作家の冲方丁氏といえば、『マルドゥック・スクランブル』をはじめとするSF・ファンタジー作品はもとより、『天地明察』『十二人の死にたい子どもたち』といった多彩なジャンルの小説で活躍している人物だ。
冲方氏は『蒼穹のファフナー』や『攻殻機動隊ARISE』、『PSYCHO-PASS』(第二期~第三期)といったアニメでもシリーズ構成や脚本を手がけており、アニメファンからの信頼も厚い。また、冲方氏は過去にゲーム業界で働いていた経験があり、日本最大のゲーム開発者向けカンファレンスである「CEDEC 2014」では、基調講演も行っている。それだけに電ファミニコゲーマーの読者でも、冲方氏やその作品になじみのある人が多いだろう。
そして今回、冲方氏の聞き手を務めるのは、ニッポン放送アナウンサーの吉田尚記氏だ。吉田氏はラジオパーソナリティとして活躍するだけでなく、各種アニメイベントの司会進行などでも広く知られており、アニメファンからは「よっぴー」の愛称で親しまれている。
じつは今回、吉田氏が聞き手を務めているのには、特別な理由がある。
電ファミニコゲーマーではAmazonと協力して、インタビュー取材の模様をはじめとした音声コンテンツを、Amazonのオーディオブック「Audible(オーディブル)」で配信することになった。
そこで“声のプロ”である吉田氏とコンタクトを取ったところ、吉田氏自身が興味を持つゲストを迎えてそのお話を聞くという、ラジオ番組的なスタイルの企画が実現することになった。そのため今回の内容は、このWeb版の記事だけでなく、Audibleの音声コンテンツとしても楽しむことができる。
ちなみに冲方丁氏は、以前から吉田尚記氏と親交があり、吉田氏自身によるアポイントメントで、今回ご登場いただいた。
そんな新たな試みとして形で実現した今回のインタビューだが、収録は新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が発令されていた2020年5月だったため、直接対面する形ではなくリモート形式で行われた。しかし、そこはアナウンサーである吉田氏によって、特殊な環境を感じさせない見事な進行となっている。
吉田氏自身が“雑談”というだけあって、今回の収録は事前に特に内容も決めずに始まったのだが、その話題はじつに幅広い。
作家・脚本家である冲方氏ならではのエピソードや、少年時代を海外で過ごした冲方氏から見た日本語と日本文化について、そして日本と海外の小説観の違いから、ゲームと教育の関係まで、じつに示唆に富むものとなっている。
しかし何より興味深いのは、コロナ禍に見舞われた2020年の日本を洞察する鋭い言葉の数々が、冲方氏と吉田氏の会話の上ではあくまでも軽妙な、誰にでも分かりやすい表現で語られている点だ。これこそがまさに、吉田氏の言う“雑談”の持つ力だろう。
ここでは文字による記事として読みやすいものとするために、適宜、発言の語順を入れ替えたり、語尾などの言い回しを整えたりといった編集を行っている。だが、お2人の軽妙な語り口を存分に味わうためにも、Audibleの音声もぜひ併せて楽しんでいただきたい。
音声だけのラジオは、頭の中に映像が浮かばないと聴き続けられない
吉田氏:
今、Audibleで聴き始めてくださっている方、いらっしゃるはずですね。ニッポン放送というラジオ局でアナウンサーをしております、吉田尚記です。
アナウンサーというとネクタイを締めて、みたいなイメージがあるかもしれませんけど、僕はラジオパーソナリティと言ったほうがいいのかなと思います。
1回目でもあるので企画意図の話をしますが、ここがムダで、冲方さんの話を早く聞きたいという方は、ぜんぜんここは飛ばしていただいてかまいません。
一応説明すると、僕がクリエイターの人と飲み会とかで聞かせてもらっている話、それはムチャクチャ面白いのに、世の中にその話を聴けるフレームがどこにもないぞと思いまして。そういうものを届けられたらいいんじゃないかと、ずっと思っていたんです。
そうしたら「電ファミニコゲーマー」という、メチャクチャ濃い目の、おもにゲームを扱っていらっしゃるサイトがあって、そこにはインタビューがゴンゴン載っているんですね。
その電ファミさんとAudibleさんが何か新しい企画をやるよ、ということで、僕のところに企画を持ち込んでくださいまして。
「Audibleで音楽以外の音声をなんでも配信する」という話を相談いただいた時に、僕はラジオパーソナリティ、つまり雑談の専門家みたいな気持ちが、自分ではありまして。
その雑談は本を読んだぐらい面白いのだから、なんとかして有料で食えるようにならないと、こういう人たちの仕事が今後成り立っていかないぞ、と思いまして、今回の取り組みに参加させていただいたという状況です。
で、ここからは言ってもしょうがないボヤキではあるんですけど、「じゃあ、やるぞ」と態勢が整った途端に、コロナですよ。なので、普通にスタジオで録るつもりだったんですけど、それができないので。
今は僕、ニッポン放送の会議室にいて、誰も入ってこない状態にして、パソコンにマイクをつないでしゃべっているという状況なんですね。だから今日、お話を聞かせていただくクリエイターの方も、ご自宅……なのかな、仕事場なのかな、にいらっしゃって、パソコンの前にいるという状態なんですよね。
ということで、ここから出てきていただきましょう。冲方さん、お願いします。
冲方氏:
はい、よろしくお願いいたします。作家の冲方丁です。
吉田氏:
今一応、映像だけ、ビデオ会議アプリでつなぎながらなんですけど、冲方さん、めちゃくちゃリラックスモードですね。
冲方氏:
えっ、そうですか?
