なぜ『FGO』はここまで大ヒットになったのか? ──『FGO』がソーシャルゲーム界の”特異点”となった3つの根拠

 先日にソーシャルゲームの「ガチャ」の仕組みを解説したインタビュー記事が好評を博した、ゲーム開発者・かえるDさん

 今回は元ソーシャルゲーム開発者の視点から、『Fate/Grand Order』がヒットした理由の本質について分析していきます。2015年のリリース以来、ソーシャルゲーム界のトップランナーであり続ける『FGO』。どうしてここまでヒットしたのでしょうか?
 かえるDさんによる答えは、「『FGO』は既存のソーシャルゲームの文脈から外れた特異点であり、『Fate』が「展開する物語」だったから」というものでした。(編集部)

※本稿ではソーシャルゲーム開発者の視点から、『FGO』が爆発的なヒットになっていった2016~2018年前後の動向についての分析を中心とさせていただいております。


 『Fate/Grand Order』(以下、『FGO』)は、リリースから5周年を迎える2020年の現在でも、人気がありとても売れている。

・2019年国内モバイルゲーム売り上げランキング1位(711億円)

・2018年国内モバイルゲーム売り上げランキング2位(855億円)

・2017年国内モバイルゲーム売り上げランキング2位(896億円)

 

 (それぞれ『ファミ通モバイルゲーム白書2020』、『ファミ通モバイルゲーム白書2019』、『ファミ通モバイルゲーム白書2018』より)

 人気はあるし、とても売れている。でも、なぜここまでヒットしたのかを説明するのはとても難しい。

 あるひとは「版権が良かった」といい、あるひとは「ストーリーが良かった」という。でも、たとえトップレベルの版権でも『FGO』ほどに売れている例は少ない。また、「ストーリーが良いから売れた」というのは本当だろうか? 『FGO』でなくても、ストーリーが良い作品はたくさんあるはずだ。
 それにもかかわらず、なぜ『FGO』はこれだけのヒットタイトルになったのだろうか?

(画像はFate/Grand Orderの世界|Fate/Grand Order 公式サイトより)

 実際に『FGO』を分析して、再現しようとしたゲームは過去に何本も現れた。それこそ、『FGO』のパブリッシャー自身が、『FGO』を再現しようとしたのだと思われるゲームもいくつか見られる。
 ところが、そうした後発のフォロワータイトルたちは、どれも本家『FGO』ほどのヒットにはなっていないのだ(直近では『ディズニー ツイステッドワンダーランド』が健闘しているが)。

 『FGO』運営・開発の内部に近い人間が真似て作るのならば、ある程度の数値もわかるだろうし、何が良かったのかも知っているはずだ。しかし、現実はそうではなかった。
 いったい何を間違えたのだろうか? システムで余計なことをしてしまったのだろうか?それともストーリーや、キャラクターが『FGO』ほどよくできていなかったのだろうか? そもそも、『FGO』の本質はどこにあるのだろうか?

 本稿は、『FGO』がヒットした理由の本質について、多くの制作者インタビューなどの資料を読みこんだうえで、私なりの考え方をまとめてみたものだ。もちろんこれは私個人の考えであって、正しい回答かどうかは、それこそ実際に作ってみないとわからないだろう。
 ただ、本稿では少しでも再現性のある回答を残せるように心がけたつもりだ。今後のゲーム作りのヒントとなることができれば幸いだ。

文/かえるD
編集/実存


なぜ『FGO』はこれほどヒットしたのか?

 結論から書いておこう。私が考える『FGO』がヒットした理由はこうである。

 『FGO』は既存のソーシャルゲームの文脈から外れた特異点であり、『Fate』が「展開する物語」だったから。

 その根拠は下記の3点だ。

 1)『FGO』は既存のソーシャルゲームの枠組みと全く異なる、「ストーリーゲーム定期配信プラットフォーム」である。

 2)2010年代のソーシャルゲーム市場には「展開する物語」の供給が途絶えており、『FGO』はその需要に応えた。

 3)『Fate』シリーズが「劇的な展開」や「熱い展開」を何度も読ませる物語だったため、『FGO』もまたその物語構造を受け継いでいた。

 まずは、1)『FGO』が既存のソーシャルゲームの枠組みと全く異なる、「ストーリーゲーム定期配信プラットフォーム」であるということについて説明していくが、その前提として、既存のソーシャルゲームにおけるストーリーの扱いについて確認しておこう。

いつでも取り返しのつく平坦なストーリーが続く、既存のソーシャルゲーム

 ソーシャルゲームのストーリーを読んでいて、「ずっと似たような展開が続いているし、面白くないな。スキップするか」と思ったことはないだろうか。

 タメや、山場もなく、淡々と味方が仲間になって、悪いボスを倒していくという平坦な展開ばかりが続く。さらに言えば、メインキャラは死ぬことがなく、裏切ることもなく、何らかの取り返しのつかないことは決して起きることがない。

 一般的に「ソーシャルゲーム」に分類されるスマホゲームのストーリーにおいては、こうした構造がよく見られる。プレイヤーからすると面白みに欠けるわけだが、実は既存のソーシャルゲームのストーリーがこうした構造になっているのは、制作・運営側の都合によるものが大きい。

