アニサマのトリを務めたアーティストたちがいなくなっても、逆に3デイズへと拡大
──仮屋さんからも、何か聞きたいことがあれば。
仮屋氏:
みなさんがいちばん記憶に残っているアニサマは?
太田氏:
そりゃあ初年度でしょう。
森田氏:
そこに勝つものはないかな。
井上氏:
なのに映像はないんですか(笑)。
──仮屋さんは受け手の側として、アニサマやニコニコを見ていたんですか?
仮屋氏:
私は森田さんが校長先生をされていた声優養成所(※ドワンゴクリエイティブスクール)に入って、そこからアニサマを知ったんです。バックダンサーをやらせていただく時に初めて、アニサマっていうのがあるのを知って。
ただ、そのスクールを知ったのもニコニコ動画ではあったので。私の中でもやっぱりニコニコの存在は大きいなと思っています。
太田氏:
スクールがニコニコに広告を出していましたからね。
仮屋氏:
初めてアニサマのステージに立たせていただいた時は、感動もありましたし、立った瞬間のサイリウムの色がスゴかったのを覚えています。
太田氏:
その時はすでに完成されたアニサマだから。
仮屋氏:
そうですね。2013年から出させていただいていたので。
太田氏:
でも2013年は、この時もかなりムチャだったんですよ。2デイズから3デイズにした年なので。2012年に水樹奈々ちゃんが出ないし、翌年もたぶん出ない【※】。しかもJAM Projectさんは2011年にアニサマ卒業宣言をされたので出ない。アニサマのトリをずっと支えてきた、奈々ちゃんとJAMさんがもう出ないと分かっていて、それでも3デイズにしたので。
※翌年もたぶん出ない
実際には、2013年のアニサマに水樹奈々氏は出演している。
森田氏:
それはなぜなんですか?
太田氏:
そういった状況の時に、逆に拡大の方向に転じないとオワコン感が出るって思ったんです。「まだ行くんだ」って姿勢を見せたほうが、お客さんに向けてもメーカーさんに向けてもメッセージが伝わるんじゃないかと思って。
この時、今アニサマをやっている齋藤光二【※】が、久しぶりにプロデューサーに復帰したんです。それでシンガポールのAFA(ANIME FESTIVAL ASIA)に「ちょっと海外で話そうよ」って誘って。それで3デイズで行くって説得したんです。「なんで復帰1年目からそんな怖いことをやらせるんですか!」って言ってましたけど(笑)。
※齋藤光二
2005年、2006年のアニサマでプロデューサーを務め、2013年からアニサマのゼネラルプロデューサーに就任している。
──でも、水樹奈々さんたちが出ないからこそ、もっと大きく見せていくというのは、本当にプロデューサー視点ですよね。
太田氏:
そこも幸運だったんですよ。2013年はももいろクローバーZさんとかをブッキングできたし。3デイズにしたことによって、アーティストが一気に10数組増えたんです。この年のブッキングは初めてだったこともあってメチャクチャ大変だった記憶がありますね。
──むしろ外側にもっと拡大した形に、結果的にはなったわけですね?
太田氏:
そうですね。2011年ぐらいから、翌日の朝の情報番組で取り上げられそうなアーティストさんを絶対にブッキングしようと、あえてやっていたんですよ。2013年で3デイズにしたことによって。ブッキングできるアーティストさんの幅が広がって、そういったことがさらにやりやすくなったというのはあります。
あとは、これからの方も出せるようになったというのが、メーカーさんにとっては大きかったかもしれないですね。それまでは枠が限られていたので、新人さんとかはお断りせざるを得なかったんですけど、そういった方々にもご出演いただけるようなりましたね。それも結果論ですけど。
井上氏:
3日やるってことは、1日は平日ですから。
太田氏:
夏休みだから大丈夫かな? と思ってましたけど、それは甘くて。それでもお客さんはみんな、この日だけは有休を取って泊まりで来てくれました。
JAM Projectの卒業宣言やレジェンドシンガーの出演で、アニサマにも新たな変化が
──先ほど、2011年にJAM Projectが「アニサマ卒業宣言」をされたというお話が出ましたが、それはなぜなんですか?
