「あの体験をして経験値が上がったよ」なんて友だちと話をしたことはないだろうか? ゲーム世代の僕らはあまりにも当たり前に使っている言葉だが、じつはこの「経験値」の使いかたの発祥はビデオゲームで、その歴史はそれほど古いものではない。この記事では、意外と知られていないこの関係について調べていきたい。
調査員となるのは、タイニーPというお方。昭和のパソコンPC-6601に、ボーカロイドのように初音ミクやPerfumeの楽曲を唄わせたり、「やる夫と学ぶホビーパソコンの歴史」と称し、その歴史を丁寧に考察したりなど、日本のホビーパソコンの歴史について詳しく、ニコニコ界隈で活躍している人物だ。その彼がぜひ語りたいとこの企画を持ち込んできた。ならば、やる夫を通じてゲームと日本語の関係について調べていただこう。……だって「やる夫」フォーマットってわかりやすいし!
……ともあれ、事の真相をやる夫といっしょに追い掛けてみよう。好評なら連載も?
パソコン(という言葉)はいつ誕生したか
ってか、今回はいったいどういう風の吹き回しなんだお。
紹介があったように、中の人はこれまで、パソコンの歴史についての記事を
個人ブログに書いてきた。その際、パソコンの発売日やそのほかの出来事の時系列を、できるだけ間違いなく把握したかったので、当時の新聞や雑誌にいろいろあたるようにしていただろ。その中で、おもしろいことに気づいた。いまはもう見かけない言葉や言い回しがあるのは当然だが、逆に
新しそうな言葉が、古い記事で見つかることもあったわけだ。
さらに、いまごく普通に使っている言葉が、ある時期を境に一気に広まる様子を目の当たりにすることもあった。たとえば、さっき使った「パソコン」という略語もそうだな。
日本経済新聞では、1980年末までこの略語はほとんど紙面に見られず、「パーソナル電算機」、あるいは「パーソナルコン」という略しかたが使われていた。これが1981年に入ると、「パソコン」に切り替わった。このとき、社内での表記ルールが変更されたものと考えられる。
「パーソナル」の略しかたに迷いがあったってとこかお。ほかの新聞では、「パソコン」って略語は使われてなかったんかお?
いや、たとえば日刊工業新聞では、遅くとも1978年には「パソコン」を使い始めていた。しかし日経の表記変更が呼び水になってか、この1981年には、大手メーカーも広告で「パソコン」を使い始め、さらにその広告が一般の新聞にも載るようになった。そして同年には、毎日・朝日・読売の大手3紙の略語の解説記事で、相次いで「パソコン」が取り上げられただろ。
そういや昔は、いま言うパソコンは「マイコン」って呼ばれてた気がするお。
よく覚えているな。一般的にはそのとおりだ。これはかなり定着していたので、世間での呼びかたは一気に「パソコン」に切り替わったわけではないだろ。それでも1984~1985年ごろには、「パソコン」と題した書籍のほうが「マイコン」のそれより多く出版されるようになっていた。
そのころには、「パソコン」もだいぶ定着してきたわけだお。
ゲームの登場が日本語を変えている!
さて、こんなきっかけで中の人はパソコンにまつわる“言葉”に注目するようになったわけだろ。そして目を向ける対象は、家庭用テレビゲーム機やゲームセンター用のアーケードゲーム機も含む、ビデオゲームにまつわる言葉にも広がった。
パソコンもゲームとは関係が深いし、自然な成り行きってとこかお。
振り返ってみると、日本で最初に家庭用テレビゲーム機のブームが起きたのは1977年のことだ。任天堂の“カラーテレビゲーム15”【※】などが登場し、業界全体の販売台数が、前年の5万台前後から、一気に100万台を超えたとされている。今年はそれからちょうど40年の節目にあたるわけだろ。
“インベーダーゲーム”がブームになったのって、いつごろだったかお?
