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掃除のおばちゃんにプレイさせて『バーチャファイター』開発。時代を先取りした鈴木裕のゲーム開発哲学 【鈴木裕氏×『鉄拳』原田勝弘氏】

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全てが型破りだった『バーチャファイター』

――ここから『バーチャファイター』のお話をさせていただければと思うんです。空前の大ヒットタイトルであり、セガのAM2研【※】と鈴木裕さんの名前を世界に知らしめたタイトルです。原田さんは当時、このゲームをどう見られていましたか?

※AM2研
かつて存在したセガ(後のセガゲームス)の開発子会社。1983年に設立された当時は、セガの「スタジオ128」を前身とする一部署であった。その後独立し、2001年に社名をSEGA-AM2と変更し、代表取締役には鈴木裕が就任。現在は再びセガに統合されたが、「AM2研」を表すヤシの木をモチーフにしたロゴマークは今なお使われ続けている。

原田氏:
 『バーチャ』の頃、僕は既にナムコに入社していたんですが、何が凄いってゲームをしない人まで急に遊び始めたところなんですよ。いきなりゲーセンにサラリーマンが増えて、それをギャラリーが眺めてるんです。

鈴木氏:
 よほど上司を殴りたくてガマンしている人たちがいたのかね(笑)。

――『バーチャ』は当時既に成熟していた2D格闘ゲーム市場のルールをリセットして、一世を風靡してしまった作品でした。反応が全く違いましたよね。

原田氏:
 しかも、2人が200円を入れて、回転率も高いでしょう。すぐにKOされますからね。

――この200円という通常の倍の価格設定や、KOまでの早さは、やはりアーケードでの回転率を意識されたんですか?

掃除のおばちゃんにプレイさせて『バーチャファイター』開発。時代を先取りした鈴木裕のゲーム開発哲学 【鈴木裕氏×『鉄拳』原田勝弘氏】_012

鈴木氏:
 ええ、大事なのは最高のインカムを達成することなんです。そうすれば、店舗で噂になって、注文がガンガン入るんです。開発者として、そういう部分はいつも考えてましたよ。

原田氏:
 アーケードのお客さんには2種類いて、エンドユーザーのプレイヤーの方々と、それを購入する店舗の方々なんですね。やっぱり儲からないと、店舗が導入してくれないので、ユーザーに届かない、そういう関係なんです。

鈴木氏:
 アーケードの開発は、時間で計算するんです。プレイ時間は平均2分40秒くらいで、乗り降りの時間を入れて実質3分がちょうどいい。ゲームセンターは朝10時~夜12時まで開いてるけど、開始直後と終了直前の2時間は人がいないので、実質的な営業時間は10時間。とすれば、3分のゲームが順調に600分回転し続ければ、MAX200ゲームまでいく。

原田氏:
 アーケード業界の計算法ですね。僕らも、やってます。

鈴木氏:
 うん。でも、1プレイ100円では、2人が対戦してもせいぜい1日4万円がMAXですよ。これでは話題になるには弱いから、僕は200円にしたんですね。3分以内で十分な満足感と疲労感、そして達成感と悔しさを与えて、もう一度200円を払うだけの価値があると思ってくれたら、やってくれるという自信があったんです。
 ただね……実は『バーチャ』の場合は記録達成がかかってたから、200円にせざるを得なかったんですね。価格は言えないのですがチップの値段が高くて、ある程度の店舗に置かれるのが必要だったんです。

――あっ、MODEL1【※】という当時は軍事産業が使っていたような基版を使われていたのですよね。通常のゲームのチップとは何桁も違う価格帯だったので、量産効果でコストを下げたと聞きました。

※MODEL1
1992年に、セガ(後のセガ・インタラクティブ)によって開発されたアーケードゲーム基板。セガが発売したポリゴンによる3D描画機能を搭載した基板としては最初期の製品となる。

鈴木氏:
 ええ。そうしたら、ロケテストで1日76000円の売上をたたき出して、注文が殺到しました。

――凄まじい数字ですね。ほとんどMAXの8万円に近い金額じゃないですか……。

鈴木氏:
 勝ち進んでいる人はフリープレイできるので、純粋に二人ずつはこなせないんです。だから、本当は8万円に近い数字にはならないはずなんですよ。そこは、どうも上手な人がどんどん瞬殺していく仕組みになっていたので、平均時間が、1分30秒を切っていたみたいなんですね。

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『バーチャ』のボタンは数十個あった!?

