※本記事には「記憶汚染展」に関するネタバレが含まれます。ご注意ください。
みなさんは「マンデラエフェクト」というものをご存じでしょうか?
知らない方もとりあえず、忠犬ハチ公のことを思い浮かべてみてください。渋谷に銅像がある、おそらく日本で一番有名なワンコです。義務教育を終えているくらいの年齢なら、「ハチ公……?」となる方はそんなにいないでしょう。
賢く気高く、忠義に厚い秋田犬。飼い主の死後も10年以上にわたって駅に通ってその帰りを待ち続け、没後にその死を悼んで渋谷駅前にハチ公の像が建てられた……。
以上の話を思い浮かべた方は、残念ながらすでにマンデラエフェクトに飲まれています。
というのも、渋谷のハチ公像が完成したのはハチ公の死後ではなく生前。なんならハチ公は自分の銅像の除幕式に出席したという記録すら残っています。
このように、事実と異なる誤った記憶を多くの人が共有してしまっている現象が、マンデラエフェクトです。そしてこれからご紹介するのが、こうした人間の記憶のあいまいさをテーマにした体験型ホラー展覧会「記憶汚染展」です。
この「記憶汚染展」、率直にたいへんおもしろかったです。
いいたいことは色々あるのですが、まっさきにお伝えしたいのは、時間に余裕さえあればぜひ2周してみてほしいということ。1周目と2周目で、展示の意味がガラリと変わって見えます。体験型の展覧会でこういう感覚になったのはかなり久々かも。
ざっくり言えば、1周目は普通の(?)ホラー展覧会。ホラーといってもジャンプスケアなどがあるわけではなく、記憶というものの曖昧さや、それに基づく現実の不確かさといったものを紹介していく、いわゆる雰囲気ホラー的なもの。その代表例がマンデラエフェクトですね。
これだけでも展示としてはしっかりおもしろいのですが、本展はただの展示“だけ”ではありません。脚本担当として作家の品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)氏が参加しており、よくよく観察してみると、展覧会全体を貫くひとつの物語が見えてくる。2周目は、その物語を踏まえることで、一度辿った展示を新しい目で味わうことができるんです。
この2周目、たとえるならミステリーの解決編みたいなもの。
木を隠すなら森の中、という言葉がありますが、本作の展示は宝石の混ざったビーズの山。そこから物語という糸を引くと、みるまにそれが繋がって一本のネックレスになるように、バラバラだったものが収束していく感覚がかなり気持ちいいです。
というわけで、今回は「行方不明展」「恐怖心展」に続く株式会社闇による体験型展覧会「記憶汚染展」についてレポートしていきます。
一応最大のネタバレについては避けていますが、自分で気づくとかなり気持ちがいい、とある「謎」については言及してしまうので、「自分で気付きたい!」という方は読まずに展覧会へ行くことをおすすめします。
また今回の取材にあたって、本展覧会を開催している株式会社闇の頓花聖太郎氏、脚本を担当している品田遊氏より、それぞれメッセージを頂いていますので、こちらもあわせてご紹介させていただきます。
頓花氏:
「記憶」は誰もが持っているものですから、そういう意味で「記憶汚染展」は、どなたでも楽しめる展覧会になっていると思います。ジャンプスケアもありませんし、めちゃくちゃに怖いわけでもありません。それよりも、自分の記憶と向き合える展覧会になっていると思うので、ぜひ気軽に足を運んで、楽しんでいただけたら嬉しいです。品田氏:
「記憶汚染展」は、さまざまな側面を持つ展覧会です。外の世界から隔てられた空間で、その世界観に浸ることもできますし、自分自身の記憶を参照しながら、それが少しずつずれていく感覚に集中するのもいいと思います。今回はテキストの量も多いので、じっくりと読み込み、考察をふくらませるような楽しみ方もできます。ぜひお好きな方法で、ご自身の記憶と戯れていただければと思います。
取材・執筆/恵那
※この記事は「記憶汚染展」をもっと知ってもらいたい株式会社闇さんと電ファミ編集部のタイアップ企画です。
うわっ、私の記憶、ウソすぎ……?
本展覧会は5つの章に分かれており、「マンデラエフェクト」「ハルシネーション」「記憶残骸」「記憶保全」「記憶汚染」の順に展開されていきます。
で、その最初の章が冒頭でもご紹介した「マンデラエフェクト」。多くの人が「正しい記憶」だと思っていることの中には、実は文化的なイメージや思い込みによる“汚染された”記憶が多く含まれている、というヤツですね。
そのわかりやすい例が、美術の教科書なんかにも頻出するボッティチェッリの有名な絵画『ヴィーナスの誕生』。みなさん、これ正しいのはどっちだと思いますか?