 その理由は大きく分けると3つある。

プレイヤーが話の筋を忘れてしまってもわかるようにしなければならない

 1つめは、「プレイヤーが話の筋を忘れてしまってもわかるようにしなければならない」ということ。

 ソーシャルゲームのメインストーリーの進行間隔は、半年~1年のものが一般的だ。連載漫画やテレビドラマとは違って、プレイヤーがストーリーの続きを読むのは少なくとも数カ月後になるので、極力忘れてもわかるようにする必要がある。
 たとえば、劇的な展開する物語を作り、次回が気になるような引きを入れて配信したとしよう。しかし、次の話が読めるのは半年先だとしたらどうだろうか? その話を読んだときのワクワクが半年先まで持続することはないだろうし、そもそも内容を忘れている可能性のほうが高いだろう。
 そのため、ソーシャルゲームのストーリーでは、伏線や急展開、次回への引きなどといった、連載型物語の基本的な技法を使うことさえ難しいのだ。

 また、最近のソーシャルゲームではボイス付きでストーリーが展開されるケースも多くなったが、これもまたストーリーの更新が遅くなってしまう一因だ。仮に人気声優さんを起用した場合、最低でも6ヶ月程度は工数がかかってしまうという事情もある。

課金やガチャで手に入れたものの価値を減らしてはいけない

 2つめは、「課金やガチャで手に入れたものの価値を減らしてはいけない」ということだ。
 もし、苦労して育てたキャラがストーリーの都合で死んだり裏切ったり、レアアイテムが使えなくなったりしたとしたら、そのプレイヤーは間違いなく怒るだろう。そのため、キャラやアイテムの価値を減らすような展開をストーリーに組み込むことはできない。

 たとえば、新しく発売した課金アイテムが強すぎて、ゲームバランスが崩れてしまったとき、ナーフ【※】で対応して炎上する……といったケースがこれに該当する。課金をして一度ユーザーの手に渡ったものは、原則的にユーザーのモノなのだ。勝手にユーザーの所有物の価値を下げるようなことはしてはいけない。

※ナーフ(Nerf)
パッチやアップデートなどで、キャラクターやアイテム、スキルなどの能力や効果、強さなどが下方修正・弱体化されること。

 これを覆すような対応をしてしまうと、「このゲームの運営は、自分が持っているモノの価値を否定する」という致命的な評価がついてしまうことになる。そのため、「可能な限り下方修正はするべきではない」という運用が合理的な判断になる。

ガチャとストーリーを連動させるのが難しい

 そして3つめは、「ガチャとストーリーを連動させるのが難しい」ということ。なぜなら、ガチャはベースとなるゲームバランスを破壊することで、ユーザーにメリットを提供するようになっているからだ。

 このため、ストーリー上ではすごく緊迫した状況だったとしても、ガチャで手に入れた強力なキャラやアイテムがあれば、オートで何も考えずにクリアができてしまうというような状態が生まれる。
 だから、ギリギリの状況をくぐり抜けるような感動や、「何度も挑戦してやっとの思いで倒せた」「この敵はすごく強かった」といった、ストーリーとゲームのテンションを一致させることが非常に難しい。

 つまり、ガチャはゲームバランスを破壊しなければ売れないのだが、逆にゲームバランスを守ろうとするとガチャは売れなくなってしまう。
 もちろん、ストーリーはできればタメや山場があって起伏に富んでおり、最後には劇的な展開が待っているものが望ましい。それは開発・運営側も重々承知しているのだが、ガチャが売れなければ、そもそもゲーム運営を続けられないのである。
 結局のところ、多くのソーシャルゲームはキャラの供給のコントロールなどでバランスを取ることになるが、これがまた難しく、シナリオとゲームの両立は苦境に立たされる。

 まとめると、既存のソーシャルゲームには「プレイヤーが話の筋を忘れてしまってもわかるようにしなければならない」、「課金やガチャで手に入れたものの価値を減らしてはいけない」、「ガチャとストーリーの連動が難しい」という3つの制限がある。
 これらの制限を満たした上で、タメや山場があったり、伏線や急展開があるようなストーリーを作るのは、至難の業だと言えよう。既存のソーシャルゲーム開発・運営側も、いつでも取り返しのつくような、平坦なストーリーを作りたくて作っているわけではないのである。
 上記の制限に加えて、ゲームを運営していく上でのさまざまな条件を考慮した合理的な判断の結果として、既存のソーシャルゲームのストーリーが生み出されているのだ。

1.『FGO』はソーシャルゲームではなく、「ストーリーゲーム定期配信プラットフォーム」

 では、そのような既存のソーシャルゲームに比べて、『FGO』はどう違うのだろうか?

