アーケードで“音ゲー”が全盛期を迎えていた1999年、「マラカスを振る」、「プレイ中にポーズをとる」といった異色のスタイルで話題を集めた『サンバDEアミーゴ』。
1999年後半、アーケードは対戦ゲームから音ゲー時代へ移行。『ビートマニア』や『ダンスダンスレボリューション』の登場により、いわゆるクールでストイックなゲームがアーケードを席巻していました。プリクラやUFOキャッチャーの流行により、ゲームセンターに訪れる客層も変わりはじめた時代。クール&ストイックに音ゲーを楽しむ時代において、突如登場した愛すべきバカゲー(褒め言葉)が『サンバDEアミーゴ』なのです。
鍵盤を叩くのではなく、ダンスを踊るのでもなく、マラカスを振る。そして決めポーズをとる。「みんなでカラオケに行ってふざけているような空気」を目指したという『サンバDEアミーゴ』は、ほかに類を見ないゲームでした。
アーケードで愛された『サンバDEアミーゴ』は、その後ドリームキャストとWiiにて発売されていましたが、この夏15年ぶりの新作にあたる『サンバDEアミーゴ:パーティーセントラル』が満を持して発売となります。
そこで今回電ファミニコゲーマーでは、発売を目前に控えた『サンバDEアミーゴ:パーティーセントラル』開発者の中村俊氏、天池嘉成氏、巖本肇氏、川瀬茉莉子氏、幡谷尚史氏へのインタビューを実施しました。
中村俊氏は初代『サンバDEアミーゴ』の生みの親。はたして15年振りに登場する本作において、初代が湛えていた“パーティーゲームらしさ”はどのように変化し、進化したのか。Nintendo Switch、Meta Quest、Apple Arcadeという変則プラットフォームに対する苦労や初代開発にまつわる思いがけないエピソードとともに、たっぷりと聞かせていただきました。ぜひ最後までお読みください。
※この記事は『サンバDEアミーゴ:パーティーセントラル』の魅力をもっと知ってもらいたいセガさんと電ファミ編集部のタイアップ企画です。
サンバの枠を超え、EDMやゴスペルまで収録楽曲は多種多様
──本日はよろしくお願いします。今回は人数が多いこともありますので、まずはみなさんのお名前と担当されたパート・役職など、軽く自己紹介をしていただいてもよろしいでしょうか。
天池嘉成氏(以下、天池氏):
天池嘉成と申します。今回はアートディレクションをやらせていただきました。よろしくお願いします。
巖本肇氏(以下、巖本氏):
巖本肇と申します。リードプログラムをやらせてもらっています。
中村俊氏(以下、中村氏):
中村俊です。プロデューサーをしております。よろしくお願いします。
川瀬茉莉子氏(以下、川瀬氏):
川瀬茉莉子です。リードプランナーをしています。
幡谷尚史氏(以下、幡谷氏):
幡谷です。サウンドセクションのマネージャーをしております。
──『サンバDEアミーゴ』は異色のゲームだと思うんです。プレイした人みんなを笑顔にする不思議な魅力があると言いますか……。中村さんがいらっしゃるので1作目の誕生秘話などもうかがいたいのですが、まずは今回発売される新作『サンバDEアミーゴ:パーティーセントラル』の特色やポイントをお聞かせいただけますか?
幡谷氏:
僕からはサウンドチームがすごく頑張った部分を語らせてください。じつはセガのサウンド組織はいま、もともと分かれていたチームが合併して、ひとつの大きなチームになっているんです。
そんな混合されたサウンドチームの若手からベテランが手がける楽曲は、なかなか聞きごたえのあるものになっていて、たとえば協力プレイに流れる曲でいうと「最初は80年代風のバラードから入って急にミュージカル調になる」というように、どんどん曲調が変わっていくものもあります。
コロナ禍でストリーミング・レコーディングという形にはなりましたが、ボーカルはギリシャ、ディレクションはニューヨーク、そして日本という3か国の連携で収録した曲もありました。
ほかの曲もいろいろ気合が入っていますが、多彩な曲をプレイして疲れたところで最後の「ゴスペルのスタッフクレジット曲で癒される」というダイナミックな構成になっています。この曲はもちろんプレイアブルバージョンがありますので、ぜひお腹いっぱい楽しんでいただけたらと思っています。
天池氏:
最後の曲は僕も好きです。
中村氏:
みんな好きだよね。聞きながら仕事してるくらい(笑)。
川瀬氏:
アーケードの譜面を作っている人たちとも一緒に作業をしていたのですが、リズムゲームでゴスペルが出てくるのはなかなかないので「かなりおいしい」という話をしてました。
──ちなみに、発売時に収録される曲数というのは全部で何曲あるのでしょうか?
