ゲーム保存協会というNPOをご存知だろうか?
1970~80年代の古いデジタルゲームを文化財として保存することを目的に、ゲームソフトやハードを収集修復するだけでなく、雑誌書籍や周辺資料などの保存活動をしている団体だ。フロッピーディスクやカセットテープなど、ゲームソフトを都内の本部アーカイブ室だけで約1万2000本保有している。最近では日本ファルコムから、1980年代に社内で活躍したユーザーサポート用フロッピーディスクのストック一式を寄贈されたことでも話題になった。
日本ファルコム株式会社さまから、ゲーム保存協会に資料寄贈いただきました。大切な歴史をしっかり引き継ぎアーカイブ室で長期保存します。夏にはアーカイブ室一般公開もはじめる予定ですが、ご寄贈いただいたファルコム様ありがとうございます!https://t.co/EemqTV1pRP pic.twitter.com/mEKgAjXb65
— ゲーム保存協会 💾 GPS (@gamepres) May 7, 2017
この協会を立ちあげたのは、幼少期に日本のゲームに魅了され、ゲーム好きが高じてフランスから海を渡ったルドン・ジョゼフ氏(@odilon_japon)。自ら「ゲームを追いかけ遥々海を渡った欧州某国の没落貴族です」と自己紹介する、謎に包まれた異色のゲームマニアだ。
そんなゲーム保存協会が、今年11月に、ついにその貴重で膨大なゲームアーカイブの一般公開を始めるとのこと。一体どんなものになるのだろうか?
今回電ファミでは、「やる夫と学ぶゲームが変えた日本語」を連載しレトロゲーム愛好家でもあるタイニーP氏(@Kenzoo6601)を聞き手に迎え、理事長のルドン・ジョゼフ氏のゲーム保管庫に突撃取材を敢行。その圧倒的なアーカイブを実際に見せてもらった。そしてゲーム保存活動への熱い思いや、アーカイブ公開への意気込み、そして謎に包まれたルドン氏の壮大な人生物語にまで話は広がった。
聞き手/タイニーP、透明ランナー
文/透明ランナー
写真/佐々木秀二
ゲーム保存協会とは?
――今日はゲーム保存協会理事長のルドン・ジョゼフさんのご自宅と、そのゲームの保管庫にお邪魔しています。まず最初に、ゲーム保存協会がどんなNPOか紹介していただけますか?
ルドン・ジョゼフ氏(以下、ルドン氏):
ゲーム保存協会は、1980年代のPCゲームを中心に、あらゆるレトロゲームの保存活動に力を注いでいるNPOです。ゲームを世界中で親しまれている文化財としてとらえ、ゲーム文化を未来に伝えるためのアーカイブ活動を行っています。
ゲームソフトやハードを収集・修復するだけでなく、雑誌書籍や周辺資料など、ゲームの歴史を研究するための資料の保存活動をしています。また、劣化が進んだフロッピーディスクやカセットテープなどから、ゲームの情報をデジタル化して保存する取り組みもしています。
――どのくらいのゲームを収集しているんですか?
ルドン氏:
デジタルゲーム(パソコン、コンシューマー、アーケード)を中心に、この本部アーカイブ室だけで1万2000本ほど保管しています。ここにあるものは、365日20度以下・湿度60%以下を保つよう、保管庫で空調を管理しているんです。団体としてはこの他に埼玉と愛知にあと2つ大きなコレクションがあり、ゲームだけなら4万点弱、関連資料まで入れたら約9万点になります。
――空調のレベルで厳密に保管……すごい徹底ぶりですね。ちなみに今日は、電ファミで連載を持ち、レトロゲーム愛好家でもあるタイニーPさんにも聞き手としてお越しいただいてます。タイニーPさんはゲーム保存協会のサポーターでもあるんですよね?
タイニーP:
はい、私もゲーム愛好家として理念に共感し、年会費を払ってわずかながら活動に協力させていただいています。
――おふたりは以前から交流はあるんですか?
