DQとFFは『クロノ・トリガー』でいかに融合したか?:「なんでゲームは面白い?」第三回

 『クロノ・トリガー』という作品を改めて振り返る時、『ドラゴンクエスト』以下、ドラクエ)でもなければ『ファイナルファンタジー』(以下、FF)でもない、その独立した存在感の強さに驚きを覚える。

  そもそも『クロノ・トリガー』は、ドリームプロジェクトとして情報を公開し、発売前から堀井雄二坂口博信鳥山明という『ドラクエ』と『FF』の作り手達の姿を強く押し出し、当時のエニックスと合併する前のスクウェアや、当時黄金時代を迎えていた『週刊少年ジャンプ』の影響を色濃く受けた作品である。そのような企画色の強い作品は、往々にして時代の徒花としてやがて忘れられ、たまに懐かしく思い出される程度の存在になりがちだ。しかし、本作はそのような制作状況や時代状況を超えた存在感を現在に至るまで放ち続けている。

SFC版クロノ・トリガーのパッケージ(画像はAmazon.co.jpより)
SFC版クロノ・トリガーのパッケージ(画像はAmazon.co.jpより)

  TIME誌の選ぶ「歴史上で最も偉大なゲームTOP100」に選出されるなど、国内のみならず、世界的に高い評価を得ている本作は、なぜその特異な出自にも関わらずこのような独自のポジションを築くに至ったのだろうか。おそらく、その問いを考えることは、ドラクエとは何か、FFとは何か、という、まさに日本の二大RPGの本質を考えることではないか

  それでは、今回はそんな『クロノ・トリガー』のもつ魅力の秘密について考えてみよう。

※本記事には『クロノ・トリガー』のストーリーやイベントに関するネタバレが含まれています。未プレイの方はご注意ください。

『ドラクエ』的であり『FF』的でもある主人公

  『クロノ・トリガー』の主人公クロノは基本的には喋らない。なぜかと言えば、このゲームは主人公を『ドラクエ』的なキャラクターにしようとしたからだ。

  今さら解説するのがはばかられるほどに有名な事実だが、『ドラクエ』の主人公はプレイヤーとの一体感を重視するために言葉を発しない。『クロノ・トリガー』の主人公が言葉を話さない理由もまた同様だ。この一点だけでも、このゲームが非常に『ドラクエ』的な作法にのっとったゲームであることがわかる。

  だがその一方で、『クロノ・トリガー』の主人公は非常に繊細なドット絵の表現によって、身振り手振りや表情を多彩に変化させることで、自身の感情を表現する。なぜならこのゲームの主人公は、『FF』的な要素も備えているからだ。

  『クロノ・トリガー』が発売された1995年当時の『ドラクエ』の主人公がまったく喋らず、感情表現もほぼしないこととは対照的に、『FF』の主人公は自分から言葉を発するし、身振り手振りや表情によって感情を表現する。さらに、当時まだエニックスと合併する前だったスクウェアは、ドット絵を始めとするグラフィック表現技術を恐ろしいレベルにまで向上させていた。そして『クロノ・トリガー』は当時一つの到達点に達しつつあった表現技術が惜しみなく投入された作品だった。だから正確には“スクウェア”的という言い方をすべきなのかもしれないが、この文章上ではその辺も含めて『FF』的と称させてもらうことにする。

  『FF』のキャラクターに芝居をさせるようになったのは『FFIII』以降だと、坂口博信氏はインタビューで語っている。当初は吹き出しによる感情表現や、簡単な手の上げ下げ程度だったキャラクターの表現は、『FFV』ではキャラクターに具体的な表情を持たせるまでに至っていた。この時期の『FF』(というよりもスクウェア全体)のドット絵でできる可能性の追求ぶりは他の追随を寄せ付けない勢いがあった。

坂口:そうですね。あともうひとつ大きかったのは、FF3くらいから、キャラクターに小芝居をつけられるようになったことですね。徐々に進化して、容量の増加もあってさまざまなポーズを作り、それがイベント演出の盛り上げにつながったと思います。FF6のオペラのシーンなんかいい感じですよね。

