ホラージャンルでは、ある意味で「前フリ」こそが「豊かな恐怖」を生み出すのではないだろうか。
「怖さ」を求めているものの、ホラーゲームで遊ぶときにプレイヤーは「怖いこと」が起きると予め知っている。そうなれば「恐怖演出」そのものではなく、「恐怖」の正体や恐怖が誰を、どのように脅かすかといった前提。恐怖が訪れる“前”を雄弁に語るほど、「恐怖」は邪悪で嫌悪すべき感覚に育っていく。
ホラーゲーム『Bramble: The Mountain King(ブランブル: ザ・マウンテン・キング)』は、この条件を最大限に活かすことで「最高に不快」(誉め言葉)な表現に満ちた作品に仕上がっていた。
北欧神話にインスパイアされ、フォトリアルなビジュアルを採用した本作の世界は、とにかく美しく幻想的だ。姉を慕う健気な主人公オーレがそんな世界で、可愛らしい妖精たちが暮らす世界に迷い込む。
そんな最高に「癒し系」な世界から蛆虫にまみれた腐肉の海に叩き落とされる様を想像してみて欲しい。ズバリ最悪そのものだ。
この温度差は、「癒し系」を堪能したプレイヤーにのみ訪れるご褒美であり、プレイヤーが持つ甘い記憶に由来して立ち上がるオーダーメイドの地獄である。
筆者は本作をプレイし、はじめてゲームで「不快極まりない」感情をおぼえた。本記事では筆者の親切心に基づき、この不快感を読者の皆様に“おすそわけ”していく。
実際にゲームをプレイすれば、「地獄」と「癒し」の波状攻撃により、プレイヤーの精神はトランス状態に到達するだろう。記事を介して本作に興味を持った方は、ぜひ実際にプレイして“整う”感覚にたどりついていただきたい。
なお、本記事には残酷な表現を含んだスクリーンショットが掲載される。苦手な方は十分に注意してほしい。
文/りつこ
編集/実存
北欧神話を題材にした美しいアートワーク、か弱く守りたくなる主人公。という“エサ”
本作のゲームシステムや、いわゆる“地獄”の前に、アートワークについて紹介したい。なぜなら、『ブランブル: ザ・マウンテン・キング』のビジュアルは「極上」と言って差し支えないものに仕上がっているからだ。
本作は主人公の男の子オ―レが夜間に窓から遊びに出た姉のリリモールに続き、自宅をこっそり抜け出す場面から開幕する。程なくして物語を象徴するアイテム「光る結晶」を見つけた姉弟は、なにやら穏やかで幻想的な世界「Bramble」に迷い込んでしまう。
巨大な植物に小さく可愛い妖精「ノーム」たち、立体的に空間を語る光の表現、それらが被写界深度の浅い撮影で高精細に描かれることで、見事に幻想的な世界を描き切っている。
実際に主人公オーレを操作し冒険すれば、誰もが巨大なミニチュアに迷い込んでしまったかのように錯覚してしまうことだろう。
可愛らしく美しい、「癒し」という概念をそのまま3DCGに落とし込んだような世界の探索は、まさに一見の価値ありといった具合だ。
本作は3人称視点のアクションアドベンチャーとなっているが、カメラワークは追従カメラと固定カメラが使い分けられており、多くのシーンで固定カメラが採用されている。
同時に、イベントシーンとゲームプレイはかなりシームレスになっており、キメキメのフレーミングと相まって“映画をプレイしている”ような没入感で不思議な世界・Brambleを味わえる。
また、本作の冒頭ではオーレやノームたちの無垢さ、か弱さ、優しさがこれでもかとプレゼンテーションされる。姉の背中を追い、自分より遥かに巨大な木々や草花をかけていくオーレは、その容姿や幼さにみあったたどたどアニメーションで描かれており、儚く愛らしい。
こうして、幻想的で美しい耽美な世界に浸っていた矢先、事件は起こる。自宅に置かれた不気味な絵本と、オーレの儚さに由来する不安が牙を剥くのである。
可愛いこどもだったグチャグチャな「何か」。鮮明なビジュアルで贈る「不快―1グランプリ」開幕
さて、地獄の蓋を開けていこう。
さんざん高精細な「癒し系」の世界を冒険していると、姉がいかにも不気味で、巨大で、悍ましい「トロール」にさらわれてしまうのである。何とか逃げ延びた主人公は川へ落下し、とある岸辺に漂着したときには夜のとばりが降りていた。
日中に可愛いノーム達とたわむれた庭園は何故か荒れ果てている。ひとまず、浚われた姉を探すアクションプラットフォーマー形式のマップ探索が開始する。
適当に歩いていると、夜の草むらに隠されていた巨大なトラバサミが起動。華奢でぷにぷにと白く柔らかいオーレの肉体は半分に切断され、昆虫の鳴き声にも似た断末魔が耳に焼き付く。
フォトリアルなビジュアルを採用した本作では、死に様も実にリアルだ。あんなに可愛らしく、実在感をもって描かれたオーレが死ぬ姿は、率直に言って不快である。
近年ではゴア表現により国内で発売されない作品が話題になることも多いが、なぜ本作が発売出来ているのか、甚だ疑問になるほどだ。
なんとかトラバサミの群れを攻略すると、檻に囚われたノーム達に遭遇。パズルを解いて救い、彼らを引き連れてマップを歩いていると、彼らも道中の罠に捉えられ、惨たらしく殺されていく。
ちょっとした失敗で泣いてしまったり、ちょっとしたことで健気に喜んだり、いわゆる“こどもらしい”可愛さを存分に携えたノームもグチャグチャな肉塊になっていく。はては、オーレが生き延びるたびにノームを囮にせざるを得ない局面も登場し、だれしもが散々な気持ちになるはずだ。