吉田氏:
髪を後ろでひとつにまとめて、めっちゃ部屋着ですよね。
冲方氏:
部屋着です(笑)。これは仕事着ですね、むしろ。1日10時間以上座っているので、身体をラクにしておかないと、壊れるので。
吉田氏:
たしかに。そして後ろに見えているのは本棚?
冲方氏:
そうです(笑)。リアルお家描写に今、なってますけど。
吉田氏:
ラジオって最終的に、映像が浮かばないと聴き続けられないんですよ。
冲方氏:
ほぉ、なるほど。たしかに。
吉田氏:
知っている人との電話って、いくらでもできるじゃないですか。あれは声色と、その人の視覚的刺激みたいなものが、完全にシンクロしているからなんですよね。
知らない人の音声をずっと聴き続けるのって、すごくツラいんですよ、じつは。
冲方氏:
へぇ~。
吉田氏:
なので、ラジオの聴取率にいちばん関わってくる数字って、他のメディアでの知名度なんですよ。それは単に有名で人気があるからということじゃなくて、一声発した瞬間に、その人の姿や形をイメージできるからなんです。
冲方氏:
なるほど。じゃあ吉田さんは、口頭でいつも描写されているんですね。
吉田氏:
そうです。口頭のイメージはわりと公知なものというか、その時代の人たちがみんな、いろんな人たちの声というものを共有マップとして持っている感じですね。
冲方氏:
じゃあ、すいません。せっかく我が家を描写していただいていたのに、恥ずかしくてさえぎってしまって(笑)。
優秀な作家や編集者は、酔っ払って盛り上がった席での話を覚えている
冲方氏:
“ステイホーム”って言われてもね、もう20年やってますからね。これ以上何をすればいいかなと思ったんですけど、特にやることがない。
吉田氏:
逆に言うと、打ち合わせとかで今まで、外に出ることが多かったんじゃないかと思いますけど?
冲方氏:
打ち合わせはしょっちゅう外に出てましたね。アニメの本読み、小説の打ち合わせ、なんやかんやのミーティングとか。逆にそれがさっぱりなくなったので、超快適です。
吉田氏:
今後もTV電話というか、こういうビデオ会議システムで全部処理してほしいと?
冲方氏:
昔から「Skypeミーティングでいいじゃないか」と、ずっと言っていたんですよ。
ある作品で、アメリカのチームと日本のチームで打ち合わせをしたんですけど、アメリカの人たちはみんなSkypeで参加じゃないですか。日本人だけ同じ会議室に集まってSkypeミーティングですよ。意味なくない? と思ってですね。
吉田氏:
どっかに1カ所、Skypeが入っちゃったら同じですもんね。
冲方氏:
ねぇ。「べつにみんなでSkypeをやればいいじゃないか」って言ってるんですけど。やっぱり日本人のみなさんはね、集まるのが仕事として大事だという意識が強かったんでしょうね。
吉田氏:
今回、強烈にその常識が変わりましたね。
冲方氏:
いやもう、素晴らしいことだと個人的には思っています。
往年の作家さんは「編集者と一緒に飲むのが半分仕事」みたいなことを強弁していましたけど、絶対仕事になってないと思うんですよ。
吉田氏:
飲んだら仕事にならないですから(笑)。
冲方氏:
作家を気持ちよくさせてね、酔っ払わせて、「先生、来月の原稿、お願いしますよ」「うぅ、わかったよ」とか言わせるために飲ませるっていうね。
それよりかは、オンラインミーティングで必要なことだけを話したあと、余談雑談は別枠でっていう。メリハリがついて、たいへん僕は快適ですね。
吉田氏:
そうですね。大人は理由がないと、ビデオミーティングをしないっていうのもありますからね。ここまでの話が本編、ここからはプラスアルファだよっていうのが明確になった感じは、たしかにありますね。
冲方氏:
ありますよね。僕はすごく気分が良いです(笑)。
吉田氏:
僕は、プラスアルファが非常に重要なラジオの世界で生きているので。ほとんどプラスアルファだけでできていますからね、ラジオって。必要な話はほとんどしてませんから。
冲方氏:
でも、先ほどおっしゃっていましたよね、「雑談の中に面白く光るものがある」って。僕もずっと思ってましたけれども。それをやっぱり汲み取る人と汲み取らない人とで、作家もだいぶ差が出ますよね。
メモを取る習慣がある人とない人で差が出るんじゃないかと、新人の頃はよく言われていましたけれども。酔っ払って面白くなって盛り上がった時に、その盛り上がった内容を覚えている編集者は、やっぱり企画力がありますね。
吉田氏:
あ~、すっごい分かる気がする。
酔っ払った時に内容を、普通はメモを取れば覚えられるんですけど、ナチュラルに覚えられる人もいて、その人たちは優秀な編集者だった、という感じですか?
