“世界三大宗教”の中で、キリスト教や仏教はなんとなくわかるものの、さすがにイスラム教はよく分からないという日本生まれの読者は少なくないだろう。
ニュース番組では、宗教に根ざす国家・組織の対立関係や、石打ちで死刑にする法律の話など、価値観や常識の大きな違いを耳にしがちだ。たとえば2020年1月にはイランの民兵組織の司令官の暗殺とそれに対する報復とも取れるアメリカ軍基地への攻撃があり、あらためてイスラム教のバックボーンである中東およびペルシャ湾岸地域に不穏な空気が立ち込めつつある。
実際、日本はアメリカの同盟国だというだけなら話は単純だが、「アメリカがどう言おうがイランからも原油を買うよ」というのが、比較的最近まで日本のエネルギー安全保障政策の基本だったりした。我々が日常的に意識する以上に、日本は中東・ペルシャ湾岸地域と深い関係で結ばれている。
さて、少し前のニュースとなるが2014年、東京のさる古書店に「勤務地:シリア」と記載されたIS(イスラム国)の求人ビラが貼られ、実際に何人かが応募しようとして警察の事情聴取と家宅捜索を受けたという事件があった。
このとき応募者たちの渡航を手助けしようとしたとされ、同じく警視庁公安部の事情聴取と家宅捜索を受けたのが、イスラム法学者の中田考(なかたこう)氏だ。
そんな、何かと世間を騒がせがちで、いまだに外務省からパスポートが返却されていないという同志社大学客員教授 の中田考氏が「学術協力・解説文執筆」を担当し、2019年秋のゲームマーケットで発売されたボードゲームがある。それが、イスラム教の教義が学べる『カリフ』(ウニゲームス制作、公式サイト)だ。
先ほど述べた2014年の事件のときは、世間がさんざんワイドショー的な騒ぎ方を繰り返したせいもあり、氏の地位やスタンスはいまだに広く理解されているとは言いがたい状況だ。大切なのは、彼が実際にひとりのムスリム(イスラム教徒)であり、イスラム世界に広く受け入れられ、しばしば日本人にからむ問題解決のための相談を持ち掛けられるだけの実力を持った法学者(ウラマー)であることだ。
おそらくは日本でもっともイスラム教に詳しい、本物のイスラム法学者(ウラマー)が制作に参加したボードゲームをプレイしたら、我々のイスラム教に対するイメージはどう変わるだろうか。というわけで、筆者が『カリフ』をプレイしてみた体験を、この記事では紹介してみよう。
指導者「カリフ」を目指す“イスラムモノポリー”
そもそもゲーム名にもある「カリフ」とは、イスラム教共同体の最高指導者である“神の使徒(ムハンマド)の代理人”のことだ。
イスラム教徒の政治指導者として派閥を分裂させながらも続いてきたもので、オスマン帝国解体期の1924年に途絶えた社会制度だが、最近だとIS(イスラム国)がこれを復活させようとしている。
アナログゲームの『カリフ』は、3人から4人のプレイヤーが盤上で協力と競合を繰り広げながら、カリフに就任することを目指すゲームである。
『カリフ』では、「スタート地点の宮殿カード」と「伏せた11枚のカード」によって作られる輪が盤面となる。その輪の上を各人のプレイヤーコマがすごろくのようにぐるぐると廻るのが、ゲームの基本的な展開だ。
ここで留まったカードによってイベントが起きたり、利用可能な手札が手に入ったりし、各人の「徳」ポイントと「名声」ポイントが上がっていく。要するに『モノポリー』みたいなものだ。勝敗はゲームが終了したときのの「徳」ポイントと「名声」ポイントの合計値で決まる。
また、イベントの中にはムハンマドの誕生の地メッカを巡る「メッカ巡礼」もある。勝つために1度はこなしておくべき必須イベントなのだが、ふたたびび同じ働きを持つカードの上に「帰還」するまでは巡礼中の扱いとなり、一部のカードのイベント・効果が発生せず、積極的にプレイに関われなくなる。
このほかにも、『カリフ』では手札として手に入れた「反乱」や「追放」といったカードを使って、特定のプレイヤーの妨害も可能だ。
さて、そんな『カリフ』のゲーム終了条件とは、誰かがカリフになった時点である。また「徳」と「名声」を伸ばして自分が勝利するためにも、カリフになることは重要だ。
カリフになるためには必須条件を満たしたうえで、他プレイヤーとの間の婚姻関係で身内を増やしておいたり、頑張って他プレイヤーの賛同を取りつけたりするのが早道なのだが、必須条件とは以下の3項目だ。
■「徳」と「名声」がどちらも17ポイントを超えている
■「メッカ巡礼」をこなしている
■「イジュティハード」をこなして、そのカードを3枚以上持っている
「いやいや、で、その新しく出てきたイジュティハードって何よ?」というところだが、この部分がこのゲームの核と言ってかまわない。イスラムの考え方を実践を通して学べる、非常に興味深いプレイ内容なのだ。
我らの常識、彼らの常識──イスラム的に正しいかどうかを判定する「イジュティハード」
イジュティハードは、公式サイトでは以下のように解説されている。
本作の大きな特徴であるイジュティハードとは、クルアーンに基づいて自分で答えを探す行為です。法的知識を持ち、賢明であることがカリフとなるための条件の1つなので、あなたは難問に答えていくことで自身のカリフの資質を皆に示します。
これらの問題には日常生活で遭遇するような問題や現代社会に通じるような問題が含まれます。普段の自分の常識を離れ、ムスリムになったつもりでこうした問題に取り組む時、新しい視野で物事を見る楽しみを体験できます。