 まず私が主張したいのは、『FGO』は「ソーシャルゲーム」ではなく、「ストーリーゲーム定期配信プラットフォーム」とでも言うべき、全く新しいフォーマットを生み出したということだ。
 『FGO』は一見すると「既存のソーシャルゲームに重厚なストーリーを載せた」ように見えるが、その中身は全く別物である。『Fate』のコンセプトを実現するために、パーツは似ているけど全く違う、ソーシャルゲームの特異点とも言うべき存在となったのだ。

(画像はFate/Grand Orderの世界|Fate/Grand Order 公式サイトより)

 「ストーリーゲーム定期配信プラットフォーム」であることで、『FGO』が得た利点はなにか。それは、「ストーリーを主軸にできる」こと、そして「ストーリーとゲームの連動が圧倒的に速い」という点だ。

『FGO』はメインストーリーをユーザーに追わせる

 まず驚くべきなのは、『FGO』は「メインストーリーを追う」ことをユーザーに積極的に打ち出している、というところだ。
 たとえば、最新のイベントに参加する条件としてメインストーリーの第一部クリアまでプレイする必要があったり、メインストーリーの更新にあたって、既存のストーリーに必要なスタミナを下げるので話に追いついてください、といった施策を行っている。

 これは、既存のソーシャルゲームからすれば「ありえない」と言っても過言ではない。
なぜなら、一般的なソーシャルゲームのメインストーリーは、序盤のプレイ動機を駆動させるものとして設計されているからだ。ユーザーからみた日常のゲームの大部分は「(メインストーリーに干渉しない)イベントをこなすこと」であって、メインストーリーの続きを追っていくことではない。
 だから、新規ユーザーがメインストーリーを5章まで進めないとイベントに参加できないといったような施策は、ほとんど「一見さんお断り」のようなものなのである。

 一般的なソーシャルゲームでは、ストーリーを挟めば挟むほどユーザーは離脱していってしまう。実際のところ、私が過去に関わった長めのストーリーものでは、最後までプレイしてくれるユーザーは、アクティブユーザー全体の1割から3割に満たなかった。
 したがって、その少ないユーザーに向けてメインストーリーを更新するよりは、ユーザー全体が楽しめるイベントストーリーに力を入れるのが自然な形となる。

 こうした一般的なイベント中心のソーシャルゲームの運用ルールからすると、『FGO』はだいぶ無茶をしているように思えるだろう。
 しかし、既存のソーシャルゲームと『FGO』では、メインストーリーの重要度が圧倒的に異なる。原作者・奈須きのこ氏が書く『Fate』シリーズの“本編”が配信され、最新話はこのゲームを介してしか読むことができない。しかも、読まなくても良いサブラインの話ではなく、今までの『Fate』の枠組みを超えた、スケールの大きな『Fate』本編が展開される。

(画像は遊び方|Fate/Grand Order 公式サイトより)

 つまり『FGO』におけるストーリーは、決して「序盤のプレイ動機を駆動させる」という補助的なものではなく、この作品の主軸となる、本来的な意味での「メインストーリー」なのだ。
 ストーリーが主軸となるからこそ、その更新速度も速い。既存のソーシャルゲームでのメインストーリーの更新間隔は半年~1年程度だが、『FGO』では1~3ヶ月ほどの間隔で次の話が読める。『週刊少年ジャンプ』のような連載漫画のライブ感や、次の展開が待ち遠しくなるような感覚を実現していると言えよう。

 これほどにストーリーに力を入れられるのは『FGO』が「ストーリーゲーム定期配信プラットフォーム」だからできることであり、その強みでもある。 
 これに加えて、このフォーマットには「ストーリーとゲームの連動を圧倒的に速くできる」という利点もある。

『FGO』はストーリーとゲームの連動速度が圧倒的に速い

 『FGO』では、メインストーリーの最新話で活躍したキャラがシームレスにゲームやガチャに登場する。これもまた驚くべきポイントだ。人気の週刊連載漫画で最新話に登場したキャラクターが、即座にゲームに登場するようなものなのである。

『FGO』のガチャ

 この即時性というものは、快感的にも非常に効果が高い。アップルの発表会であるWWDCにて、スティーブ・ジョブズがよく行っていた「ワンモアシング」がわかりやすいだろう。発表会の最後に「本日発売です、もうお店で売ってますよ」と発表され、世間は大いに沸いた。入力から出力までの速度が速ければ速いほど、人間はより快感を感じやすいのだ。

 この即時性もまた、『FGO』がゲームをベースとした「ストーリーゲーム定期配信プラットフォーム」だから可能なことであり、漫画を原作としたメディアミックスという手法では実現できない速さである。なぜなら、メディアミックスの場合どうしてもゲーム側の工数がかさんでしまうため、原作から少なくとも半年ほどは遅れてしまうからだ。もしゲームと連動させようとするなら、原作自体の展開が半年から1年は進めることができなくなってしまう。

 もちろん、既存のソーシャルゲームでもこの速度を実現するのは難しい。一般的なソーシャルゲームで新しくキャラクターを制作したときの必要な工数は、およそ半年から1年だからだ。そのため、ストーリーと連動するというのは、よほどうまくいっているところでない限り現実的ではない(多くのソーシャルゲームは1年以内でクローズする、という厳しい現実もある)。