川瀬氏:
42曲ですね。
──『サンバDEアミーゴ』というタイトルではあれど、42曲のなかにはミュージカル調もあるし、ゴスペルまである。サンバだけじゃなくいろんな音楽が楽しめるということなんですね。
中村氏:
はい。あまりに多彩な楽曲が収録されているため「タイトルを “サンバ” から変えたほうがいいのではないだろうか」という話もあったんです。でも最終的に「アイコンとして残しましょう」となりました。
──いろんな音楽があることで「サンバ」と聞いてちょっと気後れしている方にも安心して入ってもらえるかもしれませんね。
中村氏:
そうですね。そもそも、初代『サンバDEアミーゴ』の企画を出した時点で、僕がそこまでサンバに詳しいわけでもなかったので(笑)。
目指したのは「カラオケでふざける」ような空気
──中村さんにぜひお聞きしたかったのですが、初代『サンバDEアミーゴ』は、どのような経緯で開発されたのでしょうか?
中村氏:
僕が当時入社して2年目か3年目ぐらいのときなかなか進まないプロジェクトがあったんです。「このままではマズいな…」と思い、企画書を書いて当時の上司の机の上に置いて帰りました。そしたら次の日その上司に呼び出され、「おもしろそうだからやってみよう」みたいな話になったことがきっかけです。
僕はまだ経歴も浅かったので、新人が集まるような形で制作に入りました。当時の部署はコンシューマしか作っていなかったのですが、おもしろいものができたので「アーケードでやってみるか」と軽い感じでアーケードの部署に話を通してみたんです。マラカスを振るときのセンサーなどについても相談しました。
実際にアーケードを作るとなると、「ロケテスト」をやることになるんです。そのロケテストで儲けが出たら家庭用ゲーム機で製品化しようという話になりました。
──なるほど。ロケテストではどのような反応を得られたのでしょうか?
中村氏:
ありがたいことに、ロケテストを行ってから評判は急上昇しました。まだ3曲ぐらいしかないなかでアーケード機のショーに出したところ、ランキングがグングン上がっていったので、製品化が決まりました。
その後タイトルがリリースされ、アーケードとしてすごく盛り上がったんです。せっかくだから家庭用を検討したいとなったのですが、「これってアーケードでしかできないよね」となり、断念をしようとしました。
でも、ダメもとで、ドリームキャストを作っている部署の方に「家庭用ゲーム機で出せますか?」と相談したところ、「振っているマラカスの高さを測れるシステム」を作っていただいたのです。「うおー! スゲー!」と盛り上がりました(笑)。
──初代『サンバDEアミーゴ』は、最初からアーケード版として制作したのではなく、できたものを活かせる場所としてアーケードが選択されたんですね。そこから家庭用ゲーム機に戻ってきたというのも、作品の持っているパワーを感じさせられます。
中村氏:
とはいえ、マラカス型の機器が1万円ぐらいしたので、結果的にセールスはそんなに振るわなかったんですけどね(笑)。それでも当時のセガの勢いに乗らせてもらって、いろいろやらせていただいたという感じでした。
──『サンバDEアミーゴ』が出た当時というのは、いわゆる「音ゲー」が一大ブームとなっていた時代でしたが、そういった世間の流行を意識して「音ゲーでなにか作れないか」という方向性での開発だったんでしょうか?
中村氏:
当時は『ビートマニア』や『ダンスダンスレボリューション』がめちゃくちゃ流行っていた時代でした。僕としてはそういった「ストイックなものと違う形」でもおもしろいのではないか、という感覚があったんです。
みんなでカラオケに行ったときに悪乗りしてふざけるようなノリ、お酒を飲んで騒ぐようなノリがあっても楽しいのではないかと。そういった「ふざけるゲーム」「お酒飲んだときでもできるゲーム」を作りたいというのが、開発の第一歩でした。
──『サンバDEアミーゴ』と言えば、“ポーズを決める”という当時の音ゲーにはなかなかない要素が印象的でした。いい意味で「バカっぽい」という魅力もあったように感じます。いまお伺いした話からすると、当初からそういったニュアンスを狙っていたのでしょうか?
