あなたは周囲の人たちに「自分はゲームが趣味です!」と堂々と言えるだろうか?
おそらく、現在の中高年世代がそれを公言することには若干の抵抗があるかと思う。そういった世代の幼少期には、まだゲームの社会的地位が低かったこともあり、「ゲームは子どもがやるもの」「こっそり遊ぶもの」というイメージも強かった。
現代はゲームを趣味とすることを公言する俳優・タレントといった著名人が続々出てきたことなどもあって、「ゲームをするのは当たり前」という空気が生まれ、抵抗感も大きく薄れている。若い世代には、屈託なく「ゲームが趣味だ」と言える人も少なくないだろう。
そういった、社会におけるゲームの受容のされ方の変化は、じつは日本だけに限った話ではない。似たような現象がフランスでも起きていた、と話すのは『Clair Obscur: Expedition 33』(以下、『Expedition 33』)を開発したSandfall InteractiveのCEO兼クリエイティブディレクター、ギヨーム・ブロッシュ氏である。
ギヨーム氏によれば、かつてのゲームはフランスにおいてややマニアックな、“オタク的”なものとして扱われていたが、ゲーム系配信者などの登場もあり、現在では若い世代も含めて広く受け入れられているという。
一方、『SHINOBI 復讐の斬撃』の開発を担当したLizardcubeのCEO兼アート/クリエイティブディレクター、ベン・フィケ氏もまた「フランスでは、日本のゲームに込められた“職人芸”の数々に、多くの人が感銘を受けている」と語る。
ギヨーム氏とベン氏は、ともにフランス人のゲーム開発者でありながら、ギヨーム氏は日本のRPGに強い影響を受けた『Expedition 33』を、ベン氏はセガの忍者アクションゲーム『SHINOBI』シリーズの最新作を手がけるなど、日本のゲームとの強い“縁”を持っている。
また、両タイトルはどちらも世界的に高い評価を得ており、『Expedition 33』はメタスコアが93、『SHINOBI 復讐の斬撃』はメタスコアが90(記事執筆(8月31日)時点)と、ゲームオブザイヤーも期待されているほどだ。
フランス開発スタジオの躍進、そして日本のゲームとの“縁”について詳細をうかがうべく、電ファミ編集部は両氏の対談取材を実施することにした。冒頭の発言は、そのインタビューのなかで両氏が語ってくれた内容の一端である。
話を聞いてみると、ギヨーム氏とベン氏はともにフランス西部の“田舎”で生まれ、人生初のゲームはどちらもセガハードという、意外な共通点を持っていた。
ギヨーム氏は、一時期はマニアックな娯楽としてのイメージの強かったゲームが、世代の若返りと時代の変化で今では多くのフランス人がゲームに親しみ、とりわけコアなゲーマーのあいだでは日本のゲームが強くリスペクトされていると語る。
ベン氏もゲームを含む、日本のエンタメ全般にはどの文化よりも楽しむ側に語りかけてくるものがあり、そこに込められた職人芸の数々に感動しているという。
さらに『SHINOBI 復讐の斬撃』の題材である忍者について話題がのぼると、おふたりは揃って“とあるマンガ”がフランス国内で絶大な影響を及ぼしていることに言及。おそらく、脳裏に“うずまき”が浮かんだ人がいるかもしれないが……答えはぜひ本文を読んで確かめていただきたい。
フランスにおけるゲームはかつて「マニアックなもの」だったが、世代の若返りと共に変化。また、ゲーマーのあいだでは「日本はビデオゲームの本拠地」と称えられている?
──ギヨームさんとベンさんは、日本のビデオゲームへのリスペクトを表明されています。フランスと言えば、日本のマンガやアニメにも高い関心を持っている国として知られていますが、ビデオゲームはどのように受け取られているのでしょうか?
ギヨーム・ブロッシュ氏(以下、ギヨーム氏):
ビデオゲームに関しては、フランス国内だと人によってさまざまな見方がありますね。私個人ですと、学生だった頃のゲームに対するイメージというのは、ややオタク向けのエンタメだった感じがあります。
──あまり周りの人たちに対して堂々と「ゲームが趣味です!」と言えない空気があったのでしょうか。
ギヨーム氏:
そうですね。大雑把に「自分はゲームをやっています!」と、周囲に向けて喧伝するようなことはなくて、個人で黙々と楽しんでいるタイプの娯楽だったという認識です。ややオタク的な扱いでしたね。

