独立。借金17億円。『モンスト』
リーマンショックで取引先が倒産し社員300人をリストラ
中山:
2003年に独立されたのはどうしてですか?
岡本:
独立するなら今しかない、というタイミングでした。10年間社員をやって、10年間取締役をやった。そのとき41歳だったんですが、次の10年は自分で起業していっぱいお金を稼いで、あとは引退しよう。そんなアホな発想もありました(笑)。辻本さんがカプコンを創業したのもちょうど同じくらいの年齢でしたし、もう長いことカプコンの開発トップをやっていたので、自分が漬物石になっているような感覚もあった。自分がいないほうがいいんじゃないか、押さえつけてしまっているんじゃないかと思ってました。
もう1つ、市場としてもプレイステーション(PS)3の立ち上げタイミングだったんです。市場を席捲していたPS2からPS3に切り替わるタイミングで、Xboxの立ち上げも始まっていましたし、時代が新しいクリエイターを求めていた。セガの水口哲也くん【※】とか、クリエイターがちょうど独立していたタイミングでした。自分のゲームクリエイターとして残されている寿命もそんなに長くないなかで、管理職・専務として終わるよりは、現場に戻ってもうひと勝負したかった。
※水口哲也(1965~):セガ入社後に『セガラリー』(1994)などを手掛け、2003年に独立しキューエンタテインメントを設立。『ルミネス』(2004)などテクノロジーと音楽を融合させた独特のゲームを開発する手腕で知られる。
中山:
トップクリエイターの悩みですね。意見を通すために偉くなる。でも偉くなると部下も大量にできるし、組織作業ばかりになる。
岡本:
そうですね。確かにカプコンでの後半は、出張に会議に資料チェック、毎日の取材と接待とでほとんど時間がつぶれてました。アイデアを考える時間もなくなっていっていた時代です。
中山:
そしてゲームリパブリック(ゲーム共和国)という会社を2003年に立ち上げられます。
岡本:
8年半で失敗しました。大ヒット作を出せなかったこともありますが、リーマンショックで、『300』という映画版権ゲームなど含めて3~4本のゲームタイトルの請負をしていた米国企業が倒産してしまって、その未払いで17億円がそのまま借金になってしまったんです。300人くらいの社員をすべてリストラせざるをえなくなりました。
「岡本はもう死んだ」と言われた
中山:
ゲームリパブリックは2010年にほぼ解散という事態になります。そこから2~3年あまり岡本さんの噂を聞かなくなりました。その間はどうされていたのですか?
岡本:
もう悲惨でしたよ。50過ぎたおっさんが自宅もなく、友達の家を転々と泊まって暮らす。鬱っぽい症状も1年半くらい続いてました。1日に使える食費が300円。それまで年収7000万円もらっていた人間が、服も買えなくてフリマで500円で詰め放題の古着を何度も着てる。もう捨てたほうがいいんちゃうかというようなボロッボロのね。ホント「落ちぶれ貴族」とか「岡本はもう死んだ」とかいろんなことを言われましたが、17億円も借金があると、もう、感覚が麻痺するんですよ。
だって金利だけで年間8000万円ですよ。衣食住一切なしに年収1.5億円稼いでも、税金を払って、金利しか返せない。銀行も早く自己破産させたがってました。僕が返せるめどがないのに、ずっとそのままだから「早く返してくれ」と何度も催促しないといけない状態だった。
中山:
早く自己破産して身ぎれいになりたいと思わなかったんですか?
岡本:
思わなかったですね。破産すると、他の会社で部長・役員クラスで再就職した元社員に迷惑がかかることになりそうだったんです。いや、それに「返せる」とどっかで思ってたんですよ。年収1.5億でもダメなわけだから、もうどうやって返すかって、逆に明確なんですよね。当たりゃ~返せる。そういう領域を探したら「ボードゲーム」と「仮想通貨」と「モバイルゲーム」でした。
『怪盗ロワイヤル』『パズドラ』を研究し「こういうのなら作れる!」
中山:
それが『モンスト』につながるわけですね。
岡本:
流行ってたのが『怪盗ロワイヤル』ですよ。DeNAの。毎日毎日夜までプレイしてみた。金もよう使われへんから、なけなしの300円を貯めて、1回だけガチャまわしてね。それでようやく獲得したアイテムも、翌朝になるとユーザーに奪われてて。ほーこういうのが面白いんやな、って。ただこのときは「コミュニケーションゲーム」なんですよね。
中山:
転換点はどこらへんだったんでしょうか?
