テーマソング「ONENESS」をレコーディングしたことで、出演者に一体感が生まれた
奥井氏:
あと、1年目は会場が大きかったから集客も大変だったんですけど、出るのを渋っていたメーカーさんとか事務所さんが実際のライブを見たら「やっぱり出たいな」と思われた人が多かったので、苦労してもやって良かったなと。それになにより、アーティストさんとか声優さんで「出たい」って思う人が増えたと思うので。
太田氏:
1年目を見て、翌年以降みんなが出たいと思ったのは、第1回テーマソングの「ONENESS」があったからですよ。絶対にそうだと思う。
奥井氏:
自分でも気に入ってる曲です。
太田氏:
初年度から「We are the World」みたいなテーマソングを作ろうって言って、奥井さんに作詞・作曲をお願いして「ONENESS」を作ったんです。
この曲の歌唱が全員参加だったから、レコーディングの時点でもうすでに、心ひとつになっていた気がするんです。
奥井氏:
出演者はそうですよね。あとスタッフさんも。
太田氏:
「ONENESS」が名曲だったことと、事前にレコーディングをして心ひとつで舞台に臨んだことで、「この次もこういう一体感で出られるんだ」という気持ちになった気がします。
奥井氏:
あの曲もすごく神経を遣って。evolutionで出したら「お前のところのレコード会社のためだ」と思われるからって、アニメイトさんから出してもらったんです。本当に自分たちの個人的な利益のためじゃないよ、というのを分かってもらうために。
太田氏:
ドワンゴで出すのもダメだなって、いちばん中立そうなアニメイトさんにお願いして。
奥井氏:
そういえばアニサマのDVDを出す時も「今回はここ」って、レコード会社さんを変えてましたよね。
太田氏:
発売を持ち回りにしたり、発売は委員会で、販売(流通)を持ち回りにしたりとか。2006年はビクターさんとキングさんでそれぞれリリースしていただいたりとか。
奥井氏:
権利の関係で出られないメーカーさんも最初はいたり。
太田氏:
2009年までは1回も、DVD/Blu-rayに全曲を収録できたことがなかったんですよ。必ず何らかの理由で曲が欠けてたんです。それをようやく全曲OKしてもらえたのが、2010年で。
──話が少し戻りますが、アニサマにテーマソングが必要だなと思ったのは、なぜなんですか?
太田氏:
なんででしょうね。奥井さんや森田さんとお話をしているなかで、「一体感を出すためにはテーマソングがあったほうがいい」という話にどちらともなく、なった気がします。
奥井氏:
第1回目のアニサマは「-THE BRIDGE-」というタイトルをつけていて。海外とか世界からもアニメを注目していただける時代になってきていたので、アニソンが世界の架け橋になれればいいな、という意識を持っていたんです。誰かと話し合ったわけではないんですけど、無意識下で太田さんたちが考えていたのと同じようなことを考えて、やっていたと思います。
太田氏:
アニソンのステータスを上げようということに関してはたぶん、みなさんが感じてたんじゃないですかね。それが矢吹さんの演出だとか、井上さんの「もっと新しいものを」という想いにもつながっていくので。
──アニサマの企画とかコンセプトに、そういうものが掲げられていたわけではないのですか?
太田氏:
どちらかというと、裏テーマですね。たぶんみんなが歯がゆい思いをしていて。当時、オリコンにもけっこう上がるようになっていたんですよ。「『ハッピー☆マテリアル』【※】をオリコン1位にしよう運動」が起こったりした時期なので。
※『ハッピー☆マテリアル』
2005年に放映されたTVアニメ『魔法先生ネギま!』のオープニング主題歌。シングル発売当時、ファンの間でこの曲をオリコンチャートの1位にランクインさせようという運動が起こった。
奥井氏:
特に偉い人たちが、それをすごく考えていたかも。太田さんだったり、井上さんも業界のことを考えてこういうのを始めようっていうのが多いですよね。
井上氏:
アニソン、アニソンって、何が何でも言い続けましたからね。言い続けると逆に責められない。ずっと言ってるから(笑)。
井上俊次氏がステージ演出を担当した、2年目のアニサマでの変化
森田氏:
2年目のアニサマは井上さんが演出をされていたじゃないですか。それは1年目の終わりに、太田さんと話をされていたんですか?
井上氏:
どうでしたっけね……。
太田氏:
「来年は僕がやりましょうか?」って、井上さんが言ってくださった記憶があるんです。
井上氏:
「ブッキングをもっとがんばらないとアカンな」と思ったんですよ。矢吹さんはブッキングの人ではないし、ドワンゴの方もそうでもなかったから、僕がブッキングをお手伝いしたほうがいいのかなと。
「来年も出たい」という人もいれば、「次の年はけっこうです」という人も出てくるじゃないですか。その代わりに、この年にヒットしそうな人をブッキングしていかないといけないとか。2005年ってもう『ハルヒ』【※】は出たんですかね?
