小説は、長大な物語を最も低コストに生み出すことのできる、フレンドリーな媒体
──プラットフォームのメディアとしては今、YouTubeとかの動画がすごいじゃないですか。そんななかでテキストというものに対して、どう思っています?
三木氏:
文字媒体を読む人自体は、むしろ増えていると考えています。ニュース記事とかも文字ですから。とはいえ、動画や音楽との時間の奪い合いはなかなか厳しい。
ただ一方で小説は、自分の創作したものを他の人に見せる敷居が最も低い、すごくフレンドリーな媒体でもあると思っています。
中国のテンセント【※】も小説投稿サイトを媒体として持っていて、そこに小説が投稿されて、それを単行本化して出版するというマネージメントも、テンセントがやるんです。その中で売れたものはテンセントがアニメ化して、テンセントがドラマ化する。コングロマリットとして全部システム化されているのがすごいと思います。
どういうメディアになるにしても、でも原点は小説だったりするので、そういうふうに小説は今後もあり続けるだろうし、文化もそこで保たれるだろうと思っています。
※テンセント
中国名は「腾讯」。「QQ」や「微信(WeChat)」といったコミュニケーションツールやスマホ向けMOBA『王者栄耀』をはじめ、オンライン決済などさまざまな分野で中国市場を席巻している、一大IT企業グループ。その勢いは海外にも及んでおり、『League of Legends』のRiot Gamesや『クラッシュ・オブ・クラン』のスーパーセルなどが同社の傘下に入っている。また、『ヴェノム』や『ターミネーター:ニューフェイト』など、ハリウッドの超大作映画にも多額の出資を行っている。
──表現がいちばん簡単にできるフォーマットとしての小説は、ずっと残るだろうと。
三木氏:
はい。もしかしたら紙の本を読むという文化はなくなりつつあるかもしれないけれど、電車の中とか、スマホで小説を読むという文化は、この後も続くと思っています。
それともう1つ、小説はロングレンジの物語を、最も低コストに作ることができるんですよ。
たとえばYouTubeの動画だと、長くても5-10分じゃないですか。この5-10分が良かったとしても、それを2時間の映画にするのは大変ですよね。そして漫画の場合は、小説よりもストーリーの物量の生産速度が遅いんです。何年もかけないと、すごく長いストーリーの物語は描けない。それに対して小説は、壮大な歴史絵巻も、がんばれば数年で書けてしまう。そのあたりの、生産の速さの武器はあると思っています。
──さっき中国の話が出ましたけど、それこそ三木さんのところに、中国の企業から話があったりはしないんですか?
三木氏:
いっぱいありますよ! でも、けっこう大変なことが多くて、苦労してます。具体的には言えませんが(汗)。
出版社は、コンテンツを生み出すルーティンが強固に作り上げられている
──今回の取材のテーマって、佐藤さんがいる前でこんなことを言うのもアレですけど、大きな出版社よりも三木さんたちのほうが、ある種の可能性があるのではないか、だと思っていて。
出版そのものは斜陽になっているけれど、キャラクタービジネスやコンテンツビジネスはNetflixしかり、ゲームしかり、世界的なプラットフォームで展開されていて。日本の市場は縮小していても、一方ですごく大きなチャンスが生まれている。そこに対して若い世代がどうチャレンジしていけばいいのかが、三木さんを注目している人たちの関心事だろうと思うんです。
ただ一方でKADOKAWAも、漫画や小説をアニメ化してあれだけのヒットを生み続けているわけで。あの仕組みが持っている強固さも、そこから出てしまうことでイチからやらなくてはいけなくなる難しさも、三木さん自身はすごく感じていると思うんですよ。
三木氏:
平さんが今、おっしゃったとおりです。僕らに可能性を感じるみたいに言ってくださっていますけど、現状だと可能性は少ないですし、厳しいですね。願わくば、出版社と横並びぐらいの競い合いをしたいですけど、現実には出版社のほうが今でも、絶対に力を持っていると思います。
