貧しくも夢があった日吉梁山泊時代
──それにしても植松さんの根っこにある好奇心が凄いですね。本当にさまざまな音楽を聴かれてきたんだなと改めて思います。
植松氏:
逆に、興味のないものって、本当に興味がないんですよ。たとえば……幼いころから、流行りものって全然知らない。
疎いというより興味がない。いま流行っているものって来年にはなくなってるわけでしょ。「それを追っかけてもなあ」となっちゃう。
だから来年になっても興味を持ち続けられるような、自分の中の何かを大切にしたほうが僕はいいのかなって思っています。
こういう仕事をしていると写真を撮られることがありますけど……たまに見返すと、20年以上着ているシャツとかもありますよ(笑)。長く愛用できるものが好きというか、そんな感じです。
──(笑)。機材も長く使っているものが多いんですか?
植松氏:
うん。いまだにずっとマックのシーケンサーソフト『Vision』を使ってるんですよ。生産が終了しているし、もう使っている人はいないんじゃないかな(笑)。
音源モジュールは、ローランドの『SC-88PRO』を使ってるんですよ。
だって使えるんだもん。何十年も使っているので……頭に浮かんだことを短時間で形にできる。
新しい機材を使ったら新しいことを覚えなきゃいけないじゃないですか。イライラするでしょ? だから僕は新しいものって全然持っていないですね。
──そうやってご自身の心に響いたものを大切にしつつ、音楽の道を邁進して来られたと。
植松氏:
ともかく締め切りがないので、「音楽をやらなきゃいけないんだ!」みたいな気負いもなく、「楽しいからやっていた」みたいな感じですね。
だからツラいとは思いませんでしたが、もしこれが音大受験が目標とかだったら、僕は絶対に無理だったと思います。勉強がダメなんですよ(笑)。
先生に習うことが昔から苦手で。「こんな感じでやるんだよ」と言われたらすぐできる人っていますが、僕はあれができない(笑)。
このあいだも靴屋さんに行ったときに紐の結びかたを習ったんですけど、何回見せてもらっても解らなかったんです(笑)。二重にするカッコいい結びかたを教えてもらったんですけどね。
でも一緒にいたうちの奥さんはすぐできていた。だからそういう人っているんですよね。
──(笑)。そういう音楽に奔放な学生時代を経て……スクウェアに入られるわけですが、大学を卒業されてから就職までの5年間に空白の時代が……。この時代、どうされていたのかなと。
植松氏:
いわゆる“日吉梁山泊”【※】時代だね。いやほんと、働いていなかったから……謎だよね(笑)。「この時代のことは、絶対に本に書かなければいけないな」ってくらい不思議な数年間でした。
どうやって喰っていたのかな。……袋のインスタントラーメンを朝半分、夜半分とかだから、そもそも“喰えていた”と言えるかどうか(笑)。お金があるときには米やスパゲッティなどの炭水化物を買って、マヨネーズをかけて食べて。
※日吉梁山泊
植松氏が日吉時代に住んでいたアパートは日吉梁山泊と呼ばれていた。企画家、音楽家、演出家などのタマゴが集結して、夢を語りながらお酒を飲んでいたという。“梁山泊”は中国の伝奇小説『水滸伝』から。そこにスクウェアの女性も来ていて声をかけられたことが入社のきっかけとなっている。
──絵に描いたような下積み時代ですね。
植松氏:
不思議と、なぜか喰えない仲間が集まってくるんですよ。それでも仲間の力を合わせると、なんとなく酒も飲めるんです(笑)。
働いていないからお金がないという自覚もあるので、そこまで不満はないんですよね。「とりあえず音楽を作ろう」って。
──そのあいだも音楽で身を立てていくことは考えられていたんですね。
植松氏:
音楽で身を立てたいという強いモチベーションはあったと思うんですけど、正確にはほかの仕事に就く気がなかったというか。ほかにやりたいことはないし、「やりたくないことを、やるのもなんかなあ」という感じがして。
「ここまで来ちゃったしな」と思って淡々と過ぎていったんですよね。普通、そんな生活をしていたら親が怒るじゃないですか。でも大学を卒業した年から、親父の仕事の都合で家族がみんなベルギーに行っちゃったんです。だから僕を監視するやつが誰もいなくなって(笑)。
そこで喰えない生活をしていても、「なんとかなってるよ」と電話さえすれば問題がなかった。
