2017年11月3日、都内にて、自作ゲーム制作者のための勉強会ニコニコ自作ゲームフェス2018 ゲームクリエイターズ勉強会が開催された。このイベントは、ニコニコの自作ゲームを投稿・プレイできるコミュニティサイト、RPGアツマールが主催するもので、参加は無料。
ゲーム制作者や実況者たちによる講演、ゲーム企画を即興で考えるワークショップなどが盛り込まれている、自作ゲームに励む人たちへの支援の集いだ。
目当ての講演者と親交を結んだり、参加者どうしでお互いのゲームをプレイし合って直接意見交換をしたりできるため毎回人気があり、今年は40名の募集に対して枠を広げ、50名以上の参加者が会場に足を運ぶこととなった。
今回、ゲストを招いての講演では、『ゴッドイーター』や『フリーダムウォーズ』のコンテンツディレクションを手掛けた保井俊之氏(@natural_freaks)、フリーゲーム『悠遠物語 ~空の大陸とアイテム屋さん~』の制作者らむらむ氏(@fanseft)、そして、ゲームアプリ『ひとりぼっち惑星』(iOS/Android)の制作者ところにょり氏(@tokoronyori)が登壇。
続けることの重要さや、「人生におけるすべての経験はゲーム制作はもちろん何かの役に立つ」と訴えた保井氏。
ゲーム制作における基礎的な考えかたやテクニックを披露した、らむらむ氏。
そして自分のたどった道を打ち明けて、ゲーム制作の指針を示してみせた、ところにょり氏。三者三様の講演となった。
自作ゲームの制作は、思いのまま自由にできる反面、茫洋とした部分も多く、手がかりを見失って悩んでいるクリエイターの皆さんも少なからずいるだろう。これらの講演から手がかりが見つかれば幸いだ。
それでは当日の講演順とは異なるが、まずはところにょり氏の講演を書き起こしたものからお届けしよう。
※記事内で使用している資料画面は、登壇者のみなさまにご提供いただいたものです。
文/奥村キスコ
「ゲーム制作においてアガる瞬間とは」ところにょり氏の場合
ところにょり氏は、2016年にTwitterで瞬く間に拡散されて話題となったゲームアプリ、『ひとりぼっち惑星』【※】の作者。
後述するらむらむ氏と同じく「ゲーム制作においてアガる瞬間とは」というお題をもとに講演をする予定だったが、「“アガる瞬間とは”というお題をもらったが、その概念がわからず、そもそも“アガ”をカタカナで変換したこともない」とのことで、代わりにみずからの経歴や経験を語った。
「僕みたいな者が人前で何かをしゃべるのもおこがましい」と前置かれた話の数々は、心構え、ステップアップの過程などが見えるたいへん興味深いものばかりで、自作ゲームを作るうえで大いに参考になるものとなった。
ところにょり氏は冒頭で、「自分の経験を話せば、誰かが拡大解釈していい感じにまとめてくれると思う」とも述べていた。
庵野秀明氏の言葉を胸に刻んだ大学時代
ところにょり氏:
1992年生まれの24歳。大阪出身で、大阪芸術大学を2016年に卒業しました。プログラミング歴は2年ほどと浅いので、これからゲーム制作を始めたいという人と状況が近いのかなと思います。
今回は、そういう方たちに向けてしゃべります。絵も描けませんし、音楽も作れません。創作歴7年というのは小説のことです。大阪芸大の文芸学科という、小説を書いて投稿すれば単位がもらえるという、すごく楽な学科を卒業しました。
ところにょり氏:
大学の先輩には『エヴァ』【※1】や『シン・ゴジラ』【※2】を作った庵野秀明さんなどがいました。庵野さんは学校に一度講演に来てくださって、そのときの言葉がすごく心に残っているんです。
まず、「この大学にいる必要はない」ということ。そして、「いろいろな才能を持った人が集まるので、今後いっしょにモノを作れる仲間を集め、2年で卒業しろ」みたいなことを言っていました。
まあ「辞めちまえ」ってことですね。そのとき僕は2年生だったんですけど、庵野さんの言葉を大事にして……友だちをひとりも作れずに4年かけて卒業しました(笑)。
※1 新世紀エヴァンゲリオン
