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「久夛良木が面白かったからやってただけ」 プレイステーションの立役者に訊くその誕生秘話【丸山茂雄×川上量生】

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丸山さんの役職は……チーフ直感オフィサー?

――それにしても、丸山さんはシンプルなところをシンプルに突いていきますよね。「クレジットは映画なら当然だろ」みたいな発想が象徴的ですが。

丸山氏:
 でも、短期的に見ると損であることも多いんだよ。だけど、ロングレンジで見れば、それが全体にとって良い解決策だったりもするんだな。

 それに、「いま損か得か」で考えると考え方が狭くなるから、皆さんとお話をするときに格好悪くなるんだよな。ネットの大義でITの人に責められちゃうと、もうソニー・ミュージックみたいなセコい会社は肩身が狭いんだよ(笑)。

――ただ、丸山さんのお話を聞いていると不思議なんですが、どんな仕事をされているんですか。さっきの松浦さんの話でも、「音楽のゲームをやろう」と仰ったとは言え、あとは現場に任せてますよね。世間的には、丸山さんは音楽のプロデューサーと呼ばれていたりすると思うんですが……。

丸山氏:
 小林武史【※1】や小室哲哉【※2】のような人をプロデューサーと呼ぶのなら、俺は違うよね。まあ、いつもインタビューをやると必ず突っ込まれるよ。「貴方は一体、何をやっているんですか?」ってね。その質問は困るんだよなあ。だって、何もやってないんだもん(笑)。

※1 小林武史
1959年生まれのシンガーソングライター、音楽プロデューサー。烏龍舎代表取締役社長、ap bank代表理事、音楽制作者連盟理事を務める。Mr.ChildrenやSalyuのプロデュースで知られる。90年代には、TRFやglobeのプロデュースで活躍していた小室哲哉と同じイニシャルであったため、二人を並べて「TK時代」と呼ばれた。

※2 小室哲哉
1958年生まれの音楽プロデューサー。自身の音楽ユニットであるTM NETWORKでの活躍をはじめ、特に90年代後半の間に数々のミリオンセラーやヒット曲を打ち立たて「小室ブーム」という社会現象を起こした。観月ありさ、篠原涼子、TRF、hitomi、内田有紀、H Jungle with t、dos、globe、華原朋美、安室奈美恵など、多数の作詞、作曲、編曲と音楽プロデュースを手掛けた。

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――とはいえ、常に大局的な視野から、的確にツボを押さえた判断を下していきますよね。たぶん、小林武史さんのような方より上のレイヤーで判断していると思うのですが。

丸山氏:
 困るよなあ、俺みたいな人間はMBAの経営の教科書には出てこないんだよ。一体、CとOの間にどんな言葉を当てれば良いのか、自分でもよく分からないよ。チーフ“直感”オフィサーみたいな感じじゃないか(苦笑)? まあ、「今はここだろ」と勘所を押さえていく自信は、確かにあるんだよ。

川上氏:
 それは、CEOそのものですね。

一同:
 (笑)

――しかも、自分で責任を負って、判断していますもんね。

丸山氏:
 判断……してるのかなあ。まあ、ダメだったら「ごめん」って言えばいいし、「ごめん」じゃ済まなかったら、あとから俺がひっかぶればいいんだろうとは思って、乱暴に行っちまうんだよな。なんだか軽いノリで申し訳ないけども。

――仕事内容としては、全体の戦略を考えて、人事をしていく感じでしょうか。

丸山氏:
 そりゃあもう、えこひいきしまくるからね。「今、こいつを海外で勉強させるべきだ」と思ったら、俺はすぐにそいつをイギリスに送り込んじゃう。俺はね、ロックに興味なんてなくても、「これからはロックだ!」と分かったら、みんなをその方向に向けるのは得意なんだよ。

 でも、俺ができるのはそれだけ。本当に音を作ってくれるのは、その下のプロデューサーたちなんだな。

――プロデューサーのプロデューサーという感じでしょうか。

川上氏:
 やっぱり、それは正しくCEOの役割ですよね。

一同:
 (笑)

丸山氏:
 CEOだってよ。かっこいい響きだなあ、いいなあ。

――でも、ゲーム業界でも任天堂の山内社長は、ゲームを全く遊ばないのに、次に来そうなものを引き当ててくるのが上手だったという話がありますよね。そういう「これからは着メロだ」「これからはロックだ」みたいなのをつかみ取る判断材料は何なんでしょうか。

丸山氏:
 山内さんがどうしていたかは知らないけど、俺の場合は、雑音だよね。

――雑音ですか? 雑踏で聞こえてくる話題みたいな感じでしょうか……。

丸山氏:
 そう、それは街場にあるんだ。決して、会議では出てこない。だから、俺は盛り場をウロウロして、聞き澄ますんだよ。でも、そこは夜のクラブでお姉ちゃんと酒を飲むような場所ってわけじゃないんだよ。

――なるほど……。すると、やっぱり丸山さんがゲーム業界に興味を向けたとき、雑踏の中にゲームの足音が聞こえていた?

丸山氏:
 そうだったなあ。あの頃は、そもそもゲームセンターもあったしな。

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「久夛良木と一緒にいるのが面白かった」

――そろそろ時間なのですが、そんな丸山さんがゲームから離れたキッカケは何だったんですか? ゲームに興味を失われるタイミングが、もしかしてあったのかな、と。

丸山氏:
 そりゃ単に定年の時期が来ちゃったからだよ。そんで「俺はもうやめるぞ」と周囲にも言った。

――そうなんですか……。でも、ずっとソニーで音楽の仕事をしてきた丸山さんが、その最後にこれだけ関わられた業界でもあるわけですよね。やはりゲーム業界は、面白かったんじゃないですか?

