この連載は、「経験値」、「裏技」、「ラスボス」などもはや一般的な日本語化をしたゲーム用語が、どういう過程を経て溶け込んでいったかを、やる夫といっしょに追いかけようというもの。
【徹底検証】ラスボスといえば小林幸子? いやいや藤崎詩織(ときメモ)? やる夫と「ラスボス」用例史を学んでたら、二人のどっちが先にゲームに登場したか気になってきた……
今回は3回目「ラスボス」のおまけと言える特別回で、「そもそも『ボス』という一般的な言葉がゲームにどう浸透していったのか?」と、いつもの逆方向のアプローチでお届けしていこう。もしゲームにボスという言葉が導入されなかったなら、「ラスボス」や「ボス戦」は何と呼ばれていただろうか?
お届け主は、ぼくらのタイニーP(@Kenzoo6601)。レトロなゲームやホビーパソコン(とりわけPC-6601)を愛し、昭和のボーカロイド的な動画を制作したり、やる夫でホビーパソコンの歴史を語ったりなど、ニコニコ界隈で活躍する人物だ。
中の人/タイニーP
今こそ問おう! 国内ゲーム用語「ボス」の起源
まるで『スペースインベーダー』だな。それはともかく前回は、『スパルタンX』【※1】と『メトロイド』【※2】の登場から話を始めた。今回はそこに至るまで、つまり、そもそも日本のビデオゲームで、大物のキャラクターを「ボス」と呼ぶことが広まるまでの流れを見ていくことにしよう。
※1 スパルタンX
ジャッキー・チェンが主演した1984年公開の同名のカンフーアクションコメディ映画をゲーム化したもので、同年にアイレムがスクロールアクションとしてアーケードでリリース。謎の男Xにさらわれた恋人シルビアを助けるため、主人公のトーマスが5層の塔へ潜入。行く手に立ちはだかる敵をパンチとキックで倒しながら、フロアごとに待つボスを攻略し、最終層のMr.Xを倒してシルビアを助け出すという、映画の内容とは異なるものとなっていた。ファミコン版は任天堂が1985年にリリース。合成音声が衝撃的だった。
昔のゲームでボスっていったら、『ギャラクシアン』【※】の「ギャルボス」あたりはだいぶ古そうだお。
※ギャラクシアン
1979年、ナムコ(当時)がインベーダーブーム収束後にリリースしたシューティングゲーム。敵勢力を画面上方、自機を画面下方に配し、上方から旋回や宙返りをしながら降下する敵勢力を撃破する。ゲーム性もさることながら、キャラクターごとに細かな彩色がなされ、背景の星などとともにビジュアル面でのインパクトが大きかった。
なかなか鋭いところを突いているな。しかしじつは、「ギャルボス」という名称は、ナムコがアーケード向けに『ギャラクシアン』を発表した1979年秋の時点のチラシや、ゲーム筐体に添えられたルール説明には記載がない。
えっ!? そうなんかお。あのギャラクシアンの列のいちばん上にいるヤツは、どういう名前だったんだお?
正確には「ギャラクシアン」は銀河人、つまりプレイヤー側の人類のことで、敵キャラクターは「エイリアン」だな。それはさておき、『ギャラクシアン』のチラシを見ると、エイリアンの隊列の最上段に控えるのは「旗艦」となっている。
チラシに書いてあるんじゃあ、それが当時の公式設定としか言いようがなさそうだお。
さて、『ギャラクシアン』は『スペースインベーダー』の大ブーム【※】の収束後に登場したビデオゲームの中でもとくに人気を得た作品のひとつで、1980年以降、パソコンへの移植作品が多数登場した。ところが、日本ではまだコンピューター用プログラムが著作権で保護されるということが法律に明記されておらず、判例も未確立だった。このため、1982年ごろまでのこれらの移植版のほとんどは、ナムコの許諾を得ていなかった。
※『スペースインベーダー』の大ブーム
1978年夏にタイトーからリリースされた『スペースインベーダー』により、同年末から1979年前半にかけて巻き起こった社会現象。街の喫茶店の机はテーブル筐体に代わり、パチンコ店・雀荘・飲食店などがインベーダー専業のゲーム場(「インベーダーハウス」などとも呼ばれた)につぎつぎと商売替えするなど、繁華街のあちこちにインベーダーの電子音が鳴り響いた。ゲームもタイトーによる純正品にはじまり、任天堂の『スペースフィーバー』、セガの『スペースアタック』、ユニバーサルの『コスミックモンスター』、IPM(のちのアイレム)の『IPMインベーダー』、データイーストの『スペースファイター』、ジャトレの『スペクター』など、タイトーの許諾を受けたものから、無許諾のパチモノまで、いわゆる「インベーダーゲーム」として30万台(一説には50万台)が生産されたと言われ、日本のアーケード用ビデオゲームとしては空前絶後のヒットになった。週刊誌やテレビはもちろん、国会のいくつかの委員会でもこのブームは取り上げられ、特に青少年のゲーム代欲しさの窃盗や恐喝などの非行が問題化。警察庁の要請で全日本遊園協会が1979年6月、管理者のいない場所に設置しない・保護者同伴でない15歳未満には遊ばせないなどとする自粛宣言を発表。ブームは収束していった。
このような移植の中で、パソコン雑誌に発表されたものの記事を見てみると、隊列最上段の敵キャラクターの名前は、「母船」、あるいはナムコの設定と同じ「旗艦」と書いてあるものが多い。すべての記事を見たわけではないが、「ボス」と書かれたものは見当たらなかった。つまり「ギャルボス」という呼びかたが、これらの移植版から出てきたというわけでもなさそうだ。
遠い昔、ボスより強い「ドン」がいた…!?