──以前“BRA★BRA”で「クーラーがなかった時代があった」というお話をされていましたが、それも日吉梁山泊時代でしょうか。
植松氏:
いや、あれはもうスクウェアの社員時代なんです(笑)。何もヒット作がなかったからお金もなく、スクウェアに入って結婚して1年目の夏は、休みの日は奥さんとスーパーに行って1日涼んで夕方に帰ってくるのが定番になっていた。
当時のスクウェアは本当にお金がなくて、宮本社長【※】が「俺、ボーナスでエアコン買ったで!」と威張っていた時代ですからね(笑)。宮本さんと僕もふたつくらいしか歳が違わなかったんで、みんなお金がなかった時代でしたね。
※宮本雅史
株式会社スクウェア初代社長。アパレル業界を経て、現在は不動産業の会長職に勤しむ。宮本氏の父が経営していた電気工事会社・電友社のソフトウェア制作部門を横浜市に開設。1986年9月、電友社からソフト部門を買い取る形でスクウェアを設立した。スクウェア・エニックス・ホールディングスの大株主としても知られている。
──下積み時代も、売れない時代も、それでも音楽ができていたから楽しく過ごせたんでしょうね。
詩人にもなりたかったことを思い出した
──ここまでは植松さんを形成する基盤となった音楽について伺ってきたのですが、作曲家としての植松さんについて、
先ほど「本当にスゴい作曲家は楽典を理解したうえで、スムーズに個性を打ち出すことができる」と仰っていましたが、植松さんが考える“スムーズに個性を出している方”というのは、具体的にお名前を挙げられますか?
植松氏:
クラシックはもちろん、ジャズでいうとチック・コリア【※】かな。ほかにはブギウギのピアノは乱暴に感じるけれどすごく個性的でかっこいい。
でも、いまの子たちは個性が強すぎると好まないんですよね。いまは……どちらかというと見た目がコンテンポラリーで、味もそこそこあるものが求められている感じがします。“自分の知らないものが怖い”と感じているのかも。
※チック・コリア
1941年生まれ。アメリカ出身のピアニスト、作曲家、ミュージシャン。ジャズを中心にロック、クラシック、ボサノヴァなどの要素が含まれた楽曲や演奏を得意としている。
──ゲーム音楽のジャンルの中ではいかがでしょう?
植松氏:
僕らの時代って音楽を基本から学んだ人がゲーム音楽の作曲をした時代ではないんですよ。だから、僕らの後輩になるかなあ……。
そうだね、浜渦(正志)くん【※】かな。浜渦くんの音楽を聴いて 「時代が変わったな」と感じましたね。
※浜渦正志
1971年生まれの作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。父は声楽家の浜渦章盛。音楽家の両親のもとでドイツ・ミュンヘンにて出生し、幼少より合唱団に所属。東京藝術大学の声楽科に進学するなど、特に西洋音楽の造詣は深い。1996年にスクウェアに入社し、『FF』シリーズ、『サ・ガ』シリーズに携わる。2009年の『ファイナルファンタジーXIII』は全編を担当。2010年に退社し、以後フリーランスとして活動している。
浜渦くんの音楽を聴いて、「きちんと学んでいるな」って。「クセのある作家性では勝負できない時代なんだな」と。音楽の構築、楽典、洗練を知ったうえで表現していくことが、ゲーム音楽にも求められているんだと思いました。
そのあたり以降で、独学の人は少ないんじゃないかな。いまは芸大の作曲科を出てゲーム音楽をやってらっしゃる方も多いですしね。
「僕に近いな」と感じるのはイトケン(伊藤賢治)【※1】や菊ちゃん(菊田裕樹)【※2】あたり。いい意味で“洗練”とかを考えて作っていないんじゃないかな。
※1 伊藤賢治
1968年生まれの作曲家、編曲家、ピアニスト。イトケンの愛称で親しまれている。1990年にスクウェアに入社。『ロマンシング サ・ガ』シリーズの音楽などを手がけている。2001年に退社し、以後はフリーランスとして活動。
※2 菊田裕樹
1962年生まれの作曲家、編曲家、ゲームデザイナー。1991年にスクウェアに入社。『ロマンシング サ・ガ』の効果音を担当。また、『聖剣伝説2』、『聖剣伝説3』の音楽を手がけた後に退社。
──年下のクリエイターから刺激を受けたりすることはあるんですか?
