なぜ『シェンムー』は海外で人気なのか?
――では、家庭用ゲーム機のドリームキャストで出た『シェンムー』の話に入りたいです。今日は裕さんに『シェンムー』の企画書を持ってきていただいたんですよね。
鈴木氏:
『シェンムー』はあまりにも膨大なので、何枚かだけなんですけどね。当時考えていた、“瓦割り”のイベントとかを持ってきました!
原田氏:
おほっ! 『龍虎の拳』とか『ストリートファイター』のボーナスステージみたい。QTE【※】の絵コンテも、漫画的な絵でしっかり出来てるんですね。
※QTE
ゲーム内で画面に表示された特定のボタン・キーを入力をするイベントの一種。主にカットシーンやムービーの間で使用されることが多い。
鈴木氏:
あと、『シェンムーIII』で出てくる新しいお城も持ってきたよ。
――え、Kickstarterで話題の最新版の企画書ですか!
原田氏:
ちゃんと大きさまで設計されてるんですね。
鈴木氏:
『シェンムー』は知り合いの一級建築士と一緒に、実際に住める部屋を作ってますから。
原田氏:
すごーい。
――それにしても、今回のKickstarterで改めて認識しましたが、このゲームは海外での人気が素晴らしいですよね。
原田氏:
南フランスのトゥールーズで開催されたゲームショーで、裕さんと二人で「バーチャ」と「鉄拳」のイベントをやったんです。そのあとにサイン会を開いたら、フランス人の男性も女性もみんな「シェンムー」ファンで、パッケージごと会場に持ってくるんです。しかも、女性のファンが多くて、もうキラキラしていて……。僕の方なんて男ばかりなのに……。
一同:
(笑)
鈴木氏:
ドリキャスを持って来てる人も何人かいましたね。
8割が『シェンムー』で、1割が『バーチャ』で、残りが『アウトラン』や『スペースハリアー』だったかな。
原田氏:
「これ、『シェンムー』のイベントかな?」って思ったくらいですよ。たぶん、あの人たちがKickstarterで投資【※】してるんでしょうね(笑)。みんなゲームのパッケージを持って来ていました。
――実のところ、日本ではあまり大きく売れた作品ではなかったと思うのですが、何が海外で高く評価されたのでしょうか。
鈴木氏:
基本的に、僕のゲームはワールドワイドで売れました。幸いなことに(笑)。
『アウトラン』や『スペースハリアー』の頃からそうで、それは僕が根幹に流れるコンセプトを常に世界共通のテーマに置いているからなんです。世界中の男性が興味を持つ乗り物として「自動車」を選んでおくとかね。そういう部分を外さないようにしておくのは大事なんです。
『シェンムー』の場合は、ストーリーのコンセプトを世界的なテーマにしています。ハリウッド映画を見れば分かるんですが、世界中でヒットする物語は、愛・勇気・友情、そして家族愛なんですね。この物語の「父親を殺された息子が敵討ちに冒険をしていく」というプロットは、世界中の人が分かるものなんです。
あと、世界観を色濃くするのも大事なんです。あえて東洋の世界観を見せることで、欧米の人が興味を持つこともあるんですね。伊丹十三さんの『お葬式』【※】なんて日本の風習や日常を徹底的に描いた映画だけど、正座でしびれた足の親指を組み替えるシーンなんかでは、世界中の人がクスッと笑うんです。
※『お葬式』
1984年公開の映画で、伊丹十三による初監督作品。これまで厳粛な儀式であったお葬式を初めて取り上げた作品で、初めてのお葬式に右往左往する家族と、周囲の人びとの姿をコミカルに描いた。
――なるほど。それで舞台を日本の横須賀に選ばれた?
