そして『GUILTYGEAR』開発秘話へ…
――そんなピックパックでの『GUILTYGEAR』開発秘話などあればお聞かせください。
森氏:
ブリジット【※】を作っていたときに関しては、石渡さんに対して言いたいことが山ほどありますね!!(笑)。
その時に作っていたのは、スレイヤー、イノ、ザッパ、そしてブリジットだったんですが、他の3キャラクターは分かりやすかったんですよ。でもブリジットは……。
――男の娘で、武器がヨーヨーですしね(笑)。
森氏:
方向性は分かっていて、自分の実力不足でそれが描けないって場合は耐えられたんですよ。それで、10何回リテイクされたときもありましたけどね。でも、ブリジットに関しては、何をすればいいのかすら分からなかったんです! もう、描いても描いても……という状況でした。
石渡氏:
僕がちゃんと指針を示せてなかったから、みんな自由に発想しちゃって、結果的に迷走していたんです。特にキクチ君のコンテはすごかったよね。
森氏:
キクチはヤバかったですね……。あいつが背景を描くと、必ずう○こが入るんですよ(笑)。
――えええ(笑)、なんでなのでしょう?
石渡氏:
思考がアーティスティック過ぎたんですね。とにかく出すアイデアがヤバくて、彼が最初に持ってきたブリジットの覚醒必殺技【※】のコンテは、ロジャーの腹にジャンボジェット機が刺さっているというもので……「これは、一体なんなの?」って感じでした(笑)。
※覚醒必殺技
テンションゲージと呼ばれるゲージを50%消費して発動する技。通常の必殺技よりも強力で、1キャラクターにつき複数用意されている。今回話題に出ているのは、ブリジットの覚醒必殺技「俺とキルマシーン」のこと。この技では、ヨーヨーが熊のぬいぐるみ「ロジャー」に変化し、相手を攻撃する。
森氏:
本当に、あのときは作ってて辛かったですよ(苦笑)。
――ちなみに、他にも、ものを作る上での対立はありましたか?
石渡氏:
そのときの僕はドット至上義者だったんですが、ザッパ【※】の幽霊とかはモリモリが3Dで作りましたね。モリモリは、とにかく3Dを使おうとするんですよ。
森氏:
それは、モーションを量産するときに、原動画を作るのがとにかく大変だったからです。描く人間が違うんで、大きさや動きがまちまちな原動画が上がってくるんですが、それを全部修正すると時間がかかった。
原画屋さんにリテイクを出すんですが、リテイクを出し過ぎて「アークの仕事は受けん!」と言われてしまい(笑)。その対策として、3Dを個人的に使っていたんです。
石渡氏:
背景を3Dにするという話もあったよね。結局、技術が理想に追いつかなくて2Dになったんですが、試み自体は既にあの頃からあったんです。
森氏:
本音を言うと、当時の表現だとドットぽい表現がしにくいのと、どうしても頂点数に限界があるので、もうちょっと頑張っていればできたかな……とは思います。まあ、あのときは一人が抱えている仕事の量がヤバかったので難しかった。
ただ、このときの経験が『BLAZBLUE』の3D技術【※】に繋がっていくんですよ。
森Pアーク移籍後の苦渋
――いよいよ、森さんが『BLAZBLUE』【※】を立ち上げる話までやってきました。まずは、森さんにとってアーク移籍はどういうものだったのか、聞いてもよろしいでしょうか?
森氏:
僕のアーク移籍は30歳のときですね。『GUILTY GEAR XX #RELOAD』【※】の開発が終わった後で、石渡さんはアークに戻り、僕はピックパックで、少年誌で連載していた怪奇時代劇漫画原作のゲームを外注として作っていたんですね。でも、その後、受けてはいけない仕事を受けてしまったことで……社内の空気が一気に悪くなったんですよ。
――なるほど。
森氏:
そんな折に鈴木君がアークに行くことになって、僕も石渡さんに誘われたので、加藤さんや村松くんを引き連れて2003年に移籍することにしたんです。
石渡氏:
その頃、僕は『GUILTY GEAR 2 -OVERTURE-』【※】の開発に着手していたんです。
森氏:
だから、てっきり「石渡さんの手伝いをするんだな」と思っていたんです。でも、『GUILTY GEAR ISUKA』【※】を手伝うことになり、いきなり大量の仕事を振られたんです。もう当時は「失敗したかな」って思いましたよ(笑)。
――具体的には、どのような仕事が振られたのでしょうか?