岡本:
ガンホーの『パズル&ドラゴンズ』(2012)が当たって、ようやくゲーム性が担保されたゲームがアプリ市場を席捲した。こういうのなら作れる、というタイミングで、ミクシィの木村弘毅さん(現ミクシィ社長)が当時課長か係長だったときに、「1本作ってみませんか?」と声をかけてくれたんですよ。「ビリヤードっぽいゲームでどうでしょうか?」とお題を出されて、持っていったのが現在の『モンスターストライク』(2013)の原型です。僕の人生では過去のものも含めて、最大の作品ですね。リリースから6年で売上1兆円を稼いだゲームですから。木村さんにはホント感謝しかないです。足向けて寝られないですね。
中山:
『モンスト』の成功報酬で借金も返済したわけですね?
岡本:
銀行って面白い仕組みでね、17億円なんて返せると思っていないから、債権回収の部門にまわされて、毎年特損で落としていくんですよ。だから最終的には特損で落とされた後の金額で、ちょっと安くなってます。
岡本さんのヒストリー
1980年代:コナミにデザイナーとして入社し、ゲーム開発でヒットを生むが、2年で飛び出し、カプコン9番目の社員として開発責任者に
1990年代:カプコン取締役時代。『ストリートファイターⅡ』『バイオハザード』など大ヒット作を量産、ハリウッド映画化まで手掛ける
2000年代:ゲームリパブリックを創業、17億円の借金を背負って休眠状態に
2010年代:モバイルゲーム『モンスターストライク』で奇跡の1兆円ゲームを開発。その後マレーシアに移住して海外で開発
2020年代:ブ ロックチェーンゲーム含め、次のモバイル端末での新規コンテンツ開発中
(写真:北山宏一)
一度決めたら二度と戻らない
僕はカンが悪いんで、誰よりも勉強します
中山:
そのあともモバイルゲームは開発され続けてますよね。噂で聞いたのですが、岡本さんのモバイルのプレイの仕方がやばい、と。月5000万円かけてガチャをまわすって聞いたんですけど……。
岡本:
月5000万円じゃないですけど、2か月で1.5億円突っ込んだりしましたね。
中山:
え、もっとすごいじゃないですか? 1日300円で生活していたところからホントになんという人生なんでしょうか……。それってどのゲームに?
岡本:
聞いちゃいます?(笑)うーん、そうですね、実はIGGの『ロードモバイル』【※】です。全然売れてなかったころに、これ来るやんと思って「つくよみカフェ」って同盟を作ってました。日本人の同盟を組んでやってます。
※ロードモバイル:2006年設立の中国ゲーム開発会社IGGが2016年にリリースしたゲーム。世界中で2億人のプレイヤーがおり、年間500億円級の収益をもつ世界的ヒットタイトル。
中山:
岡本さんはこれまで多くのゲームタイトルに関わられてきましたが、自分でクリアしなかったゲームがない(クリアできずに出したタイトルが『ガンスモーク』(1985)と『1943』(1987)の2作品だけで、それゆえに難易度が高すぎた)という話に大変驚きました。普通は開発責任者くらいになると、時間がなくて、そこまで見てられませんよね?
岡本:
それは信条みたいなもので。自分で納得するだけやりこむ、というのは昔からずっと続けてますね。開発期間中じゃないですよ。あくまで出来上がった時に、完全にユーザーと同じ目線でプレイして、最後までやりこめるかをチェックします。
中山:
岡本さんはこれまで、自分の主領域を何度も変えられてます。いつもどうやって新しい領域でノウハウを獲得されるのですか? たとえばアーケードゲームからコンシューマーゲームに移られたときはどうしたのですか?
