落ちものパズルゲーム『ぷよぷよ』は2021年10月25日、誕生から30周年を迎えました。
1991年の誕生当初は「知る人ぞ知る」存在だった『ぷよぷよ』ですが、翌年の1992年にアーケードでリリースされると、愛らしいキャラクターとポップな世界観、そしてなにより連鎖によって大量の「ぷよ」が消える気持ち良さで、たちまち人気ゲームとなりました。
とはいえ、その後の20数年間に『ぷよぷよ』が歩んできた道のりは、決して平坦なものではありません。最初の開発元であるコンパイルの経営破綻、シリーズを受け継いだセガによる世界観のリニューアル、そして家庭用ゲームを取り巻く環境の変化などなど……。しかも『ぷよぷよ』は、特定のゲームファンだけに支持されるようなコアな作品ではなく、老若男女の誰にでも愛されるカジュアルなタイトルだったがゆえに、その時々の変化が『ぷよぷよ』というゲームそのものに対して大きな影響を与えることになりました。
そうした紆余曲折を乗り越えて、『ぷよぷよ』が30周年を迎えることができたのは、ゲームを送り届ける開発者側はもちろん、ゲームを楽しんでいるファンからも温かい愛情が注がれ続けてきたからこそだと思います。
筆者は『ぷよぷよ』がそれほど得意なわけではありません。むしろ対戦したならかなり弱いほうだと思います。それでも『ぷよぷよ』が誕生してから現在までの30年間、同じ時間を過ごしてきたプレイヤーのひとりとして、シリーズの変遷を見届けてきました。今回はそんな自分なりの視点から、これまでの『ぷよぷよ』の歩みを振り返ってみたいと思います。
筆者と同じく『ぷよぷよ』と30年の時を一緒に歩んできた人も、その一部だけしか知らないという人も、この記事で『ぷよぷよ』が歩んできた歴史の長さをぜひ実感してみてください。
文/伊藤誠之介
ひっそりと登場した落ちものパズルゲームが、アーケードのヒット作に
今から30年前の1991年10月25日、コンパイルが開発した『ぷよぷよ』は、MSX2とファミコンディスクシステムという当時でもかなり特殊なハードで発売されました。
1991年といえば、その前年の1990年にスーパーファミコンが登場しており、パソコンゲームもすでにPC-9800シリーズが主流になっていました。そんな時代にファミコンディスクシステムの書き換え専用ソフトや、MSX2でリリースされたタイトルを目に留める人は、あまり多くなかったはずです。
実際、筆者もこの初期バージョンの『ぷよぷよ』をプレイした経験は、残念ながらありません。ただ、プレイした人たちの間では好評だったようで、「『ぷよぷよ』というパズルゲームが面白い」という感想を、当時のゲーム専門誌などで目にした記憶があります。
そんなわけで筆者が初体験した『ぷよぷよ』は、他の多くのみなさんと同様に、1992年にセガからリリースされたアーケード版『ぷよぷよ』になります。
1984年にロシアで生まれ、やがて日本にも上陸した『テトリス』は、上から落下してくるテトリミノと呼ばれるブロックを並べて消す「落ちものパズル」と呼ばれるゲームジャンルを確立しました。これにより1980年代末から90年代前半にかけて、各社がさまざまな落ちものパズルゲームを生み出していきます。たとえば、1988年にアーケード版『テトリス』を送り出したセガは、宝石を並べて消す傑作落ちものパズルゲーム『コラムス』を、1990年に発表しています。
こうした流れの中で『ぷよぷよ』も、アーケードゲームとしてリリースされることになりました。アーケード版『ぷよぷよ』を開発したのは初期バージョンと同じくコンパイルですが、このアーケード版の発売元であるセガも、開発には全面的に協力していたようです。
アーケード版『ぷよぷよ』が同時期の他の落ちものパズルに比べて特徴的だったのは、ひとり用プレイでもCPUプレイヤーと対戦する形になっていた点です。この当時家庭用ゲームはともかく、アーケードでの落ちものパズルのひとり用プレイは、次々と落ちてくるアイテムをひたすら消し続ける、いわゆる「とことんぷよぷよ」タイプが主流でした。それだけに、積み上げたぷよが消えるのを「連鎖」させることで対戦相手のフィールドに「おじゃまぷよ」を送り込んで対戦する『ぷよぷよ』のゲーム性は、非常に新鮮に映りました。