井上氏:
あの時は、誰かがあのポジションを空けないと、他の人があのポジションに行けないって感じがしたんですよ。「JAMさんは何日目のトリを用意しました」みたいに、ずっと続けてるとみなさん気を遣いはるし。みんなにこのスペースを空ける必要があるんじゃないかなって、僕は思ってました。
奥井氏:
あとは、JAMが海外に行き始めていた時期で、スケジュールが厳しくなっていて。
井上氏:
だから僕の中では、アニサマには2011年でひと区切りがあって。JAMが最後っていうのと、ささきいさおさん、水木一郎さんに出てもらったじゃないですか。あれは「そういうコーナーを作りたい」って、僕がお願いしたんです。
今まではそういう歴史のある方ではない方たちでアニサマをやってきたんですけども。このタイミングでそういう方々の歌を、今のファンの人たちにしっかり聞いてもらいたいから、そういうコーナーを作りたいってお願いしたんです。それをやっていただいて、それでアニサマは「僕も卒業」って感じですね。
太田氏:
アニサマを始める時に、影山ヒロノブさんも出られてましたけど、ささきいさおさんや水木一郎さんらがやられているアニソンイベントがあったんですよね。たぶんZeppクラスの会場だったと思うんですけど。
井上氏:
『スパロボ(AJF)』のイベントとかね。
太田氏:
アニサマはそことの違いを出すために、JAM Projectさん以上の年齢の方をブッキングしないということにしたんです。
井上氏:
なるほど。
森田氏:
そうそう。初年度に話されてましたよね。
奥井氏:
なかなかいないけどね、そこ以上の人たちは(笑)。
太田氏:
だから2011年はそれを破った年ですね。もういいかなって。それで2013年は、ももクロと串田アキラさんにコラボしてもらったり。
森田氏:
『キン肉マン』ね。
井上氏:
ささきさんと水木さん、めちゃ喜んではりましたよ。
太田氏:
あっ、本当ですか。
奥井氏:
私が感動したのは、和田光司【※】さんが出ましたよね。亡くなるちょっと前に。
※和田光司
1999年、TVアニメ『デジモンアドベンチャー』のオープニング主題歌「Butter-Fly」でメジャーデビュー。作品のヒットと共に人気曲となった。2003年と2011年にガンの治療で歌手活動を休止したが、二度とも復帰を果たす。しかし2016年に上咽頭ガンで逝去。アニサマは2014年が唯一の出演となった。
太田氏:
2014年ですね。10周年の時。
奥井氏:
あれは良かったなぁって思ってます。
『ラブライブ!』の人気によって、新世代のアニソンファンがアニサマに来場
──初期の頃のアニサマと現在とでは、お客さんの年齢層は変わっているのですか?
太田氏:
これは良くも悪くもなんですが、『ラブライブ!』が変えました。アレで一気に若返りましたね。『ラブライブ!』はやっぱり、異常なほど巨大なコンテンツでしたから。
この時に、スタンディングのライブを経験したことのない、椅子有りのドームとかアリーナでしかライブを見たことのない子たちが大勢やってきて。アニサマって昔はけっこう暴れる系の子たちがいたんですよ。
──暴れる、というと?
太田氏:
オタ芸でクルクル回っていたりとか。
──あぁなるほど。
太田氏:
僕自身はオタ芸とか、別にいいと思っていたんです。彼らがクルクル回っているのを見るのも、けっこう好きだったので。……なんですけど、『ラブライブ!』をきっかけに新しくアニソンに入ってきた子たちからすると、そういうのを明らかな迷惑行為と認識するようになったので。それによってネット上とかでトラブルになるケースが出てきたので、オタ芸は一切禁止にしました。
──『ラブライブ!』がスタートしたのはいつぐらいでしたっけ?
太田氏:
2012年のアニサマに初めて出てもらっているんですけど、この時はまだアニメは始まっていなくて。アニメは2013年からなんです。翌年の2014年がアニサマ10周年ですから、10周年を機に、アニサマがもう一回若返って走り出す、みたいな感じですね。
井上氏:
『ラブライブ!』に関しては、テレビアニメになるなんて夢の夢でスタートしたんですよ。サンライズのプロデューサーが当時初めてプロデューサーになるタイミングで、自分でスタジオを持たれて。TVシリーズとかがないので、1本5分ぐらいのプロモーションビデオを作りたいっていうところからスタートしているんです。
それでAKB48のCDと、コロムビアさんから出ていた『アイドルマスター』のCDと、ウチで出てた『ハルヒ』のCDを3つ持って来はって。それをガラガラッと混ぜて「こんなことをやりたいんです」というところから始まったんです。
それでシングルをたくさん作って。TVシリーズになったのは3年目ぐらいかな。
太田氏:
最初のシングルが出たのは2010年ですよね。
井上氏:
その辺りから映像の深みと音楽とのシンクができてきて。『ラブライブ!』では、映像を作ってから声優さんがダンスを覚えるんでね。
太田氏:
『ラブライブ!』よりも前っていうと、ハルヒダンスまで飛びます?
