ディレクターになるのに「資格」が必要だった時代
原田氏:
それにしても、今日は本当に勉強になりますね。
鈴木氏:
そう? よかった。
原田氏:
いや、実は僕は今日の裕さんのお話を聞きながら、「ああ、まさに僕たちが今、直面している問題じゃないか!」と思ったんです。
――それは、もしかしてVRのお話ですか?
鈴木氏:
ああ、僕は今日、ぜひ原田さんに『サマーレッスン』【※】について聞きたいと思って来たんだよね。
原田氏:
ここに来て僕は「自分の原点は、裕さんが作った“体感ゲーム”だった」と日々認識してますからね。さっきの「普通の運転」で最も速くなるように作る話とか、VRそのものでしょう。実際、取材でも、「あなたのVR原体験は?」と聞かれて、僕は常に「『スペースハリアー』と『アフターバーナー』です」と答えているんです。
ただ、そういう話以上に、僕たち後発世代のクリエイターは、初めて裕さんたちが何もない場所から挑んできた気持ちが、VR開発でやっと理解できるようになりだしたように思うんです。今日何度も話してきたように、裕さんたちがゲーム産業を生み出して会社を立ち上げてきた世代なら、僕たちは裕さんたちの作ったお手本を引き継いで、商業的に大きくしていくのが使命だった世代です。
――ゲーム業界を成熟産業にしていった世代とも言えるかと思います。いや、最初に聞いたお話で、ゲーム開発者の「世代差」が気になったんですよ。
原田氏:
僕は、もうゲームが子供時代の原体験にある感じですからね。飼っていたペットが来た日とか、スポーツの大会で優勝した瞬間とか、そういう子供時代の思い出と同じくらい大事なモノとして、裕さんの『アウトラン』のロケテストに並んだ記憶がありますから。
――やはり原田さんは裕さんと好対照ですよね。確か、入社は裕さんの入社から10年近く経ってからですよね。
原田氏:
もう当時の僕たちの前には、裕さんたちの世代が作ったゲームが沢山あったんです。だから、僕なんて色んな凄いゲームを遊びながら、「きっと俺は作る側じゃない。遊ぶ側でいいんだ」と思って、ゲーム会社に営業で入社していったんです。ゲームをタダで遊びながら暮らしたかった(笑)
鈴木氏:
でも、開発者になったんだよね。
原田氏:
営業職で入ったら、ナムコはタダでゲームするのが禁止だったんですよ!
一同:
(笑)
原田氏:
そこで「開発現場ならゲームやり放題だぞ」と聞いたのは、大きなキッカケだったと思いますね(笑)。営業の売上記録を出して、社長賞を貰ったことでワガママを言って開発に回してもらい、ゲームデザイナーになりました。でも、僕はプログラムなんて組めなくて、絵が多少は好きなくらいしか特技がない。
だから、僕はユーザーイベントを盛り上げたりしつつ、とにかくお客さんの意見を聞きました。さらにはアンケートを数値化して統計を取ったりして、それをユーザー調査の成果だというのは隠しながら、自分のアイディアとして周囲に「このアイデアは間違いない、なので僕の言うとおりにしてください」と伝えたりして、信頼を得ていったんです。
――原田さんは、ユーザーとコミュニケーションしていく時代の空気にも合っていた気がします。
原田氏:
ちょうどユーザーニーズからゲームを作る発想が業界に入ってきた時期で、ファンコミュニティを考えていく流れも生まれてきて、だんだん会社で頼られていったんです。本当に、裕さんとは全然ルーツが違いますよね。
――でも、さっき少し気になったのですが、当時はセガも企画職しかディレクターになれなかったんですか。
原田氏:
僕も気になりました。ナムコはまさにそういう会社で、僕なんかは開発に回してもらったら、もう入社2年目でいきなりディレクターで、ベテランの人に指示を出してたんです。企画職がとにかく強い職場でした。だから、僕は『バーチャ』のときに裕さんなんかを見ながら、「セガってプログラマがディレクターになれる会社なんだ、凄いなあ」と思っていたものですが。
鈴木氏:
いや、それは僕がエンジニアもディレクターが出来ると証明するために、頑張ったんだよ。だって、作るものが面白ければ、誰がディレクターをやってもいいはずでしょ。
原田氏:
本当に、そのとおりです。結局、僕が入社してから10年くらいかかって、「誰がディレクターになってもいい」というのは業界内で当然の発想になりましたけどね。
鈴木氏:
でもね、当時は僕が頑張っても、今度は「企画職とプログラマしかディレクターになれない」となっただけでしたね。そこで、僕は当時AM2研でデザイナーをしていた名越を呼んで、「デザイナーでもディレクターになれるんだと証明してくれ」と言ったんです。
――その結果が『龍が如く』に繋がっていくわけですね。デザイナーからディレクターになっていく流れも、その後の定番のルートになりましたよね。
VRにはこれまでのゲームの常識が通用しない
原田氏:
話を戻すと、VRも最初はそういう「第二世代」っぽい視点で見ていたんです。つまり「鉄拳」というIP【※】を展開していく中で、VRでキャラクターへの愛着をもっと湧かせて、ビジネスに繋げられないかな、と。
例えば、食事をしているシーンを見せると、そのキャラに愛着が湧くという話があるんです。これはジブリのアニメなんかが上手なのですが、それをVRでやったらイケるんじゃないか……みたいに思ってたんです。ところが、初めてOculus Riftを装着したとき、「これはマズいぞ!」と思いました。僕の知っている手法が使えない! と。
※IP
知的財産権。Intellectual property の略。
――なぜでしょうか?
原田氏:
「カメラが100%プレイヤーの側に奪われてる」ことに気づいたんです。
その意味は、凄く重いんです。特に僕らの世代は、3Dゲームの開発をしてきたので、カメラを用いた演出をずっと発展させてきたんです。FPSでさえ、普段はプレイヤーにカメラを持たせていても、結局は演出カメラでもってプレイヤーに見せたいものを見せているし、強制カメラで見せる事ができる。制作するときも絵コンテを描いて、「ここからこうやって光を当てると格好良く見えるぞ」なんて言いながら、やるんです。
ところが、VRではカメラがプレイヤーの自由に委ねられてしまった。その瞬間に、長らくゲーム業界が当然のことにしていた技術が大きく崩れてしまった――そして、初めてクリエイティブの壁に僕たちの世代がぶつかってしまったんです。
鈴木氏:
ふふふ。でも、楽しいでしょ。
原田氏:
いや、本当にそうです。ことポリゴンゲームとなれば大抵のことについて僕は「ああ、それを実現したければ、こういう風に作れば、こういう効果が出るから」とか偉そうな事を現場に言えたんですが、これが初のVR開発となると、もう何も言えなくなったという(笑)。俺の人生は何だったんだ、と。
『サマーレッスン』を作り始めるじゃないですか。3Dだったらカメラで見たいものを見せるだけだけど、VRはキョロキョロとユーザーが首を動かすし、その場にいるプレゼンス(存在感)の感覚もこれまでのゲームとは大きく違う。
なぜかこれまで「ポリゴンの部屋」を作っても違和感を感じなかったのが、VRの世界ではそのポリゴン部屋が全く部屋に見えないんですね。なぜだ?!?! ――となって、その違和感を調べていくと、「あれ!この部屋には蛍光灯がないぞ」です(笑)。
――(笑)。
原田氏:
ちゃんと蛍光灯を付けたら、急に部屋に見えだすんです。そして、エアコンにダクトを着けて、コンセントを差してみると、もっともっと部屋に見えだす。でも、女の子の部屋には見えないんですね。それで、デザイナーに文句を言ったら、「女の子の部屋を見たことありません!」と返されて、「バカヤロー」と(笑)。で、女性のデザイナーに作らせると、自分の部屋を参考にして、ぬいぐるみをたくさん置きだしたりして、「おお、これは女の子の部屋だ……」となるわけですよ。従来のゲーム作りではなかった現象です。
――そこはVRの問題というか、大変に「鉄拳」チームらしいイイ話かもしれませんね(笑)。
原田氏:
でも、普段いかに僕たちがリアルの風景を見ているようで、実際には情報量を間引いて認識していたり、意識的ないし無意識に見ていない、ということには衝撃を受けました。
鈴木氏:
うんうん、そうでしょ。
原田氏:
他にも、VRのキャラクターは目線を合わせるとリアリティが出るはずだと仮説は持ってましたが、実際にそれをまんまやると、なんか腹が立つんですよ。だって、人間は確かに目を合わせてくるけど、そんなにずっと、じっとは見ないでしょう。
――ガンつけられてるみたいですよね(笑)。
原田氏:
適度に目線をそらしたりしている方が、自然なんですね。もうね、記号的な表現が通用しないんです。アクションゲームなんかは、キャラ同士が眼を離さないけど。
キャラクターが喜んでるときに記号的に「ワーイ」とさせても、全然ダメです。眉毛や目がこうなったときに、初めて人間は喜んでると認識するんだ、と自分たちで見つけなきゃいけなかった。記号化されたゲームつくりのノウハウだけでやっていけないのは辛かったですね。
音だってそうで、僕はゲームサウンドについては大抵の回答は持ってるつもりだったんです。「コインを入れる音は認識できるこういう音で鳴らせ」「このゲームは、15秒以内でサビが来るような曲に設計しておいて」とかね。でも、VR上で部屋に入ったというのを、どういう形で表現すればいいですかね?と聞かれたときに――僕は、何も回答がなかった。
それで、試行錯誤の挙げ句にサウンドデザイナーが見つけてきたのが、画面がまだ暗いうちから最初の3秒間だけ部屋の外にある環境音を大きめに鳴らすという手法です。本当はそんなに大きく聞こえるはずのない、屋外の電車の踏切や雑踏の音をあえて大きめに流すんです。
鈴木氏:
なるほどね。
原田氏:
人間って、音だけで脳が自分が置かれている状況をこんなに瞬時に把握・分析できるんだ、ということに気付きました。常に「何をもって我々は部屋を部屋と認識しているのか」とか「何をもって我々は人間を人間として認識しているのか」みたいなことを問い返さなければ、現実を模したVRは作れないんですね。
こういうことに、日々悩んで「サマーレッスン」作ってました。そうしたら今日、裕さんの話を聞いていると、僕たちがまさに手探りで見つけていった過程で体験したような話がどんどん出てくるじゃないですか。
――初めて裕さんが『バーチャレーシング』で3Dに挑まれたとき、「ちゃんと外に行って、見てこい」と部下を叱ったことだとかなんて、まさに今の話みたいなものですよね。
原田氏:
ええ。ゲームでロケハンなんて当時ならエキセントリックな行動と思われてたかもしれないけど、今となってはある程度のゲーム開発規模になったら取材なんて当たり前でしょう。
そして僕たちのチームも、開発者の男同士で「よし、お前は女の子な」なんて言いながら近くに座り合って、もじもじしながら、どういう風に人間が動作し、リアクションするのかを確かめてましたからね。なかなか見るに堪えない光景でしたが(苦笑)。
――それも『バーチャ』で、格闘技を知らない開発者に対して、裕さんが拳法の稽古をさせた話そのものですね。こう聞くと、体感ゲームのロケハンの話や、3DCGでの『バーチャ』の格闘技の話は、ちっともエキセントリックな笑い話ではないですね。むしろ、未踏の新しい技術に挑戦する人間が当然やるべきことを、ただ裕さんはやっていただけだった……。
原田氏:
僕たちの世代は、もうユーザーニーズなんて調べればいくらでも分かるし、既に発売されているゲームのリバースエンジニアリングもいくらでも出来るんです。でも、恥ずかしながら、僕は40代になって初めて「他のゲームを研究しても参考にならない」というのを目の当たりにしたんですね。この年になって、20代や30代の連中にどうすれば良いか質問されて、言葉に詰まることがこんなにあるとは思いませんでした。「これまでの開発ナレッジが通じない、これはどうしたものか」という気分でしたね。
鈴木氏:
「普通」のことを実現するのが一番難しい。そうだったでしょ?
