信長から乙女ゲームまで… シブサワ・コウとその妻が語るコーエー立志伝 「世界初ばかりだとユーザーに怒られた(笑)」

信長から乙女ゲームまで… シブサワ・コウとその妻が語るコーエー立志伝 「世界初ばかりだとユーザーに怒られた(笑)」

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東大やハーバードが注目した『信長の野望』

――そろそろ時間なのですが、本当に今日は、コーエーの絶え間ない挑戦の歴史を聞かせていただいたように思います。

恵子氏: 
 まあ、元々はゲームの会社ではありませんでしたからね。そういう意味では、この「光栄」という名前も大変に良かったと思いますね。
 起業したときに、国会議員の先生も通うような著名な易学の先生のところに襟川を連れて行って下さった方がいました。すると先生が、「これからの時代はもう”襟川産業”みたいに、工業や産業という名前をつけてはいけない」と言われたそうです。「今後はどんな仕事で成功するかわからない時代になる。何のビジネスでも通用する社名にしなさい」と。そして「光栄」という字は、襟川に合っていて“孤高に栄える”と言われたそうです。

――なるほど。

 でも、私はピンと来なくて(笑)。
 襟川のほうも私が大学時代にネーミングについて学んだと言ったのを聞いて、社名を考えてほしいと言いました。 でも、起業のときにはもう業務が忙しくて、しかも二人の子供を育てながら自分のデザインの仕事も抱えて、さらに当時住んでいた祖母の古い別荘は自分で修理しないとすきま風や破れた襖に悩まされますし……正直、家業の卸し業のネーミングを考えるどころではなかったのです。

 そうこうするうちに気がついたら登記の日がきて、そこで「もう、光栄でいいんじゃない?」と言ったのです。
 いま思えば、ゲームソフトの会社になるなんて当時は思いつきもしませんでした。結果的には、その先生の判断は大変に素晴らしかったです。おかげさまで、海外でもコーエーという名前が使えていますから。

佐藤氏:
 なんだか、良い話ですね。

――それにしても、コーエーさんのゲームはジャンルが幅広いし、しかもそれを模倣ではなくて、常に自分たちの頭で考えてきたのが凄いと思います。

恵子氏:
 そういう意味では、一世を風靡した『トップマネジメント』(※)がありましたね。 会社経営の勉強になるシミュレーションゲームなのですが、政治家の世耕弘成先生がお好きだったそうです。NTTに勤めていらしたときに、トップマネジメントのおかげで会社の研修で一番になったという話を仰っていただきました。
 襟川が『トップマネジメント』を制作したのも、絶対に会社を倒産させまいと勉強した成果だと思います。 まあ、こんなこと言うと、義父には「倒産なんかしていない、会社整理だ」と叱られてしまいますけどね(笑)。

※『トップマネジメント』
1984年に発売されたパソコン用経営シミュレーションゲーム。NECやIBMなどの当時のパソコンメーカーを模した会社を選んで、年末商戦などを戦っていく。

陽一氏:
 シミュレーションゲームは、疑似体験により戦略や戦術を競うタイプのゲームである以上、別に歴史に限らなくても、色々なジャンルで楽しめるはずだと思うんです。そこで、特に90年代以降は歴史だけじゃなくて、経営でも恋愛でも競馬でも、色々なジャンルにこのゲームを広げられるはずだと考えて展開していきました。
 すると、大学の経営学部で「マネジメントゲーム」というものが使われているという話を耳にしたんです。自分が起こした経営行動でBSやPLがどう動くかを、ゲームを通じて頭の中に叩き込むための学習ゲームがあるというんですね。しかも、そういう大学の先生方にお会いしてみると、驚いたことに私と同じことをしていたんですよ。

佐藤氏:
 学問のトレンドにぴったり合っていたんですね。

陽一氏:
 私からすれば、先にも言ったように『信長の野望』がそもそも国を経営するマネジメントゲームなんですよ。ですから、『トップマネジメント』を作ったときも、パソコンの製造会社を自分が経営して、競合のNECや東芝やIBMと戦うというイメージで作ったわけです。