「毎日気軽に楽しめる娯楽としての『Fate』」という構想

 『FGO』がこうした特徴をもつ「ストーリーゲーム定期配信プラットフォーム」というソーシャルゲームの特異点となった背景には、原作者・奈須きのこ氏の意向が大きく影響していたように思われる。『FGO』リリース前のインタビューの発言を抜粋しよう。

奈須氏:
 「チェインクロニクル」(iOS / Android)や「ブレイブフロンティア」(iOS / Android)などです。とりわけ「チェインクロニクル」は,「こうすれば毎週プレイヤーをワクワクさせられるのか」という意味で,たいへん勉強になりました。コアなプレイヤーに向けたものとは別の,100万人に届く「Fate」が作れるんじゃないかって思えて,その瞬間は炉心に火が入ったような感触がありました。

(中略)

 そう。腰を据えてじっくりプレイするご馳走のような娯楽と,毎日気軽に楽しめる娯楽。「『FGO』」では,後者であればこそ伝えられる面白さというのを大事にしたいと思っているんです。

 

「Fate/Grand Order」が目指す,スマホ時代の新しい物語とは。奈須きのこ×武内 崇×庄司顕仁の3名に聞く,その狙いと手応え – 4Gamer.net より引用。強調は筆者による)

 当時のソーシャルゲーム界では『パズドラ』のようなメカニクス中心のゲームが流行しており、『チェインクロニクル』(以下、『チェンクロ』)のようなストーリーを軸としたゲームは珍しかった。
 さらに、『チェンクロ』ではイベントストーリーと、キャラクター配信に伴うキャラクターストーリーが毎週のペースで配信されていた。「こうすれば毎週プレイヤーをワクワクさせられるのか」と言うように、奈須氏は「ゲームという媒体においても、このスピード感で物語を届けることができる」ことに大きな可能性を感じている。

 実際、『Fate』シリーズは長編小説のように、数年かけて作り込むようなスパンで展開されていた。そのサイクルも5年や10年という単位であり、まさしく「腰を据えてじっくりプレイするご馳走のような娯楽」であったと言えるだろう。
 そこに『チェンクロ』のような週刊少年漫画のようなスピード感でストーリーを配信するゲームが現れたことで、奈須氏は「毎日気軽に楽しめる娯楽」としての『Fate』、「100万人に届く『Fate』が作れるんじゃないか」という直観を得ている。
 
 奈須氏のこうした発想が、結果的に「インタラクティブな『週刊少年ジャンプ』」とでも言うべき、「ストーリーゲーム定期配信プラットフォーム」という新しいフォーマットを生み出したのではないだろうか。

2.2010年代のソーシャルゲーム市場には「展開する物語」の供給が途絶えており、『FGO』はその需要に応えた

 さて、次は『FGO』がヒットしたふたつめの理由の説明に移ろう。2010年代のソーシャルゲーム市場には「展開する物語」の供給が途絶えており、『FGO』はその需要に応えた、というのが私の考えだ。

既存のソーシャルゲームでは「展開する物語」を採用できない

 まずは、「展開する物語」とはどういうものなのかを説明しよう。
 それは、結末が存在するのは当然として、展開をした結果、見えていないものが見えたり、出来事によって関係性が変わったり、価値観が変わったりする物語である。それは、急展開や、タメ、クライマックスといった起伏があり、主人公の起こした出来事によって世界が変わり、見たことのない結末にたどり着く物語だ。要するに、古くから小説などで描かれる、流れや動き(=展開)のある物語である。

 『FGO』は『Fate』シリーズの本編なので、もちろんこの「展開する物語」に該当する。便宜的に「展開する物語」と呼んでいるが、これは言ってしまえば小説や映画、漫画やアニメなどで一般的に見られる“普通の”物語である。
 しかし本稿冒頭で述べたように、既存のソーシャルゲームでは「プレイヤーが話の筋を忘れてしまってもわかるようにしなければならない」などのさまざまな制限から、こうした普通の物語を構築しにくい。

 さらに、物語構築の点ではソーシャルゲームに特有の致命的な問題がある。それは、「物語の結末(=エンディング)がない」ということだ。普通の物語(=展開する物語)では、物語の筋は結末に向かって展開していく。結末がなければ、じつはこのキャラが裏切り者だった、というような衝撃的な展開も効果的ではないだろう。
 それでもなお、一般的なソーシャルゲームではエンディングを作ることはできない。なぜなら、エンディングを作るとユーザーが離脱し、課金されなくなってしまうからだ。エンディングを作ってしまうと、ストーリーはもちろん、キャラクターの価値やゲーム自体の可能性も閉じてしまう。いわば、エンディングは“可能性のナーフ”なのである。

 もちろん、エンディングを作ること自体も、通常の運用よりコストがかかる。たとえ手間をかけて美しいエンディングを作ったとしても、ユーザーは離脱し、売上は下がってしまう。そのため、合理的に考えればエンディングを作らないのが正解となる。