冲方氏:
そうですね。酔っ払って盛り上がって話してるじゃないですか。その時にすかさずナプキンとかにメモして帰る人がいるんですよ。それで翌日メールが来て。「あっ、こんな面白い話をしてたのね。じゃあやろうよ」みたいな。そういうことがしばしばありますね。
あるいは、アニメの脚本のコンセプトとか、ちょっとシーンとかセリフとか、会議とかで一回緊張の場が解けて、「飯でも食いますか」という時にふと出てきたりするんです。だいたいそういうのは、僕はメモするんですね、その場で。
アニメの舞台挨拶で観客の表情を見て、続きの作品でのセリフのつなぎを変えていた
吉田氏:
『攻殻機動隊ARISE』【※】というアニメ作品があって、これは劇場公開されていて。舞台挨拶がけっこうな回数あったんですけど。
冲方氏:
ありましたね(笑)。
吉田氏:
そちらは冲方さんが脚本を担当されていて……あ、言ってなかったですけど、僕はアニメ・ゲーム・マンガのオタクを30年やっている人間なので(笑)、そういうものの司会をよくさせていただいていて。
いろんな劇場をみんなで一緒に回るので、マイクロバスに監督からプロデューサーから役者さんからみんな乗って移動している時に、冲方さんがすごく小さな紙に、ずっとメモし続けているなと思いながら。
冲方氏:
『攻殻機動隊』の話になると、どこまで言っていいのか分からない話がいっぱいあるんですけど(笑)、当時ですね、諸事情でコロコロ尺が変わっていたんですよ。
全6話で依頼をいただいたら「4話にしてください」「やっぱり足らないから2話足してください」って、6話じゃねぇかよって(笑)。その後で「残り2話は劇場版にしましょう」みたいな。
そうなると前後のセリフのつなぎがどんどん変わってくるわけです。舞台挨拶で回っていってお客さんの反応を見た時に、「やっぱりこういうつなぎ方にしようかな」とか。
せっかく生でお客さんの反応だとか表情だとかを見られるので、「このキャラクターのこういうところが好まれるんだったら、このシーンのつなぎはこういうふうにしたほうがいいな」とかですね、ずーっとやってたんですよ。
吉田氏:
僕は今、ふたつ驚きがあって。冲方さんがそんなにお客さんの反応を見ていたんだ、という驚きがまずひとつで。もうひとつが、その時はまだできあがっていなかったんだ、という衝撃が(笑)。
冲方氏:
まぁ、今だから言っていいだろうと(笑)。
吉田氏:
もうできあがってますからね(笑)。間違いなくできあがっていますから、いいと思いますけど。
冲方氏:
制作上の綱渡り的な部分はね、雑談としてそれはそれで面白いと思うんですけど。逆にリアルタイム感が出ていたというのは、僕にとっては有意義でしたね。
やっぱりこう、脚本の仕事って書き文字ですので、実際に読まれたりとか、その読まれた文章を聞いた人の表情の変化っていうのを目の当たりにするのは、非常に新鮮で。
一時期、アニメーションのアフレコに行くたびに、ものすごく困ったことがあったんですよ。
吉田氏:
困った?
冲方氏:
アニメーションのアフレコの現場というと、セリフのニュアンスをどんどん調整していくじゃないですか。音響監督がこういうニュアンスで、ああいうニュアンスでって。あるいはNGがいっぱい出る。
そうやって録り直しするたびに、違うシナリオが頭の中に出てきて、もう死にそうになったんですね。
役者さんのちょっとしたニュアンスの違いで言葉の意味合いが変わって、そうなるとこのキャラクターはこういうふうに動くし。収録テストとか本番とか毎回毎回、役者さんのニュアンスひとつで、頭の中で次のシナリオがどんどんどんどん変化するので。
アニメーションの仕事をしたての頃は、頭が痛くなっちゃってましたね、アフレコに行くたんびに。
吉田氏:
普通は企画意図があって、それが脚本になっているわけで。音響監督さんは正解を知っていて、その正解に役者さんを導いていくのかな、と思っていたんですけど。
冲方氏:
必ずしもそうじゃないものがありますね。そこが役者さんの力でもあるっていうんですか。「あっ、こういうふうにきたんだ」って。
それを活かす場合もあれば、おっしゃるとおり、音響監督さんや監督さんが、落としどころに導く場合もありますし。やっぱり生ものなので、現場に行くことによって変化するものって、非常に多いですね。
吉田氏:
聞いていると、冲方さんって、作家さんとしてはめちゃくちゃフレキシブルなタイプなのかなって。
冲方氏:
(笑)。
まぁ、最初にものすごく固くイメージを作って、それを押し通す場合もありますね。そうしないと終わらない場合とか、ブレちゃう場合とかもありますけれども。
やっぱりコンセプトって叩き台なので、そこから作品が生き物として輝いてくるには、リアルタイムのエネルギーを吸収することも必要だと、僕は思っているので、積極的に変えていきますね、僕の場合は。
吉田氏:
それに、わざわざ舞台挨拶のお客さんの反応まで、クリエイティブに取り込まれているとは。
冲方氏:
(笑)。まぁでも、舞台挨拶は何日も拘束されるわけじゃないですか。それで大勢の方々の表情を見て取るわけじゃないですか。なんかもったいないというか、使わないともったいないと。
それこそ「雑談をお金にしたっていいじゃないか」というのと、同じような感覚かもしれないですね。
“空気を読む”日本語は、時代が移り変わると文章の意味が分からなくなる
吉田氏:
今までにも何度か、冲方さんに話を聞かせてもらっていて。その中で「マンガがあることによって、じつは小説がすごく可能性を広げてもらっている」という話をされていたことがあって。
あれを今、もう一度ここで説明してもらっていいですか?