“運命のようなもの”が働いていた?……坂口博信が自作ゲームからFINAL FANTASYに辿り着くまでから引用

 『ドラクエ』的な主人公だったはずの『クロノ・トリガー』の主人公・クロノは、スクウェアという会社が志向していた当時「映画的」と形容されていた方向性と、それを支える高度な職人技によって、『FF』的な性質を備える主人公にもなったのである。『ドラクエ』的な主人公と呼ぶには、クロノはあまりに豊かな身体の表現力を備えていた。今現在プレイしても、何気ない移動モーションや戦闘時の構え一つをとっても、そのどれもが見事にそれぞれのキャラクターの個性を表現していることに改めて驚かされる。

主人公の多彩なモーション(画像はスマートフォン版『クロノ・トリガー』公式サイトより)
主人公の多彩なモーション(画像はスマートフォン版『クロノ・トリガー』公式サイトより)

 このように主人公一つとっても、『クロノ・トリガー』は『ドラクエ』的な要素と『FF』的な要素が混ざり合うゲームとなっている。当事者の一人、堀井雄二は自身の言葉『クロノ・トリガー』をこう振り返っている。

坂口 『ドラクエ』方式を参照して、主人公は喋らせないことにしたんですよね。

堀井 体験型の『ドラクエ』と、ドラマを見せる『FF』をかけ合わせた感覚だったよね。ゲーム画面は当時のスクウェアさんっぽさが前面に出たグラフィックで、でもプレイした感覚はどこか『ドラクエ』っぽいという。

 

スーファミ世代、悶絶の2大レジェンド対談! 堀井雄二(ドラクエ)×坂口博信(FF)【後編】から引用

 しばしば対極的な存在として、水と油のように対比される『ドラクエ』と『FF』という2要素の混ざり具合こそが、このゲームを唯一無二の存在にしているのだと僕は考えている。ではそもそも『ドラクエ』らしさ、『FF』らしさとはなにかについて考えてみよう。

『ドラクエ』らしさ、『FF』らしさ

 『ドラクエ』らしさ、『FF』らしさとはなんだろう。僕なりに乱暴な見立てを述べさせてもらうならば、『ドラクエ』らしさとは「引き算」的なゲーム設計と言うことができ、『FF』らしさとは「足し算」的なゲーム設計と言うことができると考えている。

 『ドラクエ』における「引き算」といえば、既に述べた主人公が喋らないという要素はその最も代表的なものだろう。
 むろん、それだけではない。あまりに有名な「ゆうべは おたのしみでしたね」の一言も非常に『ドラクエ』らしさを感じさせる「引き算」のセリフだろう。この一言によって、具体的な描写の一切を「引き算」しながら、昨晩何が起こったかをプレイヤーは想像せざるを得ない。
 さらに、1作目における最初から見える竜王の城もまた「引き算」的なゲーム設計手法だと言える。視線の上では最初から見えているのに、そこに至る動線を巧妙に引き、最後の最後まで辿り着けなくすることで、否応なしにプレイヤーを目的地へと誘うあまりに巧みなレベルデザイン。これもまた代表的な『ドラクエ』らしい設計だと言えるだろう。
 あるいは、『ドラクエV』の主人公が子供から大人へ至る時間の、大胆な省略(引き算)描写も印象深い。あまりに衝撃的な展開からの時間経過の後に、おそらく主人公がやってきたであろうことを具体的に体験させることで、「自分がやったこと×年数」の重みがのしかかってくる。足し引きのバランスが実に巧みであり、あまりにゲーム的なストーリー展開である。さらにその後もう一回ある時間経過描写もまた強烈なのだが、まあ詳細はここでは述べないことにする。

引き算の例、最初から見える竜王の城(画像はドラゴンクエスト誕生30周年記念ポータルサイトより

 では『FF』らしさ、「足し算」的なゲーム設計とは何か。
 それはやはり自分から率先してどんどん喋り、身振り手振りや表情込みで感情表現する主人公であり、常軌を逸した速度で移動する飛空艇であり、1作ごとに見違えるほどに進化するグラフィックであり、成長の果てにダメージの上限値9999を結構容易く叩きだしてしまうことではないかと僕は考える。
 そもそもTVゲームの歴史は現代から見れば表現力の乏しい非力なハードから始まっていることもあり、従来ではできなかったことができるようになるという「足し算」の歴史である。「引き算」的なゲームであると述べた『ドラクエ』ですらシリーズを重ねるごとに新しい要素を「足し算」していったことは間違いない。その意味で、あらゆるゲームの歴史は「足し算」の歴史なのだが、『FF』の「足し算」ぶりは他のどのシリーズよりも抜きんでていた
 あまりの速度に制御が難しくなるくらいに飛空艇の速度を速くしてみたり、「みだれうち」や「二刀流」などで攻撃回数を増やすことで、9999ダメージをさらに「足し算」してしまったり、ラスボスよりも強いモンスターをラスボスよりも手前に2体も登場させてしまったり、絶え間なく限界突破を続けていく天丼的な展開にこそ、僕は『FF』シリーズらしい「足し算」の歴史を見る。

