『The Last of Us Part II』リマスター版の記事執筆にあたって、編集部からPS5を貸してもらった。まだ未発売のゲームを先行してプレイできるのはなんだか特別感がある。
まして、生涯マイベスト級に思い入れのある『ラスアス2』だ。非常に高い完成度を誇っていた前作をはるかに凌駕する、ゲーム史に残る傑作だと思う。リリース当時とてつもない反響と議論を呼んだ激烈なシナリオを完走したあとは、あまりの壮絶さにしばらく放心状態に陥っていた。究極のビデオゲーム体験だったと思う。
そんな大好きなゲームのリマスター版を一足先にプレイできるなんて! 私は高揚感とともにPS5のパワーボタンを押し、デュアルセンスコントローラーを握る。
さ〜て、原作からどれだけパワーアップしているかな……。ワクワクしながらゲームを起動し、あの印象深い浜辺とボートのタイトル画面と直面する。
ここで正直なところ、「また」『ラスアス2』をやらなきゃいけないのか……。という重たい感情が大きくのしかかってきた。はっきり言って苦痛だ!
アクションの操作性や絶妙な難易度など、本作のプレイフィールは非常に高水準だ。それでも、あのストーリーにもう一度直面し、ふたたび苦しむエリーやアビーとシンクロしなくてはならないと思うとさすがに腰が重い……。
本リマスター版にはローグライクのシステムでアクションを楽しめる「NO RETURN」モードなどの追加要素はあるものの、本編のシナリオに変更点はほとんどない。
しかし、リマスターでの再プレイ時にはPS4版の初回プレイとはまた違った感触を覚えることになった。グラフィックのパワーアップやデュアルセンスコントローラーによる微細な振動演出により、いみじくも没入感はさらに増している。暴力を振るい、振るわれる苦痛も最新ハードでリマスターだ。
あくまで原作に忠実なリマスターであるものの、PS4版をプレイ済みのユーザーにとっても手に取る価値のあるパワーアップバージョンに仕上がっていると思う。
文/波木銅
※本稿には、『The Last of Us Part II』のネタバレ及び結末に触れる内容が含まれております。あらかじめご了承ください。
※株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメントから商品の提供を受けています。
アンチ・カタルシスの極地とも言える惨劇がふたたび
本作のストーリーは前作の主人公・ジョエルの死によって幕を開ける。かつて彼と苦楽を共にしたエリーは、自分にとってかけがえのない存在を殺したアビーへの復讐に燃える。
アビーもまたジョエルによって肉親を殺されている。それぞれの視点から結末へ向かっていくシナリオは卑近な言葉で言えば、復讐の連鎖を描いた物語であるといえる。
「アンチ・カタルシス」という作劇用語がある。多義的で曖昧なニュアンスを含む言葉だが、あえて物語上の喜びや楽しさを廃し、観客を喜ばせないストーリーテリングのことを指す。本作のシナリオがアンチ・カタルシスの極致であることは、クリア済みのユーザーにとっては周知の事実だろう。
感染者のひしめく崩壊したシアトルの道中をどうにか潜り抜け、武装した敵勢力の集団の目をかいくぐり、数少ない弾薬や物資を極限まで切り詰めながら知恵と勇気をふりしぼってどうにか先に進む。
シビアで高難度のアクションや謎解きを何度もリトライしてストーリーを進めても、物語の状況は悪くなる一方だ。キャラクターに思い入れて感情移入すればするほど、ハードな展開が重くのしかかってくる。
人間の敵にはそれぞれ台詞が用意されていて、プレイヤーがそれらを殺すと仲間の名前を叫んだり、互いに安否を確かめ合ったりする。撃破したあとは痛々しい傷跡を残した死体として画面に残り続ける。
敵キャラとして配置されたNPCを撃退することすらためらわせる本作の構成は、自分の分身たる主人公を操作して強大な敵に立ち向かう、というビデオゲームならではの根本的な楽しささえも否定してかかる。その徹底ぶりは、本作のディレクターであるニール・ドラックマンからプレイヤーへの、ひいてはゲームそのものへの「攻撃」にすら思えてくる。
プレイヤーが直接操って苦楽を共にする主人公キャラクターには、単なる物語の登場人物を超えた肩入れをせざるを得ない。
前作をプレイしてジョエルのことが大好きになったプレイヤーは、本作の冒頭で彼をむごたらしく殺したアビーのことを憎む。新たに主人公キャラとなったエリーも当然その感情を抱いていて、プレイヤーは彼女にインタラクティブに共感することとなる。
仮にこのままエリーが復讐を遂げるまでを描いたシンプルなストーリーラインであったとしても本作の評価は高かっただろうし、過不足ない作品になっていたと思う。そういうプロットでも、重厚で心に残るシナリオを描くことはじゅうぶん可能だ。
しかし、そうしなかったことで本作はゲーム史に名を残すといっても過言ではない立ち位置を手にしたのだと思う。
より鮮明になった「地獄めぐりシミュレーター」
本作は2部構成となっており、後半は視点人物をアビーに移した物語が展開される。
このときより、「NPCの敵キャラ」だったアビーはもうひとりの主人公となり、血の通ったひとりの等身大の人間となる。
私はけっこう物語の登場人物に感情移入しがちなので、ふたりの主人公どちらにも強く肩入れした。双方の因縁に一応の決着がつくあまりにも陰惨な浜辺でのラストバトルを筆頭に、「ここまでやらせるか」と唖然としつつ、そして同時に「ここまでやらせてくれるのか」とも思った。