井上氏:
当時のランティスで言うとそうですね。JAMさんもたまに踊ってましたけど(笑)。
奥井氏:
あれは踊りのうちに入らないですから(笑)。
井上氏:
今や声優さんでも踊りが上手な人が多くなってるじゃないですか。
太田氏:
仮屋さんは、『ラブライブ!』がきっかけで声優を目指したわけではないんですか?
仮屋氏:
私は本当にマンガ・アニメが大好きで、その流れでニコニコ動画を見ていたら、右上に広告が出てきて、それがきっかけでしたから。養成所に入ったのが2012年なので。
太田氏:
そうか、その時点でまだアニサマを知らないもんね。
──『ラブライブ!』もそうですし、同じ時期だと2008年に『マクロスF』、2009年に『けいおん!』、2010年に『うたの☆プリンスさまっ♪』と、楽曲前提のアニメやゲームが出てきた流れがあると思うんです。そこにはアニサマの与えた影響が、間違いなくあると思うのですが?
太田氏:
たぶんそれはアニサマがっていうよりは、お金になるポイントがライブになったから、アニメもライブの側面のほうに寄せていった、というのが大きいと思います。『うた☆プリ』は明確にそうだと、上松(範康)【※】さんが言ってましたから(笑)。
※上松範康
音楽クリエイターチーム「Elements Garden」の代表で、自身もゲームやアニメに多数のBGMや楽曲を提供している。上松氏が楽曲を提供しているアーティストは、水樹奈々氏からKis-My-Ft2まで多岐に渡る。また上松氏は、『戦姫絶唱シンフォギア』や『ヴィジュアルプリズン』の原作も手がけている。
井上氏:
こうやって見てると、各メーカーがかわりばんこに出てきてるよね。ランティス、フライングドッグさん、ポニーキャニオンさん、キングさん。綺麗にね。
──アニソンやライブに着目した企画が各社から出てきて、それが花開いていったのが2000年代の後半から2010年の前半になるわけですね。
太田氏:
『ラブライブ!』も2010年。企画自体は2009年ぐらいですか。
井上氏:
花開いたのが2013年ぐらいですから。今年は何でしょうね。
奥井氏:
去年は『鬼滅の刃』やったから。
太田氏:
今年も『鬼滅』でしょう。
井上氏:
『ウマ娘』っていうのもあるけど、あれはゲームに寄ってますよね。
太田氏:
でも、ふと思ったんですが、奈々ちゃんって不思議ですよね。特に歴史的な大ヒット曲があるわけではないのに、それでも東京ドームまで行くっていう。スゴいですよね。
井上氏:
アニソンファンみんなの夢だったんじゃないですか、奈々ちゃんがドームに行くって。僕たちもそういう気持ちでしたからね。その日にぶつけるようなライブはやらないようにしてましたから。
太田氏:
最初のドームの時(2011年12月)ですよね。
井上氏:
もちろん関係なく売れていたと思いますけど、もしも観客動員に響いたら「アニソンやっぱり調子に乗ってるんちゃうか」って言われたりして、良くないので。
奥井氏:
奈々ちゃんはこの業界で最初に紅白も出たから。それで去年(2020年)は、LiSAちゃんがレコード大賞まで獲って。いろいろ記録を塗り替えて、スゴいね。
井上氏:
アニサマをTV放送するようになったじゃないですか。しかもNHKでやり出して(※2013年よりNHK-BSプレミアムにて放映)。あのへんからNHKも変わってきたと思うんですよ。アニソンに対する捉え方が。
太田氏:
それはめちゃくちゃ大きかったですよ。
井上氏:
今やNHKの音楽番組に、普通に出てるもんね。ウマ娘が『シブヤノオト』に出るぐらいやから。
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奥井氏:
アニソンの番組もありますもんね。TV局ではNHKにいちばん行ってるかもしれない。
井上氏:
スゴいよね。それだけ認知されたってことなんだろうね。
アニソンが守るべき「精神性」とはいったい何か?
──素人質問だったら恐縮なんですが、アニソンには何か音楽的にこういうもの、という定義みたいなものはあるんですか? そうじゃなくて、もうちょっと精神的なものなんですか?
