『Apex Legends』、『Call of Duty』、『Left 4 Dead』、『Battlefield』……。現在、ゲームのメインストリームを支配するジャンルのひとつである一人称視点シューターこと「FPS」。そんなFPSの黎明期の絶対的代表作として名高い『DOOM』のゲームデザイナーとして歴史に名を残したのが、ジョン・ロメロだ。
id Softwareで天才プログラマーのジョン・カーマックとともに『DOOM』を生み出したロメロ。だがその後、同社から独立して以降は数多の会社やプロジェクトに関わっており、若年層だけでなく、彼のその後を追っていた洋ゲー大好きなおじさんゲーマーも、彼がいま何をしている人なのかはわかっていないかもしれない。
調べてみると、驚いた。なんとジョン・ロメロは、id Softwareから独立してからも、いや独立する前からずっと、「最前線でゲームを作り続けている」のである。そのプロジェクト数はゆうに100本以上を超え、関わってきた会社も両手の指で数え切れないほど。
そして現在、ジョン・ロメロは53歳。自身が運営するスタジオ「Romero Games」にて、妻のブレンダ・ロメロ氏とともに禁酒法時代をテーマにしたマフィアシミュレーションゲーム『エンパイア・オブ・シン』を開発した。2020年にリリースされた本作は、日本国内でもPS4とNintendo Switch向けにリリースされており、先日の5月27日には新たなパッチを適応している。
今回電ファミニコゲーマーは言葉の壁がありながらも、夫婦への取材の機会を得ることができた。ロメロ氏がプロデューサーでブレンダ氏がディレクターという夫婦だけでなく、子どもたちの半分も開発者であり本作の制作に参加しているなど、興味深い本作の開発経緯をお伝えしよう。
『パックマン』で衝撃を受けた12歳の少年がFPSの始祖を生みだす。ゲーム業界の最前線を生き続ける男
──本日はどうぞよろしくお願いいたします。ジョン・ロメロさんと言えば、id Softwareに入社されて『DOOM』を作られたことでも有名だと思います。まずはロメロさんの経歴についてをお聞きしてもよろしいでしょうか?
当時は『パックマン』(1980)に衝撃を受けたとのお話をうかがいました。
ジョン・ロメロ氏:
そうですね。1970年代、子どものころからたくさんのアーケードゲームをプレイしていたんですが、1980年に『パックマン』と家庭用コンピューターが出てきて、とても衝撃を受けました。
──『パックマン』に衝撃を受けたというのは、具体的にどういうところだったんでしょうか?
ジョン・ロメロ氏:
『パックマン』以前のアーケードゲームはほとんどが白黒で、エイリアンを絶えず撃つようなゲームばかりだったんです。『パックマン』は画面がカラーで、スピーカーが素晴らしくサウンドにも迫力がありました。
しかも シューティングじゃなくて、ゴーストから逃げるというコンセプトも素晴らしかった。ドットを集めるゲームはそれ以前もありましたが、『パックマン』に登場する4匹のゴーストたちの個性を超えることはなかったですね。
──ほかにも影響を受けた作品はあるのでしょうか?
ジョン・ロメロ氏:
最近の作品ですと『World of Warcraft』や『マインクラフト』に大きな影響を受けましたが、若いころにもっとも影響を受けた作品といえば『クロノ・トリガー』ですね。
──『クロノ・トリガー』。どこから大きな影響を受けたんでしょうか?
ジョン・ロメロ氏:
びっくりするような仕掛けがあって、ストーリーも素晴らしいですよね。私は時間軸のゲームが好きなんですが、プレイヤーを時間旅行に連れて行ってくれます。
──その前に『パックマン』に感動されたとのことですが、同作がアーケードで展開されたときは何歳だったんでしょうか?
ジョン・ロメロ氏:
1980年は12歳でした。その1年前の夏から、地元の大学コンピューターサイエンスラボでプログラミングについて学んでいたんです。そこにいる学生に「どうやってプログラミングするの?」って聞ききつつ、基本的には独学でコードを書いてターミナルにアクセスしてアドベンチャーゲームを作ったりしてました。地元のコンピューター店や電気店のコンピューターにアクセスして、基本的なプログラミング言語の実験もしていましたよ。
──そのまま成長してゲーム業界に入られたわけですか?