僕らの仕事だと、どうしてもスター編集が稼働しているワンマン的な経営しかできなくて、その人頼みになってしまうんです。それに対して出版社は、老舗になるほど合理化されていて、コンテンツを生み出すルーティンがめちゃくちゃ強固に作られているんです。言ってしまえば、そこそこの編集者でもヒット作を産む土壌が出来上がっている。
集英社の浅田貴典さん【※】たちが「集英社キャラクタービジネス室」を立ち上げて、集英社が抱えている作家さんたちによる新しいIPを、『ジャンプ』のような紙の雑誌ではないところで作っていこう、みたいなことをやられていますが、そういう部署を集英社という老舗の出版社で作れたのはスゴいなと思います。
KADOKAWAとか他の出版社でも、プロデュース部とかIPを活用する部署が今も存在していますが、そこによりディレクション能力を持つ人材がどんどん入ってくれば、もっと発展していくのではないでしょうか。
※浅田貴典
『週刊少年ジャンプ』の編集部員として、『ONE PIECE』『BLEACH』『アイシールド21』などの新連載を立ち上げた。2007年には『月刊ジャンプスクエア』の創刊に携わり、副編集長を務めた。2010年に『週刊少年ジャンプ』副編集長、2014年に小説レーベル「JUMP j BOOKS」編集長に就任し、2017年からは集英社キャラクタービジネス室を立ち上げて、同室長を務めている。
──日本のコンテンツ業界を変えたいと思った時に、佐藤さんからするとKADOKAWAを軸にして、たとえば三木さんみたいな編集者が偉くなって変えるという選択肢も、もちろんあるわけじゃないですか。一方ではスタジオジブリみたいに、あまり大きくない会社がコンテンツを作って世の中を変えるみたいな選択肢もある。編集者やクリエイターにとってはどこがゴールで、何が最短距離なのか、けっこう分からない感じが、僕はしていて。
佐藤氏:
出版社は自然体で出版社なんだよね、ヘンな話だけど。でも今は、自然体で出版社であることが許されなくなったから。KADOKAWAだけじゃなくてどこの出版社もそうだけど、IPを企画として持って、それを展開したときそれぞれが事業として成立しなけりゃならない、というふうに変わらなければならないんだよ。
今の話で、たとえばジブリを例に挙げると、ジブリは宮崎駿さんのように極めて才能の突出した人たちがいて。その才能によって、コンテンツベースで企業として成り立っているわけだよね。
それに対してKADOKAWAの場合は、もちろん個別ではコンテンツなんだけど、システムとして出版だけでなく、アニメだとかゲームだとかを、事業ポートフォリオとして作っていかなくちゃならない。そのために、例えばTVアニメに出資して主幹事をとるとか、パッケージの販売機能を持つとか、時間をかけて事業化してきた。映画だと映画会社を買収して、いまや出版と並ぶ事業の柱となった。だから大変さだとか時間軸だとかが、やっぱり違うんだよね。それはシステムやプラットフォームといった企業レベルの話だから。
KADOKAWAが変わっていくというのは、そういう会社自体の仕組みを変えていかなきゃならない。出版の景気が良かった時代にはホールディングスで良かったけど、今はIPをもっといろいろと展開していくためにワンカンパニー制【※】にしたりとか、そういう大きな仕組み作りの中で、メディア企業として存続しようとしているわけだね。
そんなKADOKAWAの中に、メディアワークスという1つの会社があって、そこでは小説もコミックもアニメも全部自分でやってきたことで、三木みたいな才能が生まれてきた。単なる出版社ではなく、メディアとしていろんなものを全部一緒にやることが、メディアミックスの仕組みとして極めて有効であるということを、三木はここで学んで、それを自分の中で体現できるネットワークができたから独立した。