井上氏:
本来は精神的なものなんですよね。でもある程度、規制があって。主題歌になると89秒っていう決まりがあるし。監督からのリクエストだとか、ここでSEが入ります、みたいなのもあるし。そういうことに今、みんな囚われすぎてると思うんですよ。もう少し自由だったよなと思って。
僕がランティスにいる時にね、「みんな同じ曲を作っているように聞こえる」って、スタッフに言ったことがあるんですよ。サビの前にひとつのセクションを作る。曲頭はサビ始まり、イントロは4小節……って、だいたいサイズもテンポもだいたい決まってきて。それを「私、こんなに高い声が出るんです」みたいな人が歌うと、みーんな同じ曲になっていて。
ある意味、それがランティスっぽいってことになっていたのかもしれないんだけど、それを一回みんな頭から外して、その人に合った曲、その作品に合った曲を作りましょうって。そう言いました。
奥井氏:
最近、コンペの募集を見たら、さっき井上さんが言ってたように、何秒にはこうして、ここにはこれを持ってきてください。参考曲はこれ、みたいなのが貼られてたりして。「えっ、こんな細かく組み立てるみたいに曲を作るの!?」ってビックリしたんです。
井上氏:
良くないね。
奥井氏:
そうなんです。だから私、コンペってそれを見たとたんに出せなくなるんですけど。
井上氏:
今のSACRA MUSICさんとかは、そういうフォーマット化がされてないじゃないですか。いろんな作り方があるっていうのは、もちろん良いことなんですけど。でもファンの人たちは耳も肥えていて、すごく成長されているので、あんまり同じことばっかりやっていてもね。
──では、アニソンが守るべき精神性みたいなものというのは、どういったものなんですか?
奥井氏:
それも人によって違うんですけど。たとえば奥井ソロだと、歌詞のほうですよね。
特に私がやってきたジャンルというか作品では、どんなに苦難の道があってもそれを乗り越えて、最後はポジティブに終わらせたいっていう。アニメって本来は子どもたちのためにあったものだから、やっぱりそれを聴いた若い子たちや子どもたちが、ネガティブな方向に行かないように。そういう影響を与えたいなっていう想いを持っていたんですね。
JAM Projectの曲は暑苦しいんですけど(笑)、でも基本ポジティブで、元気になれて、勇気を与えてっていうのを前面に置いています。
あとは、作品に必ず沿わせることを心がけています。ありったけの資料を全部読んで、内容をちゃんと把握してから、それに寄り添ったものを作るっていう。
井上氏:
嘘ついちゃアカンとか、いじめっ子になっちゃいけないとかって、子どもの時にアニメの歌から覚えたりすると思うんです。そういう精神的なことも、ちゃんと歌っていかないといけないよね。
奥井氏:
そうですね。
井上氏:
「Lantis Channel」っていうYouTubeの公式チャンネルがあるんです。年間再生がたぶん20億ぐらいなんですけど、そのうち68パーセントが海外なんですよ。YouTubeは中国では見られないから、中国の人たちも入れるとファンの8割ぐらいは海外なんだなぁと思うと、やっぱりそういう人たちも視野に入れてモノ作りをしていく、メッセージを出していくことが必要なんです。実際に見ていただいたり、聴いていただいたりしている人はそういう人たちなんだということを思って、詩を書いたり曲を書いたりしていかなきゃいけない。それが精神的なところですよね。
──そういう意味ではJAM Projectって、アニソンを海外に持っていった先駆的な存在だと思うんです。海外の反応って、日本と違ったりするんですか?
奥井氏:
同じなんですよね、基本は。ライブで言うと南米はノリが熱いとか、なんだったらブラジャー取って振ってる女性がいたりとか、そんなこともありますけど。
いちばんビックリしたのは中国かな。中国には、いちばん最初はソロの時に行ったんですけど、当時、日本のアニソンアーティストはそんなに行ってなかったから、お客さんのノリもすごくおとなしいんです。JAMで北京に行った時でもそうだったんですけど、最初は恥ずかしそうにしているんだけど、最後のほうになるとノッてくれるっていう。
でもインターネットが普及して、日本の人がどういうふうにノッてるかというのを動画で見たりするようになったじゃないですか。サイリウムを振ったり。そうすると、それを見て自分たちもやりたい、そういう文化も真似したいって、今は日本と同じノリになっているんです。そういう意味ではハッピーやなと思いますよ。
井上氏:
ネットの普及でリアルタイムになってきましたよね。
奥井氏:
アニメもすぐ見れるし。
森田氏:
日本語とか日本文化の普及には、間違いなく一役買ってる気がしますよね。MCを理解してるじゃないですか、日本語の。
井上氏:
歌からとか、マンガからとか、アニメからとかね。勉強してますよね。太田さん、じゃあ次は海外でアニサマを立ち上げてくださいよ(笑)。
太田氏:
めちゃくちゃ大変ですよ(笑)。
──そうやってアニソンの精神性がある一方で、逆にアニソンの側から他の音楽への対抗意識みたいなものはあったのですか?