ただ、最近は世代が若返ったことや、YouTube、VTuberといった配信者の台頭もあり、世間のイメージが変わってきている実感があります。私の学生時代とは異なり、オタクっぽさも薄れ、マンガやアニメと並ぶ人気の娯楽のひとつになってきていますね。
──そのような変化があるなかで、日本のビデオゲームに関する人気の度合いはどうだったのでしょうか。もともと根強いファンがいる、といった状況だったのですか?
ギヨーム氏:
いわゆるモバイルのカジュアルゲームではなく、コンソールのゲームを熱心に遊ぶゲーマーだと、誰もが日本のゲームをリスペクトしているように感じます。「日本はビデオゲームの本拠地である」と称えられ、認識されているように思います。
ベン・フィケ氏(以下、ベン氏):
フランスは日本の文化全般がとても好きで、マンガやアニメに関しては1980年代に誕生した作品の支持が特に厚いのですけれど、ビデオゲームもそれらに負けず劣らずの人気がありますね。
これはビデオゲームも含む、すべての日本のエンタメに対して言えることなのですが、私たちは特にそこに込められた職人芸の数々に大きな感動を受けています。どの文化よりも楽しむ側に語りかけてくるものが、日本のマンガ、アニメ、ビデオゲームにはあると感じていますね。

──ベンさんたちが制作された『SHINOBI 復讐の斬撃』で題材になっている忍者も日本の代表的な文化のひとつとして知られるものですが、フランス国内では忍者に対してどのようなイメージがあるのでしょうか?
ギヨーム氏:
忍者に関しては、特にフランスでは『NARUTO -ナルト-』(以下、『NARUTO』)が若い世代に大変な人気を集めています。『NARUTO』は世間の忍者に対する認識を広げた作品だと認識しています。
逆にもう少し上の世代になりますと『NARUTO』ではなく、1980年代にアメリカで上映されたB級映画が有名で、そちらのイメージを持たれている方が多い印象ですね。
忍者自体に関しては、ファンタジー的な受け取られ方をしている印象がありますね。日本の歴史において実在していたのは確かですが、架空の世界の登場人物として見られていると言いますか……。その独特なアクションも含めて超人的な存在として受け取られている感じですね。

ベン氏:
『NARUTO』の影響は本当に大きいですね。フランス国内に限らず、世界中に忍者に対する認識を広げた作品だと思っています。私たちも『NARUTO』には強く影響を受けていまして、今回の『SHINOBI 復讐の斬撃』にも若干、反映されているかもしれないです。
生まれ故郷、初めて触れたゲーム機のメーカー、そしてゲーマーとしてのキャリアまで奇跡的な共通点を持つ2人
──おふたりはどのような形でビデオゲームに出会い、心を惹かれたのでしょうか。また、当時好きだったゲームについてもお聞かせください。
ギヨーム氏:
話せば大変長くなってしまうのですが……私はパリの西のほうで生まれ育ちまして、ごく普通の子ども時代を過ごしてきたように思います。
ゲーマーとしてのキャリアは3歳から始まり、当時父親からメガドライブをもらって、『獣王記』【※】をよく遊んでいました。

ギヨーム氏:
その後はプレイステーションのゲームをよく遊んでいて、『ファイナルファンタジー』や『アトリエ』シリーズといった日本のRPGタイトルをひと通りプレイしました。
アクションゲームではカプコンの『デビル メイ クライ』シリーズ……プレイステーション2で発売された『Shinobi』もプレイしています。
ただ私自身、任天堂のゲーム機とタイトルにはあまり触れる機会がなかったんですね。
ベン氏:
ギヨームさんと同じく、私も任天堂のゲーム機には触れる縁がなかったんですね。あと、じつを言いますと私もパリの西にある田舎で育ちまして……。すごい偶然ですが、ギヨームさんといろいろ似ているかもしれません(笑)。
──おふたりはもともと面識があるのでしょうか?
ギヨーム氏:
いえ、私たちSandfall InteractiveとLizardcubeさんとは今まで接点がなく、今回の対談で初めてお話をさせていただきました。ただ、Lizardcubeさんの開発された『SHINOBI 復讐の斬撃』はタイトルアナウンスがされた時から「非常にエキサイティングなゲームが出てきたな」と注目していましたし、発売日を迎えることを楽しみにしています(編集部注:対談は8月18日に実施)。
ベン氏:
ありがとうございます。私たちも今回の対談をとても楽しみにしていました。『Expedition 33』の素晴らしい活躍には目を見張っていましたし、フランスから世界的な注目を集める独立系スタジオが台頭したことを誇りに思っています。
質問への回答に話を戻すと、私が初めて触れたゲーム機はセガ・マスターシステム【※】で、そこでアーケードゲームとして誕生した『忍 -SHINOBI-』1作目の移植版を遊びました。
※セガ・マスターシステム:1986年にセガ・オブ・アメリカから発売されたセガ・マークⅢの北米市場向け機種。日本でも1987年にFM音源、連射機能を内蔵して発売。
ただ、私はギヨームさんとは違い、日本のRPGはあまり遊んでいなくて、おもにメガドライブで発売されたベルトスクロール型のアクションゲームをプレイしてきました。
よく遊んでいたのは『アラジン』【※】と『ベア・ナックル』シリーズです。
※『アラジン』:同名のディズニー映画を原作とする2Dアクションゲームで1993年にセガからメガドライブ向けに発売。アメリカのVirgin Games USAが制作。