【UPDATE 2020/07/21 19:30】
読者のご指摘を受け、『チェインクロニクル』に関する記述を一部修正しました。お詫びして訂正いたします。

「展開する物語」から「関係性の物語」へ

 こうした事情から、既存のソーシャルゲームでは「展開する物語」を採用することは非常に難しい。これを回避しながら、なるべく劇的な展開ができるような物語を構築をようとするとどうなるだろうか?
 その答えが、2000年代中頃から隆盛した「本筋」や「結末」が存在せず、膨大で細かい設定をもつキャラクター同士の関係性を主軸として、ファンに二次創作を促すタイプの物語だ。具体的には、『東方Project』『アイドルマスター』『艦隊これくしょん』などの作品がわかりやすいだろう。
 これを「関係性の物語」と呼んでおこう。

(画像は艦隊これくしょん -艦これ- – オンラインゲーム – DMM GAMESより)

 「関係性の物語」には、いわゆる「正史」的な1本の大きな物語の筋は存在せず、したがって結末も存在しない。その代わりに、キャラクター間の関係性の成長や変化を描くことによって、物語の筋を無限に増やすことができる。キャラクターが多いほど関係性は広がるうえに、2人同士だけでなく3人、4人、n人……とグループ化もできるため、組み合わせの可能性は爆発する。
 こうした特徴から、「関係性の物語」は二次創作と非常に相性が良い。誰でも気軽に書くことができ、「ユーザーが創作として参加できる物語」として現在も人気を博している。ネット時代の物語類型とも言えるだろう。
 これは本筋を書きにくいソーシャルゲームにも相性がよく、多くのソーシャルゲームが関係性の物語を採用するようになった。

「関係性の物語」はレッドオーシャンとなり、「展開する物語」は逆にブルーオーシャンに

 「関係性の物語」はガチャでキャラクターを売るというソーシャルゲームのビジネス構造ともマッチしていたため、ソーシャルゲーム市場には関係性の物語があふれ始めた。
 ソーシャルゲーム側にとって関係性の物語はいいことづくめなのだが、そこにはひとつの落とし穴があった。関係性の物語を楽しむためには、同人性が必要となる。運営側が作るのはキャラクターと設定だけなので、そのキャラクターたちの物語を作り、広めるのは同人作家や熱量の高いファンたちの手に委ねられる。
 するとどうなるかというと、ヒットしたものが人目を集め、より大きなヒットとなり、ヒットしなかったものは二次創作されることもなく消えてゆく。つまりは、圧倒的な物語の競争格差が生まれるのだ。

 こうしたサイクルが10年近く続いた結果、ソーシャルゲーム市場において関係性の物語はレッドオーシャン(過当競争)となった。
 ここで重要なのは、関係性の物語がレッドオーシャンになるほどに市場にあふれたことで、逆に「展開する物語」の供給が途絶え、ブルーオーシャン(競争相手が少ない状態)と化していたことだ。

 そこに、「展開する物語」を売りとした『FGO』がぴたりとハマった。

(画像はFate/Grand Orderの世界|Fate/Grand Order 公式サイトより)

 関係性の物語を採用する場合、公式は二次創作に対してできるだけ可能性を広げておかなければならない。メインストーリーで世界を壊してはいけないし、人気キャラクターを殺すこともできないし、裏切りやカップリングもできない。そんなことをすれば、「公式が解釈違い」と言われ、ファンは離れてしまうだろう。要するに、物語としてはかなりの「縛りプレイ」とならざるをえない。

 一方で、当然のことながら展開する物語ではそうした制限は存在しない。展開する物語は、関係性の物語よりも物語構築の「キャンバス」が圧倒的に広いのだ。
 起伏にあふれ、どんでん返しがあり、キャラクターも容赦なく死ぬような『FGO』の展開する物語は、市場に氾濫する関係性の物語に慣れきっていたユーザーにとっては衝撃だったに違いない。

 しかし、展開する物語を採用したから、というだけでは『FGO』のヒットを説明するには不足だろう。先述したように、展開する物語とは小説などで一般的に見られる普通の物語である。
 ここで重要なのは、『FGO』が『Fate』シリーズの本編である、ということだ。『Fate』シリーズは、初代『Fate/stay night』から一貫して、『ジョジョの奇妙な冒険』『ハンターハンター』といった名作少年漫画的な「劇的な展開」や「熱い展開」を何度も読ませる。『Fate』は、いわばとにかく「展開」に全振りしたような物語なのだ。
 
 『FGO』は、展開する物語のなかでもさらに一際高いレベルで、物語が展開する快感をブルーオーシャンのど真ん中に投入した。だからこそ、これほどにまでヒットしたのではないだろうか。これが、私の考える『FGO』がヒットした3つ目の理由だ。

3.『Fate』シリーズが「劇的な展開」や「熱い展開」を何度も読ませる物語だったため、『FGO』もまたその物語構造を受け継いでいた

 かつて「展開する物語」を供給していたのは、エロゲーだった。

 2000年代前半に、PCでエロゲーは栄華を極めた。それは売上という意味ではなく、多様性という意味である。どんな内容でも書けるR-18という土壌に加え、ビジュアルノベルという、低コストで試行錯誤がしやすい開発環境が多様な物語を生み出した。
 当然、最初はエロに特化した物語が主流であったが、「泣きゲー」という感動に特化したジャンルが一時代を築いたほか、SFやファンタジー、任侠、グロなどさまざまなハードな物語にも耐えられるメディアとして成長した。