――それにしても、そんなふうに「普通の人」を巻き込めた理由は、どこにあったのでしょうか。そもそも『バーチャ』は「操作系」も独特で、既存の格闘ゲームが『ストII』の方向性で煮詰まっていたときに、全く独自のシステムで登場してきましたよね。今もなお、格闘ゲームの操作システムの樹形図を描いたとき、『バーチャ』は独自の場所にあると思います。

鈴木氏:
 とりあえず格闘ゲームを作ることになったときに、まずはセガに掃除に来ていたおばちゃんや、事務方の人や、セガに見学に来た子供なんかを、テストプレイヤーに呼んだんです。

――その人たちは、もちろん当時の「格ゲー」好き……ではないんですよね。

鈴木氏:
 ええ、むしろゲームを知らない人を呼びました。
 そして、彼らにもうデタラメにレバーとボタンを押しまくってもらって、裏でデータ解析して押されているボタンの頻度を分析したんです。すると、ゲームが苦手な人間がデタラメに押したときに、どんなボタンが入力されやすいかが分かるんです。そのリストの上から、よく使用する技を当てていきました。

――それは……とてつもなく「科学的」というか。アーケードではよくある手法なんですか。

鈴木氏:
 僕は他のゲームなんてほとんど参考にしなかったから、他の人がどうしていたかは知らない。そうするのが一番いいと思っただけです。

――実は今回の準備で『バーチャ』をみんなでプレイしたときに、格闘ゲームが苦手なスタッフが「これ、なんかプレイしやすいぞ!」と言って、楽しく遊んでいたんです。

鈴木氏:
 実際、そうすればPとかP→Pとかによく使う技を当てて、P→Kとかはちょっと重要度の低い技を当てればいいとか、見えてくるんです。もちろんプレイヤーが覚えやすいように、Pにはパンチ系、Kにはキック系というように、ある程度法則性を持たせなきゃいけないし、意識して覚えて出せる「特殊ワザ」も入れるんです。
 ただ、基本的には苦手な人が、自分の気持ちのママに入力しても、遊べるゲームにしたかったんです。正確に難しいコマンドを入力しないと遊べないゲームなんてあまり良くないな、と思って。

原田氏:
 少なくとも、初期の『鉄拳』はそんな風に作られてませんでした。僕らは『鉄拳3』のときに、ある種『バーチャ』をリバースエンジニアリング【※】するようにして、そのやり方に気づいたんです。「鉄拳」の評価がぐんぐん上がったのは、その頃からです。

※リバースエンジニアリング
既存の製品を解析、分解して製品の仕組みや仕様を調べる行為。企業が旧製品や他社製品の互換製品を開発する際などに行われる。

鈴木氏:
 当時、僕も一応は『ストII』を参照してみたんですが、自分のスキルではどうにもならない(笑)。もっと、アバウトな入力はないかと……そのときにまず考えたのが、メチャクチャにボタンを多くするか、もっとボタンを少なくするか、ということね。結局、ボタンが少ない方のアイディアにしちゃったけど、今のスマホみたいなタッチパネルがあったら、また違ったかもしれない。

――ボタンが多い格闘ゲーム……。どういうことでしょうか? むしろ操作が複雑そうですが。

鈴木氏:
 あ、今パソコンに資料が入ってるから見せるね。

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 このスライドにあるように、もうね、何十個もボタンがある。それで、向こうが右側から接近してきたら、もう掌でナイキのロゴのマークみたいに、ザーーーッと一気に右向きに押してしまう。そんな状況にふさわしいのは、そういう気分の動きじゃない?

一同:
 (笑)

――凄い発想ですね(笑)。まさに直感的なインターフェイス。

鈴木氏:
 まあ、ボタンが数十個というのは、メンテナンスなどのコスト的に無理だから断念したんだけどね。でも、ユーザーの気持ちを少しでも汲むというのは、そういうことでしょ? 人間が格闘しているときの気持ちって、「このボタンとこのボタンを押したらこのワザが出ることになっていて……」みたいなものじゃないと思う。

原田氏:
 いやあ、そうなんですけどね。実際、スマホのタッチパネルの操作は、まさにそういう発想ですからね。

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ゲームの操作なんて面倒くさい

――それにしても、その後のゲーマー上がりの開発者たちと世代が違うからかもしれませんが、裕さんは苦手な人を巻き込むのを常に考えていますよね。

鈴木氏:
 だって、ゲームの操作なんて、めんどくさいですよ(笑)。

一同:
 (笑)

鈴木氏:
 これはおかしな話じゃないと思うよ。「右に曲がりたいなー」と思ったら、もう既に曲がってる方がいいでしょ?

