に住んでいたなど、聞けばなかなか数奇な人生を送りつつ現在に至る。彼がどうしてパチモノハンターの道を目指すことになったのか、パチモノの魅力とは? 通常のゲーム趣味では立ち入ることのできない、深遠な話をじっくり聞いた。

 ……それから、この記事はいわゆる改造ゲームや、パチモノ制作を推奨するものでは決してない。あくまで、国が変わるとゲームにはこういう文化があって、それを趣味としておもしろがっている人々がいて……と紹介するものだ。

取材・文/小山オンデマンド、奥村キスコ


当日の会場入り口

『テトリス』との出会い

――麟閣さんがゲームのパチモノに目覚めたきっかけを教えてください。

麟閣氏:
 発端は中学生のときですね。今回のイベントで“人生を変えたソフト”として紹介した、この『テトリス』【※】が最初です。
 これは海賊版というか、勝手に作られたものなんです。……ゲームボーイの『テトリス』を遊んだことはありますか?

※テトリス
「落ち物パズル」ゲームの元祖で、世界でもっとも有名なコンピューターパズルゲームのひとつ。1984年にソビエト連邦(当時)のコンピュータ科学者アレクセイ・パジトノフ氏が開発したものがオリジナルとされる。正方形のブロック4つを組み合わせた7種類のテトリミノが画面上部からランダムで落下。フィールド内に積み上げ、横一列を隙間なく埋めるとラインが消え、得点となる。日本ではセガ・エンタープライゼス(当時)がアーケード版を、BPSがパソコン版とファミコン版を発売したことで広まり、1989年に任天堂から発売されたゲームボーイ版が爆発的な人気を博し、国内で424万本の出荷本数という記録を叩き出した。

――あります。長いことプレイしていました。

麟閣氏:
 そのうえで、BPS【※】が出したファミコン版の『テトリス』を遊ぶと……。

※BPS
「完璧なソフトウェア」という意味のBullet-Proof Softwareから名付けられた、かつて存在した日本のゲーム開発会社。『スーパーブラックオニキス』でファミコンに参入。『テトリス』シリーズを軸に『ハットリス』、『ヨッシーのクッキー』などパズルゲームを得意とした。2001年に解散している。

――操作方法がまったく違ってやりづらいですね。【※】

※ゲームボーイ版の『テトリス』は、╋ボタンの左右で移動、下でハードドロップ、ABボタンで旋回するが、ファミコン版は左右移動はそのままだが、╋ボタンの下を押すと左に回転。Aボタンを押すとハードドロップする。

麟閣氏:
 そうなんです。当時『テトリス』はとても人気があって、東京近郊の田舎町に住んでいた僕には手に入れづらい状況だったんです。

 それでもなんとか手に入れたんですが、それまでゲームボーイの『テトリス』をずっと遊んでいたために、ファミコン版はやりづらくてぜんぜん遊べず……。そんなときに近所の駅の地下にあった中古ショップに並んでいたのが、この『テトリス』なんです。

運命を変えたパチモノ『テトリス』

――ほほう(笑)。

麟閣氏:
 こんな『テトリス』は見たことないから、「何だろう?」と思いますよね。確か1980円でした。
 それから当時、さまざまなゲーム雑誌が売られていたなかに、「ゲームボーイ」【※】という雑誌があったんですね。

※ゲームボーイ……1985年から1994年までマガジンボックス社から刊行されていたゲーム雑誌。ファミリーコンピュータマガジン、ファミコン必勝本、マル勝ファミコン、ファミコン通信などの当時のメジャー誌に比べ、アングラ感の漂うコンテンツや広告を扱っていたことを特徴としていた。画像は1991年10月号のもの。
(画像は駿河屋より)

 これは通販ページに怪しい買い取りショップの情報が載っているような、ちょっとダークな要素がある、メインストリームから外れた雑誌だったんですが、この“なんだかよくわからない『テトリス』”からその雑誌のニオイがして……思い切って買ってみたら、意外に遊べたんですよ。