冲方氏:
もともとはですね、小説にはこういうことしかできない、映像では、マンガではこういうことが得意だからやる、みたいな常識があったわけですけれども。
それがメディアミックスが発達したことによって、たとえば心理描写ですね、それは小説のものだと思われていたんですけど、マンガでも十分できるじゃないかと。そうなってくるとマンガができることに対して、小説は本質的に何ができるのか、何をすべきなのかと考えさせられるわけです。
これはもう、各メディアが接近して同じネタをどんどん扱うようになってくると、それぞれの持ち味というのもどんどん進化していくのだな、というのが僕の実感ですね。
吉田氏:
それで今の現状だと、小説の持ち味って何です?
冲方氏:
もうオールマイティになんでもできるようになってきましたね、小説は。それはなぜかっていうとですね、先ほど吉田さんもおっしゃったように、想像できるんですよ、いろんな人が。
たとえば「無数の群衆」とかですね。これはなかなか想像できる人とできない人がいたわけですけれども。
吉田氏:
あっ!
冲方氏:
たとえば映像として知っていたり、マンガの描写としてしていたりすると、たった一言で説明が済んじゃうんですね。みんなが映像のビジュアルを共有してくれているので、ちょっとした文章の描写が、オールマイティに発揮されるようになったわけです。
吉田氏:
たとえば僕が江戸時代の農村に生まれていたとしたら、人がいっぱい集まっているところを一生、一回も見ないで終わる可能性が十分にあるわけですよね?
冲方氏:
そういうことです。
吉田氏:
村人が100人いたとして、100人以上の人間が集まったところを見たことがないってこともあり得るわけですよね。
冲方氏:
たとえば僕の『マルドゥック・スクランブル』【※】という作品があるんですけど、これの初稿を上げた時に、編集者から「銃撃戦の最中になんで跳んだり跳ねたりしなきゃいけないんだ。忙しすぎて、何を読んでいるのか分からない」って言われたんですね。
ところが、しばらくしたら『マトリックス』が公開されて、同じ編集者が「やっぱりこのアクションは良いよね」って言い出したんです(笑)。
吉田氏:
なるほど。『マトリックス』が頭の中にあるから。
冲方氏:
あるから想像できるんですよ。それまでは想像できなかったんですね。
吉田氏:
それはいちばん初めに僕が言った、「人間はビジュアルイメージがないと音声を聞き続けられない」という……
冲方氏:
たぶんそういうことなんだろうなと、今、思いました。面白い共通点だなと、今、すごく思いましたね。
吉田氏:
そういえばたしかに、ラジオと小説は似ているところがありましたね。今だとそれこそ、2カ月前に放送で「zoom」と言っても、誰も分からなかったんです。
冲方氏:
そうそうそう。
吉田氏:
それが今「zoom」と言ったら、ほとんどのオフィスワーカーの人たちは、TVの画面に分割で人の顔が並ぶってイメージできちゃうようになっちゃいましたからね。
冲方氏:
だからこれがどんどん一般化していくと、SFなんかは本当に便利ですね。それまでは「映像や文章が映る板」みたいな描写をしないと分かってくれなかったんですけど、今は「タブレット」と言えば、何を持っているか分かりますもんね。
吉田氏:
でも、それってイコール、今の小説っていうのはほんの10年、20年前の人すら、読んでも分からない可能性がある?
冲方氏:
そうですね。そういう意味で言葉というのはどんどん変わっていくんですよ。
特に日本語の特徴として、主語がないんですね。たとえば「君が好きだ」って言葉があるじゃないですか。主語は何だと思います?
吉田氏:
「私が」じゃないですかね。
冲方氏:
「君が好きだ」って言うと、すべての主語が当てはまっちゃうんですよ。
吉田氏:
えっ!?