 『ドラクエ』的な「引き算」と『FF』的な「足し算」――これら2つが合わさることで、『クロノ・トリガー』は『クロノ・トリガー』になったのだ。

 次の項ではさらに『クロノ・トリガー』における「引き算」的要素と「足し算」的要素を振り返ることで、このゲームがいかに『ドラクエ』的でありながら『ドラクエ』的ではない、『FF』的でありながら『FF』的ではない、まさに『クロノ・トリガー』的としか言いようのないゲームになったのかについて具体的に指摘していこう。

鳥山明テイストを「足し算」

 まず、『クロノ・トリガー』で一番最初にゲートを通過して辿り着く舞台である「中世編」について振り返ってみよう。

 「中世編」は、中世的なお城やそこに仕える騎士団、そこに攻め込む魔王軍の魔物たち、守るべきお姫様とそれを守る勇者など、“いかにも”な王道のRPG的意匠に溢れている。まるで、『クロノ・トリガー』という作品の中に、さらにもう一つのRPGが展開しているような、ジャンルそのものへのメタな視点を感じる世界だ。

 この世界には、王様がいて、お姫様がいて、魔王がいて、お姫様を守る勇者と呼べる剣士がいる。そんなあまりにも王道過ぎる、言ってしまえば“ベタ”な世界にあって一点だけ違うのは、この世界の勇者の顔が「カエル」であるということだ。主人公達の仲間にもなり、「中世編」における実質的主役とも呼べるこのキャラクターは、自ら言葉を話すが、本来持っていたはずの勇者としての「顔」を「引き算」され、代わりに「カエル」の顔が「足し算」されているのである。

パーティーメンバーの一人、カエル(画像はスマートフォン版『クロノ・トリガー』公式サイトより)
「中世編」で仲間になるパーティーメンバー、カエル(画像はスマートフォン版『クロノ・トリガー』公式サイトより)

 「カエル」が人間だった頃の顔は、過去の回想シーン等でドット絵でこそ表現されるものの、鳥山明が描くリードビジュアルや、リメイク作品等で追加されたムービーシーン等からも徹底して省かれていることなどからも、意図的に直接描かないようにしていると考えていいだろう。
 本来であれば最も格好いい存在であるはずの勇者を格好よさとは程遠い「カエル」にしてしまう。そのことで、『クロノ・トリガー』は非常にユーモアに富んだ作品となった。ゲーム全体に流れる明るいトーンが、このキャラクターの存在で確固たるものとなったのは間違いないだろう。

 だが、『クロノ・トリガー』は「カエル」を単なるコメディ要因、パロディ要因などには留めておかない。顔は確かに「カエル」なのだが、ストーリーの展開の巧みさと演出、それを支えるスクウェアのグラフィックスタッフの素晴らしいドット絵表現の「足し算」によって、どんどん「カエル」は格好良くなり、本物の勇者に見えてくるのである。
 しかも「中世編」は、魔王軍の幹部の名前が「ビネガー」「マヨネー」「ソイソー」と調味料をもじっており、『ドラゴンボール』における「ブルマ」「ブリーフ」「トランクス」の下着繋がりのような“いかにも”なネーミングセンスが踏襲されている。鳥山明的世界観が非常に色濃いシナリオなのだ。その意味では「カエル」の存在も、「かめはめ波」という、よくよく根本に立ち返って考えればおちゃらけているとしか言いようのない必殺技のネーミングが、なんの疑いもなく格好よく思えてしまうという鳥山明漫画でしばしば起こるマジックを、ゲーム中で再現したものだと言えるだろう。

 このゲームに鳥山明的世界観が見事な形で「足し算」された要因として、ゲームに先行する形で描かれたという鳥山明自身の手によるリードビジュアルが果たした役割は非常に大きいだろう。以下に鳥嶋和彦氏の発言を引用する。

鳥嶋氏:
 そこで僕たちはゲームに映画のスチールの考え方を持ち込んだんだよ。
 要するに、始まったばかりで何も出来ていないものを中途半端に見せても仕方ないじゃない。だから、いきなりキービジュアルを作りこんでしまうわけ。「このシーンはこうだ!」というビジュアルを先に見せた上で、後からゲームを作り込んでいく。これが現在に至るゲームの記事の出し方の始まりですよ。

――なんと……。

佐藤氏:
 そのキービジュアルというのは、ゲームの画面のことだよね?