タイニーP:
電ファミの「やる夫と学ぶ「経験値」という言葉の変遷」を書いているときに、『ザ・ブラックオニキス』【※】でこの言葉が使われていたかどうかを確かめる必要がありました。そこで、ルドンさんにこのゲームのマニュアルを所有しているか問い合わせて、見せていただきました。
【徹底検証】ドラクエのせいで日本語が変わったってホント? やる夫と学ぶ「経験値」という言葉の変遷
※ザ・ブラックオニキス
BPSが発売した、国産RPGのはしり。PC-8801から、さまざまなパソコン用に移植された。
ルドン氏:
同じタイトルでも版によってマニュアルが違うので、一番古いPC-88版をお見せしましたよね。
――記事の最後に、ルドンさんへの謝辞が載っていたのはそういうわけだったんですね。
タイニーP:
あと、ナムコの『ディグダグ』【※1】のPC-6601【※2】への移植版、電波新聞社が発売していたものですね、そのフロッピーディスクを持っていたんですが、残念ながらうまく保管できなくてカビちゃったことがあって。そこでカビ取りとデータの保存をルドンさんにお願いしたことがあります。
※1 ディグダグ
1982年にナムコが発売したアーケードゲーム。「戦略的穴掘りゲーム」をキャッチコピーに、主人公ディグダグが銛を操って敵を倒していく。後にさまざまなハード向けに移植版が発売された。
※2 PC-6601
1983年11月21日に発売された8bitパソコン。音声合成機能が搭載されている。通称「ろくろく」。
ルドン氏:
もう4、5年前ですよね。よく覚えてます。あれカビ結構ひどかったですね(笑)。
タイニーP:
すいません(笑)。普通の家だと保管は限界があって……。でも、最終的に間違いなく全データを吸い出せたんですよね。あのときはありがとうございました。
1万2000本の宝の山を見にいく
――ルドンさんは1万2000本と膨大なゲームの数々を、一体どのように管理しているのでしょう?
ルドン氏:
こんな感じのデータベースになっています。
たとえば「エニックス」といった単語で検索すると、エニックスのゲームがずらっと表示されます。一覧を見ると、たとえばPC-6001用の『ポートピア連続殺人事件』【※】のカセットテープはバージョンを2つ保管している、などの情報がわかるんです。このリストから保管番号を調べてメモし、保管庫から探し出してくる、という手順になります。
※ポートピア連続殺人事件
堀井雄二氏の手がけたアドベンチャーゲーム。1983年にエニックス(当時)よりPC版が発売され、1985年にはファミコン版が発売された。主人公の刑事は、相棒のヤスとともにある殺人事件の解決に奔走する。
タイニーP:
おお、このデータベースは宝の山ですね!
――タイニーPさん、何か興味のあるタイトルはありますか?
タイニーP:
そうですねえ、PC-6001用のフロッピーディスクのソフトはどういうものがありますか?……おお、マイクロキャビンの『ザ・スパイ』【※】があるんですね。
※ザ・スパイ
1983年発売。PC-6000シリーズ向けの、屋内探索型のアドベンチャーゲーム。主人公はスパイとなり、ライバル企業に奪われた機密情報の奪還をめざす。
ルドン氏:
『ザ・スパイ』ですね。5インチディスク版を保有しています。
タイニーP:
これは相当レアですね。レアすぎてこのレアさが分かる人がどれだけいるのかというくらいレアです(笑)。
――このソフト、実際に見せてもらうことは可能ですか?
ルドン氏:
もちろんです。それではさっそく保管庫のほうに移動しましょう。
マニア大興奮『ザ・スパイ』発見
ルドン氏:
ここに1万2000本のゲームが収納されています。
こちらが3.5インチディスク、そして一番奥にカセットテープ。一番多いのがここの5インチディスクです。
――すごい。かなり細かく番号が振られて整理されているんですね。
ルドン氏:
……あった、ありました。これが『ザ・スパイ』です。
タイニーP:
おぉ~! いやぁ、初めて見ました。感動です。保存状態が良くてカビもないですね。
――ちなみにこれはどんなゲームなんですか?