冲方氏:
「彼は君が好きだ」。
吉田氏:
あっ、なるほど。
冲方氏:
「君のことが大好きだ、あの人が」みたいに、主語を変更できる。
主語をすっ飛ばして、なんで文意が成り立つかというと、みんなの常識なんですね。「空気を読む」というのはそういうことなんですよ。主語がなくても成り立つコミュニケーションを取るっていう。
誰が、何を、どのように思うべきで、どう行動すべきかということが全部決まっていると、こういった主語のない文章が成り立つんですね。で、日本語というのは常に、時代時代ごとの常識を大前提とした文脈で文章を書いていますので。
英語はぜんぜん違うんですよ。500年前の英文とか、普通に読めるんです。主語がはっきりしているし、なぜその人がそういう行動をしたのか、はっきり明記していますから。日本語の場合、ぜんぜん書かないんですよね。
吉田氏:
たしかに。「男もすなる日記といふものを」【※1】って、いきなり常識を提示している古文は読めますけど、「春はあけぼの」【※2】とか、いやいやいや、って感じですよね。
※1 「男もすなる日記といふものを」
平安時代に紀貫之が執筆した『土佐日記』の冒頭の一節。土佐から京へ帰る旅路の様子を、当時の宮中女性が使用した仮名交じりの日記形式で綴ることが表明されている。
※2 「春はあけぼの」
平安時代に清少納言が執筆した『枕草子』の冒頭の一節。「春は明け方の頃が良い」という清少納言自身の美的感覚が簡潔な文章で語られており、古文の代表的フレーズとなっている。
冲方氏:
平安時代の文章の古文・漢文のうち、古文が特に苦手な方っていらっしゃると思うんですけど。
吉田氏:
漢文よりもね、はい。
冲方氏:
それは主語がはっきりしていないからなんですよ、古文は。誰が何の話をしているかというのを一切書かずに、背景設定を知らない人にはなんだか分からない文章なんですね、あれ全部。
『紫式部日記』とか、奏でられている音楽で今どういう状況か分かるから一切書かない、みたいなね。それって「『紅白歌合戦』の何年目なのかは、最初の3曲目をみんな知ってたら分かるでしょ」みたいなことですよね(笑)。
吉田氏:
うーーーん。
冲方氏:
そんなもので日本語っていうものは、コロコロ変わっていくんですよ。時代の常識によって。
日本語が外国の文化に吸収されて、違うニュアンスを持つことによって、輸出が成功する
吉田氏:
「日本語」っておっしゃいましたけど、それを「日本の小説」って言うと、やっぱり他の国と比して……ちなみに冲方さんについて補足しておくと、冲方さんは帰国子女でいらっしゃるので、日本と海外の比較には非常に強いはずなんですけど。日本の小説ってやっぱり世界から見た時に、何か違うんですか?
冲方氏:
まったく違いますね。世界でいちばん翻訳するのが難しいのが、日本語ですね。
吉田氏:
えっ、そのココロは?
冲方氏:
まず主語がどんどん変わっていくんですよ。先年、文章講座をやったんですね。生徒さんを集めて、試しにやってみたんですけど。その時に『ハリー・ポッター』を題材にして、文章の違いを教えたんですね。
『ハリー・ポッター』の原文と、その翻訳された文章で。原文のほうは「he」、彼がどうしたっていう文章がずっと続くんですけど。日本語の文章の場合は、1行ごとにほぼ主語が変わっていくんです。そっちのほうが書きやすいし、伝わりやすいから。
これが日本語の特徴で。他の言語を日本語に翻訳するのはものすごく簡単というか、得意なんですよ。日本語って。人んちの文章を日本語に変えるのがすごく得意なんですね。
逆に、日本語を英語、フランス語、ドイツ語、中国語とかですね、他の言語に翻訳するのがすごく難しいんですよ。ニュアンスが全部消えちゃうので。空気が全部消えちゃうんですね、「分かってるでしょ」みたいな。
たとえば、主語がない代わりにあらゆる主語、あらゆる述語が代替可能で。具体的に言うと、日本語には「お兄ちゃん」っていう呼び方だけで100種類以上あるんです。兄貴を定義づける言葉だけで。
これを「お兄ちゃん」って言うのと「兄貴」って言うのと「兄上」と言うのでは、ニュアンスが違うじゃないですか。
吉田氏:
たしかに、まったく違いますね。
冲方氏:
それが英語だと「brother」、以上。みたいな。一単語に集約されちゃうので、空気が消えちゃうんですね。
吉田氏:
その日本語を使って、たとえば『ハリー・ポッター』を日本語に訳すのは、わりと得意なことだと。じゃあ日本語で書かれた物語というのは、いろんなニュアンスを内包しちゃってるわけですよね。それをぜんぜん訳せない?