鳥嶋氏:
 先にボス戦の構図だとか、決めのシーンの絵を仕上げた上で、そこに向けて作っていくんだよ。これを徹底的にやったのが、少し先の話になってしまうけど『クロノ・トリガー』ね。先に鳥山明さんが各シーンの絵を描いて、それに合わせる形でスクウェアがゲーム画面を作って、ゲームはそれを縫うように作っていった。

伝説の漫画編集者マシリトはゲーム業界でも偉人だった! 鳥嶋和彦が語る「DQ」「FF」「クロノ・トリガー」誕生秘話から引用

 僕も一応はゲーム開発者の端くれなので、リードビジュアル優先でゲームを作ることが必ずしも正解ではないし、結構リスクもデカいし、場合によっては最悪ということは声を大にして言っておきたいのだが、少なくとも『クロノ・トリガー』においてはリードビジュアル優先のゲーム設計は大正解だったと言わざるを得ない。

当時のジャンプにも掲載されたキービジュアル(画像はスマートフォン版クロノ・トリガー公式サイトより)
当時の週刊少年ジャンプにも掲載された鳥山明氏によるキービジュアル(画像はスマートフォン版『クロノ・トリガー』公式サイトより)

せめぎ合いつつ高め合う「引き算」と「足し算」

 「中世編」のみならず、『クロノ・トリガー』には随所に「引き算」的な箇所と「足し算」的な箇所が見られる。

 僕がリアルタイムでプレイしながら「堀井雄二っぽい」と思ったシーンは「未来編」において目撃することになる、世界崩壊のシーンだ。
このシーンで主人公達は世界が崩壊していく様を、「過去の記録映像」「モニター越し」に見ることになる。こうすることで、主人公たちが介入する可能性は二重に「引き算」された。プレイヤーは、ただただ目の前で起きていることを見ることしかできない。その上で彼らは世界崩壊が起きた時間から「未来編」の世界を繋げたのだ。
 そんな淡々と現実のありようを提示するやり方に、『ドラクエV』における子供から大人へ移行する際の容赦のない省略(引き算)と同質の「堀井雄二っぽさ」を感じる。両者は大幅に時間を「引き算」することで、その間を想像力で補完してしまうようにデザインされているという点において一致する。

 しかし、このシーンが非常に印象的なのはこの後の世界崩壊を食い止めようと主人公達が決意する瞬間、『クロノ・トリガー』のテーマ曲が鳴り響くその瞬間だ。
 非常に王道だし、悪い言い方をすればベタベタなこのイベントシーンが非常に印象深いものになっているのは、世界崩壊の容赦のない突き放したゲーム的な「引き算」の効いた描写と、それにせめぎ合うように「足し算」される、清々しいほどに前向きで決意に満ちた各キャラクターの丁寧なドット絵による芝居と、テーマ曲(その名も「クロノ・トリガー」)の素晴らしさによる部分は非常に大きい。

今年発売された『クロノ・トリガー』のトリビュートアルバム「Chronicles of Time」(画像は公式サイトより)
今年発売された海外アーティストによる『クロノ・トリガー』のトリビュートアルバム「Chronicles of Time」(画像は公式サイトより)

 衝撃的な「引き算」の後に、それにせめぎ合うようにぶつけられる「足し算」はこの作品の他の箇所でも確認することができる。そして、そんなせめぎ合いが最高潮に達する瞬間といえば、主人公が命を落とし、存在そのものが世界から「引き算」され、それに対してもう一度主人公を世界に「足し算」する一連のイベントではないだろうか。
 DS版の公式ムック『クロノ・トリガー アルティマニア』によれば、この展開を発案したのはメインストーリーを担当した加藤正人だそうだ。彼が「主人公が途中で死ぬ」というアイディアを初めて皆に話したとき、会議室がドッと笑いで包まれたという。だが、ただ一人、堀井雄二だけがこの案が面白いといって興味を示したそうだ。