鈴木氏:
ええ。横須賀にはよく遊びに行ってましたから。
ただ、当時からもう日本の文化は、韓国や中国と似てきてしまっていて、インパクトは弱かったんです。そこで、もっと古い時代の日本で、しかもギリギリ横須賀のおじいちゃんだとかにヒヤリングできる時代ということで、86年くらいに時代設定を置きました。
――企画の最初の部分で、本当にロジカルに勝ち筋を詰められているんですね。
鈴木氏:
反応はなかなか予測出来ないですけどね。
例えば、「主人公の涼が色々な人に道を聞いたあとに、“ありがとう”と言うのに感動しました」って声が外国であったんです。その国では、人にものを聞いても「ありがとう」と言わないんだって(笑)。
一同:
(笑)
鈴木氏:
文化の違いって、きっとそういう何気ないところにあるんです。宗教の強制だけはしないように気をつけてますけど、僕は色濃く文化を出して、統一感をもって遊ばせるようにしたい。当時はインターネットもなかったから、なおさら東洋の文化は珍しかったと思います。
原田氏:
僕もそこは大きいと思います。このゲームは、欧米人には「違和感」のある世界観で、最先端のものが乗っかってきたバランスが面白かったんですよ。後のオープンワールド【※1】が、犯罪者を描いた『グランド・セフト・オート』【※2】みたいに、自分の欲望を吐き出すシビアな世界観にどうしてもいきがちでしたしね。
つまりは『シェンムー』って、あの時代の日本人でしか作らなかったし、「作れなかった」ゲームなんだと思います。当時の日本のゲーム会社の資金力があって、最先端の開発現場で「エンジン」という概念がやっと出てきて、「さあ大規模なものを作れるぞ」という時代に、今で言う「オープンワールド」的な手法を全てやりきってしまったわけです。
※1 オープンワールド
プレイヤーに与えられる移動可能な空間が自由に開かれているゲーム設計のこと。
※2『グランド・セフト・オート』
Rockstar Gamesが発売したゲームシリーズで、オープンワールドの代名詞となっている。犯罪を中心にした内容が特徴で、全世界でシリーズ累計2億2,000万本以上を売り上げている。
――実際、『グランド・セフト・オート』など現在の数千万枚単位で売り上げる洋ゲーAAAタイトルの開発者たちは、『シェンムー』と鈴木裕さんへのリスペクトを口にしています。おそらく、今では日本よりも海外でこそ鈴木裕というゲームクリエイターの業績は語り継がれているように思うんです。
原田氏:
欧米は、テクノロジーで最初の一歩を踏み出した人間を強くリスペクトする社会ですからね。
そこは日本と欧米のゲーム開発で大きく差がついた理由の一つかもしれないです。だって、『バーチャ』の頃は海外の方がCG研究なんかは先行していたのが、ゲームの開発ではまさに裕さんのような方々がいたことで、日本は一瞬だけトップを走ったでしょう。ただ、その間に向こうでは、ハリウッドの人材を入れたり、膨大な投資で科学的に研究を推し進めたりしていて……最先端のテクノロジーを理解してるからこそ投資先がわかるし、わかっていた……。そして、今の差がついた状況があるんだと思います。
――もはやこの辺の分野は、日本のゲーム業界は「蚊帳の外」ですからね。まさに『シェンムー』の頃を境にして、ゲーム産業もどんどん「ガラパゴス化」が進んでいったのかもしれませんね……。
『シェンムー』の企画書が登場!
――その意味では、『シェンムー』は当時としてはあまりに時代の先を行きすぎた挑戦ですね。『バーチャ』までのお話もだいぶ凄まじかったですが、このゲームではもう裕さんの構想に、ほとんどの人がついて来れなかった印象があります。
鈴木氏:
結局、当時は不完全にしかやれなかったですね。僕はこれを「シネマティック」なゲームと呼んで、色んな人に説明してみたんですが、誰も理解してくれませんでした。なにせセルキャラが動くのがやっとの時代でしたから……。
僕も新しいことを常にやってきたから、なかなか理解してもらえないのは知ってるんです。でも、多人数での開発というのは、みんなに理解できる大義名分を大きく掲げて、イメージを共有しないといけないですからね。困ってしまいました。
原田氏:
僕も当時VRを始めた頃、そんな感じでした。当時の裕さんの気持ちが、今の僕は少し分かる気がします。
鈴木氏:
困ってしまって、テーマを表現した4部作の音楽を作曲してみたりして……でも伝わらなかったですね。
――それで理解するのは、確かに大変かもしれません(笑)。結局、どうされたんですか?