そしたら、いつぐらいからアレが「ギャルボス」になったんだお?
その説明のために、ひとまず時代の流れに沿って話を進めていくことにしよう。日本のゲームで、公式に「ボス」という名称で紹介されるキャラクターが出てくる作品を調べていくと、その初期のもののひとつに、ユニバーサルが1980年末に発売したアーケードゲーム『スペースパニック』【※】が挙げられる。敵のモンスターの中で強力なものが「ボス」というわけだ。しかしこのゲームでは、さらに強力な「ドン」もいる。
※スペースパニック
1980年にユニバーサル社から登場したアーケードゲーム。モンスター、ボス、そしてドンと呼ばれる3種類の敵が登場する。『平安京エイリアン』の影響下にあり、同作の平面の迷路を、横から見た視点に置き換えている。地上以外に5階層ある足場をハシゴで上下して行き来しつつ、穴を掘ってモンスターたちを落とし、埋めて退治する。見た目が『ロードランナー』に似ているが、そちらがアメリカでパソコン用に発売されたのは1983年。
何らかの集団の中の大物を「ドン」と呼ぶ表現は、1972年の世界的大ヒット映画『ゴッドファーザー』にもあったが、日本では、1976年に出版され、のちにヤクザ映画としてシリーズ化された、飯干晃一氏の『日本の首領(ドン)』【※】から広まったらしい。発売時期を考えれば、『スペースパニック』でのネーミングにも、これが影響していると考えられる。しかしこの「ドン」は、少なくとも日本のビデオゲームで広く使われるには至らなかった。
※日本の首領(ドン)
映画版は『やくざ戦争 日本の首領』の題名で1977年公開。監督中島貞夫、東映配給。同年中に第2作『日本の首領 野望篇』、翌年に『日本の首領 完結篇』が公開された。実在の組をモチーフに巨大組織の全国制覇や地域間抗争、暗躍などを描く。
「ドン」だとやっぱり、ヤクザか政治家っぽい感じだお。
一方、ひとまとまりの敵の攻撃の最後に、より強力な敵との一騎討ちになるという、のちに言うボス戦に相当する仕掛けは、『スペースパニック』以前のアーケードゲームにも見られる。そのひとつが、データイーストが1979年秋に発表したシューティングゲーム『アストロファイター』【※】だ。
※アストロファイター
データイーストによるインベーダーの発展形のシューティングゲーム。1979年リリース。青い宇宙をバックに4種類の敵が登場し、種類ごとに編隊を組んで飛来。これら4種類を全部撃破すると、画面に奥行きを狙う効果で縦ラインが出現。その奥に浮遊する大きな親玉敵機を倒すと敵が1種類目に戻る。
『ギャラクシアン』とだいたい同じ時期のゲームかお。
この作品は、通常は宇宙空間が背景だが、「キングコア」と名づけられた“親玉敵機”との戦いになると、その宇宙空間に、突然縦長の棒を奥行きをつけて並べたような背景が現れる。しかもそれがネオンサインのように、キラキラと色を変える仕掛けだった。
その派手さで、戦いを大いに盛り上げようってわけだお。
さらにほぼ1年後の1980年秋、新日本企画、のちのSNKからシューティングゲーム『サスケvsコマンダ』【※】が発売された。アーケード用のビデオゲームとしてはおそらく初めての、忍者が主人公の作品だ。このゲームでは、強敵の“親分の忍者”は面ごとに異なる忍術の使い手で、登場する際には、自ら忍術の名称を述べる口上が画面上に表示される。
※サスケvsコマンダ
1980年に新日本企画(のちのSNK)がリリースしたアーケードゲーム。上空から飛来する忍者をクナイで撃ち落とす、シューティングの一種。一定数の子分の忍者を倒すと親分の忍者との戦闘に突入。親分はステージごとに、火炎や分身など、異なる忍術を使用してくる。ファミコン用ソフト『ゲバラ』では、裏技でひたすら子分の忍者を倒す(親分が登場しない)ミニゲームを遊ぶことができる。
名前に「サスケ」が入ってるだけあって、忍者もののマンガっぽいお。
このように『サスケvsコマンダ』は、とくに演出面でのボス戦の基礎を築いたビデオゲームと言えるだろ。しかもこの作品は、チラシに記された海外市場向けの英語の紹介文で、親分の忍者を「boss」と説明している。ただ、日本のプレイヤーのあいだで、すぐにこの親分を「ボス」と呼ぶようになったかどうかまでは、調べきれなかった。
忍者の親分を「ボス」って呼ぶのは、いまのゲームだったら普通にありだけど、1980年の時点だとちょっと変な感じがしたかもしれないお。
ボスという言葉を一般に普及させたのは…『ギャラガ』?