中村氏:
そうですね。当初、コントローラーではポーズの判定などができなかったのでボタンを押す機能などで代用していたんです。でも、いざ本番に実装するとなったときに「そもそも音ゲーなのに “止まる” ってなんだよ」という意見が出て(笑)。
とはいえ「これぐらいしか特徴がないんだから搭載しよう」と議論のうえポーズを実装したところ、ありがたいことに好評をいただきました。みなさん笑ってくださったのでよかったと思っています(笑)。
じつは最新作でも、その時得た知見が入っています。ポーズのマークのなかに、足が斜めになっていたり、挙げていたりする絵があるのですが、ゲームとしては本来その命令に従う必要はないんです。
先行して遊んでいただいた方々のプレイを見ていると、ついつい絵に引っ張られて足が斜めになったり、頑張ってポーズを合わせてくださったりしていました。そういう見た目に引っ張られる「謎の動き」があることを、開発メンバーにも共有し最新作でも入れたのですが、やはり同じように絵に合わせて人がまねをしてくれるんですね。「時代は経っても同じようなリアクションをしてもらえるんだ」と感慨深くなったりもしました。
──最新作はNintendo Switch、ひとつ前はWiiで発売されていましたので、ゲームプレイに合わせやすいコントローラーでした。一方、初代のアーケード版や先ほどお話にあったドリームキャストのマラカスコントローラーのような、専用のコントローラーを用意するというのは相当の苦労がありますよね? そこをあえて用意したのは当時のセガの気風というか、「おもしろいし、新しいからやっちゃおう」といった雰囲気があったのでしょうか?
中村氏:
そういう社内の空気はありましたね。もちろんなんでもかんでも作っていたわけではないのですが、変なゲームを考えた人がいたら「おもしろいからそれを本当に作れるか考えよう」という、リアクションの速さや寛容さみたいなものに助けられました。
それと、当時のセガのなかでは “分社” という動きがあり、分社によって個々の裁量権が大きくなったんです。そういった動きもあり「チャレンジしてみよう」という枠が広がった観点もあるかもしれません。
やってきた新人は「ブラジルのカーニバルで優勝」!?
──じつは若いころにゲームセンターでバイトをしていた時期がありまして、90年代後半から2000年代前半の音ゲーの盛り上がりを間近で見ていました。そのなかでも、『サンバDEアミーゴ』を最初にみたときのインパクトはすごくて(笑)。「とんでもないゲームが出てきたな」と強く印象に残っています。「マラカスを振る」という行為をゲームに取り込もうと思ったきっかけというのはあるのでしょうか?
中村氏:
もともとの発想でいうと、私が大学生のころお笑い芸人みたいなことをやっている先輩たちの出し物でマラカスを持って踊る機会があり、じつはそこからきているんです(笑)。
いざ作ってみたところ、目の前にマラカスが置いてあると“なぜか握ってみたくなる”不思議な魅力があって(笑)。これも、最初から狙ったわけではないのですが、そういう効果も生まれてよかったと思っています。
──たしかに目の前にマラカスがあったら、握ってみたくなりますね(笑)。
中村氏:
じつは、本場ブラジルのカーニバルでマラカスは振ってないんですけどね(笑)。ただ、「カーニバル」というとおもしろい話がありまして……。
先ほどもちょっと触れたとおり、『サンバDEアミーゴ』は新人や若手が集まって作った作品ですが、その年の新人に「ブラジルのサンバカーニバルで優勝したチームに属していた」というすごい経歴の人がいたんです。これはいいと思って「じゃあうちのチームでやってもらおう」と入ってもらいました。
カーニバルではマラカスを使わない代わりに「サンバ・シェイカー」という楽器を使うそうで、その振り方のコツを教えてもらうなど、当時はその新人さんが主体になって「サンバがどういうものなのか」の共有を深めていきました。
その方は社内でのプレゼンなんかも上手にやってくれたので、いろいろありがたかったです。
──そういった経験者とのやり取りのなかで、曲と体の振り付けがマッチするようなゲーム性というのを組み立てていったと。
中村氏:
はい。たとえば「手のポジションを上・中・下の3段階に分ける」とか、そういうことは最初の段階から決めてありました。当時のスケジュール帳を見るとすごく短い期間でこのゲームを作っていてビックリします(笑)。
初代『サンバDEアミーゴ』は「プレイヤーの盛り上りに合わせて背景も盛り上がっていく」というコンセプトがあり、そこだけはこだわったのですが、こういうこだわりをチーム内でも共有できていたおかげで、素早い制作ができたのかもしれません。
一方でほかの部分は若手のみんなでかなり自由にやっていて、その結果としてある種“穴だらけ”なゲームでもあるのですが、それも粗野な感じでまとまりが出たのでよかったと思っています。
──当時の楽曲を担当された幡谷さんは、作曲にあたって「動きのある音ゲー」という条件も要求されたかと思いますが、なにか難しかったことなどありますか?