「泣きゲー」の代表的な作品、『AIR』
(画像はAIR|Key Official HomePageより)

 しかし、ストーリー偏重による重厚長大化やフルボイス化による製作費の高騰、ファイル共有ソフトによる違法コピーの蔓延、ライトノベルとの競合化、スマホの隆盛、光学ドライブ搭載PCの減少、若年層のPC保有率の減少などによって、ビジュアルノベル型のエロゲーは2000年代末期に衰退した。

 その後、『東方Project』・『アイドルマスター』・『艦隊これくしょん』などに代表される「関係性の物語」が流行し、少なくともソーシャルゲーム市場ではエロゲー全盛時代のような劇的な「展開する物語」の供給は途絶えることになった。
 
 『Fate』もまた、この時代に生まれた作品だ。しかし、なぜ『Fate』だけが『FGO』として返り咲くことができたのだろうか。
 私の考えでは、先ほど述べたように『Fate』がとにかく「展開」に全振りしたような物語であったことが関係している。『FGO』に連なる『Fate』シリーズの特徴について、初代『Fate/stay night』を中心に分析してみよう。

『Fate/stay night』は「ビジュアルノベル」であることを最大限に活かした

 まず言っておきたいのは、『Fate/stay night』は「ビジュアルノベル」であること、「ゲーム」であることを最大限に活用して物語を作っていた、ということだ。

 『Fate/stay night』は、それまでのエロゲーとは違い、『ジョジョ』や『ハンターハンター』『BLEACH』といった少年漫画のような「劇的な展開」と「熱い展開」を何度も何度も繰り返し見せる。それも、2〜3回ではなく、数十回の単位でそうした劇的な展開が現れるのだ。

(画像は「Fate/stay night」公式ページより)

 これは、『Fate』の物語が「ビジュアルノベル」というゲームだからこそできる「分岐」や「ループ」、「周回」といった要素を駆使したメタ展開を多重に繰り返す、という構造になっているからだ。また物語の構造的にも、「7人の魔術師が殺し合うバトルロイヤル」という形式であることで、誰と誰が戦うのかといったり、第三の敵が現れたり、一時共闘したりといった、さまざまな展開を繰り広げることができる。

 そもそもビジュアルノベルという形式それ自体が、ゲームのなかでも物語の多数展開や分岐、ループといった構造に最適化されたメディアであると言える。
 もしRPGやソーシャルゲームでビジュアルノベルばりの展開を行おうとすると、大変な困難になる。理由は簡単で、劇的な展開を作るためのリソースが大量に必要となるためだ。
 たとえばRPGで世界が破壊されたり、新しい世界に行ったりというような大規模な物語展開を描写しようとすると、マップやキャラクターグラフィック、モンスターやアイテムなど細部に至るまで、その1シーンのために用意しなければならない。まだビジュアルが2DドットだったSFC後期などでは、RPGでもそうした劇的な展開も見られたが、映像表現がリッチになっていけばそれだけコストも増える。

 一方でビジュアルノベルでは、「世界が破壊された」というシーンを、1シーンのスチルとテキストだけで展開することができる。ビジュアルノベルという形式が、いかに破格かというのがわかるだろう。
 逆に言えば、『Fate/stay night』は「劇的な展開」「熱い展開」「メタ展開」といったものを存分に発揮したいがために、ビジュアルノベルという形式に最適化した物語であるとも言えるだろう。

ルールを提示することで、読者に物語の展開を予測させる

 物語の展開をさらに劇的にする手段として、『Fate』ではあらかじめルールを提示することで、読者に物語の展開を予測させる、という方法も使われている。たとえば、キャラクター同士の相性や、お互いの必殺技などの情報があることで、読者はバトルのシミュレーションをしたくなる。

(画像は遊び方|Fate/Grand Order 公式サイトより)

 これは『ジョジョ』の「スタンド能力」や『ハンターハンター』の「念能力」のようなロジックバトル・能力バトルの構造に近い。くわえて、『Fate』では各キャラクターにTRPG的なパラメータが設定されており、サーヴァント間の強弱関係なども含めて、読者が物語の展開をシミュレートしやすいようにできている。
 そのうえで、読者のシミュレーション予測を超える出来事や結果を展開することで、物語のリアリティの解像度は格段に上がるのだ。

 さらに、そこまでシミュレーションをさせると、読者は自分でも二次創作が書けるような気がしてくるようになる。『ジョジョ』や『ハンターハンター』の読者であれば、オリジナルのスタンド能力や念能力を妄想するというのは一度は経験したことがあるはずだ。
 『Fate』はこうした要素も含むため、一流の「展開する物語」でありながら、「関係性の物語」とも相性が良い。魅力的なキャラクターが多数登場し、キャラクター同士の設定やパラメータがあり、「IF」の物語を書きやすい。『FGO』が同人の世界でも根強い人気を誇っているのは、この影響も大きいだろう。

