まるで「地獄のもじぴったん」。「翻訳不可能」とも言われた『文字遊戯』のローカライズは、答えが見えない言葉遊びの連続だった
──今回の日本語版に関しては、2024年の発売予定から1年ほど遅れてのリリースとなりました。その要因はやはり翻訳の難しさにあったのでしょうか?
黄氏:
そうですね、翻訳の難しさというか……。感覚としては「地獄のもじぴったん」を延々とやっている感じでした。
──「地獄のもじぴったん」とは、面白い表現ですね。具体的にはどういった心境だったのでしょうか。
黄氏:
私はパズルゲームが好きな方で、『もじぴったん』も好きなゲームのひとつなのですが、あれは「クリアできることが前提とされている」から楽しむことができるんですよ。一方で、正答があるのかどうかわからない「地獄のもじぴったん」だと話は全く異なります。
自分の用意した回答が正しいのかどうか、答え合わせすらできないのは、非常につらい作業でした。このままこの謎解きに向き合うべきか、それとも問題自体をいじるべきか。いい解法が見つからないものは一旦寝かせることにして1年が経過し、どうしても解法が見つからない場合は、原作サイドに相談して問題自体を調整させてもらいました。
魔龍<バハムート>との戦いのワンシーン。複雑に入り組んだ原語の謎を、巧みに、そして大胆に日本語へと翻訳していく。そのうえで、解法も用意しなければならない。「最大の難問」という文字から、当時の黄氏の心境が伝わってくるようだ。
──大変な難事だったかと思いますが、挫折しそうになることなどはなかったのでしょうか。
黄氏:
途中で挫折しそうになったことは何回もありました。「この案件、担当する人によっては失踪もありえただろうな」とも思いましたね。ただ、寝かせておいた謎解きに関して突然「これだ!」という解法が見つかる瞬間が何度もあり、その時には誇張ではなく飛び上がったり、狂喜乱舞したりしていました。
「これが完成したら、ローカライズの仕事は引退しよう」とも思いました。なぜならば、もうこれ以上に難しい案件はないと思うからです。過去に担当した『逆転裁判』や『シュタインズ・ゲート』のローカライズもなかなかの難しさだったのですが、本作はそれよりもはるかに難しかったです。
「この難題案件を終えることができたなら、ローカライズ担当者としてやり残したことはないと言えるのではないか」とも思っていました。
──実際に大変な労力をかけられて、日本語版が完成した今の心境はいかがですか。
黄氏:
日本語版が完成した今は、「できる全力は尽くした」という心境です。翻訳作業中はずっと「開通するかわからないトンネルを掘っている」といった感覚だったのですが、すべての問題に回答が用意できた瞬間、やっと「あとはこのトンネルを整備するだけだ」といった感覚になり、プログラム担当のエスカドラさんにも正式に入っていただきました。そこに至るまでにだいぶ時間がかかってしまいましたね。
実際にリリースされた後にどのような評価をされるかというのは水物なのでそこは天命に任せたいと思いますが、ゲーム好き一筋でやってきた自分が苦労を承知でやる価値があると信じたこの作品を、ぜひみなさんにも遊んでほしいと思っています。
数々のゲーム翻訳を手がけてきた黄氏の経歴と、困難を予想したうえであえて本作のローカライズを引き受けた理由
──ここからは、黄さんが本作のローカライズを手がけるようになった経緯についてもお聞きしたいと思います。そもそもの話になってしまいますが、黄さんのこれまでの経歴や、フライハイワークスの成り立ちや理念に関してお聞かせいただけますでしょうか。
黄氏:
私は両親が台湾人で、日本で生まれ、10歳の頃に台湾に戻ったのですが、小さいころからゲームが好きだったので「大人になったら絶対に日本でゲームの仕事がしたい!」と思っていました。大学を卒業し、兵役を終えた直後、幸運なことに日本のゲーム会社に採用していただきました。
その後私は日本に帰化し、2011年にフライハイワークスを立ち上げました。2013年に『魔女と勇者』を初めてパブリッシュしたのを皮切りに、各種プラットフォームでダウンロードタイトルを中心にゲームを販売しています。

また、他にはローカライズ業務も引き受けており、以前には『逆転裁判123 成歩堂セレクション』や『シュタインズ・ゲート』の中国語版なども担当させていただきました。
理念は……あまり大層なものはないのですが、ゲームはすごく楽しくてすばらしいものなので、自分自身、プレイヤーとしていつまでも楽しんでいきたいです。また、ひとつでも多くのゲームがひとりでも多くのプレイヤーに楽しんでもらえるよう、微力ながら貢献していければと思っています。