1995〜1996年にかけてテレビ東京系列で放映されたアニメ作品。庵野秀明が監督を務めた。「汎用人型決戦兵器人造人間エヴァンゲリオン」の操縦者としての運命を辿ることとなった少年少女たちの物語で、その世界における彼らの内面的葛藤の描写が作品を特徴づけている。セカイ系と呼ばれる、主人公を取り巻く小さな環境が、大きな世界の存亡やこの世の終わりなどに直結している作品群の代表作でもある。
※2 シン・ゴジラ
2016年に公開された実写映画。日本のゴジラシリーズとしては、1954年の第1作から数えて29作目にあたり、庵野秀明が総監督・脚本を手がけた。「今の日本に初めてゴジラが現れたら、我々は一体どうなるのか?」をテーマに掲げ、「ゴジラ」という災厄に対し、官僚や政治家、自治体や民間企業といった面々が立ち向かっていく様が描かれる。
就活がイヤでゲームの道に
ところにょり氏:
作ったものはこれらです(画像参照)。ゲーム制作は2016年の1月に始めたので、2年弱でこの5作品ですね。
ところにょり氏:
最初の『ひとほろぼし』【※】を作るまでに、僕がどんなことをしていたかというと、1年くらい遡ります。
大学4年で就活をしないといけないときに、とにかく「就活したくねえ」と思って。それで「ゲームを作って、生活しよう」という目標を抱き、いっさい現実は見ていなかったわけですが、とにかくゲーム制作の勉強をし始めました。
そのときにUnityという、手軽にゲームが作れて、手間をかければかけるほどいいものができるツールと出会ったので、これを勉強しました。
僕はUnityにおんぶにだっこで、なんとかここまでやってきたという感じですね。
それから2ヵ月後にとあるところから依頼を受け、さも3年くらい経験のあるプログラマーみたいな仕事をしていたんですけど、やっぱりボロが出てしまって。
ちょうど他人のゲームを作ることに対してすごくつまらなく感じていたころでもあったので、自分のゲームが作りたくて、『ひとほろぼし』を作り始めました」。
※ひとほろぼし
2016年にリリースされたスマホ向けアプリ。ところにょり氏の第1作目。プレイヤーは蠢く巨大な怪物となって街を踏み潰す。戦車や戦闘機で抵抗してくる人類も、紫の液体を吹きかけてほろぼしてしまう。ほろぼした人数はカウントされ、画面には累計人数が表示される。シルエットで描かれたキャラクターが印象的なゲーム。
ボロクソに評価された処女作『ひとほろぼし』
ところにょり氏:
『ひとほろぼし』はどういうゲームかというと、謎の怪物が人を滅ぼすゲームです。
当時僕は1週間に1本ゲームを作って公開するという、“1週間ゲームジャム”というのを個人的にやっていて、『ひとほろぼし』は、スマホ向けにリリースしようと思って作ったもののひとつでした。
ところにょり氏:
『ひとほろぼし』は、名前のとおり、ただ人を滅ぼしていくだけ。滅ぼした人数を誰かと競うわけでもなく、ただそれを噛みしめるというゲームです。
唯一、スマホのゲームっぽいことをしようと思って、ほかのプレイヤーと滅ぼした人数を共有し、その数が続々と加算されていく要素を入れました。「最終的にみんなで全人類を滅ぼそう」みたいな。
僕としてはすごくおもしろいゲームができたと思ったんですが、リリースしたたら評価がボロクソでした。評価レベルの話ではなく、5段階評価で、なんとか2いったくらい。コメントでいちばん多かったのは、「とにかく何をしたいのかわからない」ということでした。
僕も何かをしたくて作ったわけではなく、ただおもしろいだろうと思って作ったわけで。その通りのコメントでしたので、僕の中では腑に落ちていたんです。
ところにょり氏:
『ひとほろぼし』は、人類の反撃に遭って怪物が死んじゃうと終了なんですね。そしてまたイチから始めるという、このくり返しだけ。
「みんなで滅ぼした数を共有する」ということが目標として設定されてはいるんですが、それに意味を感じる人もいれば、感じない人もいる。ほとんどの人は感じていなかったみたいですね。
