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インベーダーゲームを足でプレイしていたら “人生勝ち組”の仕組みに気づいた慶應義塾大学教授

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Apple IIで自作したゲームを、秋葉原のショップに買い取ってもらった

――では『スペースインベーダー』を通じて、改めてコンピューターに関心を持たれたのですか? 

冨田:
 『スペースインベーダー』は、僕が授業でやったコンピューターとは、見た目もおもしろさもぜんぜん違うんだけど、これもやっぱりプログラムで書かれているんだと聞いて。

 『スペースインベーダー』を遊んでいて、いろいろ思っていたんですよ。難易度が元に戻らないで、もっと果てしなく難しくなればいいのにとか。少なくとも5ケタのスコアをもう3ケタ増やすだけでも、もっとチャレンジングなゲームになるのにとか。そのためには、プログラムを変えなきゃいけないと。

 それが僕のモチベーションになって、大学の授業では興味を持てなかったコンピューターのプログラムを、もう1回勉強してみようと思って。Apple II【※】っていう、パソコンのはしりみたいなものが出たときに、いち早く買って、プログラミングを自分で勉強しました。

※Apple II
スティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズによって生み出され、1977年にアップルから発売された、世界初のパーソナルコンピューター。1970年代後半から日本でも輸入販売されていた。
(画像はWikipediaより)

――それでコンピューターゲームを自作されたわけですね。

冨田:
 最初に作ったのは『ウルトラブロックくずし』っていうもので。これは普通のブロックくずしなんだけど、インベーダーみたいにだんだん下りてくるので、うかうかしてると大変なことになるっていう、比較的単純なゲームでした。

 その次に作ったゲームは『ザ・スキーヤー』っていうんですけど、これは今でも画期的だと思っているのは、3次元なんですよ。当時のスキーヤーゲームっていうと、画面に2本のポールが出てきて、その間をスキーヤーが通り抜けていくイメージだったんです。でも僕が作ったゲームでは、スキーヤーは画面のどこにもいなくて、そうすると目の前にポールが迫ってきて、それを通り抜けていくという形になっていて。

――いわゆる一人称視点の3Dゲームを、Apple IIで作られていたわけですね。

冨田:
 そうなんですよ。だから画期的だと、自分では思っているんですが(笑)。それでゲームを作ったら、秋葉原まで売りに行ったんです。秋葉原のマイコンショップと交渉して、ゲームを買い取ってもらったんですね。

 当時は、ソフトウエアなんていう実体がないものに、お金を払うって概念がなかったんです。ソフトウエアをお金で買う人は、誰もいなかった。だからマイコンショップに買い取ってもらって、ショップの側は「ウチでApple IIを買うと、このゲームをタダであげますよ」っていう、販売促進に使ったんですね。

――なるほど。パソコン黎明期ならではのビジネスですね。

冨田:
 最初はBASIC【※1】から入ったんですけど、BASICで書いたプログラムは、絶対に売れないんですよ。あれは誰でも書けますから。Apple IIにはミニアセンブラっていうのが付いていて、要するに機械語【※2】ですね。機械語で書くと10倍から20倍は速いじゃないですか。

※1 BASIC
コンピューターを動作させるプログラムを記述する、プログラミング言語のひとつ。1980年代には、BASICは初心者向けのプログラミング言語としてパソコン本体に内蔵されるなど、広く普及していた。

※2 機械語
コンピューターのCPUが直接実行できる、数字で構成されたプログラム。機械語によるプログラミングという場合、アセンブリ言語と呼ばれる簡略化されたプログラミング言語による記述を指すことが多い。1980年代前半のパソコン雑誌には、16進数の数値が延々と並んだ機械語のプログラムが掲載されていた。

――『スペースインベーダー』をプレイする側から、今度はゲームを作る側に回られたわけですよね。冨田さんはそのまま、ゲームを作る道に進むことは考えなかったのでしょうか? 任天堂の故・岩田聡前社長などはまさに、今お話にあったのと同じようなところから、ゲーム業界のパイオニアになられたわけですが。

冨田:
 うーん。だからちょっと時代が早過ぎたっていうか、今で言うゲーム業界みたいなものがなかったですから。当時、『月刊アスキー』【※】っていう雑誌があったんですけど、あれが唯一の業界みたいなものでしたからね。僕も大学生の時からそこで記事を書いたりしていたので、そういう意味では業界にいたのかもしれないけど。

※『月刊アスキー』
1977年に創刊されて、日本のパソコンの発展を支えた雑誌のひとつ。誌名変更などを経て2010年に休刊。ちなみに、『月刊アスキー』の別冊として誕生したパソコンゲーム雑誌が『ログイン』であり、その家庭用ゲーム紹介コーナーが独立して創刊されたのが『ファミコン通信』(現・『ファミ通』)である。

 先ほどもお話ししたように、そもそもソフトウエアがお金にならなかった時代ですから。自分自身でマイコンショップの店員と交渉して、ゲームを1つ作って60万円とか、70万円とか。あとはApple IIで、世界で初めてパソコンで漢字を表示できる『Apple漢字システム』というのを作ったんですけど、あれは200万円ぐらいで。

 だから大学生の小遣い稼ぎとしてはけっこう良かったんですけど、これで本当に食っていくのか、って。現在ならソフトウエアの会社があって、会社を経営したり、開発者を支援してくれたりする人がいるのかもしれないですけど。

――ちなみに、その頃に制作されたゲームは今、手元にお持ちなのですか? 

冨田:
 これがですね、Apple IIのペラペラのフロッピーディスクだから、中身が全部飛んじゃってて(笑)。本当に残念なんですけど。誰か今でも持っていてくれたら、お金を出してでも買いたいぐらいですよ。『漢字システム』とか、どこかに残ってないですかねぇ。

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