原田氏:
 いや、そうなんですけども(笑)。

鈴木氏:
 いずれは脳波で検知して勝手に動いて欲しいし、きっとそうなると思いますよ。

 そういう意味では、『バーチャ』では操作にAIを入れることも検討したんです。入力からしかプレイヤーの気持ちを知ることが出来ないのは残念だけど、そこをAIによる解釈で埋められないかな、と思ったんですよ。50センチの距離の相手にパンチをするとき、40センチしか腕がなかったら現実には踏み込んで届くようにパンチをするでしょ。いきなり大ぶりな真っ直ぐな蹴りを出すのも、本当はおかしい。そんなの出すわけがない。その不自然さを、AIで調整したかったんです。

原田氏:
 それができれば、本当に最高ですよ。
 たぶん、今の裕さんの話を多くの開発者が分かるようになったのは、「オンライン対戦」以降でしょうね。「このときにこのボタン行動はあり得ないから無視しよう」と裏でやっておいて、あとで答え合わせをするんです。でも、これを当時考えているのは本当に凄まじいというか……。

 僕らもある時期になって、やっとそういう発想をするようになったんです。現在の「鉄拳」はある時期以降、先行入力【※】でヘンなジャンプパンチをしているコマンドなんかが意図せず入ったときは、フックが出て誤魔化せるようにしています。「ボタンを押す際の勢いの検出で、腕のリーチを埋めてあげたいよね」という話もしています。ただ、それを90年代のあの時期に、というのは早すぎてワケわかんないですね(笑)。

※先行入力
コマンドの入力受付時間の幅を利用して、技のコマンドを他の動作中もしくはその前にあらかじめ入力しておくこと。これにより前の動作が終わってからすぐに次の動作に移ることができる。

――鈴木裕さんのこういう時代を飛び越えた発想って、今までに何度も伝えられてきたけど、直に聞くとあらためて凄まじいですね。もう通常のゲームクリエイターの発想を飛び越えているというか。

原田氏:
 たぶん、裕さんの構想がたまたま既存のゲームに落とし込まれて表現されている、というのが正しいんでしょうね。僕のような40代世代の業界人でさえ、会社もマーケットもプラットフォームも入力デバイスも、ある程度が確立したところから始めてるところがあるので、ついそういう出来上がった場所からゲームを見てしまうんですが。

――ゲームクリエイターである前に、まず一人のコンピュータ技術者として常に大局的な視点から、正しい手順で判断を下しながら「未踏の地」の開拓を続けてきた、という印象です。

鈴木氏:
 僕は、コンピュータというのは、入力と出力があって、その間に計算の部分があるとしか捉えていないんです。
 計算の部分は、きっとどんどん処理能力は上がっていくでしょう。でも、ユーザーにとってインパクトが大きいのは、入力と出力の変化だと思います。出力は平面テレビから3D、VRと来て、やがてはホログラムだとかになるんでしょうね。そして入力はジョイスティックからマウスになったり、タッチパネルになっているけど、最後は脳波で動かせたら素晴らしいです。
 ゲームの入力は、結局「自分の気持ちをいかに汲んでくれるか」なんだと思います。入力装置の本質は、いつの日もそこにあります。

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開発者みんなで拳法の練習は……真実だった!?

――では「出力」についてもお聞きしたいです。当時このゲームは異次元の3D表現で世界中を驚かせました。操作系もさることながら、まず多くの人が驚いたのは、初めて映像でなめらかな3D表現が操作できた衝撃にあったと思います。