ジョン・ロメロ氏:
その後は何年かにわたってゲームを作ってはパブリッシャーに送っていましたね。ゲーム開発をキャリアにしたかったので、ずっと作品を作り続けていたんです。学生のころは20本くらいのゲームを作りました。
──学生時代に20本。ジョン・ロメロさんは多数のゲーム開発に参加されていることで知られていますが、若いころからすでに多作ですね。
ジョン・ロメロ氏:
当時、ほとんどの人がプログラミングについて何も知らなかったので、プログラマーは基本的に孤独なものでした。私もプログラミングできる人を他に知らなかったので、誰かと一緒にプログラミングをするなんてことはなかったです。だからとにかく作るしかなかったんですね。
──その後、『DOOM』を作られるまでいろいろな企業や作品に関わられていると思いますが、ジョン・ロメロさんは起業にもいろいろと挑戦されていますよね。
ジョン・ロメロ氏:
初めて会社を作ったのは1982年ですね。その後、いままでに4社を作ってきましたけど、テクノロジーの発展があって、そのたびに明確な目的をもって作ってきました。1991年2月にはid Softwareを少数の人数で作りました。
※id Software:
1991年に設立されたアメリカのゲームメーカー。『DOOM』や『Quake』などを生み出した会社として知られ、現在もシリーズの最新作を開発し続けている。
──1979年からプログラミングを学び始めたことを考えると、およそ41年です。非常に長大なキャリアですよね。しかも現在もゲーム開発に直接向かいあっていて、ここまで最前線でゲームを作り続けた人というのは少ないと思うのですが、その頃から情熱は変わっていないのでしょうか?
ジョン・ロメロ氏:
それは変わっていませんね。いまもゲーム作りに忙しくて、テクノロジーも進化しているので、つねに新しい開発方法を学んでいます。現在もたくさんのゲームをプレイしていますよ。それと同時に新しいゲームも作りたいと思っている。ノンストップでゲームを作り続けています。ゲームをプレイするのも、ゲームを開発するのも愛しています。とても大好きです。
──これだけの作品に関わると、必ずしも成功というわけではないですよね。
ジョン・ロメロ氏:
失敗もありますが、それはいい教師でもあります。最初のゲームが売れる前に35本ものゲームを作っていましたが、すべてパブリッシャーに断られていました。40本目のゲームを作ったころから、ゲームが売れ始め、その後のゲームも受け入れられるようになりました。
新しいことを始めると、必ず失敗します。たとえば、私はMMORPGを4年間制作しましたが、キャンセルせざるを得ませんでした。これは大きな失敗でした。100人のチームメンバーと4年間、毎日取り組んでいたので。閉鎖するのは悲しかったですが、それを教訓として現在も新しいものを作り続けています。
──延々とゲームを最前線で作り続けている人は、けっこう少ないと思います。みんな途中で偉くなってゲームを作らなくなる。その上で最新作『エンパイア・オブ・シン』にどう向かいあってるのかお聞きしたいのですが、もう少し過去のお話にお付き合いいただけますか?
ジョン・ロメロ氏:
わかりました(笑)。
──やはりジョン・ロメロさんが開発された作品の中で『Wolfenstein 3D』と『DOOM』は外せないと思うんです。当時ああいった3Dシューティングゲームは影も形もなかったのではないかと思うのですが、最初の着想はどこから得て作られたものなんでしょうか?