時はあたかも、アーケードで対戦格闘ゲームが大ブームになっていた時期です。対戦形式のパズルゲームとして登場した『ぷよぷよ』は、当時のゲーマーにもすんなりと受け入れられました。
『ぷよぷよ』のもうひとつの特徴は、ゲームを彩るポップな世界観です。『テトリス』のテトリミノや『コラムス』の宝石をはじめ、当時の落ちものパズルで主役になっていたのは、無機質なアイテムでした。ところが『ぷよぷよ』で上から降ってくる「ぷよ」は、アニメーションでぷるぷると柔らかそうに揺れるだけでなく、目がついていてなんとも愛らしい表情を見せてくれます。
加えて、女の子のアルル・ナジャや不思議な生物カーバンクルといったキャラクターが、ゲームの随所に登場。ステージの合間でアルルたちが会話を繰り広げる「まんざいデモ」は、のちにシリーズ恒例となりますが、このアーケード版の時点ですでにお目見えしていました。当時人気の対戦格闘ゲームもストーリー性がまだ弱かった時代に、こうした演出は大いに目を惹くものでした。
さらに極めつきは「音声」です。ぷよを消して連鎖が続くたびに「ファイヤー!」「アイスストーム!」「ばよえ〜ん!」といった不思議なフレーズが、大声でゲームセンターに響き渡るのです(笑)。インパクト抜群のその声には、男女を問わず幅広いプレイヤーの足を止める効果があり、本作が注目を集めるきっかけとなりました。
ちなみに、アルルやカーバンクルをはじめとするキャラクターたちは、当時コンパイルが制作していたファンタジーRPG『魔導物語』に登場していて、『ぷよぷよ』はその派生として生まれた、ある意味ゲストキャラ的なポジションです。もちろん、当時プレイした人たちの大多数は『魔導物語』のことを知りませんでしたが、それがむしろ「可愛いキャラクターがなんだかシュールな会話を繰り広げている」という効果を生んでいて、良かったように思います。
こうしてアーケード版『ぷよぷよ』は、ゲームセンターの定番パズルゲームとして高い人気を獲得。さらにメガドライブ版をはじめ、スーパーファミコン版『す~ぱ~ぷよぷよ』など、家庭用ゲーム機に移植されたバージョンも大ヒットして、現在まで続く人気の基礎を形作っていきます。
ちなみに『ぷよぷよ』は海外でも1993年にメガドライブなどで発売されているのですが、世界観やキャラクターがなぜか当時海外で放映されていた『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』のアニメシリーズのものに変更されており、『Dr. Robotnik’s Mean Bean Machine』としてリリースされています。
『ぷよぷよ通』の大ヒットで、社会現象となるほど人気が拡大
ヒット作となった『ぷよぷよ』には、当然ながら続編が期待されます。アーケード版『ぷよぷよ』のリリースから2年後となる1994年9月、シリーズ第2弾の『ぷよぷよ通』がゲームセンターに登場しました。
『ぷよぷよ通』では、フィールド内のすべてのぷよを消すとボーナスが入る「全消し」や、両側を他のぷよに挟まれていてもぷよを回転できる「クイックターン」など、いくつかのルールが前作から変更されています、そのなかでも特に重要なのが「相殺」です。
前作では大量のおじゃまぷよが送り込まれてきた場合、まったく対抗できませんでした。しかし『ぷよぷよ通』では、おじゃまぷよが落ちてくる前にこちらもおじゃまぷよを送り込むことで、落ちてくるおじゃまぷよの数を「相殺」して減らせるようになりました。これにより反撃の余地が生まれて、よりエキサイティングな攻防が可能になったのです。
『ぷよぷよ通』で確立されたルールは、現在まで受け継がれていくシリーズの基本形となります。ある意味、対戦パズルゲームとしての『ぷよぷよ』は、ここでいったんの完成を見たとも言えるでしょう。2021年現在、セガ公式の大会でプロ選手たちが対戦している『ぷよぷよeスポーツ』でも、この『ぷよぷよ通』のルールが選択可能なルールのひとつとして採用されていることからも、その完成度の高さが分かります。
