最強のエースは誰か? 大谷、ダルビッシュからレジェンド選手まで分析
──野村さんの著書『プロ野球 最強のエースは誰か?』(彩図出版、2014年)では、ダルビッシュ有投手【※】と田中投手について、「ダルビッシュ有、田中将大といった日本球界の宝が流出した影響は計り知れない。彼らは金田、稲尾を超える可能性も秘めていたと思う」と語っています。
※ダルビッシュ有
1986年、大阪府出身。2005年にドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団。プロ2年目から6年連続2ケタ勝利、3年目からは史上初の5年連続防御率1点台をマーク。2007年にはチームのリーグ連覇に貢献し、MVPに選ばれた。21歳でのMVP獲得は、稲尾和久の20歳に次ぐ年少記録。『週刊ベースボール』が集計した「球界200人が選ぶ歴代投手ランキング」では1位に選出された。2012年にメジャーリーグのテキサス・レンジャーズへ移籍。その後、ロサンゼルス・ドジャースを経て現在はシカゴ・カブスで活躍している。
野村氏:
まあ、ふたりとも良いピッチャーであることは間違いないんだけど。60年間プロにいて、すごい選手をいっぱい見てきているから、ダルビッシュとかマー君だけがことさらに良いかって訊かれてもなぁ……。
昔は、いまほど目が肥えてなかっただろうけども、金田(正一)さんとか江夏(豊)を見てきているから。江夏なんかオールスターでパ・リーグが1試合で9連続三振を取られて。
オールスターという大舞台で燃える江夏豊
──江夏投手【※】は「球速が速く、コントロールとスタミナも抜群」というデータです。もちろん「奪三振」の能力もついています。球の「ノビA」は、「球速」よりも速く感じるということです。
※江夏豊
1948年、奈良県生まれ。1966年、4球団から1位指名され競合の末に阪神タイガースへ入団。1年目から1軍で活躍し2年目には弱冠20歳で25勝をあげ最多勝、シーズン401奪三振を達成(日本プロ野球記録で、MLB記録も上回っているが世界記録認定はされていない)。オールスターでの9連続奪三振など、さまざまな記録を持つ。1976年には南海ホークスへ入団、選手権監督を務めた野村氏に説得されリリーフへ転向した。当時、野村氏とは家族ぐるみのつきあいで、毎晩のように野球談義をしたという。
野村氏:
同じ150キロでも、感覚のスピードと機械で測るスピードって、違うんですよね。
スピードガンですごい数字が出ても、バッターボックスで見てきた選手に聞くと「いや、たいしたことないです」ってなることもある。
江夏の全盛期は、速かったね。リーグが違ったからオールスターで見たくらいだけど。変人だから、ああいう大舞台になると燃えるんだよ。普通の試合だと、遊んでるけど。
──「力配分」という、弱い相手には少し手を抜いて、ピンチや強打者相手には力を入れる能力があります。このデータではついていませんが、イメージではピッタリかもしれません。
著書『プロ野球 最強のエースは誰か?』では、「結論として右なら稲尾、左なら金田(正一)【※】だ」と語っていました。
※金田正一
1933年、愛知県生まれ。高校3年の夏に中退、1950年に国鉄スワローズ入団。2年目から14年連続で20勝を記録。史上最年少の24歳で200勝をあげ、その後日本球界唯一の通算400勝、4490奪三振などと前人未踏の記録を打ち立てた。すさまじい球速と球威だったようで、野村氏も「160キロ出ていたかもしれない」と評する。
なお、残念ながら『実況パワフルプロ野球』シリーズには収録されていない。
ふたつの球種で試合を組み立てた金田正一
野村氏:
いまの若い人たちは、金田さん知らないんだもんな。時代って怖いね。
真っ直ぐとカーブ、球種がふたつしかないんだもん。それでいろんな野球をするんだよ。大きなブレーキがあるカーブ、昔風に言えば「ドロップ」。バッターの顔のあたりから落ちて来るから、「高い」と感じるのにストライクよ。
高いと思って見逃すとストライク。低いところから落とされると、ボールなのに手を出しちゃうの。オールスターでも、よくパ・リーグのベンチからみんな「高いよ、高いよ」って野次ってたけど、審判はストライクをコールしちゃうんだね。
落差があるうえに、きゅきゅっとブレーキがある。なんで最近はああいうカーブを投げる人、いないのかな。背が大きい人でも、ダラ~ンとしたカーブばっかりでしょ。金田さん、真っ直ぐも速かったしね。やっぱりナンバーワンだよ。
──“たられば”ですが、メジャーリーグに行ったら活躍する可能性はありましたか? 四死球が多いなど、コントロールはあまり良くないイメージがあります。
野村氏:
(メジャーで活躍の可能性は)あっただろうね。最初の頃は「三振か四球か」ってくらい荒かったけどね、晩年はもう抜群のコントロール。
大谷翔平の出現で、自分の持論が消えてしまった
──現在メジャーで大活躍の大谷翔平選手【※】は、どう見ていますか?