ジョン・ロメロ氏:
まず原型となったのは『Hovertank 3D』(1991)で、これが最初の3DのFPSです。これはAtariの『Battlezone』のようなゲームなんですが、『Battlezone』ほどよくはありません。その次に作ったのが『Catacomb 3-D』(1991)で、火の玉を投げつけて攻撃するゲームでした。これは『Hovertank 3D』よりは完成度が高かったんですが、これもそれほど出来は良くありませんでした。
そのあと「銃が必要だよね」という着想になり、より洗練された『Wolfenstein 3D』(1992)が生まれました。
──なるほど。その2作を経て『Wolfenstein 3D』、さらには『DOOM』へと銃を撃つFPSとして洗練されていったと。
ジョン・ロメロ氏:
1991年にも2作のゲームを作ったわけですが、テクノロジーの進化もあって『Wolfenstein 3D』はより良い作品になりました。雑誌では前2作よりも10倍ぐらい多くゲーム記事として取り上げられましたよ。
ファンの反響も同様で、とても興奮しましたよね。ゲームが発売されて1ヵ月ぐらい経つとid Softwareの存在も認識されるようになって、道端で「『Wolfenstein 3D』を作った人ですよね?」と声を掛けられたり、電話インタビューも受けたりしました。
──id Softwareはいまでは『DOOM』を生み出したスタジオとして歴史に名を残すスタジオですが、その誕生について教えていただけますでしょうか。ジョン・カーマック氏との出会いについても。
※ジョン・D・カーマック:
id Softwareの共同設立シャのひとり。『Wolfenstein 3D』や『DOOM』、『Quake』といった作品のリードプログラマーを務めた。ビデオゲームにおける3Dグラフィックスに多大な影響を与えた人物であり、ゲームデザインを担当したジョン・ロメロとともに技術面でFPSを生み出した人物としても知られる。
ジョン・ロメロ氏:
1990年の夏、私は22歳で、Softdisk社のゲーム部門で開発を続けていました。そのときにプログラマーを探していて、そのときに唯一見つけたのがジョン・カーマックだったんです。じつはSoftdisk社はジョン・カーマックを雇おうとしていたんですが、すでに彼は2回も断わっていました。
当時、彼はフリーランスのプログラマーで、発売されたディスクに私のゲームと一緒に彼のゲームが収録されていたのを見ると、優秀なプログラマーだとすぐにわかりました。そこで私は彼にインタビューをしに行ったんですが、彼のほうも私のプログラムに興味を持っており、意気投合しました。
そこからSoftdisk社の私のところに面接に来てくれたんですが、彼は当時10年間ゲームをプログラミングしていたので、ゲームの作り方を知っている誰かと仕事をすることにとても興奮してましたね。それが彼と一緒に働くようになった経緯です。ちょうどゲームディスクを作る2、3ヶ月前に入社したので、いい時期に入社してくれました。
──ロメロさんから見て、ジョン・カーマックさんは普通のプログラマーと比較してどこがどう違っていたのでしょうか?
ジョン・ロメロ氏:
ジョンが私と仕事を始めたとき、彼はすでに優秀なプログラマーでしたね。自分のゲームをアップルのコンピューターから他のPCに移植するやり方をすでに持ち合わせていました。PCを1週間レンタルして、すさまじいスピードで移植してそのまま返却するとか、すごいことをやっていましたね。
Softdisk社に来たとき、彼は自分の能力を最大限に発揮するのに最適な環境にいました。彼はとても良いPCを使っていましたし、あらゆる情報が書かれた本を持っていました。
あとはプログラミングが早いということもそうですが、やりかたを学び続けて、他のことは何もせずに仕事に集中していました。その集中力もずっと衰えずにそのままでいたのが、彼のすごいところだと思います。
──なるほど。ジョン・ロメロさん自身もプログラマー出身ですが、カーマックさんはその中でも別格だったと。
ジョン・ロメロ氏:
私自身としては、『ファイナルファンタジー』のプログラマーになったナーシャ・ジベリに影響を受けたりしましたね。ほかにも『ピンボール・コンストラクション・セット』を作ったビル・バッジや、『Choplifter』のダン・ゴーリン、『ロードランナー』のダグラス・E・スミス……ジョンもそれと比肩するぐらい、すごいプログラマーです。
夫がプロデューサー、妻がディレクター。夫婦で開発した最新作『エンパイア・オブ・シン』
──今回、『エンパイア・オブ・シン』の開発会社はご夫婦で作られたということですよね。かなりユニークな設立経緯だと思うのですが、きっかけは何だったのですか?