原田氏:
いや、まさにその通りです。部屋を部屋だと「違和感なく普通」に思わせることが、いかに難しかったか……。
――今日、何度も裕さんの口から飛び出したその言葉が、原田さんのVR開発秘話を聞いたあとだと、とてつもなく重く響きます。
原田氏:
でも悲しいことに、誰も『サマーレッスン』の部屋のことは褒めてくれないんですよ(笑)。なぜなら「違和感なく普通」に感じているわけだから。
一同:
(笑)
原田氏:
逆に部屋を認識するための情報が欠落して、光景に違和感が出ていたらそれこそ難癖がついたでしょうからね。どんなによく作っても、「自然で普通」が最高なので、なかなか報われませんね。
鈴木氏:
でもね、「普通」ができると、そこに乗っけるものが生きるんだよ。「普通」が出来ているからこそ、良いアイディアが浮かび上がってくるんですよ。
原田氏:
本当にそうですね。
AIが変えるゲームの「インタラクティビティ」
――ちなみに、せっかくなので今後のテクノロジー動向について、鈴木裕さんのお話を聞いてみたいです。
鈴木氏:
一応、僕は第一次のVRブームには関わってるんですよ。そもそも当時はバーチャルってつけると話題になる時代だったから、『バーチャレーシング』とか『バーチャファイター』と名付けたの。「ル」がないのは、商標の問題ね(笑)。
一応、ジョイポリス【※】なんかでテストプレイもしてみたんだけど、アーケードではサニタリー(衛生)の問題があったんです。つまり、脂ぎったおじさんの使ったあとに女性がつけるのかという……。映画なら使い捨ての眼鏡でいいんだけどね。
※ジョイポリス
株式会社セガ・ライブクリエイションが運営するアミューズメントパーク(2017年1月1日付で香港企業に売却予定)。お台場、梅田、岡山の三ヶ所で運営されている。
原田氏:
おっしゃる通りです! 実はそれがアーケードにおける、最初の障害なんですよ。僕らもお台場のVR施設でまずつまずきました。しかも、20分以上装着しているとレンズが曇るでしょう。僕としては、コックピット内でヘッドマウントディスプレイを装着するという世界観のゲームにしてしまって、という部分を逆に利用して、装着感を逆に没入感に活かす方法を導入したりしてましたが。
鈴木氏:
でも、技術の進化やノウハウが追いついてきたよね。等身大のキャラクターが迫るリアリティは、精度が上がるとドキッとするでしょう。『サマーレッスン』のアリソン(2015年のE3デモ版)【※】は、よくできてます。顔にしても髪にしても絶妙な割り方をしているな、と思いました。ただ、今のVRは、ワイヤレスじゃないのが残念です。
原田氏:
この間、電話が来ましたもんね。「あなたの『サマーレッスン』に感銘を受けました。また飲みましょうね」と。
――ちなみに、VR以外にも研究されているものはありますか?
鈴木氏:
最近の技術だと、AIにも興味がありますよ。AIの発展は本当に大きくゲームを変えるはずです。リアルの遊びだって、楽しくなりそうでしょう。AIのクルマとかに、「はい、右やめて左」とか命令したら楽しそうじゃないですか(笑)。
原田氏:
僕も、AIはエンターテイメントを大きく変えていくと思います。周囲のAIがドラマを演じてくれるなら、もうMMO【※】なんかは人間とのマルチプレイとか要らなくなるというか、人間と遊ぶのは古い、なんて時代になると思いますもん。AIが人間社会的かつそれ以上ドラマチックに誘導していってくれた方が、すぐにゲームの世界に戻りたくなると思います。
※MMO
「Massively multiplayer online」の略。大人数のユーザーが同時に同じサーバーにログインし、同じ空間を共有して遊ぶタイプのオンラインゲーム。
――確かに、そもそも『シェンムー』と今のオープンワールドの違いにしても、実はAIの有無は大きいでしょうしね。
鈴木氏:
AIがゲームを大きく発展させるのは、ほぼ間違いないでしょうね。