──『文字遊戯』の日本語版を制作するに至った経緯はどのようなものだったのでしょうか? また、黄さんが初めて原作をプレイした際はどういった感想をお持ちになったのでしょうか。
黄氏:
きっかけは、原作を開発したTeam9さんからローカライズ・パブリッシングの打診を受けたことですね。
最初は「まあ、こういう文字を合体したりするパズルゲームって珍しくはないよね」という印象でした。こういったタイプのゲームって、ローカライズの難しさのわりにはなかなか広く楽しんではもらえませんし、特に本作は画面も白黒なので、ビジネスとしては難しいかなと思っていました。
──原作チームから打診があったものの、第一印象ではあまり乗り気ではなかったと。
黄氏:
テストプレイをする約束はしてしまったので、一応プレイをして、そのあとにお断りしようと思っていたんです。
ところが実際に遊んでみると、ゲームの中盤から思いもよらない展開の連続で、一気に最後までプレイしてしまったんですよ。
久々に「すごい体験をした」と感じるゲームでした。その上で、非常に難しい決断をする必要に迫られました。このゲームのすごさはわかった、中華圏でたくさんの高評価を受けるだけのことはある。
でも同時に「このタイトルの日本語ローカライズは無理なんじゃないか……?」というのが当時の正直な気持ちでした。
──すごいゲームだと理解した上でなお、ローカライズの難しさというハードルが高かったと。本作を日本語に翻訳するというのは、単に中国語を日本語に置き換えるだけでは不可能ですよね。まさに『文字遊戯』の日本語ステージを新規に作成するような、途方もない難しさがあったと思います。
黄氏:
おっしゃるとおり、本作のローカライズはただ文章を翻訳するだけでは成立しません。漢字の謎解きが成立するような文章をなるべく自然な形で組み込まなければいけませんし、また、文字数制限の面でも日本語は厳しいんです。
たとえば、中国語の「謝謝」は日本語だと「ありがとう」ですし、「我愛你」は「私はあなたを愛しています」で、どれだけ短くしても「愛してる」ですよね。基本的に、同じ意味を伝える上では日本語の方が必要な文字数が多くなるんです。
そうした点も含めて、実際に取りかかる前から「間違いなく大変な苦労をするだろうな」とは思っていましたね。
──それだけの難しさを予見していながら、最終的に日本語化を決意した理由や経緯はどういったものだったのでしょう。
黄氏:
私は日本語と中国語がネイティブのバイリンガルで、なおかつ「私はゲームが好きだ」という自負を持ってこれまで仕事をしてきました。そんな私が『文字遊戯』という作品と向き合ったとき、「この作品のローカライズは私がやらないと正しく伝わらない」「私がやらなければいけない」といった使命感のようなものを感じていました。
ローカライザーとしてもこれ以上チャレンジングな案件はありませんし、もし完成できたら大きな実績になることは間違いありません。日本のユーザーにも楽しんでいただけると思っていたので、ワクワクするところもありました。
──「自分が手がけるべき作品だ」という思いと、ローカライザーとしての挑戦心のようなものがあったと。
黄氏:
しかし、いざ引き受けたとして、本作のローカライズを完成させるまでには少なく見積もっても2年はかかるだろうという予想が立っていました。これには少人数でやっている弊社として大きなリスクも伴います。
そこで「正直すぐには判断ができない。いったん『第零章』を日本語化したうえで、リリース後の反応を見てから決めさせてくれないか?」という返事をしたんです。これが2022年の夏ごろのことでした。
──『文字遊戯』の体験版・プロローグ的な作品の『文字遊戯 第零章』ですね。労力的にもリスクの大きい本編の前にそちらを翻訳してみることで、日本語圏での反響を確かめることにしたんですね。
黄氏:
そうですね。『第零章』の範囲だけでも結構苦戦はしたのですが……。『第零章』をリリースした後、もし日本語ユーザーさんからの反応があまり良くなかったら本編の制作は撤回しようと考えていました。
そして2023年の7月に『第零章』をリリースし、同年のBitSummit【※】にも出展をしたのですが、多くの好評の声をいただき、さらにBitSummitではPlayStation賞もいただきました。それを受けて、「ああ、もうこれは後には引けないな」と思い、前に進む覚悟を決めたんです。
【※】BitSummit……毎年京都で開催されている、日本最大級のインディーゲームイベント。
──『第零章』を日本語化するにあたって、特別意識したことなどはあったのでしょうか?