『Fate』ではさらにそのルールを破ることで読者の予想を裏切り、驚きを与える

 こうしてあらかじめルールを提示することで、読者に物語の展開をシミュレートさせるのだが、『Fate』ではさらにその「ルールをハッキングし破る存在」が多数登場する。
 必殺技や、サーヴァントの正体、サーヴァントに強制命令をする「令呪」、獲得するとすべてを叶える「聖杯」といった要素のすべてが、提示されたルールを破り、読者によるシミュレーションの結果を覆すポテンシャルを持っている。
 それは言い換えれば、普通のRPGでの必殺技や魔法やアイテムといった要素のひとつひとつが、メインストーリーの筋を変えてしまうようなものなのだ。

(画像は遊び方|Fate/Grand Order 公式サイトより)

 『Fate』では登場人物、スキル、アイテムをはじめとしたほとんどすべての要素に隠された真相や謎が仕込まれており、それぞれが単体で物語の展開を変えてしまうほどの設定を持っている。
 こうしたルールを破ったり変更してしまう存在がひとつであればまだ予測はつくかもしれないが、それが複数干渉するとなると、もう誰にも予測はできないほどに展開は複雑に絡み合うことになる。

 『Fate』は基本的にはロジックとルールで組まれた物語である。だからこそ、読者はそのルールやロジックをもとに物語の展開を予測したくなる。しかし、『Fate』はその読者自身による予測を織り込んだうえで、「予測を超えた驚き」を与えることで「劇的な展開」や「熱い展開」を何度も作り出すことに成功している、と言えるだろう。

 しかし、こうした「展開」の多重構造はあくまで「驚き」が中心であって、「感動」ではない。『Fate』がさらに優れているのは、物語のクライマックスで積み重ねてきた驚きを一気に感動へと展開し、読者の感情に強く訴えかけるという仕組みがあることだ。
 「論理」で積み上げてきた物語を、最後の最後で、論理を無視した「意思」で押し通す。『Fate』という物語の魅力はここを抜きにしては語れないのだが、このテーマだけでもう1記事書けるほどの分量になってしまうので、この点についてはまた別のところで語ることにしよう。

おわりに:元ソーシャルゲーム開発者の視点から見る『FGO』

 さて、本稿では『FGO』がヒットした理由の本質について、私なりの考えを展開してみた。大変長文となってしまい申し訳ないのだが、いかがだったろうか。

 『FGO』は既存のソーシャルゲームでは構造的に扱いづらかったメインストーリーを主軸に据えることで、「ストーリーゲーム定期配信プラットフォーム」というフォーマットを生み出した。また、『FGO』が登場するころのソーシャルゲーム市場は「関係性の物語」があふれており、「展開する物語」はブルーオーシャンになっていた。そこに「展開する物語」のなかでも、とりわけ強く劇的な展開や熱い展開を得意とする、『Fate』直流の物語が投入されることになった。
 本稿では『FGO』がヒットした要因について、『FGO』というゲーム自体が特異であること、またソーシャルゲームの歴史的文脈からどうして『FGO』のようなストーリードリブンの作品が受け入れられたのかについては、示すことができたと思う。

 とはいえ、本稿で分析したヒットの理由の多くは、いわば構造的な側面からにとどまる。おそらくこれだけの理由だと、なぜ多くの『FGO』フォロワーが成功できなかったのか、という問題についてうまく説明できないだろう。
 実際、フォロワー作品のみならず『FGO』のパブリッシャーであるアニプレックス自身が『FGO』を再現しようと試みた作品もいくつか見られる。しかし、それらの作品でさえ『FGO』レベルのヒットには至っていない。それはどうしてなのだろうか。

 身もふたもないような話で申し訳ないのだが、私の考えではその理由は『FGO』ならびに『Fate』シリーズの物語性の魅力そのものにある。
 『Fate』という物語は、「人間讃歌」を超えた「人類讃歌」である。そして、このテーマ性こそが、ネット時代の今に求められた物語だったのだ……という感じで、先ほども述べたように、次回では『Fate』の物語性に絞って詳しく分析したいと思う。

(画像は「Fate/stay night」公式ページより)

 最後に少々余談ではあるが、元ソーシャルゲーム開発者としての視点から見た『FGO』への感想を述べておきたい。本文では再現のヒントになれば、と思って書いてはいたけれども、正直に言ってしまえば自分では心底好きなIPじゃないとやりたくないな、と思う。それぐらいに作る大変さが尋常ではないのだ。

 『FGO』関連のインタビューを見ていると、よくこの構造で作りきったものだと思う。制作過程における重心の比率は、明らかに「『Fate』としての物語の展開>>>ゲーム側の都合」となっており、どう考えても作るのは大変なはずだ。

 なぜなら、ゲームはシナリオが上位というだけでも制作が難しくなるからだ。シナリオに合わせてゲームを作ろうとした場合、ビジュアルノベルやアドベンチャーならスチルの追加、ボイスの追加などで済むかもしれない。しかし、単に物語だけでなくゲーム性も追随させようとすると、ものすごくコストがかかってしまう。

