「老い」を欠損した世界だった。
不老の神の祝福は、
水平感染によって平等に与えられる天恵と触れ込まれた、
にも関わらず、
ヒト血液の大量摂取を欠けば致死となる紛い物であった。
ひとにぎりの老人が、不老となり、貴族となった。
有り余る時間にあかせ、貴族たちは編み出した。
不死ゆえに究められる、異能と魔道。
そして、食餌となる子供を効率的に生産し、浪費するすべを。
貴族以外の全人類が、不老ならぬ、家畜となった。
男は異質な存在だった。
何重もの防止策をすり抜けた、水平感染発症者。
高い知能と攻撃性を備えた突然変異体。
彼は単身で貴族社会への抵抗を試みた。
不老の体を得ながら血の摂取を拒み続け、
肉体は数年で貴族のごとき老体に変容したが、
身を挺しても、救いたかったのだ。
自分と同じ家畜たちを。とりわけ、同じ部屋で長年を過ごした白皮症の少女を。
貴族は彼を災いとみなした。家畜も彼を災いとみなした。
家畜は善良で平和主義だった。食餌として好都合だからだ。
『死ぬから許して』
ある貴族へのとどめの一撃に割り込んだ家畜が、
無垢な笑顔を血に染めて、懇願する。
自分が死ぬから。血を差し出すから。それで我が主を許せと。
男は。
アルマと烙印された家畜の白すぎる肌を引き裂き、その血を飲み干した。
その後の彼の全ては、アルマのためにあったといえる。
アルマの死は、己の不老にかけられた冷笑的な呪いだった。
アルマの献身は、自分が憧れ、取り戻したかった人徳なるものの最悪のパロディだった。
気が遠くなるほどの後悔と自己嫌悪と逆恨みと理論武装の果て、
異形の思想と無双の魔術を手に入れて、男は世界を簒奪した。
『それ』が訪れた時、
男は魂の声を異世界に飛ばし、アルマの名を持つ少女を殺す遊びをしていた。
全能を以て男は『それ』に抗ったが、傷一つつけることはできなかった。
やがて男は諦め、滅びゆく世界を脱出し、異世界を巡るあてどなき旅に出る。
――そして遂には「戦乙女」に囚われ、終わりなき巡礼に加えられることとなった。
男の名はヴェズルング。
嘘と屈折を司る道化の邪神を僭称した、愚かで憐れな男の成れの果て。