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「会社が僕らのたまり場だった」国産格ゲータイトルを支える男たちの、青春の日々を今こそ明かそう【初対談:『GUILTY GEAR』石渡太輔×『BLAZBLUE』森利道】

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 今年7月に開催された、世界最大の格闘ゲームの祭典「EVO 2017」。そこに、アークシステムワークスの2大タイトルが史上初の同時選出を果たした。
 その名は『GUILTY GEAR』と『BLAZBLUE』――今では「2D格闘ゲームの代名詞」としてゲーマーの間で知られている人気作たちだ。

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『GUILTY GEAR Xrd REV 2』(画像左)と『BLAZBLUE CENTRALFICTION』(画像右)

 だが、その同時選出の裏側に、両タイトルのクリエイターたちの「長い青春の歴史」があったことを知る者は少ない。本記事は、そんな『GUILTY GEAR』と『BLAZBLUE』の誕生に秘められた、男たちの熱いドラマに迫るものだ。

 不案内な読者に、両タイトルの概要を駆け足で説明しておこう。

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『GUILTY GEAR XX ΛCORE PLUS』(PSP版)

 まずは『GUILTY GEAR』。1998年に発売されたその第一作目は、アークシステムワークスの石渡太輔氏の手腕により2D格闘ゲームに新たなムーブメントを起こした。

 だが、その後様々な派生バージョン・派生作品が登場するも、2007年11月に発売されたナンバリングタイトル『GUILTY GEAR 2』で状況は一変する。「格闘ゲームとRTSを組み合わせた独自の3Dアクション」というあまりに“尖った”ゲームデザインにより、従来の作品よりも敷居が高くなってしまい――同シリーズは実に7年もの間、沈黙することになる。

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『BLAZBLUE CENTRALFICTION』

 一方、そんな折に頭角を現した格闘ゲームこそが、2008年11月稼働の『BLAZBLUE』だ。
 同じくアークシステムワークスの森利道氏は、同作を「総合エンターテイメント」と位置付け大胆な方針を展開。フルボイスかつ大ボリュームのストーリーモードの実装や、webラジオ、アニメ化といった幅広いメディアミックスを行い、既存の格闘ゲーマー以外のファンを獲得した。

 まさに因縁さえ感じる両者だが――実はそんな『BLAZBLUE』の成功こそが、長きに渡る『GUILTY GEAR』の沈黙を破る契機となったのだ。そして、その裏には青春をともにした二人の男のドラマがあった。

 それでは、物語の時を巻き戻そう。両タイトルのプロデューサーの出会いとなった舞台は、20代の若者が集う謎多き会社「ピックパック」。全てはそこで寝泊まりを繰り返す、ゲームに夢見た男たちの青春の日々から始まった―—。

取材、文/クリモトコウダイ


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石渡太輔氏(写真左)と森利道氏(写真右)

作品で“寡黙に語り合う”二人の男

――今年の「EVO 2017」【※】に『GUILTY GEAR』と『BLAZBLUE』が初めて同時に選出されました。そこで今回、両タイトルを手がけるお二人に話を伺ってみたいと思います。

※EVO 2017
正式名称は「エボリューション・チャンピオンシップ・シリーズ」。1995年にスタートした対戦格闘ゲーム大会。当初は小規模なイベントだったが、今では世界各国から凄腕プレイヤーたちが集う世界最大規模の大会となっている。

森利道氏(以下、森氏):
 いやー、初めての対談ですよ。

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森利道氏

石渡太輔氏(以下、石渡氏)
 えっ、そうだっけ?

森氏:
 二人でインタビュー受けるとかはあるんですが、対談は初めてなんですよ。

――そうなんですね。2003年に森さんが入って以来、同じアークシステムワークスに勤めているお二人ですが、普段はどのような話をされるのでしょうか。

森氏:
 うーん……相対性理論についてとか?