大きな組織の中の一部としてやるよりも、全部自分のネットワークで、自分で体現してやりたいって、そういう話なんじゃないかな? そういう個人のと突破力から新しいものが生み出されるということはあると思う。
※ワンカンパニー制
角川書店は2003年に、「株式会社角川ホールディングス(後に角川グループホールディングス)」を持株会社とするグループ制に移行した。その後、2013年には連結子会社9社を合併して「株式会社KADOKAWA」となり、ワンカンパニー制を目指すことに。2014年にはドワンゴとの合併により、共同持株会社「株式会社KADOKAWA・DWANGO(後にカドカワ株式会社)」が誕生するが、2019年7月には株式会社KADOKAWAとカドカワ株式会社の事業を集約し、新たな「株式会社KADOKAWA」となることで、ワンカンパニー制をさらに推し進めている。ちなみに、“ファミ通”のゲームメディアと“電撃”のゲームメディアも、2019年10月より株式会社KADOKAWAの子会社である「株式会社KADOKAWA Game Linkage」に集約された。
三木氏:
そうですね。まさに電撃の血筋はそういうところだと思っています。
──三木さんが「マーベルになる」と言うのがすごく象徴的だなと思うのは、マーベルはあれだけ巨大なエンターテインメント企業で、しかもさらに巨大なディズニーの傘下にあるにも関わらず、今、映画史上最大のヒットを飛ばしている『アベンジャーズ』をドライブさせているのは、ケヴィン・ファイギ【※】という個人の才能が大きなウェイトを占めているわけですよね。
三木氏:
そうなんです。僕は世界でもっとも尊敬しているんですけど、マーベル・スタジオの映画に関してはケヴィン・ファイギがすべてプロデュースしていて、彼がブランド・コントロールとクオリティ・コントロールをやっているおかげで、あれだけの統一感が取れていると思っています。正直言って、個々のクリエイターよりもケヴィン・ファイギのほうがはるかに重要ですよね。
──マーベルに限らずアップルとかでも、結局はスティーブ・ジョブズのように突出した個人が牽引していて。組織として巨大であっても、個人の才能や属人性みたいなものが、今の時代はけっこう活きる気がしていて。仕組みだけでビジネスが巨大になるというのが、1980~90年代ぐらいまでで、今はそこに個人の突破力みたいなものが乗っかっていないと、逆にドライブしない気がするんです。
佐藤氏:
そうだよね。それが仕組みとコンテンツの両輪だと思うよ。
──ただ、ジブリのように個人の才能で成り立っている場合、極端な話、彼らが歳を取って亡くなってしまうと、そこで終わるじゃないですか。それに対してマーベルは、ドライブさせるのは個人でも、IPを会社で持って組織としてフランチャイズしていくので、IPが世界的に拡大していってますよね。
じゃあ日本の出版社やコンテンツ会社が、IPを会社で保持してマーベルみたいな立ち位置になるのか。それとも日本はマーベルとはぜんぜん違う方向性で、作家を立てて多産多子じゃないけど、きらめきのある作家たちを輩出していくのか、と。
三木氏:
KADOKAWAももちろんですが、仕組みを武器としている企業は、新しいIPを毎月100とか200とか出せていますよね。それは相当な武器ですよね。
僕らみたいなベンチャー企業は、代打という限られた打席でホームランを打たないと、それで終わりなんです。100打席あるうちのどこかでヒットを打てばいい、じゃない。それで考えると、さっきの突破口とかヒット作を出すとかの確率は、絶対に出版社のほうが、本当はあるんですよ。そういう意味で、KADOKAWAの作り方は、今のコンテンツ産業にマッチしているんだろうなとも思います。
出版社の編集者には、アニメやゲームのプロデューサーにもなれるだけの資質がある
──そろそろ終わりの時間が迫ってきましたので、締めの話題に移らせていただければと。
佐藤氏:
編集者とは何か? 独立して編集者をやっていく意味は?
