VRゲーム「サンデル入ってる」
麻野:
じゃあ、そろそろゲーム化しようか。
俺は一つ腹案があるんだけど、VR……というかARかなと思うんだよね。
飯田:
おお。それはどんな感じですか。
麻野:
グーグルグラスみたいなのを装着して日常生活を送ってると、サンデルが画面にふっと現れて、「今の君の行動は、正義にかなってるかどうか」をうるさく言ってくるの。例えば、誰もいないところで赤信号を渡ろうとするじゃない、すると、サンデルが「君の名前は?」と聞いてくる。
一同:
(爆笑)
麻野:
「カズヤです」って答えると、「カズヤ、今の赤信号を渡るのは、どういう正義にかなってるんだい?」と聞いてくる。
米光:
サンデル管理社会(笑)。
麻野:
タイトルは「サンデル入ってる」(笑)。
飯田:
実際、人間は「倫理的たれ」と常に思い続けた方がいいと思いますからね。ワイドショーやまとめサイトが誘導する下世話さに惹かれてしまう自分を、ちょっと客観的に思った方がいい。暴言を放つ前に一瞬手を止めるとかね(笑)。
麻野:
まあ、俺もいつも「送信しなきゃよかったな」と思ってるからね(笑)。
そういう意味では、内心を倫理でコントロールするのは難しいけど、行動をコントロールするのはできるよね。「死ね」と“送る・送らない”と、心の中で“思う・思わない”って別だしね。
正義ポイントを稼ぐドラクエ風RPG……!?
米光:
じゃあ、行動にポイントでもつけてみようか。こう、首輪をはめられていて、正義に反することやるたびに減っていって、0になったら爆発する(笑)。
麻野:
孫悟空みたいだな(笑)。そしたら、サンデルに従ってパラメータは3つでしょ。カント・ベンサム・アリストテレス。
それが各々、最初は100あって、増減していく感じじゃない。「カント的にはマイナス1ポイントだけど、逆にベンサム的には3ポイントゲット」みたいなね。
米光:
「アリストテレス的には下がるんだけど、今カントは2しかないから、今日はカント的に行くかー」とかね。しかし、「お前、どういう基準で生きてるんだよ」とみんなに思われるよね。
麻野:
なにせトリプル・スタンダードで動く人間だからね(笑)。誰にも信用されない。
飯田:
そこに現代思想でも絡めましょうか。
麻野:
いやあ、現代思想の正義って「善」とは結びついてないし、功利主義でもないから、全てカントになっちゃわない? 強いて言えば、『狂気の歴史』のフーコーとか? 社会の側こそが社会不適合者を作っているという。まあ、でもそれも大きくはカントだよな。
米光:
じゃあ、素直にRPGにしてみるのがいいのかなあ。
まあ、勇者は正義を目指さなきゃいけないからね。パラメータは3つで、『ドラクエ』みたいな感じでいくとか?
麻野:
ここに5匹のスライムと、1匹のスライムがいて……みたいな話をするのかな(笑)。
とりあえず、まずは王様に呼ばれるところからゲームスタートだよね。
米光:
そこで、まずは王権制というシステムについて問いかけられる。「俺、身分差別してるけどいい?」とか聞かれるの(笑)。
麻野:
まずはそれだよね。そこで、「はい・いいえ」の選択肢が出てきて、もうその時点からカント・ベンサム・アリストテレスの採点が始まってる。
飯田:
いや、いっそもう名前入力のときから採点しましょう……「その言語体系は正義なのか?」とか。
米光:
ゲームが始まらないよ(苦笑)。
麻野:
エンジニア的には、「C言語がいいのか」みたいな論争があるけど……まあ、そこは普通に功利主義で決まるか(笑)。
米光:
あと、ドラゴンを倒すのは正義なのかも問わなきゃね。「ドラゴンに生きる権利はないの?」みたいな。ドラゴンを救うか、100万の民を救うか――。
麻野:
その問いかけの時点で、もうベンサムだよね。
でもさ、ちょっと話は飛ぶんだけど、俺はカントが人権を特別扱いしているのには思うことがあるんだよね。我々人類の共通性って、遺伝子がだいたい一緒だと言うことでしょ。でも、それは間違いなくネアンデルタール人を絶滅させたからなんだよ。もし彼らが生き残ってたら、きっとカントの人権の概念は変わってると思う。
だから、こうして平気な顔をして生きているけど、俺はときどき「ネアンデルタール人に俺たちは悪いことしたんだな」――とか思うんだよね。
米光:
麻野さん、哲学者だよね(笑)。
飯田:
原罪、背負って生きてますよね。
「トロッコ問題」を追体験するVRシミュレーション
麻野:
さて、どうしようか(笑)。
まあ、とりあえず色々と言ったけど、太った人間を突き落とすべきかを5分くらいで考えるVRゲームはアリかもしれない。何もしないと、5人死んじゃうんだけど、そこは自分で選択する。で、カント・ベンサム・アリストテレスの3つの倫理でジャッジを入れてくとか?
