まさに正義とは何かという問いは…ホラー? 『ハーバード大学白熱教室』でベストセラー本“ホラー”ゲーム化会議【麻野一哉×飯田和敏×米光一成】

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 今回のホラーゲーム特集とともに新しく復活した名企画「ベストセラー本“ホラー”ゲーム化会議」
 『ぷよぷよ』開発者でお馴染みの元コンパイル・米光一成『アクアノートの休日』などの独創的なゲームを開発してきた飯田和敏、そしてチュンソフトで『かまいたちの夜』『街』などの名作サウンドノベルのシナリオや監督を務めてきた麻野一哉の3人という豪華な顔ぶれによる、ベストセラー本のゲーム化のブレインストーミングを記事にしてしまう企画である。



 最終回となる今回、『ベストセラー本ゲーム化会議』(以下、BGK)の著者3人に、電ファミニコゲーマー編集部がお願いしたのは、マイケル・サンデル!

 取り上げるのは、日本で2010年から放映された、NHKの人気番組『ハーバード白熱教室』を書籍化した本。日本ににわかに哲学ブームを巻き起こした、サンデルブームが記憶に新しい人も多いかと思います。
 「5人を助けて1人を殺せるか」という究極の2択を迫る有名な「トロッコ問題」をはじめ、「臓器の売買」「自殺幇助」「合意による食人」「お金を貰っての妊娠」などのサンデルの問いかける「正義」は、まさに現代社会に潜む”リアルホラー”
 そんな”現代のタブー”に切り込む本書を、BGKのゲームクリエイター男子3人はどう「ホラーゲーム化」してみせるのでしょうか……!

『ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業』マイケル・サンデル(早川書房・2010)

 日本で2010年から放映された、NHKの人気番組『ハーバード白熱教室』の書籍化。
 番組はマイケル・サンデルによるハーバード大学の超人気哲学講義“JUSTICE”を日本語に訳したもので、サンデルの生徒への問いかけをベースに進む独特の”対話型授業”が受け、”サンデルブーム”とも言うべき社会現象を巻き起こした。

 講義内容のベースになっているのはサンデルの代表作『これからの「正義」の話をしよう』。全世界200万部以上の売上を誇り27か国の言語に翻訳された、思想書としては異例の大ベストセラー作品。

 金融危機、経済格差、テロ、戦後補償といった、現代世界の問題に潜む「正義」を、カント・ベンサム・アリストテレスなどの哲学者の考えを通じてわかりやすく解説し、その前提にある功利主義に疑問を強く投げかけている。

 構成/稲葉ほたて
カメラマン/佐々木秀二
イラスト/negiyan


「白熱教室」はなぜウケたか?

飯田和敏(以下、飯田):
 どうしましょうか。じゃあ、一番好きな「教室」から話しましょうか……。

麻野一哉(以下、麻野) &米光一成(以下、米光):
 『漂流教室』

飯田和敏(いいだ・かずとし)

 1968年生まれ。多摩美術大学卒。
 卒業後アートディンクに就職、『アクアノートの休日』『太陽のしっぽ』を手がける。 その後、独立して有限会社バーラム(現・有限会社バロウズ)を設立、『巨人のドシン』を制作。
 現在は立命館大学映像学部インタラクティブ映像学科教授。

飯田:
 ……ですよね(笑)。
 軽く後悔しつつ話を始めると、この本って歴史上の哲学者たちによる「正義」に関する議論を押さえつつ、「トロッコ問題」に代表される「究極の選択」というキャッチーな設問で掴みつつ、思考を深めていくスタイル。『これからの「正義」の話をしよう』も同様です。後半にいくと、大変ややこしい論理展開が待っているけど、「掴み」が秀逸だからついていこうと思える。

麻野:
 まあ、ウケたのはやっぱりそこだよね。あと、ハーバード大学というブランド。その後、アメリカの有名大学の名前が入った本が沢山出て「絶対に買うもんか」と思ったけど(笑)。

飯田:
 あとは、対話形式の講義の面白さもありますね。みんなを巻き込んでいくのは米光さんの講義に近い。

米光一成(よねみつ・かずなり)

 1964年生まれ。1987年に専任の企画職としてコンパイルに入社。後に同社の看板タイトルとなる『ぷよぷよ』『魔導物語1-2-3』を監督。1992年にコンパイルを退社後はスティングに移籍。スティングを退社後はフリーランスに。
 ゲーム制作以外にも、ゲームをはじめとするサブカルチャーやビジネスに関わるコラム・書籍の執筆、カルチャーセンターの講師など、幅広く活動している。デジタルハリウッド大学客員教授も務める。