冲方氏:
訳せない部分が多々ありながら、そのエキスだけを翻訳して送ってる感じですね。
ただ逆に海外で今、これもアニメ・マンガの恩恵なんですけど、日本語がそのまま輸出されることが多いじゃないですか。アニメも「anime」と言うようになりましたし。
先日、これを英語に翻訳するとどうなるんですかと聞いてみた時に、たとえば「先輩」をどうやって翻訳しているんですかと聞いたら、「センパイ(senpai)」そのまんまだと。
海外の人たちもなんとなく、「センパイ」っていうとただ年齢が上だけじゃなくて、自分にいろんなスキルを教えてくれる有り難い存在、みたいな空気をね、今は知ってくれているので。これもまた説明する必要がなくなってきたから、そのままいけます、みたいな。
吉田氏:
これは余談かもしれないですけど、「センパイ」は『Fate/Grand Order』のせいですよ(笑)。世界のオタクの標準だけで言うと。本当に。やたらとマシュが言うので、そのせいですね。
冲方氏:
そういう時に大事なのは、こっちからはサジェスチョンしないということですね。
吉田氏:
どういうことですか?
冲方氏:
たとえば「七輪」事件って覚えてます?
吉田氏:
誰だっけ……アリアナ・グランデさんか。
冲方氏:
アリアナ・グランデさんが日本語が大好きで、自分の歌の「Seven Rings」にちなんで「七輪」っていうタトゥーを入れたんですよね。
【Instagramより】
— アリアナ・グランデ JP公式 (@ariana_japan) January 30, 2019
アリアナがまた日本語のタトゥーを追加!今度はなんと漢字で「七輪」😳
「みんなこれは私の手じゃないって思っているみたいだけど、本当に私の手よ🥺」とコメントしています。
「七つの指輪」を略して「七輪」かな🤔💭とても気に入っているよう💍#アリアナ pic.twitter.com/wR55jgu7FU
吉田氏:
「七つの指輪」なら分かるんですけど、間を取って「七輪」になっちゃうと、日本人からすると「これから焼き肉やるのか」みたいなことになってたんですよね。
冲方氏:
「それはバーベキューグリルだ」「日本語の使い方が間違っている」と炎上したせいで、アリアナ・グランデさんは日本語が嫌いになっちゃいましたけど、だったら「五輪」はどうなんだと。
一輪、二輪……と一個ずつ数えてみましたけど、別にいいじゃないかって話ですよね。要は、日本語というものを輸出する時に、日本人が一番苦手なことのひとつですけど、自分が誰かに与えたものが、自分の意図から外れた使い方をされると、腹を立てる民族なんですよ、日本人って。
たとえば、寿司にとんかつソースをかけて食ったりすると、寿司屋としては「けしからん」みたいな話になるわけじゃないですか。
でもそういうことをやってると、輸出がどんどんヘタになってくるんですね。輸出するということは、他国の文化に食ってもらう、吸収してもらうことですから。日本語がどんどん変形していって、違うニュアンスを持っていってくれることによって、輸出が成功するわけなんですよ。
それをね、日本人は「それはけしからん」「それは日本語ではない」と言い出すから、いつまで経っても輸出が伸びないんです。
吉田氏:
たしかに、ほとんどの日本人はカリフォルニアロールを見た時に、軽い違和感とツッコミはしてると思うんですね。
冲方氏:
「これは寿司じゃない」って言っちゃうじゃないですか。でも英語がなんでこんなに世界に広まったかというと、その土地土地での変形を許したからですね。
吉田氏:
それは英語圏の人は、あまり抵抗がないんですか?
冲方氏:
もう、そういうものだと思ってるんでしょうね、やっぱり。
また先日、別の面白い話を聞いたんですけど。フランス人が他の国の人間と英語でしゃべる時に、あまりにもイントネーションも使い方も違うから、各国語の英語翻訳ソフトを作ったんです。
吉田氏:
えっ?
冲方氏:
つまり、インド人のしゃべる英語と、オーストラリア人のしゃべる英語があまりにも違うので、同じ英語のはずなんだけど意味が分からないから、翻訳ソフトを作ったという。
吉田氏:
あぁ(笑)。
冲方氏:
要は方言みたいに、言葉というのはどんどん変形していくんですよ。土地土地によって。なぜかというと、背景となる常識がぜんぜん違うからです。
吉田氏:
さっき言った「群衆」と一言で言っても、オーストラリア人みたいに土地のあるところの群衆と、インドのムンバイみたいにムチャクチャ人が集まってるところの群衆では、イメージが違いそうですよね。
冲方氏:
ぜんぜん違うでしょうね。大都市でイメージする群衆と、野原しかないモンゴルみたいなところで想像する群衆とでは、ぜんぜんイメージが違うわけですよ。
そうすると何が良い悪いというのもありますし、食べ物の話ですと、新鮮に食べられるものなんて、世界中でバラバラなわけですから。
吉田氏:
たしかに日本人が海外に行って、寿司にたとえば羊の肉が使われていたら、心の中の海原雄山がキレる瞬間ですよね(笑)。「こんなものは寿司ではない!」って。
冲方氏:
「マトンのトロです」みたいな(笑)。
日本のコンテンツがなぜ海外の人たちにウケたかというと、自分たちのカルチャーにないものがポーンと出てきて、それを吸収しようと思って、海外のアニメ好きの人たちが買ってくれていたわけですけれども。流れに乗って輸出しよう、海外支部を作ろうといった動きが、その後に続かなかったのは、そういう要因があるんじゃないのかな。