※大谷翔平
1994年、岩手県生まれ。2012年、高校在学中に「直接メジャーリーグを目指す」と表明をするも、北海道日本ハムファイターズからドラフトで1位指名を受け、入団。投手と打者の“二刀流”で賛否両論を呼んだ。2016年には4年ぶりのリーグ制覇に貢献、史上初の「10勝、100安打、20本塁打」達成や、ベストナインの投手と指名打者のダブル受賞、最高球速の165km/hなど、さまざまな点で球界の歴史を塗り替えた。2017年、ロサンゼルス・エンゼルスへ移籍。メジャーリーグでも“二刀流”を続け、すでに4勝、22本塁打を記録(9月28日時点)し「ベーブ・ルースの記録を破れるか?」と注目を浴びている。
野村氏:
最近ね、俺の持論がどんどん消されていってるんだけど。「背の高い、足の長い選手に名選手はいない」って言ってたの。野球に必要な要素として、「重心が低い」っていうのがあるよね。だから名選手には胴長短足の人が多い。
だから最初は、彼は腕も長いから、内角をさばくのが難しいと思ってた。でもまあ、すごいよね。
日本の選手がメジャーで活躍できるなんて、我々の世代では、考えられない。でも、昔とはメジャーリーグのレベルが違うっていうのもある。
俺がヤクルトのとき、アメリカのユマキャンプで、アトランタ・ブレーブスでキャッチャーだったパット・コラレス【※】に聞いたんだ。「日本の選手がメジャーで通用する。我々の時代には考えられなかったが、なぜだ」って。
※パット・コラレス
捕手としてフィラデルフィア・フィリーズなど数球団を渡り歩いた後、メジャー3球団で監督を歴任。ヤクルトスワローズの臨時コーチを務めた。
そうしたら彼は「原因はふたつ考えられる」と。
ひとつは、昔は16チームだったのが、リーグが拡大して、いまは30チームある。選手の層が薄くなって、昔だったらマイナーレベルだった選手が、みんな大きな顔してメジャーでやっている。それがひとつ。
もうひとつは、日本のレベルが上がってきたんじゃないかって言い方してましたね。
昔は、あのO・Nでもムリだろうって言われていたんだよね。あの頃メジャーに行ったら、王でも……2割7分打ちゃあいいほうなんじゃないかって。まあ想像ですけどね。
往年のライバル、王・長嶋の能力データをチェック
──その王さん【※】ですが、一時期、野村さんとシーズンのホームラン数を争うライバルでした。
※王貞治
1940年、東京都生まれ。1959年に読売ジャイアンツ入団。1962年にトレードマークともいえる「一本足打法」を身につけ、38本塁打と85打点で本塁打王と打点王を獲得。1964年には、野村氏の1シーズン52本塁打の記録を破り、55本を達成。2013年、ウラディミール・バレンティンに破られるまで、長年プロ野球記録となっていた。史上初の2年連続三冠王や、世界記録である通算868本塁打、セリーグ記録である通算2786安打など、数々の記録を打ち立て、“世界の王”と呼ばれている。国民栄誉賞の第一号。巨人、ダイエー、ソフトバンク・ホークスの監督を歴任。
野村氏:
マスコミは全然取り上げないけど、彼、オールスターで全然打ってないのよ。20何打席ノーヒットや。そのときのキャッチャーは誰だ? って言えば、俺よ。
俺が一生懸命苦労して作った記録を彼は簡単に破るから、「セ・リーグのピッチャー諸君、よく見とれ。王はこうやって攻めるんだ」と、お手本を示しているのに、全然見ていない。
ホームランバッターにインコースは危ない。だから常識的に、外角中心で考えるでしょ。でも王は外が強いんだよ。外いっぱいに投げられりゃいいんだけど、それがちょっとでも甘くなると彼のホームランゾーンになっちゃう。
──『パワプロ』には「アウトコースヒッター」という能力がありますが、王選手の能力データに、これがあっても良さそうですね。
野村氏:
彼は荒川(博)さん【※】直伝の合気道打法だから。気合いだよね。
配球を読むとか、球種を読むとかということは一切ない。来た球を打つ。理想的な打者ではあるけれど、真っ直ぐしか待っていない。
※荒川博