植松氏:
いやあ、刺激とかはもう受けないです。というか、何も感じなくなっちゃっているかも。
若いうちは“新しいものを作りたい”という意識がありましたけど、いまはそういう気が毛頭ない。「これまで自分が経験してきたことを活かして何を表現しようかな」というお年ごろです。
──どこかで境目があったのでしょうか?
植松氏:
『FFIX』、『FFX』までは、とても忙しかったし、全部が全部“最高”と言ってもらえるわけではなかったけれど、真剣に聴いてもらえていて、注目されていたから、それを意識していました。ですが……「この先、どうしようかな」とも思っていましたね。
考え始めたのは……僕がスクウェアを退社した2004年あたりかな。会社は、長いこと在籍していると会議ばかりになって、音楽を作る仕事以外にやることが増えてきちゃって。
それはしかたがないことですけどね。でも経営には興味ないから、「いち抜けた」って。
──なるほど。あくまで音楽をやっていたかったと。
植松氏:
そもそも、僕はゲーム音楽をやりたくてスクウェアにいたのではなかったから……。誤解のないように言うと、ゲーム音楽に興味がないんじゃなくてね、僕がゲーム業界に入ったころは、そもそも“ゲーム音楽”という言葉自体なかったわけですから。
作曲家として雇ってもらってそこにいた。ふと「僕は映画音楽もやりたかったよなあ」なんて思い出してね……。
でも、もう年齢は50歳近くになっていた。
そんなころに、部屋中のものを整理していたら、「なんだこれ?」って袋が出てきたんです。中からはシミだらけになった詩が書かれた紙が出てきたんですよ。
……不思議ですね。「忘れるんだ、こんなに書いていたものを」って。高校生のころに詩人になりたかったんですよ。いや、「詩人“にも”なりたかった」。
──作詞家ではなく、詩人ですか。
植松氏:
うん。そういうことをスクウェアを辞めてから思い出してきた。若いころあんなに熱中していたものなのに、忘れていたんです。あまりに密なゲームに参加させてもらっていたので……20年間忘れていました。
最近になってやっと少しずつ思い出し始めて、そういう自分がやりたかったことを少しずつ始めていかないと……。
なんかね……人間って死んじゃうし。明日交通事故に遭ったら死んじゃうわけでしょう。大概80歳くらいまで生きるだろうから、あと20年はあるだろうと思うけど、あと20年あると安心したら何もやらないと思うんです。
だから人間ね、やりたいことやらなきゃダメ。一段落してからやりたいことをやろうなんて思ったら、僕みたいになっちゃうんで。「忘れてた!!」って。
──ちなみに……どんな詩なんでしょう。
植松氏:
中学生、高校生だから「恋愛についてかな?」と想像するじゃないですか。そうではないんですよ。あ、でもそうしたものでひとついいものがあって。これ言っちゃおうかなぁ……。
──ぜひ教えてください!
植松氏:
「y=1/x」ってタイトルの詩だったんですよ。縦軸と横軸があって……このx軸が彼女で、こっちの線分が僕だとしたら……。
つまり、どこまでいっても絶対くっつかない。永遠にくっつかない。少しは近づくけど、一緒にならない。えーっと、そういう詩(笑)。
小さいころ蟻を見ることが好きだったんですよ。蟻を見てると気が遠くなるんです(笑)。あの感覚と似てるかな。あと、「海月(くらげ)になりたい」って書いてあった。僕は、海月になりたかったみたいですねえ(笑)。
──その詩を私たちが見られる機会はないんでしょうか。
植松氏:
ないと思います(笑)。ちゃんと読み返してみて、恥ずかしくないものがあればそういう可能性もなくはないですが……。可能性としては「y=1/x」くらいじゃないですか(笑)。
──そういった初心を思い出すなかで、いま打ち出したい植松さんの音楽ってどんな音楽なんでしょう。
植松氏:
バラードかなあ。でも、僕は楽器や音楽を習っていない。そういう人間が作曲家としてお金をいただいている時点で、夢はとっくに実現したわけです。正直、ここまでいろいろな方に注目してもらえるとは思っていなかったしね。
だから、いまは、「新しい音楽を作ろう!」と意気込むのではなく、これまでの土台の上に、自分の作った物語に音楽を付けていこうという感じかな。
──物語なんですね。
植松氏:
ええ。文章は書きたくなっているから、人に具体的に何かを伝えたくなっているのかもしれない。これがゲームだと、伝えるのに数十時間以上かかるじゃないですか(笑)。もちろん、それで皆さんが感動してくださるのはとても嬉しいことですけど……。
たとえばカーペンターズなら3分ぐらいで感動させますからね。僕に残された時間を考えると、ゲームで伝えようと思うともう時間が足りないのかなと。
5年前くらいに物語を書き始めて、いまはファンクラブの集会で、スクリーンに絵と文章を映して、それに僕がつけた音楽を自分で演奏しながら物語を朗読するということを始めています。
3年掛かりくらいでまだ完成していないんですけどね(笑)。今年の夏には完成形ができる予定なんです。
──そういった活動を通して伝えたいことや具体的なメッセージというのは何でしょう?