――操作方法は、ゲームボーイ準拠だったんですね。

麟閣氏:
 そうです。だから遊びまくったんです。

 だけど「こんなものがあるんだ!」と思ったのに、世の中にまったくこの怪しい『テトリス』の情報が出ていない。かすかにその「ゲームボーイ」か何かの雑誌に、「台湾や香港にある」と書かれていたことを覚えていて……。
 ちょうどそのころ家族旅行で台湾へ行ったので、街を探してみたんですが、見つからなくてモヤモヤしていたんですね。

――謎めいていたぶん、突き詰めたくなってしまったと(笑)。

麟閣氏:
 一方、僕は、大学時代にバックパッカーとして気軽に海外を旅していたんです。

――ほうほう。おもにどういうところへ行っていたんですか?

麟閣氏:
 中華圏、とくに香港とタイです。すると、店先に“○○ in 1”が並んでいたので、「やっぱり香港か台湾にあの『テトリス』はあるはず」と確信しました。

 自分で足を運んで発見できたので、それが旅好きな部分とリンクしたと言いますか。

――それがきっかけで、旅をしながらゲームを集め始めると。

麟閣氏:
 でも、集めるのとはちょっと違うんですよ。決して収集が目的じゃない。
 なんというか……売っている店を見つけて、「あった!」と喜ぶだけでもしかすると満足なんです。その場では、厳選して何かひとつを買って帰るだけでもいいんです。

――なるほど。コレクター気質とは少し違いますね。それで「パチモノコレクター」ではなく、「パチモノハンター」なんですね。でも、その努力の成果を形に残したくなりませんか?

麟閣氏:
 そこはですね……かつてWindows95時代に、ホームページを作るのが流行りましたよね? 僕もGeocities【※】に自分のページを作ったんです。本名でのページを作ると同時に、パチモノゲーム専門のページ…… “麟閣頁”というものを作りました。

(画像は麟閣頁より)

※Geocities
アメリカのYahoo!が運営していた、もしくはYahoo! JAPANが運営している無料のウェブサイト提供スペースのこと。

 以来、そのまま引越もせず、じつはそれが来年で20年目になるんです。しかも、いまもたまに更新しているんですね(笑)。

――ああ、それはすばらしい。なぜ“麟閣”なんでしょう?

麟閣氏:
 麟閣は、僕の好きなバンド「UNICORN」【※】の中国表記です。僕はアジアが好きだし、アジアを旅して見つけたものをなんとなく紹介していこうと決めて……。
 要するに、自分のページのネタのため、アジアへ行くたびにゲームを探して、写真を撮っていたんです。ですからそれほど現物を手元に置いておく必要がないんです。

(画像は麟閣頁より)

※UNICORN
1986年に広島にて結成し、翌年、アルバム『BOOM』でメジャーデビューを果たしたロックバンド。奥田民生がメインボーカルを務めている。1993年9月に一度解散し、その後16年間メンバー5人がそれぞれのソロ活動を経て、2009年に再結成。それぞれ作詞、作曲、ボーカルを務めたり、演奏から寸劇まで“何でもあり”なライブを行うことでも知られる。

 本名名義のページではアンコールワットなどの遺跡や世界遺産巡りがメイン。麟閣名義のページではそういう場所へはいっさい行かずに市場でゲームを探す、という区別をしていました。
 そうやって頭を切り替えて区別することで、“麟閣”であるべき姿を作り上げていった感じです。

――パチモノ探しは旅のオマケから始まったんですね。

麟閣氏:
 でも、いまは探すのがおもしろくて、けっこう逆転していますね(笑)。

活動について

――今回の“麟閣的家庭用電子遊戯活動!(超級)”のようなイベントは、過去にも催されているんでしょうか。

麟閣氏:
 “麟閣的家庭用電子遊戯活動”は昨年に一度催して、今回で2度目です。今回は大きな会場でしたが、もともとは大阪・日本橋にあるゲームショップ、ゲーム探偵団の皆さんがやってらっしゃる“ゲーム探偵団BAR”という枠組みで、“麟閣BAR”という催しを不定期でやってきました。

――それを何年程度?