1930年、東京都生まれ、2016年没。1953年に毎日オリオンズへ入団、1961年に引退。現役時代に、当時少年野球をやっていた王貞治を見出し、左打者への転向と早実への進学を勧めた。また、後述の榎本喜八の指導もおこなった。巨人で1軍の打撃コーチを務めた時代には、7度のリーグ優勝と日本一に貢献。王に「一本足打法」を指導した。
野村氏:
内角に弱点はあったんだけど、真っ直ぐは危ないから。そこに、今でいうカットボールとかスライダーで、ちょっと変化させるんですよ。
それをひっかけてゴロで討ち取って。20何打席一本、オールスターでノーヒット。
なのに、セ・リーグのピッチャーはマネしてくれない。ホームランバッターだからというだけで外角中心に配球を組み立てると、餌食になる。「いつも対戦していて、お前らなんでわからんのだ」っていう感じだったな。
長嶋茂雄に「ささやき戦術」は通用しなかった
──「来た球を打つ」といえば、長嶋茂雄さん【※】も同じタイプだったのでしょうか。
※長嶋茂雄
1936年、千葉県生まれ。立教大学を卒業後の1958年、当時最高額の契約金で読売ジャイアンツに入団。1年目から本塁打王と打点王、新人王を獲得。最多安打記録など、ルーキーイヤーから大活躍。現役中にリーグ優勝13回、日本一10回に輝き、ミスタージャイアンツとしてプロ野球史上最高の人気を博した。1959年の天覧試合でサヨナラ本塁打を打つなど、大一番に強く「記録より記憶に残る選手」といわれた。その一方で大卒としては史上初の400本塁打・2000本安打の同時達成など、多くの記録を打ち立てている。2013年には国民栄誉賞を受賞。
野村氏:
長嶋は……ワケわかんない。彼の攻略法で、ハッキリしたものは出ない。やっぱり天才ですよ、間違いなく。
まあ、外角の良いコースは万人に通用するんだけど、“外角・内角の見極め”というのはみんな鍛錬して、よく選球するんですよ。意外に、選球眼が良くても手を出すのはベースの上。真ん中の低めと高め。そういうところを狙ったかな。
未だに語り草になっているけど、金田さんが「長嶋には絶対に打たせない」って、初対決で4連続三振を奪ったんだ。
俺もこの対決はすごく気になってね。あのカーブは、怖気づくくらい手が出ないから、「全部見逃しやろ」と思って聞いたら、「全部空振りだ」って。新人があのボールを空振りするのはすごいよ。
──野村さんの「ささやき戦術」【※】もぜんぜん効かなかったとか。
※ささやき戦術
キャッチャーとして打者にささやきかけて、集中力を乱す戦術。私生活の暴露、挑発など、多彩な内容を含んでいたという。いらだった張本勲が、わざと大きな空振りをして野村氏にバットをぶつけた話は有名。この戦術は後に、愛弟子の古田敦也に受け継がれた。
野村氏:
いやあ、まったく通じない。少しくらい動揺しろよと思うんだけど、人の話をぜんぜん聞いてないよ。たとえば「チョウさん、最近銀座行ってんの?」って聞くでしょ。でも、それと関連した返事はまず返ってこない。
「ノムさん、このピッチャーどう?」って。「こっちはそんなこと聞いてないよ」って、そういう感じですよ。話がかみ合わないの。あの集中力はどっから来るんだろうね。
──その集中力が、大一番で結果を残す要因なんでしょうね。サヨナラで試合を決める「サヨナラ男」や、チャンスに強いデータとなっています。
野村氏:
バットのスイングスピードも速かったから、ボールを引きつけられて、見極められる。ボール球になかなか手を出さないんだから、やっかいですよ。
その「選球眼」でいったら、俺の中でナンバーワンは榎本喜八【※】だね。
※榎本喜八
1936年、東京都生まれ、2012年没。内野手。1955年に毎日オリオンズ入団。高卒1年目からレギュラーに定着。1000本安打・2000本安打の最年少記録など、様々な記録を持つ。3000本安打を達成した張本勲をして「打撃を後ろから見て勉強させてもらった」と言わしめる、元祖・安打製造機。野村氏いわく、「当時バットのスイングが早かったのは、長嶋と榎本だった」という。
