ホラーというジャンルを広く普及させるには特有の難しさがある。つまり、「ホラーは怖いから見ない」といった人間の根源的な感情によって避けられてしまうことがあるからだ。
とくにインタラクティブな性質を持つビデオゲームにおいてはそれは顕著だった。あえて「だった」と過去形で語らせていただいたのは、その風向きが変わっているからだ。近年では、インフルエンサーなどによるホラーコンテンツの実況や配信が当たり前となっており、「怖くて見られない」ホラーは、いまや「見ていて楽しい」という人気コンテンツに様変わりしている。
そんなホラーがより注目される時代、ネット発の新たな才能も生まれ始めている。そのひとりが、ホラー作家の背筋(せすじ)氏である。背筋氏は2023年に小説投稿サイト「カクヨム」で『近畿地方のある場所について』の投稿をスタート。もともとは友人を楽しませるために書いた短編だったが、人気を博して同年8月には書籍化。2025年には映画化され、監督を白石晃士氏が務め、主演を菅野美穂さんと赤楚衛二さんが演じ、大きな話題となった。その他の著作、『穢れた聖地巡礼について』や『口に関するアンケート』も映画化の企画が進行している。
背筋氏は大のビデオゲーム好き、ホラーゲーム好きとしても知られており、その縁から『SIREN』のシナリオを担当した佐藤直子氏、映像監督の西山将貴氏とともにホラーユニット「バミューダ3」を結成。体験型展示イベント「1999展 -存在しないあの日の記憶-」も開催している。
さらに背筋氏は和風ホラーゲーム『零』シリーズを1作目からプレイしているというのだ。『零』シリーズといえば、シリーズ2作目のフルリメイク作『零 ~紅い蝶~ REMAKE』が本日3月12日に発売となった。
そして、映画『近畿地方のある場所について』のBlu-ray/DVDの発売は明日3月13日を予定している。

……これはなにかの縁に違いないということで、電ファミニコゲーマーではホラーゲームをこよなく愛する背筋氏と、『零 ~紅い蝶~ REMAKE』でディレクターを務めるコーエーテクモゲームスの柴田誠氏の対談を実施。恐怖の定義や描き方、日本文化的な要素とホラーの相性、そして「恐怖における時代性」など、幅広い視点で「恐怖」について語り合っていただいた。
また、柴田氏といえば「幽霊が見える人」としても知られ、「消臭スプレーで除霊」の生みの親でもある。「見える」からこその恐怖演出など、本対談ならではの話題にも触れていただいている。

聞き手・文/豊田恵吾
実体験からくる本物の恐怖の音とは?
──本日はよろしくお願いいたします。背筋さんと柴田さんはもともと面識があったのですか?
背筋氏:
1999展にお越しいただいたときに、ご挨拶をさせていただいて。立ち話でしたが、10分ほどお話をさせていただいたことがあります。
柴田誠氏(以下、柴田氏):
背筋さんの小説を読んでいたので、和風ホラーのイメージソースをお聞きしようと思ったんです。そのときに『零』についての感想もお聞きして、サウンドがとても印象的だったという話をしていただきました。
『SIREN』【※1】が好きだというお話は佐藤(直子)さん【※2】から聞いていましたが、まさか『零』シリーズを全作プレイされているとは思いませんでした。
※1:『SIREN』
2003年、ソニー・コンピュータエンタテインメント(現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)から発売されたプレイステーション2用のホラーゲーム。
※2:佐藤直子氏
『SILENT HILL』や『SIREN』の脚本を手がけた脚本家 兼 ゲームデザイナー。柴田さんと佐藤さんは親交が深い。
──サウンドというのはゲームBGM的なものではなくて、柴田さんの実体験からくる、幽霊が出てくるときの音やSEでしょうか。
背筋氏:
はじめてプレイしたときから、「普通の文脈で怖がらせようと思って出る音じゃない」と感じました。そのころは中学生でしたが本能的に感じていたんでしょうね。あとで攻略本を買って読んだり、電ファミさんのゲームの企画書でお話しされていた内容をみて、柴田さんの実体験がベースになっている「音」だと知ったときに、すごく腑に落ちました。