石渡氏:
アバ【※】とかだよね。もともと、アバは二刀流のキャラクターという設定/デザインだったのですが、結果的にああいう風になりました。
森氏:
そうですね。石渡さんには「宮本武蔵みたいな二刀流のキャラクターで、短い剣と長い剣を切り替えて戦います」とコンセプトを伝えたんですが……。まあ、一応合っているんですけどね(笑)。
石渡氏:
まあ、とにかく、モリモリはそこからずっと『GUILTY GEAR』を作っていたよね。
森氏:
『ISUKA』が終わって、ようやく石渡さんの手伝いをできるのかなと思ったら、「もう一回『GUILTY GEAR』を作れ、今ある企画を何とかしろ」と社長から呼び出されまして……。これ、石渡さんも知らないと思うんですけど、当初の企画はマジでヤバかったんですよ。
石渡氏:
そうだったの(笑)?
森氏:
その企画というのが、ロボカイ【※】1号、ロボカイ2号、ロボカイ3号……って、ロボカイばっかり出るギルティで(笑)。その企画書を見て「これは……ヤバイですよ」って言ったら、偉い人に「生意気だ!」と怒られまして。
――それはヤバいですね(笑)。
森氏:
でも、うちって「手をあげた人間がやる」という風潮がありまして。言った手前、その理由を説明しているうちに「じゃお前が作れ」ということになって(笑)。それで作ったのが『GUILTY GEAR XX / -SLASH-』でした。
そして『BLAZBLUE』が誕生した
――その後『GUILTY GEAR 2 OVERTURE』が発売されるわけですが、そこからなぜ『BLAZBLUE』が誕生したのでしょうか――という話は、色んなメディアさんで語られている【※】と思うので、森さんとしては、ぶっちゃけ、当時どんな心境だったのでしょうか?
森氏:
ぶっちゃけ、石渡さんが格闘ゲームを作らなくなったからですね。
石渡氏:
当時は格闘ゲームを作る意欲がなかったんですよ……。
森氏:
そして、石渡さん抜きでこれ以上『GUILTY GEAR』を作り続けるは難しい状況だった。それで、自分が良いと思う要素を詰め込んだゲームを作ることにしたんです。
ただ、どうしても音楽に関しては石渡さんにお願いしたくて説得しに行ったんですが、最初は断られてしまい……。
石渡氏:
覚えてるよ(笑)。ファミレスでやりとりしたよね。でも、自分には音楽の引き出しがないと思っていたから、『GUILTY GEAR』と住み分けができないと思って最初は断ったんです。
最終的には、「いいからやって!」みたいな感じになって、引き受けましたけど(笑)。
――そこから『BLAZBLUE』は日本の格闘ゲームを代表するタイトルに成長するわけですね。それを見た石渡さん的には、どのような心境だったのでしょうか。
石渡氏:
そもそも、モリモリから『BLAZBLUE』の話を聞いたときは「はぁ?」って思いました(笑)。当時から、彼は『BLAZBLUE』のことを総合エンターテイメント、つまりコンテンツだと言ってたんですが、僕からすれば「何がコンテンツだ! 格闘ゲームはツールであるべきだ!」と思っていたんですよ。
ところが、『GUILTY GEAR 2』のセールス不調と『BLAZBLUE』の成功を見て――その考えは、改めざるを得なかった。『GUILTY GEAR 2』はとにかく“自分が最高に面白いと思うツール”として開発したんです。ところが、それについて来てくれるユーザーさんが少なくて、もはやツールとして機能していなかった……。
一方、『BLAZBLUE』はコンテンツとして評価され、それがユーザーを集めていった。その結果、コンテンツでありながら、しっかりとツールとしても機能するタイトルになったんです。
――『BLAZBLUE』がうまかったのは、まさにそこでしたよね。格闘ゲームにおける対戦要素――つまりツールの部分を触らなくても、コンテンツとして楽しめるようになっている。
石渡氏:
それだけじゃないんです。ストーリーに関しても、格闘ゲームにおける“ストーリーの美学”って、僕は「多くを語らないこと」だと思ってたんですよ。格闘ゲームはツールなので、多くを語る必要はない――いや、語っちゃいけないと。
しかし、『BLAZBLUE』はあの大ボリュームのストーリーがウケたわけですよ。「ああ……モリモリは正しかったんだ」って思いましたね。今となっては、格闘ゲームはツールである前に、ユーザーさんに楽しんでもらえるコンテンツであるべきだと思っています。
――だから、石渡さんが7年の沈黙を経て手がけたシリーズ最新作の『GUILTY GEAR Xrd -SIGN-』【※】では、しっかりとストーリーが描かれ、様々なコンテンツが楽しめるんですね。
石渡氏:
先ほども言ったように、当時の僕は、格闘ゲームを作る意欲はなかったんです。だからこそ『GUILTY GEAR 2』を作ったんですが、これが失敗してしまったので、そんなことも言ってられなくなったんですね。
とはいえ、何をどう作るべきか――というのはすごく悩みました。というのも、僕は『BLAZBLUE』を見て、僕らが追い求めていた2Dドットの格闘ゲームは、あれで完成したなと思ったんです。
そんなとき、あるスタッフが個人的に3DCGを研究していて、それを見せてもらったんです。それがとにかくすごくて……ビビッときました。ドット至上主義だった僕がそこに活路を見出すのもおかしな話なんですが――でも「これならいける」と思ったんです。
――『GUILTY GEAR』があったから『BLAZBLUE』が生まれ、そして『BLAZBLUE』があったから『GUILTY GEAR』は見事復活【※】し、再び高い評価を得るに至った――今日の話を通じて、お二人の長きに渡る関係性が、アークの2大タイトルを共に作り上げていったことが非常によくわかりました。
※GUILTY GEARの復活
『GUILTY GEAR 2』以降、同シリーズは長年沈黙を保っていたが、2013年に開催された「ARC SYSTEM WORKS FESTIVAL(あーくふぇす)」にて、現行の最新シリーズの第一作『GUILTY GEAR Xrd -SIGN-』が電撃発表された。従来の『GUILTY GEAR』は2Dであったが、会場のスクリーンに映し出されていたそれは、3Dへ完全移行した全く新しい『GUILTY GEAR』だった。特にシリーズ伝統の手描きアニメーションを3Dで再現する手法は大きな話題にとなり、歴史あるシリーズゆえの安心感と、今までにない目新しさが相まったビジュアルは、永い沈黙を打ち破るに相応しいインパクトをもたらした。なお、2017年には現行の最新シリーズの第三作『GUILTY GEAR Xrd REV 2』がリリースされた。
e-Sportsとプロゲーマーの今後
――さて、ここまでは過去の話でしたが、未来のお話も伺っていきたく思います。まずは、「EVO 2017」について、お二人の目にはどのように映りましたか?
森氏:
日本人が上位を独占していたのは、「なんとかしなきゃ」と思いましたね。
そう言うと、勝ち上がってきた方々に失礼ですけど、世界大会であれだけ日本人ばかりだと「日本でやれば」ということになりますよね。
本当は、日本人が二人ぐらいでちょうどいいと思うんです。これは、日本国内に限定したアーケード先行などの我々のリリース体制などに問題があったと思っていまして……反省しています。ただ、それを別にすると、もっとメジャーになりたいと思いましたね(笑)。
――石渡さんはどうでしょう?
石渡氏:
今までは海外パートナー経由で出展していたんですが、今回はアーク自社でブースを出展して、多くの方に来ていただきました。格闘ゲーム業界の著名な方々にもお越しいただいて、放送を行ったりもして……。
あと、非公式ですけど主催者の方から「ベストブース賞」というアワードもいただいたんですよ。
――ちなみに、自社タイトル以外で注目のタイトルや出来事はありましたか?
森氏:
今年に限った話じゃないですが、やはり「大乱闘スマッシュブラザーズ」【※1】の盛り上がりはすごかったですね。
「ゲームパッド(コントローラー)であんなに盛り上がるんだ!」と思いました。やっぱりアケコン【※2】って高いですし、海外だと周辺機器として敷居が高い。それに比べて、「スマブラ」の選手のグローバルな感じを見ると、やっぱりパッドっていいなと思いました。
※1 大乱闘スマッシュブラザーズ
HAL研究所が開発し、任天堂が発売した対戦型アクションゲームのシリーズ名。任天堂が発売したコンピュータゲームシリーズの代表的な人気キャラクターが一堂に会し戦う。「スマブラ」の愛称で親しまれる国民的ゲーム。
――コントローラーの問題ですね。アークの格闘ゲームは、いわゆるコンボゲーのイメージがあるので、森さんがそう思われるのはなんだか意外です。
森氏:
実は「EVO 2017」で発表させていただいた『BLAZBLUE CROSS TAG BATTLE』【※1】は、グローバルに受け入れられることを意識しました。ゲームパッドでの操作を重視したことに加え、海外作品である『RWBY』【※2】に参加させていただいたりしています。
※2 RWBY
米ルースター・ティース・プロダクションが手がけるWEBアニメシリーズのこと。2013年の第1作目の公開以降、現在に至るまでシリーズ4まで制作されている。日本でもDVD/BDが発売されているほか、映画館での上映イベント、さらにはテレビ放映までなされた。
――ちなみに、日本のe-Sportsシーンや、プロゲーマーの現状についてはどうお考えですか?