このゲームにはそのイジュティハードのカードが存在しており、自分のコマがそのカード上に留まったプレイヤーは、そこに書かれた人生相談(実際そんな感じの問題が多い)……というか、問題文を読み上げたうえで、それに対する自分なりの答えを全プレイヤーに向かって宣言しなければならない。
それを聞いた他プレイヤーは、ゲームに付属する、中田考先生謹製の「イジュティハードガイドブック」で、該当する問題文に対するイスラム的見地からの解説文を読み、宣言された答えが正しい、あるいは同意できるか判断する。
そして同意できると判断した場合にだけ、宣言したプレイヤーが差し出した手の甲に自分の手を重ねることで、バイア(誓い)に応ずる。
原則として、全員分の同意を取りつけられた場合のみイジュティハードは成功となり、答えを宣言したプレイヤーはガイドブックに示された獲得コストを払って、その「イジュティハード」カードを手に入れる。これを少なくとも3度成功させなければならないのだから、カリフを目指すのもなかなかたいへんである。
ここで面白いのが、我々の常識と、聖典「クルアーン」(いわゆるコーラン)とハディース(ムハンマドの言行録的な伝承)に根拠を求めるイスラム的な考え方、そこにあるであろう価値観の違いを体験できることだ。
以下、若干ネタバレになるため、ゲームを初見で楽しみたい人は読み飛ばしてほしいが、たとえば「貯金や保険で将来の不安に備えることは、神を信じていないことになるか?」という趣旨の問題文がある。これに対するガイドブックの解説は、保険はイスラム法で禁じられた賭博に該当する可能性が否定しきれないといった、イスラム法上のメジャーなトピックをばっちり含んでいたりして、判定側の心を大いに揺らしてくれる。
問題文には「毎日がつらくて死にたい」、「彼女がぜんぜんできない」などなど、重大だが一口に答えづらい問題が多々用意されていて、自分なりの答えを宣言する側も、そのイスラム的妥当さを判定する側もなかなかに楽しい思考ゲームができる。
我々が常識だと思っている考え方は得てして、知らず知らずのうちに西ヨーロッパ由来の権利/義務概念やヒューマニズムの影響下にあるのであって、その問題をまったく別の観点から考える人たちが世界に最大15憶人(≒ムスリム人口)くらいいるはずであることに、我々は無知なのである。
たとえば「政教分離の原則」はキリスト教を取り巻く文脈として西ヨーロッパで作り上げられた考え方にすぎないのであり、それとムスリムの生活習慣とがときに衝突することなどは、ある意味当たり前の話なのだ。
また、前述したバイア(誓い)にいたる手続き自体もたいへん興味深い。イスラム法の現実への適用は、多くの場合「クルアーン」や「ハディース」にある、構図が似た記述を援用し、類推することで判断しているという。
ここでプレイヤー各自が宣言の正否を、ガイドブックの記述を参考にしながら判断するというやり方は、おそらくはその形からしてイスラム法における問題解決のプロセスに似せて作られているのだ。
新しいイジュティハードは拡張パックに期待
実際にプレイしてみた所感としては、得点ボードはデザインとして美しいが視認性にかなり難がある、カードイベントではダイス判定回数が多く、またダイスの使い方もわりと複雑で、パッケージに記された1回あたり90分や60分でプレイするのはかなり難しいのではないか……という印象を受けた(一応、先述の3条件のうちひとつを満たせばカリフ選挙が発生するショートルールも用意されている)。
また、前述したイジュティハードはその性質上、知識として各プレイヤーの頭に定着していってしまうと、当初実現していたプレイの面白さが失われてしまうという宿命がありそうだ。
ただ、このイジュティハードの枯渇については、2020年春のゲームマーケットに向けて予告されている2人-5人対応用拡張パッケージ「第五の黒き旗」で、「中田考先生による新しいイジュティハードも追加されます」とアナウンスされているので、ある程度のフォローが期待できそうである。まずもって朗報と言ってよいだろう。
先述したイジュティハードのことを考えたとき、本物のイスラム法学者(ウラマー)が参加しているという、他の作品にはまずない制作体制の意義は、たいへん大きいように思われる。
ムスリムの社会や行動様式を外側から見てあれこれ言う普通の学者さんと異なり、中田考氏はイスラムの考え方や価値観を高度に体得した人である。その中田考氏が面倒見ている作品であることが、プレイを通じて「価値観の違いを知る」という体験を、濃いものにしてくれていると感じた。
シリア情勢やISの問題を別に考えるとしても、2002年以降の西ヨーロッパ各国はほぼ一様に、ムスリムを中心とする移民への審査を厳しくしている。識者によれば産業の三次化つまりサービス産業化が、言語や生活習慣を同じくしない移民の、労働力としての価値を低下させていったことの必然的帰結であって、旧来的な意味での異文化/多文化共生は岐路に立たされているのだという。
ただ、そうした、ともすれば排外主義や文化統合の強制に傾きかねない状況にあっても、イスラムは中東やアフリカ、東南アジアを中心に、いま生きている人々、明日出会うかもしれない人の価値観として厳然と実在する。我々がそれに触れるための糸口として、『カリフ』はなかなかに興味深いボードゲームではないだろうか。