植松氏:
何でもいいんです。「人生はこう生きるべきだ」とかじゃなくて、ふと感じたこととか思ったこととか。「y=1/x」のグラフや蟻を見て、気が遠くなることとか(笑)。
──(笑)。それを受け取ったお客さんに「どうあってほしいか」などは考えますか?
植松氏:
ああ、そこなんですよね。それを考えるのがプロフェッショナルじゃないですか。それを考えるのがもう嫌なんです。
たとえば悲しいシーンだったら、悲しくなってもらう曲を作らなきゃならないでしょ。それが嫌なんです。
独り言をつぶやいていたいというか……そう! つぶやいていたい!
「お母さんとお父さんを大事にしなきゃいけないよ」とか、「人間ドックは行ったほうがいいよ」とか(笑)、そういうことをつぶやいていたい感じ。
──いまおっしゃっていただいた二つのことって、自分の後に続く人に「こういう風にしたらもっと人生楽しくなるよ」と伝えることだと思いますが、そういうことを伝えたいんでしょうか。
植松氏:
それもある、かなあ……。もし、僕に子どもがいたら「ちゃんとしなきゃダメだよ」って教えて育てていくでしょ。
でも、僕はそれをしていないので、甥っ子や姪っ子についそういう話をしてしまう。厳しい言いかたをされるのは誰でも嫌なことは知ってるので、冗談めかして伝えることが好きです。そういうことをやっていきたいのかな。「外でBBQやったら楽しいぞ」みたいな(笑)。
植松氏の考える自分らしい曲とは──創作の風景
──「何かやったら楽しいぞ」というメッセージは、全国巡業中の“BRA★BRA”にも通じているように感じます。
植松氏:
うん、そう! 楽しいことは教えてあげたいんだよね。自分が楽しいと思ったことや感動した映画などを、押し付けがましくなく教えたい。まあ“BRA★BRA”は9割がシエナさんのおかげだけどね。
──“BRA★BRA”の題材が、今回は『FFVII』をフィーチャーしていますが、あらためて思い出されたことはありましたか?