岡本:
いや、ホントに苦労してますよ。僕はカンが悪いんで、めちゃくちゃ時間がかかるんですよ。でも、だからこそ誰よりもめちゃくちゃ勉強してます。
カプコンでは1980年代にアーケード配属になり、『ストⅡ』を当てた後の1990年代半ばには、開発本部長でしたけど船水【※】に全部任せてた。ゲーセンにも行かなくなりましたし、開発中のゲームソフトもプレイしなくなりました。数字だけ見て、任せる形にしました。そこからは毎日コンシューマーだけをプレイしていたんです。
※船水紀考(1965~):1985年にカプコンに入社してから『ストリートファイター』シリーズのプロデュースを手掛け、第一開発部長としてコンシューマーゲームの統括をする。2004年退社後にクラフト&マイスターを設立し取締役に。現在は2021年設立のバオバブゲームスタジオ社長。
中山:
私もDeNA時代に船水さんとお仕事したことがあって、すごくインスパイアされました。当時50歳近いゲーム界のレジェンドが、まだモバイルゲーム業界に入ったばかりのペーペーの言うことを真摯にノートにメモされている。「休日はなにやってるんですか?」と聞いたら、「モバイルゲームをみんながどうやってるか理解したくて、1日中駅のホームにいた」と。その年齢になっても、そこまで徹底する人って、私は見たことなかった。
岡本:
まあ、船水はそういう愚直なところがありますよね。間違いなく、僕のほうがやってますけどね(笑)。船水はセンスがあってカンがいいんですよ。だからすぐに肝をつかむ。僕のほうが時間をかけてます。
『カタン』のときもだいぶプレイしました。これは面白いゲームだな~と思って。「とにかく遊ばんとわからん」というのがあって、1日平均4~5ゲームを毎回45分かけて行う。毎日毎日、休日もチームで集まってプレイしてました。どんどん強くなって、最後はカプコンが主宰していたトーナメントがあって、そのチャンピオンと世界大会に行きましたが、そこでも勝てるくらいになった。狂ったようにずーっと毎日4~5回やってましたね。そのくらいやってたから、クラウスさんにも信用されて版権をもらえたというのもあります。
中山:
コンシューマーゲームはその後も長くやりこまれているんですか?
岡本:
ゲームリパブリックが休眠してからは、実はコンシューマーもやってないんです。そこからはモバイルゲームしかやってないんです。一度決めたら戻らないようにしてます。
中山:
それは強烈ですね。移動して違う「島」にいくなら、前の「島」への橋は焼いちゃう感じなんですね。いまでもモバイルなんですね。
新しいものに挑戦している会社に出資
岡本:
絶賛モバイルですね。でもモバイルゲームだけというわけじゃなくて、いろいろやってます。『モンスト』を当てたあと、もう1発ホームランを打とうと思って、パチンコを模索してみました。でもこの市場はアカン、どんどん衰退する。じゃあ、エロゲーではどうだろう。DMMさんと話してゲーム化の検討をした。あかん、俺は「萌え」がわからん。
自分が本質的に「これだ」とわからないものはやらないんです。だからエロもダメだと。それで今はいくつか模索をしながらブロックチェーンゲームにも張っている感じです。
中山:
ブロックチェーンゲームのダブルジャンプトーキョーにも出資されてますよね? 先日、同社役員の方と話してたら、岡本さんのお名前が出てきて驚きました。本当に手広いなと。
岡本:
まあ3つくらい投資した先の1社ですけど。新しいものに挑戦しようという会社は助けてあげたくなります。そのために日本ゲーム文化振興財団も立ち上げたんです。
「助けてくれ」ときたものはなるべく助けるようにしてるんです。なので出資しているゲーム会社、アプリ会社はいくつかあります。VR・メタバースも面白いけど、まだしばらくは来ないですね。しばらくはまだモバイルが機能する時代だと思ってます。
海外しかないと思ってマレーシアに移住
中山:
そういえばマレーシアに移られた理由は?
岡本:
やっぱり今後の伸び幅でいうと海外しかないと思うんですよね。それで、海外に出る日本人材に機会を与えたかった。ただ、実はマレーシアのジョホールバルというのは想定外でした(笑)。
中山:
岡本さんが決めたんじゃないんですか?
