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ファミコンの生みの親・上村雅之氏が12月6日に逝去。任天堂でファミリーコンピュータ、スーパーファミコンの開発責任者を務めた人物。78歳

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 立命館大学ゲーム研究センターは、ファミコンの生みの親である上村雅之氏が12月6日に逝去したことを明らかにした。

 葬儀などは家族で執り行ったという。また、偲ぶ会などの開催については未定。

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(画像はCESA:上村 雅之【第4回】より)

 上村雅之氏は、1943年東京都生まれ。1967年に早川電機工業株式会社(現・シャープ株式会社)へ入社。光半導体の光検出器販売部門で製品の開発および営業活動を行う。

 またそのとき任天堂の「光線銃」の電子回路を受託していた縁から、1971年に任天堂に転職した。開発第2部部長としてファミリーコンピュータの開発を主導。1983年に発売され、大ヒットを記録した。

 またその後はディスクシステム、スーパーファミコン、サテラビューの開発に携わったことでも知られている。

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(画像は社長が訊く「スーパーマリオ25周年」より)

 2003年には立命館大学から招聘を受け、同大学大学院先端総合学術研究科教授に就任、デジタルゲームの学術的研究に取り組むことになった。2011年に設置された立命館大学ゲーム研究センターの初代センター長、2019年より立命館大学映像学部客員教授、2021年より立命館大学ゲーム研究センター研究顧問に就任していた。

 立命館大学ゲーム研究センターは、「ファミリーコンピュータを始め数々のビデオゲーム機を世に出すことで、ゲーム産業の発展に多大なる貢献をされたことに、心よりお礼申しあげるとともに、安らかなご永眠をお祈りいたします」としている。

ライター
85年生まれ。大阪芸術大学映像学科で映画史を学ぶ。幼少期に『ドラゴンクエストV』に衝撃を受けて、ストーリーメディアとしてのゲームに興味を持つ。その後アドベンチャーゲームに熱中し、『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』がオールタイムベスト。最近ではアドベンチャーゲームの歴史を掘り下げること、映画論とビデオゲームを繋ぐことが使命なのでは、と思い始めてる今日この頃。
Twitter:@fukuyaman

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