奥井氏:
ぜんぜんないんですよ。私が当時キングレコードでプロデューサーの大月(俊倫)【※】さんをスゴいなって思ったのは、普通は「このタイアップが決まりました。歌ってね」っていう時に、けっこう口を出される方も多いんですよ。こんなふうな曲で、って監督さんが言ってきたりとか。でも大月さんは「自由にどうぞ」って言ってくれたんです。「君らのチームで良いと思うものを自由に作ったらいいよ」って。
※大月俊倫
元キングレコード専務取締役。1980年代中盤からキングレコードのスターチャイルドレーベルを率いて、数多くのアニメ主題歌やBGMを制作。声優の林原めぐみ氏を人気アーティストへと押し上げた。アニメ作品のプロデューサーとしても『少女革命ウテナ』『スレイヤーズ』『ラブひな』など多数の作品を手がけている。なかでも『新世紀エヴァンゲリオン』はアニメの歴史を変える大ヒット作となり、大月氏は『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』まで、同シリーズの制作に関わっていたる。2016年にキングレコードを退任し、2021年現在は業界を完全に離れている。
矢吹さんもそうなんですけど、当時のソロのチームで私の周りにいたのはみんな、バックミュージシャン仲間なんですよ。Winkとかのバックミュージシャンを一緒にやってた人たちで。そのチームで、ただただ自分たちの好きなジャンルの音楽をアニメに採り入れるっていう。後はライブを想定して「ダンサーとかのいるライブをアニソンで見たことないから、入れたらいいんじゃない」とか、そんなふうに自分たちの中で好きなことを、自由にやってただけなんです。誰か対抗するような人も、アニソン業界にはいなかったし。
ただ、バックミュージシャン仲間にはソロデビューした最初の頃に、「マンガの歌でしょ?」みたいに小馬鹿にされることがあって。あとは雑誌のインタビューで「あなた、ジャンルは何ですか? 何がやりたいの?」みたいな取材の人がいたんですよ。だからそういう人たちに対しては、「売れたら見返せるのにな」みたいなのはありましたけど。でも誰か他のミュージシャンに対してのライバル意識とかは、ぜんぜんなくて。どっちかというと私は水槽のお魚というか、キングレコードさんと矢吹さんのチームに、大事に育ててもらっていたんだと思います。
森田氏:
オレが奥井さんのツアーに入った時に、友達のミュージシャンと当時しゃべったんだけど、1曲覚えるのに他の3曲分の労力を使うんですよ。
奥井氏:
アニソンは難しいんだ。
森田氏:
転調が多いし、演奏の技巧的なものも多いんですよね。J-POPってジャンルにもよるんですけど、どっちかというとコード進行だけでいけちゃう曲が多くて。
あと、知り合いの作曲家にも聴いたら、「ある程度フォーマット化して量産していかないと作れない」とは言ってたので。最初から計算して、ここで転調させるとかいうのは、他のJ-POPよりもやってるかもしれないですね。ただ、LiSAちゃんぐらいからまた時代が変わって、無理に転調させるようなことをしなくなったのかもしれない。
井上氏:
太田さんは感じられるかもしれないけど、キングレコードさん、スターチャイルドさんっぽいね、とか、ビクターのフライングドッグさんっぽいねとか、ランティスっぽいね、というのがあるじゃないですか。あれってやっぱり、奥井ちゃんたちが作ってきたものがスターチャイルドの顔となったり、フライングドッグの佐々木(史朗)【※】さんの音楽性みたいなものがフライングドッグさんのカラーになったり。そういうのがありますよね。
※佐々木史朗
1980年代後半よりビクター音楽産業(後のビクターエンタテインメント)でアニメ作品の音楽ディレクターとして活動を開始。2009年には、同社の流れを汲むアニメ事業会社である株式会社フライングドッグの代表取締役に就任。佐々木氏が関わったアニメ作品は、『AKIRA』『カウボーイビバップ』『カードキャプターさくら』『マクロスF』など数多い。
太田氏:
ありますね。
井上氏:
そういうふうにいろんなメーカーさん、レーベルさんがあったというのも、アニソンの成長につながっていますよね。いろいろあるっていうのが。