正解は「右」。貝殻が片側だけしかないほうです。
ビビりましたか? 私はビビりました。個人の主観的記憶では100%左の絵をサイゼリヤで見た記憶あるもん。
とまあこんな感じで、自分の記憶がいかに信用ならねえか、ということを突きつけられていくのがこの最初の展示コーナー。「それくらい知ってるよ〜」というものをたくさん並べ、「うわっ、あなたの記憶、ヒドすぎ……?」をやっていきます。
たとえば「パンダのしっぽは黒い?白い?」「オーストラリアの場所はどっち?」「モナリザってどんな表情してた?」などなど……。
各展示には、観覧者が「こっち!」とシールを貼り付けられる場所があるのですが、答えを知りながら書いているいまの私からすると「ぼんやり生きてるのは自分だけじゃないんだな」ということがわかって、たいそう愉快です。
個人的に特に気に入っているのが「雉(キジ)と朱鷺(トキ)、日本の国鳥は?」という高校生ウルトラクイズの早押し問題みたいなこちらの問い。
「うおお朱鷺の学名はニッポニア・ニッポン! これくらい日本人なら知ってて当然!!」と勇んで右側にシールを貼り付けに行く人は筆者のお友だちです。この流れで正解がどちらなのかは分かったかと思いますが、「世の中ってマヌケが多いんやなあ」という気持ちで眺めてください。
ただ、こうした“勘違い”をしているのは、実は人間だけではありません。
ということで、続く第2章の展示が「ハルシネーション」。生成AIが、いかにももっともらしいウソをついてしまうという現象です。
本展覧会は、この「記憶」と「ハルシネーション」というふたつが大きなテーマ。並べてみると、なんだか実は似ているような気がしませんか?
たとえば画像生成で6本目の指や、3本目の腕が生えてしまう。たとえば世界のどこにもない、見た目だけはそれっぽい文字を生み出してしまう──。
画像生成AIの「あるある」として、よく聞く話かと思いますが、こうしたエラーが起こる根本的な原因は、AIは絵を描く際に人体の構造や文字の意味を理解しているわけではなく、膨大な学習データから、その場の文脈に合いそうなものをパターン的に生成している……要するに、最も“それっぽい”ものを生成しているからです。
一方で、人間もAIと同じように、自分の持っている情報から“それっぽい”ものを生み出す、ということを無意識にやっています。たとえば、以下のような歯抜けの文章であっても、大方の人はほぼ支障なく読むことができるでしょう。周りの文字から、脳が文脈を勝手に補ってくれているからです。
人間の知覚や認識もAIと同じように、不完全な情報を補うことで世界の像を結んでいる。そう考えると、私たちが現実と呼ぶものの中にも「ハルシネーション」が紛れ込んでいる可能性があるのではないか──というのが、ここで掲げられているテーマ。
展示の中には、現実に起こった事件を話題として取り上げているものもあるようで、一昨年から昨年ごろにかけてAIのハルシネーション事件として話題になった「タツノオトシゴの絵文字」についての展示なんかもありました。
こちらは2024年頃からX(Twitter)やRedditなどで、AIに「タツノオトシゴの絵文字ってある?」と聞くと猛烈なハルシネーションを起こすと騒がれていた事件。そしてその原因ではないかと推測されている理由のひとつが、「ありそうだ」という思い込みが人間たちの間に浸透していたから、というものです。
絵文字の国際規格であるUnicodeには、今日にいたるまでタツノオトシゴの絵文字は存在しないのですが、🐙や🦑や🐬など、ほかの多くの海の生き物は登録されています。そのため人間たちはタツノオトシゴの絵文字も当然「ある」と思い込んで情報を発信。それを学習したAIも、ないはずのタツノオトシゴの絵文字を「ある」と認識してしまったのではないか……。
こうなると単なる記憶違いというより、たくさんの人が「事実」だと記憶していることが事実にすり替わってしまう、ある種の主観的観念論とか、あるいは量子力学の観測問題じみてきます。
そしてもうひとつ展示されていたのが、アメリカの上院議員、コービン・エリオット・ウェザリッジ氏。オンライン百科事典の長々とした解説が印刷されているのですが、どうやらウェザリッジ氏、SNSなどで膨大な量の生成AI由来とおぼしき動画が出回っており、本人が生きているのか死んでいるのかもよくわからなくなっているのだとか。
生きて演説している動画もあれば、葬式動画もあり、死亡説や替え玉説まで流布されて本人は行方不明。とある研究者は「コービンは現在、あらゆる状態を同時に経験していると言わざるを得ない」などと語っているとか。そんなアホな。
ネットのおもちゃにされてるおじいちゃんがかわいそうすぎるわけですが、さすが生成AI時代だと言うべきなのか。こんな凄まじい事件を恥ずかしながら筆者は全く知らなかったのですが、さっそく調べてみたところ、驚くべきことが判明しました。
?
