RPGで“世界のすべて”を作ってみたかった
──さて、今回の対談には「JRPGと呼ばれるものの本質とは」というテーマがあるんですが、まずお二人には“ずっとRPGを作り続けている”という共通点がありますよね。なぜRPGなんでしょうか?
江口氏:
橋野さんは他のジャンルも作っていますよね、「ペルソナ」の音ゲーとか、『キャサリン』とか。
橋野氏:
音楽ゲームや格闘ゲームは社内の別チームや他のディベロッパーさんに作ってもらっている形です。
『キャサリン』に関しては、RPGとまったく同じ作り方をしたので、その意味であまり違いはないですね。高橋さんはずっとRPGだけを作られてこられたんですか?
高橋氏:
RPGだけですね。なんで作ってるんだろうって、自分で思う時もありますけど。根源的にはそれが好きなんだな、というのがあると思います。嫌いなものを作ってもしょうがないなと。
ただ、なんで自分が作っているのかと考えると、子どもの頃からコンプレックスの固まりだったので、もしかしたら神の視点に立ちたいと思っているのかもしれないですね、自分の作った世界の中で。
自分自身もそこに入りたいという思いや、「世界のすべてを作ってみたい」という欲求が昔からどこかにあって、それにいちばん近いアプローチをできるのがRPGなのかなって。
江口氏:
キャラクターを作りたいというよりは、世界を作ってみたいと?
高橋氏:
そうですね。実は僕自身、そんなにキャラクターに萌えてはいなくて。どちらかというと、世界のほうに重きを置いているというか。そこは『ゼノギアス』の頃から変わっていないですね。
もちろん、キャラクターもないがしろにはしていないですよ。作る以上はユーザーさんに喜んでもらおうという気持ちも、もちろんあるので。
でも、自分自身がどちらに重きを置いているかというと、やっぱり世界のほうですね。
橋野氏:
世界を作る時には、その世界を確かなものにするために必要な、リアリズムの採り方があると思うんです。
洋ゲーの場合は現実的に、この時代だったらこういう服を着ているべきだ、とかいった具合にデザインされたものが多い印象ですが、JRPGのファンタジーはそういう方向性とは違う形で、幻想世界での臨場感を生み出そうとしているような気がします。
そこが僕はよく分かっていないので、高橋さんにぜひそのことを聞いてみたかったんですよ。
高橋氏:
僕らが日常生活で使うもの、たとえばコップがあるとしますよね。ファンタジーやSFだと、変わった形のコップをデザインしがちなんですけど、そういうのは止めています。
日常生活を感じられるところはなるべくそのまま残しておいて、逆に日常生活からは想像できないようなところに、変わったフォルムのものを置くようにしているんです。それが正しいかどうかは分からないですけど、自分はそういうアプローチでやっています。
橋野氏:
なるほど。キャラクターが口にするものにこだわっていらっしゃるのですか?