岡本:
株式会社オカキチのメンバーで移住しようというのは決まって、シンガポール、香港、ベトナムといろいろ見て回ったあとに、(今はもう辞めてしまっている)役員が「岡本さん、マレーシアのジョホールバルにしました」と。勝手に決まってたんです。
中山:
移住ってかなり大事なことなのに、よく他人に任せますね。
岡本:
自分の秘書も自分では採用しませんしね。なるべく任せられるものはチームに任せちゃいます。まだマレーシアはエンジニアやデザイナーのレベルが高くないですが、毎日刺激的ですし、これからも一発当てるために、頑張ってます(笑)。
中山:
最後にお聞きしたかったことがあります。ゲーム業界は1980~90年代ずっとパクりパクられ、お互いに技を盗み合う市場でした。それが2000年代になって各社訴訟にためらいがなくなり、逆にお互いで気遣いをして作るようになった。それは日本のゲームが海外でプレゼンスを失うのと時を同じくしています。パクりパクられしている時代のほうが、市場は活性化していたし、良いものができていた、ということはあるのでしょうか?
岡本:
僕は、完全にゼロから作るタイプではないです。『タイムパイロット』は『ボスコニアン』に影響を受けてますし、『ジャイラス』は『ギャラガ』から発想をもらっている。『モンスト』だって『パズドラ』の存在がなければ生まれなかった。
でも誰も同じものとは思わないくらいに作り込んでいる。俺やったら、こんなふうに面白くできる、という気持ちで作っている。映画とかボードゲームとか、影響を受けたものを全部入れ込みながら作ってます。
もちろん、1980年代の初期のゲーム会社は、結構やんちゃなことをしてたけど、もうそんなことはできない。パクりパクられに厳しくなったことは確かです。でも、昔から安易にパクって成功できる業界ではなかったはずです。あくまで名作から本質的な部分を抽出して、オリジナルを作れるかどうか。そういう必死さみたいなものが、業界から失われていることが問題なんじゃないでしょうか。
岡本さんに学ぶポイント
「最終的に一番大事なことにフォーカスする」
上司の指示に従っても売れなければ意味がない。最終的には売ってくれれば誰も文句は言わない。
「ブランドを作るのは、すごいカロリーが必要」
カプコンのブランドは米国・欧州・香港に10数年間ガンガン突っ込んで作り上げてきた。めちゃくちゃでも突っ込み続ける。
「やるとなれば徹底的に分析」
とにかく遊ばないとわからない。必要となればお金を惜しまずガチャに突っ込んででもノウハウを盗む。映画やボードゲームなど影響を受けたものを全部入れ込みながら作る。
「次の島に行くときに前の島との橋を焼く」
アーケードゲーム→コンシューマーゲーム→モバイルゲームと、新しい領域にいくときは前の財産をすべて捨てた。後任にすべて任せて、自分は見ないという覚悟を決める。
いかがだったろうか。ご自身もYouTubeで発信されているからこその軽妙な語り口と、ゲーマーならば思わず目を見開いてしまうタイトルの数々にまつわる裏話も交えたエピソードトークに心を惹かれる読者もいらっしゃるかもしれない。
ただ、ここで注目すべきは岡本氏のゲームに対する向き合い方だ。手がけたゲームタイトルは納得するだけやりこみ、『ストII』をヒットさせた後にコンシューマーへ移行する折にはコンシューマーのゲームだけをひたすらプレイする。『カタン』でもハイペースでプレイを重ね、ついには世界大会でも通用するほどの腕前にもなってしまう。仕事として向き合うコンテンツへのエネルギーの投資量があまりにも多すぎるのだ。
本書の著者である中山淳雄氏は「『尖った人材』は育てるものではなく育つものだ」と主張する。この言葉に則れば、岡本氏はまさに膨大なエネルギーを注ぎ続けることでトップクリエイターへと自ら“育った”人物と言えるだろう。
中山氏はあわせて、現代の日本企業に必要なものは「尖った人材」に場や裁量を与え、抑圧することなく、悪戦苦闘する姿を見守ることができる組織なのだと語る。岡本氏がインタビューの最後に突いた「必死さ」が失われつつあるという課題の背景には、“無難な”成果を求める組織の体制が関係しているようにも思われる。
かつて岡本氏が勝手にゲームの企画を変え、しかしそれがユーザーにウケたように、時には個人の暴走から優れたコンテンツが生まれてくる場合もある。そうした成功体験が積み重なれば、次の時代には「上司の指示は聞いて当たり前」というルールさえも変わっていく可能性があるのだ。長い停滞期にある日本のエンターテインメントに変革を促すには、型破りで劇薬的な「尖った人材」を包括できる体制こそが欠かせないのではないだろうか。