タイトーのアーケードゲーム『スペースインベーダー』が発売されたのは、1978年夏だが、マスコミが取り上げるようになったのは1978年末あたりから。ブームのピークは1979年春からゴールデンウィークごろだな。他社への製造許諾品や無許諾の類似品まで含めた総生産台数は、40万台との説もあるが、30万台前後というのがよく言われる数字だ。
そっちもそろそろ40周年かお。プレイヤー人口が台数の10倍とか20倍で済むのかわからないけど、相当な数だったみたいだお。
このように、ビデオゲームの世間への広まりは、パソコン本体のそれよりも急速で劇的だっただろ。しかも、1985年ごろからのファミコンの大ブームのあとは、もはや一過性の流行とはくくれない位置に達したと言っていい。なにしろファミコン本体だけで、日本国内の累計出荷台数が1900万台以上にも及んだからな。
いまの子どもたちが遊べる形で昔のゲームが発売されてるのなんかは、ゲームにも“古典”ができたんだなーって感じるお。
その広まりようと、40年という年月の中で、ビデオゲームにまつわるものごとは、いくつも生活の中に取り込まれていった。もちろん“言葉”もそうだ。ビデオゲーム関連の言葉の中には、普通の国語辞典に収録されたり、さらに意味がすっかり一般化して、ゲームとは関係なく使われるようになったりしたものもある。これは見かたによっては、「ゲームが日本語を変えた」と言えるだろ。
言われてみれば、そういうのは確かにいくつかありそうだお。
その言葉がどのように広まっていったのか、広まる過程で意味が変わったりしていないか、そもそもゲーム用語としてはいつごろ使われ始めたのか……。そういったことを調べてみると、時には意外なこともわかってくる。
当たり前に使ってる言葉のほうが、意外性が高かったりするかもしれないお。
これによって、ビデオゲームと世間……つまり日本の文化や社会との関わりを、ちょっと変わった視点から見ることができそうだろ。というわけで、そろそろ本題に入るとしよう。
『ドラクエ』が広めた日本語──「経験値」
経験値といったらRPG。RPGといったら、日本を代表するのはやっぱり『ドラクエ』だお。
2017年1月で、ファミコン用ソフト『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』がエニックス(当時)から発売されてから30年経った。“『ドラクエ』フィーバー”とも言うべき、ユーザーによるソフト争奪戦は、この『ドラクエII』から始まったものだろ。
初代の『ドラクエ』は、奪い合いになるほどじゃなかったんかお?
1986年5月発売のファミコン用『ドラゴンクエスト』も、累計では100万本を軽く超える売り上げだったが、100万本出荷するまでに半年かかったからな。『II』では50万本の初回出荷分が発売日にほぼ完売し、10日あまり置いた2次出荷の50万本も、見る間に売り切れただろ。
ROMカートリッジで、2週間もしないうちに100万本突破かお。
『ドラクエII』では、そのROMカートリッジの製造上の都合から、その後3次出荷までほぼ1ヵ月の間が空いた。このため、多数の人々が悔し涙に暮れたわけだ。
それで1年後の『ドラクエIII』のときには、さらに輪をかけた大騒動になったんかお。
うむ。なにしろ『ドラクエIII』では、発売を前にして、東京都が都内自治体の教育委員会を通じ、生徒児童が学校を休んで買いに行かないよう各校に指導を要請するほどだったからな。
それだけ、学校をサボって買いに行きたがってる小中高校生が多かったわけだお。
『ドラクエ』シリーズは、その人気ゆえ、日本社会にもたらした影響や変化も、片手では足りないほど挙げることができそうだ。その中でも、今回取り上げる「経験値」という言葉を広めて定着させたことは、真っ先に挙がるもののひとつと言っていいだろ。
そりゃ、戦闘で勝つたびに、ゲーム画面上に「けいけんち」ってくり返し出てきたわけだから、影響力ハンパないお。『ドラクエ』より前のファミコンゲームだと、「経験値」って言葉は使われなかったんかお?