幡谷氏:
『スペースチャンネル5』という音ゲーを担当していた時期だったこともあり、自分で音ゲーの楽曲を作るからには「プレイとシンクロする要素を譜面のなかに組み込みたい」という観点でいろいろ考えました。
結果的にみんなで楽しく、最後は合唱も入ってくる感じでまとまりました。後々『ファンタシースターオンライン2』のロビーで使われたりもして、広がってくれてよかったと思っています。
中村氏:
「Vamos a Carnaval」という曲ですね。
──ラテン系の曲を作る上で、どういった点を意識しましたか?
幡谷氏:
単刀直入に「レッツゴーカーニバル!」というテーマだったので、お祭り感があり「さぁ、これからとことん遊ぶぞ!」という、気持ちを高ぶらせるものになったらいいなと思って作りました。
──チームのほかの方の『サンバDEアミーゴ』との関わりというのはどういったものだったのでしょうか?
天池氏:
僕は中村と同期だったので、作っているのを横で見ていました。「すごい勢いでできあがっていくな」って(笑)。
中村氏:
ドリームキャストでマラカスのコントローラーを作るのは時間がかかりましたけどね。
巖本氏:
あのマラカス、重たいんですよね(笑)。
中村氏:
そうそう。アーケード版はとくにケーブルがついていて、シャワーのホースみたいに筐体とくっついているんですけど、いまだと筋トレグッズにありそうな重さです。テストプレイなんかで夜通し振ることもあって、みんなどんどん疲弊していきました(笑)。
──その重さというのは制作段階で意図的に重くしていたのでしょうか?
中村氏:
いや、やむを得ずの重さでした。「重い重い」とよく言われました(笑)。
巖本氏:
僕はゲームセンターに通ってアーケードの『サンバDEアミーゴ』を遊んでいた側の人間だったので、いまは作り手として関われることが感慨深いです。
川瀬氏:
私も当時は高校生だったので、学校帰りによく遊んでいました。同世代のデザイナーさんとも軽くお話したんですけど、やっぱり学生時代に『サンバDEアミーゴ』に出会っていた人たちは最新作でみんなテンションが上がるというか、「あの曲は今回も収録されるだろうか?」みたいな話題で盛り上がったりしていました。
──『サンバDEアミーゴ』のコンセプトとして中村さんから先ほど「ふざけるゲーム」を目指したというお話がありましたけれども、当時遊んでいてそのコンセプトの感覚はありましたか?
川瀬氏:
正直なところ、あまりそういう感覚はなかったです。高校から帰る途中でゲームセンターに入って、『ダンスダンスレボリューション』などいろんなゲームで遊ぶなかに『サンバDEアミーゴ』もあった感じです。遊ぶ上でもハードルはぜんぜん感じていませんでした。
あとから中村さんに「飲んだあとに遊んでもらう」みたいな話を聞かせてもらって、「あっ、私ってターゲットと違ったんだな」と思ったぐらいです(笑)。ただ、なにぶん学生の身分だったので、昼から夕方しか知らないんです。夜は “お酒のノリ” みたいな感じだったのでしょうか?
中村氏:
いやいや、みんなが実際にお酒を飲んで遊んでいたかというとそんな訳でもなく(笑)。あくまでも「そういうノリで」っていうことです。