ブレンダ・ロメロ氏:
ジョンとの出会いから始めましょう。当時私たちは、『ウルティマ』シリーズを開発したOrigin Systemsで1987年に出会いました。その頃はまだ友人でした。
ブレンダ・ロメロ氏:
何年も前のことですが、私はフルブライト賞を受賞して、アイルランドに行くことになったんです。目的はアイルランドのゲーム業界の研究です。それがきっかけで、アイルランドという環境がとても気に入りました。アイルランドの住んでいる人々や業界のテクノロジーに対する知識が深さを知って、そこでRomero Gamesを設立しようと決断しました。
──Romero Gamesはどれくらいの規模のスタジオなんでしょうか?
ブレンダ・ロメロ氏:
私たちを含めて33人です。設立当初は4人でした。
──今作におけるジョンさんとブレンダさんの役割分担はどういったものになるんでしょうか?
ブレンダ・ロメロ氏:
私が『エンパイア・オブ・シン』のゲームディレクターをやって、ジョンがビジネスを担当しています。
ジョンは最初の2年間はプログラミングやオーディオプログラミング、オーディオデザインの一部も担当してくれましたが、ほとんどは私がディレクションをしています。
──ブレンダさんはディレクターになる前は、デザイナー出身なのかプログラマー出身なんでしょうか?
ブレンダ・ロメロ氏:
私がこの業界に入ったのはかなり若いころで、15歳のときでした。『ウィザードリィ』シリーズで知られるSir-Tech Softwareで働いていました。私の最初の仕事は、お客さまから問い合わせがきたら電話で対応したり、バグを見つけたりするテスターとして働きつつ、レベルデザインも担当していくようになりました。20年ほど在籍していました。
──なるほど。当時のゲーム業界で女性の開発スタッフとして頭角を表すのはめずらしかったのでは?
ブレンダ・ロメロ氏:
現在はゲーム開発に携わる女性の数は増え続けていますが、たしかに私が最初に業界に入ったときは女性はそれほど多くありませんでしたね。現在はいろいろなスタジオが多様性をポリシーとして持っているため、それに後押しされて雇用が多様化していると思います。
──たしかに近年ではディレクター職やリード職に就く女性もまったくめずらしくはないですね。
ブレンダ・ロメロ氏:
そうですね。すぐに頭に浮かぶのは『アンチャーテッド』シリーズのエイミー・ヘニング、エリザベス・サンパットはまだ未発表のスタートアップの予定がありますし、数々のモバイルゲームやソーシャルゲームを手がけたトレイ・ローレルとマクウィリアムス、『ポータル』を手がけたキム・スウィフトも女性のゲームディレクターです。
──ブレンダさんがディレクターとして開発されているこの『エンパイア・オブ・シン』なのですが、Romero Gamesとしては何本目の作品になるのでしょうか?
ブレンダ・ロメロ氏:
3本目ですね。最初は息子が作った『Gunman Taco Truck』、次が『SIGIL』、3本目が『エンパイア・オブ・シン』です。
──1本目はタコスとゾンビテーマのゲームで、2本目は『DOOM』の大型拡張ですよね。3本目の『エンパイア・オブ・シン』は禁酒法時代のマフィアたちがテーマですが、なぜこのような作品を作られたんでしょうか?
ブレンダ・ロメロ氏:
ゲームデザイナーとして、また歴史ファンとして、私は禁酒法や禁酒法時代がとても好きでした。私はニューヨーク州北部のカナダとの国境の街で育ったんですが、その街では川を渡った先のカナダではお酒が売られていたという歴史がありました。カナダからアメリカにお酒を運んでくることは、この街の歴史や経済のなかで大きな部分を占めていたんですね。
そういった経験から、禁酒法時代のシカゴは最高のテーマだと思いました。というのも、アル・カポネという有名なマフィアがいたためです。禁酒法時代のシカゴの物語は、とても興味深くエキサイティングな物語だと思います。
──なるほど。作中では禁酒法時代のどういう面白さを表現しようと思ったんでしょうか?