吉田氏:
それを超えて消化されちゃってる場合は、もういいやっていう感じも若干、最先端はしますけどね(笑)。
でもたしかに、中国人からすると「部活」というものを知らないと。でも部活も受け入れてますからね。言葉そのものを。
あとフランス人の方だったかな、アニメが好きすぎて日本に来た人で、「アニメの国に来た」とその人がいちばん実感したのは、踏切を見た時なんですって。向こうは街中に踏切なんかないから。
冲方氏:
はいはい(笑)。
吉田氏:
日本のアニメって踏切が大好きで、よく描写されるので、踏切を見てカンカンって鳴った瞬間に「アニメの国に来た!」とすごく思ったって。
冲方氏:
そう、もうひとつ日本人がすごく得意なのが、日本に来てもらった時にもてなすのが得意なんですよ。自分たちの空気に入ってきてくれた人たちは、もてなせるんですね。だから観光業とかけっこう得意じゃないですか。
吉田氏:
みんなウケがいいですよね、海外から来た方の。
冲方氏:
それは自分たちのルールに従ってくれるので。フランス人の人たちがアニメでたくさん踏切を見て、そこらへんを走っているバスを電車に見立てて、バス停を今度から「踏切」と呼ぼう、みたいなことになったら、そういうのが日本人は苦手なんですよね。
吉田氏:
たしかに。茶室で正座してくれる海外の人に対しては、めちゃめちゃプラスの気持ちがありますね。
冲方氏:
安心してもてなせるんです。逆に、日本に来てゴミの出し方が分からずに、全部まとめて捨てちゃう人とかは苦手なわけですね、日本人は。そういう人たちになんとかルールをローカライズしてもらおうと。
だから日本におけるローカライズって、みんな日本化しないといけないみたいなニュアンスがあって。全体の空気を読もう、つまり暗黙のルールを守った上で楽しもうというのは得意なんです。
逆にそれを輸入したがる国もありますよね、シンガポールとか。「日本人みたいに規律正しく道路を渡る国民を作るんだ」と、日本式の交通ルールを輸入するみたいな話を、ずっと前に聞きましたけど。
ネパールで、1冊が8千円もする『少年ジャンプ』を読んでいた
吉田氏:
冲方さんは昔、シンガポールにいらしたんですよね?
冲方氏:
当時は、今とはぜんぜん違う国ですけどね。
吉田氏:
その頃はもっとワイルドな?
冲方氏:
その頃はまだ密林を切り開いていくような時代でしたし、あんなに高層ビルがバンバン建っているような感じではなかったですね。コンクリート打ちっ放しな国の感じでした。
吉田氏:
で、そこに子どもの頃にいらっしゃって……って、僕は以前、直接お伺いしたことがあるので、バーッと説明しちゃうと。
その時に冲方さんは、日本の方がほとんど周りにいないというような環境で学校に行ってて。『少年ジャンプ』1冊が数千円する、みたいな状況だったんですよね?
冲方氏:
当時は空輸で買ってもらってましたからね。特に高かったのは、ネパールに住んでいた頃ですね。
吉田氏:
ネパール!
冲方氏:
ネパールって地理的にどこか分からない人もいらっしゃると思うので説明すると、インドと中国とチベットの間です。ヒマラヤ山脈の麓(ふもと)に国がある感じ。エベレストに登りたいっていう人は、まずネパールに行って登ると。山登りビジネスがすごく盛んなところで。ちなみに言うと、ブッダが生まれた場所だというのも、けっこうなウリになっていますね。
つまりね、山岳地帯だから、陸路がほとんどないわけですよ。で、海路はもちろんないわけで。だから飛行機でマンガを輸入しなきゃいけない。そうすると、『少年ジャンプ』1冊をネパールに持ってきてもらうのに、8千円かかっていたんです。20年前は。
吉田氏:
それだとさすがに、毎週買うわけにはいかないじゃないですか。
冲方氏:
もう、3カ月に1回手に入れば、万々歳でしたね。
吉田氏:
でも冲方少年としては、やっぱり読みたいですよね?
冲方氏:
読みたいですね。みんなにお願いをして、買ってもらって。しかも、おじいちゃんとかにお願いをして買ってもらうから、「『ジャンプ』が読みたい」って言うと、たまに『週刊少年ジャンプ』だったり、たまに『月刊少年ジャンプ』だったり。
吉田氏:
ディテールが分かんないんですね。
冲方氏:
こっちも分かんないから、「なんで今回の『ジャンプ』はこんなに分厚いんだろう?」って。
吉田氏:
そうか、見慣れてないと正解の比較対象がないんですね。
冲方氏:
『週刊』と『月刊』って書いてあるのは確かなんだけど、区別がついてなかったんですね。だから「きっと今回はすごくいっぱいマンガができたから、こんなに分厚いんだろう」と(笑)。
吉田氏:
逆に、説明されていないことは想像するしかないわけですもんね。
冲方氏:
ぜんぜん分かんないですね。昔、1回だけ『ホビージャパン』を送ってもらったことがあって。
吉田氏:
『ホビージャパン』ですか。
冲方氏:
いろんな作品のプラモがいっぱい載ってるじゃないですか。ですから物語がいっぱいあるわけですよ。
それで覚えちゃったのものだから、その後にプラモの元になったアニメを見た時に、「あのプラモがアニメ化されたんだ」と思いましたね。
吉田氏:
逆ですけどね(笑)。
冲方氏:
(笑)。そんな感じで自分も、輸入に頼って日本のコンテンツを味わっていたクチなので。
吉田氏:
その時に、冲方さんが他の国の人たちにそれを見せると。見せるとやっぱり、ウケが良かったんですよね?