鈴木氏:
シネマティックなゲームを実現するために、映画監督や演出家の人を呼んできたのですが、これも上手く行かないんです。ゲーム屋さんの言葉が、映画屋さんには全く伝わらなかった。
原田氏:
ああ、そうでしょうね。
鈴木氏:
しかも、映画の人たちの言うとおりに、モーション・キャプチャ【※1】のために倉庫に大道具を持ち込んでセットを作ったり、シェンファ【※2】と同じ服を作ったりすると、どんどんお金がかかっていくんです。専門の大道具や小道具を作るスタッフの人が全て作るものだから、大変なことになってしまって。僕らも、「こんなことする必要あるのかな?」と思うけど、初めてだから判断がつかないんです。実は、洋服は特にお金がかかったところでしたね。
※1 モーション・キャプチャ
現実の人物や物体の動きをデジタル的に記録する技術である。人間の動きをそのままゲームや映画のキャラクターに与えることができるのでよりリアルなアニメーションが可能となる。
※2 シェンファ
「シェンムー」のヒロイン。
原田氏:
いやあ、そんなの今でもやらないですよ(笑)。
――コミケに行って裁縫が上手いレイヤーに頼んでいれば、という気がしました(笑)。
鈴木氏:
結局、その人の言うとおりにやっても上手く行かなかったです。
代わりに来た新しい人は素晴らしかったんだけど、彼は時間通りに来てくれない。仕方ないから、その人を急き立てる役の人を配置したり(苦笑)。
原田氏:
うーん(苦笑)。ただ、こういう映画関係者や技術者を起用する手法は、アメリカのデベロッパーでは過去に大成功しているんです。特にハリウッドの才能が、FPS系ゲームのデベロッパーなんかに流れてきたところで、非常にゲームが良くなりましたから。裕さんは、ここでも時代を先取りしていたわけですね。
――そうですね。あと、今の話を聞きながら、日本が3Dゲームで北米に追い抜かれた要因として、映画産業の人材の差もあったのかな、とも思いました。歴史の「IF」ですが、たぶんアニメの庵野秀明【※1】さんやTVドラマの堤幸彦【※2】さんのような、他ジャンルでその後に映像産業を担った“本物の才能”たちと組んでいれば、また違った未来もあったのかな……と思ってしまいました。
※1 庵野秀明
1960年生まれのアニメーター、映画監督。株式会社カラー代表取締役。アニメーション監督としてオリジナルビデオアニメ『トップをねらえ!』やテレビアニメ『ふしぎの海のナディア』、『新世紀エヴァンゲリオン』などを手がける。2016年にはゴジラシリーズ第29作『シン・ゴジラ』の脚本及び総監督を務めた。
※2 堤幸彦
1955年生まれの演出家、映画監督。オフィスクレッシェンド取締役。1980年にテレビ番組のディレクターとして映像制作の世界に入った後、『池袋ウエストゲートパーク』や『ケイゾク』、『TRICK』といった人気ドラマの演出を多数手がけ、その独特のユーモアと映像センスが当時の若者から好評を博す。その後、『20世紀少年』三部作や『SPEC』など、映画監督としてもヒット作を多数輩出した。
理想としていた「シネマティック」なゲームとは?
――それにしても、なぜそうまでして「映画的」なゲームを作ろうとしたのかが気になるんです。そもそも、裕さんは映画とゲームの関係をどうお考えですか。
鈴木氏:
そうね……。
以前スピルバーグさんが、マックス君という息子さんを連れてきたときに、僕に「サインをくれ」と言ったんです。信じがたい展開です(笑)。
そのときに、スピルバーグってお茶目だと思いました――彼は僕の耳元まできて、「子供はゲームのほうが好きなんだよ、いつの日も」ってささやいたんです。マックス君は、どうも『バーチャ』のファンだったみたいなんです。
――裕さんにスピルバーグがサインをお願いしたというのは、そういう経緯だったんですね。
鈴木氏:
親ってそういうものだよね(笑)。でも、この話にはもう一つの真理もあって、子供はやっぱり「映画よりゲームが好き」なんです。映画は一回観たら終わりだから、子供には退屈なんですよ。ゲームは繰り返せる上に、自分が参加できる。ゲームの最大の魅力は“インタラクティブ”にあるんです。
原田氏:
ですよね!