麟閣氏:
 2015年の11月あたりが最初だったと思います。2014年までは僕が中国に住んでいたので。そこから3ヵ月に1度くらいのペースですね。

――中国に住んでいたのは、お仕事をされていたからですか? それとも趣味が高じて?

麟閣氏:
 自分の趣味活動を心置きなくするために、中国に住むにはどうしたらいいかを考えたら、“仕事をするのがいちばんいい”という答えに行き当たりました。

――あ……なるほど(笑)。それから、人前でもしゃべり慣れていると感じました。

麟閣氏:
 日本でした最初のアルバイトからして接客業でしたし、中国での仕事で、たくさんの人を前に話す機会も多かったからじゃないですかね。あまり緊張しないタイプなので、準備さえきっちりしていけば大丈夫ですね。

――中国語も、さぞかし堪能なんでしょう。

麟閣氏:
 いえ。中国に住んでいる日本人から、「そのレベルでよく10年以上も住んでいたね?」と言われるレベルです(笑)。

――えー(笑)。

麟閣氏:
 発音もよくないし、文法もよくわかっていません。でも、ゲームを買いに行ったり、ご飯を食べるうえではまったく問題ありませんから。英語も中学生レベルですよ。

――それでもアジアを漫遊してしまえると(笑)。

麟閣氏:
 ガイドブックに載っている、「こんにちは」、「さようなら」、「ありがとう」、「おいしい」と1~10までの数字さえ覚えればなんとかなります。ご飯を食べて、「おいしい~」ってニコニコしていれば、本当に大丈夫。あとは、勇気さえあれば!

――おお。勇気づけられます。イベントでも、そういうポジティブさや、エネルギッシュに活動されている様子が印象的でした。その動機になっているものは何でしょうか。

麟閣氏:
 やっぱり、皆さんからの反響だと思います。
 ホームページにネタをアップすると、掲示板やメールで感想をもらえるのがうれしいですよね。それがイベントだと、書き込んでくださる方々と直接お会いできますし、感想とともに新しい情報も入ってくるんです。

 イベントには恐ろしくゲームに詳しい方や、何万本とゲームを持っている方も来てくださいます。もちろん、海賊版やパチモノに詳しい方も……。“麟閣”という名前があることで、みんなが集まってワイワイできるというのが楽しいんです。

――コミュニティーを楽しんでいるんですね。

麟閣氏:
 だってこの歳になって、こんなに気の置けない友だちができるなんて思っていませんでしたから!

――イベントに来ていたお客さんそれぞれが、ステージに立って話をする側になってもいいくらいの知識を持っていたように感じました。それこそ日本中のパチモノ好きが集まっているレベルで。

麟閣氏:
 本当にそうですよね(笑)。

旅の果ての転機

――そういうパチモノ好きのコミュニティ−は、どう形成されていったんでしょうか。もともと母体となるものがあったのですか?

麟閣氏:
 いまはすでにありませんが、20年くらい前にはありました。鶴見和昭さんというレジェンドの方が、“POSITIVE”という、パチモノをメインにした同人サークルを主催していたんです。

(画像はPOSITIVEより)

 鶴見さんはダンサーで、カッコいいのにパチモノが好きで、よくゲームラボ【※】で執筆もされていました。鶴見さんは日本でそうしたパチモノを楽しむシーンを切り拓いた方なので、僕は憧れていました。とにかく、ネタがおもしろかったんです。

※ゲームラボ
「バックアップ活用テクニック」という雑誌を前身に持つ、三才ブックスから刊行されていたゲーム情報月刊誌。家庭用ゲーム機のハードやソフトのハッキング情報を軸に、同誌名では1994年から2017年まで刊行されていた。

――たとえば?