いや、たとえば東芝EMIが1986年3月にファミコンで発売した『ハイドライド・スペシャル』の説明書を見ると「経験値」とある。だがゲームの画面上ではすべて英語表記で、経験値の代わりに「EXP」と表示されていただろ。
うーん。それだとさすがに、『ドラクエ』みたいな影響力はなさそうかお。
『ドラクエ』が塗り替えた「経験値」の意味
さて、「経験値」の定着ぶりは、国語辞典を見ても明らかだろ。『大辞泉』、『大辞林』では、それぞれ次のように説明されているな。
大辞泉(第二版)「経験によって成長した度合いを数量化したもの。経験の程度。」
大辞林(第三版)「(1)ロール-プレーイング-ゲームなどで、キャラクターの成長度を示す数値のこと。敵を倒すなどの経験を積むと数値が上がる。数値が上がると、その後のゲームを有利に進めることができる。「-が上がる」「-が高い」(2)転じて一般に、経験の度合い。」
ところが、『広辞苑』での説明を見てみると、これらとは毛色が違うのがわかるだろ。
広辞苑(第六版)「これまでの経験から推測して得られる値。」
?? こりゃ何のことだお? なんか、ゲームとはあまり関係ない説明っぽいお。
面食らうのも無理はないな。ここでいう「経験値」とはつまり、「経験則から導き出される値」のことだ。じつは、この使われかたは、日本でパソコン用やファミコン用のRPGが知られるようになるよりも前から、経済や統計にまつわる言葉として専門書や新聞の記事にあった。
たとえば日経新聞1983年5月12日付の“景気の争点・私はこう見る”には、こういう形で出ているな。
「石油危機後の経験値によれば、原油市場価格はOPECの余剰率(原油生産能力の未稼働率)と反比例する。」
うーん。でもこれ、RPGの経験値みたいなもんだと考えても話は通るんじゃないかお?
いや、このふたつの経験値には、決定的な違いがあるだろ。RPGでいう経験値は、原則的に数字が上がれば上がるほどよいと考えられる。これに対して古典的な意味での経験値は、数字の大小ではなく、現実の推移や結果との整合性が問題になるわけだ。
そういや『ドラクエ』とかだと、敵にあと何発攻撃すれば倒せるか、遊んでるうちにだんだん正確にわかってくるお。その「何発」が、古典的な意味での経験値ってわけかお。
そのとおりだ。RPG的な意味の「経験値」は、1980年代の新聞では、ゲームそのものに関する文章を除けば、何かをRPGになぞらえるような書きかたの記事に出てくるのがせいぜいだった。
そういう、はやりものに例えておもしろさを出そうっていう記事は、ときどきあるお。
しかし1990年代の末あたりになると、こういう前提がない使われかたが目立ち始めた。中には、古典的な意味とRPG的な意味、どちらのつもりで「経験値」と表現しているのか、判別が難しい文章もみられるようになっただろ。
いまじゃあ、サッカーとかのスポーツ記事でも、RPG的な意味の「経験値」をよく見るお。古典的なほうは、だいぶ減ったんじゃないかお。
まあ、そうだな。しかも2004~2006年ごろから、スポーツ記事以外も含め、新聞でRPG的な意味の「経験値」が使われることがかなり増えたようだ。このあたりについては、あとで中の人が詳しく説明するが、ともかくこのころから、古典的なほうの存在感は急速に減少したと言える。もっとも2010年代でも、古典的な意味での「経験値」が出てくる新聞記事は、ないわけではないだろ。
専門書とかには昔からあった表現ってことは、いま古典的な意味のほうで使ってる人は、やっぱりファミコン世代より上っぽい気がするお。
初期のRPGで使われていたのは「経験◯◯」!?