???
えっ、この話ウソじゃん????
この展覧会、ウソの強度があまりに高い。ここまでやるか……?
過去に「行方不明展」「恐怖心展」などの展示をご覧になった方、もしくは正常な思考力と判断力をお持ちの方、現実とフィクションの区別がつけられると自負する方などは先刻ご承知かと思うのですが、この展覧会はフィクションです。
私はこの全部に該当している自認でしたが、この瞬間はマジで「コービン・ウェザリッジ」を実在の人物だと思っていたので、Wikipediaでノーヒットになったのを見て乾いた笑いが湧きました。
冷静に考えると「さすがに無理がありすぎる設定だろ!」「よく見ればWikipediaじゃないことくらい分かるだろ!」となるのですが、だってここまでの展示はそういう雰囲気だったじゃん……! タツノオトシゴ事件の展示とかあったし、「そういう実際の事件も絡めてるのか〜」と思うじゃん!!!
単にこの話だけなら「筆者がアホ」だけで終わる話なのですが、単に私がアホなだけでなかった言い訳もさせてください。こいつらのウソってとんでもなく丁寧なんだよ。
たとえばこちら、存在しない記憶として、誰も知らないし、記録も残っていないはずの事故について報じたとされる新聞の展示。社名が「朝央新聞」という聞いたこともないところなので、これがフィクションなのは、まあ分かります。
問題は、このフィクションに対してあまりに心血が注がれすぎていること。
本文だけでなく広告までしっかり作り込まれているのはまだ分かる。なんだけど、よくみるとこの新聞、うっすら裏面が透けてるんですよ。
こ、こいつ、新聞の裏面まで作ってる……!
なんならこの新聞、ぴったり壁に貼り付けてあるので、「風が吹いてちょっとだけめくれちゃった〜♡」なんてことは物理的にまずないです。1000%絶対に誰も見ない箇所まで作り込んでる。正気か?
本展示、得体のしれない正体不明の展示が無数に存在しているのですが、そのどれもかしこも作り込みのレベルがとんでもないです。たとえばこちら。
友だちに借りたまま返しそびれてしまったゲームソフトだけど、「販売情報がどこにもない」という謎のファミコンソフト「イガニン手裏剣道中」。映像だけそれっぽく作っているのではなく、なんと実際に遊べます。この展示のためにゲームを……?
しかも遊んでいると急にバグってびっくりさせてくるおまけつき。すみませんジャンプスケアはないですって言ったけど、これはちょっと自分でもびっくりしました。
ほかにも、なにかしらの信仰の残骸としか言えないような謎のご神木には、注連縄に無数の板が下げられており、異質な雰囲気。絵馬のような板にもなにやら書かれており、近づくとうっすら枯木の香りが漂います。木じゃん……。
くずし字にはまったく自信はないものの、「思(鬼?)忘大明神御宝前」「願主 庄右衛門」あたりはぎりぎり読めそう。何かの願をかけているらしいことはこれだけでも分かる。真ん中は読めないけどめちゃくちゃそれっぽい……!
お次は、とある人物がAIに架空の同級生を生成させて作ったという「存在しない学校」の卒業記念アルバム。画像ももちろん生成AI産らしいのですが、もう何もかもがそれっぽい。それしか言えることがないのかと怒られそうですが、それしか言えることがねえんだよ……。AI技術の進歩ってすげー。
こちらは記憶はあるのに存在していた痕跡がどこにもない、「めいちゃん」と呼ばれる謎の人物に関する都市伝説のブログ記事をプリントアウトしたもの。
同じようなブログ風記事から2ちゃんのスレのような掲示板風、YouTube動画のコメント風まで、手を変え品を変えて何ページにもわたってこの「めいちゃん」情報がまとめられており、途中で読むのに飽きるレベルで情報量が多い。クリエイターは基本的にウソをつくのがうまい人々だけど、その規模がおかしい。
東海地方のゴミ屋敷から引き取ってきたという、ビニールテープでぐるぐる巻きの特級呪物みたいな冷蔵庫は、正面だけでなく3面すべてに謎の汚いメモ用紙がびっしり。
凄まじいのが、これも新聞紙と同じく裏面があるということ。一般家庭で使われていたものなのだから、メモ用紙として使うのはチラシの裏紙だろう、ということなのか、裏面はどこぞの企業が作ったチラシみたいな内容になってます。
こちらはさきほどの新聞紙と違って、ぴっちり貼り付けられていない紙が何枚かあったので頑張って中を覗いてきたのですが、こんな極限ローアングラーみたいな変人が必死に裏面を覗き込むことを想定していたのか……?