麟閣氏:
 南アジア最大の海賊盤市場、タイのサパーンレック【※】へ行って、現地の混沌とした写真に猥雑な人間模様を書いた文章を添えたり。“リモコンで動く、ミニカーみたいなファミコン”とか、ムチャクチャなものがいっぱい紹介されていました。

※タイのサパーンレック
“バンコクの秋葉原”としても知られる、タイの首都バンコクにあったブラックマーケットのこと。各種電気製品をはじめ、ゲームやおもちゃ、フィギュアのコピー品を販売する店が林立。店舗数は500を超え、東南アジアでも最大規模の電脳街であったが、運河の公共スペースを不法占拠しているとして、2015年10月に当局により撤去された。

 それを読んでいた僕も「いずれはこういうものが欲しいなあ」と思い、鶴見さんのサイトを見たり、同人誌を買ったりしていくうちに、ご本人と連絡を取り合うようになり……。
 1999年の7月ごろ、鶴見さんが「タイに行くのでいっしょに行きませんか?」と誘ってくださって。それで初めてお会いしたんですね。

――初対面の場がタイ。

麟閣氏:
 現地で合流したんです。そこにロケットニュース24【※1】の編集長のGO羽鳥さん(@olymposgo【※2】もいらして。羽鳥さんともそこで初めてお会いしました。

※2 GO羽鳥
ロケットニュース24の現編集長。メーワクメール評論家、「マミヤ狂四郎」名義での漫画家としても知られている。著作に『絶対に返してはいけない迷惑メール、LINE乗っ取りにマジレスしてみた。』など。上記はGO羽鳥氏のインスタグラム。

※1 ロケットニュース24
株式会社ソシオコーポレーションが運営するウェブメディア。サイトのAboutページ曰く「くだらなくて、おもしろい出来事などを、8割くらいの力で」届けることをモットーとしている。

――濃いメンバーですね(笑)。それが学生時代。そして鶴見さんと交流を続けるうちに、社会人になるんですね。

麟閣氏:
 ええ。僕のひとつ上の先輩たちは、大学さえ出ればどんな会社でも入れたんですが、僕の年からは就職氷河期に突入してそれがウソみたいになくなって、とりあえずはフリーターになったんです。働いているうちに、そのまま社員になって、店長になって。

――しっかりお仕事をなさっていたんですね。

麟閣氏:
 それでも旅は続け、なんとか2連休をとっては深夜出発の朝帰りで韓国に出かけたりしていました。その会社で何年か働いていたんですが、その後倒産してしまい……。

――なんと。

麟閣氏:
 そのとき新しい就職先も斡旋されたんですが、「この退職は会社都合だから失業保険がもらえる」と考えてきっぱりと辞め、それまでは1ヵ月が自分の旅の最長期間でしたが、東南アジアに3ヵ月という長期の貧乏旅行をすることにしたんです。

――旅行欲が爆発したんですね。

麟閣氏:
 まず台湾に2週間、それから韓国に1週間滞在して、いろいろなパチモノを見つけ。あとはタイ、マレーシア、シンガポール、インドネシア、東ティモール、ブルネイ、ラオス、ベトナム、カンボジア……。

――……え! 東ティモールやブルネイにもパチモノはあるんですか?

麟閣氏:
 麟閣頁の中に、“アジアコンプ計画”という記事があるんですが、そこに記録を残しています。

(画像は麟閣頁、アジアコンプ計画のページより)

 僕が訪れたのは、東ティモールが独立して1~2年くらいのときでしたが、陸路で入国できるという話を聞いて「ちょっと行ってみようかな」と思って……。僕は国境好きなので(笑)。東ティモールでパチモノを見つけて、それで遊んでいる子どもたちも実際に見てきました。

――それはファミコンのパチモノなんですか?

麟閣氏:
 基本的にはそうです。もちろんブルネイにもありましたよ。

――おお……罪深きはファミコンのパチモン。

麟閣氏:
 そうして帰国まであと2週間となったときにベトナムに入ったところ、たまたまバスでいっしょになった日本人の方と意気投合。
 その方がきっかけでまた新しく日本人と会って、みんなでご飯を食べたりしていたなかに、転機になった日本人女性がいたんです。

――……どういう転機でしょう?

