コラム:「経験値」の一般化とサッカー
RPG的な意味の「経験値」が一般化していく動きを示すもののひとつとして、読売新聞2006年7月28日付の言葉に関するコラム「日本語・日めくり」で、「経験値」が取り上げられたことが挙げられる。ここでは、RPGでの意味を紹介したほかに、「サッカーの論評でも使われる」と説明されていた。このように、RPG的な意味の「経験値」が、サッカー関連の記事で目立つようになったと捉えている人は、それなりにいるのではないだろうか。
ところが、当の読売新聞のデータベースを使って、スポーツ分野でRPG的な意味の「経験値」が使われた例を探してみると、先に見つかるのは野球の記事のほうだ。1993年2月14日付「プロ野球キャンプレポート」で、「紅白戦漬け、経験値アップ」との見出しが出ている。1993年2月というのは、サッカー界ではJリーグ初のリーグ戦開幕を5月に控える、“Jリーグブーム前夜”の時期だった。
もっとも1999年までの間に、読売新聞のスポーツ分野の記事に、RPG的な意味での「経験値」が出てきたのはこれだけだ。ほかの全国紙──朝日・毎日・日経・産経の各紙──のデータベースも調べると、1999年までの読売以外の各紙でのスポーツ記事に「経験値」が登場したのは日経の1件だけ。しかも古典的な意味で使われていたものだった。スポーツ新聞のデータベースは調べていないが、2000年代に入るまでは、一般の新聞紙上のスポーツ報道にRPG的な「経験値」が使われるのは、かなり珍しかったと言える。
そして2000年代前半には、有名新聞のスポーツ報道に、RPG的な意味の「経験値」が少しずつ見られるようになる。ただ、読売以外の各紙で最初にこれが使われた記事の競技を確認すると、朝日と毎日は高校野球、日経は陸上競技、産経はサッカーとバラけている。
さらにデータベースを調べると、2004年から2006年を境に、これらの全国紙の記事全体で、RPG的な意味の「経験値」が使われることが増えた。有名新聞でその使いかたが“市民権”を得たのが、このころと言えそうだ。これに伴い、スポーツの記事でも「経験値」が使われる例が増加した。そして2000年から2009年までを見る限り、「経験値」が使われたスポーツ記事を競技別に分けると、サッカーがもっとも多いというのはほぼ共通する傾向だった。
ただし、この時期のスポーツ記事での「経験値」使用例の半分以上を占めるほどサッカーが多いのは、読売新聞だけだった。他紙ではスポーツ記事全体の過半数には届いておらず、このあたりはある程度、記者の好みに左右されていると考えられる。
では、テレビやラジオではどうだったのだろうか。残念ながら、これらの放送でどんな言葉が使われたかを総合的に調べるのは難しい。せめて字幕放送で使ったデータだけでも、蓄積されて検索可能になっていれば、参考になりそうなのだが、そのようなデータベースもないようだ。このため、新聞と傾向が同じだったかどうか、はっきりした証拠は見つけられていない。
とはいえサッカーでは、日本代表オフィシャルスポンサーのキリンが提供する“キリンチャレンジカップ2003”のレポート記事に、RPG的な意味の「経験値」が出てきているのが確認できる。つまり、サッカーの関係者にとっては、2003年にはすでに「経験値」は違和感のない表現だったと見てよさそうだ。
しかもサッカーは、2000年代に入る前から日本代表チームの試合がテレビ中継される機会が多々あった。関東地区では、1995~1999年の5年間に60試合、2000年からの5年間ではじつに94試合におよぶ(丁慶明「Jリーグ20周年記念 日本サッカーと視聴率」、『Video Research Digest』2013年7月号より)。これを踏まえると、その中継の中で「経験値」が出ていても不思議ではないし、それを普段はサッカーの試合をあまり見ないような視聴者が耳にした可能性も、十分に考えられる。
これらのことから、スポーツ関連の報道の中で見る限り、RPG的な意味の「経験値」が早く広まったのは、やはりサッカーと考えてよいだろう。新聞では、この表現が増えだしたのはスポーツ以外の記事と同時期の2004~2006年ごろだが、もしかしたらテレビではもう少し早かったかもしれない。
謝辞
本稿の執筆にあたり以下の方々より情報の提供をいただいた。(順不同、敬称略)
ルドン ジョゼフ(NPOゲーム保存協会理事長) twitter / web
高木啓多(RetroPC Foundation代表世話人) twitter
りんど twitter / web