元祖・安打製造機こと榎本喜八は、選球眼ナンバーワン
野村氏:
キャッチャーとして榎本と対戦したとき、内角ギリギリでちょっと外れていたストレートを、審判が「ストライク」って言ったの。そしたら榎本が「ボール1個外れてる」って言ったんだけど、正解。それくらい目が良かった。
ただ、真面目すぎてバッティングのことばっかりにのめり込んだのか、ノイローゼみたいになっちゃったのよ。ファーストを守っていたんだけど、うちの選手が一塁に出たら、みんな変なことを言われて帰ってくるの。
「お前、明日死ぬぞ」とか「クルマに轢かれるから気をつけろ」とかなんとか。そういうことを言い出すわけ。他人に言い出したら重症ですよ。プロ1年目からスタメンでずっと3割近く打ってたから、打てなくなっておかしくなった、と。
──野村さんご自身も、ノイローゼにまではならないまでも、常に野球のことを考えておられるわけですよね。
野村氏:
いやまあ、「野球とは? と訊かれて、プロはどう答えるか」ってこと。俺が訊かれたら、「頭のスポーツだ」と答える。
一球投げて休憩、一球投げて休憩っていう“間(ま)”があるじゃない。なんのために、この“間”があるのか。そんなスポーツが他にあるかと。選手にも「よう考えろ」と言ってた。
これは、イニング、点差、カウント、次の球を考える、バッティング技術を整える……考える、備える時間を与えるための“間”ですよ。だから、「“間”を上手に使え」と教育してきたつもりですけどね、全然通じなかった。
──監督時代、その教育が活きた選手はいましたか?
野村氏:
ヤクルトのときはね、古田(敦也)、広澤(克実)、池山(隆寛)【※】でも、中心選手はみんな天性でやってたんだよ。池山なんてね、“ブンブン丸”って呼ばれて、三振ばっかりしとったから。
最初に彼には「“ブンブン丸”って言われていい気になってんじゃないよ」って。「ブンブン振り回して誰が得するんだよ。チームも監督も迷惑だ」って言った。三振の半分をバットに当てて前に飛ばせばヒットも増えるんだから。
※池山隆寛
1965年、兵庫県生まれ。1983年にドラフト2位でヤクルトスワローズ入団。1987年からレギュラーに定着、翌1988年から5年連続で30本塁打を記録。1990年にはショートとして初の「3割30本」を達成。常にフルスイングがトレードマークの“ブンブン丸”の愛称で人気を博した。
野村氏:
でも、言ったら変わりましたよ。“間”をとって考えるようになって、三振も減ったと思うけど。やっぱり、思考と行動って密接な関係があるじゃないですか。考え方は取り組み方になる。
だからコーチにもよく言ったのは「お前ら、なんのためのコーチだ」って。頭の中をトレーニングさせるのがコーチだろうと。教える目的は何なのか、わかってないコーチが多いよね。
考え方、思考力を提供するのは、指導者の基本的で、大きな仕事だと思うんですよ。動物の中でも、人間だけですもんね、考えることができるのは。猿でもゴジラでも、何か考えているのかどうかは知らないけど。
森祇晶、古田敦也、田淵幸一……名捕手たちのデータを分析
──そういった野球に対する考え方について、野村さんは同時代のキャッチャー・森祇晶さん【※】と野球談義を重ねて、共有できたと語っていますね。
※森祇晶
1937年、大阪府生まれ。1955年にテスト生として読売ジャイアンツ入団。1959年からレギュラーに定着し、引退まで正捕手として活躍。V9時代の巨人を支え、V10を逃した1974年に現役を引退。野村氏とはプライベートでも親交が深く、野球談義をする仲であったという。また、現役引退後には西武ライオンズの監督に就任。選手時代にも野村氏擁する南海ホークスと日本シリーズで戦ったが、監督としても西武とヤクルトで日本シリーズを戦った仲でもある。引退後も対談書籍を出版するなど、親交は続いているようだ。
野村氏:
彼とはプライベートでも付き合いがあった。森は、もう頭脳派でね、頭が良いんだけど、彼は致命的な……どケチ。
──(笑)。そういった部分は、野球観や指導にも現れたりするんでしょうか?