麟閣氏:
 現地の旅行会社で働いている女性だったんですね。それまで「海外で働く」ということは、日本から出張していたり転勤したりという、選ばれた人のイメージがあったんですが、その女性は現地採用されたそうなんです。「お給料は安いけど、現地に住んで働けるのよ」と教えてもらって。

――その女性はベトナム好きで、言葉もペラペラだったと。

麟閣氏:
 いや、彼女はそれほど現地の言葉が話せるわけではなかったんです。そういう彼女を見て、気合いというか、その気持ちがあれば海外でやっていけるんだということがわかりました。

 ですから、その3ヵ月を終えて帰国したあとも、僕には海外で働いてみたい気持ちがくすぶっていたんです。

――そうなりそうですね。

麟閣氏:
 やっぱり長期旅行のあいだはお金が減っていく一方でしたが、現地で働けばお金は入りますし、仕事の時間だけガマンすれば、終わった瞬間から海外旅行ですから(笑)。

 仕事が休みの日は1日中フラフラできますし。そんなことを考えながら、いろいろインターネットで探してみたら、中国の大連にそういう仕事があったんです。そこで、まずは1年続けるつもりで働きに行きました。

――続いたんでしょうか?

麟閣氏:
 給料が安いうえに現地で生活するわけですから、辛くなって逃げ出す人が多いらしいんですけど、僕の場合は好奇心のほうが上回っていたので、1年のつもりが2年になり、3年になり……。
 ところがある程度出世してしまうと、当初自分が考えていた“生活を楽しむ”という目的がなかなか果たせなくなってきたんです。そのころちょうどプライベートでもいろいろあったので、3年半で辞めて一時帰国しました。

――お疲れさまです。でも「一時帰国」ということは……。

麟閣氏:
 続いて上海に事務所を持つ日本の企業を見つけたので、そこへ行きました。ですが、そこも勤めて半年くらいに起きた台湾の大地震が原因で、事務所が閉じられることになったんです。
 日本の事務所で働くお話もいただいたんですが、知り合いが別の仕事を紹介してくれたので、そのまま上海に残りました。

――あくまで中国に身を置くのがよかったと。

麟閣氏:
 ええ。新しい仕事は「自分にできるかな?」と思うようなものだったんですが、これが意外にハマって(笑)。
 気づけば7年ちょっとが過ぎ、仕事は楽しんでいたのですが、またプライベートな事情があり、本格的に帰国したというわけです。

――それが2014年のお話で、いまも引き続き日本に留まっているということですね。

鶴見さんがしてくれたことを、今度は誰かに

――パチモノを楽しむイベントに加え、パチモノを探しに海外へ行くツアーも募っていらっしゃいますね。

麟閣氏:
 思い立ったらTwitterに書き込んで、みんなで何かするという感じです。ですから僕のアカウントをフォローしてくれている人に向けているだけですね。「僕はここへ行きますが、行きたい人いますか?」という感じです。

 その昔、鶴見さんに誘われてタイに行ったときが、本当に楽しかったんですよ。観光地なんてほとんど行かないで、鶴見さんの案内でゲームショップを巡って。あとはタイのどうでもいい情報を教えてもらって。

――どうでもいい情報?

麟閣氏:
 たとえば、「ここは有名な祠で、いま仏像にお祈りしている女性がいますけど、ほとんどは夜の商売の人ですよ」とか。ガイドブックに絶対に載らないような話(笑)。

――(笑)。そんなことされたらいっぺんにハマっちゃいますね。

麟閣氏:
 それがあまりにも楽しかったので、いずれ僕が誰かにやってあげたいと思っていたんです。だから、いまでもご飯がおいしい店とか夜景がキレイな場所とかはぜんぜん知らず、いつも行きあたりばったりです(笑)。

命がけのパチモノ探し

――そういう旅路で、危険な目に遭ったことはないんですか?