原田氏:
 当時、ハリウッドの人間たちまで、「日本人はこのレベルの絵を、どうしてこんなに安く速く動かせているんだ」と驚いていましたからね。

鈴木氏:
 スミソニアン博物館は、『バーチャ』をCG技術の発展への貢献という観点で収録したのだと思いますね。

 ハリウッド映画と違って、ゲームは操作に応じたリアルタイムの処理が必要です。ところが人体のシミュレーションの最先端技術でも、当時は次のフレームの計算に数十秒もかかる状態です。『バーチャ』ほどの高速化は、軍事シミュレーションや大気圏に突入するロケットの進入角度プロセスの計算、あるいは原子炉の放射能漏れ対策のシャットダウンみたいなレベルの話でしか、まだ必要とされていなかったんです。
 ただ、それでも海外の方が3DCG研究は先行していました。当時の日本のプログラマはゲーム好きばかりで、三角関数も知らない人が多かったですね。

原田氏:
 そうですよね。だからCGが出てきた当初、数学が分かるプログラマが引っ張りだこになってましたよね。

鈴木氏:
 それに、まだ技術的にできないことだらけでねえ……。だって、目や眉毛を描くのさえ、全てポリゴンで割るしかなかったですから。
 しかも、当時のNO.1だった『ストII』は、あの定評ある素晴らしいグラフィックスでしょう。僕らが勝負できるのは、せいぜい「CGならではの正確な位置関係」と、「ペラのポリゴンでも恐ろしくなめらかに動くこと」――これくらいしかなくて、あとは全て負けるに決まってるんです。
 ところが、いくら作っても動きが良くならない。表現がチャチなのに、動きまで悪いとなると、もうどうしようもないですよ。そこで色々と考えた結果、どうも開発者が格闘技をやってないせいではないかと……。

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原田氏:
 それで、かの有名な、『バーチャ』の開発者みんなで格闘技を練習した流れになったわけですね。

――『バーチャ』の開発者みんなで拳法の稽古をして、実際の格闘技の動きを身体にたたき込んでから、ゲーム開発を行ったという話ですよね。あれって、大山倍達【※】とか昔のプロレスラーの逸話とかと同じ類の都市伝説かと思ってたのですが……本当なんですか?

※大山倍達(おおやまますたつ)
1927年、日本統治下の朝鮮半島に生まれた武道家・空手家。国際空手道連盟総裁・極真会館館長。極真空手十段。

鈴木氏:
 うん、みんなで拳法の練習をして、僕のOKが出るまでコンピュータを触らせないことにしました。

一同:
 (笑)

鈴木氏:
 だって、「お前、俺にパンチを打ってみろ」と開発者に言ったら、あうあう言いながら、ヘロヘロの猫パンチを僕の胸に当ててくるような状態だったんだよ(苦笑)。それで本人はリアルなパンチと思っているから、よくなる訳がない!

 彼らは「『ストII』はワザが何十個もあるんです! そうでないと格闘ゲームにはなりません!」とか言ってたけど、「これからは一つの良いパンチ、良いキックが出るまで、他のモーションを作ることは禁止」という業務命令を出しました(笑)。

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原田氏:
 凄いなあ。

――それで、もうみんなで拳法の稽古?

鈴木氏:
 ええ。でも、僕は昔からレースゲームの開発でロケハンをやっていたんですよ。それと同じです。

原田氏:
 以前に裕さんと話したときに「『アウトラン』でロケハンをしていた」と知って、びっくりしましたね。

鈴木氏:
 『キャノンボール』という、アメリカ東海岸のコネチカットから西海岸のロスまで5千キロくらい走るおバカなレース映画があって、あのノリをゲームに持ち込みたかったんです。「映画と同じコースを走るぞ!」なんて言いながら、たぶんゲーム業界では初めての大型取材を行ってみたんですよ。

――今ならロケハンは当たり前ですが、当時その発想は凄いですよね。『アウトラン』が出た86年って、家庭用ゲーム機で言えば、やっと初代の『ドラクエ』が出たくらいの年ですから。

鈴木氏:
 ただ、あの映画はアメリカの砂漠ばかりで景色が変わらない。そこで、ヨーロッパに変更してみたら、やはりヨーロッパは風景が変化に富んでいて、また違った面白さになりましたよね。

 こういう発想は3Dでも一緒です。『V.R. バーチャレーシング』【※】を作り始めたときも、どうもリアリティがない!
 そこで色々と調べてみると、道幅や、センターラインの間隔、車の大きさ、街灯の高さなどがいい加減で、チャチな印象になってしまう。そこで、僕は「東名高速道路に行って、あの白線とそのスキマが何メートルあるか測ってきてくれ!」とか「立っている街灯の高さと間隔を全て調べろ!」とか言ったんです。そうしてフェンスの高さまで徹底的に調べ尽くすと、どんどんその場所がそれっぽく見えてくるんですよ。