ブレンダ・ロメロ氏:
禁酒法時代は、ギャング同士の抗争や、ギャングのボスと警察、政府機関との間で多くの対立がありました。いろいろな敵対勢力が混じりあったストーリーがあったんです。
この時代には、アル・カポネの物語やダニエル・マッキー・ジャクソンの台頭など、じつに興味深い物語がたくさんあります。歴史的に見ても非常に興味深いと思いますが、『エンパイア・オブ・シン』のようにこれをゲームで表現したものは他にないと思います。
──やはりジョン・ロメロさんが開発に参加しているとなると、シミュレーションゲームではなくてFPSになるんじゃないかと思いますよね。ジョンさんは実際にはさまざまなジャンルの作品を作られていますが。
ブレンダ・ロメロ氏:
もしこのゲームがジョンのアイデアだったら、シューティングゲームの方向に行っていたかもしれませんね。私にとっては、さまざまなマフィアのボスが犯罪帝国を築こうとしながら対処しなければならないというアイデアは、ストラテジーがもっとも適切だと思いました。
──ちなみに本作では、ストラテジーゲームで有名なParadox Interactiveとパブリッシング契約を結んでいますね。
ブレンダ・ロメロ氏:
Paradox Interactiveと仕事できるのはとても楽しいですね。今回はRomero Gamesから申し込みました。ストラテジーゲームのパブリッシャーとして、同ジャンルのファンのことをこれほどよく知っている会社はないと思います。
彼らはストラテジーゲームをいかにローンチすべきか、戦略をいかに立てるかをよく知っています。私たちとParadox Interactiveの関係は、ゲームにとっても会社にとっても非常に有益です。
──Paradox Interactiveとの関係値がありつつも、やはり『エンパイア・オブ・シン』は夫婦でゲームを作られているということですが、本作を作っていくなかで夫婦ならではのエピソードはありましたか?
ブレンダ・ロメロ氏:
私たちが一緒に仕事をすることは、メリットしかありません。私たちは長い間お互いを知っていますし、似た者同士ですから、一緒に仕事をするのもやりやすいです。それぞれ専門分野も違いますし。
デメリットがあるとすれば、開発が行き詰まったり、佳境になったときはお互いのテリトリーを決めて、お互いを尊重しあう必要があることですね。
ジョン・ロメロ氏:
私たちは同じゲームでも違うゲームでもうまくやっています。同じプロジェクトのときは、たとえば『エンパイア・オブ・シン』のときは、これは彼女のゲームなので、サポートやビジネスに徹することですね。そういう役割分担は意識してやっています。
──失礼なことを聞いてしまうのかもしれないですが、夫婦で仕事も一緒となると、やはり衝突もあるのではと思ってしまうのですが。
ブレンダ・ロメロ氏:
意見がぶつかりあうことはほとんどありません。ゲームの中で、何かを前進させるための最善の方法について意見が一致しないこともありますが、そのような場合には、プロトタイプを作成してテストをし、AとBかのどちらが良いかを調べれば、ゲームが真実を教えてくれますからね。
だから、何かの方法について意見が一致しない場合は、ゲームの中でそれを試し、それに対するプレイヤーの反応を見ることですね。
家族の子どもは半数がゲーム開発者! 『エンパイア・オブ・シン』はつねにゲームのことについて話し合う家族の中で生まれた
──かなり合理的ですね。それではこう、もっと気軽にゲームについて夕食の間に語り合うとか、そういうことはあるんでしょうか。
ブレンダ・ロメロ氏:
私たちは食事のときだけじゃなくて、四六時中いつもゲームについて話していますよ。ジョンと私も子供からゲームをプレイするのも作るのも大好きでしたし、私たちの友人はみんなゲーム開発者です。
──それでは最近もゲームをプレイされていたりするんですか?