さて、ここでいったん話を戻そう。説明したように、「経験値」を日本社会に定着させたのは、『ドラクエ』だと考えて間違いない。しかし、RPGが日本に持ち込まれたのは、ファミコンにRPGが登場するよりもさらに前だったことを、忘れるわけにはいかないだろ。
コンピューターゲームのRPGより前に、ペンと紙で遊ぶ、“テーブルトークRPG”【※】ってやつがあったんだったかお?
※テーブルトークRPG
テーブルトーク・ロールプレイングゲームの略。TRPGともいう。ゲームマスター(GM)と呼ばれる進行管理者(ルール作成者を兼ねることも)に従って、サイコロを振り、演じるキャラクターの現状を紙に記して遊ぶ“対話型”のロールプレイングゲームを指す。
その呼びかたは、コンピューターゲームのRPGとの区別のために、『ドラクエ』などの登場後に日本で作られたものだそうだがな。ともかくここで注意したいのは、これらのRPGが、日本に持ち込まれた当初の時点では、経験を示す数値を「経験値」と説明するのが当然だったわけではないということだ。
えっ!? そうなんかお。そりゃまたわりとびっくりな話だお。
日本でのRPGの隆盛に多大な影響を与えた人物のひとりに、クリエイター集団“
グループSNE”【※1】の創設者で翻訳家の、安田均氏が挙げられるだろ。氏はテーブルトークRPGの元祖
『ダンジョンズ&ドラゴンズ』【※2】をはじめ、アメリカ製のRPGを、SF雑誌などで1980年代初頭から多数紹介していた。
※1 グループSNE
1980年代前半に、安田均氏を中心に設立されたクリエーター集団。テーブルトークRPGやトレーディングカードゲームの制作・翻訳などを行い、日本にロールプレイングゲームを紹介する草分けとなった。
えーと、グループSNEって聞き覚えがある名前だと思ったら、『ロードス島戦記』【※】のお膝元かお。
※『ロードス島戦記』
1986年から『コンプティーク』誌上に掲載された、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のプレイ紹介企画。当時グループSNEに所属していた水野良氏が小説化し、1988年に『ロードス島戦記 灰色の魔女』が角川文庫から刊行された。同年、ハミングバードソフトによりパソコンゲーム化。ほかにラジオドラマ、アニメビデオ、家庭用ゲーム機向けソフトなど、多数のメディアミックス作品が登場している。
たとえば1982~1983年ごろの『SFマガジン』での安田氏の記事を見ると、「経験ポイント」や「経験度」が使われており、「経験値」は見当たらない。『ダンジョンズ&ドラゴンズ』の説明書の原書では、経験を示す数値は「experience points」と書いてあるようなので、対応する訳語で「経験ポイント」が優先されるのは、納得できるところだろ。
「経験点」でもいいかもしれないけど、それよりは「経験度」のほうが少ししっくりする感じかお。
一方パソコン雑誌では、『アスキー』1983年5月号で、RPGの特集が組まれただろ。ここで大きく扱われた同誌オリジナルのFM-7用RPG『アルフガルド』の記事では、「経験度」が使われていた。また『ログイン』の同年6月号のRPG特集記事では、アメリカ製のアップルII用RPG『ウィザードリィ』や『ウルティマII』などを紹介しているな。しかしこちらは、経験については取り立てて説明されていない。
ほかに、日本で作られたパソコン用RPGってなかったんだったかお?