三木氏:
今の若い人たちはきっと、編集者って「ダサい」とか「古い」とか思っているんですよね。だって、何をしているか分かんないですもん。僕も昔は編集者っていうと、『ブラックジャック創作秘話』のカベさん【※】みたいなイメージでしたから(笑)。
だとしても、昔は本を作るその裏側には、作家以外に編集者っていう人間がいるんだと知ることができました。しかし今はスマホしか見ないじゃないですか。だからWEBディレクターの存在は知っていても、編集者の存在は知っているのかな? って。僕はそれがすごく悲しいですね。
佐藤氏:
理想型としては、オリジナルで企画を作るというのが、ストレートエッジの将来像だよね。
──IT業界で一時期「ファブレス」という、工場を自分で持たずに新しいプロダクトを作ろうみたいなムーブメントがあって。ソリューションが各地にすでに存在しているんだから、アイデアだけを考えて、実際に製造する際はそれを使えばいいやっていう。三木さんの会社はちょっと、それに近いなと思ったんですよ。企画会社としてのコアがあって、ソリューションとしての出版社やゲームメーカーがあるっていう。
そういう意味では、出版社に属して活動する編集者像から、個人単位のプロデュースにシフトしていく、時代の変わり目の1つの象徴みたいな印象があるんです。
三木氏:
これは僕個人的な持論ですが、編集者は、アニメプロデューサーにもゲームプロデューサーにもなれると思うんです。そういう資質があると思っています。実際僕は、一応なれたつもりなんですね。逆に言うと、ゲームプロデューサーやアニメプロデューサーが編集者になるのは、ちょっと難しそうとも思うんです。
編集者は1年に何十作と、成功と失敗を繰り返すことができる仕事です。その経験値が大切で、かつ売れた作品ができたら、それを別の媒体に変換するという作業を、ずっと寄り添ってやらなければなりません。その過程で、ゲームやアニメの業務もわかっていく。それで考えると、じつは編集者がいちばん潰しが利くというか、コンテンツを扱って拡張していくという仕事に、応用力がいちばんあるなと。
なので、出版社には、優秀なプロデューサーになれる人材がいちばん集まっていると、僕は思っていますね。
佐藤氏:
かつては、雑誌やコミックが売れればいいというのが編集者だったけど、そこには留まれないんだよね、もうね。
三木氏:
そこはたぶん、自分の評価にならないからなんですよ。たとえばアニメのグッズが売れてロイヤリティが入ってきた時の成果って、編集部にはつかなくて、ライツのほうにつくじゃないですか。
佐藤氏:
そうだよね。
三木氏:
それよりは本の重版3000部かかるほうが、「お前良かったな」と言われて、評価にもなる。二次展開にあまり興味のない編集部があるのは、そういうところが原因としてあると思っているんですけど。
佐藤氏:
電撃文庫は直接的には部数で評価していたけど、昇進昇格では総合的に多角的に評価していたと思うよ。
三木氏:
電撃はけっこう評価されていた気がしますが、他はどうなんでしょうか。
佐藤氏:
評価の問題はワンカンパニー化の重要なテーマとして取り組んだと思うよ。
──鳥嶋和彦さんも、『ジャンプ』の最盛期には雑誌の部数を上げるのが至上命題で、単行本の部数はその副産物で評価に入らない、という話をされていましたよね。今だと考えられないですけど。今の三木さんの話もそれと同じで、これから10年後、20年後には変わっている気がするんです。IPを生み出した編集者が、その周辺の売り上げで評価されないというのは、「そうなんですか!?」って今でも思っちゃいますけど。
三木氏:
でも僕自身は、それを不満とは思わないですね。仕組みがそうであって、結局は本を売るためにやっていたから気にしなかったです。不満を持つ人もいるんだろうな、ぐらいに思っていました。
今、僕は完全独立していますけど、もし組織の人として生きる目があったとしたら、社内カンパニー制度のようなかたちで新規事業をバンバンすることができたらあるいは……と思いました。もしくは社内じゃなくても、独立して、そこに親会社がある程度出資するという形などでしょうか。