というのも、デジタルゲームは「グラフィックス」「音」「インタラクティビティ」が三大要素なんです。でも、かつてのようにグラフィックスの進化がそのまま魅力に直結することはないでしょう。リアリティの追求には、もうさほど大きな差別化要素はないですから。ここは昔との違いですね。
原田氏:
そうです。全員がゲームグラフィックをフォトリアルを目指す、という時代ではなくなり、選択の幅は広がったので、何を選択するか?という時代です。
鈴木氏:
そして、サウンドもPCM【※】でCDレベルのことが出来てしまう。そうなると、他のメディアとの差別化要素はインタラクティビティになるんです。これこそAIが得意な部分でしょう。
※PCM
パルス符号変調。「Pulse code modulation」の略。音声や映像などのアナログ信号をデジタルデータに変換し、数値化すること。圧縮処理を行わないため音質劣化がない。
――それにしても、最先端の技術動向を今でも押さえられていて、現役で開発を続けられている中で、このタイミングで『シェンムーIII』を手がける理由は何なのでしょうか。
原田氏:
そこは僕も聞きたいです。
鈴木氏:
毎年「『シェンムーIII』をいつ作るのか?」と世界中で言われ続けてるんです。
中には「小説や漫画でもいいから続けてくれ」という涙ぐましい声まであって(笑)、僕もさすがに考え込んだんですよ。で、このまま世の中に『シェンムー』の続編が全く出ないよりは、何かあった方がいいんじゃないかとある時期から考えるようになったんですね。
そこで、10億円で可能なこと、5億円で可能なこと、というように何種類かのバジェット(予算案)で企画書を書いていたところに、クラウドファンディングを教えてくれる人が出てきた!
――なるほど。まさにファンの声が文字通り、突き動かしたんですね。
鈴木氏:
それを教えてくれたのが、『シェンムー』を27回だかクリアしているという海外の方で、『シェンムー』で日本語を覚えたという人なんですね。しかも、日本で彼女を作ったんだけど、その彼女の名前がヒロインと同じで、おじいちゃんの名前も同じなんですね。それで運命を感じて、プロポーズしたという……。
原田氏:
めちゃめちゃその人の人生に影響与えてますね(笑)。
鈴木氏:
さすがにあの重厚長大なゲームの続編としての責任は取れないけど、今出来る『シェンムー』をこの人たちに届けようと思ったんです。
今はもう、自分よりずっと若い世代が第一線で活躍している時代でしょ。そういう中で、58歳になっても、Kickstarterでこういうチャンスが巡ってくる自分は本当に幸せだし、いつもどおり来たものを全力でやるだけだと思ってるんです。本当に、15年間も応援しながら待っていただいた、ファンの人たちのお陰ですね。
「やっちゃえよ」
――そろそろ終わりの時間なのですが、原田さんは今日のお話を聞いて、どうでしたか?
原田氏:
昔から、鈴木裕という人を紛う方なき「天才」だと思ってきたんです。今日はさらにその印象を深めたのですが、一つだけ印象を修正されたことがあって、想像以上に理詰めで作られていたことなんですよ。『アウトラン』のコンセプト作りに見られるような文系的な感性と同時に、マーケットやゲームを分析的に捉える理系的な知性と、何よりもテクノロジーへの深い理解がある。それは本当に裕さんの凄さだと思います。
しかも、テクノロジーのイノベーションの中で、裕さんが最先端の現場で節目節目に行ってきたことが、今の自分にはとても納得がいくんです。ああ、この人はこんな風に作ってこられたから、人々の記憶に残るゲームを残せたんだな、と。
――裕さんにも、今日は夜遅くまでだいぶ話していただいてしまいましたが、最後にぜひ若い世代のクリエイターに何かメッセージをいただければと、今日のお話を聞きながら思いました。
鈴木氏:
うーん、でも上手く行ってるクリエイターの人には、特に言うことはないな。アドバイスなんて要らないよね?