PS4版のリリース当初にネットを中心に世の中を駆け巡った、本作をめぐる激烈な賛否両論について覚えている。もともと全方位からの賞賛を目指すような作風でないことは明白なのでその反響は妥当というか、作り手側もそんなこと百も承知だったと思う。「フルプライスの価格を払って30時間くらいを費やし、精神的苦痛を味わいたい」と思う人間はそうそういない。
アンチ・カタルシスの極致にある本作は、究極のゲーム体験であると同時に、「アンチゲーム」を体現してすらいるともいえる。PS4版をクリアしたときには、ゲームをプレイすること自体がなんだか馬鹿らしく思えてくるほどに強烈なショックを受けた。
もちろん、強力なボスをどうにか倒してステージを踏破したり、物陰から忍び寄ってステルスキルを決めたりといったゲーム的な喜びはある。
ただ、本作が即物的な娯楽としてのビデオゲームの構造とは一線を画していることは明らかだ。ドラックマンをはじめとした制作陣は前作を「出来の良いゾンビゲーム」として消費し、賞賛してきたユーザーに対してある種の勝負を仕掛けたのではないだろうか。
それは「ユーザーを全くナメていない」愚直で真摯な姿勢だ。本作の構造からは、ゲーマーに対する怒りや軽蔑すら感じる。裏を返せば、それをあえてゲームの形にしてぶつけることは現代の受け手に対する信頼であるともいえる。
だからこそ、現行の最新ハードでより多くのユーザーに届ける意味がある。これはPS4版の時点でもあった要素なので余談だが、本作のアクセシビリティ機能は非常に充実している。単に難易度を下げるだけでなく、音声による補助やテキスト読み上げなども搭載されていて、視覚障碍があっても最後までプレイすることが可能だ。つまり、本作はあらゆるユーザーに受け取られるべきタイトルとして設計されているのだ。
徹底的に暴力や痛みを描く、さながら「地獄めぐりシミュレーター」ともいえる本作は、写実的でリアリスティックであればあるほど良い。
PS4末期にリリースされた原作の時点でグラフィックは美麗だったが、リマスタリングでビジュアル面はさらに向上している。微細な振動やLRトリガーの感触の変化があるアダプティブトリガー機能など、PS5のデュアルセンスコントローラーの触覚による演出も本作の表現にピッタリだ。
思えば、ゲームハードをテレビに繋いでテレビの前に座ってコントローラーを握る、といったことも少なくなった。SteamでダウンロードしたゲームをPCで起動し、マウスやキーボードで操作するのがもはやスタンダードになった今では、ゲームをそれ専用のデバイスで遊ぶ、という行為はすでに当たり前ではなくなっている。
本作はPS5専売なわけだが、こと本作においてはコントローラーを手にしてテレビ画面にかじりつく、ある種の古典的なスタイルこそが最適化されている気がする。
コントローラーの微細な振動により、アクションの感覚がより生々しく反映される。両手を塞がれた状態では逃げ場はない。ボタン連打で敵の拘束から逃れるとか、繊細にスティックを倒して足音を殺してゆっくり歩くとか、スリルでコントローラーを手汗でベシャベシャにするプリミティブな感覚を久しぶりに体感した。
ツラすぎるストーリーに対する一種の清涼剤? リマスター版で追加された新要素
ストーリー本編はさておき、リマスター版の目玉要素のひとつに、新モード「NO RETURN」がある。エリーやアビーに加え、ジェシーやディーナといった本編では仲間のNPCだった人物もプレイアブルキャラとして使える。
このモードでは選択したキャラごとにある固有の初期武器と能力で、できるだけ長い間の生存を目指してウェーブを攻略していく。ステージはランダム生成、その場で手に入る武器やアイテムでの生存を目指すローグライクのシステムだ。
本編とは切り離された、アクション要素に特化したやりこみモードとなっている。
直感的かつレスポンスが良く、リトライを何度か繰り返せばクリアできる絶妙な難易度の本作のアクションに文句はひとつもないが、『ラスアス2』の良さは強烈なシナリオや演出であって、べつにバトルじゃないし……。正直な話、このモードとの付き合い方はどうしたものかと初見は戸惑った。
感染者だけでなくWLFやファイアフライのメンバーまでもが敵キャラや障害物としてランダムに配置されたりするのは、「対峙するNPCひとりひとりにも人格があって、プレイヤーがそれらを(やむを得ず)殺害する」ということに対する強烈な問いかけがあった本編との食い合わせが悪いんじゃないか……とはどうしても思ってしまう。
が、実際に触ってみると、これはこれでローグライクアクションとしてはやりこみがいがあってかなり面白い。ヤーラとレブで共闘できるなど、本編とは違った見どころも。
ストーリーの深刻さからいったん離れてアクションに没頭するのも悪くない。本編とは別物と割り切ってやりこむぞ!
ギター演奏モードでは思う存分演奏を楽しめる。コードを選んでコントローラーのタッチパッドを指でなぞるあの直感的な操作を、ジョエルや指が5本あるエリーとともにいつでも味わえる。テクニック次第でストロークやアルペジオなどの奏法も思いのままだ。
本編に登場したアコギのほか、なぜかエレキやバンジョーも用意されている。ご丁寧にエレキはエフェクターを使って音作りをすることもできる。
上記のように、基本的に追加要素は本編には直接干渉しないものだ。ストーリーがあまりにツラすぎるので、一種の清涼剤として機能すると思う。
前作のリマスター版はすでにPS5でリリースされているし、HBOのドラマ版から『The Last of Us』を知ったユーザーなど新規ファンにとっても導線が引かれた状態となっている。それらだけでなく、PS4版をプレイ済みの層にもリマスター版での再プレイを勧めたい。当時とはまた違った感触を味わえるはずだ。
より多くのユーザーが、より鮮明になった極上の地獄に案内されることを願う。