石渡氏:
 一緒に京都旅行にいったときの話ですね。

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石渡太輔氏

 アインシュタインの「もし自分が光の速さで飛んだら、顔は鏡に映るのだろうか?」という問いについて、モリモリ(森氏のこと)に「どう思う?」って聞いたんだよね。そこから『スタートレック』【※】の話になり、朝までずっと話し込んでました(笑)。

※スタートレック
1966〜1969年にアメリカで放送されていた大人気SFシリーズ、及びその後制作された映画などの同名シリーズの総称。現代でもその人気は非常に高く、2016年にも新作が公開されている。1971年には同作を題材としたコンピュータゲームも開発された。

森氏:
 ただ、今はそもそも開発フロアが違うので、基本的には会う機会があまりなんですだから普段は全然話さないんですよ。

――あれ、そうなんですか……お二人の手がける作品は、アークシステムワークスとしての“統一感”があるので、てっきり普段からゲームづくりに関して意見を交わしているんだと思っていました。

森氏:
 実をいうと、お互いが作るゲームに関しても特に語り合ったりしないです。

石渡氏:
 そうだね。言葉じゃなくて、作品で語っている感じだよね。

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――では、この“統一感”のようなものはどこで生まれているのでしょうか?

森氏:
 おそらく、僕がもともと勤めていたピックパック・エアリアル(以下、ピックパック)という会社の環境が影響してるんだと思います。

全ての始まりだった謎の会社・ピックパック

――ピックパック……実はこの取材の準備をしていても、なぜかこれまで表に情報の出ていない、謎の会社だと思っていたんです。『GUILTY GEAR』と『BLAZBLUE』を紐解くうえでキーになる存在なのは間違いないとは思うのですが……まずは、会社自体について教えていただけないでしょうか。

石渡氏:
 初代『GUILTY GEAR』【※1】をドリームキャスト【※2】へ移植したのがピックパックだったんです。たしか、モリモリを含めた、アミューズメントメディア総合学院(以下、AMG)【※3】の学生たちで立ち上げた会社だよね。

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※1 GUILTY GEAR……1998年にPlayStationでリリース。スピーディかつ派手な超人たちのバトルをアニメ調で表現することを目標として制作され、石渡氏はディレクター、キャラクターデザイナー、音楽、声優(ソルのボイス)を兼任していた。なお、最終的に初代『GUILTY GEAR』のドリームキャスト版はリリースされず、『GUILTY GEAR X』のドリームキャスト版がリリースされた。

※2 ドリームキャスト
1998年に セガ・エンタープライゼス(当時)より発売されたゲーム機。dream(夢)をbroadcast(広く伝える)という願いを込めた造語で、「ドリャス」「ドキャ」「ムキャ」「DC」、ロゴマークの渦巻きから「なると」など、様々な愛称で親しまれた。尚、同社は2001年1月に家庭用ゲーム機の製造から撤退している。

※3 アミューズメントメディア総合学院
1993年に設立された、クリエイター養成のための専門学校。ゲーム、CG、アニメ、漫画、声優など、エンターテイメント業界のさまざまな分野に特化した学校で、これまでに業界で活躍する多数の著名人を輩出している。

森氏:
 より正確に言うならば、かっこいい会社の立ち上げ理由はなくて、当時AMGの新卒の仲間たちと働いていた会社が真っ黒というか。まあ、なんというか……半年ぐらい給料が払われなくて(笑)。

――それはヤバいですね……。

森氏:
 そんな状況だったので、僕らは「もう自分たちの会社を立ち上げて、作りたいものを作ろう」という志を持っていたんです。そこで仲間の一人が「仕事があるぞ!」と言ってきたので、「じゃ立ち上げるか!」といって1998年頃にできたのがピックパックでした。

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 で、僕はその仕事が始まるまでフリーでローポリ【※】の仕事をこなしつつ、人を集めてチームを作っていたんですが……いつまで経ってもその仕事が始まらなかったんですよ!「騙された…!」と当時は思って焦りましたね(笑)。

※ローポリ
ローポリゴンの略語。少ない数のポリゴンでモデリングされた3DCGのことを指す。

――それは困りましたね……だって給料が払われていなかったとはいえ、前の会社は辞めてるわけですもんね

森氏:
 そうなんですよ。「気心の知れた仲間たちで集まって会社を立ち上げた」と言えば聞こえがいいかもしれませんが、肝心の仕事がないと意味がないですし(笑)。

 とにかく仕事がなくて困っていたので、手当たり次第、同級生に連絡していったんです。すると『GUILTY GEAR』のプログラマーでもある安部君の紹介で、アークの社長の木戸岡さんが会ってくれることになったんです。

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 そこで「うちは忙しすぎて死んでるから、お前らこれをやれ」と渡された案件が、『GUILTY GEAR』のドリームキャスト移植だったんです。どこの馬の骨とも分からない僕らにですよ。もう、あのときは「いきなり仕事くれたー!」って歓喜しました

――なかなかに展開が早いですね(笑)。

森氏:
 そのとき、石渡さん的には『GUILTY GEAR 2』を作るか作らないかという話をしていたみたいなんですが、その前に移植しろという話になったらしくて。

――なるほど。その仕事の後は、どうなったんですか?