1983年のうちには、いくつか市販されるようになっていただろ。たとえば1983年末には、光栄マイコンシステム【※1】がPC-8001用に『ダンジョン』【※2】を発売したが、これは画面上に「ケイケンド」と表示されている。
※1 光栄マイコンシステム
1978年に襟川陽一氏が染物問屋として創業した光栄に、1980年に成立したパソコン用のソフト開発部門。1981年発売の歴史シミュレーションゲーム『川中島の合戦』で名を馳せ、社名変更や合併などを経て現在のコーエーテクモゲームスに至る。
※2 『ダンジョン』
次項の『ザ・ブラックオニキス』と並び、国産RPGの端緒となった光栄の作品。5つの職業からキャラクターを選んで地上マップで経験度を溜め、驚くほど巨大な地下迷宮を探索する。
そういや、このころのパソコンって、ひらがなや漢字を標準で使えるやつはまだ少なかったんだったかお。
これよりやや遅れて1983年12月に、BPSがPC-8801用に『ザ・ブラックオニキス』【※】を発売した。この作品では、経験の度合いは棒グラフで示され、その増加も棒グラフの伸びかただけで表現されるため、画面上には経験を示す言葉はなかった。
そちらには、「経験」と「経験度」が使われているな。
やっぱり「経験値」は出てこないんかお。ところで、日本のパソコン向けの『ウィザードリィ』とか『ウルティマ』とかってのは、なかったんかお。
1983年の時点では、両シリーズの正式な日本版は、まだなかっただろ。ちなみにアップルII用については、『ウィザードリィ』の場合、経験を示す数値は『ダンジョンズ&ドラゴンズ』と同じく「experience points」と書かれていた。一方初代の『ウルティマ』では、説明書には経験について触れられておらず、ゲーム画面では「EXP.」とだけ書かれていた。
そしたら、日本で遊ぼうとすると、英語の説明書とかを全部読まなきゃいけなかったんかお!?
もちろんそういう人もいただろうが、輸入元やユーザーのサークルが独自に日本語の説明書を作って配布するケースも、少なからずあったようだ。これは、1985年夏に日本語版が発売されるまでの『ダンジョンズ&ドラゴンズ』もそうだっただろ。
そういう説明書の中に、「経験値」が使われたものがあったりしないんかお。
その可能性は否定できないだろ。この手の日本語説明書は、いまとなってはなかなか見つけにくいようだが、その中で、日本でアップルII用ソフトの輸出入を行っていたスタークラフト社が『ウィザードリィ』に添付していたものについての情報を得ることができた。そこでは、経験を示す数値を「経験ポイント」と説明していた。とはいえ、これがいつ作られたものかははっきりしないし、あくまで一例に過ぎない。
ほかの日本語説明書が出てきたら、そこに「経験値」があるかもしれないわけだお。
ただ、仮にそのような説明書があったとしても、ここまで挙げたような1983年の日本製のパソコンゲームには、直接の影響は与えていなかったと考えてよさそうだろ。
なるほど、そういう考えかたはいちおうできるわけだお。
結局「経験値」はいつ生まれたの?
でもそしたら、パソコンゲームのRPGで「経験値」が最初に出てきたのはどれなんだお?
最初かどうかは確定できていないが、ヒット作の中でかなり早い例と考えられるのが、クリスタルソフトが1984年春にPC-8801用を発売した『夢幻の心臓』だろ。なにしろ、画面上にはっきり「ケイケンチ」と書かれている。
『ザ・ブラックオニキス』からも半年経ってないくらいかお。それはなかなか決定的っぽいお。
『夢幻の心臓』は、続編がふたつ作られたほどの人気シリーズになった。しかしいずれも家庭用ゲーム機には移植されなかったため、当時のパソコンユーザーのあいだを除くと、知名度は高いとは言えないだろ。
ファミコンとかのほうがユーザー数がケタ違いに多いし、しかたのないところかお。
『夢幻の心臓』は、見下ろし型の地図で世界を探検するゲーム進行と、敵の姿を正面に見ながら交互に攻撃を掛け合う戦闘シーンを組み合わせていた。さらにその敵の絵がかなり大きく描かれ、しかも丁寧な色分けが施されていたのが、特徴的な点だな。視覚的なインパクトが強い作品だったと言えるだろ。
敵の絵が大きいってのは、そのころのほかのRPGのと比べての話かお。でもそのあたりも含めて、『ドラクエ』に通じるものがある感じだお。
まあそのぶん、画面の描画に時間がかかるのが難点だったがな。これにフロッピーディスクへのアクセス頻度の高さが加わり、全体的な動作の遅さがプレイヤーの不満点になっていたが、続編の『夢幻の心臓II』では改善されただろ。
動作が遅くても続編が出るくらいの人気だったわけだから、たいしたもんだお。
そして1984年末には、日本ファルコムの『ドラゴンスレイヤー』【※1】、T&Eソフトの『ハイドライド』【※2】と、RPGとアクションゲームの両方の要素を取り入れた作品が、PC-8801用に相次いで登場しただろ。これらは、パソコンゲームに新風を吹き込むものとして脚光を浴びた。
※2 『ハイドライド』……T&Eソフトが発売したパソコン用RPG。アクティブロールプレイングゲームと銘打たれていた。これをアレンジしてファミコンに移植したのが『ハイドライド・スペシャル』となる。
RPGとアクションゲームの組み合わせだと、ファミコンにはナムコの『ドルアーガの塔』【※】が出てたと思ったけど、どっちが先なんかお?