1994年9月にアーケード版『ぷよぷよ通』が登場したのに続いて、1994年12月にはメガドライブ版、そして1995年10月にはセガサターン版の『ぷよぷよ通』が発売されました。その後も他の家庭用ゲーム機で次々に『ぷよぷよ通』が発売されて、前作以上の人気を獲得していきます。
家庭用ゲーム機で『ぷよぷよ通』が相次いで発売された1995年後半から1997年ぐらいまでが、最初の『ぷよぷよ』人気がピークに達した時期だと言えるでしょう。当時の様子を覚えている人もいると思いますが、この時の『ぷよぷよ』はある種、社会現象とでも言えるような盛り上がりを見せていました。
1995年1月にはコンパイルを中心にして「全日本ぷよ協会」が発足。日本各地を縦断するゲームトーナメントを開催すると、会場にはなんと1万人を超えるファンが集まるという盛況になりました。eスポーツの先駆けとなる各タイトルごとのゲーム大会はこの時期、対戦格闘ゲームを中心に盛んに行われていたのですが、その中でも『ぷよぷよ』は、ゲーム自体がカジュアルで誰でも参加しやすいからなのか、群を抜いた人気を集めていました。……といっても上級者同士の対戦では、この頃すでに、初心者には及びもつかないような高度な攻防が行われていたのですが。
さらに、通常のキャラクターグッズはもちろんのこと、ぷよの形をしたまんじゅうや、カーバンクル印のレトルトカレーといったコラボ食品までリリースされて、しかもそれが飛ぶように売れていたのです。特にまんじゅうに関しては、当時コンパイルが広島にあったこともあり、一時期はもみじまんじゅうに匹敵する広島銘菓として、人気のお土産となっていました。ゲームのフード展開といえば近年、コラボカフェなどですっかり定着している感がありますが、『ぷよぷよ』は今から数十年も前に、すでにそうした展開を成功させていたのです。
コンパイルの経営破綻によって、『ぷよぷよ』の権利をセガが受け継ぐ
ただ、『ぷよぷよ通』が大きな成功を収めたことは、その後の『ぷよぷよ』にとって必ずしも良い面ばかりではありませんでした。まず、『ぷよぷよ通』が対戦のスタンダードとして定番化した結果、続編への移行が難しくなってしまったのです。
シリーズ第3弾となる『ぷよぷよSUN』は、1996年12月にアーケード版が登場し、1997年にはセガサターンをはじめとする家庭用ゲーム機にも移植されました。連鎖に巻き込んで消すと相手に送るおじゃまぷよの数が増加して一発逆転が可能になる「太陽ぷよ」が登場するなど、ゲーム自体は『ぷよぷよ通』をさらに改良した、非常に面白い内容になっていました。しかし、微妙な操作感の違いが勝負を分ける上級者同士の対戦では、引き続き『ぷよぷよ通』を使用することが多かったこともあり、『ぷよぷよSUN』の人気は今ひとつ伸び悩んでしまったのです。
さらに、先ほど説明したような『ぷよぷよ』人気の盛り上がりを受けて、コンパイルは多業種へと展開する積極的な経営戦略を打ち出したのですが、それが裏目に出てしまいます。経営状態が急速に悪化したコンパイルは、1998年に『ぷよぷよ』シリーズの知的財産権をセガに譲渡。以後はセガからの使用許可の元で『ぷよぷよ』シリーズの開発を続けていきます。
こうした状況の下、1999年3月にはシリーズ第4作『ぷよぷよ〜ん』のドリームキャスト版が発売されたのですが、筆者としては正直言って「プレイしたことあったっけ?」というぐらい、印象の薄いタイトルでした。ゲーム自体はステージの変化による特殊な効果や、ストーリーモードで倒した敵キャラの特殊能力が使用可能になる「援助キャラシステム」など、いろいろとユニークな試みも行われているのですが……。
やはりこの時期はコンパイルの経営悪化とともに、『ぷよぷよ』のイメージにもどこか暗い影が落ちていたのでしょう。そして2004年には残念ながら、コンパイルは消滅してしまいます。しかし先ほども説明したように、『ぷよぷよ』シリーズはセガへと受け継がれて、さらにその歩みを続けていくのです。