森氏:
 再び木戸岡さんに呼び出されて、「今度はこれをアーケードに移植する」と言われました(笑)。その頃って、丁度サミー(現セガ・インタラクティブ)【※】がアーケードに進出するタイミングで、そこで『GUILTY GEAR』を出さないかという話があったようです。
 でも、それって、石渡さんが言い出したと聞いたんですが……。

※サミー
1975年に設立された日本のメーカー。2003年にセガ(当時)と統合し、「セガサミーホールディングス」の子会社となっている。現在ではパチンコ・パチスロメーカーとして知られているが、統合以前はゲーム事業も手がけており、「GUILTY GEAR」シリーズなどを発売していた。

石渡氏:
 いやいや、僕はただ「やりたいか?」と聞かれたから「はい」と答えただけですよ(笑)。

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森氏:
 えええ! 僕らは「石渡がアーケードにしたいと言い出したんだ」と伝えられたので、「マジか」と思ってやったのに。

――少し整理させていただきたいんですが、そのアーケード版って、あの『GUILTY GEAR X』【※】のことですよね……?

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※GUILTY GEAR X
2000年に稼働を開始したアーケード向け格闘ゲーム。『GUILTY GEAR』シリーズ2作目にして、初のアーケードタイトルである。当時のアーケード向け2D格闘ゲーム界隈は氷河期と呼ばれており、その中でも人気を集めていた作品はシリーズものばかりだった。 そんな状況下に忽然として登場した『GUILTY GEAR X』は、個性的なビジュアルと能力を持ったキャラクターたち、2Dならではの表現を極めた高解像度なビジュアルとエフェクト、コアゲーマーを刺激するゲームシステム、そして音楽とストーリーが、当時の格闘ゲームプレイヤーたちに受け、アーケード1作目にして一躍人気タイトルに。現行シリーズ(Xrd)の基本骨格となった作品でもある。 本作の登場により、アークシステムワークスは日本屈指の2D格闘ゲームメーカーとして知られるようになる。

石渡氏:
 今、考えたらすごいよね。学校あがりで、アーケードで格闘ゲームなんて作ったことのない小僧たちが『GUILTY GEAR X』を作ったんだから。

森氏:
 開発当時はまだ石渡さんが22歳で、僕が23歳ぐらいでしたね。メインプログラマーの鈴木君なんて19歳で、開発の途中に成人式行ってましたよ(笑)。

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 今考えたら驚愕です。でも、99%石渡さんの才能ですよね。

石渡氏:
 いや、違うね(笑)。僕の中では4割が鈴木君だよ。すごくロジックの強いプログラマーでして、彼のおかげでアーケード版のバランスが整ったんだと思っています。残り6割を皆で山分けって感じじゃないかな。

二人の出会いと関係性に迫る

――お二人が出会ったのはそのピックパックからなんでしょうか。

石渡氏:
 そうですね。僕はAMGを卒業してアークに就職したので、ピックパックに出向するまでは面識ありませんでした。

森氏:
 いやいや! 僕の記憶ではもっと前に出会ってます(笑)。専門学校時代に石渡さんが学校に来ていて、先生にソル【※】を見せていたんですよ。

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※ソル=バッドガイ(左:『GUILTY GEAR XX ΛCORE PLUS』、右:『GUILTY GEAR Xrd REV 2』)……「GUILTY GEAR」シリーズの主人公。無骨でめんどくさがり屋。口数は少なく、必要最低限度の言葉しか口にしない。説明や表現が苦手であり、話すより強引な行動や態度で示すことが多い。

 それを見て「すげえ上手い! こいつ殺してえ!」って思ったのが最初ですね。「自分より上手いやつはとりあえず全員抹殺しろ」という教えを受けていたんで。

――二人の記憶の温度差がすごい(笑)。

森氏:
 僕なんて道端に落ちてる石ころみたいな扱いだったんですよ……。

石渡氏:
 まあ、でもさ、同じ会社で仕事をしたのはアーケード版の制作からだし。

森氏:
 いやいや! 仕事も、その前があるんですよ。

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石渡氏:
 え、まじで!?