鈴木氏:
逆に映画の一番いいところは、むしろインタラクティブ“じゃない”ところかな。だから、どんなに疲れていても観れちゃう。映画の魅力は、ノンインタラクティブで、裾野が広く、敷居が低いところ。
――なるほど。
鈴木氏:
ゲームは複雑で、だから面白いんだけど、代わりに娯楽としての幅は狭いです。映画はもっと単純で敷居が低いから、お客さんの層も広いですね。だから、ゲーム機が映画と見まごう映像を出せるようになって、どんなに両者が接近したように見えても、この二つは本質的に「似て非なるもの」です。その本質を間違えると、失敗してしまいますね。
原田氏:
なるほど。いや、本当にその通りです。
鈴木氏:
ちなみに、もっと敷居が低いのは音楽だよね。映像も要らないし、場所も限定されないし。だから、エンターテイメントでは、一番幅広く人気があるでしょう。
――しかも、最近の音楽のフェスなんて、映画館と違って好きなときに出て行っていいし、飲食してダベりながら観てもいいですからね。ただ、そういう視点を持つ裕さんが、なぜ「シネマティック」なんてコンセプトのゲームを作られたのですか?
鈴木氏:
当時、映画のようなムービーが入っているゲームは出ていて、僕も一応参考に見てみたんですよ。
でも、ハイクオリティなムービーとゲームの画面のクオリティがあまりに乖離していて、子供の頃に見た『巨人の星』で、実写の映像を作品の中にいきなり繋いだ瞬間を思い出してしまった(笑)。で、僕はこのギャップは違うなと思ったんですよ。混ぜるんじゃなくて、一つの統一した世界を作りたかったんです。その意味では、映画とゲームの「融合」を目指したのかもしれないです。
――そうお伺いすると、どうも当時の映画を志向したゲームクリエイターの人たちとは、一線を画す認識で作られているように思います。そもそも彼らが一本道のRPGやアクションADVを志向したのに対して、裕さんはオープンワールド的な方向性ですし。
鈴木氏:
僕としては、『バーチャ』で3次元のゲームを作ったので、今度はもう1次元、変数を増やしてみたかったんです。
――どういうことでしょうか?
鈴木氏:
2次元の絵にZ軸の奥行きを足すと、3Dになりますよね。そこに今度は、Tという時間軸を足してみたかったんです。今この場所にバッグが置いてあっても、1時間後には片付けられているかもしれない。青空だって、時間が経てば夕焼けに変わっていく。「存在」とは何かを真剣に問うていくと、時間の要素が欠かせないんです。
原田氏:
それを当時やろうとしたのは、本当に凄いですよ(笑)。
鈴木氏:
だから、僕はいつも「『シェンムー』でやり残したことは?」と聞かれたら、「本当はラーメンが出たら湯気が出てて、そのうち出なくなって、麺は伸びてほしかったんだよね」と言うんです。まあ、誰も分かってくれないんだけど。
一同:
(笑)
――もはや哲学者ですね(笑)。でも、映画を志向したゲームというより、むしろ一連の3DCGの文脈から時間軸を足していく方向性で映画に接近したのだと聞くと、この作品から我々が受ける印象が、どうも色々と腑に落ちる気がします。
なぜコンシューマーゲームに乗り出したのか
――もう一つお伺いしたいのですが、アーケードでキャリアの大半をご活躍されてきて、最先端の開発現場を率いていた鈴木裕というクリエイターのチームが、どうして『シェンムー』で家庭用ゲーム機に乗り出したのでしょうか。
鈴木氏:
あ、いや、『シェンムー』は普段の僕のチームでは作ってないんです。AM2研はアーケードを作りたい人たちの部隊なので、なるべく外部の人たちと傭兵部隊みたいな感じでやってみたのですが、最大時には300人もいて人材管理が大変でしたね……。なかなかクオリティも満たないし、バグも含めて、アクションリストが1万件を超えたこともありました。
――その上、自分のやりたいことが上手く伝わらない、と。確かに、当時の大変な状況がしのばれます。ただ、それでも鈴木裕ほどのアーケードの大成功者が家庭用ゲーム機に行ってみたかった理由は何だったのでしょうか。
原田氏:
当時、みんな驚愕しましたもん。アーケード出身の人が、なぜこれを作るのか、と。
鈴木氏:
アーケードの作り方は、コンデンスミルクのようなものなんです。リソースが限られた中で、一つのテーマをどんどん濃縮して、3分間にまとめるのが大事なんですね。逆に複数のテーマを入れると、薄まらざるを得ないんです。それではインカムが稼げません。
でも、コンシューマーゲームは違うでしょ。買ったら、どんなにつまらなくても30分は遊んでくれるじゃないですか。
原田氏:
そうですよね。
鈴木氏:
僕らなんて、つまらなかったら30秒で捨てられる世界だから、「うらやましいな」と思ってたんです。一度、時間無制限での勝負に挑んでみたいな、と。だから、『シェンムー』では、RPGを選びました。長時間遊んでくれるゲームの代名詞で、そこに複数のテーマを深掘りする形で込めていける。僕がこれまで作ってきたのがマグロ単品の料理なら、魚介のコース料理を作ることが出来る。当時はアーケードの方が表現力は圧倒的に高くはあったけど、コンシューマーでRPGをやった方がメッセージも浸透させやすいと思いました。
――ちなみに、他のRPGは研究されたのですか?