恵子氏:
 当時の役所が実務的に役立つマネジメントゲームを共同制作するようにと、大手家電メーカー数社に30億円ほどの予算を割り当てたことがあるんです。そうしたら、ある家電メーカーの社員の方が「コーエーの『トップマネジメント』というゲームが面白くて、非常に優れている」と言ってくださったらしいんです。
 それで官僚の方から連絡をいただいて、襟川が役所に説明に行くことになりました。その場では、 官僚の方に「いくらで出来るんですか?」と聞かれて、襟川が「3,000万円ぐらいです」と答えたものだから、そのお役人さんはあ然としていたそうです。

一同:
 (笑)

恵子氏:
 結局、そのプロジェクトのままでマネジメントゲームを創ったそうですが、きっと美人の秘書も出てこないでしょうし(笑)、つまらなかったでしょうね。

佐藤氏:
 もしかして、襟川さんがシミュレーション&ゲーミング学会(※)に名を連ねているのは、その流れですか?

※シミュレーション&ゲーミング学会
シミュレーションとゲーミング、それらに関連する分野の学際的な学会(公式HPより)。1989年に設立された際に、襟川陽一氏が発起人に名を連ねた。

陽一氏:
 ええ。経営シミュレーションの研究者の方々と、東京大学の関先生という国際政治学の先生のつてで連なりました。関先生は国際政治のシミュレーションの専門家で、自分の研究分野と当社のゲームが非常に近いというものだから、一度東大で話してくれと言われたんです。

恵子氏:
 最初はこの人が嫌がって、断ると言っていたんです。でも、私が「お役に立てるし」と強引に進めました。

陽一氏:
 東京大学の大学院生たちを前に、どういうアルゴリズムでゲームを組み立てて、例えば『維新の嵐』というゲームの場合、どういうふうに維新の志士たちのパラメーターなどを決めているのかなどを話したんですよ。それをキッカケに関先生と仲良くなり、それから、欧米ではずっと以前から活動している国際シミュレーション&ゲーミング学会の日本支部を作りたいというお話があり、応援させていただきました。

恵子氏:
 しかも当時、日本学術会議の会長で、文化勲章も受章された東京大学名誉教授の近藤次郎先生が『信長の野望』の大ファンで、お孫さんに唯一勝てるゲームとして、プレイしていらしたんです。
 近藤先生はいかに『信長の野望』がマネジメントゲームとして優れているかを米国のニューハンプシャーでの学会で発表されました。すると、カナダの大学やハーバード大学の大学院でも『信長の野望』を学生にプレイさせるようになってしまい、ついにはテレビでも取り上げられました。

「新しいことに挑戦してこそゲーム」(陽一氏)

――なるほど。そろそろ本当に終わりの時間なのですが、最後に一つだけお伺いしてもいいでしょうか。シブサワ・コウという名前を長い間、襟川さんが自分だと名乗らずにいた理由は何だったのですか?

陽一氏:
 2000年までは、一切表に出てこない開発のプロデューサーだという位置づけにしていました。 私が自分の名前を名乗っていたら、私が死んだら終わりだけれども、シブサワ・コウと名乗っておけば別の人が継いでいけると考えていたんです。
 ただ、2000年に開発の世界にもう一度どっぷり浸りたいと思ったときに、もう自分の名前も顔も出してしまって、責任を持って「これは私が作っています」と言った方が時代に合っている気がしたんです。

――ちなみに、名前の由来は?