 たとえば、シナリオ上で「100万人の兵士が戦う」というシーンを書くのは、それほど難しくない。だが、それをアドベンチャーではない形でゲームに取り込もうとすると、それだけで1本のストラテジーゲームを作らないといけなくなる。『ロマサガ3』のマスコンバットのように、ゲームの中にもう一本のしっかりとしたゲームを作るというのは、当然ではあるが大変なことだ。
 もちろんこれは極端な例ではあるが、シナリオに極力追随してゲームを作るのは大変なことである。現実的には、ゲームにするのが難しい部分はアドベンチャーパートにしたり、必殺技などの演出を厚めにするといったことで対応することになる。しかし、『FGO』はそれだけにはとどまらないレベルでイベントを作っているのはご存知の通りだ。

 おそらく、『FGO』はこのとんでもなく大変なシナリオ上位のゲーム制作を、ほとんど力づくで、根性でやっているんじゃないかと思う。
 たとえば、『FGO』開発のディライトワークスは、2016年のCEDEC講演「KPI(数値目標)よりTPI(TYPE-MOON Performance Indicator)」と言っていた。これはどういうことかというと、目標数値が達成できるかどうかよりも、タイプムーンさんが面白いと感じて「イエス」というかどうかだ!ということである。
 最初にこの発言を見たとき、冗談かと思った。ただ、この記事を書くために過去のインタビューなど調査して理解を進めていった結果、真相がわかった。これは本気で言っているのである。じつにクレイジーな開発体制だ、としか言いようがない。それでも、こうしてとにかく原作を尊重するその姿勢、開発から原作への愛が、ユーザーに支持されているところもある。

 つまり何が言いたいのかといえば、『FGO』は簡単には真似できない、ということである。
 元ソーシャルゲーム開発者としては、ほんとによくやりますなあ……と思うばかりだ。

あとがき

これまでソシャゲをずっと作っていたのですが、離れたことで、
かえって冷静に、理解できるようになった気がします。
というわけで私なりに『FGO』を分析してみました。

今は何しているかと言うと、Steamで『Dimension Reign』というローグライクを作っています。
最近大型アップデートをして、今だと20%オフセールもやっています。

かなり察しのよい方は気がついているかと思いますが、私はカエルが好きです。
今年はまだ生カエルに会えてないです。
『Dimension Reign』の中にも重要アイテムとして「カエル」を配置しておきました。
ちょっとしたストーリーの裏話がレリック図鑑から見られるので探してみてください。

【この記事を面白い!と思った方へ】

 

 電ファミニコゲーマーでは独立に伴い、読者様からのご支援を募集しております。もしこの記事を気に入っていただき、「お金を払ってもいい」と思われましたら、ご支援いただけますと幸いです。ファンクラブ(世界征服大作戦)には興味がないけど、電ファミを応援したい(記事をもっと作ってほしい)と思っている方もぜひ。
 頂いた支援金は電ファミの運営のために使用させていただきます。

※クレジットカード / 銀行口座に対応

※クレジットカードにのみ対応

【あわせて読みたい】

 

元ソーシャルゲーム開発者が語る、ガチャの功罪とは──「繊細に綿密に作ったゲームが、ガチャの快感になぎ倒されていく」

 「かえるD」こと類地健太郎氏が、ソーシャルゲームを離れてsteamでゲームをリリースする理由。氏によれば、レベルデザインやバランスをどれだけ作り込んでも、ガチャは人間の本能の快感回路をハックし、全てをなぎ倒してしまう。氏の経験が裏付ける、説得力のある分析をお楽しみいただきたい。

著者
ゲームデザイナー/ディレクター。ソーシャルゲームからSteamゲーム開発に転身し、
現在SteamでDimension Reignをアーリーアクセス中。
言語化、構造化、抽象化が得意で、ゲーム作りの話を色々書いています。かえるが好き。
note: かえるD
Twitter: @kaerusanu
編集
ローグライクやシミュレーションなど中毒性のあるゲーム、世界観の濃いゲームが好き。特に『風来のシレン2』と『Civlization IV』には1000時間超を費やしました。最も影響を受けたゲームは『夜明けの口笛吹き』。
Twitter:@ex1stent1a
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

新着記事

新着記事

ユーザー協賛プロジェクト

世界征服大作戦

電ファミの記事は協賛者の皆さまの支援によって成り立っています!

世界征服大作戦とは?

電ファミのファンクラブです。ゲームを中心にしながら、ひいてはマンガやアニメなど、エンタメ全般を扱うファンクラブへの成長を目指します。主要メンバーとして、元週刊少年ジャンプの編集長・Dr.マシリトこと鳥嶋和彦氏なども参加。面白いコンテンツによる世界征服を本気で企むコミュニティです。

詳しくはこちら

ピックアップ

連載・特集一覧

カテゴリ

その他

若ゲのいたり

SNSで更新情報をお届け!

カテゴリーピックアップ

若ゲのいたり〜ゲームクリエイターの青春〜

若ゲのいたり〜ゲームクリエイターの青春〜の記事一覧