米光:
 うん。いま思えば、サンデルの「学生に意見を言わせて受け答える」というスタイルは、最近流行の「アクティブ・ラーニング」【※】の前身なんだよね。教育産業の大きな流れにも合っていたと思う。
 俺の場合は一人でずーっと喋るのいやだから、みんなで話したほうが面白いってだけなんだけどね(笑)。聞いてない学生がひとりでもいるとイヤだもん。

※アクティブ・ラーニング
教師から生徒に向けた一方向の講義形式ではない、生徒の能動的な参加を取り入れ.た、双方向の授業スタイル。

麻野:
 いやあ、学生が聞いてるわけないから。

米光:
 やめてよ! 本当に心が折れるんだから(笑)。

一同:
 (笑)

飯田:
 僕が目指す理想の講義は、学生をひとりずつ寝落ちさせていって、最後は僕も寝ているというもの(笑)。

 で、その後の流行で言えば、TEDの「スーパープレゼンテーション」ですね。一視聴者として感想を言うと、当初は新鮮に感じたけど最近では「あ、まだやってるんだ」みたいな気分で。そろそろ、ドヤ顔のプレゼンスタイルには飽きている……。

米光:
 どうなんだろう。自分の人生を懸けた取り組みを、当事者があの短さで紹介してくれるのは、やっぱり面白いと思うけどなあ。あくまでも導入で、興味があったら自分で調べればいいじゃん、という発想もいいと思うし。

飯田:
 たぶん、サンデルとTEDは、アメリカの知的エンターテイメントを代表する2大スタイルなんじゃないですか。スーパーボウルとNBAみたいな。どっちも完成度高いけど、ちと違和感を感じてきた。

麻野一哉(あさの・かずや)

 1963年生まれ。1987年にチュンソフト(現スパイク・チュンソフト)に入社。『弟切草』『かまいたちの夜』『街』などのサウンドノベルシリーズや、『不思議のダンジョン』シリーズといった、ゲーム史の転換点となる作品の礎を築いたゲーム開発者。
 2002年にチュンソフトを退社した後は,フリーのクリエイターとして活動している。

麻野:
 この『ハーバード白熱教室』が出たのって、2010年か。
 つい最近の気がしていたけど、確かに中身を読むと時代の流れは感じるんだよね。この本に「オバマが広島に来たら」という話が奇しくも出ていたけど、まさに今年の夏に謝罪とまでは行かなくとも、訪問するところまでは来たわけだもんなあ。

飯田:
 色々と言ったけど、千葉大学の小林先生の解説が各章の間にあるので親切だよね。

米光:
 『これからの「正義」の話をしよう』の前半の例が、アメリカンでピンと来なかったんだよ。『ハーバード白熱教室』は対話形式で読みやすいし、解説でフォローしてくれてすごく分かりやすかった。

麻野:
 俺はよくリバタリアン向けの本を読んでるから、気にならなかったな。その手の本では、定番の例を扱っていると思うよ。
 小林先生の解説も、サンデルの対話を一度読んだ後に読むとわかりやすいよね。いきなり読むと歯ごたえがあるんだけど、むしろよく整理してくれていると思う。

麻野「”正義”の基準の変化が一番のホラー」

米光:
 でもさ、「正義とは何か」という問いは、まさにホラーなんじゃないかと思うんだよね。

麻野:
 実際、サンデル本人が「これから君たちは不安になるよ」と最初に宣言してるからね。「確固とした価値観のもとで生きてると思ってるけど、実はよく考えると、それは凄く不安定なんだ」と。

 これって、怪談のある種のパターンじゃない——夜中、いつものように1階で勉強しているつもりでいたら窓に小学生の顔が一瞬見える。けど、その後にふと「あれ、俺は今日は2階で勉強してたぞ」と気づいてゾッとする——とかね。哲学的な不安っていうのは、こういう怪談みたいな「当然こうだと思ってたことが、崩れてしまう怖さ」なんじゃないかな。

米光:
 じゃあ以下、『これからの「ホラー」の話をしよう』ということで(笑)。

麻野:
 その意味で、この本の例で一番怖かったのは、SFのシミュレーションみたいな国家の話だったな。
 ある凄く素晴らしい国があって、そこではみんな幸せに暮らしてる。でも、実は一人だけ子どもが地下室に閉じ込められていて、国全体の幸福はその子供が迫害されることで成立している……という。