※『V.R. バーチャレーシング』
1992年、セガ(後のセガ・インタラクティブ)より発表された3DCGのアーケードレーシングゲーム。鈴木裕氏がデザイナーで、開発はAM2研。

――なるほど……。

鈴木氏:
 でも彼ら、どうやって測ったんだろうね(笑)。
 そうやって『バーチャ』も、みんなで拳法の稽古をやってモデリングや動きを徹底的に作り直して、社内テストにかけてみたら、ある社員が「イテッ」と叫んだんですよ。僕はこれが嬉しくてね。ゲームをプレイしていて「痛い」という言葉が出るのは、かなり強い反応なんです。

原田氏:
 「これはイケるぞ」と思いますよね。何かを感じてもらえるところまで来た証ですね。

――そういうプレイヤーの反応も、しっかり観察されるんですね。

鈴木氏:
 よく僕はロケテストやフィールドテストのときも、そっとプレイヤーの表情を観察していたんです。『巨人の星』の明子さんみたいに物陰に隠れてね(笑)。

CGへの興味はキャリアの中で一貫していた

――それにしても、ご経歴を素朴に見ると、“リアル”筐体を活かした「体感ゲーム」を作られた方が、今度は“バーチャル”と名がつくジャンルに進出されたことになるわけですよね。ただ、先ほどのお話を聞くに、裕さんのCGへの興味は大学時代に遡るものですか?

鈴木氏:
 そうですね。

――年長世代のゲーム関係者の方には、ポケモンの石原さんやプレステの久夛良木健さんのように、早い段階で大学でCGに触れた人々の系譜があるように思います。裕さんの場合は、一体どういうモチベーションだったのですか?

鈴木氏:
 建築のコンピュータグラフィクスだったので、「平面図と側面図と立面図」みたいな三面図をデータで入力したら、3Dにして表示するというような研究をしてました。当時は3Dのライブラリもないし、そもそも面を塗りつぶす処理も負荷が高かったので、自分でプログラムを考えて線画で表示していたんですよ。

原田氏:
 そんな時代からやられているんですね。

鈴木氏:
 大学のコンピュータを2週間前に予約して1時間だけ借りる、という時代ですからね。ミスをすると、また2週間後にやり直し。さすがに嫌になって、PC-8000シリーズを買いましたけどね。ただ、それはそれで遅いので、自分で、アセンブリ【※1】でグラフィックスライブラリを書いて速度を上げて、なんとか隠面処理【※2】をやったりしてました。

※1 アセンブリ言語
プログラム可能な機器を動作させるための機械語を人間にわかりやすい形で記述した言語のこと。

※2 隠面処理
コンピューターグラフィックスにおいて、画面上に現れない(視点の陰になっている)部分を描画しない処理のこと。

原田氏:
 凄すぎる(笑)。僕らが子供の頃、ホームベーシックで一生懸命にプログラムを書こうとしていた時代のことですね。

――でも、当時のCGなんて表現力にも乏しいし、特に分野として魅力はない気もするのですが……。

鈴木氏:
 確かにプリミティブな絵だけど、奇妙に新鮮だったんですよ。三角や四角しかないんだけどね。
 ただ、手書きの絵のようなあやふやさがなくて、空間の中の位置関係が極めて正確なんです。その、ポイントポイントが全て正確な位置に来ている感じが、不思議なことに妙な力を秘めている。なぜか説得力のある、変わった手法の絵だと思ってました。風景画しか知らない人間が、初めてピカソの絵を見たときのようなショックだったのかもしれない。

原田氏:
 それはよくわかります。
 旅客機のコックピットから撮った夜景の写真で、滑走路の光だけの写真がありますよね。ああいうのって、自然の写真とは違う幾何学的な美しさを感じるんですよね。

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鈴木氏:
 まあ、素っ気ないと言えば素っ気ない絵なんだけど。
 その後はAppleII【※】で16色になって、しかもドットの粗さを使って色をにじませて繋げる手法があったりしたから、そっちにも興味を持ちました。

※AppleII
1977年にアップル社が発表したパーソナルコンピューター。世界で初めて、個人向けに完成品として大量生産・大量販売されたパーソナルコンピュータの直接の先祖にあたる。

――とすると、やはり引き出しの奥にしまっていたCGの知識を、ここに来て引っ張り出してきたという感じですか?