飯田:
どうですかね。いっそ、ポイント制とか入れなくていいんじゃないですか?
米光:
どういうこと?
飯田:
もうね、ただただ自分が選択した結果をひたすら背負うんです。もうずーっと、5人が死ぬところを永遠に見続ける。
米光:
ああ……状況設定をリアルな映像で見て、その選択をした結果をしみじみと味わう、と。
飯田:
電源オフするまでずーっと苦しんで死に至るまでの様子を眺めながら、終わったら先頭からもう一回始まって……「これで本当に良かったんだろうか」としみじみ考える。
麻野:
なんじゃそりゃ(笑)。どんなゲームだよ。
飯田:
突き落とした場合は、突き落とした人の本人視点からの映像が入って、どんどんブラックアウトして死んでいくわけです。そして、今度は客観的に死んでいく様を、もういろんな角度からカメラで見る。
米光:
『ウイニングイレブン』のゴールを決めたあとみたいな演出で(笑)?
飯田:
状況だけを提示する。これぞ哲学であり、誠実なジャーナリズムです。
麻野:
やってて楽しくないだろ(笑)。だいたい、ホラーでもないし、サンデルも関係ないじゃん(笑)。
米光:
死ぬのが全員サンデルとかは? 1人のサンデルと5人のサンデル、どっちを……。
一同:
(爆笑)
飯田:
でも、こういう辛気くさいゲームは、ときには人気が出ますよ。時代が浮かれすぎた時にバランスをとる役割がエンターテイメントにはあるので。
麻野:
そういう意味で言うと、飯田さんが昔作った『ディシプリン』【※】もそれに近いけど、売れなかったじゃん(笑)。
※ディシプリン*帝国の誕生
2009年8月25日に配信開始されたWiiウェア用ゲームソフト。飯田和敏氏がディレクターを務めており、話題を呼んだ。
飯田:
それが、売れたんですよ! 絶対数はおいておいて、マーケットのランキングでは一時的に『ポケモン』を抜いた! その勢いに僕も驚きましたけど(笑)。
しかしまぁ、この作品は受け取りようによっては犯罪の正当化という側面もあるので、怖かったですね。作ってるとき、犯罪被害者から抗議があった場合、人として責任をどう取るのかをずっと考えてました。
一同:
……。
麻野:
出したの、マーベラスだっけ。いや、あれはよく出したと思うよ。
飯田:
……まあ、いざという時は対話し、場合によっては謝罪もと、思ってました。当時の僕がなぜそんなリスキーな創作を試みたのか、今となってはぼんやりとしか思い出せない……。すごい必然性を感じていたんだけど、なぜそんなあぶない橋を渡ったんだろうか……。
米光:
まあ、創作ってそんなもんだと思うけどね。
だって、何かを作るときに「この倫理の範囲でやろう」とか思わないでしょ。そうである以上、反倫理的な表現になることはあるもん。無難なものを作ろうと思って、作ったりしないでしょ。
飯田:
そうね。
倫理を超えること自体を目的にするつもりはなかったけど、結果的にその是非が議論されることは、悪くないですよね。
ハーバード大学にゾンビ登場!?
米光:
それにしても、どうしようか。
麻野:
もう……いっそ、「ハーバード大学の教室にゾンビが出てくるゲーム」で良くない?