丸山氏:
 いやあ、俺にとっては、そもそも「ゲーム業界が面白かった」っていうより、ゲーム業界にいて「久夛良木と一緒にいるのが面白かった」というだけだよ。ただ、それだけのことなんだ。だけど、ある日、久夛良木がなぜか「ソニーの社長になりたい」と言い出したときに、「ああ、面倒くせえな」と思っちゃった。だって、ソニーの社長の“マネージャー”なんて、やりたくないじゃない。そのときに、もうゲーム業界にはいなくてもいいかな、と思ったな。

 しかし、本当に不思議な男だったよ。よくソニーにあんなのがいたな、と思うよな。

――なるほど。でも、かつてのソニーの武勇伝を聞いていると、久夛良木さんみたいな人が沢山いたのかな、と思っちゃいますが。

丸山氏:
 いやあ、久夛良木の世代の頃には、もうデジタルの時代になってたから違う。当時のソニーは既にそこそこ良い会社だったし、アイツの同期も成績の優秀なやつばかりだったはずだね。そういう連中は、自我が強くないんだよ。学校で「俺が、俺が」とガツガツしなくても、先生の扱いが良いからね。

川上氏:
 確かに、「頑張る」系の人って学歴に対するコンプレックスが強かったりしますよね。

丸山氏:
 久夛良木の学生時代の成績なんておっかなくて聞けないけど、どうだったんだろうね。まあ、成績優秀な、人の良いおっとりした連中ばかりの中で、ちょっと変わったやつだったろうね。

――そう聞くと、久夛良木さんは何者なのか、一体どうしてあんな強烈なキャラクターになったのか、改めて不思議ですね。でも、実は丸山さんも久夛良木さんも「傍流」から始まったところに、プライドを持っていませんか?

丸山氏:
 俺には、そのプライドはある。でも久夛良木は、自分を「傍流」とは認めないんじゃないかな(笑)。

川上氏:
 いやいや、あの時代のSMEとSCEは世の中から見たらソニーそのものですよ。もし傍流だとしても、NTTグループの中でドコモは傍流なのか、みたいな話じゃないですか。

丸山氏:
 まあ、今となってはそういう見え方なのかねえ。でも、傍流には傍流の面白さがあるんだよ。川上さんみたいな創業者にはわからないだろうけど。

川上氏:
 いやいや、ドワンゴもどこの業界に行っても、業界の中では、ずっと傍流なんで(笑)。でも、なんか今度は久夛良木さんの話も聞いてみたいですね。

丸山氏:
 ああ、聞いてみるといいよ。そのときは、アイツに俺のことを聞いてごらん。「一応、直感は結構いいよね」くらいは言ってくれるかもしれない。結局、アイツの俺に対しての最大級の褒め言葉はそれだったから、それ以上はないだろうけどな。

川上氏:
 ないんですか(笑)。

丸山氏:
 まあ、そこも否定されちゃうと、俺も立つ瀬がないんだけどさ(笑)。(了)

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 今だから話せるPS黎明期の秘話も語られた、今回のインタビュー、いかがだったろうか。

 実のところ、この記事で言及されている「業界の風雲児」こと久夛良木健氏は、現在のインターネットの、特に若いユーザーの間では、もしかしたら悪役(ヒール)の印象が強い人物かもしれない。
 事実、PS3発売時の「高級レストランと社員食堂の代金を比べるのはおかしい」などといった氏の発言は、ネットで大いに拡散されたし、当時、WiiやDSで急速に新しいゲームファンを獲得していた任天堂・岩田社長の発言と比較され、さまざまな形で非難を浴びせられることにもなった。そしてPS3発売の翌年、氏は志半ばにしてSCEの社長の座を去ることになる。現在の若いユーザーにとっての久夛良木氏は、そうしたネガティブなイメージのみが強いのではないだろうか?

 ——しかし。久夛良木氏がゲーム業界、そしてコンピューター産業に果たしてきた貢献は、多くのユーザーが想像する以上に巨大だ。氏が世界を牽引したビジョナリストであったことは間違いないし、だからこそPSは、世界のゲーム市場を制したのだ。

 ここで語られたPS秘話は、そんな久夛良木氏が、まだソニーの「傍流」で無名のエンジニアだった時代から、ゲーム業界に大旋風を巻き起こして業界の中心へと羽ばたいていった、まさにその瞬間に起きていたことを、当時彼の「マネージャー」役を務めていた丸山氏に語っていただいたものだ。

 だが、ここで語られた久夛良木氏の言動。無名時代なのにやっぱり、なんというか傲岸不遜(ごうがんふそん)なのだ。
 ……ところが、そんな久夛良木氏の当時のエピソードを語る丸山氏の表情の、もう実に楽しそうなこと、楽しそうなこと!

 実際、丸山氏の語る久夛良木氏のハチャメチャぶりと来たら、まるで時代を変えるロックスターが、アンダーグラウンドから這い上がってくる瞬間の勢いを見ているよう。海千山千のミュージシャンと仕事をしてきた丸山氏が、どんなふうに久夛良木氏を見ていたのか、想像に難くない。
 初代PS大成功の裏側にあった、天才エンジニアとベテラン音楽プロデューサーの、なんとも不思議なタッグ――そこには、日本のエンターテイメント業界の、決して一筋縄では行かない人間や創造性への深い理解があったように思えてならない。


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