植松氏:
『FF』、『FFII』、『FFIII』はファミコン、『FFIV』、『FFV』、『FFVI』はスーパーファミコンだったでしょ。『FFVII』から初めてプレイステーションになったんだけど、キャラクターが3等身じゃなくなって、絵がスゴくキレイになった。いま見るとカクカクですけども(笑)。
だから、「しつこい音楽のつけかたをすると、絵と混ざらないだろうな」と思って、当時はあえてメロディを控えめにした記憶があるんです。
だからメロディとしては「面白い展開のものが少ないんじゃないかな」と思っていたんですよ。ところが、“BRA★BRA”でシエナさんと一緒に演奏や録音をしてみたら、「意外とバリエーションがあったな」と感じたかな。
──チョコボファームで流れる『牧場の少年』を、植松さんが「自分らしい曲」と仰っていたんですが、植松さんらしい曲というのは、ご自身でどう分析されているんでしょうか。
植松氏:
『牧場の少年』はそんなに気取ってもないし、大上段に構えてもないし……つぶやいたような曲だし。ああ……そうそう、僕はそういう曲をやりたいのかもしれない。
『牧場の少年』のようなメロディをつぶやいたり、観覧車のシーンで流れる『花火に消された言葉』みたいなもので自分を癒したり……。『片翼の天使』のような曲ばかり作っていると、ダメ人間になってしまうから(笑)。
──(笑)。でも『片翼の天使』はプレイヤーから非常に求められている曲ですよね。
植松氏:
そうだね。とはいえ、『片翼の天使』のような曲を作るのは簡単なんです。ハッタリをかましておけばいい。例えばテンポは150くらいにして変拍子と転調を入れ、あとはみんなを驚かせるギミックをひとつふたつ用意しておけば大丈夫なんです(笑)。
でも、『牧場の少年』のように自分の素が出そうな曲のほうが慎重になりますよね。
──よく『プレリュード』や『メインテーマ』は短い期間で作られたと仰っていますが、ああいう曲は簡単な部類に入るんでしょうか。
植松氏:
うーん。でも、作る時間はラスボスのほうが掛かりますよね。慎重さは『メインテーマ』や『牧場の少年』、それから『花火に消された言葉』のほうがあるかな。
バトル曲は聴かせる音楽ではなく、ハラハラしながらみんなに遊んでもらうために煽る音楽なので。
──『メインテーマ』などを作るときの着想はどこから来るんでしょう? もし言葉にできるなら教えていただきたいです。
植松氏:
『FF』の1作目のときは、オープニング画面を先に見せられたと思うんです。「ここで初めてのバトルをして、橋を渡ろうとするとオープニングの絵が出るから、ここに流す音楽を作ってほしい」という指示が坂口さんからあった気がするな。
当時はすでに『ドラゴンクエスト』があったので、「違うものを」という想いがスクウェアの中にはあったんですね。『ドラクエ』はファンファーレで幕を開けるけど、僕は正統派ファンファーレを作る自信はないし、真似をしたら『ドラクエ』になるので、自分の得意なところから攻めようと思いました。
ゆっくりとしたメロディアスな感じのほうが自分は作りやすいし、「これから冒険の旅に出るぞ!」という場面でどういうテンポの曲が合うかと考えたときに……ターリーラーリーラーリラ♪というのがいいのではと。
──メロディが頭の中にハッキリ浮かぶんですか?
植松氏:
メロディがハッキリあるというよりかは、完成形があるんです。でもそれは雲で覆われているので、僕には「こんなテンポ感」、「こんな音の厚み」というようなムードしか伝わってこない。
じゃあ「それはどういうものかな」と慎重に雲の中に入っていくわけですよ。鍵盤で音を出しながら、「これかな」という感じで探っていく。
仏師が木の中に仏様を見出すように、僕は雲の中にその曲を見出すんです。って、そんな大げさなものではないんですが(笑)。
──完成形のイメージがあって、そこに自分の気持ちを確かめながら寄せていくという感じですか。
植松氏:
うーん……そんな感じですかねえ。天才はそこでピタっと作れると思うんです。
僕にはハッキリ見えないので、「こっちかな」と考えながら作っていきますけど、ハッキリと完成形が見える人は仕事が速いんでしょうね。僕は探してしまうから。
──その探しかたって、それまでのキャリアや気づきで選択肢が増えていきますよね。
植松氏:
そうそう。作曲を長いことやっていると、それがあるからややこしくなる(笑)。「ここで転調してみるかあ」などと思い始めると、止まらなくなっちゃうんですよね。でもキリがないので、あまり悩まないことにしています。