 一見してリアリティはないんだけど、実は我々の生きている社会を支えている警察や裁判制度だって、“えん罪”の人間の可能性を踏み台にしてると考えれば、この話にも現実味はある。実際、別に俺自身は死刑反対ってわけじゃないんだけど、死刑囚の実態はかなりのホラーでしょ。毎日、コツコツと足音がするたびに、「今日死ぬんじゃないか」という恐怖を何十年も味わうわけだから。

米光:
 確かに、ホラーそのものだよね。

麻野:
 でもさ、時代を遡ると、アンデスなんかでは太陽が昇り続けるために太陽神に生け贄を捧げていたし、日本でも江戸時代までは敵討ちはOKだった。こんまりだって、こんなぽいぽいモノを捨てちゃって、世が世なら犯罪者だったかもしれない(笑)。
 結局、時代が変われば正義の基準も変わって、何が罰なのかも変わるんだよ。それが一番のホラーなんじゃないかな。もちろん、同じ時代でも場所が変われば、それも違ってくるしね。安楽死なんかも日本では自殺幇助だけど、オランダではOKじゃない。将来的には、日本でも「苦痛からの解放者」として賞賛される可能性だって、十分にある。

米光:
 じゃあ、ちょっと先走ってゲーム化を考えちゃうと、「この世界の倫理観を判断するアドベンチャーゲーム」はあり得るよね。例えば、プレイヤーは医者で、夜の8時に昏睡状態の人を生かすか殺すかを決めなきゃいけない。で、その世界の倫理観を一日かけてアドベンチャーゲームで体験して、どういう思想にもとづく世界なのかを推測していく。そして、思想の部分はサンデル先生監修で……。

麻野:
 めちゃめちゃマーケットが狭いゲームだな(笑)。哲学好きしかやらないでしょ。もうハーバード大学と提携して授業に入れてもらって、学生に無理やりゲームを買わせるしかないな。

一同:
 (笑)

米光:
 じゃあ、もっとシンプルにして、午後8時までにシェイクスピアシンプソンズのどっちが好きかを選択するとか……(笑)!

麻野:
 バカゲー路線かよ(笑)。

米光「”自動運転”はどうするの?」

米光:
 有名な「トロッコ問題」はどうだった?
 NHKの番組が話題だった頃から疑問で「トロッコが暴走している時点で、正義を怠っている」と思って、質問そのものが悪趣味だなーって思ってた。

 その時点ですでに不正義なものを、二者択一でどっちが正義かって問われてもなあと思う。しかも、サンデルの授業って、その部分を問うことは許さないんだよね。

飯田:
 でもさ、そこはガチの対話じゃないんだから、誘導はあるでしょ。ちゃんと授業時間に収めなきゃいけないだろうし。

米光:
 例えば、最初の方に「1人の健康な人間から5人に臓器移植するのはありか」という話のときに学生が根源的な問いを放つんだけど、サンデルは「君は僕の哲学的な問いを、ギャグで台無しにしちゃうんだね」ってギャグってことにして、自分の話に持ってちゃうわけ。でも、本当にそれでいいのかな、と思うんだよ。

麻野:
 まあ、この授業は何度もやってるし、想定問答はあるんじゃないかな。大体そうでないと、こんな余裕で喋れないからね。

米光:
 まあ、それこそサンデルの頭の中には、アドベンチャーゲームみたいに分岐があって、ちゃんと対処してるんだろうけどね。
 ただ、「トロッコ問題」なんかは、哲学史的にも、「この議論は前提がそもそもおかしい」という指摘はあるらしいんですよ。だから、ナシにするのはないんじゃないの、とは思うんだよね。

……でも、実はここからが本題なんだけど、今回読み返してみて、この議論は今だからこそ大事な気もしたんだよね。

麻野:
 どういうこと?