森氏:
 実はピックパックをやる前に、僕はアークで半年ぐらいバイトしていたんですよ。そのとき石渡さんも社内にいたんです。赤いバンダナによく分かんないジージャンを着ていて「雑誌のインタビューまんまや!」と感動しましたね(笑)。

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写真は2010年の石渡氏。昔は長髪にヒゲと、今よりワイルドな風貌だった

 当時石渡さんは、たまーに来て、たまーに仕事していなくなる存在でした。ずっと「あの人は何をしているんだろう?」と思ってました。

石渡氏:
 ううむ……ちょうど『GUILTY GEAR』を作っている最中でバタバタしていたんだと思います(笑)。実はこのゲームって、最初「電撃PlayStation」【※】の特集でその存在が報じられたんですが、そのときはこれっぽっちも制作が始まっていなかったんですよ。
 ちょうどその頃の話だったので、僕の出会いの記憶はピックパックができてから(笑)。

※電撃PlayStation
1994年にメディアワークスが創刊したゲーム雑誌。コアなゲーマーをターゲットにしており、他紙はあまり取り上げないゲームを積極的に編成に組み込むことや、読者コーナーが非常に充実していることでも有名。現在はKADOKAWAより月2回のペースで刊行されている。

森氏:
 やっぱり、道端に落ちてる石ころだったんだ!

石渡氏:
 いやいやいや(笑)。

――もしかして、森さんがアークに行かれたのは石渡さんの影響が大きいんでしょうか。

森氏:
 そうなんですよ! ソルを見て、石渡さんに憧れて……それなのに! 半年も同じ場所で働いてたのに!(泣)

石渡氏:
 それは嘘でしょ(笑)。

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森氏:
 ……バレちゃいましたね。単純にアルバイトの募集があったからでした(笑)。入ってから「そういえば石渡さんはアークの人だったな」と思い出した感じです。

石渡氏:
 僕がAMGの一期生でモリモリが二期生なんですが、当時は、そもそも受け入れ先がそんなに多くなかったんですよね。

感性を決定づけた青春の日々

――ここからは、お二人の作品に“統一感”を与えたという、ピックパックの環境について迫っていきたいです。20代の若者たちが立ち上げた会社と伺いましたが、当時はどんな雰囲気だったのでしょう?

石渡氏:
 まず、ピックパックの人間は、基本的に家に帰らないんですよ。みんな寝袋を持っていて、会社で寝泊まりしてましたね(笑)。

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森氏:
 とにかく家に帰らないやつらのたまり場でしたね。で、やたらと遊ぶのが大好き。晩飯を食べた後は、そこからゲーセンをはしごしていくんです。

――それは、やっぱり格闘ゲームなんですか?

石渡氏:
 格闘ゲームは、出たらとりあえず全員で触っていたと思います。『ストリートファイターZERO3』【※1】や『神凰拳』【※2】とか。

※1 ストリートファイターZERO3……1998年にリリース。カプコン制作大人気格闘ゲームシリーズ「ストリートファイター」の「ZERO」シリーズのナンバリング第3作目にあたる。のちに家庭用ハードにも移植されている。

※2 神凰拳……1996年にSNKより発売された3D格ゲー。キャラクターは、世界中の神話に登場する多種多様な神や悪魔がモチーフとなっている。1997年にはセガサターンに移植され、2011年にはWii版が配信された。

森氏:
 あとは『ストリートファイターIII 3rd STRIKE』【※1】や『餓狼 MARK OF THE WOLVES』【※2】をひたすらやってましたね。

※1 ストリートファイターIII 3rd STRIKE……1997年に登場した『ストリートファイターIII』の最終バージョンとして、1999年にカプコンからリリースされたアーケードゲーム。シリーズの続編となる『ストリートファイターIV』の登場まで、約9年もの期間が空いたこともあり、熱心なファンによって長くプレイが続けられていた。

※2 餓狼 MARK OF THE WOLVES……略称は「餓狼MOW」。1999年にSNKより発売された2D対戦型格闘ゲーム。1991年に初代が発売された「餓狼伝説」シリーズの一部。ファンたちの根強い支持によって、現在に至るまでさまざまなハードに移植されプレイされ続けている。

石渡氏:
 ……ただ、アーケードで一番ヤバかったのは、『ダービーオーナーズクラブ』です【※】

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※ダービーオーナーズクラブ……『DERBY OWNERS CLUB』。セガ(当時)より1999年がリリースした競走馬育成シミュレーションアーケードゲーム。磁気カードに情報を保存するシステムを採用したことで話題となった。プレイヤーは競走馬を育成し、対戦での勝利をめざす。
(画像はセガ・アーケードゲームヒストリーより)

森氏:
 あ、その話はダメです! めっちゃ反省してますから、話すのはやめときましょう!