鈴木氏:
 いや、そもそも最初の『チャンピオンボクシング』以外は、僕はずっと3DCGをやってたんですよ。だって、『ハングオン』にしても内部計算は全て3Dで、最終的にスプライト【※】で最も近い絵を出力していただけです。開発時にPC-8800やPC-9800シリーズでシミュレーションしていたときも、ずっと3Dで動かしてます。

※スプライト
コンピュータ上で動く図形を表現する際に、動かす図形と固定された背景とを別に作成し、ハードウェア上で合成することによって表示を高速化する手法のこと。

――ええ! そうなんですか。

鈴木氏:
 3Dの本質を簡単に言うと、「遠くのものが小さく見えて、手前のものが大きく見える」というのを、“わりと正確に”表現する手法なんですよ。『バーチャファイター』の前作の『V.R. バーチャレーシング』で初めてハードウェアの画面出力も3Dになっただけで、内部では「疑似3D」なものはずっとやってました。

原田氏:
 計算の際に座標を3DCGで計算して、それを画面に出すときに表現していなかっただけ、と。いや、そこは僕もプレイしながら、なんとなく感づいてましたが……なるほど。

――我々は『V.R. バーチャレーシング』、なによりそれに続く『バーチャファイター』で初めて3DCGに衝撃を受けたけど、開発時の内部データは一貫して3Dだったんですね。それにしても、裕さんは色々なジャンルを手がけてきたように見えて、非常に一貫した方針でゲームを制作されてきたように見えます。

鈴木氏:
 やりたいことは、常に頭の中に「理想」としてあるんです。でも、理想にはとても届かない。だから、とにかくそのときに可能な技術でやっていくんです。
 学生時代に3Dをかじってみたのもそうです。研究者の世界って、難しいことが出来るほど偉いでしょ。四角形を表現するより丸を表現する方が難しい。硬いものより柔らかいものを表現する方が難しい。そして関節は少ないよりも多い方が難しい。だから、僕は当時、「ウミウシ」を作るのが3Dの究極の目標だと思ってたんです。

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――なるほど。

鈴木氏:
 なにせ軟体動物で、無脊椎動物だから関節がそもそもない。これは実に大変な表現ですよ(笑)。

 その後も、セガという会社の製品の範囲で、こういう興味はコツコツ進めてきました。まず僕が大学時代に専攻していた「建築」は家で、これはジョイントがないんです。そこで、次はクルマにしてみる。タイヤは4つジョイントがつくでしょう。でも、やっぱり人間を動かしたいじゃないですか。ですから、『V.R. バーチャレーシング』のピットワーク【※】のタイヤ交換や表彰式のシャンパンシャワーで、AIなしで人間の動きを試してみました。

※ピットワーク
レース途中にタイヤの交換など、チームの本部で車体のメンテナンスを行うこと。

原田氏:
 骨は入れてるんですか?

鈴木氏:
 ええ。人間はジョイントが17箇所あれば、ひとまずは動かせます。まずはデータ通りに動かすことで、処理時間や表現の範囲を確定して、次は人型でゲームを作れると確認しました。まあ、本当は3DCGが画面出力できたら、最初から人間をやりたかったんですよ。でも、まずは作り慣れたレースゲームで1回練習をして、開発の負荷を下げたんです。他の仕事もやりながら、進めていたし。

――そうやって、ステップを踏んで進めていく辺りは、まるで大学の研究者みたいですね。しかし、そこで格闘ゲームをいきなり作られるのは大変だったのではないかと……。

鈴木氏:
 いやいや、格闘ゲームを選んだのは、むしろ簡単だったからですよ。人間は17箇所のジョイントが必要だけど、格闘ゲームなら2体動かすだけで十分です。それくらいであれば大丈夫だと、わかったんですね。きっとサッカーなんて選んだら、11人もいるから無理だったでしょう。2体でも、もしムカデ同士の格闘技だったら、たぶん出来ませんね(笑)。

――まさに100個以上のジョイントが必要になるでしょうからね(笑)。

鈴木氏:
 ウミウシの場合はもっと難しいですよ。しかも、ウミウシの格闘技なんてマーケットもないから(笑)。

一同:
 (笑)

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