そして、『サスケvsコマンダ』からさらに1年ほど経った1981年夏、ナムコが『ギャラクシアン』の続編にあたる『ギャラガ』【※】をアーケード向けに発表した。日本のビデオゲームにおいて、公式に「ボス」と呼ばれるキャラクターの存在感を一気に高めたのは、この『ギャラガ』だと考えられる。
親分格の敵が、「ボスギャラガ」って名前だったかお。
うむ。ボスギャラガは、ほかのギャラガ【※】と異なり弾を2発命中させないと倒せない。しかも、プレイヤーが操る「ファイター」を横に2機連結した「デュアルファイター」にパワーアップするには、ボスギャラガの「トラクタービーム」にファイターを一旦捕らえさせ、その捕虜を連れて飛来してくるところを撃破する必要がある。
※『ギャラガ』の設定では、敵キャラクターの総称が「ギャラガ」。
そこで間違って捕虜を撃っちゃうと、ファイターを1機失うのと同じことになるんだお。
つまり、パワーアップの爽快感と、慎重にボスギャラガを狙うスリルとが表裏一体になっていた。それだけに、ボスギャラガの印象は強いものだったわけだ。
まあ、あのトラクタービームだけでもかなり印象に残る気はするお。
それも言えているな。もっとも『ギャラガ』でも、「ボスギャラガ」の名称そのものは、チラシや、ゲーム筐体に添えられたルール説明には記載がなかった。ゲームコーナーを営業する業者向けの説明書には、記載されていたんだがな。
そしたら、ボスギャラガの名前を知ってたのは、ゲームセンターの店員にツテがあるような、かなりのマニアくらいだったんじゃないかお。
かもしれん。そこまでマニアックではない層にまでボスギャラガの名称が広まったのは、セガのSG-1000などへナムコの許諾を得た移植版が出回るようになった、1983年以降と考えられる。なお『ギャラガ』の正規の移植としては、1982年末にソードとタカラが発売した低価格パソコン「M5」【※】用の『ギャラックス』のほうが早い。しかしこちらには「ボスギャラガ」という名称は使われていなかった。
なかなかフクザツな事情があるっぽいお。で、つまり『ギャラクシアン』のエイリアンの旗艦を「ギャルボス」って呼ぶようになったのは、『ギャラガ』以後ってことになるんかお。
どうやらそういうことらしい。たとえば1983年にゲームセンターに登場したナムコの『パック&パル』【※】にもこの旗艦が登場するが、チラシや筐体に添えられたゲーム内容の説明に「ギャルボス」と記載されているのが確認できる。
※パック&パル
1983年にナムコ(当時)がリリースした『パックマン』シリーズのひとつ。『パックマン』同様の1画面固定のフィールド上に、ドットの代わりに数個のフルーツが配置され、これをすべて食べるとステージクリア。ただしフルーツは扉で閉ざされた先にあり、フィールド上に置かれたカードを取得することで扉を開けて食べにいくことになる。『パックマン』のパワーエサの代わりにギャルボスを含むスペシャルアイテムがあり、これを食べるとアイテムごとに特殊な効果でモンスターへの攻撃が可能。ギャルボスにはパックマンがトラクタービームを放ち、敵の動きを一時的に止める効果があった。
それにしても、「『ギャラクシアン』のエイリアンのボス」の意味だって考えると、縮めかたがだいぶ無理やりだお。