私自身は幽霊を見たことはないですし、幽霊が発する音を聞いたこともないですが、なるほどと。「奥行きのある怖さの音」だと、すごく印象に残っていたので、感動したことを柴田さんに直接お伝えしました。
柴田氏:
心霊ホラーゲームのサウンド表現は独特なものです。難しいのは、探索しているときの「幽霊が出てきそう」な雰囲気作りですね。実体験ですが、「出そうなとき」って人間が聞こえない帯域の音が鳴っているような状態だと思うんです。霊が音を発しているが、なかなか聞こえないので集中する。その時の状態を再現しようとしています。
私もそんなに霊感が強いわけじゃないから、霊の音が鳴っているのに聞こえない……その音に耳を合わせようとすると、いろいろな細かな音が普段よりしっかりと聞こえてくる。それが幽霊が現れる前の雰囲気なので、聞こえない帯域の音を入れると同時に、細かな音をたくさん入れてあります。
聞こえない帯域の音が爆音で鳴っていることもあるので、『零』をプレイしていたら犬が吠えましたとか、鳥が騒ぎましたと教えていただくことがあるのですが、おそらく犬や鳥にはその爆音が聞こえていると思います。実家でプレイした時に生け花の花が全部落ちたこともありますが、音のせいでしょうね。
──サウンドチームが作ってきた音に対して「いや、本物の音はそうじゃないんだ」と、マイクを持ってご自身で表現されたというエピソードを1作目のときからおっしゃっていましたよね。
柴田氏:
幽霊の声真似のことですね。幽霊の囁きを真似できるから「やってみよう」と。実際に聞いたことがあるから得意なんです(笑)。1作目の囁き声は、私の声を入れてあります。それ以降は、声優さんに私の声真似を聞いてもらって、再現したものを収録しました。
背筋氏:
柴田さんのインタビューなどで、実体験をもとにされたサウンドだと裏取りができて、「ああ、自分の感じていた感覚は正しいものだったんだ」って答え合わせができた感じでした(笑)。ふつうに作っている感じではないんだろうなと思っていましたし、何と言うか……「ギュッ」という音というか、感覚がありますよね。
柴田氏:
霊体験がないのに、その感覚がわかってもらえるんですね。プレイすると「霊感が少しあるような体験」ができるゲームというのも狙いのひとつなんです。
背筋氏:
それと、『零』では幽霊の造形自体はそんなに崩していないじゃないですか。首が曲がっていたりはするけど、いたずらにゴアとかグロテスクな方向には走っていない。そこに美しさがあるんですよね。人間っぽい幽霊、人間だったことが確実にわかる幽霊が襲ってくるんだけれども、鳴っている音は明らかに定型っぽくない。
そのアンバランスさも含めて、すごく怖いなというのが『零』に対しての印象です。幽霊として立っているんだけど、その音が鳴っているからこそ感じる「絶対に意思疎通が図れないだろうな」というのが、身に染みて伝わってきちゃうというか。
柴田氏:
私の場合、幽霊の位置から特定の音がするんです。その音が高くなったり低くなったりしているんですが、音自体は変わらない。霊が見えなくても音は動いたりするから、「あ、何かいるけど見えないんだ」というのがわかる。
背筋氏:
それは個体によって違うんですか?
柴田氏:
個体によって特有です。そういった気配みたいな音は人間からも多分出ていると思うんですが、人間ともまた違う。微妙な差なんですけど、幽霊だとわかる。もちろんゲームではエンターテインメントとして音は派手にしていますけど、私は霊がしっかり見えない分、音が先に来るんです。
背筋氏:
射影機で撮影したときの音も独特じゃないですか。フェイタルフレームのときは「シャキーン」といった音がしますけど、そうじゃないときのグニャッとした音がすごく耳に残るというか。「ふつうに作ったらこういう音にはならないだろう」という音が鳴っている。そしてそれが怖くなる。それが『零』シリーズの魅力のひとつなんだと思います。
──ちなみに、背筋さんはビデオゲームがお好きだと聞いていますが、幼少期からゲームを遊ばれていたのですか?