米光:
 具体的には、AIで「自動運転」を現実化するときに、この「トロッコ問題」はリアルに訪れる気がする。
 だってさ、ブレーキが壊れたときに目の前に5人いて、車がハンドルを切って道を外せば1人殺すだけで済む、という状況は自動運転だって起きるわけでしょ。

 そのときに、どういうプログラムをあらかじめ組んでおくのかは、まさに「トロッコ問題」が突き付けていることだと思う。トロッコの例だと、そもそもとっさにそんな判断を迫られること自体が理不尽な話だと思うんだけど、自動運転ではコンピュータのプログラムとして、どういう倫理を選択するか事前にじっくり考えて実装しなきゃいけないでしょ。

飯田:
 現実には、そもそもブレーキが利かない状況になったら、自動で車を止めるんじゃないんですか。

米光:
 それですむのならいいんだけど……。

麻野:
 まあ実際、ぶつかりそうな相手との距離を測って、ブレーキをかけられる限界までしかスピードを出さない走り方はできるからね。
 でもさ、例えば「いきなり5メートル前に5人と1人が飛び降りてくる」状況になったら、さすがにどうしようもないよね。「ハンドルをどっちに切る」というよりは、「5メートル以内の不急の事態には対応不能です」という但し書きをつけた上で、そのまま直進しそうだけどね。

米光:
 つまり、トロッコ問題で言えば、「レバーを引かない」わけだ。

麻野:
 でも、この問題がそれで解決しても、次の問題もあると思うね。「このままでは対向車とぶつかって、自分が死ぬ。ハンドルを切ると、自分は無傷だけど通行人が5人死ぬ」——これは判断が分かれる気がするね。それに、対向車も対向車で「100人乗りのバス」だったりでもしたら、また判断は複雑になるよね。
 結局、トロッコ問題は非常に状況をシンプルにしているけど、現実にプログラムを組むとしたら、もっと複雑なシチュエーションに対応しなきゃならないんじゃないかな。

米光:
 この辺、実際に自動運転に関わっている人に聞いてみたいなあ。やっぱり直進しちゃうのかね。

麻野:
 アメリカ人の発想はそうなんじゃない?
 だって、アメリカ人なんて、「8割オッケーだったら、2割不安でもやる」って感じでしょ。でも、日本人は「100%安全じゃないと許さない」みたいな感じだからね。
 日本の感覚だと、内燃機関がいくら発明されても、おそらく車は普及しなかったと思うんだよね。交通事故で、年間少なくとも数万人死ぬような仕組みは、アメリカの後追いだから採用できたようなものだよ。

米光:
 俺が最初に言った、「トロッコ問題は“問い”そのものが不正義」という話は、そういう発想のものだよね。

麻野:
 サンデルも言ってるけど、そもそも車社会そのものが年に何万人もの人間が死ぬことを前提にした「功利主義」の最たるものだもん。車をなくせば交通事故の死者はゼロになるけど、アマゾンから翌日には宅急便が届く生活を失う。我々は、それは選択していないわけじゃない。
 その延長に存在しているロジックで、「ある距離より近くで飛び出してきたら轢いても仕方ない」という前提を置くことで、自動運転を許容するのは可能なんじゃないかな。

飯田「ボタン一発で殺されたらやりきれない」

麻野:
 ちなみに、俺は「トロッコ問題」については、みんなが、太った男の人を突き飛ばすのには抵抗があるのに、なぜレバーを引く方には抵抗がないのかが気になってるんだよ。俺にはほぼ一緒の行為に見えるのだけど、なんか生理学的な方面から説明するのがいい気もしていて……。

飯田:
 それこそVRの登場でわかるかもしれないですね。仮想空間で「グロい」という感覚が味わえるようになったら、太った男を突き飛ばす辛さは直感的にわかるんじゃないですか。

麻野:
 たぶん、これって「ドローンの遠隔操作で人を殺す」のと「目の前のやつを殴って殺す」のとで、どっちに抵抗があるか、という話に近いんじゃないかな。

飯田:
 知人が以前、「ドローン対ゲリラの戦争はもう起こっていて、これが生み出す“恨みの不均衡”はヤバイ」と話していたんです。殺す側が戦場にいるというリスクを取らず、安全圏からドローンを使ってボタン一発で殺人したとしたら、殺された側はやりきれない。紛争が永遠に泥沼化していく。

米光:
 やる側に罪の意識もなければ、覚悟もない。そもそも、その人を殺そうとして押したかもわからない。それは、やりきれないよね。

麻野:
 でも、遠距離攻撃という意味では、ミサイルが登場した時点で起きている話なんじゃないの。ただ、ドローンで自動攻撃していたりすると、何が何だか分からないまま殺せちゃうのはある。もうそれって「”怖さ”それ自体が感じられない”怖さ”」という感じだね。自分に人を殺している自覚がない。

飯田:
 そういうのって、実はネットの炎上と同じ構造かもしれないですね。
 だって、みんな自分がTwitterに書き込む一言なんて、大した影響力なんてないと思ってるわけですから。

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