野村氏:
選手がついてこないよね。古田(敦也)【※】もケチなんだよ。良い監督になると思ってたんだけどね。「選手とは付き合わない」って言うんだよ。だから選手がついてこない。
※古田敦也
1965年、兵庫県生まれ。捕手。立命館大学、トヨタ自動車を経て1989年にドラフト2位でヤクルトスワローズ入団。1年目からレギュラー定着し、リーグ1位の盗塁阻止率を残しゴールデングラブ賞を獲得。2年目には野村氏以来、セリーグ初の捕手として首位打者を獲得するなど、打撃でも突出した数字を残した。野村氏の愛弟子、ID野球の申し子であり、チームの頭脳として5度のリーグ優勝と3度の日本一に貢献。引退までスワローズ一筋で晩年には選手兼監督も務め、「代打オレ」で球場を沸かせた。本インタビューで野村氏は辛辣な評価をしているが、2018年4月にテレビで対談した際には、「声を大にして言いたいのはね、監督をやれ! 早くユニフォームを着ろ」、「もったいないよ、こういうの遊ばせておくの。野球選手には珍しく頭が良い」、「プロ野球の世界で、こいつ監督になったらおもしろいなと思う監督の器がひとりもいないんだよ。唯一これ(古田)だけ」と語り、絶大な信頼を寄せている様子がわかる。
──……なるほど。その選手がいるだけで、周りの選手の能力がアップする「ムード◯」、その逆の「ムード×」という特殊能力があるのですが、そういった感じでしょうか……。
キャッチャーで言えば、田淵幸一さん【※】も同時代です。バッティングが良いキャッチャーどうし、どう見ていたのでしょうか?
※田淵幸一
1946年、東京都生まれ。1969年、法政大学からドラフト1位で阪神タイガース入団。強肩強打の捕手として1年目からレギュラー定着し、新人王を獲得。「ホームランアーチスト」として活躍し、歴代10位タイの474本塁打を記録。江夏豊とのコンビは黄金バッテリーと呼ばれ、3代目ミスタータイガースとも称された。引退後はダイエーホークス監督、阪神、楽天のコーチ、北京オリンピック日本代表のコーチも務めた。
野村氏:
彼とは西武で2年一緒にやって、ロッカーも隣だったんだけど、性格がキャッチャー向きじゃないね。田淵が試合に出て俺は控えで見ていたら、ピンチで勝負球に“真っ直ぐ”を選んだ。
「あそこ、なんで真っ直ぐのサイン出したんだ」って聞くじゃない。すると「ノムさん、何言ってるの。投げてるのはピッチャーじゃないですか」って。
「サインを出したのはお前やろ」って言いたかったけど、話にならないと思って相手にしなかった。そういう感覚だから、キャッチャーじゃないですよ。
──「選球眼が良かった」というデータなのですが、その印象はありますか?
野村氏:
キャッチャーとして見ていたから、その辺は一生懸命見てないけど。バッティングはもう天才的だったからね。
張本勲に「喝」!
──バッティングでいえば、3000本安打の張本勲さん【※】はいかがでしょうか。
※張本勲
1940年、広島県生まれ。1959年に東映フライヤーズ入団。外野手。入団1年目からレギュラーに定着、新人王を獲得。日本プロ野球初の3000安打達成、また日本プロ野球の歴史で唯一の「500本塁打300盗塁」達成、史上最多の16度のシーズン打率3割、史上最長の9年連続打率3割の記録、4年連続を含む7度の首位打者など、さまざまな記録を打ち立てた「安打製造機」。現在はワイドショー『サンデーモーニング』(TBS)のスポーツコーナーご意見番や、解説者として活動している。
野村氏:
張本も、いまは偉そうに解説しとるけど、彼の現役時代を知ってるのって、もう俺くらいしかいないんじゃない?
ひどい選手やで。内野ゴロなんか打ったら、ファーストまで走らないんだもん。Uターンして帰っちゃう。ピッチャーゴロ、セカンドゴロ、走らない。ただ、足は速いよ。内野安打のときの走りなんか、すごい。
外野の守りもひどかったね。レフトにいて、左中間にボールが飛ぶやろ。追っかけないんだもん。
指で「おーい、お前、行け」ってセンターに言っとる。そんな感じよ。足も速いから、その気になれば守備もできたんだろうけど、もうバッティングしか興味ない。
──そういった部分が、この守備と捕球のパラメータに出ているんですね。
野村氏:
前のバッターが塁に出たら、バッターボックスから「おーい、じっとしとれ」って、盗塁するなっていうの。なんでかわかる? 一二塁間を空けとくため。
そりゃあ、そんな野球をしてたらコーチや監督になれないわな。それが今や解説者になって、まあいろんなことを言っとるけど、「お前はどうだったんだ?」って。