その後も何かと失敗すれば巨大な包丁による切断、溺死、上半身を砕かれて圧死。前項で述べたように、「美しいファンタジー世界」「姉を下っている健気な少年」を存分に描いた上で訪れる地獄。
本作はこのジェットコースターのような落差を活用することで、オーレが感じる恐怖と無力感を、ディスプレイを貫通しプレイヤーに届けてくれる。筆者は決して有難いとは思わないが、「恐怖を描き、与える」ことをひとつの目的に据えた作品においては、紛れもない達成だろう。
この記事を読む読者がもし「圧倒的な不快さ」や「恐怖」を求めているのであれば、すでに“間違いない”作品であることにお気づきなのではないだろうか。
不快すぎるのに遊びやす過ぎる。一見矛盾しているようで最適化されたゲームデザイン
前述のように、本作は「可愛くて優しい」世界から地獄へ強降下する凄まじい作品だが、ゲームとして非常にサクサクプレイできる設計になっており、長くとも4時間ほどでプレイできるコンパクトなボリュームだ。
コンパクトな分、密度が高い設計になっており、ゲームシステムとプレイヤーの体験がかなり噛み合っている印象を覚えた。
本作は前述のとおり3人称視点のアクションプラットフォーマーのような形式になっており、シナリオ含め『LIMBO』や『リトルナイトメア』を踏襲しつつ、独自に要素を拡張した作品となっている。
基本的にオーレは無力なため、ゲームプレイにおいては「ステルス」をベースに、マップを踏破する形となるが、パズル要素を前面に押し出したり、3Dのフィールドを逃げながらタイミングを見計らって攻撃するボス戦なども登場。ゲーム内のギミックや状況設定はかなり多岐にわたり、過度な作業感やダルさを感じる余地は少ない設計だ。
また、とくに注目したいのは「サクサクやり直し」ができる点だ。本作ではオーレが何度も何度も死亡することになる。しかし、その死亡演出は不快ながら、リスポーン地点はかなり細かく設定されており、「折角ここまで進めたのに」という無念さを殆ど感じずにゲームを遊べる仕様となっている。
この仕様はボス戦にも適用され、「3回本体に攻撃する」ボス戦であれば、途中で死んでも「ダメージを与えた後」からやり直しできる。かといって「歯ごたえがない」と感じるほどゲームクリアは容易ではない調整が施されており、ストーリーにならって進行する一本道の本作に最適な設計であるように感じた。
無論、不快であるため体力は使うが、少なくとも「難しそう」という理由で距離を置く必要はないだろう。
恐怖と美のサウナ的反復で「整う」。狂気の向こうで気づくシンプルで雄弁な物語
コンパクトでサクサクと遊べる本作は、冒頭だけでなく道中でも「癒し」に該当する美しい景色や優しい登場人物も登場する。同時に、絶望もかたちを変えて繰り返し登場する。
奇妙な音色を奏で主人公を死に追いやるクリーチャーに、沼へ赤子を捨てさせる産婆、村人をアンデッドに変える謎の農夫といったおぞましいクリーチャーに、美しい絶景、優しく不思議なキャラクターたち。
充分にプレイヤーを怯えさせ、疲れさせながら行われるこの波状攻撃は、やがてプレイヤーから「快」「不快」といった感覚を奪い去る。さながらサウナと水風呂を繰り返し到達したトランス状態だ。
そして、直感を剝ぎ取られたプレイヤーは、物語のディテールやオーレの心情に目を向ける余裕を獲得し始めるだろう。
本作はいくつかのパートに区分され、パートごとに登場するクリーチャーなどのモチーフが異なる。また、各パートの中盤および冒頭には「絵本」が登場し、各パートに関連した個別の「ダークなおとぎ話」がつづられている。
いずれも抽象度が高いものの“元ネタ”があることが伺える。モチーフはペストや魔女狩りといった史実のほか、「夜に出歩いてはいけないこと」「湖に近づいてはいけないこと」といった子どもにむけた教訓のようなものであり、いわば「世界に備わった危険」を元にした普遍的な恐怖や暴力のメタファーである。
とくに日本のホラー映画などで顕著だが、「ホラー」ジャンルで描かれる恐怖とは、現実に存在する暴力の象徴であり、ホラーコンテンツはそのプラットフォームという側面があると言えるだろう。
この視点を踏まえると、本作に登場する数々の恐怖は「無力な子供から見た世界の恐ろしさ」である。つまり、残酷さと美しさが共存する物語は、「安全な家で生きてきた無垢な少年」にすぎない主人公・オーレが世界に足を運び、そこで遭遇した世界の恐ろしさと、美しさをデフォルメしたものとして読み取れる。
家を出たことを後悔し、悲惨な現実を変えられない無力を悔み、憎しみに駆られながらも歩みを進めていく。要約すれば単純すぎるテーマではあるが、ひどく残酷で美しいファンタジー世界でのハードな体験を通して描かれることで、自然とプレイヤーを納得させる説得力を獲得しているはずだ。
ゲーム後半で次第に同居していく「残酷さ」と「美しさ」の果てには、ポジティブな達成感と共に、快と不快が同居した世界へを受け入れる「悟り」のような感覚が待っていることだろう。
「北欧神話」をモチーフに、苛烈で奇妙な物語を練り上げた本作。圧倒的な不快さ、そしてその先の物語が気になる方はぜひオーレとして悍ましい世界に旅立とう。
『Bramble: The Mountain King(ブランブル: ザ・マウンテン・キング)』はH2 INTERACTIVEよりPS5、Nintendo Switchで、5月25日より発売中。なお、PC(Steam)版はMerge Gamesより発売されている。