高橋氏:
それだけじゃなくて身近なもの、靴だとか日用品とかですね。あるいは階段の形であるとか。そういった身近なディテールを想像しやすいところには日常的に目にするものを置いておいて、そこからだんだんと非日常的なところに持っていく。そんなアプローチですね。
ただ実際にはそれが全部実現できているわけではなくて、まだまだ志半ばではありますけど。
橋野氏:
靴が触れる場所、手が触れる場所みたいに、キャラクターと世界とが触れる接点を大事にされているということなんですね。
一方で、衣装はすごく派手ですよね。『ゼノブレイド2』のヒロインのお尻、見ました?(笑)
それなのに確かにある世界という感じがするコツは、やっぱり人が触れるものなんですね。
高橋氏:
そうですね、日常感がなくなるのがイヤなので。そうは言いながらも、ヒロインのコスチュームには趣味性が入り込むんですけど(笑)。そのへんのせめぎ合いは難しいですよね。
現実では望んでも得られないものを夢想するのが、ファンタジーの原点
──ゲームには、実際には体験できないことを体験できるという魅力があると思うんです。でも現実の世界を舞台にすると、いろいろと面倒な問題が出てくるんだけど、ファンタジー世界なら違和感がなくなるんじゃないか、というようなお話を橋野さんが以前されていて。
橋野氏:
現実ではできないことを体験できるという発想自体は、「ゼノブレイド」も同じだと思うんですよ。
高橋氏:
でもアプローチの方向は、まったく違うでしょうね。身近な体験や思い出から入ってこられるのが「ペルソナ」シリーズだと思いますから。「ゼノ」の場合はもっと漠然としているというか、夢想的というか。
絶対にそんな世界には行けないねというもの、現実には望んでも得られないものを求めたいというところが、もしかしたら原点にあるのかもしれないです。
巨神と機神の世界に行って冒険することなんて、望んだってできるわけはないので。どちらかというと自分は夢想家というか、そういうアプローチでやっている気がしますね。それはたぶん、僕が現実から逃げたいのかもしれないですけど。
橋野氏:
高橋さんは何歳ぐらいから、そういった幻想世界の夢想を始められたんですか?
高橋氏:
子どもの頃からですね。未来にすごく夢を見ていた子どもだったので。
僕が子どもの頃には明るい未来を描いた本がたくさん出ていて、未来にはこんなことが起きる、あんなことが起きるというのを想像するのが大好きだったんです。原点はそのへんだったのかなと思います。
江口氏:
僕は逆だなぁ。ノストラダムスの大予言を信じていた子どもなので。30歳を過ぎたら死んじゃうんだって、ずっと思ってましたから(笑)。
高橋氏:
その気持ちもすごく分かります。同じ世代なので。
橋野氏:
比べると、僕は幻想や奇想を楽しんだという経験が少ない人間ですね。
例えば、中世の人々がどうやって現実を離れたものを奇想したんだろうみたいなことを、絵画展にいったりして、なんとか感じようとしてみたり。
そこからスタートして、今の2018年だったらどういう奇想が描けるだろうかみたいな、そういう積み上げ方になっちゃっているんですね。面倒くさいでしょ(笑)。
江口氏:
そうやって中世の絵画だとか、いろんなものを見られているんですか?
橋野氏:
スタッフと相談しながら選んでいますね。スタッフが「ファンタジーをやりたい」と言いだした時に、みんなファンタジーそのものが好きなのか、それともたまたま好きなゲームにファンタジーが多いのか、自分もそのへんの区別がつかなかったんです。
そこがモヤッっとしたので、これを手がかりにしてファンタジーを研究してみる価値はあるだろうと。作るうえで、そこの答えが欲しかったんですよ。
そうしていくつか本を読んでいるうちに、ある評論家の方が書いたファンタジーの入門書に「ファンタジーは逃避ではない」という一節があって。「ファンタジーとは、この世界が今のままでなくてもいいという確認なのだ」と。
この世界もずっとそのままではなくて、いつかは人の力でまったく違う世界になり得るという想像力が、自分の中にあるかどうかを確認するためにこそ、幻想世界での体験が存在し得るということです。
これは自分が「メガテン」や「ペルソナ」でやってきたことの延長だと確信出来たんですね。