太田氏:
2005年はまだですね。2006年に出ていただきました。
※『ハルヒ』
2006年4月~7月に放映されて大人気となった『涼宮ハルヒの憂鬱』から、平野綾氏、茅原実里氏、後藤邑子氏の3名が2006年のアニサマにスペシャルゲストとして出演。同アニメのエンディング曲「ハレ晴レユカイ」を披露した。
井上氏:
そういうふうにIPユニット的なヒット曲が出てくる時代に変わってきたので。それがレーベルやメーカーの枠を超えてっていうことは、レーベルの人たちと話さないといけないから。それで僕もレーベルの人間として、2006年にブッキングをやらせてもらったんですけど、やっぱり気を遣いましたね。今このタイミングで出てほしい人のブッキングに。
それと2年目の演出を引き受けたのは、大きな声では言えないですけど、ステージ関係のコストを下げたかったんです(笑)。
奥井氏:
1年目はかかりましたからね(笑)。長く続けるためには大事。
──太田さんとしては、アニサマというイベント単体での黒字化は気にされていたんですか?
太田氏:
まったく気にしてなかったです(笑)。
奥井氏:
出る人は好き勝手言うんですよ。「私が出る時にはこういう演出にしてほしい」って。私も出る側でしたけど(笑)。
太田氏:
そもそも第1回目のアニサマで、バンドを5つ入れて切り替えるっていう、メチャクチャなことをしましたから。固定のアニサマバンドがいつつも、誰々の時はこのバンド、この人の時はこのバンドって。よくできたなと思います。
井上氏:
僕がやってた2年目もそうですけど、その日仕込みだからね。前の日に仕込んで現地でリハをやるなんてことはなくて。当日のお昼1時ぐらいからリハーサルを2時間ぐらいやって本番っていう。大変だったよね。
奥井氏:
楽しかったですけどね。それはそれで。
井上氏:
あとは音楽業界だけじゃなくて、ステージ関係の人たちにも「アニソンかよ」みたいなところがあったりなかったりしたので。ツアー物じゃなくて単発のイベントなので、通常よりも高かったり、全力を出さなかったりっていうスタッフを、僕は何回か見たことがあるんです。そういう人たちではない、真摯な人たちとやっていく地盤を築きたかった、というのもあります。1年目がそうだったってわけじゃないんだけど、そういう人たちを集めて続けていくほうがいいなと。
やっぱりスタッフの人たちも、昔はちょっと偏見があったよね。
奥井氏:
はい、凄いありましたよー。
ニコニコ動画の盛り上がりで、さいたまスーパーアリーナへの移行を決断できた
──2年目の2006年と3年目の2007年は、会場が日本武道館になります。そして2008年からは現在まで続いている、さいたまスーパーアリーナ(SSA)での開催となるわけですが。
奥井氏:
最初は「なんとかモード」ってあったんですよね。
太田氏:
1年間だけアリーナモードでやりましたね。アリーナモードで2日間。
奥井氏:
次は会場全体になって、そのうち3日間になっちゃった。
太田氏:
アニサマの規模をこれ以上広げていくには、会場を武道館から大きくするとか、日数を増やすとかにしないといけない。そうしないとスタッフさんへのお支払い額を上げたり、出演者の皆さんにもうちょっと適正な出演料を払ったり、そういうことができないっていう状況になっていたんです。だからもっとお客さんを増やすしかないと思って、SSAにしたんです。
井上氏:
武道館を3日、4日押さえるのは大変ですからね。
太田氏:
押さえられるんですか?