麟閣氏:
 銃口を突きつけられたことがありますよ。

――うわあ! それはどちらで……。

麟閣氏:
 タイとカンボジアの国境です。バックパッカーが陸路で使う大きな国境があるんですが、そこはすでに通ったことがあり、“外国人が通れるようになったばかりの国境がある”という話を聞いてそこへ行ったんです。国境好きとして(笑)。

――行かざるを得ませんね(笑)。

麟閣氏:
 ところがそこは地元の人ばかりで外国人はおらず、むしろかつてポル・ポト派【※】がいたような地域で、“地雷注意”の看板がある脇を通るようなところでした。

※ポル・ポト派……20世紀半ばに存在していた、政治家ポル=ポト(写真右から2人目)を最高指導者とするカンボジアの政治勢力、及び武装組織を指す。1976年の政権樹立以後は、大量虐殺をともなう恐怖政治を敷いた。数多の内戦、戦争、政治劇を経たのち、1998年のポル=ポトの死去を受けて没落。翌年1999年までに、大半の主要メンバーは投降、あるいは拘束された。クメール・ルージュとも呼ばれる。
(画像はFototeca online a comunismului românescより)

 国境が近づいてくると検問が増えるんですが、そこでクルマから「降りろ」と言われて。降りた瞬間に後頭部に銃口を突き付けられて、「パスポートを見せろ」と。見せたら、「なんだ日本人か。じゃあ通ってよし」となりましたが。

――よかった……。

麟閣氏:
 3ヵ月も旅をしていたから、髪もヒゲも伸び放題で、日に焼けた顔にボロボロのTシャツ、汚いバッグを抱えていたので、ベトナムからカンボジアに逃げようとした人と間違えられたらしいんですね。
 銃口を外してもらい、「Sorry」と言われて解放されたんですが、もうそのときは足の震えが止まらず。

――いや、止まらなくて普通だと思います。それもパチモノ探しの道中ですか?

麟閣氏:
 そうです(笑)。バックパッカーって、旅を続けるなかで荷物を減らしていくものなんです。でも、僕の場合はゲームソフトを探しているので、どんどん荷が増えるという。
 あちこちの店でパチモノが並んでいるのを見るとぜんぶ欲しくなるんですが、滞在費まで食い込まないように厳選していたんです。

 だから、その旅の最後に訪れたカンボジアとベトナムではタガが外れました。ゲームソフトでパンパンの袋を大事にお腹に抱えて(笑)。

――あー、その姿が目に浮かびます。

麟閣氏:
 あとは、香港の銀行で両替をしようとしたときに、言葉の行き違いで警備員に囲まれたことがありました。いっしょにいた友だちが、あとで「さっき銃を突きつけられてたよ」と教えてくれました。窓口の人と必死で話していたので、気づきませんでした(笑)。

――いや、ホントにご無事でよかったです。そういう怖い思いをすることもあるのに、飛び込んでいけるのがやっぱりすごいですね。

麟閣氏:
 うーん、帰れる場所が日本にあるから、「何があっても大丈夫だ」と思えるんですよね。非常事態の対処として、とりあえずは「日本大使館の場所を覚えておこう」とか、「警察に駆け込めばいいや」とか。
 別に言葉はしゃべれなくても、表情でアピールすればいいわけですし。

――割り切っているというか、絶対的な確信を持っているんですね。

麟閣氏:
 昔、初めてひとりで香港を旅したとき、何のトラブルもなく、自分の好きなことができたという経験が大きいと思います。

――そこで「これなら世界中でもひとりで行ける」という度胸がついたんですね。

麟閣氏:
 そうですね。最初は2泊3日だったので、それがイケるなら1週間。1週間がイケたから10日行こう、みたいな感じでどんどん期間も伸びていきましたね。

――長期のひとり旅について、ご家族は心配されませんか?

麟閣氏:
 何も言いません。もともと父が旅行好きで、2~3年に1度は家族で海外旅行をしていましたし、僕が小さなころから旅の話を聞かせてくれました。
 ですから「ちょっとタイへ行ってくるわ」と言っても驚かれませんし、「来週から中国で働くから」と打ち明けたときも、「どこ行くの?」、「大連」、「へえ、近いね。まあいいんじゃない?」と(笑)。

――事後報告で「大連で働く」と伝えて、「近い」と言える感覚をお持ちのご家族はなかなかめずらしいと思います。でもまさか銃口を突き付けられているとは思っていないでしょう。

麟閣氏:
 そうですね(笑)。

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