陽一氏:
 コウは光栄のコウです(笑)。 シブサワの方は、渋沢栄一(※)という幕末から明治時代にかけて活躍した経済人の方にちなんでつけました。その人の生き方が私は大変に好きだったので、その名前をいただいたんです。

※渋沢栄一
1840年に生まれて、江戸時代から大正時代までを生きた。サッポロビール、王子製紙、日本郵船、さらには東京証券取引所や理化学研究所などの様々な企業の設立に関わり、日本資本主義の父といわれる。

――そこも、ちょっと「なりきり」要素でしょうか(笑)。

陽一氏:
 ははは、そうかもしれないですね。彼の考え方は、「ビジネスというものはただ利益を上げることじゃない。世のため人のためになることにある」ということで、彼の人生はまさにその実践でした。私は、その生き方にとても惚れてしまっていたんですね。ですから、当社の企業理念は、「創造と貢献」という言葉にしています。

――絶え間ない「創造」というのが、コーエーの特徴だと思いました。信長の野望シリーズも、毎回どんどんシステムを変えていますしね。

陽一氏:
 ええ。新しい面白さでお客様に楽しんでいただくのが、このコーエーテクモの方針ですから、常に新しい切り口を入れていくんです。『信長の野望』で毎回大幅にシステムを変えたり、武将を増やしたりし続けるのは、まさにこの企業理念にあります。
 ただ、そう思うのは、やはり最初の『川中島の合戦』の人気の理由がそもそも見たこともないゲームだったというサプライズにあったと、今でも思っているからかもしれないですね。『信長の野望』だって、単なる戦いではなくて、トータルに戦国時代をシミュレーションできるところに他のゲームとの違いがあり、楽しさがあると思っています。 私の中には、新しいことに挑戦してこそゲームだし、常にお客様に新しいサプライズを作っていかなければいけないという思いが強くあるんです。

恵子氏:
 ええ、常に新しいことにチャレンジして、進化できればと思います。 (了)

 珍しいコーエー創業者・襟川夫妻同席のインタビューだったが、皆さんはどんな感想をお持ちになったろうか。
 パソコンが普及して、世界中の若者がゲームを作り始めた1980年代。その中でもコーエーの作ったゲームたちは、実は群を抜いて独創的なものの一つであった。それがなぜ生まれたのかを明らかにするのが、今回のインタビューにおける編集部の裏テーマだった。 
 取材の中で見えたのは、襟川氏の優れたプログラミング能力もさることながら、様々なシミュレーションゲームを常に自分の頭で考えて、ゲームに落としこんできた果敢な姿勢であった。全くの別分野で発展してきたマネジメントゲームとも相通じるゲームデザインに彼がたどりついたのは、その姿勢にこそあったのではないだろうか。
 特に襟川氏が面白いのは、「歴史上の偉人になりきりたい」などの”ミーハーな”夢を大事にして、それを実現するものとして、シミュレーションゲームを捉えたことである。実際、この取材で襟川氏がもっとも顔をほころばせたのは、実は「コーエーのゲームの面白さは、なりきりの部分にあるのではないか」と質問をぶつけたときのことだった。齢65歳となる現在でも『ペルソナ』を楽しむ氏の、”永遠の少年”の一面が見えた瞬間だった。
 そして、もう一つこのインタビューで印象的なのが、シブサワ・コウの妻にしてコーエーテクモホールディングス会長の襟川恵子氏の、おそらく多くの人には意外だったであろうほどの奮闘ぶりである。彼女もまた夫同様に自らの強い信念にもとづいてコーエーのゲームを販促してきたわけだが、その痛快とも言える逸話の数々は、まるで歴史小説の登場人物のよう。 歴史上の人物で言えば、豊臣秀吉の妻である「ねね」、あるいは小説「功名が辻」に登場する山内一豊の妻「千代」など、夫を支えながら戦国時代を駆け抜けた女性たちがいたように、彼女もまた、ゲーム産業の歴史を彩る主役の一人であったと言えそうだ。
 ともあれ、あまり語られることのなかった襟川夫妻のエピソードが盛りだくさんだった今回のインタビュー。コーエーの知られざる側面が垣間見える取材になったのではないかと思う。

(次回は『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』を担当した伝説の漫画編集者・鳥嶋和彦氏ゲーム業界に与えた影響を紐解きます)

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