ルドン氏:
マイクロキャビンのゲームなので、『ミステリーハウス』【※】あたりに近い感じのアドベンチャーゲームじゃないでしょうか。私もプレイしたことはないですが。
それではマニュアルも出してきましょうか。紙とフロッピーでは保存の仕方もまったく異なりますから、マニュアルはゲームと別にして保存しているんです。番号は2825……あったあった。ここですね。
※ミステリーハウス
1982年にマイクロキャビンより発売。謎の館のなかに隠されたお宝を探し当てるアドベンチャーゲーム。
タイニーP:
おお、これが『ザ・スパイ』のマニュアルですか。おそらく手作りですね。綺麗な紙をそのあたりの文房具店で買って、社内でワープロ専用機で印刷してそのまま同梱したんでしょうか。
――だいぶレトロな雰囲気が出てますね(笑)。つまり出荷本数もそれだけ少なかったということですね。
ルドン氏:
マイクロキャビンは会社としてこのあたりのソフトは保管していると思いますが、保存状態は分かりません。もし「リメイクしたいので完品はありますか」という公式からの問い合わせが来たら、これは貴重な資料になると思います。
――もしかしたら「もうここにしか残ってない」ということにもなり得るわけですね。それにしてもこんなレアなタイトル、一体どうやって手に入れたんですか?
ルドン氏:
手に入れたのは今年の1月です。『ザ・スパイ』は昔から探しているもののリストの中に入っていて、中古ショップに「このリストのゲームがあったら高く買い取りますよ」という情報を出していたんです。それで情報が回ってきて、すぐに交渉して手に入れました。正確な金額は覚えていないんですが。結構レアなソフトなので、おそらく4~5万くらいで買い取ったと思います。
――なるほど……。先に誰かに買われないように、常に情報網を張っているんですね。
他にもあるマニアックなパッケージたち
ルドン氏:
パッケージもケースから取り出して、ゲームとは別に中性紙のファイルに入れて保存しています。ぜひご覧になってください。
タイニーP:
あっ、『試験に出るうる星やつら』【※1】! これはレアですね。パッケージは初めて見ました。
これは日本ファルコムの初作品である『ギャラクティック・ウォーズ1』【※2】ですね! このラインナップはすごいですよ!
※1 試験に出るうる星やつら
1986年にキティエンタープライズより発売されたクイズゲーム。同作品の作品にまつわるクイズが次々と出題されていく。
――タイニーPさん、落ち着いて(笑)。
タイニーP:
こっちはスクウェアの初作品『ザ・デストラップ』【※】だ!
※ザ・デストラップ
1984年にスクウェア(当時)が発売したアドベンチャーゲーム。スクウェア社の一作目にあたり、のちに「ファイナルファンタジー」シリーズを開発する坂口博信氏がシナリオを手がけた。敵国に誘拐された科学者を救い出すハードボイルドスパイアクション。
ルドン氏:
これは再販なので新しい方ですね。古い方の『ザ・デストラップ』は去年「TAKERU」の30周年イベント【※】で展示しました。バージョンがPC-88、PC-98、FM-7とあって、それぞれ違うんですよ。
※TAKERUの30周年イベント
「いま蘇る ソフトベンダーTAKERU伝説 ~レトロPCゲームと語る30周年~」という2016年に開催されたイベント。ブラザー工業のソフト自販機である「ソフトベンダーTAKERU」の30周年を記念して開催され、さまざまなトークショーに加え、当時のレトロPCゲームが展示された。
タイニーP:
いやあ、すごいなあ。ファイルをめくってゲームのパッケージを眺めているだけで、何時間でも潰せますね(笑)。
――こんな感じでゲーム名を検索して、ゲーム本体、パッケージ、マニュアルなどを保管庫からそれぞれ探しに行くという感じなんですね。
ルドン氏:
その通りです。そしてこのデータベースですが、11月には一般公開して、みなさんでも検索できるようにしたいと思っています。
――マニアからの問い合わせが殺到しそうですね(笑)。
ルドン氏人生譚1〜PCエンジンとの出会い
――それにしてもルドンさんって一体何者なんですか? 日本のゲームにお詳しい上に、日本語もかなりペラペラ。Twitterのプロフィールには「ゲームを追いかけ遥々海を渡った欧州某国の没落貴族」と書かれていて……いったいどんな人生を送った末にゲームの保存に取り組むようになったのか、とても気になります。
ルドン氏:
まあ、没落貴族はジョークなんですが(笑)。