――ぜひ聞かせてください(笑)。

石渡氏:
 僕らが初めて触ったカード式のアーケードゲームだったんですけど、これがあまりに面白すぎて、アホみたいに金が飛んでいったんですよ(笑)。

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森氏:
 それで俺が、石渡さんに金を借りてしまったという……。でも、返さない人もいたけど、俺は返したからね! もう、ザ・自転車操業でした。

石渡氏:
 で、ゲーセンで遊び終わったら、銭湯かPCゲームタイムが始まるんです。

――アーケードじゃ飽き足らず、PCゲームも(笑)。

森氏:
 『Diablo II』【※1】と『Operation Flashpoint:Cold War Crisis』【※2】はマジでヤバかったですね。

※1 Diablo II
米ブリザード社によるアクションRPG。大ヒット作の『Diablo』(1996年)の続編として、初代に改良を加え、2000年にリリースされた。完成度は非常に高く、現在でも古典的なMORPGとしてプレイされているほど高い評価を得ている。

※2 Operation Flashpoint:Cold War Crisis
チェコのBIS社開発によるWindows用のFPSゲームで、2001年に発売された。銃器の操作や人間の再現度が非常に高く、かつてないほどのリアリティのある戦闘ゲームとして人気を博した。

石渡氏:
 『Diablo II』に関しては難易度「ナイトメア」【※】でやってましたね。当時、世界的に人気で「ディアブロ倒産」という言葉まであったんです。あまりにハマってて、「そうならないように気を付けなきゃね」という話をしていたくらいです。

※ナイトメア
『Diablo II』では「ノーマル」「ナイトメア」「ヘル」の3段階のゲーム難易度が用意されている。「ノーマル」でスタートし、ゲームを一通りクリアすることで上位の難易度が開放される仕組み。だが、「ノーマル」でもすでにゲーム難易度は比較的高く、手練れでなければ「ナイトメア」以上のレベルでストーリーを進めるのには困難を極めた。

森氏:
 『Diablo II』で仕事をしなくなる現象、ありましたね(笑)。

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石渡氏:
 そうそう、アークに入社した翌日に僕に拉致られて、ピックパック出向になった新人がいたんですが、そのときたまたま『ウォークラフト』【※】が流行ってたので、彼に与えられるはずのスペックの良いPCを勝手に専用マシーンにしたりしてました(笑)。

※ウォークラフト
米ブリザード社によって発売されたリアルタイム・ストラテジー型のオンラインゲーム。ファンタジーの世界観のもと、人間やドワーフといった様々な種族が魔法を駆使して戦っていく。同型のシリーズとしてはこれまで3作発表され、世界中で空前絶後の大ヒットとなった。MMORPG型の『World of Warcraft(WoW)』も、「登録者数最多のMMORPG」としてギネスブックに記録されている。

――ひどすぎる(笑)。

森氏:
 本当ににみんなでなんでも遊んでたんですよ。『Wolfenstein』【※】とかもよくやってましたね。

※Wolfenstein
ここでは『Return to Castle Wolfenstein』が言及されている。id SoftwareのFPSシリーズ。1992年リリースの『Wolfenstein 3D』はFPSの始祖的存在で、3Dダンジョン化したナチスの要塞に主観視点で潜入し、現れる敵を撃ちまくる。森氏が言及している『Return to Castle Wolfenstein』は『Wolfenstein 3D』のリメイク作品。

石渡氏:
 そうそう、あと『バトルフィールド1942』【※】も。飛んでる飛行機の屋根に乗ったりしてました。

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※バトルフィールド1942……2002年に米エレクトロニック・アーツより発売されたFPSゲームで、「バトルフィールド」シリーズの第1作にあたる。第二次世界大戦の戦場を舞台にし、連合国軍と枢軸国軍の争いを再現している。追加データが豊富であり、さまざまな兵器が登場する。
(画像はAmazonより)

森氏:
 ただ、まれにみんなマイブームがずれてましたよね。石渡さんが『Age of Empires』【※】を一人で黙々とやってたり。

※Age of Empires
1997年にマイクロソフト社が発売したリアルタイムストラテジーゲーム。史実に基づいた石器時代から鉄器時代までの世界を舞台に、漢、エジプト、ギリシアなど合計12の文明をプレイすることができる。

――他に何か印象残っている作品はありますか?