もちろん、ファンタジー世界での冒険に限らず、ゲーム世界に浸ることは逃避の側面もありますけど、逃避の先に未来を夢想するというか、そこに逃避じゃなくて希望を見ている気がするんです。そのことを僕は、理屈から追わないと分からなかったんですけど、高橋さんのような方たちは、少年の頃から自然に楽しまれている方たちなんだろうなと。ロマンチストって言っちゃうとヘンなのかもしれないですけど。
高橋氏:
今お話を伺って、自分はまだ絵描きなんだなって感じました。僕はもともと絵描きなので、絵的な発想から物事を考えているんだと、自己確認できましたね。
橋野氏:
僕はどうしても理屈や文脈で構築しようとしちゃうので、だから絵でバッとイメージが浮かぶというのは尊敬しますし、すごく憧れますね。とても自分でできる技ではないので。
窮屈そうにしている子どもたちを、『ゼノブレイド2』で元気づけてあげたかった
橋野氏:
過去のインタビューでお話しされていましたけど、1作目の『ゼノブレイド』の発想は、2体の神様が戦っている上に世界があるっていう、すごくファンタジックなイメージがまず最初にあったそうですね。
それを読んだ時に、高橋さんは理屈ではなくビジュアルから入るんだ、って感じたんですよ。発想した瞬間にその世界に浸っていて、その世界に他のみんなを呼ぶ、みたいな感覚だろうなと。高橋さんはそういう形でいつも作られているのかな、って思ったんです。
高橋氏:
『ゼノブレイド』の1作目に関しては、突然のインスピレーションだったんです。きっかけになったのは、2005~6年ぐらいだったと思うんですけど、当時のGONZO【※1】さんへ打ち合わせに行った時に、「こんなのを作っているんですよ」と、『ブレイブ ストーリー』【※2】の映像を見せてもらったんですね。
※1 GONZO
『青の6号』、『カレイドスター』、『アフロサムライ』などのアニメーション作品を制作しているアニメスタジオ。ゲームのオープニングムービーやアニメパートなども数多く手がけている。
その絵がすごく綺麗だった印象があって。その時に何かポッと火がついて、パパッと浮かんできたんです。もちろん、出てきたのはぜんぜん違うものなので、まったく脈絡はないんですけど。人間の脳の構造って不思議だなぁと、常々思っているんです。
だから、これまでの経験だとか、絵的な発想から生まれたというのは、言われてみるとそうだったかもしれないと思います。でも今回の『ゼノブレイド2』はどちらかというと、理屈から入っているんですよ。
橋野氏:
あっ、理屈から作られることもあるんですか。
高橋氏:
今回の『ゼノブレイド2』に関しては、みんなが今の世の中に対して窮屈に感じているので、「何か元気づけられるようなものを作りたい」という理屈から入っているんです。
僕の息子や娘を見ても、すごく窮屈そうにしているんですよ。周りにあるネガティブな情報に、どんどん引きずられていってしまう。
でも本当はそんなことないんですよ。少し考え方を変えるだけで、もっとバラ色の世界が広がっているのに。だから、もう少し元気にさせてあげられることはないかなぁと、そういうところが発端になっているんです。
橋野氏:
『ゼノブレイド2』は主人公がすごくしっかりしていて。何も知らない弱い感じではなくて、戦士として確立されたところから物語が始まるというのが、意外でした。
高橋氏:
さっきの話とも絡んでくるんですけど、後ろを向きたくなかったというのがありました。いつまでも後ろを向いていると前にも進めないし、次の自分を見つけられない。
50年ぐらい生きていると、前だけを見ていれば次の自分が絶対に見つけられるよ、というのが経験から分かっているので。
たしかに後ろをずっと見ていたい時もあるんですけど、「でもそんなことないよ」、「もっといいことあるよ」というのを伝えたかったんです。そのために主人公も、あえて真っ直ぐなヤツにしているんです。
橋野氏:
僕らの場合は、逆に何をしていいかわからない状態に主人公を置くという形になりがちなんです。強い動機がなく、行動力がなく、みたいな。
そこに周りのキャラクターがいろいろな動機をつけていって、自分から引っ張っていく人間に変わるっていう。
ジュブナイルにもいろいろあると思うんですけど、『ゼノブレイド2』の主人公は僕らの作り方とはぜんぜん違う、勢いのある描かれ方だったので、そこが興味深いなと、スタッフと一緒に見させてもらっていたんです。
江口氏:
お二人はどちらもジュブナイルの作品を作られていますが、アプローチの方法は違いますよね。
先ほどは高橋さんのゲームの発想をお聞きしましたけど、橋野さんの発想はインスピレーションなんですか、それとも論理なんですか?