鈴木氏:
もちろん、全くやらないわけじゃないんですよ、そんなに長くは遊べないんですけど(苦笑)。それに、僕の中では『シェンムー』は、大学時代に研究室で見ていた『ウィザードリィ』や『ウルティマ』からの自分なりの正当の進化のつもりだったんです。
――先日、週刊少年マガジンのインタビューで、「ドラクエ」について、当時のそういうRPGから「日本人にウケる要素を厳選し、上手に再構成した作品だと思う」という内容をご発言されていたのを見ました。
鈴木氏:
ええ。彼らは当時のRPGの面倒なところや厄介なところを上手に取り除いて、本当に面白い部分だけを抽出されています。でも、僕としては、オープンワールドかどうかはさておき、こういう『シェンムー』のような方向性の進化があり得るんじゃないかとは感じていたんです。
――その後のゲーム史を言うと、むしろ日本のRPGは国内でこそ巨大ジャンルにはなったものの、海外では苦戦していきました。その一方で、海外のゲームは明確にこの方向に向かい、今や桁違いのグローバルビジネスになっています。ただ、『シェンムー』そのものは日本での売上は決して芳しくはなかったですが……。
鈴木氏:
たまに「『シェンムー』でセガが傾いた」なんて言う人もいるけど、『シェンムー』が出た年にも『バーチャファイター4』とかもリリースしているし、単体利益でもセガにプラスは出してると思うんだけど(笑)。
僕は、1年たりともセガに対してマイナスをつくったことはないと思うな。
原田氏:
そこ、もっと言っていいと思います(笑)。
鈴木氏:
それに、セガの中で『シェンムー』の開発で得た資産やノウハウは生きていると思う。
原田氏:
『龍が如く』なんかはそういう側面あるんじゃないか?と、みんなそう言ってますよね。
――まさに、名越さん【※】はAM2研のご出身ですものね。
※名越稔洋
1965年生まれのゲームクリエイター。1989年にセガ(後のセガゲームス)に入社し、『バーチャレーシング』『バーチャファイター』などの作品にCGデザイナーとして参加する。その後、プロデュース側に回り『デイトナUSA』「龍が如く」シリーズなどのヒット作を生み出す。現在は、株式会社セガゲームス取締役兼開発統括本部統括本部長、株式会社セガ・インタラクティブ取締役CCO兼開発生産統括本部統括本部長を兼任。
原田氏:
『シェンムー』はスクラッチ【※】で作られたんですよね。ちょっとしたゲームエンジンを開発するようなものでしょう。
※スクラッチ開発
既存の製品や雛形などを流用せずに、まったくのゼロから開発すること。
鈴木氏:
Unity【※1】とかUnreal Engine【※2】を作るようなものでしたね。これが完成すれば、その後のセガのゲーム開発が飛躍的に楽になるはずでした。さすがに、途中で中断してしまいましたけど。
※1 Unity
ユニティ・テクノロジーズが開発したゲームエンジンの一種。ウェブプラグイン、デスクトッププラットフォーム、ゲーム機、携帯機器向けのコンピュータゲームを開発するために用いられており、100万人以上の開発者が利用している。
※2 Unreal Engine
Epic Gamesが開発したゲームエンジンの一種。高レベルの移植性が特徴。