ただ、そうね……僕は全盛期に世界のトップシェアを取っていた日本が、こんなふうに海外に負けてしまったことが、やっぱり悔しいんですよ。だって、セガが全盛期の頃、僕たちは圧倒的な世界一のゲーム大国だったんです。
じゃあ、なんで負けてしまったか。やっぱり経済的な評価ばかりをするようになって、チャレンジしなくなっちゃったからだと思うんですよ。
原田氏:
おっしゃる通りです! ちょっと耳が痛いですが……。建前はともかく、事業の評価軸だけが強く残った感はありますね。
鈴木氏:
今はシリーズものが増えちゃいましたよね。でも、チャレンジをしないことには、先がないですよ。
ちゃんと新しい武器を製造しないとダメです。だって、良い武器があったら、色々なツールを工夫したりして、少人数でも勝てるんですよ。日本人は、いつの間にか新しいことにチャレンジする力が弱くなってしまったね。
原田氏:
まさに裕さんたち、先人の皆さんの築き上げた成果のお陰で、この業界は収益手段が安定してしまったんですよ。つまり一大事業化したので、昔のように「ここは賭けに出るしかない!」みたいな時代・状況ではないんです。だから、リスクヘッジに長けた人材は育ってるけど、チャレンジを評価する風潮は弱いですね。「どんどんチャレンジして、どんどん失敗しよう!」というのはどの業界でも聞く言葉ですが、実際にはチャレンジだったものが失敗すると評価は大幅に下がるし二度と浮き上がれないケースもある。逆にある程度安定した事業で結果的に利益が高かったものは「チャレンジだったことになる」という後追い結果論みたいなことも多い。90年代のチャレンジと失敗の連続、そこから生まれる大成功みたいな空気も少しは取り戻さないと……とは思いますね。まあ青臭いと言われそうですが(笑)。
鈴木氏:
だから、次の世代には紙に書かれた仕様通りに作るんじゃなくて、どんどんチャレンジする訓練をして欲しいです。「失敗は成功のための土台」なんですから。
だから、若い世代には「あんまり考えるな」と言いたいな(笑)。
――「やっちゃえよ」って。失敗してもいいから、どんどんやるんです。どんどんやれば、先が開けていくんですよ。本当に。
編集部&原田氏:
今日は本当に貴重な話をありがとうございました。
今回の取材で鈴木裕氏の話を聞いて強く感じたのは、彼がコンピュータサイエンスの最先端と常に歩みを合わせながら、その時代ならではのエンターテイメントを提供してきたことだ。そのテクノロジーへの理解の深さは、VR一つとっても同席した原田氏が驚くほどであった。
ゲームの企画書の第一回目で、遠藤雅伸氏は海外のゲームクリエイターは技術主導でゲームを作っていく「テクノロジードリブン」、日本のゲームクリエイターはコンセプト主導でゲームを作っていく「コンセプトドリブン」と分析していた。鈴木裕氏ご本人は、取材の中で「技術だけでもコンセプトだけでも、いいものは出来ない。両方が大事だ」と強調されていたものの、やはり氏のテクノロジーからゲームを構想していくセンスには、日本人離れした壮大な才能があったと感じざるを得ない。
その一方で、鈴木氏が『バーチャ』のために開発者に格闘技を修行させた逸話などが、単なる偉人伝の誇張エピソードではなかったのも面白い。それはむしろ最先端のエンターテイメントに挑戦する人間として、ロジカルに選択されたものだった。氏の逸話や言葉には、当時は素っ頓狂に見えても、時を経ると当然の話だったと気づかされるものが、あまりに多い。
氏がインタビューの最後に寂しげに語ったように、日本のゲーム産業が世界のゲーム市場から取り残されて久しい。その一方で、海外の第一線で活躍する開発者こそが、今も鈴木裕をリスペクトしている。鈴木裕という才能を、日本人は本当に評価できていたのだろうか? ――今回のインタビューを終えて、鈴木氏と原田氏を見送ったあと、夜更けに編集部では、そんな会話が交わされていた。
その意味で今回、対談相手を務めた原田氏が挑んでいるVRは、まさに最先端のテクノロジーへのチャレンジがそのままエンターテイメントになる状況だ。久々に日本が悪くないポジションにいるジャンルでもある。
鈴木氏は対談の最後、若いクリエイターに「やっちゃえよ」と投げかけた。果たして、日本から再び世界を揺るがすエンターテイメントが山のように飛び出してくる日々は来るのだろうか? 期待しながら、その日を待っていたい。
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