とにかく、「1回で終わっちゃうし、説明も何もない」という意見を僕なりに解釈して、つぎに活かそうと思いました。……ここは僕がエラかったところで、ちゃんとつぎに活かせたんです。……ただの自慢と言うか何と言うか、ミジメな奴なんですけど(笑)。
次作『ひとたがやし』で加えた改良点
ところにょり氏:
つぎに『ひとたがやし』【※】をリリースしました。機械で地面を耕して、苗木を植えて。そうすると人が実るので収穫して、戦闘機や戦車に乗せて怪物と戦わせるゲームです。
『ひとほろぼし』の怪物が出てくるんですが、僕の裏の気持ちとしては、前作と関連づけると言うか、「『ひとほろぼし』というゲームはムダじゃなかったんだぞ」と言いたかった。『ひとたがやし』は、『ひとほろぼし』を正当化するゲームだと僕は言っているんですけど(笑)。
ところにょり氏:
改良点として、耕すことで得られる資材を投入して、戦車や戦闘機を強くできるようにしました。さらに“勇気の出る薬”という薬を人に打って、特攻させやすくするというポップな内容も追加して(笑)。
かつ、怪物たちを倒すことで脳みそをグチュッと採ることができて、そこから怪物たちの記憶を読めるようにしたんです。
ところにょり氏:
ゲームって、ほとんどのものがそうですけど、同じ作業のくり返しを、いかに作業に見せなくするかですよね。本来はくり返しがあるはずなのに、あたかもそうじゃないように偽装するのが、僕の中のゲームの本質。
“耕して人を乗せて戦わせる”という作業を、くり返しずっと続けさせる動機として、“この怪物の記憶を読んでいきたい”というものを加える。
この怪物がいったいどういうもので、倒すことによって怪物が何を思っていたのかを聞ける。だけど、話を進めていくほど倒す数も増え、その対象を失っていく。
……というのが僕の好きなコンセプトで、このあと作ったゲームにも影響しています。
というわけで、『ひとたがやし』の評価はいい感じでした。なおかつ『ひとほろぼし』の評価も3.5くらいに引き上がって。僕の想像通りというか、してやったりというか(笑)。
個人も大企業も同じ舞台で戦うアプリゲームの難しさ
ところにょり氏:
無料広告モデル限定の話ですが、アプリの収益を高めるためには、とにかくそのアプリにどれだけ滞在してもらうか、広告を見てもらうかが重要です。
その点『ひとたがやし』は物足りなかったんですよね。くり返しストーリーを読む要素はあるんですが、すべて読んでしまうとそこで終わりで、それ以上の広がりはない。
この体裁のまま収益を高めようとすると、ストーリーの幅を増やしたり、コレクション要素を追加したりして、とにかくコンテンツを長くする必要があるんですが、それは僕のように個人でゲームのすべてを制作していると難しい。これが大企業ならできるんですよね。ということで、このまま大企業と同じ方法で勝負しても、勝てないとわかりました。
アプリゲームは大企業と同じ舞台で戦わないといけない現実があるので、そこがちょっとつらいところ。大企業が、天才的なシナリオ、絵、音楽といった才能を集めて作ったゲームに対して、ひとりで戦わないといけない状況がプラットフォーム上できちゃっているので。
終わりのないゲームの構造を考えた『ひとりぼっち惑星』
ところにょり氏:
コンテンツをただ増やすだけでは勝てないと思って、『ひとりぼっち惑星』を作りました。この『ひとりぼっち惑星』のことは、もしかしたら知っている方もいるでしょう。
機械どうし、人工知能どうしが戦いあっている世界に、ひとりぼっちで生き残っている生きものがいて。機械たちが壊し合っているところから壊れた部品を集めて、アンテナを大きくして。そのアンテナを使って、惑星外の宇宙から“声だったりするもの”を受信していくというゲームです。
ところにょり氏:
基本的には『ひとたがやし』と同じで、強化機能があって、アンテナを強化してくという構造です。加えて、機械たちを増やし、アンテナを大きくすることによって、ストーリーを読むことができます。