ファミコン用の『ドルアーガの塔』は1985年8月の発売だが、その原作のアーケード版がゲームセンターに登場したのは、1984年の夏だろ。このアーケード版は、とくに『ハイドライド』にかなりの影響を与えたと考えられる。
『ドルアーガの塔』がゲームセンターに登場した数ヵ月後には、もうその影響を受けたパソコンゲームが出たわけかお。サイクルの速さがハンパないお。
このパソコンゲーム2作では、画面上の「EXP」あるいは「EXPERIENCE」を「経験値」と説明していた。さらに『ハイドライド』は、1985年のパソコンゲーム売り上げのトップを争っただけでなく、1986年に入ってもランキングの上位に居座るほどのロングセラーになっただろ。
おー。すると日本のパソコンゲームでは、1984年から85年くらいの間に、「経験値」が一気に広まった感じかお。
なぜ堀井雄二は「けいけんち」を採用したのか
ところで『ドラクエ』作者の堀井雄二氏【※】は、この1984年ごろ、自身が手がける雑誌記事でたびたびパソコンのRPGに触れているな。『週刊少年ジャンプ』の1984年4月30日号の特集記事では、『ウィザードリィ』と並んで『ザ・ブラックオニキス』や『夢幻の心臓』を紹介している。
※堀井雄二
アーマープロジェクト代表取締役。『ドラゴンクエスト』シリーズの生みの親で知られるゲームデザイナー。学生時代からフリーライターとして活動し、その後、アニメカルチャー誌『OUT』の読者コーナーなどを担当。『ポートピア連続殺人事件』などを手がけるかたわら、週刊少年ジャンプのゲーム紹介ページを担い、その後も『ドラゴンクエスト』シリーズ、『いただきストリート』シリーズなどゲームデザイナー業を中心として活躍。
そういや、堀井さんは『ウィザードリィ』に相当はまってたらしいお。
ここで興味深いのは、『ザ・ブラックオニキス』の紹介文の中に、「経験ポイント」という言葉が使われていることだろ。
えーとさっき、『ザ・ブラックオニキス』の説明書では、『経験』とか『経験度』が使われてるって言ってなかったかお。
そう、そこには「経験ポイント」は使われていなかったはずだ。つまり堀井氏は、『ウィザードリィ』の「experience points」を直訳したか、またはスタークラフトの日本語の説明書や『SFマガジン』を見ていたのか、どちらにしても、RPGの経験を示す数値を「経験ポイント」と説明することに慣れていたのではないかと考えられる。
それをつい、そのまま『ザ・ブラックオニキス』の紹介文に使っちゃったわけかお。それだけ、堀井さんには「経験ポイント」がしっくり来てたわけだお。
一方、この特集記事にある『夢幻の心臓』の紹介文には「経験値」という単語はなく、「経験」が登場するに留まっている。記事の執筆時期を考えると、『夢幻の心臓』は発売直後か、またはデモ版やサンプル版しかない状態だったと考えられるから、そのあたりが関係していそうだろ。
「経験値」が堀井さんの“辞書”に入るには、まだ早かったわけだお。