ベン氏:
その後も『DOOM』、『カウンターストライク』といったFPSもプレイしてきました。あと、お気に入りとしては『塊魂』があります。それから、『ワンダと巨像』を筆頭に上田文人さんのゲームには大変な感銘を受けています。先日、電ファミニコゲーマーに掲載されていた、高橋慶太さんと上田文人さんの対談も興味深く読ませていただきました。
また、私自身のクリエイターとしてのキャリアは子どもの頃に遊んでいたゲーム……今回の『SHINOBI 復讐の斬撃』もそうですが、そのようなタイトルを現代に作り直していることが多くを占めている感じですね。そこもギヨームさんとは少し違うところとなります。
──ちなみにおふたりは年齢も近いのでしょうか?
ギヨーム氏:
私はいま、33歳になります。
ベン氏:
44歳です。ギヨームさんとは10歳ほど年の差がありますね(笑)。
──先ほど任天堂ハードには縁がなかったというお話がありましたが、おふたりそれぞれの世代における感覚として、フランスではどのハードの人気が高かったのでしょうか?
ギヨーム氏:
家庭それぞれによる、といった感じでしたね。もともとフランスではひとつの家庭に複数のゲーム機があるということ自体が割とレアケースなんですよ。私の場合はいくつかのハードを所有していたので、どのゲーム機を選ぶか否かは自身の気分次第であったように思います。それが結果としてメガドライブであり、プレイステーションであったという感じですね。
ベン氏:
私の場合は友人がセガ・マスターシステムを持っていたため、同じものを購入した、という形でした。そもそも、ほかに選択肢が存在することを当時の私はまったく知らなかったんです(笑)。
ですので、実際にフランス国内でどのゲーム機の人気が高かったのかについては私はわからなくて……。任天堂ハードのほうが人気が高かったかもしれませんし、そうではなかったかもしれません。
──なるほど、おふたりがともに“セガハード”で育ったのは、フランスにおけるセガ人気を表すものかとと思ったのですが、必ずしもそういうわけではなかったんですね。
ともあれ、セガハードに触れて育ったおふたりは現在ゲームクリエイターとなり、とくにギヨームさんは『Expediton 33』が世界的に高く評価され、300万本を超える販売本数を記録しました。ベンさんはその成功をご覧になられてどう感じていらっしゃいますか。
ベン氏:
あれほど自分たちのゲームでやりたいことをやり通し、世界規模で大きな成功を収めたのは本当に凄いことだと思いますし、独立系の小さなスタジオにとっては、夢のような出来事です。ぜひ、このまま自らの道を突き進んで、素晴らしいゲームを作り続けてほしいと思います。
──ギヨームさんは、Lizardcubeにどのような印象をお持ちになられているのでしょうか。
ギヨーム氏:
Lizardcubeさんに関しては、私たちと似たようなことに取り組んでいるスタジオだと思っています。Lizardcubeさんはアクションゲーム、私たちはRPGと、扱っているジャンルはまったくもって違うのですけれど、既存のゲームジャンルやゲームシステムを新しく、モダンかつユニークに作り変える取り組みをしているのは凄く似ていますし、シンパシーを感じます。
『SHINOBI 復讐の斬撃』もトレイラーを拝見して、あの往年の名作忍者アクションゲームを現代に即した形に作り替え、なおかつ新しい試みにも挑戦されていることに目を見張りました。製品版の発売と実際に触れる時をとても楽しみにしています。
ベン氏:
ありがとうございます。