 このエピソードは『クロノ・トリガー』について考える上で、非常に興味深い。
 「主人公が死ぬ」という展開を考えた人自体は堀井雄二ではないが、もしチーム内に堀井雄二が居なかったらこの案は採用されなかったかもしれない。本作が非常に微妙なバランスで成立していることがよくわかるエピソードである。

1995年という「時の狭間」から生まれた『クロノ・トリガー』

 まだまだ語りたい部分はたくさんある。
 “ロボ”を数百年労働させて、労働後に再会したら予想以上に年月の重みがガッツリ刻みこまれていたときには、正直引いた……というか心が痛んだ。あるいは、カエルVS.魔王のエンディングは、ゲームをキチンとプレイしていれば音だけでリアルに戦闘が想像できてしまうという見事な「引き算」の演出だった。そして「未来編」の、人間より活き活きしているロボットたちの魅力……。だが、そんなことを語りだすとキリがないのでこの辺にしよう。というかバトルやマルチエンディング、「強くてニューゲーム」などのシステム部分にも全く触れてないが、そこを書きだすと文章が数倍の分量になるので、ここでは触れないでおこう。

 ここまで書いてきたように、『クロノ・トリガー』が傑作である理由――それは『ドラクエ』的な引き算と『FF』的な足し算が奇跡的なバランスで両立し、互いの魅力を高め合う一種のマジックが、ゲームの至るところで連鎖的に起きているからだ。

 だが、この奇跡的なバランスは、SFC末期であり「PlayStation」や「セガサターン」が発売したばかりの、ゲームが大きく変化しようとしている転換点、1995年初頭という時代状況だからこそ成しえたバランスではないだろうか。

1995年のプレイステーションアワード受賞タイトル(画像は「PlayStation® Awards 2015」より)
1995年のプレイステーションアワード受賞タイトル(画像は『PlayStation® Awards 2015』公式サイトより)

 1995年以前ではまだ表現力に不安がある。1995年以降では逆に表現力が上がり過ぎる。ドット絵ではあれほどファニーな魅力に溢れる「カエル」や「ロボット」も、現在の技術でリアルに表現したとしたらちょっとリアル過ぎて引いてしまうかもしれない。「トゥーンシェードで『ドラクエVIII』風に再現したとしたら……」などと考えてしまうが、SFC末期のドット絵主体の2Dグラフィック技術が成熟した時代だからこそ、『クロノ・トリガー』は『クロノ・トリガー』足りえたのではないだろうか。
 もちろん、リメイクが出たら出たで大歓迎するし、できれば過去の美化された記憶と比較して叩くような、心ない真似はしたくはないものだけど。

 堀井雄二・坂口博信・鳥山明という『週刊少年ジャンプ』誌上でも大々的にとりあげられた3名以外の開発スタッフもまた絶妙なバランスのキャスティングだった。メインストーリーを担当し、「古代編」のほぼ全てを一人で担った加藤正人、彼の曲抜きの『クロノ・トリガー』など考えられないほどに重要な仕事をした光田康典、一つの成熟の極みに達しつつあったグラフィックスタッフ陣などなど……。
 その一つとしてピースを欠いたならば、本作は違った作品になってしまっていたのではないか。その辺りのバランス感は、作詞も作曲も全て一人で担当していたミュージシャンが、バンドを解散してソロになった瞬間に、全然別の印象を受ける作品をリリースしたりすることと似ているかもしれない。

 ともあれ、「時間」や「時代」を主題に据えた本作が、「1995年のゲームシーン」という時代状況を色濃く反映した唯一無二の傑作となったことは、偶然というにはでき過ぎているではないか。そして1995年以降の決して平坦とは言えないゲームシーンの辿る道を知っている現在の視点からこの作品を振り返ると、また当時とは違った味わいがあるのではないかと思う。

 今になって振り返れば『クロノ・トリガー』はその存在自体がゲーム中に登場する「時空の狭間」のようでもある。

 まだやったことがない人も、かつてリアルタイムで熱狂した人も、是非ともプレイして、時の流れを感じてみてほしい。

文/hamatsu

スマートフォン版『クロノ・トリガー』公式サイト

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