背筋氏:
子どものころからずっと好きです。『零』シリーズは1作目からすべて遊んでいますし、コーエーテクモゲームスさんのゲームでしたら、先日発売された『仁王3』はトロコン(トロフィーコンプリート)しています。『零』1作目が発売されたのは2001年ですから、私は12歳だったのですが、当時は『サイレントヒル』の1作目、2作目も遊んでいましたね。

柴田氏:
『仁王3』をトロコン……かなりのゲーマーですね。ホラーゲームは昔からプレイされていたのですか?
背筋氏:
ずっと遊んでいましたね。スーパーファミコンの『クロックタワー』も遊んでいましたから(笑)。ですので、「ホラーゲームを遊ばない」という選択肢はあまりなかったですね。
──ご両親がホラーゲーム好き、というのではなく、ご自身でチョイスされて購入されていたんですか?
背筋氏:
年齢的な制限はあったので親にねだってはいたんですけど、自分の選択として買っていました。私、実家がお寺だったので、そういう意味では耐性があったのかもしれません。
柴田氏:
素養があったわけですね(笑)。
背筋氏:
(笑)。あと、兄がいるのですが、兄もゲーム好きで。『ファイナルファンタジー』とか『聖剣伝説』をプレイしていて、それをずっと隣りで見ていたんですね。そこから「自分でもやってみよう」となり、ホラーゲームを手に取り始めました。
──『零』をプレイして音が印象的だったということですが、怖さの見せ方やゲームとしてのおもしろさを、どう捉えられましたか?
背筋氏:
当時は単純におもしろいと思って遊んでいましたが、大人になってリマスター版『零 ~濡鴉ノ巫女~』(ぬれがらすのみこ)をひさしぶりにプレイしたときに思ったのが、ホラーとしてのナラティブとシステムがすごく噛み合っているということでした。ふつう、お化けって怖いから見たくないと思うんですけど、それを見ないといけない、写さないといけないというシステム自体が発明だと思います。
しかも、ちゃんとカメラに捉えないといけないから、真正面から見続ける必要がある。ただそれだけだと嫌なものを見続けていることになりますけど、幽霊のキャラが立っているじゃないですか。幽霊それぞれにバックストーリーがあり、アーカイブからその人生を垣間見れる。怖いんだけど、どうしても興味が湧いちゃうんですよね。「どうしてこの人は何度も上から落ちてくるんだろう?」とか、「首が変な方向に曲がっているのはなぜなんだろう?」と。
ゲームを進めていくと、その疑問がちゃんと解消される。ナラティブとシステムが噛み合っているから、怖いんだけど相手にして撮らないといけない。ただ露悪的に怖いものを作っているのではなく、楽しませたいという工夫があるというのは、大人になってから改めて感じました。
柴田氏:
『零』シリーズはアクションやアドベンチャー、シューティングのゲーム要素が混在しつつ、感情に訴えかけるようになっています。銃でモンスターを撃つゲームとシステム的には似ているのですが、しっかりと目線を合わせて撮ると相手が元人間ということもあって共感してしまう。幽霊にバックボーンがあるので、残った感情みたいなところから「なぜ幽霊になったのか」理由がわかる。射影機で写すことでただ幽霊を撃退するのではなく、その残った感情や幽霊になった経緯をプレイヤーが知ることができるんです。
背筋氏:
ホラーゲームのシステムで思い出すのが、『ミシガン』というテレビクルーになってクリーチャーを映すプレイステーション2の作品。システム的には『零』と近いのですが、エモーショナルな体験としてプレイヤーが感じるものが違うんですよね。『零』は怖いんだけど「この子はどうしてこうなっているんだろう」とか、「ちょっとかわいそう」という気持ちが入って引き込まれる。
『ミシガン』の場合は怖いものをスクープで収めてやろうという、ゲームとしてカラッと楽しめるもの。こちらはこちらで唯一無二の楽しさがあります。一方で、『零』は撮影対象に複雑な感情が乗ってきていて、この感覚は『零』でしか感じられない体験なのだと思います。