森氏:
 ゲームじゃないんですが、石渡さんと二人でレンタルビデオ屋に行って、よくわからないB級ホラー映画を大量に見ましたね。

石渡氏:
 定番が「本当にあった呪いのビデオ」【※】で、新作が出るたびに「出たぞー!」ってみんなで騒いでいました。

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※本当にあった呪いのビデオ……1999年から続く心霊ドキュメンタリーシリーズ。一般投稿により寄せられた心霊映像集で、最新作『ほんとにあった!呪いのビデオ 75巻』は2017年12月に発売予定。
(画像はAmazonより)

 あとは『VERSUS』【※1】や『シックス・ストリング・サムライ』【※2】とかは、「すげえつまんないのにおもしれえ」って言ってやってましたね(笑)。そしてゲーム以外にもビリヤードとか、いろんなものに手を出していました。

※1 VERSUS
2001年公開の日本映画。北村龍平監督作品。囚人の主人公がゾンビ・ヤクザ・刑事を巻き込んだ血みどろの激闘のさまが描かれるB級アクション。3000万円という低予算で製作されたが、国内外の映画祭で受賞するなど高い評価を得た。ジャン=リュック・ゴダールも本作を気に入ったとして、『アワー・ミュージック』の中で引用している。

※2 シックス・ストリング・サムライ
1998年公開のアメリカ映画。ギターと剣を手に楽園を目指して旅を続ける男のさまを描いたB級SFアクション映画。ロックンロール、チャンバラ、ウエスタンといったさまざまな要素が詰め込まれている。

――ヴェノム【※】もそうやって生まれたんですね。『GUILTY GEAR』の個性的なキャラの存在も、ピックパックの環境の影響を無視できない気がしてきました。……それにしても、話を聞けば聞くほどずっと遊んでいたように見受けられます(笑)。

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※ヴェノム(左:『GUILTY GEAR XX ΛCORE PLUS』、右:『GUILTY GEAR Xrd REV 2』)……アサシン組織のリーダーという立場だが、穏やかで、隠し事ができない素直な性格。ビリヤードを武器として使用する独特の格闘スタイルを持っており、比較的テクニカルなキャラクターである。初登場作品は『GUILTY GEAR X』。

石渡氏:
 もう、遊び終わったら仕事に戻るか寝るかみたいな毎日でしたよ。だから寝るのがみんな遅いんですよ。モリモリとかは寝坊助さんなので、昼の2時ぐらいまで寝てましたし。

森氏:
 今考えたら酷いですよね(笑)。
 でも、この環境の何が良かったって、みんなで一緒に同じものを見ていたんですよ。会社って今だと、モノを作るときは一緒ですけど、仕事が終わったらバラバラじゃないですか。でも当時の僕らは、29インチのちっこいTVを前にして、アニメや映画を見るときも一緒だったんです。漫画とかも回し読みしていましたしね。

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 つまり、感性やセンスの共有がなされていたんですね。もちろんすごく閉鎖された環境だったし、臭いがヤバかったりしましたけど(笑)。
 ただ、僕らはそれを8年間続けたんです。一番吸収できて一番動けた20代をそこで過ごせたのは大きかったですね。

石渡氏:
 僕も本当にそう思います。単純に、楽しかったですしね。

森氏:
 あの環境があったからこそ、今の僕があると思います。当時は石渡さんがぐいぐい引っ張って行ってくれていたので、技術の面でも多くの学びがありました。

――感性やセンスの共有がピックパックで行われた結果が、今の『GUILTY GEAR』と『BLAZBLUE』に繋がっているわけですね。

森氏:
 そうですね。石渡さんなんか、もうどっちの社員なんだって感じでしたよ。

石渡氏:
 アークに戻るたびに知らない社員がいましたからね(笑)。

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