……長い話になりますが、いいですか? 私は水でおなじみのフランス・エヴィアン生まれです。6人兄妹の末っ子で、3人の兄が持っていたゲーム機やコンピューター、コモドール64【※1】、Atari VCS【※2】、CBSコレコビジョン【※3】などに囲まれて育ちました。
※1 コモドール64
1982年にコモドール社が発売したホームコンピュータ。いわゆるアタリショック(1983年とされる)で壊滅した北米ゲーム市場と入れ替わる形でホームコンピュータ市場が隆盛し、その中にあってこのコモドール64が、1985年の北米版ファミコン(NES)の登場まで市場を制したマシンとなった。
※2 Atari VCS
1977年に米アタリ社から発売されたテレビゲーム機で、後に「Atari 2600」と改称された。カートリッジ式を導入した初期のテレビゲーム機のひとつで、特にアメリカでは『スペースインベーダー』の移植版が大きな話題を呼んだ。初めて本体発売元以外の企業からもソフトが発売されたテレビゲーム機で、いわゆるアタリショックまでは圧倒的な人気を誇った。(8月23日 15:20修正)
※3 CBSコレコビジョン
1982年に米コレコ社より発売された家庭用テレビゲーム機「
――小さい頃からゲームに囲まれていたのですね。
ルドン氏:
そして14歳になった1990年に衝撃を受けたのが、日本からの輸入品として売られていたPCエンジンとの出会いでした。PCエンジンは本当に衝撃でしたよ。アーケードと同じようなゲームが、Amiga【※1】より高いクオリティでプレイできる! HuCARD(ヒューカード)【※2】ってすごいじゃん! と。そうして父を説得して、輸入されたばかりのPCエンジンスーパーグラフィックスを買ってもらったんです。
それで、『大魔界村』【※3】、『魔動王グランゾート』【※4】、『プロテニス ワールドコート』なんかをプレイしていました。
※1 Amiga
1985年に米コモドールより発売されたパーソナルコンピューター。高いグラフィック機能を誇り、当時としては3DCGを扱うことのできる数少ないハードであったため、発売から90年代初頭にかけて数多くの同機に対応するゲームが発売された。
※3 大魔界村
1988年にカプコンが開発、稼働したアーケード用のアクションゲーム。「魔界村シリーズ」の2作目。ここでは1990年に日本で発売されたPCエンジンスーパーグラフィックス版のことを指す。
※4 魔動王グランゾート
1990年発売のPCエンジンスーパーグラフィックス用横スクロールアクション。1989年から1990年まで放送されていたサンライズ制作のロボットアニメを原作とする。
――でもルドンさんって当時学生ですよね。そんなにたくさんのソフト、どうやって買ったんですか?
ルドン氏:
確かに当時のゲームは高かったです。1本500フラン、現在の1~2万円くらい。そもそもPCエンジンのソフトを売ってるショップがフランスではものすごく少なかったんですね。
なので、誕生日になったらいろんな人に「プレゼントいらないから現金ちょうだい」と言って回って、お金が集まったらパリまで電車に3時間半乗ってひとりで買いに行き、また地元に戻るという生活をしていました。なので、年間10本くらいしか自分では買えなかったのです……。
――いや、子供にしてはけっこう多いのでは(笑)。
ルドン氏:
そうしてPCエンジンにどっぷりはまって、「PC Engine FAN」を聖書のように毎日学校に持ち歩いていました。掲載されているゲームリストを見ながら「PCエンジンのゲームはこんなにあるんだ、フランスでは発売されていないけど、生きてる間にプレイしたいなあ」と夢見ていたんです。
――着々と、ゲームオタクとしての道を歩み始めていったんですね(笑)。
ルドン氏人生譚2〜日本語もゲームで習得
――そうしてゲーム好きが高じて日本にやってきたと思うのですが、そもそも日本語はどこで覚えられたのでしょう?
ルドン氏:
それもゲームがきっかけですね。先程も言いましたが、当時『プロテニス ワールドコート』にハマっていたんですね。ただ、全部日本語で書いてあるし、セーブするにはひらがなのパスワードをメモする必要があって……そこで「これは日本語を真剣に勉強しないとダメだ」と思ったんです。
――パスワードはちゃんとメモらないと死活問題ですからね(笑)。
ルドン氏:
でも、当時のフランスには日本語を勉強する本なんてほとんどありませんでした。そこで、なんとかパリで日本人向けの本屋さんを探したのですが、語学の教科書はなかったので和仏辞典を買いました。
――えええ、いきなり辞典を購入ですか!?