僕の最近の仕事のしかたって、誇張なしに、朝起きてパソコンを点けて、思いついたフレーズを入力していくんです。考えない。
頭がハッキリしているときに曲を作ろうとすると、面倒くさいことを考えてしまうので、意識がボーッとしているときに作る。だから最近、作曲が速いんです。バレていないんですけどね。そこらへんはジジイのテクですよ(笑)。
──わははは(笑)。
ゲームにはそろそろ音響監督が必要
──そう長年にわたってゲーム音楽に携わってきて、植松さんの中で得られたゲーム音楽の理想形のようなものはあるのでしょうか。
植松氏:
それはね、判らないです。でも、「あまりにも同じような音楽しかないなあ」とは思っている。冒険するのって、どの時代も若い人たちなんです。
だから「若い人たちが何かやってくれないかな」と思いますね。いつまでも、昔から続くRPGのような音楽を作っていてもしかたないと思うし、かといってハリウッド映画みたいな音楽を作っていてもしかたない。
「ゲームならではのコンサートがあっていい」と僕はよく言うんですけど……ゲーム音楽は何かを追いかける必要はないと思う。若者が変な音楽を作ってもいいよね。たとえば、「自作楽器だけでこのサントラは作りました」とか。
──ああ、なるほど。もっと新しい風があってもいいんじゃないかと。
植松氏:
「何か変わったことをやりたい」と思っている人はいるかもしれないけど、それをどこまでゲーム会社のディレクターやプロデューサーが理解するかですよね。
だから偉い人が「『スター・ウォーズ』のような音楽を作ってよ」なんて言っちゃダメなんです。だったらジョン・ウィリアムズにお金を払って作ってもらうべき。
仮にA君って人に作ってもらうんだったら、「A君はどんな音楽が得意なんだろうか」、「我々はなんでA君に仕事を頼むんだろうか」と、A君の作家性を一緒になって発揮させるチームになっていかなきゃいけないんです。
でもいまのディレクターは、「じゃあ『スター・ウォーズ』でいこう」というところで責任が終わってしまっているような気がする。そんなことをしても何も面白いことにはならないわけで。
作家と腰を据えて話して、「どういうことをやりたいの?」、「だったらこんなアイデアはどう?」とやるべきなんです。でもそういう姿ってあまり見たことがないんです。
──それはどこの業界にも当てはまる話に感じます。
植松氏:
ゲームは規模が大きくなって関わる人が増え、分業制になって、昔みたいに20人で1本のゲームを作るとかそういう時代じゃありませんから。でもいま、だからこそそういう作曲家の自由な発想を取り込んでほしい。
もうひとつ、現実的なアイデアがあって。ゲームにはそろそろ音響監督が必要だと思うんです。作曲家が作った音楽をディレクターが貼り付けて、それを客観的に見る人がいてもいいんじゃないかなと思う。
たとえば「この街に入ったとき、8小節目から鳴らしてるけど、16小節目のサビから鳴らしたほうがいいよ」とか、そういうアドバイスができる人ですね。
プロデューサーでもディレクターでもない、音を俯瞰できる音響監督が必要になると思います。これいま、相当いいことを言ったな……。
──(笑)。
ここから20年は自分のやりたかったことをやりたい
──理想型の話の続きになりますが、植松さんは以前、エルトン・ジョンのヒット作『グッバイ・イエロー・ブリック・ロード』【※】のような曲が作れたら本望と仰っていた記憶があるのですが、その思いはいまも変わらないのでしょうか?
※グッバイ・イエロー・ブリック・ロード
イギリス出身のシンガーソングライターであるエルトン・ジョンのヒット作。1973年発売の同名アルバムに収録されている。
植松氏:
『グッバイ・イエロー・ブリック・ロード』は本当に名曲ですね。ただ、『FFX』で『ザナルカンドにて』が作れた時点で、夢は達成しているんです。『ザナルカンドにて』は、先ほどの『女性のための映画音楽集』に収録されていても違和感がないくらい、いい出来の曲だと思うので……そういう意味では達成している。
だからこの先に音楽で表現していきたいことってそんなにないんですよ(笑)。作曲家が言うことじゃないんですけど。演奏にも興味なくなってきたしなあ。
──いやいやいや。でもご自身のバンド、EARTHBOUND PAPAS【※】は続けられていますよね。
※EARTHBOUND PAPAS
スクウェア・エニックスの現・元社員で構成されていたTHE BLACK MAGESの後継バンドで、2010年に結成。植松氏はリーダーで、キーボード・ピアノを担当。植松氏が作曲した『FF』や『アナタヲユルサナイ』などの曲をおもに演奏。海外での活動も積極的に行っており、現在までアルバムを2枚発表している。
