任天堂、次期代表取締役社長に46歳の古川俊太郎氏。君島達己社長任期満了に伴い、6月就任へ

 任天堂は2018年4月26日、次期代表取締役社長として46歳の古川俊太郎氏が就任予定であると発表した。同日実施された取締役会にて内定した。任天堂が公表した古川氏の略歴は以下のとおり。

●古川俊太郎氏の略歴
生年月日 昭和47年1月10日
最終学歴 早稲田大学政治経済学部
出身地 東京都
略歴 平成6年4月 当社入社
平成24年5月 株式会社ポケモン社外取締役(現在)
平成27年7月 経営企画室長(現在)
平成28年6月 取締役(現在)
常務執行役員(現在)
経営統括本部管掌(現在)
平成28年9月 グローバルマーケティング室担当(現在)
所有株式数 100 株
(略歴は任天堂 | 代表取締役等の異動に関するお知らせより)

 古川氏は、6月28日に開催される株主総会とその後の取締役会の決議を経て、正式に代表取締役社長に就任するという。現社長の君島達己氏は6月同日に任期満了をもって退任する。
 君島氏のその後については任天堂からいまだ正式な発表がなされていないが、朝日新聞や日本経済新聞の報道では、今後は相談役に就くとも伝えられている。

任天堂による発表。なおNintendo Switchの開発総合プロデューサーであり、ここ最近のNintendo Directの司会を務めていた小泉歓晃氏は、執行役員に就任している。
(画像は任天堂 | 代表取締役等の異動に関するお知らせより)

岩田前社長からバトンを紡いだ君島氏

 任天堂では中興の祖である山内溥氏の指名を受けるかたちで、2002年から10年以上にわたり岩田聡氏が代表取締役社長を務めてきた。氏の就任以降、任天堂はゲーム人口の拡大をテーマに、2004年の「ニンテンドーDS」と2006年の「Wii」にて大ヒットを記録。
 2011年の「ニンテンドー3DS」では逆ざやで、2012年の「Wii U」ではセールス面で苦戦したが、その後の業績は徐々に回復し、2015年3月期の決算では営業黒字に復活している。
 また2015年3月には、ディー・エヌ・エーと業務提携し、当時活況を迎えていたスマートデバイス向け市場への参入を発表。さらに後の「Nintendo Switch」である新型ゲーム機「NX」の存在を明らかにしていた。しかし岩田社長はそれらが結実するのを前に、2015年7月11日に55歳で逝去する。

 
(画像は任天堂株式会社:会社情報より)

 岩田氏の四十九日を経て同年9月に就任した君島社長は、技術フェローの竹田玄洋氏、クリエイティブフェローの宮本茂氏の3人を中心とした新陣営を設立。その後、2017年3月3日発売のNintendo Switchを見事に成功させた。
 岩田氏を含めたこの4人は、2013年から経営体制の世代交代と後進の育成を進めていたが、それらの準備が整う前に岩田氏が逝去したため、君島氏が当時社長の座に就いた。今回はその準備が完了したということか、君島氏が岩田氏からのバトンを若き古川氏に受け渡したこととなる。

 なお2017年6月には、竹田氏は技術フェローを退任して特別顧問に就任。岩田社長とともに任天堂を支えてきた4人のうち、宮本氏は引き続きクリエイティブフェローを務めることとなる。

文/ishigenn

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著者
ニュースから企画まで幅広く執筆予定の編集部デスク。ペーペーのフリーライター時代からゲーム情報サイト「AUTOMATON」の二代目編集長を経て電ファミニコゲーマーにたどり着く。「インディーとか洋ゲーばっかりやってるんでしょ?」とよく言われるが、和ゲーもソシャゲもレトロも楽しくたしなむ雑食派。
Twitter:@ishigenn
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