その後に堀井氏が『週刊少年ジャンプ』の人気企画、“ファミコン神拳”【※】を立ち上げるのは、周知のとおり。じつはこの中での初代『ドラクエ』の紹介記事をよく見ると、なかなかおもしろいことがわかる。たとえば1986年3月31日号では、「経験値」のほうが多く出てきているが、「経験ポイント」もぽろっと使われているだろ。
※ファミコン神拳
『週刊少年ジャンプ』(集英社)で1985年8月19日号から、88年まで掲載されていたゲーム紹介コーナー。スクープ記事などの袋とじが人気を博した。初期のライターとして“ゆう帝”こと堀井雄二氏が参加。
ほー。それって、堀井さんが自分で書いた文章なんかお。
そこを断定するには、残念ながら資料が足りない。ただ少なくとも、『ドラクエ』の発売まであと2ヵ月ほどという、ゲーム制作の大詰めの時期でもなお、ファミコン神拳の執筆陣にとって、「経験ポイント」は使い勝手のよい表現だったと言えそうだろ。
そんなに「経験ポイント」が使いやすい表現だったんなら、『ドラクエ』のゲーム中でも「けいけんポイント」が使われてよさそうなもんじゃないかお。
まあ、そういう発想もありうるだろ。では、ゲーム中に実際に出てくるメッセージの「けいけんち」を単純に「けいけんポイント」に置き換えるとどうなるかを検討してみよう。
えーと、初代『ドラクエ』の戦闘モードで勝ったときは、「けいけんち ○○ポイントかくとく」ってでてくるんだったかお。
うむ。これを置き換えると、「けいけんポイント ○○ポイントかくとく」になるな。しかしこれは「ポイント」が重なっていて冗長だし、いかにも奇妙だろ。
なるほどだお。それなら「けいけんポイント ○○かくとく」がいいんじゃないかお。
そうだな。ただ、『ドラクエII』までの戦闘モードのほかのメッセージでは、「○○ポイントの ダメージを あたえた!」とか「○○ゴールドを てにいれた!」のように、数字のあとには単位がついているだろ。
うーん。そうすると、経験についても「○○ポイントかくとく」を残したほうが、統一感はあるってわけかお。それだと、「けいけんポイント」の出番はなさそうだお。
そしてもうひとつ、「けいけんポイント」が採用されなかった理由として有力なのは、「言いにくい」ことだろ。
いや、そりゃ実際に言ってみりゃ誰でもわかることじゃないかお。
もちろんそうだ。しかしもし、堀井氏がもっと前から「実際に言ってみたときにどうか」を優先していたなら、『ザ・ブラックオニキス』の紹介文で「経験ポイント」を使うこともなかったはずだろ。
そういやそうだお。ってことは、『ドラクエ』を作っているうちに、堀井さんの中の、そのあたりの判断基準が変わったってわけかお。
これは推測に過ぎないがな。とはいえ堀井氏が、自身が使い慣れた「経験ポイント」と、パソコンゲームで広まってきていた「経験値」の、どちらを『ドラクエ』で使うかを、どこかの段階で判断する必要に迫られたのは、まあ間違いないだろ。
もし『ドラクエ』で「けいけんポイント」が使われてたら、いまの「経験値」みたいに広まったかは怪しいお。
そのとおりだ。これは判断が行われた時点では、周囲からは一見ささいな事柄と映ったかもしれない。しかしそこにも、堀井氏の非凡な言語感覚という、『ドラクエ』を成功に導いた要素の一端が顔をのぞかせていると言えるだろ。今回の話は、ここまでとしよう。