橋野氏:
言葉はちょっとアレですけど、抑圧的なものを発散したいという気持ちがあるんです。「なんでこうなんだろう?」という不満や、世の中の一般の人が普通は自分でコントロールできないもの。
そういったものに対するモヤモヤが先にあって、それを作品のエネルギーに変えられないかなと。ほとんどはゲームにならないんですけど、みんなにも喜んでもらえるというネタと、発散したいストレスが上手く合わさると、これは作っても大丈夫だろうという感じなんですよね。
特にジュブナイルでは、自分や周りがモヤモヤしていることを発散するというか、考え方を変えると抜けられるみたいなことをテーマにすれば、少年から大人になる物語としてハマることもあるだろうと。そういう文脈があって、それでいつも題材を決めているみたいなところはありますね。
──橋野さんは以前、ゲームでこういうふうにプレイヤーが感じてほしいというのを逆算して、そこからゲームを作るというお話をされていましたけど、高橋さんの場合は、ゲームを通してプレイヤーにこんなふうに感じてほしい、というものはあるんですか?
高橋氏:
その時その時の思いは、あるにはあるんですけど。
自分の作ったゲーム以外では、それを語りたくないという部分があるんです。できればゲームで感じてほしいっていう。
それで感じてもらえなかったとしても、SNSで「あれはこうだよ」と説明するようなことはしたくないなと。
そういう自分の中の美学みたいなものがあって、なるべくソフトの中で完結させたいと思っていますね。
江口氏:
作ったものを見て、プレイヤーそれぞれで感じてほしいと?
高橋氏:
それでいいと思います。逆に「そういう感じ方もあるんだ」と、目からウロコというか、驚かされる時もあるので。そういうのは励みになりますね。
だから僕は、SNSを一切やっていないんですよ。作品以外のところではなるべく、ユーザーとの接点を持たないようにしようと思って。
橋野氏:
僕もSNSはまったくやってないです。ただ、僕の場合はポリシーはなくて、時間がないだけというか……完全に時代と逆行してますね(笑)。
──「感じてほしい」ということは、高橋さんがゲームを通じて何か伝えたいものはあるわけですよね?
高橋氏:
そうですね。でも、それを今お話ししてしまうと、さっき言ったことと真逆で「お前、語ってるじゃないか」となってしまうので(笑)。
現場を動かすことができない中から生まれた、ジオラマによるプレゼン
江口氏:
先ほど話題に出た『ゼノブレイド』の1作目の元になったイメージは、巨神と機神が戦っている世界のジオラマを実際に制作して、それを任天堂さんに持って行ってプレゼンされたんですよね。
高橋氏:
ウチの場合はディベロッパーですので、企画書もクライアントに向けて、一言で言い表せる文言であるとか、一発目のビジュアルであるとか、そういったものが重要になるんです。
『ゼノブレイド』1作目の時は最初にまず模型を作って、その模型だけを持って行って「これを作ります」と。
橋野氏:
模型は目からウロコですね、そんな手があるんだって(笑)。絵ではなくてジオラマにした理由は、何かあったんですか? 単純にジオラマにしたいという衝動ですか?
江口氏:
もう絵ぐらいじゃ任天堂さんは驚かないから、ジオラマを持って行けばビックリするだろうとか?