ブレンダ・ロメロ氏:
最近のビデオゲームでは、『Hades』と『Valheim』を挙げたいと思います。私は年末になると、3週間ほどゲームだけをして過ごすことが多いですが、そういうときにプレイしています。
ジョン・ロメロ氏:
自分は『ゴーストリコン ブレイクポイント』ですね。あとやっぱり『Valheim』も気に入っています。
ブレンダ・ロメロ氏:
あと、私たちの6人の子供のうち3人はゲーム開発者です。だから顔を合わせると、いつもゲームの話をしています。
──半分の子どもがゲーム開発者なんですか?すごいですね。
ブレンダ・ロメロ氏:
子供たちにゲーム業界に入ったことは自主的で強要したことも勧めたこともないですね。6人の子供のうち5人はハードコアゲーマーです。3人がゲーム開発者ですが、最年長のマイケルは現在、Glue Mobileのリードプログラマーで、『エンパイア・オブ・シン』にも携わっています。
メサはQAとコミュニティマネージャーを担当しています。最年少のドノヴァンは16歳なのでパートタイムで開発のほんの一部を担当しています。彼は『Gunman Taco Truck』のデザイナーで、かなり若いころにAppleからフィーチャーされたことがあります。
──若い子たちがゲームばかりするなんてと怒る親もいるかと思いますが、ロメロさん一家はエリートゲーム一族みたいですね。
ブレンダ・ロメロ氏:
世間の親御さんとあまり変わりはないと思います。一晩中ゲームばかりせずに、学校の宿題を終わらせるとか、寝る時間をちゃんと決めたりとか、そういうことの優先順位はつけていたことは他の親御さんと変わりはないと思います。
もちろん他の親よりもゲームについて詳いので、ほかの子供たちよりかはゲームにアクセスする環境にはあったとは思いますが、ゲームばかりやっててもいいという教育はしていないということですね。
──ジョンさんの生い立ちやブレンダさんとの出会いなどお話を聞いていると、ゲームとともに生きているんだなと思いますね。ここでおふたりにあらためて聞きたいんですが、ゲームのどこにそんなに魅了されているんでしょうか。なぜここまでゲーム開発を続けているんですか?
ブレンダ・ロメロ氏:
私は昔からゲームを作るのが好きで、5歳のときには周りにあるものでボードゲームを作っていました。5歳なのでクオリティはたいしたことはなかったと思いますが、私はいつもゲームを作っていました。他のことをやりたいと思ったことは一度もありません。いつもゲームを作りたいと思っていました。
私は世界や経験を創造するのが好きです。それは本を書いたり、映画を作ったり、絵を描いたりとさまざまな方法でできると思いますが、それでもゲームにこだわっているのは、インタラクティブ性が好きで、プレイヤーがその背後にいるからなんだと思います。
ジョン・ロメロ氏:
私は物心ついた時からずっとゲームをしてきましたが、いまのゲーム業界はとても大きく、もっと先進的なエンターテインメントの形態と思います。映画やテレビと違って、さまざまな多くのデバイスでゲームを遊ぶ方法があって、テクノロジーの発達とともにゲームの領域がどんどん広がって、すごく楽しくなってきているメディアだと思います。
──最後に日本のゲーマーについて伝えたいことがあったら教えてください。
ジョン・ロメロ氏:
何を言うか考えるから、ジョンから先に言って(笑)
ブレンダ・ロメロ氏:
私のゲームをプレイしてくれてありがとうございます。私も皆さんと同じようにゲームをプレイすることが大好きですし、ゲームを作り続けることが本当に大好きです。
ジョン・ロメロ氏:
『エンパイア・オブ・シン』の日本発売ができて嬉しいです。多くの方が話題にしてくれて嬉しいです。皆さんからのフィードバックや感想が聞けたら嬉しいです。どのボスが一番お気に入りか知りたいですね。
1970年代からビデオゲームに触れ続け、およそ40年近くにわたり最新作を開発し続けてきたジョン・ロメロ氏。かつて仲間たちとid Softwareで『DOOM』を生み出した男は、気づけば夫婦でゲーム開発スタジオを設立し、さらに子どもの半数も開発者という、「ゲーム開発人生」を送り続けていた。
そんなロメロ家族が手掛けた『エンパイア・オブ・シン』は、5月27日に、自動戦闘モードなどゲーム性を向上させた最新アップデートパッチ1.07が配信されている。 気になる読者は、このインタビューで聞けた開発の経緯などを思い出しながらプレイしてみるとよいかもしれない。
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