「さすがに一般流通しているチラシを再利用して作ってるんじゃないか?」という可能性を考えて、裏面に出てきた会社名とかでググってみましたが、特にそれらしいものは出てきませんでした。もはや執念とかそういうレベルじゃない気がしますが、多分これも自前で作ってるんだと思います。ここまでやるか?
とにかくこの展示、フィクションの強度が異様に高い。“それっぽく作っている”という意味では生成AIだってそうなのですが、展示されているものに「作り物の臭み」みたいなものが全然ない。というか作り物であることはちゃんと分かるんですが、「ウチらホンモノのニセモノ作ってます!」という圧がすごいんよ。
謎が謎として積み上がり、違和感が続く
この「記憶汚染展」、おそらく3段階に分けられると思います。
第1段階は、最初に紹介した「マンデラエフェクト」と「ハルシネーション」。この展覧会のコンセプトを紹介するためのコーナーで、要するに助走エリア。
実は我々が認識してるものって、外部の情報に補完された「それっぽいもの」になってることが結構あるよね? ということをささやきかけてくる場所で、そんなに深さはないけど入りやすいし、興味も持ちやすい。

そして次の第2段階が、さきほどまで紹介してきた、圧倒的な強度で塗り固めてきた「フィクション」の部分。言い換えると、この展覧会自体の「世界観」を見せてくる部分です。
どうしてもネタバレに絡んでしまうので言及を避けているのですが、最初にお伝えした通り、本作はただの展覧会ではなく、個々の展示を繋ぐひとつの物語が核にあります。その物語については、展示を最後まで進まなければ分かりません。
ですが展示を進むに従って、どうも様子が変わってきたな?という違和感が湧いてきます。理解されることをうっすらと拒むような、意図の読めない展示──「意味深ながらも理由がわからない」展示が増えていくんです。
たとえば、「変更はありません」と題されたこの展示もそのひとつ。
キャプションによれば、2000年代初頭に複数の求人サイトに掲載されていた「定点観測員」に関する展示らしい。モニターに表示されているのはいずれもどこかの場所を数分間にわたって録画したものらしいのですが、共通点はいっさいなく、目的も不明。ただうっすらと気味が悪いだけ。
もちろんすべてに意味がなければいけない!とは思わないものの、先に進めば進むほど、こうした「なぜ?」が積み上がってくるのも事実。口蓋に海苔でも張り付いているような、すっきりしない感覚が続きます。
何かの記号(?)もたびたび出てくるのですが、こちらもまた謎。
「展示」としてのキャプションなしに、ひっそりと置かれているものもあります。
たくさんの展示品が置かれているスチールラックの上にひそやかに置かれていたのは、一冊の国語辞典。
詳しく見ようとすると、なんとページが糊付けされており、どのページもめくれないように。一体全体、なんのために?
他の展示から少し離れた場所にぽつんと置かれていたのは、どうみても「遺品」という表示がされた、片足分だけの靴。
しかもこうした展示品のなかに、ひっそりと妙なものまで紛れ込ませてるんですよ。
向こうからやってくるわけではない。流し見していたらスルーしてしまいそうなさりげなさなんだけど、見つけた瞬間にちょっとドキッとするような。
自分で探そうとしなければおそらく大量の展示の中に埋もれてしまうようなものなんだけど、注意深くそれぞれの展示を追っていると、構えていないときに不意に「見つけてしまう」感覚がそこかしこに転がっている。
こうした奇妙さや違和感を積み上げていく展示が、本展覧会の第2段階。
そして最後の第3段階が、積み上げられた違和感を回収しながら収束していく「2周目」です。












