森氏:
なにより思っているのが、まずプロゲーマー協会を作るべきなんですよ。今って「プロになります!」と手をあげて、そこにスポンサーがついてプロになるじゃないですか。でも、それでいいのかと思うんですね。
僕は、プロゲーマーはみんなの憧れである必要があると思ってます。サッカーとか野球のプロみたいにね。だから、誰かが手をあげてそうした活動をやらなきゃいけない……ウメハラくん【※】とかね(笑)!
というのも、そうした協会は中立であるべきで、我々メーカーとしてはなかなか手をあげにくいんです。もしできたら、我々は全力で協力したいんですが……。
※ウメハラくん
梅原大吾。“ウメハラ”、 “The Beast”の愛称で、日本はもちろん海外にも広くその名を知られる格闘ゲーマー。日本やアメリカのゲーム大会で、1990年代から数々の優勝を飾ってきた。2010年に、対戦格闘ゲームのジャンルでは日本初のプロゲーマーとなり、現在も第一線で活躍中。
石渡氏:
やっぱり、今以上にプロゲーマーの社会的地位や名誉をあげる必要がありますよね。そのためにはちゃんと儲かることも大切で、プレイヤーに賞金を出す仕組みをつくるのが重要だと思っています。日本だと、そこが法律的に難しいのですが……。
『GUILTY GEAR』『BLAZBLUE』コラボの可能性も!?
――では最後に、お二人の今後について伺えればと思います。
石渡氏:
僕は『GUILTY GEAR Xrd REV 2』がリリースされたばかりなので、パッと答えられる言葉がないのですが、とりあえず『GUILTY GEAR』のストーリーを畳もうとは思っています。
そしてそれをやり終えたあとに、一度リセットしたいですね。
森氏:
やっぱり、クリエイターには息抜きが必要ですよね。『ファイブスター物語』【※】とかみると、こんなに自由でいいんだって思いますね(笑)。
……それはさておき、僕の方では、今はコンボゲームではない、差し合いの格闘ゲームを作ってみたいと考えています。
※ファイブスター物語
永野護氏による漫画。1986年より角川書店発行の『月刊ニュータイプ』の看板連載作品(直近では9年の長期休載を経て、2013年5月より連載再開)。人工生命体の登場する戦闘漫画。
――また、お二人で一緒にゲームを作る可能性はないのでしょうか?
森氏:
いやー、絶対に喧嘩するから、やらない方がいいですね(笑)。
石渡氏:
二人とも作りたいものがあるので、あえてタッグを組む必要はないと思っています。でも、「もし」って話なら……やっぱり『GUILTY GEAR』vs『BLAZBLUE』(以下、GGBB)なのかな。
森氏:
僕がプロデューサーで石渡さんがディレクターとか……いや、ダメだな(笑)。もし作るなら、僕らは監修という立場になって、誰か信用できる人に任せた方がいいですね。
石渡氏:
……あっ、でもね、モリモリが作る『GGBB』は見てみたいな!
森氏:
ああ! それを言ったら、僕も石渡さんが作る『GGBB』は見たいですよ!
石渡氏:
じゃあ、『ポケモン金・銀』みたいに2バージョンにしよっか(笑)。 石渡エディションと森エディションみたいな。
――もし実現したら両方買っちゃいます(笑)。本日はありがとうございました。(了)
今回は、今だからこそ語れる内容を話してもらったが、そこからは運命的なものを感じた。森氏は冗談交じりに「ピックパックは騙されて立ち上げた」と言っていたが、そういった出来事があったからこそ、今の『GUILTY GEAR』があるのは間違いない。
そして森氏はそんなピックパックという環境で石渡氏に触れ、技術、感性、センスを吸収。同社での経験なくして『BLAZBLUE』のヒットはなかったはずだ。
興味深いのは、そんな森氏が今度は石渡氏に影響を与え、その結果『GUILTY GEAR』が復活したことだ。実のところ、二人の出会いは奇跡的なものであり、クリエイターとしての人生、そして格闘ゲームの行く末を左右することになるほどの出会いだったように思える。
また、この場をかりて、そんな彼らが育ててきた次の世代が早くも根を出しつつあることもお伝えしておきたい。『BLAZBLUE』の最新作『BLAZBLUE CROSS TAG BATTLE』は森氏も当然関わっているが、現場では若いクリエイターたちが活躍している。
『GUILTY GEAR』の方面でも、『GUILTY GEAR Xrd』で培った3D技術を駆使し、バンダイナムコエンターテインメント社から発売される『DRAGON BALL FighterZ』を開発中だ。石渡氏は関わっていないが、『GUILTY GEAR Xrd』を手掛けてきたクリエイターが多く参加している。
石渡氏と森氏の新作は今後もリリースされていくはずだが、アークシステムワークスの次世代クリエイターたちの作品、そして格闘ゲームの未来にも注目していきたい。
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