高橋氏:
そんなに計算高いものではないです(笑)。3Dゲームを作っているので、立体になったものを目で見てもらうのが早いだろうと。
ディベロッパーの弱点として、通るかどうか分からない試作に3~4ヶ月もかけられないんですよ。常に会社を動かし続けていないと、倒れてしまいますから。
現場を動かすことができないなかで、何か伝えられるものはないかと考えて作ったのが、ジオラマですね。わかりやすいですし。
今回はこんなお話でやります、こんなキャラクターでやりますという話をしても、絶対に通らないんですよ。そうじゃなくて、企画の軸足はここだから、背骨はここだからという、そんな感じのアプローチではありますね。
10本打って1本当たったらヒットどころか、もっと多いですよ、企画書は。何十本も持っていってますね。
江口氏:
そんなイメージはなかったですね。高橋さんクラスになると、もっとピンポイントで「任天堂さん、これでいいですよね?」みたいな感じだと思っていました。
高橋氏:
そんな甘いところじゃないです(笑)。
たとえ企画書が通っても、途中まで進んで「はい、ダメ」というものもありますし。それは僕らだけじゃなくて、任天堂さんとお付き合いされている他のディベロッパーさんも、たくさんあると思います。商品としてお店に並んでいるものは、本当に氷山の一角ですね。
橋野氏:
「ペルソナ」のようなシリーズ作品の場合は「作ります」というのが決まった後に、スタッフに今回の内容をどう伝えようかと考えて企画書を書くので、そこはかなり違いますよね。
高橋氏:
だから、今の自分たちのポジションはすごく幸せだよというのは、スタッフに常々言っています。
前線で戦える人、スターダムに立てる人は本当に一握りしかいない。それを作らせてもらえるのは幸せなことだと感じていますし、モノリスソフトのスタッフ全員の気持ちとして、そういう気持ちを持ち続けていたいと思っていますね。
“JRPG”の定義とは、物語主導のRPGなのか?
──「JRPG」という言葉についてもお聞きしますが、みんなそもそも何を指してJRPGと呼んでいると思われますか? お二人のゲームは常に、JRPGと呼ばれていると思うのですが。
橋野氏:
昔読んだゲーム批評の本には、「物語主導かどうか」という定義がされていましたね。
物語ですべてのゲームを引っ張っていくこと、ユーザーの目的は物語を終えることになっているのがJRPGで。
一方で洋ゲーのRPGの場合は、物語は手段の1つであって。世界を見せること、世界を体験させることが目的になっていると書かれていて、僕も「そんなもんかな」と思いながら読んだんですけど。
──昔は洋ゲー=自由、日本のゲーム=一本道みたいな、すごくシンプルな二元論があったと思うんです。でも今は海外でも、一本道のものが目立ってきたじゃないですか。物語主導が必ずしも日本的かというと、もはやそうでもないと思うんです。じゃあ、それでもJRPGと言われるものはなんだろう。デザインとかギミックとか、いろんな面を指しているのかもしれないと思うんですけど。
橋野氏:
映画は物語主導じゃないですか。というより物語主導以外あり得ないですけど、それは語るべき物語があるからだと思うんです。
だからゲームで物語主導にするなら映画を見るよ、ゲームはゲームの役割として世界を見せろよ、みたいなことなんでしょうかね? でも、ゲームじゃないとこの物語は語れないというものが提示できれば、それはRPGなのかJRPGなのかという議論ではなくて、ゲームでしか味わえない体験だと受け止めてもらえるんじゃないかなと思っているんですけど。
──正直な話、「ペルソナ」だってゲームじゃないと体験できない物語ですよね。プレイを通じてキャラクターと関係性を築いていった末にあのセリフがある、みたいなところがあるわけで。
橋野氏:
そうだといいんですけどね。高橋さんは「JRPG」という言葉を気にされたことはあります?
高橋氏:
まったく気にしてないですね。便宜上で使う時はありますよ、こういうインタビューの場とかで。
でも自分自身では、何も気にしたことはないですね。そもそも映画にしてもアニメーションにしても、そんなにジャンルを分ける必要があるのかなって思うんです。
誰かの言葉で定義してもらったほうが伝わりやすいというのはあるので、別に構わないとは思うんですけど。
江口氏:
勝手にジャンル名をつけるのは、日本人の得意なことですから。実際に作っている人は、そこは気にならないんでしょうね。