米光:
雑なことを言い始めた(笑)。
麻野:
でもさ、ゾンビっていつも思うんだけど、人間をインディアン映画のように撃ち殺せなくなったことの代替品として、映画に登場した気がするんだよ。本当は、みんな昔の西部劇のように人間を殺したいんだよ。でも、それが出来ないから、代わりにゾンビでやってるんじゃないかな。
米光:
今やゲームを制作してても、血の色を「紫色にしろ」とか言われる時代だしね。
麻野:
戦争映画の場合は、「これは残虐で良くないことだ」というメッセージがあるけど、ゾンビは殺すことが「善」だからね。人間の殺人の欲求に応えているところがあるとしか思えない。
飯田:
なるほど……だとしたらゾンビにも人権……いや”ゾン権”があってもいいわけですよね。
米光:
まあでも、最近のゾンビ映画は、生前の記憶が残ってることも多いからね。そこで「殺していいかどうか」の倫理を問う強さが大きくなってる。
飯田:
でも、ロメロのゾンビから、そういうところはあったと思いますよ。じゃあ、サンデルもゾンビになるのかな。もう、ゾンビになってもずーっと哲学を考えてばかり。そんなマイケル……
一同:
マイケル・ゾンデル先生(笑)!
米光:
そうそう、ゾンデル先生はゾンビ化しながらも、「ゾンビは食っていいのか……」とか哲学してるんだけど、だんだん思考能力が落ちていく(笑)。それでも色々と正義についての考察を頑張るんだけど、最後は「……よくわかんないから……食っちゃうか!」ってなる。
麻野:
ゾンビになっていく人間って、「俺がゾンビになる前に、殺してくれ!」とか言いながら、ギリギリで保とうとするからね。だから、講義中にサンデル先生がちょっと下向いたなと思ったら、「わ〜〜〜!」ってBGMが鳴り出して、「しまった! ゾンデルになっちゃった!」って生徒がバンバン撃ちまくる(笑)。
一同:
(爆笑)
飯田:
いやあ、なにせハーバード大学の生徒全員がゾンデル先生の敵ですからね。みんないろんな武器を携帯していて、先生だけがゾンビ。もうドドドドドドと、ウェーブみたいにみんなで撃ちまくる(笑)。もう『暗殺教室』みたいな感じですよ。
米光:
先生を蜂の巣にしてんじゃん(笑)。
麻野:
「あの先生、すっごい良い授業をするんだけど、時々ゾンビになるのが玉に瑕だよね」とか生徒に言われてるんだよ。
米光:
そうそう。サンデル先生は今でも良い先生なの。だから、授業を続けて欲しいから、みんな頭は撃たない。授業中にゾンデルになっても、腕を撃つくらいにして、ちょっと痛みで冷静に理性を取り戻してもらう。でも授業が終わる頃には、身体はだいぶ撃たれてボロボロなんだけど(笑)。
飯田:
銃弾が上手くヒットしたら、またサンデルに戻って「君の名前は? 実に、的確なシュートだ」とか言ってくるんですよ(笑)。
麻野:
そして、最期にゾンデルは生徒に「ゾンビとして死ぬのがいいのか、人間の内に殺すのがいいのか?」という究極の「善」についての問いを投げかけてくるんだろうね。プレイヤーはハーバード大学の学生たちになって、その究極の問いに直面する。
……みたいな、そんな難しいことを言いつつ、実際のゲームとしては単にゾンビ化したマイケル・サンデルを撃ちまくってるだけのゲームだね(笑)。
米光:
ですね。
麻野:
うん、これでいいんじゃない。タイトルは『ハーバード銃殺教室講義録』で(笑)。
一同:
拍手。
飯田:
これが、今のところの結論でしょうね!
……まあ、長時間の会議の疲労が辿り着いた「ジャスティス」なのかもしれない、という一抹の疑いは持ちつつですけど(笑)!(了)
電ファミニコゲーマーの「ホラーゲーム特集」に乗じて復活した名企画「ベストセラー本”ホラー”ゲーム化会議」、これまで全3回にわたってお届けしてきたが、みなさんはどうだったろうか――。
ところで、ホラーの本質には「ギャグの感覚」があるのではないかという指摘がある。というのも、”タブー”や”穢れ”のような、日常の中で口に出してはいけないような抑圧されたことをわざわざ持ち出し「解放感」に転化しているという点で似た構造を持っているのだという。
その意味において、かつて”地雷処理班”であったと自認するBGKのメンバーによって、散々っぱら不謹慎な話題が、合法的に(?)展開されるこの企画は”ホラー”という題材を扱うのに適していたのではないかと思う。
ともあれ、5時間以上にわたって3冊もの本をホラーゲーム化するという荒技に挑んでくださった、麻野一哉氏、飯田和敏氏、米光一成氏の御三方に、心から感謝したい。