植松氏:
やってはいますが、「ライブに出てください」と言われてからリハーサルをするようなバンドなので。なんかね、どこかで断ち切らないと……僕、一生『FF』だけしかできないことになっちゃうじゃないですか。
だからそのうち、お金にならなくてもいいので、自分の気持ちの中で……「自分で納得できる文章が書けているな」って思えるようになりたいですね。
『ザナルカンドにて』はみんながいいと言ってくれた以上に、僕が「こういう曲を書けてよかった」と思えたので、作曲に関してひとつ夢が叶ったような感じだったんです。
それくらいの文章を書きたいという気持ちがあります。文章と絵本、やりたいな。来年60歳だしね(笑)。「60歳でそっちのほうを踏み出さないといけないな」とは思っていますね。
──先ほどからたびたび年齢のお話が出てきていますが、60歳はご自身のなかで大きな節目だったりするのでしょうか。
植松氏:
音楽にしろ文章にしろ、10年やれば一端にはなれるんじゃないかと思うんです。若いころは10年やれば一端になれたかもしれないけど、もう体力も落ちてるし……でも遊びたい気持ちもまだまだあるし。
というか、僕ずっと仕事ばかりしてきたので、遊びたいんですよ!(笑)。僕が書いた物語にステキな絵を付けてもらって、それに音楽を付けるとかね。そういうことをこの先の20年でやりたい。
──植松さんの表現への挑戦は、広がりながらまだまだ続くんですね。
植松氏:
あははは! そうだね、そういう意味では好奇心があるのかも(笑)。
──好奇心、探求心が植松さんの中にはずっとあるんだなと改めて思いました。いまは簡単に何かを調べることが可能ですが、昔はそういう制限があるなかで探求していく面白さみたいなものがあったように思います。
植松氏:
それは絶対にそう思う。制限があるほうが人間って頑張れますよ。知らないから知りたくなるでしょ? そういうのって意外といいですよね。当時の自分には役に立った気がする。
いまは知ろうと思えば知れるから、努力が必要ないのかもしれない。まあいまは動画サイトですけど。
──いまって一般の音楽の好きな子が、ニコニコ動画などで活動できますよね。そうした文化はどう思われていますか。
植松氏:
「自由に発表できる場があるというのはいいな」と。ただ発表できるまでの過程がイージーすぎて、意外とつまらないんじゃないかな。
夢って叶えることが難しいほうが、じつは達成感はあるんじゃないかなと思うんですよ。昔はね、人に音楽を聴いてもらおうと思ったら、相当な高い壁があった。
だから便利な反面、乗り越える壁が低くて、達成感も少し低いのかなと。でも……正直判らないねえ。僕はその世代ではないから。
──いまは発表の壁以上に、人に受け入れられる/られないという部分で、壁ができているのだと思います。そういう方たちに何か励みになるような言葉をいただければ。
植松氏:
つまらない答えですが、いろいろな音楽を聴くことが大事なんじゃないかなと思いますね。僕らが中高生のころって、シンガーソングライターもファンクもソウルも……日本以外の音楽が全部“洋楽”としてひとくくりにまとめられていたんですよ。
いまは「あれは好きだけど、あれは聴かない」というように、音楽のジャンルが細分化されていますよね。ヒップホップ好きの人がブラームスを聴いているとはあまり思えないしね。
でも自分から好きになって興味を持って、「この音楽の面白味を理解してみよう」と思うと、宝物は増えるわけですよ。森の中に分け入って探しにいく楽しみもできるし、それをゲットする喜びがある。だから、あまり流行を追いかけないほうがいいんじゃないかなとは思う。
それと並行して、好きなバンドがひとつあったら、それを一生追いかけ続けてもいいと思うんだよね。プロフェッショナルで才能がある人はあれもこれも追いかけられるんでしょうけど、そうでなければ道を見失いがちになってしまうと思う。
自分はどこに両足で立つか。自分の感動の種のありかは見据えておいたほうがいいのかなと思います。(了)
RPGの主人公そのもののような、探求的な旅の歩みを振り返ってくださった植松氏。
インタビュー後、植松氏が腕を伸ばしながら、「いやー、インタビューでこんなに音楽の話をすることってなかなかないから、すっげえ楽しかったー!」と笑顔で仰っていました。
個人的には、植松氏の音楽に対する情熱を目の当たりにして、植松氏の音楽を改めて聴き返したくなったと同時に、音楽をもっと聴こう、自分の好きなことにもっと没頭してみよう……と初心に返るような気持ちにもさせられました。皆さんはどうでしょうか。