冲方氏:
ウケがいいどころじゃなくて、僕が子どもの頃には日本のアニメがもう、世界のカルチャーの最先端だ、みたいになっていて。『AKIRA』だ、『ナウシカ』だと。
僕の友達のお父さんが大使館に勤めていて、日本のVHSを手に入れるわけですよ、ヤツらは金持ちなので(笑)。でも、それには字幕がついていないので、僕に「翻訳してくれ」と言ってくるわけですよ。僕もよく分かんないけど、がんばって翻訳した経験がありますね。
吉田氏:
『AKIRA』なんて、大人になって冷静にストーリーを追っても、イマイチよく分かんないところがありますよね。
冲方氏:
「“AKIRA”という名前の意味はなんだ?」って。「AKIRAは人の名前だ」じゃ説明が終わらないんですよ。「どういう意味だ」って聞かれるんです。
父親に相談したら「アキラで光ってるから“シャイニング”って言っておけ」と(笑)。「だからアキラはあんなにシャイニングなんだ!」って、説明と誤解がないまじっていく感じですかね。
吉田氏:
さっき言ってたように、日本人だったら「アキラ」という言葉から、すごくいろんなニュアンスを引っ張り出すんだと思うんですけど。“アキラ”の中には光ってる要素もあるだろうけどさ、っていう僕らの気持ちで提示するしかないんですね、海外では。
冲方氏:
たとえば光ってるつながりで、「朝日みたいだ」「何かが始まる予感がするんだ」とか、いろいろ説明するわけですよ。向こうも面白がって、ふんふんと聞いてくれるわけですけれども。
ネパールで想像した冲方版『ドラゴンボール』の続きを、日本で答え合わせしていた
吉田氏:
『AKIRA』だったら映画1本ですけど、続き物もあるわけじゃないですか。僕は以前、その話がすごく面白いなと思って。
冲方氏:
僕は『少年ジャンプ』の続きを想像するしかなかったので。次に手に入った時には、連載が終わっていたりするわけですよ。打ち切りになっていたり。
だからもうずっと、想像するしかなくて。だいたい、『ドラゴンボール』を初めて読んだ時の話数が、ピッコロ大魔王が口から卵を吐いているところなので。
吉田氏:
だいぶ後ですね。
冲方氏:
その卵がドラゴンボールだと、ずっと思ってました。
吉田氏:
あぁ、なるほど(笑)。タイトルからすると、これがいちばんボールっぽいぞと。
冲方氏:
しかも主人公はほとんど出てこないし。
吉田氏:
この時はそうかもしれないですね。
冲方氏:
そうすると「主人公は誰か?」から想像して。どんな話なのかを想像して、どういうふうなオチがつくのかを、ずっと想像しなけりゃいけない。
で、日本に帰ってきたら改めて、答え合わせみたいなことをやるんですけど。言っちゃ悪いですけど、やっぱり自分で想像したもののほうが面白いんですよ。自分のリアリティを込めて想像するわけですから、人間って。いちばん自分に身近で、いちばん自分が実感できる物語を、ずっと想像しているので。
だから「こういうふうに終わったんだ」「こういう物語だったんだ」と、新鮮な気持ちで楽しく読めるわけですけれども、やっぱり、ものすごく情報が欠けた状態で自分が想像していた時の、想像力の羽ばたき方はまたそれはそれで、素晴らしく楽しかったなと。
吉田氏:
歴史上のどこかには、冲方版の『ドラゴンボール』がある?
冲方氏:
『ドラゴンボール』があったり、『ドラえもん』があったり、『聖闘士星矢』があったりしますね。あとは、まだその頃は「読み切り」って概念を理解していなかったので。「この続きはいつ載るんだろう」って、ずっと待っていたりしましたね。
吉田氏:
読み切りのものなのに。
冲方氏:
『幽遊白書』の冨樫義博先生が描いた初期の読み切り作品で、ホラー映画を題材にした短編があるんですけど、ずっとその続きを想像していました。きっとこういう話になるだろうと。
それで日本に帰ってきて、あらゆる本屋さんでその続きを探したけど、ないんですね。そこで初めて「読み切り」という概念を理解して。「なんと、あの1話しかなかったのか」と。
吉田氏:
めちゃくちゃ規格外の育ち方をしてますね(笑)。