井上氏:
押さえられないですよね、3日ぐらいしか。抽選もあるし。その当時はSSAのほうが使いやすかったのもありますよね。
太田氏:
会場をさいたまスーパーアリーナに移しても、アリーナモードなら少なくとも8割は入るっていうのが、前年の武道館の落選状況から見えていたんです。8割入っていればなんとか形にはなるから、イケるなと。でもまさか、そこでもソールドアウトするとは、さすがに思わなかった。
それで次の年は、速攻でスタジアムモードにして。アリーナモードが1万7000人で、スタジアムモードが2万5000人ですから。
──2007年が日本武道館で、キャパが1万2000人(実際には8500人の設計で代々木より減ってました)だったのに対して、2008年はキャパが(倍に)増えた上に、開催も2日間になっているのがスゴイですよね。
太田氏:
あの時って『らき☆すた』とかで、アニソンがすごく盛り上がっていたんですよ。本当にラッキーだったと思います。
あと……僕はもうドワンゴを離れてるので、言ってもいいかな。当時のアニソン界にとって、ニコニコ動画があったのは幸運だったんじゃないかって、ちょっと思っています。
井上氏:
それはめちゃくちゃ思ってます。当時のランティスがもうワンステップ高いところに行くにあたって、『らき☆すた』の存在がすごく大きかったんですけど、あの作品はニコニコさんのおかげで大ヒットしたと思っているので。あの主題歌もそうだし、ズンズンズンとファンの人とも近くなったし。
太田氏:
さいたまスーパーアリーナで2デイズができるんじゃないかと思ったのは、ニコニコ上でのアニソンの盛り上がりを体感できたのも大きかったですね。ニコニコだと再生数とかで、盛り上がりが分かるじゃないですか。
──可視化されますね。
太田氏:
CDは買ってくれないかもしれないけど、ライブには来てくれるだろうっていう人たちの動きが、ニコニコ上で見えたのは大きかったですね。
──とはいえ、2008年ぐらいのニコニコ動画だと、アニメに関してはまだいろんな問題がありましたよね?
太田氏:
ニコニコに対しては、権利者の方々って基本的には敵対姿勢で。たしかに違法アップロードされていたのは間違いないので、それはその通りなんですけど……。ニコニコチャンネルを作る時に、いろんな会社さんを口説きに行ったりしていたんですけど、音楽系では唯一ランティスさんが……。
井上氏:
「どうぞ!」みたいな感じでしたよね(笑)。
太田氏:
ランティスさんは当時すでに、バンダイナムコグループ【※】でしたよね? その時に井上さんが、バンダイナムコグループの事業説明会で、ニコニコに対してポジティブなプレゼンをしてくださったんですよ。
※バンダイナムコグループ
株式会社ランティスは2006年にバンダイビジュアルと業務提携し、2013年には完全子会社となった。さらに2018年にはバンダイビジュアルと合併。2021年現在、バンダイナムコアーツ内の音楽レーベルとなっている。
井上氏:
僕がニコニコを好きになった理由はふたつあって。
ひとつはね、当時のランティスは独身のスタッフが多くて。「ニコニコって友達と一緒にコタツで話しているみたいな感じで、ひとりでいても寂しくないんですよね」と言っていたんです。孤独な人たちがネットを通じてそういう気持ちになれるならいいなぁ、っていうのがあったんですよ。
もうひとつは、JAM Projectのライブの特典映像で、遠藤正明さんのお母さんが映ってる映像があって(笑)。スタッフが撮った映像で、お母さんが2階席で……
奥井氏:
タオルを振ってはって。
井上氏:
遠藤君はわりとシャイな人なんですけど、「お母さんありがとう」なんて言って、メンバーみんな泣き出したりして。そうしたらニコニコ動画で「いいな、こういう大人は」「オレたちも親孝行しなきゃ」「今からお母さんに電話しよう」みたいなコメントがビヤーッ!と流れてたんですよ。それを見て「スゴイ!」と思って、全面協力を決めました。
そういうのって、なかなか口に出して言えないけど、本当にポジティブなこと、いろんなことができるんだなと思いましたね。そういう話をバンダイナムコグループにもしました。
太田氏:
そういうふうに言ってくださって、嬉しかったですね。
ライブのオンライン配信や、アニサマの海外公演にも先鞭をつけたものの……
──ニコニコに関してみんなあまり指摘しないんですけど、コンテンツ業界とぜんぜん関係ないIT企業がボーンと立ち上げたわけではなくて、着メロとかでコンテンツ会社とやりとりをしていたなかで、ニコニコ動画を出してくるというのが面白くて。川上さんに話を聞くと、やっぱり裏ではいろんなやり取りをしていた、と言っていたんですよね。そのへんはどうだったんですか?