ルドン氏:
ええ。私にとっての日本語は、初めは文字じゃなくてただの絵だったんですね。だから、「この文字とこの文字の形は同じだ、でもこの点々はなんだろう?」みたいな感じで、手探りで少しずつゲームに出てくる単語を覚えていきました。
――ルドンさんにとっては、日本語を覚えていくのもゲーム感覚だったんですね。
ルドン氏:
そう、ゲームの中のミニゲームがもうひとつ増えたみたいな(笑)。まさにクエストモードでした。
――そしてルドンさんは16歳、ついに一人旅で初来日することになるんですよね。
ルドン氏:
1992年、お金をためて運良く日本に2週間行けることになったんです。もう、火星に行けるみたいな気分でしたよ(笑)。
1週間ほど経ったある日、偶然、秋葉原にたどり着いたんです。そして初めて入ったのがソフマップ。2階に上がると中古のPCエンジンのソフトがバーっと並んでいる! もうここは天国かと思いました!
タイニーP:
確かに、当時都心の駅周辺に中古のゲームソフトを扱っている店があれほど目立っていたのは、秋葉原くらいでしたね。
ルドン氏:
値札を見たら100円で、「何かの間違いじゃないの? 何この奇跡?」と思いながら買いまくりましたね。残りの滞在の1週間は、毎日朝から晩まで秋葉原に通って、途中でゲームを持ちきれなくなったので御茶ノ水でスポーツバッグを買ったりしながら、合計で150~160本ほどのゲームを買って帰国しました。
――それは幸せな日本旅行でしたね。秋葉原に偶然出会えてよかった……。
ルドン氏:
そこから残りの学生時代、日本で買ったゲームをひたすら遊びまくったんです。そして将来は絶対に日本に住もうと決めて、日本語の勉強にも熱が入りました。
そして2000年の冬に仕事をやめて、フランスのアパートを引き払って、猫を友達にあげて、日本に来ました。
――まさにゲームと日本のために一直線に歩んできた人生ですね。
ルドン氏人生譚3〜トラブル対応で出世!?
――それにしてもルドンさん、これだけたくさんのゲームを購入している上に、24時間空調管理の広いゲーム収蔵庫を都内にお持ちだなんて……。失礼ですが、その資金は一体どこから出ているのでしょう?
ルドン氏:
日本の某大手自動車会社で、ネットワークエンジニアや役員のテクニカルサポート、秘書室主管などを歴任しているんです。ちなみに、今の職についたきっかけもゲームでした。
――またしてもゲーム(笑)。
ルドン氏:
初めてWindows95【※】のPCを買ったときに、日本語のフォントを表示させるために仕方なく日本語版のWindowsを入れたんですよ。
当時のWindowsはトラブルも多いし、全部日本語でエラーメッセージが表示されるから、日本語とPCやネットワークについて、いつの間にか詳しくなっていったんです。そのおかげで日本に来てからも、ネットワークエンジニアとして働くことができたんですね。
――そこからどのように今のポジションまで上り詰めたのでしょう?
ルドン氏:
最初はその自動車会社で、短期の派遣として勤務していたんです。ちょうどそのときネットワーク関係の大きなトラブルがあって、上層部の役員さんからフランス語の怒りのメールが送られてきたんですよ。
――あれ、なんで社内のメールでフランス語なんですか? あっ、もしかしてその自動車会社って、トップがフランス人だった、あの……。
ルドン氏:
そうそう(笑)。で、「これ英語じゃないよね」「読める人いる?」みたいに現場がパニックになってて、その場でフランス語を読めるのが私しかいなかったので、そのメールに返信したんです。そうしたらその役員から「このメールを書いたのは誰だ? 我々はフランス語ができる人材をちょうど探していたんだ」という指令が来て、流れで派遣から正社員にランクアップしたんです。そこからとんとん拍子で出世して、今に至ります。
――すごい偶然ですね。
ルドン氏:
だから、出世のチャンスをつかむとか人生のこととか、正直まったく深く考えてなかったんです。たまたま自分のスキルを活かせることが見つかって、自然な流れのままに来た人生なんです。もちろん、ゲームのことはいつも忘れずにね。
――でも、本当にゲームによって人生が切り開かれているのがすごいです……(笑)。