黄氏:
『第零章』は本編で使用するアクションを少しずつ体験できるようになっていて、『第零章』を楽しめた方はきっと本編も楽しめるようなつくりになっています。
ローカライズ側として特別に意識したことはないのですが、ストーリー終了後の画面で「この作品の日本語化は私たちにとっても大冒険です」というメッセージを書かせていただきました。その時点では本当に本編を完成できるか定かでなく、文字通りこれから大冒険をするような心境だったからです。
──結果として『第零章』の公開時には一般のプレイヤーだけでなく、さまざまな動画投稿者・配信者の方がプレイし、ちょっとしたムーブメントになっていましたよね。その時の手ごたえはいかがでしたか。
黄氏:
おかげさまで、『第零章』はプレイした人からたくさんのお褒めの言葉をいただきました。配信者の方がプレイする様子を見ても「ああ、このゲームの良さがちゃんと通じているな」と感じたのを覚えています。こうした反響は開発会社さんにも共有しましたし、みんな喜んでいましたね。
──実際に本編の日本語化を発表したときの反響はどういったものだったのでしょうか。
黄氏:
「おお!楽しみ」といった声もいただいていましたが、それ以上に「本当にできるのか?」という声も多かったと記憶しています。正直なところ、翻訳担当・総責任者の私自身も「本当にできるのだろうか」と半信半疑でした。
──『第零章』の反響を受けて本編の日本語化を決意したということでしたが、実際に取りかかってみて特に苦労した箇所や、思い入れのある箇所などがあれば教えてください。
黄氏:
説明するとネタバレになってしまうことが多いのであまり多くは紹介できないのですが、ネタバレにならない範囲で挙げると、原作の「不」を削除する手法が日本語ではほぼ使えなかったことが苦しかったです。
中文では「好吃(おいしい)」の反対が「不好吃(おいしくない)」となったり、「想這麼做(こうしたい)」の反対が「不想這麼做(こうしたくない)」となるなど、「不」を削除することで意味が正反対になり、そのまま文章が成立することが多いんです。
しかし、日本語の場合は「おいしくない」「こうしたくない」といった言葉から1文字削除をしても、意味が通らなくなってしまいますよね。
また、日本語にも否定を表す接頭辞として「不・無・非・未」といったものはあるのですが、それらを削除すると日本語として正しくない文章になってしまうことが多く、ほとんど使えませんでした。
そのうえで、原作サイドからは「原作のテイストと合わせるため、2文字以上削除するのはNG」と伝えられていました。なので、こうしたタイプの謎解きは全て新たに考え直したんですよ。
──謎解き自体を日本語向けに作り直す……本当に「新たな『文字遊戯』を作り直す」くらいの労力が掛かっていますね。
黄氏:
もうひとつ苦労した箇所で言うと、トレーラー映像にも載せている「主人公が複数の四字熟語に囲まれる」というシーンですね。文字数が決まっている中で複数の文章を用意しなければならず、なおかつギミック的な条件も満たさなければいけないため、かなり難しかったです。