──ゲーム業界で言えば、開発チームを独立スタジオ化する、みたいな形ですね。
三木氏:
そうですね。パブリッシャーは出版社がやるけど、お前たちはコンテンツを作る部隊だ、と。そっちが挑戦枠で、出版社本体には、良い意味で強固な仕組みでコンテンツを作り続ける既存枠がある。そんな形も未来の姿としてはあるのかなと思います。
佐藤氏:
今のKADOKAWAは、若手の発案でデジタル系や海外向けの子会社がけっこう立ち上がっているようだよ。いずれにせよ、アニメ・ゲームと出版を絡めて、IPをどうやって展開できるかという、今はそこの勝負に来ているよね。さっきの集英社キャラクタービジネス室もそうだけれども、他の出版社もだんだんと、自分たちの問題点が分かり始めている時期だろうなとは思う。ただ、内部の改革って難しいんだよね、大きな組織になればなるほど。
──ここ数年内にその改革ができるかどうか、ということですね。本日はありがとうございました。(了)
「編集者」というものの仕事が、本を作るだけだった時代から大きな変化を迎えたのは、メディアミックスという概念が明確に生まれ始めた1980年代から1990年代前半にかけてである。
本を売るための戦略として、映画『犬神家の一族』の制作を手掛け、さらに多額の広告宣伝費を使ってテレビコマーシャルを仕掛けるなど、出版業界に革命を起こした角川春樹。氏に端を発したメディアミックスという手法は、その後のマンガやライトノベルといったジャンルにも受け継がれてゆき、いまでは”当たり前”のものとなっているのはご存知の通り。
黎明期においては、かなり編集者個人の裁量に依っていた――いわば属人的なものだった、その”本を作る以外の仕事”も、今ではチーム化、組織化が進み、ある種のルーチンワークで回るようにさえなっている。
三木氏は、言ってしまえば、そうした整備された(されていった)環境のなかで存分に活躍してきた人物である。では、そんな三木氏がなぜ、KADOKAWAを飛び出るに至ったのだろうか?
一つ言えるのは、現代において、作品(IP)の起点となるものが、もはや「出版」に限らないということが、三木氏にとっては大きかったのかもしれない。
『FGO』が証明をしたように、いま”IPにおける最大のマネタイズポイント”とは、出版ではなく、ゲームなど他の分野である。であるならば、何も小説や書籍といったフォーマットだけに規定されることなく、もっと自由に、縦横無尽に作家を活かす仕事をしていきたい――今回の取材では、そんな三木氏の思いがとても印象的だったように思う。
書籍のみならず、アニメ、ゲーム、そしてYoutubeなどのネットメディア。あらゆるツール/ソリューションを最大限に駆使して作品を広め、ビジネスを展開していく才覚が、今の時代の編集者には求められている。膨大なコンテンツがひしめく昨今のエンターテイメント業界において、そのプロデュース力なくして成功はありえないのだ。
――つまり編集者の役割とは、このネット時代において、要らなくなるどころかより高度化し、重要度が増しているのではないだろうか?
元・週刊少年ジャンプ編集長の鳥嶋和彦氏などは、「出版社の時代は終わった」と言い切る。しかしその一方で、「でも才能の発見、育成に関しては、いまのところ出版社に勝てるところはありません」と続ける。雑誌や書籍というフォーマットの時代は終わりを迎えたかもしれないが、出版社(編集者)の真の価値を見つめ直すことで、これから先の活路が見えてくるはずだというのだ。
私も、その意見には大賛成である。
三木氏は、間違いなく「編集者」の最前線を走っている。無論、三木氏のような仕事のやりようには、いろいろな苦労も少なくないだろうが、今回のインタビューを通して、彼の背中を追う編集者がもっと増えていってほしい――それが編集者の次を見出す鍵になるのではないか。そんな気がしてならない。
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