最後に付け足したのが、メッセージを送り合えるという機能です。自分が送ったメッセージは、不特定多数のどこかの誰かに届くし、受信したメッセージは、運営側が作ったものじゃなく、別のユーザーが作ったものという構造にしました。
とにかく、“終わりのないゲーム”にしたかったんですね。終わりがあるとそこで止まっちゃいますし、コンテンツを増やすための労力をどうしてもひとりでは割けないというところを解決するために、「ユーザーに作ってもらおう」という発想になりました。
アプリ滞在率は『ひとたがやし』と比べると、おそらく3倍~4倍ぐらいにはなって、そのぶん収益もよくなったという……いやらしい話ですが(笑)。
雨の日にしか遊べない『あめのふるほし』
ところにょり氏:
『ひとりぼっち惑星』を出してどうなったかと言うと、ユーザーの数が増えに増えて手に負えない状況になりました。サーバーをお借りしていたニフティクラウドさんの負荷があまりも増えすぎて、ほかのユーザーやアプリにも影響を与えてしまい、強制的に止められたという……。
そこで僕は本当にイヤになって、「アプリ消したろかな」ぐらいのところまでいったんですけど、さすがに子どもっぽすぎると思って食い止めました。
そうしてつぎつぎにゲームをリリースしていくんですけど、最近リリースした『あめのふるほし』はちょっと僕的にはおもしろいと思っていて。これは現実の天気と連動していて、雨の日にしか遊べないんです。晴れだと星がスモッグに覆われていて、雨になるとスモッグが晴れて機械が動かせるという設定なんですね。OpenWeatherMapという、天気の情報を取得できるサービスとの連動ありきのアイデアで。
僕は基本、Unityの機能でできることから逆算したり、いま自分にできることからコンセプトを考えることが多いような気がします」。
自分が文句なくおもしろいと思うゲームには、刺さる人が必ずいる
ところにょり氏:
僕は“アガる瞬間”を羅列することはできませんが、“誰にとってアガるゲームを作るべきか”ということに対しては、明確な答えがあります。僕の場合は「高校生のときの自分」で、それは今後も変わらないだろうと思うんです。
コンテンツがニッチ化していくというか、フェチ化していくというか、どんどん細分化されていって、誰もが好きなゲームがどんどん減っていくいまの世の中で、自分が文句なくおもしろいと思うゲームを作れば、刺さる人は必ずいる。そういう熱意でやっています。
『ひとりぼっち惑星』のときはヘンな感じだったんですが、『ひとたがやし』や『からっぽのいえ』【※】という、ほぼ自分のために作ったゲームが、それなりの人数の人に受け入れられて、実際その収益のおかげで僕は生活できているので……。
いろいろな人の意見を大事にしつつ、やっぱり自分がいちばんおもしろいと思えるゲームというのを作っていくと、活路は見えて……見えない場合もありますが(笑)。僕自身、その恐怖と戦いながら、今後もゲームを出していかないと生活できないんですけど……。「終わったら、そんときは終わりだな」という感じでやっていきたいなと思います。
※からっぽのいえ
2017年にリリースされたスマホ向けアプリ。ところにょり氏の第4作目。住人がいなくなった空っぽの家を、家庭用汎用性ロボットが守り続けている。襲ってくる機械を倒すと家を強化できるようになるが、ロボットの記憶容量は限られているため、強化するたびにかつての家主との記憶を失っていく。
作家志望だったが、文章だけで表現することに困難を感じたところにょり氏。小説とは違う創作も試してみようと始めたゲーム制作が、小説以上に肌に合っていたようで、そのときからいまに至る気持ちを「逃げた先にあったものではあったが、すごく楽しい」とふり返った。
また、ところにょり氏は、ゲームタイトルそのものよりは、作家性を届けることを意識しているという。「作家性を活かせば、ゲームがダメになっても自分は生き残るから、作家性を重んじる流れを作っていきたい」と、大人数体制から少人数体制・個人でのゲーム制作がめずらしくなくなってきた昨今のゲーム業界について、作家ならではの発想からくる意見を述べていた。