太田氏:
僕らは着メロとか着ボイスとかで、音楽業界や芸能界とそれなりのお付き合いがあったから、その後、話し合いができたというのはあります。それがなかったらたぶん、総攻撃を食らって終わりだったと思いますね。
井上氏:
JASRACと包括契約を結びましたよね。海外の他のサービスとも一斉に、って感じだったと思いますけど。
太田氏:
それなりの取引額があったから、無碍にもできない状態だったとは思うんです。コンテンツメーカーさんには毎年何億と払っていましたから。
井上氏:
唯一、日本のサービスでしたしね。海外のサービスに乗っからされてるわけじゃないから。さっきのアニソンとの親和性で言えば、アニソンって日本独自のものだから、純日本同士が手を組んだみたいなのがあったかもしれないですよね。
──アニソンが広がったひとつの要因として、ニコニコ動画上でのMAD動画を含めたある種の共有があった気がするんです。そのへんってコンテンツホルダー側からするとどうだったんでしょうか? なかなか触れづらいことだとは思うんですけど。
太田氏:
着うたの登場によってCDが売れなくなったのは間違いないんですよ。サブスクの登場でさらに売れなくなった。ネットがコンテンツを潰していったというのは間違いないんですけど。ただ一方でネットを上手く利用した人、または偶然乗っかれた人は、けっこうな恩恵を受けているはずなので。
僕らからすると、どうやってコンテンツの売り上げを維持しようかということを、ネットサービスの側からすごく真剣に考えていたというのがありますね。着うたをCDの特典にしたりだとか。僕らがコンテンツの売り上げを落としてしまって、質を落としてしまったら申し訳ない、という気持ちはありました。
井上氏:
大きなレコード会社とかコンテンツを持っているところには、ライツ事業部というのがあるじゃないですか。その立場の人たちから考えればとんでもない話になると思うんですよ。ストップをかけたり。
でももうちょっと大きな考え方で、これはアーティストのファンを増やすためにやっているんだと。ファンが増えればコンサートにもお客さんが来るでしょうし、どこにも広がっていくでしょうし。そういう指示さえ出ていれば、みんなオッケーしたと思うんですけど。やっぱり部署の判断になっていくと、なかなか難しいところがあったでしょうね。ランティスはちっちゃかったし、みんなでビャッと決めてたんで、イケたんでしょうね。
太田氏:
ニコニコとアニソンの相性としてはあと、ダンス物がありますよね。「踊ってみた」というカテゴリがあるじゃないですか。「ハルヒダンス」がめちゃくちゃ流行ったり、『アイドルマスター』みたいにダンスを伴う曲が流行り始めたりした時期と、ちょうどタイミングが合った気がしますね。
井上氏:
アニソンもダンス系に行きましたからね。もうちょっとしたら『ラブライブ!』も出てきましたし。
──ニコニコとの連動で言うと、有料配信のネットチケットがあるじゃないですか。コロナ禍で急速に広がったオンラインライブの先鞭みたいなものを、アニサマがつけていたのでしょうか?
太田氏:
先鞭はつけたんですけど、当時はNGのアーティストさんが多すぎて。2010年にネットチケットをやったんですけど、めちゃくちゃ文句を言われましたね。途中からNGアーティストさんの番になると画面真っ暗、みたいな。
──最近はどうなんですか?
太田氏:
最近は逆に、アニサマはネットとは距離を取っています。コロナ禍を経験した今は、また違うのかもしれないですけど。
森田氏:
でも演者は絞られる気がしますよね。
太田氏:
だからネットチケットは2010年に1回やったきり、それきりトライしてないですね。あっ、「アニサマ ガールズナイト」【※】でもやったかな。
※「アニサマ ガールズナイト」
出演アーティストやスタッフはもとより、観客も女性限定で開催されたアニサマのスペシャルバージョン。男性はニコニコ動画での配信のみ視聴できた。2010年秋に東京と大阪の2カ所で開催された。
奥井氏:
そっか、そっか。楽しかったなぁ、あれ。
森田氏:
ガールズナイトは2カ所でやりましたよね?
奥井氏:
大阪と東京。ファッションショーみたいなことして。楽しかったなぁ。
森田氏:
スタッフも女性なんだよね?
奥井氏:
全部女じゃない? 本も出して。ファッションブックみたいなのを出したんですよ。このへんはアニサマでちょっと新しいことをやろう、みたいな時期でしたよね。
太田氏:
さすがに3デイズは当時頭になかったので、2デイズ以上のことを何かやろうとすると、女性だけのイベントとか、海外とかって話になったんですよ。それで1回だけ、海外でも【※】やったんですけど。2012年(10月に上海で開催予定)は奈々ちゃんも出るってことになってたんだけど、尖閣問題で中止になっちゃって。
※アニサマの海外公演
2011年2月に、「Anisama in Shanghai -Only One-」が中国・上海で開催された。2012年10月にも上海でアニサマの開催が予定されていたが、本文中にあるとおり中止となった。
井上氏:
上海のメルセデスベンツアリーナに、下見まで行ったんですけどね。やったほうが良かったですかね?
太田氏:
やりたかったですね。正直、できた気がしますけどね。
井上氏:
最終的には「アーティストさんが中国に入った時に、ファンじゃない人たちからもしも何かあるといけないから」っていうのが、太田さんの判断だった気がします。
太田氏:
最後の最後はそうですね。そこには確かに責任が持てない。